2016年05月31日

【書評】向井雅明『ラカン入門』。

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)
向井 雅明
筑摩書房
売り上げランキング: 22,900


「入門」とは銘打っているものの、初心者には難しい。なんかラカンってサブカル評論でよく出てくる名前だし、さくっと全体像だけ掴みたいな的なニーズには向かない本かもしれません。もちろんそれだけ濃密な内容ということなので、一通りの全体像を見渡せるようになってもう一度再読すればかなり勉強になりそう。

最初読んだときは文章が若干回りくどいと感じられて、読書メーターでも申し訳ないことに初読の率直な感想をそのままにそういう書評を書いてしまったんですが、その後、新宮本やフィンク本などに当った後に再読するにあたって思うのはこれは多分、ラカニアンの方の中では相当わかりやすい部類なんじゃないでしょうか、ということです。かなり誠実に書かれているように思う。本書はもともと「ラカン対ラカン」という表題で出版されたものの改訂版であり、奇怪難解で知られるラカンの理論体系をラカン自らを以って明らかにしようとした試みでもあります。

ラカン読解の手順としてはとりあえず現実・想像・象徴といった例の三幅対を抑えた後は前期理論の集大成と言われる「欲望のグラフ」の解析に取り組むべきなんでしょうかね・・・向井さんは欲望のグラフについて本書でかなりのページを割いて丁重に解説されています。

欲望のグラフにせよ父性隠喩にせよ、ラカンの理論の中核は一貫してフロイトのエディプスコンプレックスの構造的・理論的解明なんですよ。いまどきエディプスコンプレックスなんて大真面目に言うと嘲笑されるのかもしれませんが、そもそもあれは分析主体の個人的経験として理解するべきではないんでしょう。人間に先天的に内在する母性原理と父性原理の止揚の過程における一つの神話的な説明であるというという理解であれば、ある程度、納得できる部分もあると思われます。
タグ:こころ
posted by かがみ at 01:45 | 心理療法

2016年05月24日

アイドルという供給過剰なブラック産業

痛いニュース(ノ∀`) : アイドルがファンに20カ所刺され重体 - ライブドアブログ

なんとも凄惨な事件で、被害に遭われた方には本当にただただお気の毒としか言いようがありませんが・・・

今更こんなところで一般論的な何かを言うのもなんですけど、誤解を恐れずに言えば、今の時代、人並みの容姿の女の子であれば、(食っていけるかどうかは別として)わりと簡単にアイドル(みたいなもの)になれてしまう。これはいわば規制緩和による供給過剰ともいうべき事象でしょう。もともとニッチな業界でメジャー、インディー入り乱れてのパイの仁義なき奪い合いが行なわれた結果、産業構造が加速的にブラック化しているわけでして、この過当競争に生き残るためには、多かれ少なかれ「ファンとの距離の近さ」っていう関係性自体を商品とせざるを得ない。そこに生じる「私は商品として『親しい関係』という幻想を貴方に売りましたけど、売り手の私自身は別に貴方と『親しい関係』になるつもりなんか微塵もありません」という矛盾に満ちた定式に、アイドル、ファンの当事者のどれだけが自覚的かというといささか覚束のない状況のように思えます。

被害に遭われた方はどうやらアイドルというよりもシンガーソングライター的な方向性でやられていたようなので、上記のような定式がそのまま当てはまるわけではないでしょうけど、そもそも論として表現活動全般に大なり小なりこういったリスクが伴うということも事実なんでしょう。一日も早いご回復を祈念しています。


二人であることの病い パラノイアと言語 (講談社学術文庫)
ジャック・ラカン
講談社
売り上げランキング: 208,137

タグ:社会
posted by かがみ at 01:42 | 文化論

2016年05月20日

音楽という箱入り娘

痛いニュース(ノ∀`) : 「なんで全部無料で聴けないの??」…LINEミュージックのレビューが酷すぎると話題に - ライブドアブログ

なんかLINEミュージックのレビューが酷いとかで。記事中で取り上げられたレビューを見るに「なんでチケット購入しないと聴けんの? 視聴者目線で考えて欲しい」「なぜ30秒しかきけないの? fullだとなんか問題でもあるの?」「急に30秒しか聞けなくなるよ!お金入れないとダメなんて…ラインの人チケットとかやめて全部無料にしてくれよ!」「30日間だけ無料ってのが気に入らない。その半端な数字をやめて、LINEなら、LINEらしく、ずっと無料でいいんじゃないの?? いきなり、1曲に30秒くらいしか聴けなくなったから、アンストしました。」等々。

なかなか理解し難い所ではありますが、けどそう思ってしまうのは我々がCDバブル世代なだけの話でして、むしろこういう反応っていうのは多分、民度とか底辺の問題というよりも、今のデジタルネイティヴ世代のごく普通の感覚なんじゃないでしょうか。

嫌なら聴くなという態度も一つの選択肢ですけど、このままじゃ音楽ビジネスは確実に袋小路に行きあたると思うんですよ。ドラマやアニメも大抵のものは放映後一週間は無料配信されるご時世ですよ?ひとり音楽だけ特別という理由は残念ながら見出し難い。

なので彼らの感覚を嘆いたり嘲笑したりするよりも、そこは割り切って新しいビジネスモデルを模索していくことも大事じゃないでしょうか。例えば無料はフルバージョンだけど冒頭に15秒広告が入って有料で広告解除とか。音楽を「情報」として聞く人達はそのあたりで妥協するんじゃないかという気がします。

著作権の保護と、単純に聴かせないというのはまた違ます。どんな美少女だろうと、箱入り娘のように世俗の手の届かない所に閉じこめているのでは、結局は誰からも見初められず、行き遅れて朽ち果てるという悲劇が待っているわけです。

METAL RESISTANCE(通常盤)
METAL RESISTANCE(通常盤)
posted with amazlet at 16.05.19
BABYMETAL
トイズファクトリー (2016-04-01)
売り上げランキング: 73

タグ:音楽
posted by かがみ at 00:42 | 文化論

2016年04月11日

日本一わかりやすいラカン入門書

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)
斎藤 環
筑摩書房
売り上げランキング: 89,953


自称「日本一わかりやすいラカン入門書」。多分その看板にそこまで偽りはないと思いますが、何年も前の本ですし、いまさらこんなところで初学者が書評めいたことを書いてもどうかと思いますので、現時点での私的なラカン理解をノート風にまとめておきたいと思います。

要するに、我々(主体)は日々、位相が微妙にずれた三つのセカイを同時に生きているわけです。これをラカン用語で現実界、想像界、象徴界といいます。これは意識-前意識-無意識みたいな階層構造ではなく、互いにもたれかかった円環構造をなしており、三つのセカイは相互に連関しているとされます。

まず「現実界」は絶対に認識することは不可能な世界です。そうです、この「現実」は絶対にどんなことがあっても認識できない。

・・・もうなんかこの時点でお前は何を言っているんだという感じですが、これはちょっと考えればわかります。我々が日々暮らしているこの「現実のようなもの」は、感覚器官を通じて得た情報を脳内で「想像」したものに過ぎません。従って、我々がいま見ている「現実のようなもの」は「想像界」と呼ばれます。

そして、我々はこの現実を「言語(ラカンでいう「シニフィアン」)」というツールで理解する。例えば目の前に花が咲いているとします。我々はそれが「花」だと思う。ここに事象の認知→言語の選択という変換動作が介在するわけですが普段我々は「さあ今から目の前の『それ』を『花』だと理解するぞ」などと思ってやっていませんよね?従ってこの変換動作は無意識的なものということになります。つまり「言語」というのは無意識という別の世界(ラカンでいうところの「大文字の他者」)に存在するものというわけです。

さすがにこの辺りは精神分析の基礎理論がないとイメージしずらいかもしれませんが・・・ともあれ「言葉」とは何かを「象徴」するものであることからこの無意識的世界を「象徴界」と呼びます。文脈を外れたわけのわからないことを言う人を世間では「精神病」とか「統合失調症」などと言いますが、これは象徴界が壊れてボロメオの輪が外れかかっている現象と言えるわけです。また言語により現実全てを把握できるわけがなく、その掬い取りきれなかった残滓が欲望の原因と言うべき対象 a である・・・こういう理解で良いのでしょうか・・・?この辺りはまだよくわかっていませんので、他のいろんな本も読んでいって都度その成果(?)をここに書き連ねていきたい、などと思っています。

あとはもうどうでもいい私事ですが・・・昔、『ユリイカ』と言う雑誌で「魔法少女に花束を」っていうまどか☆マギカの特集があってて、その冒頭の評論を書かれていましたのが斎藤環さんです。その、内容はなんか・・・難しくてよくわからなかったんですけど、ただ「ラカン」と言うキーワードだけはよく憶えていて。いつかちゃんと勉強したいなって思いつつ、ようやく時ここに至るという感じでしょうか。ラカンに初めて触れた人は皆抱く印象なのかもしれませんが、本書でも何度か引用されているフランスの作家の言葉「変われば変わるほど、変わらない(Plus ça change, plus c'est la même chose.)」ならぬ「解れば解るほど、解らない」という、今はとりあえずそんな感じです。
タグ:こころ
posted by かがみ at 23:52 | 心理療法

2016年04月01日

原因論と目的論

アドラー心理学の特徴は言うまでもなく、その目的論思考にあります。例えば、引きこもりは何か過去のトラウマなどの「原因」があって部屋から出れないのではなく、対人関係に直面して傷つきたくないとか、両親に構って欲しいという「目的」の為、彼は部屋を出ないということになります。

この目的論については「では彼はなぜそのような目的を持ったのか」という「目的」を持つに至った「原因」があるのではないかという疑問が浮かんでくるでしょう?アドラー心理学は個人の判断・決定はその自律的主体性によるものという主体論を取りますから、おそらく先の問いに対しては「彼自身がそういうライフスタイルを取ると決めたから」という答えとなるとおもわれます。

しかしそれでもなお「何が彼のそういうライフスタイルを形成させたのか」という疑問はどこまでも残るわけです。これをフロイト風に「欲動」というかどうかは別として、どうしてもそこには個人の心的過程における意識レベルを超える無意識的な精神力動の存在を措定せざるをえないわけです。

ところで、フロイトとアドラーは一般的には「原因論」対「目的論」という2項対立で理解されますが、フロイトも言われているほど原因論ではないんですよね。確かに初期のフロイトは、幼少期の性的外傷体験が無意識下に抑圧されてヒステリーの核となるという「誘惑理論」なる説を提唱していましたが、ヒステリー患者の父親がみなロリコンというわけでもないでしょう。後にフロイトは誘惑理論を放棄し、ヒステリーの核となるのは実際の外傷体験ではなく、患者の「心的な現実」、言って見れば無意識下に抑圧されたファンタジーであるという風に自らの理論に訂正を加えてることになります。エディプス・コンプレックスなどは(これも結構誤解されていますが)まさに巨大なファンタジーといえるでしょう。

このあたりの変遷が一般的にはうまく理解されていないという点がフロイトの不遇といえば不遇なんですが、このような観点から言えば、目的と原因はいうほど2項対立的ではなく、相補性の原理により円環的に絡み合っているのが実相のように思えます。

個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド アドラー
アルテ
売り上げランキング: 22,893
タグ:こころ
posted by かがみ at 22:26 | 心理療法