現代批評理論の諸相
現代文学/アニメーション論のいくつかの断章
フランス現代思想概論
ラカン派精神分析の基本用語集
2022年07月29日
データベース的動物とネットワーク的動物−−ヘーゲル哲学とポストモダン
* 理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である
人間の歴史における「近代」を創建した哲学者がルネ・デカルトであり「近代」を確立した哲学者がイマヌエル・カントであるとすれば「近代」を完成させた哲学者がゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルということになるでしょう。カントによって捉えられた人間理性は確かに自然界=現象界の立法者ではありましたが、決してその創造者ではなく、自然界=現象界はその外部=物自体に材料を求める点で、人間理性の有限性が厳然と画されていました。けれどもカントは現象界を構成する思考のカテゴリーを形式論理学の判断表から導出しその数を12に限定していましたが、もし仮に理性の側から発動されるカテゴリー、例えば悟性のカテゴリーがもっと多ければ、それだけ物自体によって提供される材料はもっと少なくて済むことになります。そしてもし仮にその形式を無限に増大せしめうるとすれば、人間理性を限定する物自体の存在を認める必要がなくなり、人間理性はある種の絶対的創造者となりうることになります。
この点、ヘーゲルは人間理性の発露たる精神の本質とは「おのれ自身を知る」という自己意識ないし自覚へ向かう生成の運動にあるといい、その運動を「労働」と呼びます。ここでヘーゲルのいう「労働」とは労働主体が、対立する異他的な労働対象に働きかけ、それをおのれの望む形に変形させることで自己を外化する運動をいいます。こうした「労働」の過程において労働主体は労働対象の本性を正確に認識して制御するための高い教養や強靭な肉体を獲得していきます。そして、その労働が完了し、主体が対象のうちに自己を外化して、そこにいわば自己の分身を認めうるようになったとき、その主体は自分の持っている可能性の、少なくともその一部を現実化し、それまで知ることのできなかった自己を自覚するに至ります。
もっとも労働を通じ対象を自己の分身に変じたとしても、その間に労働主体もすでに大きく成長していることから、実現された成果のうちに自己自身の十全な似姿を見ることはなく、それは再び精神に対立する異他的な対象として現れます。ゆえに精神は再度より高次な労働により対象に働きかけてゆくことになります。
ここには精神と対象との直接的統一の関係(正)が破れて、そこに矛盾対立(反)が生じ、それが労働を通じて再び統一される(合)というプロセスを見出すことができます。このプロセスこそがあの名高いヘーゲルの弁証法です。そしてヘーゲルのいう「歴史」とは人間精神がこのように絶えず高められてゆく労働(自己外化)を通じて外的世界に働きかけ、一歩一歩自覚を深め自由を獲得してきた過程に他ならず、弁証法とはまさしく「歴史」の論理だということになります。
こうして精神の弁証法的な生成によってもはや外界に異他的な力として精神に対立するものが全くなくなり、精神が全てのもののうちに自己自身をみて全てのものにおいて自己自身の元にありうるようになるとき、精神は絶対の自由を獲得した「絶対精神」となり「歴史」は完結を迎えることになります。このように精神が絶対精神に至る艱難辛苦の「歴史」を描き出した労作がヘーゲルの主著「精神現象学(1807)」です。
そして、ヘーゲルはこうした意味の「歴史」の最終局面としてフランス革命を位置付け、そこに立ち会った彼自身の哲学こそが、精神の自己外化の終局点にある「絶対精神」の顕現に他ならないと確信することになります。
この点、ヘーゲルは晩年の著作となる「法哲学講義(1821)」において「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というテーゼを掲げています。すなわち、理性の認めるものだけが現実に存在する権利を持つ以上、現実に存在する全てのものは理性的であり、理性によって隈なく認識可能となり合理的に制御可能となるということです。こうしてヘーゲルはいまや人間はついに世界を統べる理性を獲得したことを力強く宣明して近代ヨーロッパにおける理性主義の完成を寿ぐ凱歌を上げました。
* 動物とスノビズム
かようにしてヘーゲルのいう「歴史」は19世紀初頭のヨーロッパにおいて大円団を迎えることになります。ではその後の「ポスト歴史」において人間の人間性はどうなるのでしょうか。
この点、ロシア出身のフランスの哲学者、アレクサンドル・コジューヴはその講義録である「ヘーゲル読解入門第二版(1968)」の(特に日本で)よく知られた脚注においてヘーゲル的な「歴史」が終わった後、人々には「動物への回帰」と「スノビズム」という二つの生存様式しか残されていないと主張しています。
先に述べたように、ヘーゲルの弁証法は精神と対象との直接的統一の関係(正)が破れて、そこに矛盾対立(反)が生じ、それが労働を通じて再び統一される(合)というプロセスを経由します。ここには既存の環境を「否定」するという契機が含まれます。このことから、コジューヴは、ヘーゲルのいう「人間」とは既存の環境を「否定」するという闘争的行動を伴う存在であるとします。
これに対して動物は常に既存の環境と調和して生きています。こうした意味でコジューヴは戦後アメリカに代表される消費化情報化社会に適応した人々を「動物」と呼びました。コジューヴに言わせれば「歴史の終わりのあと、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを開き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう」ということになります。
他方で「スノビズム」とは、与えられた環境を否定する実質的理由が何もないのにも関わらず、それを「形式化された価値」に基づき、あえてそれを否定する行動様式です。コジューヴがその例として挙げているのがなんと日本の切腹です。実質的には死ぬ理由が何もないにも関わらず「名誉」とか「規律」などといった「形式化された価値」に基づいて行われる自殺である切腹をコジューヴは究極のスノビズムであると称しました。
コジューヴはスノビズムは環境に対する「否定」の契機がある点で決して動物的な生き方ではないけれど、ヘーゲル的な「歴史」における人間的な生き方とも異なるとしています。というのもスノビズム的主体の自然(切腹の例で言えば生存本能)との対立は、もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからです。「名誉」とか「規律」などといった「形式化された価値」に基づいて純粋に儀礼的に遂行される切腹はいくらその犠牲者の屍が積み上がろうとも決して「歴史」を切り開く革命の原動力にはならないということです。そして、コジューヴは日本文化の中核にはスノビズムがあると直感し、今後はその精神が「ポスト・歴史」の文化世界を支配していくだろうと論じました。
* シニシズムと否定神学
なお、コジューヴが「スノビズム」と呼んだ生き方はのちにスロヴァニア出身の哲学者、スラヴォイ・ジジェクによって「シニシズム」という名で理論化されています。ジジェクはシニシズムの例としてしばし冷戦期のスターリニズムを挙げます。ジジェクはその主著「イデオロギーの崇高な対象(1989)」において、スターリニズムの支持者は本当はそれが嘘であることを知っているけれど「だからこそ」彼らはそれを信じるふりを止められないといいます。ここには実質と形式の捩れた関係があります。シニカルな主体は世界の実質的価値を信じないけれど「だからこそ」彼らは形式的価値を信じるふりをやめられないし、時にその形式のために実質を犠牲にすることも厭わないということです。
この「だからこそ」をコジューヴは主体の能動性として捉えていましたが、ジジェクはその「だからこそ」という転倒はむしろ主体にはどうにもならない強制的なメカニズムだと述べている点で相違があります。
こうしたジジェクのいう「だからこそ」のメカニズムはある種の否定神学的な論理から成り立っています。この点、ジジェクの依拠するラカン派精神分析においては人の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」の三つの位相から捉えます。ここでいう「想像界」とはイメージの世界であり「象徴界」とは言語の世界であり「現実界」とは象徴化不可能な〈もの〉の世界のことを指しています。
そして人は象徴化不可能な〈もの〉を任意の対象に仮託し、その対象を〈もの〉の尊厳まで引き上げる事で、象徴的秩序を安定させているわけです。このような〈もの〉の尊厳まで引き上げられた対象をラカンは「対象 a 」と呼んでいます。
そして一旦、対象 a が成立した以上、当該象徴的秩序内においては当該対象を公然と貶めるような行為はタブーとなります。なぜならばそのタブーを犯した瞬間に当該対象を中心とした象徴的秩序が崩壊するからです。
つまり、ここでは神は不在「だからこそ」現前するという否定神学の論理が成り立っています。それゆえに人は無意味だと分かっていても切腹を行い、嘘だと分かっていてもスターリニズムを信じ、そしてそれは嫌でも止められないということです。
* 虚構の時代から動物の時代へ
この点、東浩紀氏は「動物化するポストモダン(2001)」において「スノビズム(シニシズム)」を近代からポストモダンへの移行期における一つの特徴として位置付けています。ここでいうポストモダンとは社会共通の価値規範である「大きな物語」が失墜した時代をいいます。そして氏は近代からポストモダンへの移行は世界的には1970年代を一つの中心として第一次大戦が始まった1914年から冷戦構造が終焉する1989年までの75年間をかけて緩やかに進行したと捉えた上で、この移行期の時代精神は「大きな物語」が失われつつあることは誰もが知っているが「だからこそ」フェイクの大きな物語を捏造するというスノビズムないしシニシズムによって特徴づけられていたといいます。
もっとも東氏は日本における近代からポストモダンへの移行過程は1945年の敗戦で一度切断されているとして、大澤真幸氏の提唱する社会学的時代区分である「理想の時代(1945年〜1970年)」「虚構の時代(1970年〜1995年)」を参照しながら、日本社会が近代からポストモダンに移行したのは「虚構の時代」に当たる1970年代以降になるとします。そして「虚構の時代」を規定した日本的スノビズムの典型例として氏は漫画・アニメ・ゲーム・特撮といったサブカルチャーを愛好する日本のオタク系文化を挙げています。
すなわち、オタク的感性の中心には、漫画やアニメなどは所詮は子供騙しと分かっていながらも、その実質的な無意味からコジューヴのいう「形式化された価値」に相当するオタク的な「趣向」を切り離すことで、騙されていることを承知の上で作品に没入するというスノビズムを見出すことができるということです。こうしてみると、ある意味でオタクとは、スノビズムに規定されていた日本文化の正統継承者ともいえるでしょう。
もっとも、東氏は「虚構の時代」が終焉した1995年以降は日本においてもスノビズムの有効性は失われたとして、1995年以降の時代をコジューヴに倣い「動物の時代」と規定します。そして「動物の時代」における主体を「シュミラークル(小さな物語)」の水準での動物性と「データベース(大きな非物語)」の水準での(形骸化した擬似的な)人間性を解離的に共存させた「データベース的動物」と名付けました。
* データベース的動物とネットワーク的動物
ここまでの議論に即していえば、ヘーゲルのいう「歴史」が終焉した後の「ポスト歴史」における人間とは、近代からポストモダンの移行期における「スノビズム(シニシズム)」を経て「動物」ないし「データベース的動物」へと至ったということになります。ではコジューヴのいう「動物」と東氏のいう「データベース的動物」は何が違うのでしょうか。
この点、既存環境を否定する存在が人間であり、既存環境に調和する存在が動物であるというコジューヴの図式からいえば、シュミラークルに没入して動物的欲求を満たすデータベース的動物とは本質的にはコジューヴのいう動物の亜種である事は確かです。
しかしその一方で、データベース的動物には形骸化した形であるにせよ、データベースへ介入する人間的欲望が残されています。そして現代では動ポモが公刊された20年あまり前とは比較できないくらいに情報技術やネットワーク環境が発展し、人々はよりスマートかつラディカルにデータベースに介入できる可能性を手にしました。その意味で、いまや我々は「データベース的動物」であると同時に「ネットワーク的動物」であるともいえます。
そして、もしもここで東氏のいう「データベース」とヘーゲル的な「歴史」をパラレルに捉えるのであれば、データベース的動物/ネットワーク的動物はヘーゲル的人間を「半分だけ」は取り戻したともいえなくもないでしょう。
おそらくヘーゲルはそんな人間など偽物に過ぎないと嗤うかもしれません。けれども「偽物」の人間であるからこそ、むしろ「本物」の人間に見出せなかった新たな人間の可能性をその中に見る事ができるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 03:30
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2022年06月23日
世界の謎から日常の問題へ−−カント哲学と思弁的実在論
* 近代的意味での有限性としての「理性」
「近代」とは人間の新たな意味での「有限性」が発見された時代であるいえます。すなわち人間はその理性的認識の範囲内でしか世界を捉えることができないという意味での有限性です。18世紀末、こうした近代的意味での有限性を初めて明晰に分析したのがイマヌエル・カント(1724〜1804)の「純粋理性批判(1781)」です。
近代における「理性」は17世紀、ルネ・デカルトにより神の後見の下で見出されることになりましたが、18世紀になると神の後見によらずして「理性」を基礎付けることができるのかが問題となりました。つまり、これまでは神的理性によって支えられていたからこそ、人間理性と世界の合理性との調和が保障されもしたわけなのですが、そうした神的理性による媒介がないとすれば、この想定された調和には何の根拠もあり得ないことになるからです。
この点、イギリスにおける経験主義は、我々の持つ観念とはすべて経験的観念だと考えようとしました。しかしそうした考え方からすると数や幾何学といった観念も「たまたまそうであった」という蓋然的事実でしかない事になります。これに対してカントは神的理性の媒介を拒否しつつも我々の理性的観念に基づく認識と世界の合理性の調和を保証すべく、理性の超越論的機能の新たな基礎づけを行いました。
この点、カントによれば、理性が認識できるのは、決して対象それ自体の姿としての「物自体(Ding an sich)」ではなく、その認識の中で現れてくる「現象(Erscheinung)」でしかあり得ません。すなわち、理性は「物自体」に由来する色々な材料を受容し、整理統合することで「現象としての世界=現象界」を構成します。
この点、カント哲学においては物自体に由来する材料を「空間・時間」といった「直観の形式」により受容する能力を「感性」といい、受容した材料を「量・質・関係・様相」といった「思考のカテゴリー」により整理統合する能力を「悟性」と呼びます。そして、この感性と悟性により創り上げられた「現象界」だけに限れば、確かに我々の理性は世界を確実なものとして認識していることになります。
こうしてカントは、一方において古い独断的な形而上学を葬り去り、数学や物理学といった近代自然科学の普遍的妥当性を基礎付けるとともに、その一方において人は「現象界」の外部にある「物自体」への接近不可能性という近代的意味での有限性を示したことになります。
* 思弁的実在論とは何か
そして、カント以降において近代哲学には一つの暗黙の前提が作られることになりました。すなわち、人間は決して対象の実在それ自体を認識することはできず、人間固有の認識装置を通じてのみ対象は表象として認識されるということです。こうした近代哲学が築き上げた暗黙の前提に反旗を翻す現代哲学における新たな実在論が「思弁的実在論」と呼ばれる潮流です。
思弁的実在論(Speculative Realism)とは狭義には2007年、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにおいて行わ れた同名のワークショップの登壇者であったカンタン・メイヤスー、レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマンら4名の思想の総称を指していますが、広義には同ワークショップを発端に生じた今世紀初頭の大陸哲学における実在論的潮流をいいます。
それは我々が生きるこの世界を構成する客観的な事物としての「実在」それ自体を、従来の実在論とは異なった「思弁的」といえる奇妙な理路によって捉え直すという新種の実在論です。こうした潮流はフランス現代思想の系譜において「構造主義」「ポスト構造主義」の後にくる、いわば「ポスト・ポスト構造主義」に位置付けられます。
* 相関主義の乗り越え
思弁的実在論において共有される問題意識は、その筆頭的立場にあるメイヤスーのいうところの「相関主義」の乗り越えにあります。
近代西洋哲学においては、カント以降、「存在(対象)」が何であるかは「思考(認識)」との関係によってのみ明らかにされるという前提が広く共有され、思考と存在の一方の項目だけにアクセスすることはできないと考えられるようになります。こうした近代哲学における思考と存在の相関関係をメイヤスーは「相関主義」と呼びます。
そしてメイヤスーは「相関主義」を前提とすると、思考不可能な「実在」の位置に任意に代入した非合理・非常識な命題こそがまさに世界の真実であるなどと主張する陰謀論的な「信仰主義」に対する反駁が困難となり、その帰結として(悪い意味での)ポストモダン的「相対主義」がもたらされるとします。
*「ただあるだけ」のこの世界
これに対してメイヤスーはこうした「相対主義」に対して常識的な自然科学的世界像を擁護するための理論を提示します。けれどもその理路は極めてアクロバティック=思弁的なものとなります。
まずメイヤスーは世界を構成する事物は人間の言語による意味づけとは無関係に、ただ端的な「実在」として客観的に存在しており、そしてそれは一義的に、つまり唯一の真理として「これはこういうものだ」といえるといいます。そしてこうした「実在」の客観性はメイヤスーによれば、唯一、数理的記述によって思考可能だとされます。
このようにメイヤスーは数理的記述こそが世界の揺るぎない客観性だというのですが、その一方で、まさにその世界の客観性を保証するために、メイヤスーはこの世界が現にこのようなあり方をしているという事実には全く必然性がなく、世界はたまたま偶然的にこうなっているのであり、木々も星々も、星々も諸法則も、自然法則も論理法則もすべては実際に崩壊し、世界は突然別様のものに変わるかもしれないという恐ろしく思弁的な主張を持ち出します。
すなわち、この世界のあり方に仮に必然性があるのであれば、世界には隠された存在理由(充足理由律)があるはずですが、メイヤスーはその存在理由が消去された完全に乾き切った「ただあるだけ」のこの世界を捉えます。そしてメイヤスーは自然科学的な世界像はこうした「事実論性の原理(非理由律)」によって哲学的に正当化できると考えました。いわばメイヤスーにおいては(悪い意味での)ポストモダン的相対主義に対して、より高い次元での相対主義をもって対抗する理論であると言えるでしょう。
* 否定神学システムとしてのラカン派精神分析
こうした議論を日本の現代思想シーンの中に位置づけるのであれば、それはおそらく、東浩紀氏が「存在論的、郵便的」において提出した否定神学システム批判に相当するでしょう。
ここでいう否定神学システムとはラカン派精神分析に代表される構図のことを指しています。この点、フランスの精神分析医、ジャック・ラカンは主体の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの位相によって把握します。「想像界」とはイメージの境域であり「象徴界」とは言語の境域であり「現実界」とはイメージや言語によって捉えることが不可能な境域です。
そしてラカンによれば「想像界」は「象徴界」により統御されており、その「象徴界」は「現実界」という「外部=穴」によって駆動しているという構造となっています。
こうしたラカン的構図は、カント哲学の現代版ともいます。つまり人の認識構造における「感性」が「想像界」に相当し「悟性」が「象徴界」に相当します。そしてこうした認識構造によって捉えられない領域としての「物自体」が「現実界」に対応しています。
* 世界の謎から日常の問題へ
こうした意味でメイヤスーのいう相関主義とは、東氏のいう否定神学システムとほぼイコールとなります。そして、こうした相関主義=否定神学システムに対する抵抗の拠点をメイヤスーは客観的な事物としての「実在」に求め、東氏はコミュニケーションの失敗としての「誤配」に求めたとひとまずはいえるでしょう。そして、そこにはかつてカントが見出した近代的な意味での有限性とは別の有限性が見出されることになります。
無限の解釈の外部へ向かうということ。日々の偶然性を肯定するということ。こうした世界像の中には世界の謎から日常の問題へと折り返していく主体のあり方を見出す事ができるでしょう。そしてそこには、決して辿り着けない「ここではないどこか」を目指して永遠に空回りする悲劇としての有限性ではなく、さしあたりの「いま、ここ」から別な「いま、ここ」へと跳躍する瑞やかな歓びとしての有限性が見出せるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 21:02
| 精神分析
2022年05月27日
神の存在証明と真理の在り処−−デカルト哲学と精神分析
* Cogito ergo sum
近代哲学の創建者、ルネ・デカルト(1596〜1650)は、その主著『方法序説(1637)』『省察(1641)』において、当時の主流派であったスコラ哲学における有機体的自然観に抗い、いまだ傍流であった数学的認識による機械論的自然観を哲学的に擁護することで、来るべき近代自然科学の未来を切り拓きました。
ここでデカルトの取った方法論が有名な「方法的懐疑」と呼ばれるものです。彼は「いささかでも疑わしいところがあると思われそうなものはすべて絶対的に虚偽なものとしてこれを斥けていき、かくて結局において疑うべからざるものが私の確信のうちに残らぬであろうか」という問いを立て、まず我々の外的器官の教える外界の存在を疑い、次に我々の内官の教える自らの肉体の存在を疑い、さらには「2+3=5」といった数学的認識のような理性の教える法則さえも疑ってゆきます。
こうしてデカルトは世界のあらゆる一切を懐疑の坩堝の中に投げ込み、もやは「世界のうちには何ものもなく、天も地も、精神も身体も存在しない」という極限の境地において、世界のあらゆる一切を疑い続けるこの「私」だけは疑いなく存在するという確信を得ることで、今日において「私は考える、ゆえに我は存在する(Cogito ergo sum)」という言葉で広く知られるあの真理に到達しました。
* 理性の条件としての狂気
今日においてデカルトといえば、近代的主体を基礎付ける「理性」を確固たるものとして基礎付けた人のように思われていますが、実際のところ、デカルトは徹底的に「懐疑」することで「狂気」の中からかろうじて「理性」を取り出してくるという逆説的な手続きをとっています。
何か最高に有能で狡猾な欺き手がいて、私を常に欺こうと工夫を凝らしている。それでも、かれが私を欺くなら、疑いもなく私もまた存在するのである。できるかぎり私を欺くがよい。しかし、私が何ものかであると考えている間は、かれは、私を何ものでもないようにすることはけっしてできないだろう。それゆえ、すべてのことを十二分に熟慮したあげく、最後にこう結論しなければならない。「私は在る、私は存在する(Ego sum,ego existo)」という命題は、私がそれを言い表すたびごとに、あるいは精神で把握するたびごとに必然的に真である。(『省察』より)
ここでデカルトが言っているのは、コギトとは「自分は狂気に取り憑かれているかもしれない」と徹底的に「懐疑」しているまさにその瞬間としての「いま、ここ」限りで「真」といえる刹那の拍動でしかないということです。
* 方法的懐疑と他者の欲望
フランスの精神分析家、ジャック・ラカンはこうしたデカルトの「方法的懐疑」のプロセスの中に精神分析の本質を考えるための手がかりを見てとっていました。デカルトが「懐疑」の中からかろうじて「コギト」の拍動を取り出したように、精神分析の主体もまた「懐疑」の中からかろうじて「無意識」の拍動を取り出しているからです。
もっともデカルトはその思考の中で言語の問題をほとんど考慮に入れていませんが、ラカンのいう精神分析の主体とは、とりもなおさず「言語という環境」の中で語る主体をいいます。
この「言語という環境」をラカンは〈他者〉といいます。この点、この世に生を受けた子どもはまずは母親的存在(養育者)との関係を通じて〈他者〉の領域に参入します。人間は極めて未発達の状態で生まれてくるが故に母親的存在(養育者)という〈他者〉の世話なくしてその生命を維持できません。そのため、この〈他者〉が何を考えて何を望んでいるかという「〈他者〉の欲望」は子どもにとっては生存に関わる真摯な問題となります。ここから「〈他者〉の欲望」を満たす存在でありたいという子ども自身の欲望が起動します。
それゆえラカンにおいては「人間の欲望とは〈他者〉の欲望」であると定式化されます。そして、ここでいう〈他者〉の機能を担うのは特定の個人のみならず、より一般的に社会全体を〈他者〉として捉えることもできます。
我々が行う選択の数々には大なり小なり「〈他者〉の欲望」が反映されています。こうした意味で「〈他者〉の欲望」とはある程度、我々の社会的な「正しさ」を担う真理の場として機能します。けれども「〈他者〉の欲望」を絶対視してしまうと、それは時として、我々を様々な病理や生きづらさで呪縛することがあります。
*〈他者〉としての神
ではデカルトにとっての〈他者〉とは誰だったのでしょうか。それは言うまでもなく『省察』において彼が存在証明を行なった「神」に他なりません。
もっともデカルトの中で〈他者〉は当初「欺く神」や「悪霊」という形で出現します。デカルトは数学的認識のような理性の教える法則を疑う段階において「欺く神」や「悪霊」といった存在が誤謬を真理だと思い込むよう誘導しているではないかと懐疑することで数学的認識をも究極的には不確かなものであると断じ去っています。
ここでデカルトは、果たして神がこのような誤謬を真理だと思い込むよう誘導するような悪意を持っているのかという「〈他者〉の欲望」をめぐる問いに直面しています。それゆえにデカルトはかろうじて確立したコギトを立脚点として「欺く神」でも「悪霊」でもない信頼に値する神は果たして存在するか否かという「神の存在証明」に向かいます。
* 神の存在証明
デカルトによる「神の存在証明」はおおよそ次のように進みます。まず二つの方法(観念に含まれる事象性による証明と「私」という存在の因果性による証明)で神の存在証明が行われます。続いて神の本質としての無限性を根拠にその至上の完全性が論証されます。
当然ながら、この神の完全性の論証の中には神の悪意の否定が含まれています。畢竟「欺く」という行為は不完全なものであり、不完全なものは神ではないということです。そしてここからデカルトは神の存在論的証明を経由して、その帰結として神の実在と善性を証明します。
こうしてひとたび神の実在と善性が証明された以上、神こそが真理と理性の最終根拠となるとともに、理性による真理への到達が保証されます。こうした観点からデカルトが唱えたのが、あまねく真理は神の意志によって決定されるという「永遠真理創造説」と呼ばれるものです。
すなわち、デカルトにとって真理とは、どこまでいっても「〈他者〉の欲望」以外の何者でもありません。〈他者〉としての神が望むのであれば「2+3」は5ではなく、もしかして-7だったり2√3だったりすることもあり得るということです。
* 真理の在り処
こうしてみると精神分析とは、ある地点までは(本来の意味での)デカルト主義的な営みであるけれども、その着地点はデカルトとは正反対であるといえるでしょう。
精神分析における分析主体にとって〈他者〉の役割を仮に果たすのは分析家ということになります。もちろん分析家は別に神の如く何もかもを知っているというわけではありません。分析家はあくまでも「知を想定された主体」である仮の〈他者〉として分析主体の前に現前します。
そして最終的に分析家が「知を想定された主体」の位置から転げ落ちるまさにその時に、精神分析は終結します。すなわち、それは分析主体にとって世界を意味付けなおす固有の真理を分析主体自身の中に見出すことができた時に他なりません。
デカルトと精神分析の主体は世界の自明性への「懐疑」という点においては一致しており、デカルトは神に、精神分析の主体は分析家に、それぞれ真理の場としての〈他者〉=知を想定された主体を仮託した点でも一致します。
もっともデカルトは一度は「〈他者〉の欲望」を問い直しながらも、最終的に真理の在り処を神という名の万能機関に丸投げすることで「〈他者〉の欲望」に従属してしまいました。これに対して、精神分析における真理の在り処とは、いわば「〈他者〉の欲望」を一旦は完全に投げ棄てることによって初めて創出される特異的な意味(ないし無意味)の中に見出されるということです。
posted by かがみ at 01:53
| 精神分析
2022年04月26日
自閉症スペクトラム障害とデータベース文学
* 自閉症文学としてのアリス
児童文学における不朽の名作「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」という稀有な作品を生み出したルイス・キャロル(本名:チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)は1832年、イギリスのダーズベリーに11人兄弟の第3子長男として生を受けました。ドジゾン家はアイルランド系の牧師の家庭であり、キャロルも敬虔なキリスト教徒でしたが、のちに英国国教会の儀礼主義への疑義を持って以降、生涯にわたり宗教的葛藤を抱えていたとされています。
長じてオックスフォード大学クライスト・チャーチカレッジに入学したキャロルは、特に数学に関して優秀な成績を収め24歳から同校の数学講師を務め、1898年に66歳で亡くなるまで終生大学寮で生活しました。そして同校の学寮長ヘンリー・リデルの娘であるアリスとの交流の中で「不思議」と「鏡」の物語は生み出されました。
近年においてキャロルは「自閉症スペクトラム障害」であったことが指摘されています。自閉症はかつて子どもの精神病とみなされていましたが、1970年代になると自閉症は精神病とは異なる脳の器質的障害と認識されるようになります。
さらに1980年代以降、古典的な自閉症である「カナー症候群」とその診断基準を部分的に満たす「アスペルガー症候群」を「スペクトラム(連続体)」として捉える考え方が有力となり、2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-X)」において両者は「自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder)」として統合されることになります。
ASDの特性とは端的にいうと「社会的コミュニケーションの持続的障害(場の空気が読めない)」と「常同的反復的行動・関心(独自のこだわりに執着する)」という2点から成り立ちます。
この点、キャロルの場合、アリスをはじめとするリデル家の少女の写真を執拗に撮って回り、リデル夫人の不興を買うもまったく意に解さず、あまつさえカメラをリデル家に置きっぱなしにしていたというエピソード(場の空気が読めない)や、鉄道模型の時刻表を自作したり、文通、来客、招待といった交流関係を逐一記録するというエピソード(独自のこだわりに執着する)が知られています。
*〈他者〉の回避
このようなキャロルのエピソードからは一つの傾向性を見出すことができます。それは端的にいうと制御不能なものとしての〈他者〉の回避です。そして、この〈他者〉の回避という視点から自閉症(ASD)の構造を捉えたのが、ロジーヌ・ルフォールとロベール・ルフォールの夫妻です。
1954年にフランスの精神科医ジャック・ラカンのセミネールにおいて自閉症の子どもの症例を発表して以来、50年以上の長きにわたりラカン派の自閉症研究を主導してきたルフォール夫妻はその集大成的な著作「自閉症の区別(2003)」において〈他者〉の回避という視点を導入することで、自閉症を神経症・精神病・倒錯という従来のラカン派の鑑別診断に還元不可能な「第四の構造」として捉える立場を打ち出しています。
この点、ラカンによれば子どもは〈他者〉の世界に参入することで主体化を果たすとされています。ここでいう〈他者〉とはまずは「母国語」という言語秩序(=象徴界)のことであり、次にこうした言語秩序の外部(=現実界)から到来する「まなざし」や「呼び声」といったラカンのいう「対象 a 」を指しています。そして、こうした〈他者〉を徹底して回避することによって自身において制御ないし計量可能な、いわば〈他者〉なき世界を作り上げるという構造が自閉症においては見出されるということです。
*「表面」の作家としてのキャロル
こうしたキャロルに見出される自閉症的な構造は「不思議」や「鏡」といったアリスの物語にも反映されているといえるでしょう。この点、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは「意味の論理学(1969)」において、キャロルを「表面」を体現する作家として位置付けています。
同書はその第13セリー「分裂症と少女」を境に前半と後半に分けられます。その前半では「意味=出来事」に規定された世界の「表面」の位相が論じられ、その後半では「表面」の下部構造としての「物体」に規定された世界の「深層」の位相が論じられます。
なお「意味=出来事」における命題の「真/偽」を判定する場が「表面」の上部構造である「高所」になります。そして、このような高所・表面・深層というドゥルーズの三層構造は神経症・倒錯・精神病というラカン派の鑑別診断に概ね対応するとされます。
同書においてドゥルーズはアリスの物語におけるキャロルの言葉遊びを取り上げ「意味=出来事」の本質とは「無-意味(ノンセンス)」であるというテーゼを提出します。例えばキャロルの造語である「スナーク」は「スネーク(蛇)」や「スネイル(蝸牛)」や「シャーク(鮫)」になったりと様々に生成変化します。
この点、ドゥルーズによれば特別な造語でなくとも「表面」においてはあらゆるシニフィアンは潜在的には「無意味(ノンセンス)」であり、そのコンテクスト次第で多方向に意味を発散させていくとされます(接続過剰)。これはラカンにおけるシニフィアン連鎖、デリダにおけるエクリチュールに相当する議論です。
そして、このような語の生成変化を規定する超越論的シニフィアンとして、ドゥルーズはひとつの〈裂け目〉を想定します。つまりキャロル的表面はこの〈裂け目〉が様々に駆け巡ることによって産み出されている事になります。
こうした〈裂け目〉がさらに裂ける=多孔化/複数化した世界が「深層」です。「深層」とはもはや「無-意味」すら生み出さない「非-意味」的な断片としての事物それ自体だけの世界です(切断過剰)。ここでドゥルーズが「深層」を体現する作家として位置付けたのが現代演劇に絶大な影響を与えたとされる作家、アントナン・アルトーです。
アルトーの文学はキャロル的な「無意味(ノンセンス)」を生産しない一方で「非-意味」的な断片によるメレオロジー的なまとまりを形成します。そして、ドゥルーズはこのようなまとまりをアルトーに倣い「器官なき身体」と呼びます。
* 深層の言葉と表面の言葉
「意味の論理学」においてドゥルーズは第13セリーの最後で「キャロルの全てを引き換えにしても、われわれはアントナン・アルトーの一頁も与えないだろう」と述べアルトーを称賛します。けれども、その直後、すぐさまに「(キャロルが描く)表面には、意味の論理のすべてがある」とも述べています。
このように「意味の論理学」の時点ではドゥルーズのキャロルに対する評価はある種の両義性を孕んでいます。けれども「意味の論理学」以降、ドゥルーズ哲学はアルトー的な「深層」を拒絶しキャロル的な「表面」を偏愛する方向に向かっていきます。
そして晩年のドゥルーズは「批評と臨床(1993)」において、キャロルは「表面」の言語を獲得することで「深層」から華麗に逃れることができたといいます。そしてドゥルーズはこうした「表面」の言語によって書かれた文学こそが、文学の描く世界のすべてになりうるとまで断言しています。
* アリスからライトノベルへ
キャロルがアリスの物語の中で駆使する数々の「無意味(ノンセンス)」はおそらくASD的な言語解釈のズレから産み出されたものだったのでしょう。いわばキャロルは言語を「母語=〈他者〉」ではなくある種の「情報の束=データベース」として読み出していたと思われます。そして、こうした「データベース」としての言語で紡がれたアリスの物語をドゥルーズは「表面」の言葉として称賛したのでした。
この点「批評と臨床」においてドゥルーズは、キャロルの他に、やはりASDの特徴を持つレーモン・ルーセルやルイス・ウルフソンといった作家を評価しています。彼らはアルトーのように言語の「深層」に魅入られるのではなく、言語の「表面」をある種のデータベースとして捉えて、その内側からハッキングすることで転覆させようとしました。そしてドゥルーズは、このような言語のハッキング、すなわち「言語をその慣習的な轍の外に引きずり出す」ことこそが、現代において「言語を狂気させる」ことに他ならないと述べています。
ここには、いわば「データベース文学」とでも呼べる文学観があります。この点、東浩紀氏は「ゲーム的リアリズムの誕生(2007)」において近代的な「大きな物語」が衰退したポストモダンにおいては、ポップカルチャーのデータベースから形成される人工環境に依拠した文学が台頭するといい、その典型例として氏は1990年代以降、文芸市場でその存在感を急速に強めてきた「ライトノベル」と呼ばれる作品群に注目していました。
こうしてみると、ライトノベルという文芸ジャンルは現代における「データベース文学」の一大潮流として捉えることが可能であり、翻ってアリスの物語はライトノベルの先駆的作品として読むことができるように思えます。
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| 精神分析
2022年03月25日
訂正可能性と誤配可能性
*「存在論的、郵便的」における固有名論
フランスの哲学者、ジャック・デリダ。一般的には「脱構築」として知られる彼の哲学的活動は60年代前半から始まりました。1967年に出版された「声と現象」「グラマトロジーについて」「エクリチュールと差異」という三著作を契機としてデリダの仕事は急速に評価を獲得し、70年代において「脱構築」は一つの知的流行となり、結果的に80年代初めまでにデリダは「ポストモダン」を先導する哲学者の一人として広く認知されるようになります。
ところがその一方、1970年代初頭から1980年代にかけてデリダは「散種(1972)」「弔鐘(1974)」「絵画における真理(1978)」「葉書(1980)」などに代表される極めて難解で実験的なテクストを公刊します。これらのテクスト群は一種の哲学的パフォーマンスとして受け止められ、デリダ研究の中でも長らく見て見ぬふりをされてきました。
こうした中で、この時期のデリダのテクストに光を当て、独創的な〈超〉デリダ論を展開したのが東浩紀氏の「存在論的、郵便的(1998)」です。同書で氏は「なぜデリダはそのような奇妙なテクストを書いたのか?」という素朴な問いを梃子として、デリダの「脱構築」をゲーテル的脱構築(否定神学的脱構築)とデリダ的脱構築(郵便的脱構築)に分けた上で、後者をハイデガー的思考への抵抗として位置づけると同時に、その背後にあるフロイト的思考の影響を突き止め、後期デリダのテクストを精神分析における「転移」のメカニズムから読み解いていきます。
こうした同書の展開の中で幾度となく再浮上を繰り返す一つの議論があります。すなわち、それは「固有名」をいかに扱うかという議論です。いわば同書の裏テーマともいえるこの議論はいかなる哲学的射程を持っているのでしょうか。
* 記述主義と反記述主義
1960年代まではゴットロープ・フレーゲとバートランド・ラッセルが提唱した記述理論によって「固有名」とは縮約された確定記述の束と見做されていました。例えば「アリストテレス」という固有名を我々は通常、その名が「プラトンの弟子」「『自然学』の著者」「アレクサンダー大王の師」云々といった様々な確定記述の束のいわば短縮形として用いられます。従って、ここでは固有名の指示対象とは、それら確定記述の束により決定されると考えられています。つまりここで固有名はあくまで言語体系の内部に位置しています。こうした立場を「記述主義」といいます。
しかしアメリカの分析哲学者、ソール・クリプキは70年に行われた「名指しと必然性」という講義において、この記述理論に重大な欠陥があることを指摘しました。例えばいま「アリストテレスはアレクサンダー大王を教えていなかった」という新事実が判明したとします。記述理論に従えば、その時我々は「『アリストテレス=アレクサンダー大王を教えた人』はアレクサンダー大王を教えていなかった」という論理的に矛盾した命題に直面します。
このように「アリストテレス」という固有名は少なくとも「アレクサンダー大王を教えた人」という確定記述とイコールではない。そして極論すれば「アリストテレス」に関するありとあらゆる確定記述を覆す事実が判明したという想定も可能です。けれども、それでも我々はその人を「アリストテレス」と呼ぶはずです。そうだとすれば結局「アリストテレス」なる固有名は常に確定記述の束に還元できないということになり、ここで記述理論は破綻します。
固有名は確定記述の束に還元されないというクリプキの命題は固有名はつねに、ある「剰余」が宿っていることを意味します。すなわち、固有名に宿るその剰余こそが「アリストテレス」という固有名の確定記述への還元不可能性を支えています。こうした立場を「反記述主義」といいます。
我々はあらゆる確定記述について、常にそれが否定された別の可能世界を想定することができます。そして固有名の同一性はそれら全ての可能世界を貫き維持されています。これは固有名の中に、いかなる言語内翻訳にも従わない非言語的な残余が存在することを意味します。その残滓をクリプキは「固定指示子」と呼び、言語外で生じた力の痕跡として説明しました。ここでは固有名には言語体系の外部としての「現実」が侵入すると想定されていることになります。
* 固有名の剰余の根拠
では、このような「剰余」はいつ固有名に宿ったのか。クリプキはその源泉を、最初の「命名行為」に求めました。そしてその痕跡は固有名の上に「固定指示子」として宿り、その言語外的な出来事の記憶は言語共同体における「伝達の純粋性」によって担保されます。
これは極めて荒唐無稽な想定です。もっともクリプキにせよそんな「現実」が実在すると主張したいわけではありません。言い換えれば、クリプキは記述理論を脱構築した結果、その理論的思考の残余=脱構築不可能なものについて語るために、彼は「命名行為」とか「伝達の純粋性」などといった非現実的な神話を必要としたわけです。ここでは「語れるもの=確定記述」はすべて脱構築可能である以上、その剰余については「語れないもの」として語るしかないという否定神学的な思考運動が内在しています。
この点、スラヴォイ・ジジェクはクリプキの固有名論をラカン派精神分析の理論から読み直しています。フランスの精神分析医、ジャック・ラカンは主体の精神構造を「想像界(認識)」「象徴界(記号)」「現実界(剰余)」という三つの境域から考察する精神分析理論を創出したことで知られています。そしてジジェクによれば、固有名の剰余の根拠とは実証科学的な「現実」の中ではなく、ラカンのいう「現実界」にこそ求められなければならないとします。
すなわち「象徴界」を構成する「シニフィアン(表象)」から「シニフィエ(意味)」への循環運動はゲーテル的亀裂を抱え込んでおり、そこには必ずひとつの「他のシニフィエに送り返すことのできないシニフィアン=シニフィエなきシニフィアン」が存在します。これこそが「象徴界」の外部たる「現実界」に対応する特権的シニフィアンであり、固有名とはまさにその特権的シニフィアンとして機能するがゆえに、シニフィエ(確定記述)に送り返すことができないことになります。
つまり「アリストテレス」という固有名の剰余は、象徴界全体の不完全性により保証されていることになります。したがってそこでは特定の名が生まれる「現実」的な事情は、そこに宿る剰余とは何の関係もないわけです。そうであれば、固有名に宿る剰余を保証する「命名行為」とか「伝達の純粋性」などといったクリプキの神話の想定は不要となります。
ここで固有名の剰余はもはや、個々の名に宿るとは考えられず、むしろラカンが「対象 a 」と呼ぶ主体の欠如の相関物として解釈されています。象徴界における不完全性=欠如を埋めるために主体は常に「対象 a 」を必要とし、社会的にはスターリズムにおけるスターリンのような崇拝対象、フェティッシュとしての貨幣、コカコーラなどの呪術的商品がその「対象 a 」として機能しています。つまり固有名の剰余の根拠について、クリプキが剰余の根拠を固有名の側に「固定指示子」として見出しましたが、ジジェクは固有名を受け取る側に「対象 a 」として見出したということです。こうして、クリプキの議論が宿していた否定神学性は、ジジェクが加えたこの洗練によって完成します。
* 固有名の訂正可能性
その一方で、クリプキの議論は別の角度から読み直す事ができます。クリプキは例えば「一角獣」といった空想の存在の固有名に剰余が宿ることを認めません。なぜなのでしょうか。
例えば「アリストテレス」という固有名であれば「実はアリストテレスはアレクサンダー大王を教えていなかった」などといった可能世界を必要とします。しかし「一角獣」という固有名には「実は一角獣は実在していた」などといった可能世界は必要としません。
なぜならクリプキにおいて「一角獣」が存在するかどうかは事実の問題ではなく言語の問題だからです。問題は「一角獣」と全く同じ性質を全て満たす動物が現実にいるかどうかではない。たとえ「一角獣」と全く同じ性質を全て満たす動物が明日発見されたとしても、我々はそれを「一角獣と全く同じ性質を持つ実在の動物」と呼ぶだけです。我々はそもそも「一角獣」という固有名を「いつの日かそれが発見されるかも知れない」という想定で使用していないのです。
つまり、ここでは可能世界の要否とは固有名の「訂正可能性」に対応していることがわかります。我々は「アリストテレス」という固有名と同時にその諸々の確定記述が訂正可能であるという前提も受け取っています。だからこそ「アリストテレスは実はアレクサンダー大王を教えていなかった」という事後的訂正が可能となり、そこから遡行的に固有名の「剰余」が見出されます。しかし「一角獣」という固有名について我々は訂正可能であるという前提を受け取っていません。従って「一角獣」という固有名に剰余は宿らないということになります。
つまり固有名に剰余が宿るか否かは、その名に「訂正可能性」があるかどうかという伝達経路、すなわちコミュニケーションの社会的文脈によって規定されていることになります。
クリプキは固有名の剰余を説明するために最終的に「命名儀式」という非現実的な神話を持ち出しました。しかし以上の議論は固有名の剰余そのものが転倒の結果であることを教えています。
固有名の剰余とはもともと確定記述を訂正する根拠として仮設されたものですが、もしその訂正可能性がコミュニケーションの社会的文脈の中で規定されるのであれば、確定記述を訂正する根拠は固有名そのものではなく、むしろそのコミュニケーションの社会的文脈に見出されなければならないわけです。
つまり「アリストテレス」という固有名が流通するコミュニケーションの社会的文脈が、まずその訂正可能性を規定します。その訂正可能性から複数の可能世界が構成された結果、そこから事後的に全ての可能世界に共通する「アリストテレス」という固有名に元々「剰余」があるかの如き錯覚が生じていることになります。
* エクリチュールにおける誤配可能性
こうしたことから、東氏は固有名の訂正可能性について語るクリプキの可能世界論と、伝達経路の脆弱さについて語るデリダのエクリチュール論を接続し「コミュニケーションの失敗こそが固有名の剰余を生じさせる」という命題を導き出します。
この点、クリプキの可能世界論における確定記述の束に対する固有名の剰余=単独性の関係は、デリダのエクリチュール論における「多義性(パロールによって記述可能な意味の複数性)」に対する「散種(多義性に回収されたないエクリチュール固有の意味の複数性)」の関係と理論的にほぼイコールです。様々な伝達経路の中で固有名に事後的に「剰余」が生じるように、様々なパロールの中でエクリチュールに事後的に「散種」が生じるわけです。
そして、ここでいう「エクリチュール(綴り字)」とはコミュニケーションの誤配可能性一般を意味しています。氏はデリダはコミュニケーションをしばし「郵便」の隠喩で捉えているといいます。情報の伝達が必ず何らかの媒介を必要とする以上、すべてのコミュニケーションはつねに、自分が発信した情報が誤ったところに伝えられたり、その一部あるいは全部が届かなかったり、逆に自分が受け取っている情報が実は記された差出人とは別の人から発せられたものだったり、そのような事故=誤配の可能性に曝されています。デリダにとってコミュニケーションとはその種の事故の可能性から決して自由になれない「あてにならない郵便制度」なのです。そして、このような不完全な情報伝達の媒介を「エクリチュール」といいます。
つまりここで「アリストテレス」という固有名=エクリチュールは、様々な伝達経路=郵便空間を通り抜け、我々の前に配達=誤配されてきた複数の名の集合体として理解される事になります。
そこでは様々なコミュニケーションの誤配の結果、必然的にそこでは複数の確定記述のあいだで矛盾が生じたり、その一部が行方不明になったり、他の名の確定記述と混同されてしまうといった様々な齟齬が生じることになります。だからこそ、それゆえに「アリストテレス」という固有名にはつねに訂正可能性に曝されています。このような固有名の訂正可能性を東氏はデリダの隠喩に倣い「幽霊」と呼びます。
「アリストテレス」という固有名はさまざまな「アリストテレスの幽霊(訂正可能性)」に取り憑かれているということです。そしてそれら幽霊(訂正可能性)は伝達経路の不完全性、すなわちコミュニケーションの誤配によって出現します。そしてこれらの伝達経路を抹消した時に、あの固有名の剰余=単独性が超越論的シニフィアンとして現れるということです。
* ゲーム的リアリズムと幽霊の主題
東氏のデビュー作である「存在論的、郵便的」という著作はその後の「動物化するポストモダン(2001)」「一般意志2.0(2011)」「観光客の哲学(2017)」といった一連の東氏の仕事の「基礎理論」を提示している感もあるテクストです。そしてこれまで述べてきた東氏の固有名論は「動ポモ」の続編である「ゲーム的リアリズムの誕生(2007)」におけるキャラクター論と極めて親和的であるように思えます。
日本は明治期に「言文一致体」を導入し近代文学の歴史を開きました。柄谷行人氏は「日本近代文学の起源(1980)」において「言文一致体」の導入により言語は近代以前の歴史的意味の充溢した「不透明」なものから「透明」なものとなり、ここから「風景」や「内面」といった近代的現実の発見を可能にしたといいます。
以降、長らくのあいだ文学とは風景や内面といった近代的現実を写生する知的営為であると見做されてきました。ところが1970年代以後、戦後児童文化の中で発達した漫画やアニメーションといった現代的虚構を写生しようとする新たなリアリズムが台頭し始めます。
この点、大塚英志氏は「キャラクター小説の作り方(2003)」において、このような「現実の写生」と「虚構の写生」という二つのリアリズムを「自然主義的リアリズム」と「まんが・アニメ的リアリズム」という言葉で対置させました。
こうした「まんが・アニメ的リアリズム」という文学観に支えられた小説の代表格が、1990年代以降の文芸市場において急速に存在感を見せ始めた「ライトノベル」と呼ばれる作品群です。大塚氏はこのような「ライトノベル」と呼ばれる作品群を近代文学における「私小説」との対比から「現実=私」ならぬ「虚構=キャラクター」を写生する「キャラクター小説」であると定義しました。
このような柄谷氏と大塚氏の議論を踏まえた上で、東氏は「ゲーム的リアリズムの誕生(2007)」において「自然主義的リアリズム」と「まんが・アニメ的リアリズム」の並立を「近代的現実」と「キャラクターのデータベース」というメタ物語的環境の並立として捉え、こうした状況を「想像力の二環境化」と呼びます。
さらに、東氏は前掲書においてライトノベルの中に「まんが・アニメ的リアリズム」とはまた異なるリアリズムを見出しています。すなわち、キャラクターを基盤として描かれるライトノベルは一つの完結した物語でありながら、それは同時に「同じキャラクターによる別の物語」への幽霊的な想像力を召喚し、それは時としてメディアミックスや二次創作といった形で具現化することになります。こうしたキャラクターのメタ物語性に注目して、あるキャラクターから複数の物語が分岐する可能性を写し取るリアリズムは「ゲーム的リアリズム」と呼びます。
「ゲーム的リアリズム」とは、ゲームやインターネットといった「コミュニケーション志向メディア」が産み出すメタ物語が小説や映画などの「コンテンツ志向メディア」を侵食するという境界線上で発生します。こうした状況を氏は「想像力の二環境化」に倣い「メディアの二環境化」と呼びます。
こうした「ゲーム的リアリズム」の概念は固有名の訂正可能性から基礎付ける事が可能でしょう。すなわち、メディアの二環境化(=複数の伝達経路)が同一キャラクターの別の物語(=幽霊)を生み出し、その効果としてキャラクター(=固有名)にメタ物語(=剰余)が生じるという事です。
そして、こうしたメタ物語的環境を読み手と作品との間に挟み込む読解技法を氏は「環境分析的読解」と呼び、従来の素朴な読解技法である「自然主義的読解」と対置させています。自然主義読解が作品に内在する「物語的主題」を読み解くのであれば、環境分析的読解は物語的主題を超えたメタ物語的な「構造的主題」を読み解いていきます。そして時に同一作品において両者はまったく真逆のメッセージを発する事さえもあります。
ここでいう「構造的主題」とは、いわば「作品という固有名」に取り憑いた「幽霊の主題」ともいえます。こうした「幽霊の主題」を取り出す読解は、テクストの最終審級を無効化するような「いわゆる脱構築的批評」とは別の「もうひとつの脱構築的批評」の可能性を開くものではないでしょうか。
posted by かがみ at 00:03
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