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現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2022年12月29日

欲望と享楽のエチカ



* エディプス・コンプレックスと〈他者〉の欲望

時は20世紀初頭、精神分析の始祖であるジークムント・フロイトは当時謎の奇病とされたヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中、患者の心的現実を基礎付ける内因的な欲動の存在を想定し、独自の欲動発達論を主張しました。すなわち、フロイトによれば、幼児のリビドーは身体の各粘膜部位に性感帯を持つ自体愛的な部分欲動として生後間もなく生じ「口唇期(1歳頃まで)」「肛門期(2〜3歳頃)」「男根期(4〜5歳頃)」という一定の発達段階プログラムを経由して、やがて「部分対象(身体部位)」から「全体対象(他者)」へ向けられることになります。

この点、男根期に入ると幼児は性の区別に目覚め、異性の親に愛着を持つ一方で、同性の親に対する憎悪を抱くとフロイトは考えました。このような幼児の抱く心的観念の複合体をフロイトはギリシア悲劇に倣い「エディプス・コンプレックス」と命名しました。フロイトはこの「エディプス・コンプレックス」の解消のされ方がセクシュアリティの確立や超自我の形成、そして神経症的葛藤の成立における重大な要因となると述べています。

この一見して奇怪なフロイト神話を構造言語学の知見を用いて再解釈したのがフランス現代思想史における構造主義の代表的論客として知られる精神分析家ジャック・ラカンです。ラカン理論の最も大きな特徴は人の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相によって把握する点にあります。ここでは「想像界」を統御するのが「象徴界」であり「象徴界」を駆動するのが「現実界」であるとされてます。そして、ラカンは「象徴界」に対する心的機制を基準として、人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかへと鑑別しました。

この点、ラカンは「精神病(1955〜1956)」において、エディプス・コンプレックスとは〈父の名〉という「象徴界の法」を示すシニフィアンの導入であり、この〈父の名〉が欠損していることが精神病の構造的条件であると主張しました。ついで、ラカンは「対象関係(1956〜1957)」においてファルスという対象の欠如を巡って、人のセクシュアリティがどのように規範化(正常化)されるかを論じ、さらに「無意識の形成物(1957〜1958)」においては前駆的な象徴秩序(原-象徴界)がいかにして〈父の名〉によって統御されるかを論じています。

こうして、エディプス・コンプレックスというのは⑴セクシュアリティの規範化と⑵原-象徴界の統御という二つの機能を持っていることが明らかになります。そこで、ラカンは、ソシュールの構造言語学のアルゴリズムを応用し、この二つの機能を一つの論理に圧縮します。これが「父性隠喩」と呼ばれる以下の構造式です。

父性隠喩.png

幼児の前で繰り返される母親の現前/不在というセリーは「母の欲望」の「謎=x」がそれぞれシニフィアン/シニフィエの関係を構成し、子どもは「xの想像的形態としてのペニス=想像的ファルス」への同一化を試みることになります(母の欲望/x)。けれどもこの同一化は結局上手くいかず、やがて「母の欲望」は〈父の名〉という「法」を名指すシニフィアンに置き換えられることになります(〈父の名〉/母の欲望)。

結果「象徴界」としての「大文字の他者(A)」が成立すると同時に、置き換えによる固有の意味作用として「象徴界における欠如=欲望」を名指すシニフィアンである「象徴的ファルス」が成立します。この段階をラカンは「象徴的去勢」と呼びます。

この点、ラカンは「人の欲望は〈他者〉の欲望である」といいます。それは上述のように人の欲望は「母の欲望」や〈父の名〉といった大文字の〈他者〉の上に成り立っていることを意味しています。こうしてラカンのいう「象徴界」とは「象徴的ファルス」によって駆動されるシニフィアン連鎖の「構造」として作動することになります。


* アンチ・オイディプスの衝撃

このようにラカンは人間の欲望が成立するプロセスとしてエディプス・コンプレックスを構造的に読み解きました。ところが、こうした「神経症的欲望(精神分析的欲望)」とは異なる欲望のあり方を提示したのが、フランス現代思想史においてポスト構造主義を代表する論客として知られるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリです。彼らが1972年に発表した共著「アンチ・オイディプス−−資本主義と分裂症(1972)」は発売されるや否や若年層を中心に熱狂的に歓迎され、 1970年代の大陸哲学における最大の旋風の一つを巻き起こしました。





AOにおいて究明されたテーマはずばり「欲望」です。ここでドゥルーズ=ガタリは「欲望する諸機械」という奇妙な概念を提示します。つまり「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「諸機械」に宿る非主体的、非人称的な力の作用のことをいいます。

これら「欲望機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだします。こうした矛盾した二面性からなる連続的プロセスをドゥルーズ=ガタリは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった表現で定式化します。

ドゥルーズ=ガタリから言わせれば「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているということです。ここからドゥルーズ=ガタリは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出します。

こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ=ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分します。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるといいます。

すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになります。こうした意味において、幼児の多様多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、同書の立場からはラディカルに批判されることになります。

そして同書はシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めました。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部に在ります。すなわち、この世界を分裂症の側から観るということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他ならなりません。こうしてドゥルーズ=ガタリは「いわゆる正常=神経症」という従来の精神分析的構図をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱しました。

分裂分析が目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された「千のプラトー(1980)」において「リゾーム(根茎)」という概念へ昇華されます。「リゾーム」とはタケやハスやフキのように横に這って根のように見える茎、地下茎のことをいいます。この点「ツリー(樹木)」は1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えています。これに対して、リゾームには全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなります。こうしたリゾームという言葉によって、ドゥルーズ&ガタリは、旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのでした。


* 否定神学システムと郵便=誤配システム

「アンチ・オイディプス」と「千のプラトー」においてドゥルーズ=ガタリは「神経症的欲望(精神分析的欲望)」から解放された「ポスト神経症的欲望」への展開を志向しています。いわば「神経症的欲望」が、単一的な欠如をめぐってひたすら空回りを続ける欲望観だとすれば「ポスト神経症的欲望」とは複数的な可能性に向けて発散していく欲望観であるといえます。この点、両者の欲望観を我が国の現代思想シーンの中に位置付けるとすれば、おそらく両者の相違は東浩紀氏が「存在論的、郵便的(1998)」において提示した「否定神学システム」と「郵便=誤配システム」の相違へと送り返すことができるでしょう。





東氏は同書において、ドゥルーズ=ガタリと並ぶポスト構造主義の論客として知られるジャック・デリダが1970年代初頭から1980年代にかけて発表した一連の実験的テクスト群に光を当てて、デリダの「脱構築」を「否定神学システム」と「郵便=誤配システム」という二つの側面から再整理しています。ここでいう「否定神学システム」とは、シニフィアンからシニフィエへの循環運動の「穴(ゲーテル的亀裂)」を発見した上で、この「穴」を「超越論的シニフィアン」で縫合し、全てのシニフィアンの運動をこの超越論的シニフィアンという最終審級へと回収してしまう思考様式です。こうした「否定神学システム」の先駆としてマルティン・ハイデガーの存在論が挙げられます。そしてハイデガーの強い影響下にあった1950〜1960年代のフランス現代思想もやはり、ラカンやデリダも含めてこの「否定神学システム」の磁場に支配されていたといえます。

これに対して東氏は1970年代に発表されたデリダの実験テクスト群の中に「否定神学システム」から逃れていく別の思考を発見し、これを「郵便=誤配システム」と名づけました。ここでいう「郵便=誤配システム」とは端的に言えばシニフィアンが予期せぬシニフィアンに誤配される不完全で歪なネットワーク/コミュニケーション空間のことです。それは具体的には「思い違い」「読み違い」「書き違い」などといった形で我々の日常生活の中に現れます。こうした「郵便=誤配システム」からは「否定神学システム」における「穴」とは、ネットワーク/コミュニケーションの効果として顕現する仮象として把握されることになります。そして、こうした東氏の図式から見ると「神経症的欲望」は「否定神学システム」に規定されており「ポスト神経症的欲望」は「郵便=誤配システム」に折り重なっているといえるでしょう。


* 享楽の前景化

もっとも、このようなラカンとドゥルーズ=ガタリの対立は、1950年代のラカン理論を前提とする限りにおいてです。なぜならば1960年代以降のラカンもまたエディプス・コンプレックスを相対化する方向へと大きく舵を切っているからです。そして、このラカンの理論的変遷の中で前景化してくるのが「享楽」という概念です。





周知の通りフロイトは人の中に内在する根源的衝迫を「欲動」と規定しました。そして、ラカンはその欲動の満足状態を「享楽」と呼びます。もっともフロイト=ラカンによれば欲動の本質とは「死の欲動」であり、その性質上、完全な「満足」ということはあり得ません。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義でした。人の欲望や神経症、あるいは様々な芸術的創作やイノベーションはこうした「不可能」の関数として産み出されるわけです。

まず「精神分析の倫理(1959〜1960)」においてラカンは「享楽」を〈もの〉との関連で取り上げています。ここでいう〈もの〉とは、外界からの刺激を受けた心的装置が決定的に取り逃がした何かであり、象徴界の外部としての現実界を構成します。

心的装置.png

その後、ラカンはシニフィアンの間隙を縫って出現してくる〈もの〉のごとき断片を「対象 a 」という概念で捉えるようになります。そして「精神分析の四基本概念(1964)」においては「疎外と分離」の図式により、シニフィアンの枠組みの中での対象 a の位置が明らかにされました。

疎外と分離.png

けれども、この時点では享楽とはあくまで〈もの〉の側にあり、シニフィアンの世界からは対象 a を通じて辛うじて「侵犯」することができるものとして捉えられていました。ところが、ラカンは1960年代後半から、ディスクールの理論を導入する事で、享楽とはむしろシニフィアンという装置により「生産」されるものとして捉えます。すなわち、シニフィアンの導入は、主体に〈もの〉の享楽を禁止すると同時に、新たな別の享楽の可能性を与えることになります。この別の享楽を「剰余享楽」といいます。

剰余享楽の導入は、シニフィアンと享楽の関係を統合的に捉えることを可能とします。こうした新たな観点から「精神分析の裏面(1969〜1970年)」においては「主人のディスクール」「大学のディスクール」「ヒステリー者のディスクール」「分析家のディスクール」からなる「4つのデイスクール」の理論が展開されます。

4つのディスクール.png

ディスクールの理論が示しているのは、ある社会的紐帯によって何が産み出され、結果、何が真理とされるのかという一つの構造です。これは1968年の5月革命における「構造は街頭に繰り出さない」というアジテーションに対するラカンからの反論でもあります。


* 享楽の洪水

そしてさらに1972年、ラカンは「新しい主人のディスクール」と呼ぶべき「資本主義のディスクール」を提出します。

資本主義のディスクール.png

この「資本主義のディスクール」においては主体と対象 a は遮蔽線ではなく実線で結ばれています。つまり、ここでは剰余享楽の「喪失」なき「回復」が生じていることになります。すなわち、人々の要求が速やかに統計学的処理によりデータベース化され、その最適解が新製品や新サービスとして次々と市場に供給されていく資本主義システムにおける享楽とは、もはや到達不可能なジュイッサンスではなく大量生産されるエンジョイメントへと変容し、人々は獰猛な超自我に「享楽せよ!」と命じられるまま、市場に氾濫する対象 a の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送る事になるわけです。

このようにラカンにおける「享楽」は当初「不可能なもの」として登場しましたが、やがて「可能なもの」へと捉え直されることになり、さらには「押し付けられるもの」へと変容してしまうことになります。こうした意味からドゥルーズ=ガタリにおける「欲望機械」と70年代ラカンにおける「対象 a 」は理論的にほぼ等価的な位置にあるといえるでしょう。

そして消費化と情報化が極まりグローバル化とポストモダン化がますます加速する現代は、一方でドゥルーズ=ガタリの目論み通りオイエディプスが失墜した「リゾーム」の時代ともいえますが、他方でラカンが予見したように獰猛な超自我が支配する「資本主義のディスクール」の時代ともいえるでしょう。けれども、こうした時代における抵抗の拠点もまた、ドゥルーズ=ガタリとラカンの言説の中に見出すことができるでしょう。


* 倒錯的な精神病とリトルネロ

まずドゥルーズ=ガタリが「アンチ・オイディプス」において展開した議論は単にオイディプスからの逃走に尽きる単純なものではありません。この点、千葉雅也氏はAOにおいてドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定しているものの、その背景にはドゥルーズが「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」で展開した独自の倒錯論(急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズム)が潜んでいるとして、この事実は「ポスト神経症的欲望」をいわば「精神病と倒錯のオーバーダブ」として捉える立場を示唆しているとしています。

すなわち「分裂分析」とは千葉氏によれば実は「分裂-マゾ分析」であり、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われるということです。そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば〈性別化のリアル〉の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになります。それゆえに、彼らの称揚した「欲望」とは、サディズム(イロニー)とマゾヒズム(ユーモア)の往還運動によってこの世界を別の仕方で多重化していく欲望であったといえます。

また「千のプラトー」においてドゥルーズ=ガタリは暗闇の中で子供が口ずさむ歌を切り口に「リトルネロ(リフレイン)」という概念を論じています。このリトルネロという営為は何にもまして、無秩序なカオスの中に自分のテリトリーを創り出す「領土性のアレンジメント(編成)」です。そして、それは生成流転する世界の中に暫定的な秩序としての「居場所」ないし「住み処」を創りだす技法でもあります。

周知の通り「千のプラトー」という本の通奏低音をなすのは「ツリーからリゾームへ」というパラダイムシフトです。確かに「ツリー」という旧来の秩序が曲がりなりにも健在であった当時において、同書が前面に押し出した「リゾーム」という新たな秩序は時代に対する強烈な批判力となり得ました。けれども「ツリー」が完全に失墜し、全世界的に「悪しきリゾーム」というべき「資本主義のディスクール」が加速する現代における抵抗の拠点はむしろ「リゾーム」を減速させる契機を創り出す「リトルネロ」に見出されるのではないでしょうか。


* 〈他〉の享楽とララングの享楽

その一方で晩年のラカンもまた「享楽」が氾濫する時代における精神分析の在り方を示しています。まずは「アンコール(1971〜1972)」においてラカンは「性別化の式」と呼ばれる次のような図式を提示しています。

性別化の式.png

ここで「男性側の式」を示す左下(∀xΦx)と左上(∃xΦx)では「すべての男性はファルス関数に従属しているが、少なくとも一人以上、ファルス関数への従属を免れている例外が存在する」という命題が示されています。この命題は、言うなればこれまでのラカン理論における享楽の在り処を再確認するものであるといえます。

これに対して「女性側の式」を示す右上(∃xΦx)と右下(∀xΦx)では「ファルス関数への従属を免れた女性がいるわけではないが、すべての女性がファルス的関数に従属しているわけではない」という何とも不可解な命題が示されています。この命題は、これまでのラカン理論を超えた享楽の在り処を示唆するものであるといえます。





さらに70年代におけるラカンはシニフィアン連鎖以前の、言語として構造化されていない「単独のシニフィアン」を重視しています。

この点、子供が最初に出会うトラウマ的シニフィアンを、ラカンは「ララング(lalangue)」といいます。子どもの身体がララングと邂逅した時、その痕跡は「一の印」として身体に刻み込まれ、ここにトラウマ的享楽がもたらされることになります。

すなわち、子どもにとってララングとは情報の伝達手段ではなく、トラウマ的享楽を反復するための私的言語に他なりません。しかしある時から、大多数の子どもはララングを使うことを諦め、情報の伝達手段としての言語(langage)の世界である「象徴界」へ参入します。こうして子供は次第にララングと折り合いをつけ、結果、シニフィアン連鎖によって構造化された無意識が形成されることになります。

この点、こうしたシニフィアン連鎖を切断して再び「ララングの享楽」へと向かう精神分析的実践を現代ラカン派では「逆方向の解釈」と呼びます。そして、こうしたプロセスの中で分析主体はその人だけが持つ特異的=単独的な固有の享楽のモードと向き合っていくことになります。


* 欲望と享楽のエチカ

こうしてみると、いまやエディプス主義者ラカンと反エディプス主義者ドゥルーズ=ガタリという二項対立は完全に過去のものといえます。むしろ両者は共に「ポスト・エディプス」として出現した「さらに悪いもの」へ抗うための思想として位置付け直す事ができるでしょう。

そして、こうした観点から両者を読み直し、その上で改めて両者の差異を問い直していくその過程の中にこそおそらく、この「さらに悪いもの」が席巻する時代における欲望と享楽のエチカを見出すことができるのではないでしょうか。




































posted by かがみ at 00:52 | 精神分析

2022年11月29日

リトルネロの諸相



* いないいない-ばあ〈Fort-Da〉

精神分析の始祖、ジークムント・フロイトは後期を代表する論文「快原則の彼岸(1920)」において、自身の孫の糸巻き遊びに着想を得て、従来の理論を大幅に更新する「思弁」を展開しています。それまでのフロイトの理論では、人の精神は根源的には「性欲動」と「自我欲動」に規定されており、一方で性欲動は快を目指して不快を回避する快感原則により駆動し、一方で自我欲動は快感原則に一旦歯止めを掛けて自己保存を図る現実原則により駆動するとされています。ところがフロイトは孫のエルンストが糸巻きを使って反復する「いないいない-ばあ〈Fort-Da〉」の遊びの中に従来の自身の理論からは説明し難い衝迫を見出し、ここから従来の「性欲動」と「自我欲動」の対立に代わる「生の欲動」と「死の欲動」の対立を提示しました。

そしてフロイト理論を緻密に読み直したことで知られるフランスの精神分析家、ジャック・ラカンはこの〈Fort-Da〉の反復運動から象徴的秩序(言語秩序)の組成を論じています。ラカンによればフロイトが見出した〈Fort-Da〉とは「人間という動物が象徴界の秩序から受け取る決定をその最も根本的な特徴において表現している」といいます。すなわち、エルンストは母親が現れてはいなくなるというという現実的な出来事を、糸巻きの出現と消失の反復によって把握して、象徴化しているということです。ここからラカンは「現前(+)」と「不在(−)」の二分法からなる原初的象徴化のメカニズムを解明していきます。

これに対してフロイトに真っ向から反旗を翻した「アンチ・オイエディプス(1972)」で一世を風靡したポスト構造主義の代表的論客であるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはその続編である「千のプラトー(1980)」において「精神分析家は〈Fort-Da〉を適切に語ることができない」と批判します。そして、ここでドゥルーズ=ガタリが〈Fort-Da〉を「適切に語る」ものとして提示するのが「リトルネロ」という概念です。

* 領土性のアレンジメントとしてのリトルネロ

暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌を歌えば安心だ。子どもは歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものである。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスのなかに秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれねという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。

(千のプラトーより)


われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子供が暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは、歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない-ばあ」〈Fort-Da〉の呪文を唱えたりする(精神分析家は〈Fort-Da〉を適切に語ることができない。〈Fort-Da〉は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読み取ろうとするからだ)。タララ、ラララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つの節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌い始める。

(千のプラトーより)


ドゥルーズとガタリは「千のプラトー」において、暗闇の中で子供が口ずさむ歌を切り口に「リトルネロ(リフレイン)」という概念を論じています。まわりに何があるのか分からない混沌とした場所で、子供は、何かしらのフレーズを口ずさむことによって、少しの安心と勇気を得ることができる自分自身の居場所ないし領域、すなわち「領土」をかろうじてつくりあげるわけです。こうしたことから、フロイトのいう〈Fort-Da〉とは実はリトルネロであったと主張します。

こうした観点からいえば、このリトルネロという営為は何にもまして、無秩序なカオスの中に自分のテリトリーを創り出す「領土性のアレンジメント(編成)」です。この点、彼らによれば「領土」とは、例えば動物が匂いによって自分のテリトリーをマーキングするように、未だ分割されていない土地に刻印(マーキング)することによって誕生するものです。また彼らのいう「アレンジメント」とは、言葉や身体などのあり方を条件づける社会的文脈の配置編成のことである。言葉や身体はもちろん事物も道具も、つねに、社会的な文脈の中で価値を帯びるものだということを、ドゥルーズ=ガタリは強調しています。

そして、このように人間や動物がある任意の場所を自分のテリトリーであると主張する手段は当然、歌だけではありません。ドゥルーズ=ガタリがいうようにリトルネロには領土を創造する「音響リトルネロ」ばかりでなく、領土へ誘惑する「色彩リトルネロ」や、領土を防衛する「姿勢リトルネロ」も存在します。すなわち、人間や動物は他の種から区別されるばかりでなく、同じ種の他の個体からも区別される独自の「音響」「色彩」「姿勢」といった独自のリトルネロを形成する、ということです。


* 音響リトルネロ・色彩リトルネロ・姿勢リトルネロ

この点、ドゥルーズ=ガタリは後に「哲学とは何か(1991)」という著作のなかで、一羽の鳥を参照しながら、芸術家について語っています。

オーストラリアの多雨林に棲む鳥、スキノピーティス・デンティロストリスは、毎朝あらかじめ切り取っておいた木の葉を下に落とし、それを裏返すことによって、色の薄い裏面を地面と対照させ、こうしていわば(モダン・アートにおける)レディ・メイドのような情景をつくり、そして、その真上で、蔓や小枝にとまって、くちばしの下に生えている羽根毛の黄色い付け根をむきだしにしながら、ある複雑な歌を、すなわちスキノピーティス自身の音色と、スキノピーティスがその間、間断的に模倣する他の鳥の音色によって合成された歌を歌う−−この鳥は完璧に芸術家である。
(「哲学とは何か」より)


ここで彼らはスキノピーティスの動きとともに、リトルネロを音の領域から全ての感覚に拡げています(なお、スキノピーティス・デンティロストリスとは、和名でハバシニワシドリ(庭師鳥の一種)のことです)。

すなわち、スキノピーティスはまず、地面に葉を落とし、色の薄い葉の裏を表にして地面との対比をつくりあげます(色彩による差異)。そしてそのテリトリーの上方の木の枝にとまり、くちばしの下の羽根毛の黄色い付け根をむきだしにして(色彩リトルネロと姿勢リトルネロ)、自身の鳴き声をも真似ながらさえずります(音響リトルネロ)。こうして色彩・姿勢・音響のブロックとともに複数のリトルネロが形成されることになります。


* 芸術の起源としてのリトルネロ

このように動物のテリトリーを印付けるリトルネロがドゥルーズ=ガタリにとって重要なのは、それが「芸術の起源」の問題と深く関わっているからです。彼らによれば、芸術とは人間に固有のものではなく、むしろ「芸術は、おそらく、動物と共にはじまる。少なくとも、テリトリーを裁断し家をつくる動物とともにはじまる」とされます。

すなわち、ドゥルーズ=ガタリは自らのテリトリーを示す動物のさまざまな表現(色彩・姿勢・音響)がすでに芸術であり「芸術はたえず動物につきまとわれている」と述べています。おそらく、ここには芸術をあらゆる「人間化」から奪い返そうとする意思を見ることができるでしょう

ところでドゥルーズは「芸術作品は、諸感覚のブロック」であるとも述べています。ここには「感覚」とは我々人間が所有するものではなく、むしろ「感覚」こそが人間を存在させているという認識があります。そして、芸術作品はそうした人間の把握する「(知覚や感情を超えた)感覚」の存在とともに可能になるということです。

そして重要なのは、そうした諸感覚の塊が、一種のリトルネロとして考えられている点です。もっともドゥルーズ=ガタリによれば、芸術家がなすべきことはリトルネロが創り出すテリトリーに安住することではなく、むしろ芸術の本領とはリトルネロの外にある「宇宙の力」を捉えることにあるとされます。すなわち、彼らにとってのリトルネロとは領土を外へとひらくために領土を創設する営為であり、純粋な混沌の暗闇を回避しながらも自己を越えるような大きな力を引きこむための営為であるということです。彼らは「千のプラトー」でこう書いています。「カオスの諸力、大地の諸力、そして宇宙的な諸力、これらがすべて、リトルネロの中で衝突し、競い合うのだ」。


* 日常におけるリトルネロ

リトルネロ。それは生成流転する世界の中に暫定的な秩序としての「居場所」ないし「住み処」を創りだす技法でもあります。そして、こうした意味でのリトルネロは我々の日常の至る所に−−例えば自閉症スペクトラム障害に顕著とされる常動反復運動に、または「萌え」とか「推し」などと呼ばれる特定の対象へのアディクションに、あるいは近年において医療やビジネスなどの分野で注目を集めるマインドフルネスに−−見出すことができるでしょう。

周知の通り「千のプラトー」という本の通奏低音をなすのは「ツリーからリゾームへ」というパラダイムシフトです。確かに「ツリー」という旧来の秩序が曲がりなりにも健在であった当時において、同書が前面に押し出した「リゾーム」という新たな秩序は時代に対する強烈な批判力となり得ました。けれども、国民国家という「ツリー」が完全に失墜し、全世界的にグローバル化やネットワーク化といった「リゾーム」が加速する一方である現代においては、むしろ同書は「リゾーム」を減速させる契機となる「リトルネロ」に光を当てながら「リゾームからリトルネロへ」というさらに新たなパラダイムシフトから読み直されていくのではないでしょうか。












posted by かがみ at 01:09 | 精神分析

2022年10月29日

アンチ・オイディプスの倒錯論的解釈



* アンチ・オイディプスは何を目指したのか

かつて1960年代に一世を風靡した「構造主義」の首領にして精神分析中興の祖として知られるジャック・ラカンは人間の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの位相の絡み合いの中で、その心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかに位置付けました。これに対して1970年代に「構造主義」を乗り越える形で現れ大陸哲学に一大ムーブメントを起こした「ポスト構造主義」の代表的思想家と目されるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはその共著「アンチ・オイディプス」において「いわゆる正常=神経症」という従来のラカン的構図をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱しました。

AOにおいて、ドゥルーズ=ガタリは「精神分析的欲望=神経症的欲望」から解放された「ポスト神経症的欲望」への展開を志向しています。ここでいう「神経症的欲望」とはラカンが「象徴界」と呼んだ間主観的ネットワークにおいて個人のセクシャリティの規範化を構成する欲望の様式を指しています。これに対して「ポスト神経症的欲望」とは象徴界=間主観的ネットワークから切断されて多方向に発散していく無軌道な欲望の様式を指しています。

この点、千葉雅也氏はAOにおけるドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定したが、その背景には「マゾヒズム論としての倒錯論」が潜んでいるとして、この事実はポスト神経症的欲望という〈別の仕方での欲望〉をいわば「精神病と倒錯のオーバーダブ」として捉える立場を示唆しているとします。

すなわちAOにおいて展開される「分裂症論」はそれ自体、精神病的というわけではなく、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われる、ということです。

そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば〈性別化のリアル〉の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになります。

それでは、ここでいうAOの背景にあるとされる「マゾヒズム論としての倒錯論」とはいかなるものでしょうか。千葉氏は「動きすぎてはいけない−−ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学(2013)」において次のような解釈を提示しています。

* サディズムとマゾヒズム

まず、ドゥルーズは独自の倒錯論を展開した「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」で、倒錯における「サディズム」と「マゾヒズム」をそれぞれ「イロニー」と「ユーモア」という思考運動に対応させています。

ここでいうイロニーとユーモアは「法」を転覆させるための二つの技法になります。そして、このような意味での「法のイロニー的転覆」が「サディズム」であり「法のユーモア的転覆」が「マゾヒズム」ということです。そしてドゥルーズによればサディズムとマゾヒズムは「形態」に対する態度の差異ということになります。

この点、サディズムはあらゆる「形態」の「否定」を本質とします。サディズムは経験的な「二次的自然」の彼岸に「純粋否定」を体現する「第一次的自然」という実現不可能な「理念」を遠望して、この「純粋否定」の存在を論証すべく、その「間接証拠」として、此岸における破壊活動を累積し加速させます。

このようにサディズムは「大文字の法」へとイロニー的に上昇する運動です。サディストは二次的自然のあらゆる「形態」を破壊し、純粋な「非形態」である「大文字の法」へと向かうことになります

これに対して、マゾヒズムではサディズムとは「形態」に対する「別の仕方での否定」が働いています。このような「別の仕方での否定」をドゥルーズは「否認」といいます。すなわち、マゾヒストはこの世界という「形態」をサディストのような破壊活動によらず「否認」して、所与の素材に勝手な工夫を凝らすことで自身の「理想」へと作り替えてしまいます。

このようにマゾヒズムは「小文字の法」をユーモア的に変換する運動です。ドゥルーズによれば「(マゾヒストにとって法は)もはや原理への遡行によってイロニックに覆されるのではなく、帰結を深く究明することで、ユーモラスに、斜めに回される」ということになります。

この点、ドゥルーズはマゾヒストは弁護士に似ているといいます。マゾヒストは何らかの「フェティッシュ」を素材とした「特殊な物語」によってこの世界を多重化します。それは既存の事実と法文のいくつかを独自に連合する弁護士的なコラージュといえます。それは「超越的でない」外部性を、この世界におけるこの世界の分身=解離という形で実現することに他なりません。

このような「ザッヘル=マゾッホ紹介」における倒錯論をAOにおける欲望論と照らし合わせてみたとき「純粋否定」という「理念」へと向かうサディズム/イロニー的運動がラカン的構図の中にとらわれた否定神学的欲望に相当するとすれば「否認」によって「理想」へと向かうマゾヒズム/ユーモア的運動はドゥルーズ=ガタリが称揚する内在的欲望の前駆体であるといえるでしょう。こうしたことから千葉氏はドゥルーズ=ガタリの提唱した〈分裂分析〉とは実のところ〈分裂-マゾ分析〉であるといいます。

* 超越論哲学と超越論的経験論

もっとも「ザッヘル=マゾッホ紹介」におけるドゥルーズは単純なマゾヒズム一元論には立っていません。なぜなら、千葉氏が指摘するように同書ではサディズム/マゾヒズムのそれぞれの論理を分離して肯定しているからです。そして、ここで導きの糸となるのが精神分析の始祖、ジークムント・フロイトが1920年に発表した論文「快原理の彼岸」です。

周知の通り、フロイトは「快原理の彼岸」において「快原理」に駆動される存在であるはずの人間がなぜ「快原理」に矛盾するかのような苦しみの記憶を繰り返し想起するのかと問い、そこで「快原理」を超える「彼岸」を仮定しました。それが「死の欲動」であり「タナトス」です。

この点、ドゥルーズは、フロイトにおける「快原理の彼岸」をカント哲学における「経験的/超越論的」という二つの位相に位置付けます。ここでは「死の欲動」が経験的な位相に対応し「死の本能=純粋状態のタナトス」が超越論的な位相に対応します。すなわち、ここでの「経験的/超越論的」という区別がサディズムにおける二つの「自然」と対応していることになります。ここでサディズム=イロニーの哲学は、この世界が単一の外部=超越論性によって駆動される「超越論哲学」となります。

これに対して、マゾヒズムは「快原理の彼岸」とは「別の彼岸」あるいは「此岸的な彼岸」を構築することになります。ここでドゥルーズはマゾヒズムとフェティシズムを癒着させ「否認」によってこの世界が「別の仕方」へと分身するための条件=超越論性を所与の素材やイメージにおいて肯定します。ここでマゾヒズム=ユーモアの哲学は、この世界の中で立ち騒ぐ経験の断片達がそれぞれ複数的な外部=超越論性を立ち上げる「超越論的経験論」となります。

* サディズム優位の下でのサド-マゾヒズムと一次マゾヒズム

では、こうしたサディズムとマゾヒズムはどのような関係に立つのでしょうか。

この点、フロイトの説明によれば、まずサディズムが発生し、次にこれが反転して自我に向けられる時にマゾヒズムが発生するという機序となります。けれどその一方でフロイトはサディズムには当初から「マゾヒズム的な経験」が含まれているといいます。

この一見矛盾したフロイトの説明は、ドゥルーズによれば純粋な「攻撃的サディズム」と、他人の苦痛を愉悦する「快楽主義的サディズム」という異なったサディズムの説明であるとされます。すなわち、ここでは「サディズム優位の下でのサド-マゾヒズム」という単位が成立することになります。

もっとも、フロイトによれば、攻撃的かつ性的なリビドーが自我に向けられる時「脱性化」されることになります。これが自我を道徳原則で統御する超自我の力です。従って、ここでマゾヒズムは単なるサディズムの反転ではなく、むしろ反転されたものの「再性化」によって定義される、とドゥルーズはいいます。

この「再性化」にはマゾヒズム的本質である強い刺激のエロス化が関わってくることになります。このような「再性化」を引き起こすマゾヒズム的本質をドゥルーズは「一次マゾヒズム」と呼びます。

* 快原理における二段階の彼岸

そして、ドゥルーズによれば、こうした「再性化」はサディズムとマゾヒズムを分つ二種類の「反復」による「一種の飛躍」として行われます。すなわち、サディズムとマゾヒズムにおいて「死の本能」は異なった「反復」の経験として作動するわけです。

この点、サディズムにおける「純粋否定」は単一の外部を目指す「加速する反復」であり、マゾヒズムにおける「(破壊的でない)否認」は複数的な外部を開く「宙吊りの反復」となります。

ここにドゥルーズはフロイトの「快原理」における二段階の「彼岸」を想定することになります。

まず第一の彼岸は「拘束」に基づくエロスです。「快原理」に権利上先行すると想定されるのは苦痛と快感のプリミティヴな刺激群です。この刺激群が一定のまとまりに「拘束」されて「快原理」が成立します。この「拘束」こそが「快原理」の第一の彼岸です。なお、ここでドゥルーズはヒューム主義的な「観想=縮約」をフロイトの「拘束」と同一視しています。このような「観想=縮約=拘束」がマゾヒズムに相当します。

ところがここでドゥルーズは彼岸をもう一歩、深化させます。すなわち、第二の彼岸としてのタナトスへの問いかけです。ここで第一の彼岸=エロスは、その先にある第二の彼岸=タナトスへと自らを超出させます。

所与を一旦は受け入れつつも、なおかつ解き放つということ。こうしたことから「マゾッホ紹介」は単なるマゾヒズム一元論ではありません。けれども、それでもドゥルーズはマゾヒズムを主としてサディズムを従とします。なぜならサディズムには思弁を「急ぎすぎて」しまう事で「観想=縮約=拘束」の解離可能性としての「死の本能」を、一なる〈欠如〉へと硬直化させてしまう勢いが否めないからです。

ここで〈欠如〉なき純粋なマゾヒズムという「理想」と〈欠如〉を論証する純粋なサディズムという「理念」との間に「急ぎすぎてはいけない=動きすぎてはいけない」という節約のテーゼが生じます。そしてここに、実地でのマゾヒズムを位置付けられます。

こうしたことから、千葉氏はドゥルーズの倒錯論を「観想=縮約=拘束に折り込まれた解離可能性としての幾度もの、生きながらの死を経ていくこと、それが、急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズムである」と結論しています。

* 理念を手放さないままで理想に向かうということ

このようにドゥルーズの倒錯論においては、サディズム/イロニー的運動とマゾヒズム/ユーモア的運動は大変に入り組んだものとなっています。そしてここで千葉氏が提示した〈急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズム〉というマゾヒズム観は、氏のベストセラー「勉強の哲学」において「深い勉強(ラディカル・ラーニング)」を形成する「アイロニー・ユーモア・享楽」という「勉強の三角形」の基底を成しているように思えます。

我々は普段は「世界とはこういうものだ」「人生とはこういうものだ」という「環境のコード」の中で生きています。こうした「環境のコード」の根拠を疑う技法が「アイロニー(イロニー)」です。そして「深い勉強」はこのようなアイロニーを極めようとせずに、その手前で「環境のコード」を変換する技法である「ユーモア」への折り返しを説きます。なぜならばアイロニーはやり出すと原理的に際限がないものであり、そのどこかでアイロニーを有限化してしまえば特定の価値を囲い込む「決断主義」に陥るからです。

そして「深い勉強」はアイロニーからユーモアに折り返した後、今度はユーモアの意味飽和を自身に刻まれている特異的なこだわりである「享楽」で切断することで、その思考の足場を「仮固定」します。こうした仮固定を氏は「決断」ではなく「中断」と呼びます。そして「深い勉強」はこの仮固定した享楽に再びアイロニーを入れていくことになります。すなわち、ここでは「理念(サディズム/イロニー)」と「理想(マゾヒズム/ユーモア)」の往還運動が生じているということになります。

しばし我々は自らの描き出した「理念」や「理想」へまっすぐに向かって歩んでいく過程を「自己実現」などと呼びます。けれども、その「自己実現」と呼ばれる過程を果たして仔細に見ていけば、むしろそれは「理念」と「理想」を幾度となく往還することで生じるある種の倒錯的な「自己破壊」を常に伴うものといえます。

理念を手放さないままで理想に向かうということ。ポスト神経症的欲望としての〈別の仕方での欲望〉とは、おそらく、こうした「理念」と「理想」を往還する倒錯的な「自己破壊」の中にこそ見出せるのではないでしょうか。

















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2022年09月29日

空想的決めつけと享楽的こだわり



* レイシズムと集団形成の問題

レイシズム(人種主義)とは、人間を様々な「人種」に区別して「優等な人種」が「劣等な人種」を支配することを当然視する思想をいいます。周知の通り第二次世界大戦後、レイシズムはナチスドイツのホロコーストを正当化したイデオロギーとして激しく非難されました。ところがレイシズムはまったく科学的根拠がないにもかかわらず、いまなお根強く人々の無意識に浸透し、また一部では積極的に信奉されていたりもします。果たして人はなぜレイシストになってしまうのでしょうか。

この点、レイシズムに関する多くの言説は、経済情勢と国民のアイデンティティの問題からレイシズムの台頭を説明します。すなわち、レイシズムとは不安定化する経済情勢を埋め合わせるように国民のアイデンティティを鼓舞する動きとして機能しているということです。けれども、レイシズムとは本質的には自らが属するある集団を別の集団と対立させ、この二つの集団を友/敵に切り分ける思考です。そのためレイシズムの問題を解明する上ではまず「いかに人は集団を形成するのか」というある意味で素朴な問題を解明する必要があります。


* レイシズム1.0とレイシズム2.0

この点、ラカン派精神分析家、エリック・ローランは「レイシズム2.0(2014)」という論考の中で精神分析的視点から集団形成とレイシズムの関係を論じています。同論考においてローランはジークムント・フロイトとジャック・ラカンの精神分析理論を援用して「フロイト的時代のレイシズム」と「ラカン的時代のレイシズム」を対置させています。

まず「フロイト的時代のレイシズム」とは精神分析的な〈父〉に依拠するモデルです。すなわち、ここでは何かしらの権威を体現するカリスマ的指導者に対する同一化がレイシズムを生み出していることになります。これが古典的レイシズムというべき「レイシズム1.0」です。

これに対して「ラカン的時代のレイシズム」とは精神分析的な〈父〉に依拠しないモデルです。ラカンは専らレイシズムを〈父〉への同一化ではなく「享楽」という観点から論じています。ここでラカンのいう「享楽」とはフロイトが人の根本衝動として位置付けた「欲動」が満足を得た状態を指します。

この点、ローランは比較的早期にラカンが発表した論考「論理的時間と予期された確実性の断言(1954)」における有名な「三人の囚人の論理」に、早くも〈父〉への同一化ではなく、享楽の論理でレイシズムを理解する手がかりが見出されるといいます。

この「三人の囚人の論理」からは、人間が集団を形成するのは自分が「人間ではないもの」と認定されるのを恐れるためであるという結論が導かれます。すなわち、集団の形成には「人間ではないもの=排斥対象」を集団内部に想定して当該対象をスケープゴートにする契機が必ず含まれているわけです。

このように〈父〉への同一化を必要とせず集団を形成するラカンの論理をローランは「反-同一化論理」と呼んでいます。この論理からすれば、レイシズムもまた特定の〈父〉を必要としません。何らかのマイノリティ性を理由として、ある集団内部における「人間ではないもの=排斥対象」が想定された時点でレイシズムは成立します。これが現代的レイシズムというべき「レイシズム2.0」です。


* 症状としての〈父〉とフェイクとしての〈父〉

以上のようなローランの議論はラカンの娘婿であり現代ラカン派を領導するジャック=アラン・ミレールのいう「精神分析のフロイト的時代(〈父〉の現前)」と「精神分析のラカン的時代(〈父〉の不在)」という区分にも対応した極めて明快な議論です。

もっとも、精神病理学者の松本卓也氏はローランの議論はフロイトにおける〈父〉とは「症状」であったことを見逃していると指摘しています。この点、松本氏が参照するフィリップ・ラクー=ラバルトとジャン=リュック・ナンシーは、フロイトが「集団心理学と自我分析(1921)」においてわずかに言及した「パニック」という現象の中に〈父〉をめぐるフロイトの動揺=症状を見定めます。

ここでフロイトのいう「パニック」とは、集団のリビード的拘束が弛緩してしまった時に構成員の中で生じる不安のことを指します。つまりパニックとは、それまであると信じられてきた紐帯が壊れ、理想が機能しなくなってしまった時に起こる現象、すなわち、ラカンのマテームを用いるのであれば、一貫した〈他者=A〉がいるという夢から覚醒し、非一貫的な〈他者=Ⱥ〉が暴かれたことから帰結する現象であると考えられます。

そしてこのパニックは単に〈父〉の不在を暴露するだけではありません。松本氏が参照する柿並良佑氏の「恐怖(パニック)の誕生−−同一化・退引・政治的なもの(2013)」によれば、集団は〈父〉への同一化という錯覚が解けた時、その成員相互の同一化も解消しパニックに陥ることになるけれども、この同一化の失敗は翻って〈父〉という「形象」への再-同一化ないし超-同一化に転じることになり、その再-同一化ないし超-同一化は他人への憎悪が剥き出しとなる場面を到来させることになるといいます。

松本氏はこれこそが現代において我々が見ているレイシズムのメカニズムではないかといいます。すなわち、少なくとも現代的なレイシズムは、症状としての〈父〉の夢想(レイシズム1.0)が瓦解した後に、フェイクとしての〈父〉を求める運動(レイシズム2.0)として読まれるべきであるということです。


* 享楽の病理としての空想的決めつけ

上記の議論から松本氏はレイシズムの精神分析的論理を@一貫した〈他者=A〉が夢想されている段階とA非一貫的な〈他者=Ⱥ〉が暴露される段階とBフィクションとしての〈父〉への再-同一化する段階という三段階に定式化します。

そしてAの段階からBの段階が生じるとき、個人はお互いの「享楽のモード」の僅かな差異に鋭敏な反応を示すようになり、そこからレイシズムが生じるといいます。すなわち、精神分析的観点からレイシズムを論じるとすれば〈父〉の不在の暴露と、そこから発生する享楽の病理の二つの曲の絡み合いに注目する必要があるわけです。

この点、1970年代においてラカンは現代的レイシズムにおける排斥の原因となる文化的差異を「享楽のモード」の差異である考えていました。さまざまな人種や民族や出自の人々が共存する世界では、飲食や性行為や冠婚葬祭など、生活の中で快を得たり不快を処理する方法としての「享楽のモード」には多様なバリエーションが共存することになります。ここでしばしマジョリティはマイノリティの享楽のモードを「発展途上」であると見做して、自分たちの享楽のモードを彼らに押し付けたりもします。ここにレイシズムが発生するとラカンは述べています。

さらにここでラカンは、そもそも人は本質的に自らの享楽を〈他者〉の享楽を介してしか位置付けることができないという逆説を強調します。つまり言語(象徴界)の主体である人にとって言語化不能な領域(現実界)にある完全な享楽は常に既に失われたものでしかなく、それゆえに人はラカンのいう「性関係のなさ(享楽の不可能性)」に悩まされることになり、この「性関係のなさ」は「どこかに十全な享楽を得ている人物=〈他者〉が存在しているにちがいない」という「空想的決めつけ」を生み出してしまうわけです。

このように「性関係のなさ」に悩まされている人の前に自分と異なる「享楽のモード」を取る人物が現れた場合、しばし彼/彼女の中で「どこかに十全な享楽を得ている人物=〈他者〉が存在しているにちがいない」という「空想的決めつけ」が活性化してしまいます。そして、ここから「私が十全な享楽に到達できないのは、この人物が私の享楽を盗んでいるからにちがいない」という「妄想的決めつけ」が引き出されるとき、そこにレイシズムが生まれることになるわけです。


* 空想の横断と逆方向の解釈

ではレイシズムの興隆に対して精神分析は何かできることがあるのでしょうか。松本氏はその一つの答えは60年代のラカンが分析目標とした「空想の横断」から得られるといいます。「空想の横断」とは「性関係のなさ」を覆い隠している分析主体の「空想」を引き剥がし、その欲望を丸裸にしてしまうことです。

この点、ラカン派の精神分析学者、スラヴォイ・ジジェクはこの「空想の横断」をレイシズムに対する一種の処方箋として提出し、これに「否定的なもののもとに滞留すること(tarrying with the negative)」というヘーゲルから借用した名前を与えています。それは「〈他者〉の不在」という否定性から目を向けるのではなく、むしろ「否定的なもの」をまざまざと見つめ、その場所に踏みとどまることを意味します。

享楽が常に不十分なものにとどまるのは、何らかの〈他者〉によって享楽が盗まれているためではなく、我々の享楽の体制そのものに「性関係のなさ」が刻印されているからに他ならないということを知ること。これが我々をレイシズムから引き剥がすことを可能するということです。

こうしたことから、松本氏は「人がレイシストになることを予防する効果ならば、精神分析にわずかな期待を抱くことが可能かもしれない」と述べています。人は自らの抱える「性関係のなさ」の理解不可能性、宙吊り状態にある不全感の原因を理解可能なものにするため、しばしその「性関係のなさ」の原因を何かしら特定の「黒幕」に局在化し「結論の時」へと飛躍する。ここからレイシズムが生じることになります。

ここでレイシズムとは「性関係のなさ」におけるある種の「解釈」として機能しているといえます。これに対して(少なくとも松本氏のいう現代ラカン派において)精神分析は「解釈=順方向の解釈」とは反対の方向を向いた「逆方向の解釈」を提示します。

すなわち、分析主体は何かしらの「解釈=結論の時」を〈他者〉の中に探し回るのではなく「否定的なもののもとに滞留すること」することで、むしろ自らの固有の「享楽のモード」と向き合うことになります。そして分析という作業の中で、その自ら固有の「享楽のモード」を「特異性=単独性」にまで高めることができた時、人はレイシストになることなく自らの享楽と付き合っていくことができるはずであると、氏は述べます。


* 空想的決めつけと享楽的こだわり

もちろん、このような意味でのレイシズムに取り憑かれてしまった人はおそらくそう多くはないと思います(そう信じたいと思います)。けれども厳密な意味でのレイシズムではないとしても、属性や立場や嗜好の相違に起因した差別的な言動はSNSなどでわりとよく見かける光景のようにも思えます。

そして、こうした差別的な言動の裏にもやはり「私が十全な享楽に到達できないのは、この人物が私の享楽を盗んでいるからにちがいない」と想定してしまう「享楽の病理」が潜んでいます。では我々の日常的な実践の中で、このような「享楽の病理」を解除するための処方箋を見出すことはできないのでしょうか。

この点、精神分析におけるプロセスの「独学版」といえるのが千葉雅也氏が「勉強の哲学(2017)」で提唱する「深い勉強(ラディカル・ラーニング)」です。ここでいう「深い勉強」とは「アイロニー・ユーモア・享楽」からなる「勉強の三角形」によって規定される思考過程です。

我々は知らず知らず「世界とはこういうものだ」「人間とはこういうものだ」といった「環境のコード」の中で生きています。「深い勉強」とはこうした「環境のコード」に「アイロニー」を入れるところから出発します。

「アイロニー」は「環境のコード」の根拠を疑います。その結果「環境のコード」を根拠付ける上位コードである「超コード」が出現します。そしてその「超コード」にさらに「アイロニー」を入れることで、さらなる「超コード」が出現する・・・こうした際限なき「アイロニー過剰」により「超コード化による脱コード化」が起こります。そしてその極にあるのが、もはや言語によっては記述不可能な「現実それ自体」を志向する「言語なき現実のナンセンス」です。

そこで時に人は「アイロニー」を有限化して特定の価値観を絶対化してしまう「決断主義」に陥ります。この「決断主義」の一類型がまさにレイシズムにおける「享楽の病理」です。

これに対して「深い勉強」は「決断主義」に陥るその手前で「アイロニーからユーモアへ折り返す」ことになります。すなわち、精神分析における「逆方向の解釈」です。

「ユーモア」は「環境のコード」を拡張します。けれども「ユーモア」も繰り返すうちに、やはり際限なき「ユーモア過剰」による「コード変換による脱コード化」が起こります。そしてその極にあるのが、あらゆる言葉が接続過剰となり言語がトータルで無意味になるという「意味飽和のナンセンス」です。これは、およそ精神分析における「空想の横断=否定的なもののもとに滞留すること」に相当するでしょう。

そこで今度は思考をズレた方向に広げる「拡張的ユーモア」から思考のある特定のポイントに過度に集中する「縮減的ユーモア」に転回します。ここではコードが拡張されるのではなく、コードの一部へとコード全体が縮減されることになります。

この点「縮減的ユーモア」を規定しているものが「享楽的こだわり」です。「享楽的こだわり」とは意味以前に自分の中に刻まれている「偶然で強度的な出会いの痕跡」の事です。ここでは言語は意味を伝えるのではない「強度的な語り」となります。そしてその極にあるのが、言語の非意味的形態が出現する「形態のナンセンス」です。ここでいう「非意味」とは「無意味=意味がなくなる次元」とは異なる「意味とは別の意味ではない次元」です。

すなわち、個々人が持つ「享楽的こだわり」が「ユーモア」の意味飽和を非意味的に切断し思考の足場をいわば「仮固定」するわけです。こうした「ユーモア」の有限化としての「仮固定」を千葉氏は「決断」との対置で「中断」と呼びます。そして「深い勉強」はこの仮固定された享楽の場に再び「アイロニー」を入れていく事になります。これはまさしく精神分析における自ら固有の「享楽のモード」を「特異性=単独性」にまで高める作業に相当するでしょう。

レイシズムから逆方向の解釈へ。アイロニーからユーモアへ。空想的決めつけから享楽的こだわりへ。もとより人は誰しも「享楽」を求める生き物です。この点、完全無欠な「享楽」など世界中のどこを探し回っても見つかることはありませんが、他の誰でもない「わたし」や「あなた」だけが持つ「享楽」は誰もが確実に自分自身の中に刻み込まれています。こうした意味でおそらく「享楽の病理」を解除するための処方箋とは、この極めて単純な真理を深く探求していくというその過程の中で自ずと見つけていくものなのでしょう。













posted by かがみ at 00:23 | 精神分析

2022年08月30日

精神分析にとって〈母性〉とは何か



* 阿闍世コンプレックス

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ジークムント・フロイトが確立した精神分析という新しい学問は意外と早い時期に日本に紹介されています。1900年代には既にいくつかの学術雑誌の論考において精神分析について言及がなされており、1912年(大正元年)には大槻快尊が「心理研究」という雑誌に「もの忘れの心理」「やり損なひの心理」「やり損なひの実例」といった論考を寄稿し、錯誤行為に関するフロイトの実例を紹介しています。1917年(大正6年)にはアメリカでフロイト理論を学んだ久保良英の手による「精神分析」という本が公刊され、同年に中村古峡を主幹として創刊された「変態心理」という雑誌ではフロイト学説の紹介や翻訳がなされています。そして1926年(大正15年)には安井徳太郎の翻訳でフロイトの「精神分析入門(上)」が出版されました。

1930年(昭和5年)には矢部八重吉が日本初の精神分析家となり、日本精神分析学会が設立されます。さら1934年(昭和9年)には丸井清泰によってもう一つの日本支部となる国際精神分析協会仙台支部が設立されました。こうして精神分析が日本においても徐々に盛り上がりを見せる中、日本独自の精神分析理論が生まれてくるようになります。

とりわけ有名なのは丸井の弟子である古澤平作が提唱した「阿闍世コンプレックス」でしょう。阿闍世とは仏典に登場する古代インドの王子です。古澤はこの阿闍世物語の中にフロイトのいう「エディプスコンプレックス」とは別種の精神分析的力動を見出し、これを「阿闍世コンプレックス」と名付けました。そしてこの概念は古澤の弟子である小此木啓吾により広く世間に知られるようになりました。もっとも、ここで参照される阿闍世物語は古澤と小此木の下でその委細が幾度となく変化しています。以下その変遷をしばし概観してみることにします。

* 古澤版阿闍世物語T

「阿闍世コンプレックス」に関する最初の論文は1931年、古澤が東北帝国大学医学部の機関紙「艮陵」に発表した「精神分析學上より見たる宗教」です。同論文は翌年、古澤氏の留学時に独訳されてフロイトの手に渡ったとされています。そして同論文は後に1954年、古澤が設立した日本精神分析学会の学術雑誌「精神分析研究」の第1巻第1号に「罪悪感の二種」と表題を変更して掲載されました。同論文で古澤が語る阿闍世物語とは、次のようなものです。

少年鋭意の彼阿闍世王は隣国に連戦連勝し、提婆(注:提婆達多)に教唆され父を幽閉し、燃ゆる復讐心はいやが上にもつのりつつあった。王は先ず牢の門に至って門番に向かい、父の王は未だ生きて居られるか如何にと巧みに問いかけた。門番は事情を有の侭に話した。阿闍世は聞くなり火の如く怒った。「母は是賊也。賊なる父の追うと伴なればなり」又「沙門は悪人なり、数々の妖術を以って、この悪王の命を延ばす」と罵り叫びつつ、左手を伸ベて母の髪を掴み、右手に刺剣を執って母の胸に擬し、あわや一息に衝き刺さんとした。母は驚き合掌して、身を曲げ頭を垂れて我が子の手に縋い全身熱き汗を流して身心悶絶した。このとき大臣の月光なるものと耆婆(ジーヴァカ)なるものが慌てて之を遮りて云うには、大王臣等が聞くところに依れば昔より「もろもろの悪王ありて、国位を奪わんがために其の父を殺害せるものは頗る多数のことである。されど無動に母を害せるものあるを聞かず。王にして若しこの如きことをなさば是殺帝利根の恥なり汚なり臣等之を聞くに忍びず是施陀羅の行いなり」と大いに苦諫した。阿闍世も此の言葉を聞きて剣を採って母を害すること丈は思い止まった。が忽ち侍従者に言いつけてまた深宮に幽閉して一歩も出さなかった。斯くして彼の阿闍世太子は国王となり、飽くままで五慾の楽しみを慾しいままにしようと思う心から父を殺して王位に坐った。然るにあとに至て心に深い悔恨を為し、胸中しきりに熱し、悩みて全身に悪瘡を生じ臭気甚だしくて近づくことが出来ぬ。王自ら請えらく、此の如くに悪事の報いがてき面であるから、只今にも地獄に堕つるであろうと大いに苦しむに至った。如何にも失望悲哀の頂点であり、かく身も心も悩乱して、現在、未来の苦痛煩悶が一時に大山の崩るるが如くに迫り来った。かかるところへ六人の臣下−−この六人は印度の六派の哲学を奉ずるものである。−−が御前へ出て各自の意見を述べて御慰め申し上げたが、大王には一向に安心の様子がなかった。然る処へ彼の有名な耆婆大臣がお伺い申し上げて色々と慰めた。そのとき虚空の中に伺者とも知れず声ばかりあって、大王に告げて云うよう。

「世尊は久しからずして涅槃に入り給うから、早々仏陀世尊の所に行って、お救いを蒙れ。仏陀世尊の外には助けてくださる方はない。我は今其方を不憫と思うゆえ勧め導くのじゃ」と、大王この語を聞いて恐ろしく感じて五体震動して芭蕉樹の如く震い上がって天に向かって尋ねた。

「雲の上ではそう仰せあるはどなたで御座る。御姿も見えず、声ばかりであるは」と申すに「我はこれ汝の父頻婆娑羅じゃ。其方は疾くに耆婆の言葉に従え、邪晃の輩六臣の勧めに附てはならぬ」。この父の親切の言葉を聞いて阿闍世王は愈々心苦しくてたまらなくなって、気絶して倒れて仕舞った。さて王は愈々仏世尊の御許に参られた。仏の御説法は他の事はない。唯、阿闍世王の心には罪のない父を殺したので、必定地獄に堕すると思いつめて、如何に仏世尊でも我身ばかりは御救いくださることは叶うまいと疑いきって居るから、其の執心を打ち砕いて信仰を起こさせる御諭しであった。「…三世を見通しています仏陀が、大王を王位の為めに父を殺すべしということを知り乍ら、父王の供養を受けて、父王に王位に登るべき果報を得べき因縁を与えた以上は、大王が父王を殺したとてそれを大王ばかりの罪ということが出来ぬ、大王が地獄へ墜つるときは諸仏も共に堕ちねばならぬ。諸仏が罪を得ぬならば、大王独り罪を得る筈がない。よって大王の地獄に堕つるをば仏陀は必ず救わねばならぬ。人の供養を受ける仏陀大王の地獄に堕つるをば黙って見て居る事はどうしても出来ぬと。是程までも罪悪のものに同情を寄せて頂いてどうして黙って居られよう。阿闍世王の結びつめた真閣な胸が一時に聞けて、まるで長い長い隧道の中を辿り辿って、急に広い海辺へ出たような心地であった。「仏世尊よ、私が世相を見ますに伊蘭樹と申すあの至極厭な樹の種子からは必ず伊蘭樹が生え出るは当然であるが、決して伊蘭樹の種子からあの結構な栴檀香木の生える例はありませぬ。然るに不思議ではありませんか、唯今は伊蘭の種子から栴檀が生えました。伊蘭と申したのは我身であります。栴檀とは私の今得たところの信心であります。して見ればこの信心は無根心と申してよろしいと存じます…」嗚呼、阿闍世王に対して下したまいたる大慈悲の徳育は道理々屈を離れて、唯々満身同情の魂というより外はない。ここに於いて枯木再び花開き、いり豆再び芽を出した所以である。実にこれ極端なる罪悪観に対して垂れまいし救済の至極により極端なる懐悔心の生じたるものである。


以上の古澤版阿闍世物語Tは古澤が同論文で主張する「罪悪感の二種」の例示として引用されたものです。ここでいう「罪悪感の二種」とは「罪を起こしたこと」に対する罪悪感と「罪を許されたこと」によって生じる罪悪感(=懺悔心)を指しています。

この阿闍世物語では、父親である頻婆娑羅を殺した阿闍世が苦しみの末に仏陀の慈悲により許される場面が中心となり、母親の韋提希は最初のごく限られた部分にのみしか登場しません。もっとも古澤は補足説明において、阿闍世が父親を殺害したのは「青春今や去らんとした韋提希が父王との間に子なきため、容色の衰えうると共に王の寵愛の去ることを憂いたる悲しむべき母の煩悶にその源を発して居る」として「あと三年経てば、天命全うするという仙人をむりに殺害させて懐妊した韋提希は預言者の言の如く父王の右足の血が吸いたくなったりして、着々その予言の如き事実の現れに已に見心を悶した。斯くて生まれた阿闍世が已に両親に生まれ乍らの敵意を懐いたことは当然である」と述べています。

すなわち、韋提希は頻婆娑羅との間に子ができないことで夫の寵愛を失うことを恐れて妊娠を望み、仙人を殺害したものの仙人が残した予言に苦悩します。そして阿闍世はそうした出生のために両親に対して生まれながらの敵意を抱いていたということです。

こうして古澤は「阿闍世コンプレックス」とは「母を愛するがゆえに母を殺害せんとする欲望」であると定義します。ここで古澤が念頭に置いているのは口愛サディズムです。嫌いだから破壊するのではない。好きだからこそ、噛み砕き、食べて、破壊する、ということです。このような子どもの攻撃欲求は、後に英国の精神分析家、メラニー・クラインが「羨望」という概念で理論的に発展させたことがよく知られています。古澤はこうした攻撃欲求を阿闍世物語の中に見出していたということです。

* 古澤版阿闍世物語U

そしてその後、約20年余りの時を経た1953年、戦後の精神分析に対する関心の高まりの中で出版された「続精神分析入門(フロイト選集第3巻)」の訳者あとがきにおいて、古澤氏はふたたび阿闍世王を物語ることになります。

ではこの王舎城に起こった阿闍世王の悲劇物語とはどんなことでしょう。釈迦の深い帰依者であった王に頻婆娑羅王という方がありました。この王の妃が韋提希夫人であります。夫人には子供がないうえに、年老いられる身の容色の衰退が、やがて王の愛のうすれゆく原因となることを深く憂えられたのです。ところが、夫人が相談されたある預言者の言によれば、裏山の仙人が三年ののちには死んで、夫人にみごもり、立派な王子となって生まれるということでありました。しかし老いおとろえた王妃にはこの三年間が実に待ち遠しくていらいらし、ついに待ちきれずに、迷妄なる心は妃を駆ってこの仙人を殺害して自己の煩悩を達成せしめました。ところがこの仙人がこと切れようとした時に妃に向かって「わたしがあなたの腹に宿って生まれた子は将来必ず父親を殺す」といいはなちました。この予言は本当になりました。やがて妃は妊み、運命の王子を、すなわち阿闍世太子を産みおとしました。王も妃も大層彼を可愛がり育て、十六七歳ごろには文武ならびなき青年王子となり、近隣諸国を平定しましたが、王子はなんとなく気分がすぐれず鬱々として日を過ごしておりました。ときあたかも釈迦の教団は円熟の域にたち改革を要するようになっていました。日頃、釈迦に怨恨を持つ提婆達多はこの時とばかりに、教団を乗っ取ろうとたくらみ、王子に「お前の前歴はこうこうだ…瓔珞に蜜をつめ、こっそり王にさしいれしていましたので、一週間ののちに、王子が王はどうだろうと見舞ったときには、王はますます元気でありました。王子は怒り、母にたいして、賊呼ばわりし、賊の父と通じたといって剣を取り、母妃を殺そうとしましたが大臣の一人がこれを止め「もし母君を殺せば王の命はありません」とたちむかいました。王子はここで五体ふるえ、ついに流注という病気になって不安発作を起こしたのです−−かくしてこの後で阿闍世王が釈迦に救済されることになります。これはかの「エディプス物語」に似て、それよりも大きな問題を含んでおります。


古澤版阿闍世物語Tとの最も大きな相違は、先の論文で補足説明として加えられていた阿闍世の妊娠にまつわる韋提希の煩悶と、さらに阿闍世もそうした出生のために鬱々とした気分を抱えていたというエピソードが話の中心になっている点にあります。

さらに古澤版阿闍世物語Tで述べられていた「提婆に教唆され父を幽閉し」「国王となり飽くまで五慾の楽しみをを慾しいままにしようと思う心から父を殺害して王位に坐った」という父王の殺害理由が削除されています。

また古澤版阿闍世物語Tでは父親を殺して後悔から「胸中しきりに熱し、悩みて全身に悪瘡を生じ臭気甚だしくて近づくことができぬ」という状態になったと記されていますが、古澤版阿闍世物語Uにおいては、母親を殺そうとしたこと、あるいは母親の殺害を止められたことで、流注になって不安発作を起こしたと受け取られる文脈へと変化しています。

* 小此木版阿闍世物語T

そして阿闍世物語は古澤から小此木へと受け継がれます。1973年、小此木は谷口雅春が創始した新宗教団体、生長の家の機関紙「精神科学」における連載で「阿闍世コンプレックス」という小論を発表します。そこで語られる阿闍世物語は以下のような内容です。

昔、お釈迦様の時代のインドに、頻婆娑羅という王様がいた。その妃の韋提希夫人は年とって容姿がおとろえ夫の愛が自分から去ってゆく不安から王子が欲しいと強く願うようになった。すると、ある預言者から山に住む仙人が天寿を全うして死去した後に、夫人の子として生まれかわるという話をきかされた。

ところが妃は、夫の愛のうすれるのを恐れるあまり、その年を待てないで、その仙人を殺してしまった。早くその仙人が生れかわって、自分の息子のできるのを急いだからである。

やがて韋提希夫人は、身ごもったが仙人の呪いがおろしく、その子を産むのがこわくなって、なんとかおろしてしまいたいと願ったが、それもかなわず、とうとう産まねばならなくなってしまった。

このようにして人となった阿闍世の出征の由来を提婆達多がやってきて、あばいてしまったが、この囁きによって、その父母に怨み心を起こした阿闍世は、父を幽閉して、餓え死させようとした。

しかし、母の韋提希夫人はこっそり夫の命を助けようとして、密かに自分のからだに蜜をぬってそれをなめさせていた。これを知った阿闍世は、母まで殺そうとしたが、みかねた忠臣ギバ大臣が戒めたので、阿闍世は、母を殺すことを思いとどまった。しかし食を断たれていた父はとうとう死んでしまう。そして後悔の念に責められる阿闍世は、全身の皮膚病にかかってもだえ苦しむが、母親の献身的看護によって救われる。


* 小此木版阿闍世物語U

続いて1978年、小此木は「中央公論」にて「日本人の阿闍世コンプレックス−−モラトリアム人間を支える深層心理」という論考を発表します。そこで語られる阿闍世物語は以下のような内容です。

そもそも阿闍世は、仏典中に登場する古代インド、王舎城の王子のことであるが、この王子は暗い出生の由来を背負っていた。つまり、阿闍世を身籠るに先立って、その母韋提希夫人は自らの容姿の衰えとともに、夫である頻婆娑羅王の愛が薄れていく不安から、王子が欲しいと強く願うようになった。思いあまって相談した預言者に、森に住む仙人が3年後になくなりその上で、生まれ変わって夫人の胎内に宿る、と告げられる。

ところが、夫人は不安のあまりその三年を待つことができず、早く子供を得たい一念からその仙人を殺してしまう。こうして身ごもったのが阿闍世、すなわち仙人の生まれ変わりである。すでに阿闍世はその母のために一度は殺された子どもなのであった。しかもこの母は身ごもってはみたものの、お腹の中で胎児である阿闍世の恨みが恐ろしくて、産む時も高い塔から産み落とす。

何事も知らぬまま、父母の愛に満ち足りた日々を送っていた阿闍世は、長じるに及んでこの経緯を知り、理想化していた母への幻滅のあまり、殺意に駆られて母親を殺そうとする。しかし、阿闍世は母を殺そうとした罪悪感のために五体ふるえ、流注という悪病(身体の深部にできる一種の腫れ物)に苦しむ。ところが、この悪臭を放って誰も近づかなくなった阿闍世を看病したのが、他ならぬ韋提希その人であった。つまりその母は、この無言の献身によって、自分を殺そうとした阿闍世を許したのであるが、やがて阿闍世もまた母の苦悩を察して母をゆるす。この愛と苦しみの悲劇を通して、母と子はお互いの一体感を改めて回復していく。


小此木版阿闍世物語Tと大きく異なるのは、父親が関わっていた部分が削除され、すっかり母子の話へと変更されているところです。

この小此木版阿闍世物語Uはのちに「日本人の阿闍世コンプレックス(1982)」という文庫になり、世間に広く知られることになりました。しかしその出典がどの仏典なのかが不明確だったことから、仏教関係者を中心に批判が相次ぐことになります。古澤が語っていた阿闍世物語の出典がそれほど不明確なものとは露ほども疑っていなかったであろう小此木にとって、こうした批判は想定外だったようです。

* 小此木版阿闍世物語V

こうした批判に応えるため、最終的に小此木は観無量寿経を原典として小此木版阿闍世物語V(古澤ー小此木阿闍世物語)を作ります。多くの仏典における阿闍世物語は、母親と息子の話ではなく、息子が父親を殺害する筋が中心の、父親と息子の話です。つまり、仏典に見られる阿闍世物語は、エディプス神話に非常によく似たストーリーであったということです。そうした仏典が多くを占める中で、小此木が原典とした観無量寿経の阿闍世物語は母親の救いをテーマにした珍しいものでした。2001年に公刊された「阿闍世コンプレックス」に収録された小此木版阿闍世物語Vは次のようなものです。

韋提希は古代インドの王舎城の王頻婆娑羅の妃であった。そして、その息子、つまり王舎城の王子が阿闍世である。

阿闍世を身ごもるに先立って、その母韋提希夫人は自らの容色の衰えとともに、夫である頻婆娑羅王の愛が薄れていく不安を抱いた。そして、王子を欲しいと強く願うようになった。思い余って相談した預言者に、森に住む仙人が三年後になくなり、生まれ変わって夫人の胎内に宿ると告げられた。

しかし、韋提希夫人は不安のあまりその三年を待つことができず、子供を得たい一念からその仙人を殺してしまった。ところが、この仙人が死ぬときに、「自分は王の子供として生まれ変わる。いつの日がその息子は王を殺すだろう」という呪いの言葉を残した。その瞬間に頻婆娑羅の妃である韋提希夫人が妊娠した。こうして身ごもったのが阿闍世であった。すでに阿闍世はその母のために一度は殺された子どもなのであった。しかもこの母は身ごもってはみたものの、お腹の中で胎児である阿闍世の恨みが恐ろしくて、産んでから高い塔から落として殺そうとした。しかし彼は死なないで生き延びた。ただし、小骨を骨折した。そこでこの少年は「指折れ太子」とあだなされた。この少年が阿闍世である。

阿闍世はその後すこやかに育った。しかし思春期を迎えてから阿闍世はお釈迦様の仏敵である提婆達多(だいばだった)から次のような中傷を受けた。「おまえの母はお前を高い塔から突き落として殺そうとした。その証拠に、お前の折れた小指を見てみろ」と言った(サンスクリット語のAjatasatruは「俺た指」「未生怨」の両方を意味する)。そして阿闍世は自分の出生の由来を知った。この経緯を知って、それまで理想化していた母への幻滅のあまり、殺意に駆られて母を殺そうとする。しかし、阿闍世はその母を殺そうとした罪悪感のため流注という悪病(腫れ物)に苦しむ。そして、この悪臭を放って誰も近づかなくなった阿闍世を看病したのが、ほかならぬ韋提希その人であった。しかし、この母の看病は一向に効果が上がらない。

そこでお釈迦様にその悩みを訴えて救いを求めた。この釈迦との出会いを通して自らの心の葛藤を洞察した韋提希が阿闍世を看病すると、今度は阿闍世の病も癒えた。そして阿闍世はやがて、世に名君とうたわれるような王になる。


この物語はそれまでのものと比較すると仏典に沿おうとする努力が見られます。「産むときも高い塔から産み落とす」は「産んでから高い塔から突き落として殺そうとした」に変更され、「何事も知らぬまま、父母の愛に満ち足りた日々を送っていた」などの文章は削除されています。

そして小此木は古澤による阿闍世物語は「古澤の心の中で構成、推敲された古澤版阿闍世物語」であり「古澤がいくつかの仏典に親しんでいる間に、各所から選び出して省略し、圧縮し、再構成して作り上げたもの、とみなすのが妥当」と結論づけました。

なお、小此木没後の2009年には、哲学者の岩田文昭氏によって、最初の古澤の阿闍世物語が近角常観の「懺悔録(1905)」のほとんど引き写しであったことが明らかになっています。この「懺悔録」は近角自身が回心に至った経緯と阿闍世王の物語と重ね合わせて書かれているものですが、岩田氏は両者が年月を経て古澤の中で混ざり合った可能性を指摘しています。

* 阿闍世コンプレックスと精神分析的治療論

では、以上のような阿闍世コンプレックスを前提とした古澤や小此木の精神分析的治療論とはどのようなものであったのでしょうか。

まず古澤は「罪悪感の二種」においてには「あくなき子供の〈殺人的傾向〉が〈親の自己犠牲〉にとろかされて」はじめて子供に罪悪の生じたる状態になるとしています。ここで古澤は、母親から愛されたいという欲求を充足させることで母親への執着から解放され、他者を愛することができるようになるという、いわゆる「とろかし」技法の名で知られる治療機序を想定しています。

また古澤は「続精神分析入門」の訳者あとがきで、ある分裂強迫神経症患者の症例を挙げ、神経症の背景には患者の母親を独占したい強い欲求があることを指摘し、精神分析的治療はこの欲求を「何らの不安・恐怖をともなうことなく充足できるのです」と語り「そして、この欲求が満たされると、彼の精神生活は成長・成熟し、母親拘束から解放され、社会に適応し、他人を愛することができるパーソナリティに到達できるのです。ここにおいて精神分析学の真の目的が達成されるのです」と主張しています。

次に小此木は阿闍世物語を夫の愛を失うことを恐れた「母親のエゴイズム」に対する「息子の恨み」と、息子から殺意を向けられてなお、献身的に尽くす「母の愛」の物語として読み解き、こうした母子間における愛憎劇を乗り越えて母子が一体感を回復していく過程に一つの治療機序を見出しています。

そして小此木は「母性再考−−阿闍世の母韋提希の葛藤を辿る(2003)」という最晩年の論考で日本の母親像に関して「無償の愛とか、ゆるしとか、思いやりとか、やさしさとか、献身とか、自己犠牲とか、母性という言葉に含蓄されるすべて込められている。そのようにマゾヒズム的な母性の存在がいることで家庭でも職場でもうまく成り立って機能しているのだというのが日本人の阿闍世コンプレックス論の一つのテーマである」と述べています。

*〈母性〉をめぐる諸相

こうした古澤と小此木の治療観の前提には、慈愛に満ちた存在としての〈母性〉への素朴な信頼があるように思われます。

これに対して、ユング派の心理療法家である臨床心理学者、河合隼雄氏は〈母性〉における「生み育てる」という肯定的側面のみならず「呑み込む」という否定的側面に注目しています。そして氏はこうした「呑み込む」という側面を持つ〈母性〉との対決をユングのいう「自己実現の過程」の中に位置付けています。

また、戦後日本社会を代表する批評家である江藤淳氏はその主著「成熟と喪失」において、近代社会における〈母性〉は「圧しつけがましさ」を持つようになるといいます。そして氏はそのような〈母性〉を見棄てるということ、すなわち〈喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」を引き受けること〉こそがまさしく戦後日本社会における「成熟」の条件であるとしました。

河合氏や江藤氏の議論は「母性」をいわば乗り越えるべき対象として想定し、こうした〈母性〉との対決の中に個人の生を支える物語の獲得を見出しているといえます。そして、こうした〈母性〉をめぐる議論を踏まえた上で、社会共通の「大きな物語」が失墜し、ポストモダン状況が加速する現代社会の中に「阿闍世コンプレックス」を再び位置付け直してみるのも興味深い試みのように思われます。


参考:西 見奈子「日本の精神分析における女性」(『精神分析にとって女とは何か』所収)














posted by かがみ at 03:22 | 精神分析