【参考リンク】 ラカン派精神分析の基本用語集

2016年06月14日

「叱ってはいけないし、褒めてもいけない」というのは「何もしなくていい」というわけではない

アドラー心理学にハマって離婚危機に!? 実践して大失敗しちゃった人たちの悲痛な叫び - 新刊JPニュース

アドラー心理学の強みはスティーブジョブズのプレゼンとかに通じるそのシンプルな教えにありますが、「シンプル」であればあるほど誤解される可能性も大きくなる危険はあるわけです。

記事中の失敗例をやや註釈しますと、要するに、アドラー理論の色んな前提がすっ飛ばされて、「褒めてはいけない」とか、「他者信頼」とか、そういうキャッチコピーだけを「実践」したという感があります。

「褒めてはいけない」ではなくて、「勇気付ける」ということなんですよ。間違っても不作為に放ったらかしにするわけではない。そして、何が勇気付けになるかはその時その状況における発信者と受信者の相関関係で決せられるわけでして、「褒め言葉」や「勇気挫き」と言われる言葉でも、状況次第で勇気付けとなるケースもあります。

こういう判断は認知論や主体論といったアドラー心理学の基礎理論についてある程度の素養があってこそ、よくなし得るものであり、要するに勇気付けるというのは単に褒めることよりも遥かに難しいんですよね。

で、「他者信頼」というのも、あくまで「交友のタスク」の支配原理なので「仕事のタスク」に無条件に適用すべきものではない。「仕事のタスク」の起源は「個体として劣った人類が過酷な自然環境を生き延びるため」なので、当然、優先されるべきは条件付きの「信用」なのです。

ええっと、この辺りは「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」をきちんと読み込めば解るはずなんですけどね・・・?アドラー心理学はあくまで心理学的法則に則った「ルール」なので、適用条件を誤れば当然、誤った結論しか出てこないわけです。

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タグ:こころ
posted by かがみ at 00:41 | 心理療法

2016年04月01日

原因論と目的論

アドラー心理学の特徴は言うまでもなく、その目的論思考にあります。例えば、引きこもりは何か過去のトラウマなどの「原因」があって部屋から出れないのではなく、対人関係に直面して傷つきたくないとか、両親に構って欲しいという「目的」の為、彼は部屋を出ないということになります。

この目的論については「では彼はなぜそのような目的を持ったのか」という「目的」を持つに至った「原因」があるのではないかという疑問が浮かんでくるでしょう?アドラー心理学は個人の判断・決定はその自律的主体性によるものという主体論を取りますから、おそらく先の問いに対しては「彼自身がそういうライフスタイルを取ると決めたから」という答えとなるとおもわれます。

しかしそれでもなお「何が彼のそういうライフスタイルを形成させたのか」という疑問はどこまでも残るわけです。これをフロイト風に「欲動」というかどうかは別として、どうしてもそこには個人の心的過程における意識レベルを超える無意識的な精神力動の存在を措定せざるをえないわけです。

ところで、フロイトとアドラーは一般的には「原因論」対「目的論」という2項対立で理解されますが、フロイトも言われているほど原因論ではないんですよね。確かに初期のフロイトは、幼少期の性的外傷体験が無意識下に抑圧されてヒステリーの核となるという「誘惑理論」なる説を提唱していましたが、ヒステリー患者の父親がみなロリコンというわけでもないでしょう。後にフロイトは誘惑理論を放棄し、ヒステリーの核となるのは実際の外傷体験ではなく、患者の「心的な現実」、言って見れば無意識下に抑圧されたファンタジーであるという風に自らの理論に訂正を加えてることになります。エディプス・コンプレックスなどは(これも結構誤解されていますが)まさに巨大なファンタジーといえるでしょう。

このあたりの変遷が一般的にはうまく理解されていないという点がフロイトの不遇といえば不遇なんですが、このような観点から言えば、目的と原因はいうほど2項対立的ではなく、相補性の原理により円環的に絡み合っているのが実相のように思えます。

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タグ:こころ
posted by かがみ at 22:26 | 心理療法

2015年12月31日

無意識という灼熱の煉獄

年末の大掃除というのは普段いかにやっていないかという現実に直面する作業であって日頃の怠惰の帰結の前にただただ慄然とするしかないですが、その分、片付いた部屋を眺める時は物凄い達成感があるわけです。

これは心理療法においても同様なんでしょう。心理療法というのはまさにこころの大掃除であり、これまで、自我の統合性と引き換えに無意識の下に抑圧し続けていたドロドロのコンプレックスをいまさら直視しないといけないわけですから。これは絶大な痛みが伴う荊の道になる。

しかしそれでもこの無意識という灼熱の煉獄の中に腕を突っ込んで襲い来る痛みに耐え切り、奥底に潜むコンプレックスを引き摺り出した瞬間にその痛みはカタルシスへと昇華する。

成る程、素晴らしいことですが、ただ、部屋もこころも、1度にそんな大掃除をしなくてもいいように、常日頃から、こまめにお手入れしておくに越したことはないでしょう。要は汚れにくいシステムの構築しておくことが大事なのです。

大掃除の教訓を得て、とりあえず部屋にはこまめに掃除できるよう手の届く位置に雑巾を用意しました。こころにも、気軽にメンタルデトックスができるものを用意しておくことが大切なことなんでしょうね。

では、どうか皆様、良い年の瀬を( ^ω^ )

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posted by かがみ at 23:27 | 心理療法

2015年11月26日

コンプレックスとは「部屋の押し入れ」

コンプレックスというと、日本ではどうしてもアドラーの影響で「劣等感」というように理解されがちですが、フロイトにとってのコンプレックスがエディプスコンプレックスであったように、アドラーにとってのコンプレックスが劣等感であったともいえますし、中核的なコンプレックスというのは人それぞれということになるでしょう。

いずれにせよコンプレックスは意識領域を支配する自我の統合性を乱す厄介な存在です。周囲から人格円満と評される人物が、ある人が言い放った取るに足らない言葉に突然感情的に取り乱すというような事象をよく見かけますが、これはまさにコンプレックスが自我の統合を乱している典型事例と言えます。

このコンプレックスというのを人にどう説明するかというのはなかなか難問だと思います。定義的に「無意識下に抑圧され、個人的感情に色付けられた心的複合体」などと言ったところで、普通の人はそこにどれだけのイメージを持ち得るのか?ということです。そういう機会を得て色々思案していたんですが、ふと、例えで言えばコンプレックスとは「部屋の押し入れのようなもの」だと説明するのが適当な気がしました。まず部屋を綺麗にしたければ、要らないものをさし当り押し入れに押し込むのが最も手っ取り早いでしょう。精神分析でいう抑圧です。ところが、そういうことを繰り返していけばやがて押し入れの中はごちゃごちゃした不要物でいっぱいとなっていき、ある日、ついに時が訪れる。押し入れの襖は弾け飛び、溢れ出た大量の物で部屋は見るも無残なカオスと化す。これがコンプレックスが顕在化した状態です。

それでは、その時に、あなたが彼の部屋を見たとして、「汚いなあ、片付けろ」などと普通に正直なことを言ってしまったらどうなるんでしょうか?多分、彼は憤激するか赤面するか、何れにせよ、とにかく大急ぎで溢れ出たものを、再び押し入れに押し込むでしょう。1番手っとり早く部屋は片付きますが、根本的には何も解決していない。

他方で、片付けられないその人に変わってあなたが全部片付けてあげるという選択肢もあるでしょうね。一見親切ですが、あなたはその人が押し入れの中を片付ける能力を身につけるという、またとない機会を奪ったとも言えます。これからも彼は不要なものはまた押し入れに溜め込み、近い将来、再び押し入れが崩壊するでしょうね。

以上に対して、次のやり方はかなり回りくどい方法になります。部屋中にあふれかえった物の中から何かを拾い上げて「このオモチャ可愛いですね?これは何歳の頃に買われたんですか?」と聞いてみる。そうすると「ああ、それは4歳の頃に母親に買ってもらって・・・」という答えが返ってくるかもしれません。またひとつ拾い上げてみる。「では、このネクタイは?」「それは就職した歳にその時付き合っていた彼女に・・・」

そういう会話を積み重ねていくというのはどうでしょうか。確かに時間はかなりかかるかもしれません。けど、こうやってひとつひとつの物と向き合うことで、やがて、これを機会に押し入れから出てきたものを含め、自分自身で部屋全体を整理しようと思うかもしれない。迂遠かもしれないが、こういう可能性に賭けてみる。これが心理療法に他ならない、ともいえるのではないでしょうか。

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タグ:こころ 考察
posted by かがみ at 23:22 | 心理療法

2015年10月04日

無意識という物語

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認知行動療法というのは基本的に無意識というものを対象としていないわけです。精神分析が無意識下に抑圧された幼少期の心的外傷体験などに遡っていくアプローチであることに対し、認知行動療法は逆で、過去のことはとりあえず置いておいて、とにかく現在の嫌な気分を産み出している認知という思考システムを将来へ向かって矯正する所に焦点が当てられる。

うつ病や不安障害に高い威力を発揮することで知られてる認知行動療法ですが、その基本的な考え方はごくごくシンプルで、「認知」すなわち状況に対する自動思考やこれを支えるスキーマ(中核信念)の歪みを論理的に反駁、代替的な適正思考を立てて、それを行動により確信に至らせることで認知の歪みを矯正するという、方法論としてはPDCAサイクルそのものです。従って、心理療法の域を超えて家事や恋愛に至るまで様々な局面で応用可能という汎用性の高さがあると思います。

ただ、自動思考やスキーマの歪みを矯正する際、その反駁に精神分析的な洞察を用いることはなお有益だと思います。目の前の他人の不可解な行動も防衛機制やコンプレックスという観点から見ると案外意外な観点で読み解けるものが多いはずです。例えば、わかりやすいのが本心と真逆の態度をとる反動形成。こういう機制が発動しているのであれば、それはもう嫌われているどころか、これはもうこの上なくめちゃくちゃ好かれていることになってしまいますよね。冷たくあしらわれたから嫌われているという自動思考をそういう観点から反駁していくわけです。

要は認知行動療法は方法論として優れているけれど、無意識を考えることは全く不要か?というとそうではないということです。無意識の底を洞察するということは、いわば、この現実を現象ではなく、物語として観るということ。仮にそれが事実ではなかったとしても、それでもなお、現実をものがたることによって、ものがたりが現実を変えていける可能性も決してゼロではない、そういうこともきっとあるでしょう。

こういうものを統合的心理療法というのかどうか知りませんけど、この辺りを少し考察するのもなかなか面白いかなと、そんなことを、最近思いました。
タグ:こころ
posted by かがみ at 02:53 | 心理療法