2015年09月25日

両価的感情の中に観る繊細性

人にちょっと冷たくされたらかなり気分が落ち込むというのは、認知行動療法でいう所の自動思考がかなり歪んでて、その根底には私は他人に必要とされていないという悲観的で不合理なスキーマ(中核信念)があったりするわけです。

なので、まずは自動思考から矯正していくことが認知行動療法の第一歩なんですが、「いやアレは忙しかったとか気付かなかったとかそんなもんじゃない、どう考えても明らかに自分はあの人に急に冷たくされた・・・」などと思わざるを得ないケースもやはりある。特にいわゆる両価的な態度についてはなかなか難しいところがあると思います。そういった場合の反駁の一つとして、たまたまその人が防衛機制を発動させていると察してみるのもいいかもしれない。

防衛機制 - Wikipedia

ジークムント・フロイトの提唱による防衛概念はそれ以後も末娘のアンナ・フロイトの自我心理学や、メラニー・クラインの対象関係論を経て発展し体系化されていきますが、フロイト系の精神分析理論では、人の社会行動は全ては畢竟、自我の防衛行動でして、いわゆる昇華の機制を始め、ユーモアや自己洞察なども、成熟した防衛行動ということになります。

一方でユング派は防衛概念自体は基本的には承認してはいますが、先に述べた昇華やユーモア、自己洞察などの肯定的な精神力動作用は、自我サイドが行う防衛というより、自己サイドから行われる自我の再統合作用と捉えているようです。

フロイトもユングも同じように無意識という領域の存在を前提とするわけですが、なんでこういった説明の違いが生じるかというと両者の無意識の捉え方が違うからです。すなわち、フロイト系の精神分析理論では、無意識というのは得たいの知れない真っ暗闇で、そこに自我理性の光を恃んで抗っていくという二元論的構図を取るんですが、集合的無意識と自己元型を承認するユング派は自我の不完全を自覚する一方で無意識の暗闇の中にも自己実現という一縷の光明を見出していく相補的ないし太極図的構図を取っているわけです。


そんな感じで、どうも話がだいぶ脱線してしまいましたが、やっぱりね、対人関係というのは親しければ親しいほど、難しいと思うんですよ。どんな状況でも通用する万能の処方箋なんてどこにもないし、時には理不尽でアンビバレンスな感情の光彩の中で一体どうすればいいのかうろたえることもあるでしょう。けれど、それもね、仔細に見てみると、それは或いは反動形成的なものだったり、或いは置き換えや投影同一視による感情転移ではないか、などと、いろいろな観点というものが出てくると思います。そうやって色々と思いを巡らせていくと、ある種の哀しみや繊細さを見出したりすることもあったりして、そうなるとその両価性がむしろ愛おしい個性にすら思えたりするのかもしれませんね。共感的に理解するとはそういうことなのかもしれません。

若干、論旨がよくわからない文になってしまった気もしますが、なんか、そういう覚書。秋も深まりつつありますこの頃、皆様、どうかご自愛を。

参考:神楽菓音:防衛機制概論

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タグ:こころ
posted by かがみ at 21:55 | 心理療法

2015年09月01日

【書評】河合隼雄「こころの天気図」。「ふうん」と聞くことの難しさ、素晴らしさ。

[新版]こころの天気図
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長らく絶版本だったが今年装いを新たに復刻。かの名著「こころの処方箋」のアンサーソング的な立ち位置のエッセイ集ですが、こちらは聞き書きスタイルなので何ともふんわりとした優しい語り口に仕上がっています。

著者は言わずと知れた生粋のユング派分析家ですが、ユングのユの時も知らなくとも普通に良質な自己啓発本として読めます。けれども心理療法の知識素養が多少なりともあれば、また違った読み方もできて味わい深い。むしろ巷の心理療法の専門書などでは学術的正確性などの諸々の問題などから、なかなかぶっちゃけて書けない「理論体系の舞台裏」のようなものを詳らかにしているのが本書であるという言い方もできる。

例えば、「中心を外さず、ずっとそばにいる(217頁)」「『ふーん』の難しさ、素晴らしさ(213頁)」「自分が不安定なほど、相手を詮索する(216頁)」「ここぞという時、逃げない」「怒りも、時には解決のきっかけになる(130頁)」「にもかかわらず『やる』と決意する(133頁)」などといったパラグラフはロジャーズ三原則の極意のようなものへのゆるやかな連なりを感じる。教科書的に無条件受容、共感的理解、自己一致などといった概念を頭で理解しても、それは一体具体的にはどういった態度なのかを生き生きとイメージできなければ実際の人間理解の役には立たないでしょう。そういったイメージを豊かにする上で本書の河合先生の語りは有益な示唆を与えてくれています。
タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 00:14 | 心理療法

2015年08月30日

気分変調障害、ネガティブ思考という病

あらゆる物事を不思議なくらい悲観的に捉えるネガティブ思考で「この人はなんでそういう風に捉えるんだろう・・・」と首を傾げたくなるような人って周囲にいないですか?こういった慢性的なネガティヴ思考というはどうやら個人的性格の問題ではなく、気分変調性障害の症状である可能性が高いそうです。

これはかつては抑うつ神経症という名前で文字通り神経症圏の問題として捉えられていましたが、近年の研究において、脳内物質セロトニンの不足に起因するうつ病類似の構造が指摘されていまして、DSMにおいても1980年の第3版改訂において大うつ病障害と同じ気分障害の項に分類されています。

症状がうつ病ほどドラスティックでないところが逆にうつ病以上に厄介でして、多分に本人の性格の問題と誤解されてしまい、周囲から自信を持ってとか、前向きにとか、そういった「アドバイス」をよくされてしまうわけです。

ですけど、例えば深刻な頭痛で悩んでいる人に「頭痛など気にしないように」などというアドバイスがどれほど馬鹿げているかは誰でもわかると思いますが、要するにそういうことを普通にやってるわけです。当人にとってはネガティヴ思考というのはある種の症候群のようなものであり、いくらポジティブ思考とか言われたところで、そうしたくても出来ないわけでして、むしろ人並みにポジティブ思考が出来ない自分はやはり人間として駄目なんだとますますネガティヴ思考を深めるだけの悪循環を促進させるだけに終わってしまう。

気分変調性障害によるネガティヴ思考はあくまで病気の症状であり、パキシルとかジェイゾロフトなどでおなじみのSSRI系の抗うつ薬が大うつ病ほどではないにせよ、効果があるというエビデンスもあるらしいんですが、本人も病気ではなく性格の問題と認識しているので、来院に至るのが難しい。やれキャリアデザインだとかスキルアップだとか何かと色々急き立てられる時代性とも相性が悪いでしょうね。心理療法の観点からは、ネガティヴ思考の現状を否定せず理解するという意味で、無条件受容、共感的理解というものはもちろん重要なのはいうまでもないので、もしや、という人が身近にいたら、そういう認識も念頭に入れて優しく接してあげましょうね。

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タグ:こころ
posted by かがみ at 20:45 | 心理療法

2015年08月14日

二重人格という問題。影とコンプレックスの円環構造。

いろいろ心身削られる事も多く、久しぶりの更新ですが、理論的整理のための覚書なのであまり面白くないと思います。

さて、二重人格というものがありますが、これはヒステリーの一種でして、DSM的にいうと解離性同一性障害(DID)の症状として分類される。かかる二重人格を心理療法の見地からどう読み解くかという問題ですが、まず河合隼雄「ユング心理学入門」では有名なイブホワイト/イブブラックの事例を引きつつこれを「影」の問題として取り上げられています。

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ところが同じ河合先生の名著「コンプレックス」という新書では、コンプレックスが自我統合を乱す例として二重人格が取り上げられており、ここでもまたイブホワイト/イブブラックの事例が登場する。

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これは一体どういう事なのか。二重人格とは影の問題なのか、コンプレックスの問題なのか、この辺りを読めば読むほどよくわからなくなってきます。ここを理論としてどう説明するかという問題です。

さしあたり定義的に整理すると、コンプレックスとは個人的体験が無意識下に抑圧され感情に色付けられた心的複合体といわれる。一方で影とは「元型」の一つであり、元型とは個人を超えた人類全体に共通する先天的な精神力動作用と言われる。後天的作用であるコンプレックスとは概念上明らかに全くの別物という事になります。

ただ、影は元型のうちでも自我(これも元型です)の真裏に位置するため属人的色彩が強く、実際の心的過程においてコンプレックスと機能的に大きく重なる部分を持っており、現実の臨床例では両者を截然と区別するのは困難なように思われます。影がコンプレックスの形成を助長したと言える例もあるでしょうし、コンプレックスが作動して影が顕現したとも説明できる例もあるでしょう。こうして、二重人格は影の顕現とも言えるし、コンプレックスの作動とも言える。つまり、影とコンプレックスは個人的無意識において渾然一体となり円環構造を形成していると把握するのが妥当なような気がします。

この辺りは他のコンプレックスと元型の関係全体にもある程度適用しうる関係性なんでしょうか。大きな誤読誤解を孕んでいる気もしますが、先の河合先生の本を再読する際この辺りを意識して読めばまた違った発見もあるかもしれないので、今後の理論的整理の為にも一度思考過程を拙いながらもまとめておきたいと思います。
タグ:こころ
posted by かがみ at 00:32 | 心理療法

2015年07月19日

「考えるフリ」という傾聴技法

例えば親しい誰かから「悩み相談」を持ちかけられた時、やはり社会人何年とかやっていますと誰しも何かしら一家言持ってしまうので、色々とアドバイスをしたくなるというのはよくある話です。

けれども巷に出回る多くの傾聴本が教えるようには、傾聴においてアドバイスは原則として非援助的なものとされる。所詮は聴き手の「教えてやった」という自己満足にしかならないわけです。

こういう悩み相談の場合、話し手の心境としては得てして「問題を解決してほしい」ではなくて「とにかく私の話を聴いてほしい」わけです。

こういう場合、傾聴技法的には反復(Restatement)や感情反映(Reflection)などを基本として話し手に応じるといいんでしょう。ロジャーズのいう無条件受容ないし共感的理解。河合先生の言葉で言えば「自分の倫理観は括弧に入れて聴く」という態度が重要と言われます。

ただ、傾聴技法を金科玉条的に適用してしまいこれに終始するというのもこれはこれでまたどうなのかという問題があるわけです。ロジャーズを信奉してやまない原理的ロジャリアンがよく鸚鵡返しマシーンとか何とかなんとか揶揄されるのは、このあたりの問題があるからなんでしょう。

そこで傾聴セオリー的な反復やリフレクションのその後にもう一捻り入れて「相手の悩みを一緒に悩んで何か妙案はないか考えるフリ」をしてみる。ぶっちゃけ本当に考えなくてもいいので、とにかく「一生懸命考えてるフリ」をしてみる。

話し手は本来的な悩みとは別にいわば「自分の悩みはちゃんとした悩みに値する悩みなのかという悩み」を持っていることが割と多いと思うんですよ。そこで聴き手がその悩みを真剣に考えているという姿勢を示すことで、話し手は「私の悩みはちゃんとした悩みだったんだ」という安心感を得られ、聴き手に「この人はちゃんと私の話を聞いてくれる」という印象を持ち、そこから、より会話の深度を深めていける。

要するに、中途半端な上から目線のアドバイスは毒にも薬にもなりませんが、アドバイスを「考えるフリ」というのは、一つの援助的な傾聴技法ではないかと思うわけです。

もちろんいま言った諸々はマジメに悩み相談に対応する際の態度を想定しているのであって、逆にどうでもいい人からの相談をさっさと切り上げたい時は、毒にも薬にもならない「アドバイス」で適当に煙に巻くのも全然ありというわけです。

人生は有限なので時間は有益に使わないといけませんからね\(^o^)/

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タグ:こころ
posted by かがみ at 21:19 | 心理療法