2015年11月26日

コンプレックスとは「部屋の押し入れ」

コンプレックスというと、日本ではどうしてもアドラーの影響で「劣等感」というように理解されがちですが、フロイトにとってのコンプレックスがエディプスコンプレックスであったように、アドラーにとってのコンプレックスが劣等感であったともいえますし、中核的なコンプレックスというのは人それぞれということになるでしょう。

いずれにせよコンプレックスは意識領域を支配する自我の統合性を乱す厄介な存在です。周囲から人格円満と評される人物が、ある人が言い放った取るに足らない言葉に突然感情的に取り乱すというような事象をよく見かけますが、これはまさにコンプレックスが自我の統合を乱している典型事例と言えます。

このコンプレックスというのを人にどう説明するかというのはなかなか難問だと思います。定義的に「無意識下に抑圧され、個人的感情に色付けられた心的複合体」などと言ったところで、普通の人はそこにどれだけのイメージを持ち得るのか?ということです。そういう機会を得て色々思案していたんですが、ふと、例えで言えばコンプレックスとは「部屋の押し入れのようなもの」だと説明するのが適当な気がしました。まず部屋を綺麗にしたければ、要らないものをさし当り押し入れに押し込むのが最も手っ取り早いでしょう。精神分析でいう抑圧です。ところが、そういうことを繰り返していけばやがて押し入れの中はごちゃごちゃした不要物でいっぱいとなっていき、ある日、ついに時が訪れる。押し入れの襖は弾け飛び、溢れ出た大量の物で部屋は見るも無残なカオスと化す。これがコンプレックスが顕在化した状態です。

それでは、その時に、あなたが彼の部屋を見たとして、「汚いなあ、片付けろ」などと普通に正直なことを言ってしまったらどうなるんでしょうか?多分、彼は憤激するか赤面するか、何れにせよ、とにかく大急ぎで溢れ出たものを、再び押し入れに押し込むでしょう。1番手っとり早く部屋は片付きますが、根本的には何も解決していない。

他方で、片付けられないその人に変わってあなたが全部片付けてあげるという選択肢もあるでしょうね。一見親切ですが、あなたはその人が押し入れの中を片付ける能力を身につけるという、またとない機会を奪ったとも言えます。これからも彼は不要なものはまた押し入れに溜め込み、近い将来、再び押し入れが崩壊するでしょうね。

以上に対して、次のやり方はかなり回りくどい方法になります。部屋中にあふれかえった物の中から何かを拾い上げて「このオモチャ可愛いですね?これは何歳の頃に買われたんですか?」と聞いてみる。そうすると「ああ、それは4歳の頃に母親に買ってもらって・・・」という答えが返ってくるかもしれません。またひとつ拾い上げてみる。「では、このネクタイは?」「それは就職した歳にその時付き合っていた彼女に・・・」

そういう会話を積み重ねていくというのはどうでしょうか。確かに時間はかなりかかるかもしれません。けど、こうやってひとつひとつの物と向き合うことで、やがて、これを機会に押し入れから出てきたものを含め、自分自身で部屋全体を整理しようと思うかもしれない。迂遠かもしれないが、こういう可能性に賭けてみる。これが心理療法に他ならない、ともいえるのではないでしょうか。

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タグ:こころ 考察
posted by かがみ at 23:22 | 心理療法

2015年10月04日

無意識という物語

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認知行動療法というのは基本的に無意識というものを対象としていないわけです。精神分析が無意識下に抑圧された幼少期の心的外傷体験などに遡っていくアプローチであることに対し、認知行動療法は逆で、過去のことはとりあえず置いておいて、とにかく現在の嫌な気分を産み出している認知という思考システムを将来へ向かって矯正する所に焦点が当てられる。

うつ病や不安障害に高い威力を発揮することで知られてる認知行動療法ですが、その基本的な考え方はごくごくシンプルで、「認知」すなわち状況に対する自動思考やこれを支えるスキーマ(中核信念)の歪みを論理的に反駁、代替的な適正思考を立てて、それを行動により確信に至らせることで認知の歪みを矯正するという、方法論としてはPDCAサイクルそのものです。従って、心理療法の域を超えて家事や恋愛に至るまで様々な局面で応用可能という汎用性の高さがあると思います。

ただ、自動思考やスキーマの歪みを矯正する際、その反駁に精神分析的な洞察を用いることはなお有益だと思います。目の前の他人の不可解な行動も防衛機制やコンプレックスという観点から見ると案外意外な観点で読み解けるものが多いはずです。例えば、わかりやすいのが本心と真逆の態度をとる反動形成。こういう機制が発動しているのであれば、それはもう嫌われているどころか、これはもうこの上なくめちゃくちゃ好かれていることになってしまいますよね。冷たくあしらわれたから嫌われているという自動思考をそういう観点から反駁していくわけです。

要は認知行動療法は方法論として優れているけれど、無意識を考えることは全く不要か?というとそうではないということです。無意識の底を洞察するということは、いわば、この現実を現象ではなく、物語として観るということ。仮にそれが事実ではなかったとしても、それでもなお、現実をものがたることによって、ものがたりが現実を変えていける可能性も決してゼロではない、そういうこともきっとあるでしょう。

こういうものを統合的心理療法というのかどうか知りませんけど、この辺りを少し考察するのもなかなか面白いかなと、そんなことを、最近思いました。
タグ:こころ
posted by かがみ at 02:53 | 心理療法

2015年09月25日

両価的感情の中に観る繊細性

人にちょっと冷たくされたらかなり気分が落ち込むというのは、認知行動療法でいう所の自動思考がかなり歪んでて、その根底には私は他人に必要とされていないという悲観的で不合理なスキーマ(中核信念)があったりするわけです。

なので、まずは自動思考から矯正していくことが認知行動療法の第一歩なんですが、「いやアレは忙しかったとか気付かなかったとかそんなもんじゃない、どう考えても明らかに自分はあの人に急に冷たくされた・・・」などと思わざるを得ないケースもやはりある。特にいわゆる両価的な態度についてはなかなか難しいところがあると思います。そういった場合の反駁の一つとして、たまたまその人が防衛機制を発動させていると察してみるのもいいかもしれない。

防衛機制 - Wikipedia

ジークムント・フロイトの提唱による防衛概念はそれ以後も末娘のアンナ・フロイトの自我心理学や、メラニー・クラインの対象関係論を経て発展し体系化されていきますが、フロイト系の精神分析理論では、人の社会行動は全ては畢竟、自我の防衛行動でして、いわゆる昇華の機制を始め、ユーモアや自己洞察なども、成熟した防衛行動ということになります。

一方でユング派は防衛概念自体は基本的には承認してはいますが、先に述べた昇華やユーモア、自己洞察などの肯定的な精神力動作用は、自我サイドが行う防衛というより、自己サイドから行われる自我の再統合作用と捉えているようです。

フロイトもユングも同じように無意識という領域の存在を前提とするわけですが、なんでこういった説明の違いが生じるかというと両者の無意識の捉え方が違うからです。すなわち、フロイト系の精神分析理論では、無意識というのは得たいの知れない真っ暗闇で、そこに自我理性の光を恃んで抗っていくという二元論的構図を取るんですが、集合的無意識と自己元型を承認するユング派は自我の不完全を自覚する一方で無意識の暗闇の中にも自己実現という一縷の光明を見出していく相補的ないし太極図的構図を取っているわけです。


そんな感じで、どうも話がだいぶ脱線してしまいましたが、やっぱりね、対人関係というのは親しければ親しいほど、難しいと思うんですよ。どんな状況でも通用する万能の処方箋なんてどこにもないし、時には理不尽でアンビバレンスな感情の光彩の中で一体どうすればいいのかうろたえることもあるでしょう。けれど、それもね、仔細に見てみると、それは或いは反動形成的なものだったり、或いは置き換えや投影同一視による感情転移ではないか、などと、いろいろな観点というものが出てくると思います。そうやって色々と思いを巡らせていくと、ある種の哀しみや繊細さを見出したりすることもあったりして、そうなるとその両価性がむしろ愛おしい個性にすら思えたりするのかもしれませんね。共感的に理解するとはそういうことなのかもしれません。

若干、論旨がよくわからない文になってしまった気もしますが、なんか、そういう覚書。秋も深まりつつありますこの頃、皆様、どうかご自愛を。

参考:神楽菓音:防衛機制概論

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タグ:こころ
posted by かがみ at 21:55 | 心理療法

2015年09月01日

【書評】河合隼雄「こころの天気図」。「ふうん」と聞くことの難しさ、素晴らしさ。

[新版]こころの天気図
河合 隼雄
PHP研究所
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長らく絶版本だったが今年装いを新たに復刻。かの名著「こころの処方箋」のアンサーソング的な立ち位置のエッセイ集ですが、こちらは聞き書きスタイルなので何ともふんわりとした優しい語り口に仕上がっています。

著者は言わずと知れた生粋のユング派分析家ですが、ユングのユの時も知らなくとも普通に良質な自己啓発本として読めます。けれども心理療法の知識素養が多少なりともあれば、また違った読み方もできて味わい深い。むしろ巷の心理療法の専門書などでは学術的正確性などの諸々の問題などから、なかなかぶっちゃけて書けない「理論体系の舞台裏」のようなものを詳らかにしているのが本書であるという言い方もできる。

例えば、「中心を外さず、ずっとそばにいる(217頁)」「『ふーん』の難しさ、素晴らしさ(213頁)」「自分が不安定なほど、相手を詮索する(216頁)」「ここぞという時、逃げない」「怒りも、時には解決のきっかけになる(130頁)」「にもかかわらず『やる』と決意する(133頁)」などといったパラグラフはロジャーズ三原則の極意のようなものへのゆるやかな連なりを感じる。教科書的に無条件受容、共感的理解、自己一致などといった概念を頭で理解しても、それは一体具体的にはどういった態度なのかを生き生きとイメージできなければ実際の人間理解の役には立たないでしょう。そういったイメージを豊かにする上で本書の河合先生の語りは有益な示唆を与えてくれています。
タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 00:14 | 心理療法

2015年08月30日

気分変調障害、ネガティブ思考という病

あらゆる物事を不思議なくらい悲観的に捉えるネガティブ思考で「この人はなんでそういう風に捉えるんだろう・・・」と首を傾げたくなるような人って周囲にいないですか?こういった慢性的なネガティヴ思考というはどうやら個人的性格の問題ではなく、気分変調性障害の症状である可能性が高いそうです。

これはかつては抑うつ神経症という名前で文字通り神経症圏の問題として捉えられていましたが、近年の研究において、脳内物質セロトニンの不足に起因するうつ病類似の構造が指摘されていまして、DSMにおいても1980年の第3版改訂において大うつ病障害と同じ気分障害の項に分類されています。

症状がうつ病ほどドラスティックでないところが逆にうつ病以上に厄介でして、多分に本人の性格の問題と誤解されてしまい、周囲から自信を持ってとか、前向きにとか、そういった「アドバイス」をよくされてしまうわけです。

ですけど、例えば深刻な頭痛で悩んでいる人に「頭痛など気にしないように」などというアドバイスがどれほど馬鹿げているかは誰でもわかると思いますが、要するにそういうことを普通にやってるわけです。当人にとってはネガティヴ思考というのはある種の症候群のようなものであり、いくらポジティブ思考とか言われたところで、そうしたくても出来ないわけでして、むしろ人並みにポジティブ思考が出来ない自分はやはり人間として駄目なんだとますますネガティヴ思考を深めるだけの悪循環を促進させるだけに終わってしまう。

気分変調性障害によるネガティヴ思考はあくまで病気の症状であり、パキシルとかジェイゾロフトなどでおなじみのSSRI系の抗うつ薬が大うつ病ほどではないにせよ、効果があるというエビデンスもあるらしいんですが、本人も病気ではなく性格の問題と認識しているので、来院に至るのが難しい。やれキャリアデザインだとかスキルアップだとか何かと色々急き立てられる時代性とも相性が悪いでしょうね。心理療法の観点からは、ネガティヴ思考の現状を否定せず理解するという意味で、無条件受容、共感的理解というものはもちろん重要なのはいうまでもないので、もしや、という人が身近にいたら、そういう認識も念頭に入れて優しく接してあげましょうね。

対人関係療法でなおす 気分変調性障害
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タグ:こころ
posted by かがみ at 20:45 | 心理療法