2016年04月11日

日本一わかりやすいラカン入門書

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)
斎藤 環
筑摩書房
売り上げランキング: 89,953


自称「日本一わかりやすいラカン入門書」。多分その看板にそこまで偽りはないと思いますが、何年も前の本ですし、いまさらこんなところで初学者が書評めいたことを書いてもどうかと思いますので、現時点での私的なラカン理解をノート風にまとめておきたいと思います。

要するに、我々(主体)は日々、位相が微妙にずれた三つのセカイを同時に生きているわけです。これをラカン用語で現実界、想像界、象徴界といいます。これは意識-前意識-無意識みたいな階層構造ではなく、互いにもたれかかった円環構造をなしており、三つのセカイは相互に連関しているとされます。

まず「現実界」は絶対に認識することは不可能な世界です。そうです、この「現実」は絶対にどんなことがあっても認識できない。

・・・もうなんかこの時点でお前は何を言っているんだという感じですが、これはちょっと考えればわかります。我々が日々暮らしているこの「現実のようなもの」は、感覚器官を通じて得た情報を脳内で「想像」したものに過ぎません。従って、我々がいま見ている「現実のようなもの」は「想像界」と呼ばれます。

そして、我々はこの現実を「言語(ラカンでいう「シニフィアン」)」というツールで理解する。例えば目の前に花が咲いているとします。我々はそれが「花」だと思う。ここに事象の認知→言語の選択という変換動作が介在するわけですが普段我々は「さあ今から目の前の『それ』を『花』だと理解するぞ」などと思ってやっていませんよね?従ってこの変換動作は無意識的なものということになります。つまり「言語」というのは無意識という別の世界(ラカンでいうところの「大文字の他者」)に存在するものというわけです。

さすがにこの辺りは精神分析の基礎理論がないとイメージしずらいかもしれませんが・・・ともあれ「言葉」とは何かを「象徴」するものであることからこの無意識的世界を「象徴界」と呼びます。文脈を外れたわけのわからないことを言う人を世間では「精神病」とか「統合失調症」などと言いますが、これは象徴界が壊れてボロメオの輪が外れかかっている現象と言えるわけです。また言語により現実全てを把握できるわけがなく、その掬い取りきれなかった残滓が欲望の原因と言うべき対象 a である・・・こういう理解で良いのでしょうか・・・?この辺りはまだよくわかっていませんので、他のいろんな本も読んでいって都度その成果(?)をここに書き連ねていきたい、などと思っています。

あとはもうどうでもいい私事ですが・・・昔、『ユリイカ』と言う雑誌で「魔法少女に花束を」っていうまどか☆マギカの特集があってて、その冒頭の評論を書かれていましたのが斎藤環さんです。その、内容はなんか・・・難しくてよくわからなかったんですけど、ただ「ラカン」と言うキーワードだけはよく憶えていて。いつかちゃんと勉強したいなって思いつつ、ようやく時ここに至るという感じでしょうか。ラカンに初めて触れた人は皆抱く印象なのかもしれませんが、本書でも何度か引用されているフランスの作家の言葉「変われば変わるほど、変わらない(Plus ça change, plus c'est la même chose.)」ならぬ「解れば解るほど、解らない」という、今はとりあえずそんな感じです。
タグ:こころ
posted by かがみ at 23:52 | 心理療法

2016年04月01日

原因論と目的論

アドラー心理学の特徴は言うまでもなく、その目的論思考にあります。例えば、引きこもりは何か過去のトラウマなどの「原因」があって部屋から出れないのではなく、対人関係に直面して傷つきたくないとか、両親に構って欲しいという「目的」の為、彼は部屋を出ないということになります。

この目的論については「では彼はなぜそのような目的を持ったのか」という「目的」を持つに至った「原因」があるのではないかという疑問が浮かんでくるでしょう?アドラー心理学は個人の判断・決定はその自律的主体性によるものという主体論を取りますから、おそらく先の問いに対しては「彼自身がそういうライフスタイルを取ると決めたから」という答えとなるとおもわれます。

しかしそれでもなお「何が彼のそういうライフスタイルを形成させたのか」という疑問はどこまでも残るわけです。これをフロイト風に「欲動」というかどうかは別として、どうしてもそこには個人の心的過程における意識レベルを超える無意識的な精神力動の存在を措定せざるをえないわけです。

ところで、フロイトとアドラーは一般的には「原因論」対「目的論」という2項対立で理解されますが、フロイトも言われているほど原因論ではないんですよね。確かに初期のフロイトは、幼少期の性的外傷体験が無意識下に抑圧されてヒステリーの核となるという「誘惑理論」なる説を提唱していましたが、ヒステリー患者の父親がみなロリコンというわけでもないでしょう。後にフロイトは誘惑理論を放棄し、ヒステリーの核となるのは実際の外傷体験ではなく、患者の「心的な現実」、言って見れば無意識下に抑圧されたファンタジーであるという風に自らの理論に訂正を加えてることになります。エディプス・コンプレックスなどは(これも結構誤解されていますが)まさに巨大なファンタジーといえるでしょう。

このあたりの変遷が一般的にはうまく理解されていないという点がフロイトの不遇といえば不遇なんですが、このような観点から言えば、目的と原因はいうほど2項対立的ではなく、相補性の原理により円環的に絡み合っているのが実相のように思えます。

個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド アドラー
アルテ
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タグ:こころ
posted by かがみ at 22:26 | 心理療法

2016年03月11日

【書評】『幸せになる勇気』。運命の人などいないのか、という問題。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
岸見 一郎 古賀 史健
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 5


「結論から申し上げますと、アドラーの思想はペテンです。とんだペテンです。いや、それどころか、害悪をもたらす危険思想と言わざるをえません。(本文より)」

現実に打ちひしがれ3年ぶりに「哲人」の書斎を訪れる「青年」。物騒な雰囲気の中で幕が上がる劇薬の哲学問答第二幕です。

前作『嫌われる勇気』についてはいまさら云々するまでもないでしょう。本書は前作の補完という位置付けなので、前作の方から先に読んでおくべきなのは言うまでもないです。逆に『嫌われる勇気』を読んだ後でアドラー心理学の関連本に色々と手を出した人が本書を読むと、知識的にはわりと知っていることばかりになってしまうので、哲学的(?)なインパクトは当然、前作ほどは無い、ということになります。むしろ、それらにいちいち驚愕、憤激する「青年」の初々しさが微笑ましく見えるでしょう。

けど、既存知識もこういう対話の形で読むと別の発見があるのはもちろんです。前半で特筆すべきは問題行動における5段階目的論の詳細な解説。知っている人にとっても良い復習になります。後半はライフタスク(人生の課題)への深い考察が展開されています。終盤の「愛のタスク」論に関しては、本書の中でも特に賛否が分かれるところでしょう。

「『運命の人』などいない」。そう平然と断じ去る「哲人」の「忌々しい洞察」には「青年」でなくとも素朴な反感を覚える人も多いと思います。勿論、「運命の人」の存在なんて科学的に証明しようが無いですけどね。ですけど、この言葉はそういうあたりまえな、シニカルな意味合いでは無いことは前作における「哲人」の「人生に特に意味など無い」という言葉の意味と合わせて考えると自ずと理解できるでしょう。アドラー心理学は決定論を退けて主体論を打ち出していますから、「運命」など最初から決まっていない、自らの決断で選びとるものだと、そういうことなんだと思います。

ちょっと話が逸れましたが、とにかく既知のアドラー関連の類書の中で、「愛のタスク」についてここまで深く切り込んだ洞察は寡聞にして知りません。もっともこのあたりはアドラーよりもエーリッヒ・フロムからの引用の方が多く、わりと岸見先生の独自性が出ているのかもしれないですね。

最後は割と淡々とした終わり方でしたが、すっきりした読後感はありました。いちおう前向きな感じで終わってはますが、「青年」のあまりの拗らせぶりにとうとう「哲人」が愛想を尽かしたという穿った見方もできなくはないですね(笑)
タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 01:44 | 心理療法

2016年02月24日

【書評】岩井俊憲『アドラー流一瞬で心をひらく聴き方』〜『幸せになる勇気』の予習にどうぞ。「リフレクション」+「勇気づけ」のアドラー流傾聴術。

アドラー流一瞬で心をひらく聴き方
岩井俊憲
かんき出版
売り上げランキング: 959


いろいろ言われることも多い、ヒューマンギルド代表の岩井氏の本ですけど、アドラー理論と傾聴技法を架橋しようという試みが感じられて、読んで損はなかったです。

前半4分の1位がアドラー理論の簡単な紹介であとは傾聴技法の解説。要点の箇条書きスタイルなので、あっという間に読める。一般的な傾聴技法の他に、アドラー心理学独自の「勇気づけ」や「課題の分離」という視点を取り入れている。

ビジネスシーンでアドラー理論を活用したい向けの実用書という感じなので、心理療法の深淵を極めて悩める人の力になりたいという人は、どうせ知っているコトばかりでしょうから別に読まなくてもいいと思います。アドラーの個人心理学の理論の深奥についてはこの本だけ読んでもわからないと思うので『嫌われる勇気』なり今度出る続刊の『幸せになる勇気』なり別途、読まれる方がよろしいんでしょう。

リフレクション中心のロジャーズ系の傾聴本を読んで物足りなさを感じている人には、得る物があるかもしれないですね。傾聴=ロジャーズの来談者中心療法(PCA)というのが一般的なイメージなんでしょうけど、PCAを本当に使いこなせるのはロジャーズ博士ご本人ただ一人といっても過言はないでしょう。あれを我々凡人がそのまま金貨玉条的に真似してしまうと、ただの「オウム返しをするだけの人」になってしまいますからね。

要するに、聴き手の適度な自己開示は必要なんですよ。リフレクションで話し手の心の深度を下げたはいいが、さてここからどうするかといった局面で「勇気づけ」という技法はかなり強力な武器になるかと思うんですよね。
タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 01:33 | 心理療法

2016年01月20日

【書評】『嫌われる勇気』。

フロイト・ユングと並び称され、欧米で絶大な支持をもつと言われるアドラーの個人心理学をソクラテスメソッドでわかりやすく説くというコンセプトで書かれてベストセラーとなった『嫌われる勇気』。続編については前々から出る出ると言われていましたが、タイトルは『幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』になった模様。

前作では「哲人」が語る「トラウマを否定する」「承認欲求も否定する」「叱ってもいけないが褒めてもいけない」「計画的な人生など不可能」「不幸な人は自分で不幸を選んでいるだけ」などといった「アドラーの教え」に対し「青年」がサディストだの危険思想だの悪魔的教唆だのと、いちいち憤激するという三文芝居がループする展開が普通に読み物として面白いんですが、続編では青年が3年ぶりに哲人と再会し、今度は「アドラーを捨てるべきか否か」などと更にめんどくさい人になって帰ってくる設定らしく、これはもう期待しないわけにはいかないでしょう。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 9


先の哲人の言葉にあるようにアドラーの主張は一見、常識へのアンチテーゼのようにも見えますが、現在の認知行動療法などアドラー心理学をあたかもマニュアル化したものではないのかと思うほど、心理療法的にはむしろ恐ろしく普遍性に満ちているといえるでしょう。なんでこの本が出るまで日本でアドラーがあまり知られていなかったのか不思議で仕方がないくらいに。フロイトと袂を分かち自由精神分析協会を立ち上げたところから始まった個人心理学ですが、現在の精神分析の主流派がフロイト的欲動論から徐々に離れて、アドラーの主張とどんどん親和性を帯びてきているという潮流もある意味うなずけます。

アドラーに言わせれば、「悩み」は過去のトラウマなどといった「原因」から生じるのではなく、人生の本当の課題に直面したくないという「目的」が作り出している「嘘」であり、その典型が「背が低いから運動ができない」とか「顔が悪いから異性にもてない」などといった劣等コンプレックスであるという。このような「だから私は何々ができない」という「言い訳」があれば、ひとまず自分の心を守ることができるからです。このような思考は認知行動療法でいうとところのスキーマあるいは自動思考の歪みに相当するものであり、その矯正のための方法論は現在数多く開発されていますが、これらは本質的にはアドラーのいう「ライフスタイルの転換」の変奏曲であって、要は本質的には同じものを手を替え品を替え「何とか療法」としてパッケージし直して出しているわけです。

アドラー自身が提示する処方はまず「課題の分離」であり、これは『嫌われる勇気』という書名にも繋がってきます。そしてその究極的な到達点は「共同体感覚」であるとされます。ここでいう共同体という概念は、学校、職場、地域社会のみならず、国家や人類などを包括した全てであり、時間軸においては過去から未来までも含まれ、さらには動植物や無生物まで含まれるという壮大なものです。これはアドラー心理学の鍵概念であり本書が言うように賛否両論あるなかなか掴み所のない概念ですが、多分、アルティメットまどかちゃんみたいな境地なんだと思うんですよね?共同体感覚って言葉を見た時に、なんかそういうまどかちゃんのイメージが浮かんで。アドラーの説く「幸せの定義」からすれば、イメージとしてはあながち間違ってはいない気がします。

タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 23:22 | 心理療法