2016年02月24日

【書評】岩井俊憲『アドラー流一瞬で心をひらく聴き方』〜『幸せになる勇気』の予習にどうぞ。「リフレクション」+「勇気づけ」のアドラー流傾聴術。

アドラー流一瞬で心をひらく聴き方
岩井俊憲
かんき出版
売り上げランキング: 959


いろいろ言われることも多い、ヒューマンギルド代表の岩井氏の本ですけど、アドラー理論と傾聴技法を架橋しようという試みが感じられて、読んで損はなかったです。

前半4分の1位がアドラー理論の簡単な紹介であとは傾聴技法の解説。要点の箇条書きスタイルなので、あっという間に読める。一般的な傾聴技法の他に、アドラー心理学独自の「勇気づけ」や「課題の分離」という視点を取り入れている。

ビジネスシーンでアドラー理論を活用したい向けの実用書という感じなので、心理療法の深淵を極めて悩める人の力になりたいという人は、どうせ知っているコトばかりでしょうから別に読まなくてもいいと思います。アドラーの個人心理学の理論の深奥についてはこの本だけ読んでもわからないと思うので『嫌われる勇気』なり今度出る続刊の『幸せになる勇気』なり別途、読まれる方がよろしいんでしょう。

リフレクション中心のロジャーズ系の傾聴本を読んで物足りなさを感じている人には、得る物があるかもしれないですね。傾聴=ロジャーズの来談者中心療法(PCA)というのが一般的なイメージなんでしょうけど、PCAを本当に使いこなせるのはロジャーズ博士ご本人ただ一人といっても過言はないでしょう。あれを我々凡人がそのまま金貨玉条的に真似してしまうと、ただの「オウム返しをするだけの人」になってしまいますからね。

要するに、聴き手の適度な自己開示は必要なんですよ。リフレクションで話し手の心の深度を下げたはいいが、さてここからどうするかといった局面で「勇気づけ」という技法はかなり強力な武器になるかと思うんですよね。
タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 01:33 | 心理療法

2016年01月20日

【書評】『嫌われる勇気』。

フロイト・ユングと並び称され、欧米で絶大な支持をもつと言われるアドラーの個人心理学をソクラテスメソッドでわかりやすく説くというコンセプトで書かれてベストセラーとなった『嫌われる勇気』。続編については前々から出る出ると言われていましたが、タイトルは『幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』になった模様。

前作では「哲人」が語る「トラウマを否定する」「承認欲求も否定する」「叱ってもいけないが褒めてもいけない」「計画的な人生など不可能」「不幸な人は自分で不幸を選んでいるだけ」などといった「アドラーの教え」に対し「青年」がサディストだの危険思想だの悪魔的教唆だのと、いちいち憤激するという三文芝居がループする展開が普通に読み物として面白いんですが、続編では青年が3年ぶりに哲人と再会し、今度は「アドラーを捨てるべきか否か」などと更にめんどくさい人になって帰ってくる設定らしく、これはもう期待しないわけにはいかないでしょう。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健
ダイヤモンド社
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先の哲人の言葉にあるようにアドラーの主張は一見、常識へのアンチテーゼのようにも見えますが、現在の認知行動療法などアドラー心理学をあたかもマニュアル化したものではないのかと思うほど、心理療法的にはむしろ恐ろしく普遍性に満ちているといえるでしょう。なんでこの本が出るまで日本でアドラーがあまり知られていなかったのか不思議で仕方がないくらいに。フロイトと袂を分かち自由精神分析協会を立ち上げたところから始まった個人心理学ですが、現在の精神分析の主流派がフロイト的欲動論から徐々に離れて、アドラーの主張とどんどん親和性を帯びてきているという潮流もある意味うなずけます。

アドラーに言わせれば、「悩み」は過去のトラウマなどといった「原因」から生じるのではなく、人生の本当の課題に直面したくないという「目的」が作り出している「嘘」であり、その典型が「背が低いから運動ができない」とか「顔が悪いから異性にもてない」などといった劣等コンプレックスであるという。このような「だから私は何々ができない」という「言い訳」があれば、ひとまず自分の心を守ることができるからです。このような思考は認知行動療法でいうとところのスキーマあるいは自動思考の歪みに相当するものであり、その矯正のための方法論は現在数多く開発されていますが、これらは本質的にはアドラーのいう「ライフスタイルの転換」の変奏曲であって、要は本質的には同じものを手を替え品を替え「何とか療法」としてパッケージし直して出しているわけです。

アドラー自身が提示する処方はまず「課題の分離」であり、これは『嫌われる勇気』という書名にも繋がってきます。そしてその究極的な到達点は「共同体感覚」であるとされます。ここでいう共同体という概念は、学校、職場、地域社会のみならず、国家や人類などを包括した全てであり、時間軸においては過去から未来までも含まれ、さらには動植物や無生物まで含まれるという壮大なものです。これはアドラー心理学の鍵概念であり本書が言うように賛否両論あるなかなか掴み所のない概念ですが、多分、アルティメットまどかちゃんみたいな境地なんだと思うんですよね?共同体感覚って言葉を見た時に、なんかそういうまどかちゃんのイメージが浮かんで。アドラーの説く「幸せの定義」からすれば、イメージとしてはあながち間違ってはいない気がします。

タグ:書評 こころ
posted by かがみ at 23:22 | 心理療法

2015年12月31日

無意識という灼熱の煉獄

年末の大掃除というのは普段いかにやっていないかという現実に直面する作業であって日頃の怠惰の帰結の前にただただ慄然とするしかないですが、その分、片付いた部屋を眺める時は物凄い達成感があるわけです。

これは心理療法においても同様なんでしょう。心理療法というのはまさにこころの大掃除であり、これまで、自我の統合性と引き換えに無意識の下に抑圧し続けていたドロドロのコンプレックスをいまさら直視しないといけないわけですから。これは絶大な痛みが伴う荊の道になる。

しかしそれでもこの無意識という灼熱の煉獄の中に腕を突っ込んで襲い来る痛みに耐え切り、奥底に潜むコンプレックスを引き摺り出した瞬間にその痛みはカタルシスへと昇華する。

成る程、素晴らしいことですが、ただ、部屋もこころも、1度にそんな大掃除をしなくてもいいように、常日頃から、こまめにお手入れしておくに越したことはないでしょう。要は汚れにくいシステムの構築しておくことが大事なのです。

大掃除の教訓を得て、とりあえず部屋にはこまめに掃除できるよう手の届く位置に雑巾を用意しました。こころにも、気軽にメンタルデトックスができるものを用意しておくことが大切なことなんでしょうね。

では、どうか皆様、良い年の瀬を( ^ω^ )

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posted by かがみ at 23:27 | 心理療法

2015年11月26日

コンプレックスとは「部屋の押し入れ」

コンプレックスというと、日本ではどうしてもアドラーの影響で「劣等感」というように理解されがちですが、フロイトにとってのコンプレックスがエディプスコンプレックスであったように、アドラーにとってのコンプレックスが劣等感であったともいえますし、中核的なコンプレックスというのは人それぞれということになるでしょう。

いずれにせよコンプレックスは意識領域を支配する自我の統合性を乱す厄介な存在です。周囲から人格円満と評される人物が、ある人が言い放った取るに足らない言葉に突然感情的に取り乱すというような事象をよく見かけますが、これはまさにコンプレックスが自我の統合を乱している典型事例と言えます。

このコンプレックスというのを人にどう説明するかというのはなかなか難問だと思います。定義的に「無意識下に抑圧され、個人的感情に色付けられた心的複合体」などと言ったところで、普通の人はそこにどれだけのイメージを持ち得るのか?ということです。そういう機会を得て色々思案していたんですが、ふと、例えで言えばコンプレックスとは「部屋の押し入れのようなもの」だと説明するのが適当な気がしました。まず部屋を綺麗にしたければ、要らないものをさし当り押し入れに押し込むのが最も手っ取り早いでしょう。精神分析でいう抑圧です。ところが、そういうことを繰り返していけばやがて押し入れの中はごちゃごちゃした不要物でいっぱいとなっていき、ある日、ついに時が訪れる。押し入れの襖は弾け飛び、溢れ出た大量の物で部屋は見るも無残なカオスと化す。これがコンプレックスが顕在化した状態です。

それでは、その時に、あなたが彼の部屋を見たとして、「汚いなあ、片付けろ」などと普通に正直なことを言ってしまったらどうなるんでしょうか?多分、彼は憤激するか赤面するか、何れにせよ、とにかく大急ぎで溢れ出たものを、再び押し入れに押し込むでしょう。1番手っとり早く部屋は片付きますが、根本的には何も解決していない。

他方で、片付けられないその人に変わってあなたが全部片付けてあげるという選択肢もあるでしょうね。一見親切ですが、あなたはその人が押し入れの中を片付ける能力を身につけるという、またとない機会を奪ったとも言えます。これからも彼は不要なものはまた押し入れに溜め込み、近い将来、再び押し入れが崩壊するでしょうね。

以上に対して、次のやり方はかなり回りくどい方法になります。部屋中にあふれかえった物の中から何かを拾い上げて「このオモチャ可愛いですね?これは何歳の頃に買われたんですか?」と聞いてみる。そうすると「ああ、それは4歳の頃に母親に買ってもらって・・・」という答えが返ってくるかもしれません。またひとつ拾い上げてみる。「では、このネクタイは?」「それは就職した歳にその時付き合っていた彼女に・・・」

そういう会話を積み重ねていくというのはどうでしょうか。確かに時間はかなりかかるかもしれません。けど、こうやってひとつひとつの物と向き合うことで、やがて、これを機会に押し入れから出てきたものを含め、自分自身で部屋全体を整理しようと思うかもしれない。迂遠かもしれないが、こういう可能性に賭けてみる。これが心理療法に他ならない、ともいえるのではないでしょうか。

コンプレックス (岩波新書)
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タグ:こころ 考察
posted by かがみ at 23:22 | 心理療法

2015年10月04日

無意識という物語

図解 やさしくわかる認知行動療法

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認知行動療法というのは基本的に無意識というものを対象としていないわけです。精神分析が無意識下に抑圧された幼少期の心的外傷体験などに遡っていくアプローチであることに対し、認知行動療法は逆で、過去のことはとりあえず置いておいて、とにかく現在の嫌な気分を産み出している認知という思考システムを将来へ向かって矯正する所に焦点が当てられる。

うつ病や不安障害に高い威力を発揮することで知られてる認知行動療法ですが、その基本的な考え方はごくごくシンプルで、「認知」すなわち状況に対する自動思考やこれを支えるスキーマ(中核信念)の歪みを論理的に反駁、代替的な適正思考を立てて、それを行動により確信に至らせることで認知の歪みを矯正するという、方法論としてはPDCAサイクルそのものです。従って、心理療法の域を超えて家事や恋愛に至るまで様々な局面で応用可能という汎用性の高さがあると思います。

ただ、自動思考やスキーマの歪みを矯正する際、その反駁に精神分析的な洞察を用いることはなお有益だと思います。目の前の他人の不可解な行動も防衛機制やコンプレックスという観点から見ると案外意外な観点で読み解けるものが多いはずです。例えば、わかりやすいのが本心と真逆の態度をとる反動形成。こういう機制が発動しているのであれば、それはもう嫌われているどころか、これはもうこの上なくめちゃくちゃ好かれていることになってしまいますよね。冷たくあしらわれたから嫌われているという自動思考をそういう観点から反駁していくわけです。

要は認知行動療法は方法論として優れているけれど、無意識を考えることは全く不要か?というとそうではないということです。無意識の底を洞察するということは、いわば、この現実を現象ではなく、物語として観るということ。仮にそれが事実ではなかったとしても、それでもなお、現実をものがたることによって、ものがたりが現実を変えていける可能性も決してゼロではない、そういうこともきっとあるでしょう。

こういうものを統合的心理療法というのかどうか知りませんけど、この辺りを少し考察するのもなかなか面白いかなと、そんなことを、最近思いました。
タグ:こころ
posted by かがみ at 02:53 | 心理療法