2016年06月17日

劣等コンプレックスと認知行動療法

個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド アドラー
アルテ
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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健
ダイヤモンド社
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【書評】アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』〜劣等感と劣等コンプレックスは違う: かぐらかのん

『嫌われる勇気』の続編タイトルは『幸せになる勇気』。例の「青年」は更にめんどくさい人になって帰ってくる模様。: かぐらかのん

「すべての人は劣等感を持っている。しかし、劣等感は病気ではない。むしろ、健康で正常な努力と成長への刺激である。無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人を落ち込ませ、成長できないようにする時、初めて、劣等感は病的な状態となるのである。(個人心理学講義:45頁)」

「現在、わが国では『コンプレックス』という言葉が、劣等感と同義であるかのように使われています。ちょうど『わたしは一重まぶたがコンプレックスです』とか『彼は学歴にコンプレックスを持っている』というように。これは完全な誤用です。本来コンプレックスとは、複雑に絡み合った倒錯的な心理状態を表す用語で、劣等感とは関係ありません。(嫌われる勇気:81頁)」


まずよく言われる「劣等感と劣等コンプレックスは違う」というのはどういうことかという問題について、アドラー心理学の基礎理論から順を追って考えてみましょう。

フロイトは人の根本衝動をおなじみ「性的欲動」と位置付けましたが、これに対しアドラーは人の根本衝動を「優越性の追求」であるとしました(・・・本当は2者択一の関係ではないと思うんですが、話がごちゃごちゃになるのでまた別の機会に)。

ともかく優越性の追求は「自己のあるべき理想」に向けて行われる自己実現衝動ともいうべきものです。

そして優越性の追求と表裏の関係にあるのが「劣等感」です。優越性を追求するということは、現状は「自分の思い描く理想には程遠い」という自己認識があるから、優越性の追求が存在するということは劣等感が存在するということなんですね。

別に「自己のあるべき理想」なんて高尚なもの持っていない・・・などと仰る方もいるかもしれませんが、なんにも「劣等感」を感じないということはないでしょう。「劣等感」とはドイツ語で「Minderwertigkeitsgefühl(価値がより少ない感覚)」といい、「理想と現状の落差を認識している状態」に他なりません。どんなひとにでも無自覚的・無意識的なものかもしれませんが「あるべき理想」というものは持っています。

こうした「あるべき理想」への優越性の追求(劣等感)の結果、そのひとの個人的な傾向、世界観が形成されていきます。これを「ライフスタイル」と呼ぶ。このライフスタイルこそが認知行動療法でいうところのスキーマに相当します。

そして何らかの理由でー「無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人落ち込ませ、成長できないようにする時」ーこのライフスタイルが拗れてしまった状態が「劣等コンプレックス」ということになります(場合によっては、その劣等感を補償するために優越コンプレックスが出現します)。

こうして順を追っていけば、劣等感と劣等コンプレックスは全く違うレベルの問題であることがわかります。劣等感を持つというのは健全な状態ですが、これが拗れて劣等コンプレックスになるのがまずいというわけです。

以上をすごく乱暴に定式化してしまうと「歪んだライフスタイル=歪んだスキーマ=劣等コンプレックス」という風に理解が可能かと思われます。

つまり、認知行動療法の治療目標がスキーマの適正な上書きにあるのと、ほとんどパラレルな関係で、アドラー心理学の目的はライフスタイルの適正な上書きということになります。アドラー心理学が認知行動療法の源流と言われますが、こうしてみると基本モデルは全く同じということがわかる。

アドラー心理学の独自性は「望ましいライフスタイル」の積極的な提案という点にあるでしょう。これが「共同体感覚」であり、共同体感覚を育むための援助の方法を「勇気づけ」と呼ぶわけです。


アドラー本人の著作である『個人心理学講義』は総評的には「読みづらい」とかまあ、言われますけど、今述べた優越性の追求、劣等感、劣等コンプレックス関係の箇所の解説に関して言えばものすごくわかりやすいです。『嫌われる』の補足にお勧めです。
タグ:こころ
posted by かがみ at 22:11 | 心理療法

2016年06月14日

「叱ってはいけないし、褒めてもいけない」というのは「何もしなくていい」というわけではない

アドラー心理学にハマって離婚危機に!? 実践して大失敗しちゃった人たちの悲痛な叫び - 新刊JPニュース

アドラー心理学の強みはスティーブジョブズのプレゼンとかに通じるそのシンプルな教えにありますが、「シンプル」であればあるほど誤解される可能性も大きくなる危険はあるわけです。

記事中の失敗例をやや註釈しますと、要するに、アドラー理論の色んな前提がすっ飛ばされて、「褒めてはいけない」とか、「他者信頼」とか、そういうキャッチコピーだけを「実践」したという感があります。

「褒めてはいけない」ではなくて、「勇気付ける」ということなんですよ。間違っても不作為に放ったらかしにするわけではない。そして、何が勇気付けになるかはその時その状況における発信者と受信者の相関関係で決せられるわけでして、「褒め言葉」や「勇気挫き」と言われる言葉でも、状況次第で勇気付けとなるケースもあります。

こういう判断は認知論や主体論といったアドラー心理学の基礎理論についてある程度の素養があってこそ、よくなし得るものであり、要するに勇気付けるというのは単に褒めることよりも遥かに難しいんですよね。

で、「他者信頼」というのも、あくまで「交友のタスク」の支配原理なので「仕事のタスク」に無条件に適用すべきものではない。「仕事のタスク」の起源は「個体として劣った人類が過酷な自然環境を生き延びるため」なので、当然、優先されるべきは条件付きの「信用」なのです。

ええっと、この辺りは「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」をきちんと読み込めば解るはずなんですけどね・・・?アドラー心理学はあくまで心理学的法則に則った「ルール」なので、適用条件を誤れば当然、誤った結論しか出てこないわけです。

アドラー臨床心理学入門
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タグ:こころ
posted by かがみ at 00:41 | 心理療法

2016年06月01日

【書評】アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』〜劣等感と劣等コンプレックスは違う

個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド アドラー
アルテ
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本書は成立における諸般の事情も相まって「読みにくい」とか「体系だっていない」という評価もありますが、それはその通りだと思います。また『嫌われる勇気』で大きくクローズアップされている、勇気づけ、課題の分離などについてはあまり立ち入った考察はされていないです。

よってアドラー理論を生活の中でいますぐ役立てたいという人向きではないと思います。ただ、アドラー理論の中核である、優越性の追求からライフスタイルの形成、劣等コンプレックスに至るまでの論証はとても詳細でわかりやすい。

フロイトの精神分析によれば、人の根本衝動はおなじみ「性欲」とされますが、アドラーはこれを否定して、人の根本衝動を「いまよりより良くなろう」とする「優越性の追求」であるとする。

つまり、人はあくなき優越性を追求する生き物であり、逆に言えば現状に常に満足していない。これを称して「劣等感」という。劣等感は否定されるべき感情ではなく、より良くなろうとする優越性の追求と裏表の関係(相補的関係)にあります。

そして優越性の追求(劣等感)の結果、形成された個人的な信念や世界観をライフスタイルと呼び、何らかの挫折経験でライフスタイルを拗らせてしまった状態が「〜だから俺はダメなんだ」という劣等コンプレックスと呼ばれるものということになります(そういう意味で劣等コンプレックスというものは精神分析でいうエディプスコンプレックスとは位相を異にするものであり、どちらが根本的なコンプレックスかという二者択一的な議論はやや的外れのように思えます)。

やや話が逸れましたが、こういったアドラー心理学の根本を為すともいえるロジックが本書において実に詳細に展開されている。アドラー自身が本書の結語で述べている通り、個人心理学の方法論は劣等感の問題に始まり、劣等感の問題に終わるということがよく理解できる。本書でアドラーに入門するのはお勧めできないですが、参考書としては必読ともいえるでしょう。
posted by かがみ at 05:11 | 心理療法

2016年05月31日

【書評】向井雅明『ラカン入門』。

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)
向井 雅明
筑摩書房
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「入門」とは銘打っているものの、初心者には難しい。なんかラカンってサブカル評論でよく出てくる名前だし、さくっと全体像だけ掴みたいな的なニーズには向かない本かもしれません。もちろんそれだけ濃密な内容ということなので、一通りの全体像を見渡せるようになってもう一度再読すればかなり勉強になりそう。

最初読んだときは文章が若干回りくどいと感じられて、読書メーターでも申し訳ないことに初読の率直な感想をそのままにそういう書評を書いてしまったんですが、その後、新宮本やフィンク本などに当った後に再読するにあたって思うのはこれは多分、ラカニアンの方の中では相当わかりやすい部類なんじゃないでしょうか、ということです。かなり誠実に書かれているように思う。本書はもともと「ラカン対ラカン」という表題で出版されたものの改訂版であり、奇怪難解で知られるラカンの理論体系をラカン自らを以って明らかにしようとした試みでもあります。

ラカン読解の手順としてはとりあえず現実・想像・象徴といった例の三幅対を抑えた後は前期理論の集大成と言われる「欲望のグラフ」の解析に取り組むべきなんでしょうかね・・・向井さんは欲望のグラフについて本書でかなりのページを割いて丁重に解説されています。

欲望のグラフにせよ父性隠喩にせよ、ラカンの理論の中核は一貫してフロイトのエディプスコンプレックスの構造的・理論的解明なんですよ。いまどきエディプスコンプレックスなんて大真面目に言うと嘲笑されるのかもしれませんが、そもそもあれは分析主体の個人的経験として理解するべきではないんでしょう。人間に先天的に内在する母性原理と父性原理の止揚の過程における一つの神話的な説明であるというという理解であれば、ある程度、納得できる部分もあると思われます。
タグ:こころ
posted by かがみ at 01:45 | 心理療法

2016年04月11日

日本一わかりやすいラカン入門書

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)
斎藤 環
筑摩書房
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自称「日本一わかりやすいラカン入門書」。多分その看板にそこまで偽りはないと思いますが、何年も前の本ですし、いまさらこんなところで初学者が書評めいたことを書いてもどうかと思いますので、現時点での私的なラカン理解をノート風にまとめておきたいと思います。

要するに、我々(主体)は日々、位相が微妙にずれた三つのセカイを同時に生きているわけです。これをラカン用語で現実界、想像界、象徴界といいます。これは意識-前意識-無意識みたいな階層構造ではなく、互いにもたれかかった円環構造をなしており、三つのセカイは相互に連関しているとされます。

まず「現実界」は絶対に認識することは不可能な世界です。そうです、この「現実」は絶対にどんなことがあっても認識できない。

・・・もうなんかこの時点でお前は何を言っているんだという感じですが、これはちょっと考えればわかります。我々が日々暮らしているこの「現実のようなもの」は、感覚器官を通じて得た情報を脳内で「想像」したものに過ぎません。従って、我々がいま見ている「現実のようなもの」は「想像界」と呼ばれます。

そして、我々はこの現実を「言語(ラカンでいう「シニフィアン」)」というツールで理解する。例えば目の前に花が咲いているとします。我々はそれが「花」だと思う。ここに事象の認知→言語の選択という変換動作が介在するわけですが普段我々は「さあ今から目の前の『それ』を『花』だと理解するぞ」などと思ってやっていませんよね?従ってこの変換動作は無意識的なものということになります。つまり「言語」というのは無意識という別の世界(ラカンでいうところの「大文字の他者」)に存在するものというわけです。

さすがにこの辺りは精神分析の基礎理論がないとイメージしずらいかもしれませんが・・・ともあれ「言葉」とは何かを「象徴」するものであることからこの無意識的世界を「象徴界」と呼びます。文脈を外れたわけのわからないことを言う人を世間では「精神病」とか「統合失調症」などと言いますが、これは象徴界が壊れてボロメオの輪が外れかかっている現象と言えるわけです。また言語により現実全てを把握できるわけがなく、その掬い取りきれなかった残滓が欲望の原因と言うべき対象 a である・・・こういう理解で良いのでしょうか・・・?この辺りはまだよくわかっていませんので、他のいろんな本も読んでいって都度その成果(?)をここに書き連ねていきたい、などと思っています。

あとはもうどうでもいい私事ですが・・・昔、『ユリイカ』と言う雑誌で「魔法少女に花束を」っていうまどか☆マギカの特集があってて、その冒頭の評論を書かれていましたのが斎藤環さんです。その、内容はなんか・・・難しくてよくわからなかったんですけど、ただ「ラカン」と言うキーワードだけはよく憶えていて。いつかちゃんと勉強したいなって思いつつ、ようやく時ここに至るという感じでしょうか。ラカンに初めて触れた人は皆抱く印象なのかもしれませんが、本書でも何度か引用されているフランスの作家の言葉「変われば変わるほど、変わらない(Plus ça change, plus c'est la même chose.)」ならぬ「解れば解るほど、解らない」という、今はとりあえずそんな感じです。
タグ:こころ
posted by かがみ at 23:52 | 心理療法