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2026年02月26日

交換・誤配・享楽、あるいは世界を制作しなおすということ



* 4つの交換様式

戦後日本を代表する文芸批評家の1人である柄谷行人氏はデビュー作『畏怖する人間』(1972)において小林秀雄、江藤淳、吉本隆明に続く次世代を担う評論家として注目されますが、氏にとって文芸批評とは単なる文学作品の解釈でなく、あくまで自身の実存的な危機意識に基づく「存在の自覚」「自己の資質の検証」というべき思索であり、やがて氏は文芸批評そのものからの脱却を試みるようになり、この脱却作業において「他者」や「外部」といった概念が提出されることになります。さらに、こうした「他者」や「外部」の問題は後期になると、それらとの邂逅や交流の問題へとシフトして、ついには共同体と共同体のあいだの「交換」という問題に行き着きます。

柄谷氏は後期の主著である『世界史の構造』(2010)において「交換様式A(互酬)」「交換様式B(略取-再配分)」「交換様式C(商品交換)」という3つの「交換」のあり方から社会や歴史を論じています。ここでいう「交換様式A(互酬)」とは北アメリカの北西岸に広がる「ポトラッチ」のように互いに贈与をし合う「交換」をいい「交換様式B(略取-再配分)」とは王と臣民の関係のように征服者が略取によって得た富をあらためて自分に従う側に再配分する「交換」をいい「交換様式C(商品交換)」とは近代市民社会に広く流布している貨幣を媒介とする「交換」をいいます。

このような「交換」の三つ組の概念はもともと経済人類学者カール・ポランニーによって社会統合の基礎概念として提出されたものですが、柄谷氏はこの概念を利用しながらもポランニーとは異なった独自の構想を発展させていくことになります。この点、柄谷氏によればこれら3つの「交換」はそれぞれが持つ固有の権力に基づいた社会を構成することになります。すなわち、まず「交換様式A(互酬)」は「掟」に基づく「ネーション」を構成します。次に「交換様式B(略取-再配分)」は「暴力(武力)」に基づく「国家」を構成します。そして「交換様式C(商品交換)」は「貨幣」に基づく「資本」を構成します。そして近代社会においてはこれらの3つの「交換」が三位一体として一つの複合体を構成しており、このような「交換」の複合体を柄谷は「ボロメオの環」に準えています。

このように柄谷氏は近代における「交換様式A(互酬)」「交換様式B(略取-再配分)」「交換様式C(商品交換)」からなる共時的な相補的構造を論じるとともに、同じ交換様式論を使って近代に至るまでの社会構成体の通時的な展開過程を説明します。

ここで氏はカール・マルクスが『経済学批判』で挙げている初期氏族社会の無階級原始社会、農業と専制を特徴とするアジア的生産様式、古代の奴隷制社会、中世の封建制、ブルジョワ的資本主義的生産様式といった5つの発展形態を踏まえつつ、自身の立てた交換様式論に照合して社会構成体の展開過程を次のように分類します。

すなわち⑴交換様式A(互酬)を特徴とする氏族的社会構成体と⑵交換様式B(略取-再分配)を特徴とするアジア的社会構成体、古典古代社会構成体、封建的社会構成体と⑶交換様式C(商品交換)を特徴とする資本主義的社会構成体という分類です。その上で氏は交換様式A(互酬)を特徴とする氏族的社会構成体において「定住」を強調します。つまり、論理的にはそれ以前には「定住」がなかった遊動的な段階があることを想定しています。

こうして交換様式Aの彼岸に「遊動民」という特別な観念が立ち上がることになります。そしてこのような「遊動民」によって行われる「交換」のあり方を氏は「交換様式D(氏はしばしこれをXと表現しています)」として位置付けます。

この新たに立てられた「交換様式D(ないしX)」には「交換様式A」と同じく互酬の原理が当てられていますが「交換様式D」は「交換様式A」への単純な回帰ではなく、それを否定しつつも、高次元において回復するものであると氏はいいます。すなわち、交換様式Dとは定住を開始する前の遊動民にみられる「交換」のあり方です。遊動民においては生産物を蓄積することができないため、その生産物は共同体間で平等に分配されることになります。また他の部族と遭遇した場合に戦争を避けるために贈与を行うことがあったとしても、その遭遇は一期一会のものであるため、返礼の義務は発生しません。このように遊動民は交換様式Bや交換様式Cとは無縁であり、つまり交換様式Dは資本制的な結合体に回収されないものとなります。

そして、このような「交換様式D」に対応する社会構成体ないし運動体を氏は「アソシエーション」と呼び、その理念を体現する「遊動民」の範例をかつて柳田国男が探求した山人論ないし固有信仰論に見出していきます。

もっとも柄谷氏自身は具体的にこの「交換様式D」につきあいまいな規定しか明示しておらず「アソシエーション」とはいかなる実践を表すのかという問いはいまだに開かれています。現代において交換様式Dは具体的にいかなる実践として捉えられるべきでなのでしょうか。


* 誤配と訂正可能性

日本における現代思想の古典的名著『動物化するポストモダン』(2001)で知られる哲学者・批評家の東浩紀氏は近年において、この交換様式Dを「誤配」から捉え直す議論を提出しています。氏は『観光客の哲学』(2017年)において現代を「ナショナリズム」と「グローバリズム」という二つの層が折り重なって併存する「二層構造の時代」と位置づけ、今世紀初頭に世界的ベストセラーとなったアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著『帝国』(2000)が描き出すグローバリズム(帝国)における市民運動の担い手である「マルチチュード」を先行モデルとしつつも、ネグリたちのいう「マルチチュード(否定神学的マルチチュード)」が抱え込む神秘主義的な欠陥を回避すべく、ネットワーク理論の知見を導入し、人間社会というネットワークの「つなぎかえ=誤配」を担う主体である「観光客(郵便的マルチチュード)」を構想しました。

続いて同書は「観光客」のアイデンティティを「家族」という言葉に求め、その構成原理として「強制性」「偶然性」「拡張性」の3つを挙げています。人は皆何かしらの形で「家族」に属していますが、その「家族」は一方的に押し付けられるものであり(強制性)、その選択に必然的な理由はありません(偶然性)が、その境界は実に柔軟であるともいえます(拡張性)。すなわち、ある視点から見れば閉鎖的で抑圧的な共同体であり、別の視点で見れば開放的で自由な共同体でもある「家族」の構成原理はこのように調和しない3つの性格が共存しているということです。

ここから同書は柄谷氏のいう「ネーション」「国家」「資本」とは、それぞれ同書のいう「家族」「国家」「市民社会」に対応するものであるとして、柄谷氏のいう「アソシエーション」を「家族」の「高次元での回復」として捉え直します。換言すれば、柄谷氏のいう「交換様式D」は観光客のもたらす「誤配」から捉え治されるということです。

そして東氏は同書の続編である『訂正可能性の哲学』(2023年)において「観光客」がもたらす「誤配」の作用をルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとソール・クリプキの言語哲学を参照し「訂正可能性」という概念から理論化しています。20世紀を代表する哲学者の1人であるウィトゲンシュタインは後期の代表的著作である『哲学探究』(1953)において「人は言語を使ったゲームをルールを知らないままプレイしている」という驚くべき主張を行い、こうしたウィトゲンシュタインの発見をクリプキは『ウィトゲンシュタインのパラドックス』(1982)において「ルールとは共同体がプレイヤーを選別することではじめて確定する」という裏返った共同体論によって論証しました。

もっとも、このような「訂正」は共同体からプレイヤーに向けられるだけではなく、同時にプレイヤーから共同体に向けられることにもなります。すなわち、共同体のルールとは静的に確定したものではなく、常に動的に流動するものであり、しかもいつの間にか「じつは・・・だった」という形で更新されてしまう「訂正可能性」を孕んでいるということです。

確かに柄谷氏が交換様式Dの理念を体現する遊動民にみられる「交換」のあり方は、交換というよりむしろ「誤配」といった方が相応しいようにも思えます。そしてそこにはもちろん、共同体間のルール、あるいは共同体同士のルールが「じつは」の論理で更新されていく「訂正可能性」を見出すこともできるでしょう。


* 享楽社会と分析家のディスクール

また精神病理学者の松本卓也氏は『享楽社会論』(2018)においてフランスの精神分析家ジャック・ラカンの理論を援用し、柄谷氏のいう「交換様式D」はちょうどラカンが「分析家のディスクール」を「資本主義からの出口」と評したことに対応するとしています。

精神分析を創始したオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトはヒステリーをはじめとする神経症の治療を試行錯誤していく中で神経症患者の心的現実を基礎付ける根源的衝迫を「欲動」と規定し、ラカンはこうした欲動が満たされた状態を「享楽」と名付けました。もっとも、こうしたフロイト=ラカンの観点からすれば欲動の本質とは「死の欲動」であり、その性質上、欲動の完全な満足という事態はあり得ません。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義でした。

こうしたことから1960年代中盤までのラカン理論においてはあくまで享楽とはシニフィアンの取り逃した〈もの〉としての現実界の側にあり、シニフィアンの世界である象徴界からは「対象 a 」を通じて辛うじて「侵犯」することができるものとして捉えられていました。ところがラカンは1960年代後半から、社会における様々な言説(ディスクール)を分類した「4つのディスクール」の理論を導入する事で、享楽とはむしろシニフィアンという装置により「生産」されるものとして捉え直すことになります。

4つのディスクール.png

ここでいうディスクールとはその字義通りの言説のみならず広い意味での社会的紐帯のあり方を意味しています。すなわち、主人のディスクールは主体の構造を、大学のディスクールは強迫神経症者のあり方を、ヒステリー者のディスクールはヒステリー者のあり方を、分析家のディスクールは精神分析の構造を、それぞれ示しています。

さらに上記の4つのディスクールが出そろったのちに、ラカンは「新しい主人のディスクール」と言うべき「資本主義のディスクール」を提出します。この資本主義のディスクールにおいて「主体($)」が「主人(S1)」に向けて述べたてる要求は統計学的処理によってデータベース的「知(S2)」を構成し、その最適解として市場には新製品や新サービスという「対象(a)」が氾濫することになります。

資本主義のディスクール.png

こうして資本主義システムにおける享楽とは、もはや到達不可能なジュイサンスではなく大量生産されるエンジョイメントへと変容し、こうした享楽の変容のもと、人々は獰猛な超自我に「享楽せよ!」と命じられるままに、市場に氾濫する対象 a の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送ることになるのでしょう。

このようなエンジョイメントとしての「享楽」が氾濫する社会を同書は「享楽社会 society of enjoyment」と呼びます。その上で同書はこうした「享楽社会」からの突破口を「分析家のディスクール」に見出しています。ここでいう分析家のディスクールとは例えば「エディプス・コンプレックス」のような既存の知(S2)の専制を脱し、主体の自体性愛的な享楽(身体の出来事)が刻まれた一つのシニフィアン(S1)を析出させる営為ですが、ここで析出されたシニフィアン(S1)こそがラカンのいう〈一者〉的な、ひとつきりの享楽のシニフィアンであり、新たな主体化の核となり己の人生を非エディプス的なかたちで特異的=単独的なかたちで新たに生き直すことを可能とするものです。

換言すればそれは人々を画一的な「すべて」にしようとするエディプス的な力に抗い「すべてではない(すなわち、決して「すべて」を構成しない)」生のあり方を発明し、それを生きることにつながるであろうと氏は述べています。このように来るべき新たなシニフィアンは「すべて」の論理によって構成される世界を「すべてではない」ないものとして撹乱し、世界の見え方を根底から変えてしまうポテンシャルを持っており、ちょうど革命的な作家がまったく新しい文学を創作するときのように、それを知る前と知った後では世界の見方が一変してしまうようなシニフィアンを到来させることがオルタナティヴを可能にするのであるということです。

ここにはまさに「誤配」による「訂正可能性」のメカニズムを見出すことができるでしょう。世界は常に「じつは」の論理で変わっていくということです。


* 自由になるための自己破壊としての「深い勉強」

そして千葉雅也氏は『勉強の哲学』においてこのような「分析家のディスクール」を理論的基盤として同書が「深い勉強」と呼ぶ「有限化」の技法を提示しています。同書は受験勉強や資格試験や生涯学習などといった人生における何かしらの局面において「勉強」が気になっているすべての人を「深い勉強(ラディカル・ラーニング)」へと誘う本です。

まず同書は「勉強」の本質とは人が「自由」になるための「自己破壊」であると規定します。すなわち、人がその生において多様な可能性を開いていく上では、これまでの自分を壊していく必要があるということです。そして、こうした「自由」とは自身が現在置かれた「環境」に「いながらにして距離を取る」ことから生じるものであると同書はいいます。

ふつう我々は日々、学校や会社や家庭といったある一定の「環境=他者関係」の中で「こういうもんだ」というある種のお約束に従って生きています。このようなお約束を同書は「環境のコード」と呼び、こうした「環境のコード」への依存を「ノリ」と呼ぶ。そして、こうした「環境のコード」から生じる「ノリ」から「自由」になるための鍵として同書は「言語」に注目します。

そもそも人は「言語」を通じて特定の環境におけるノリを身につけます。けれども「言語それ自体」はこの現実(と思っている世界)とは異なる秩序に属しています。つまり、ある環境における言語の意味づけは必然的ではなく、その「意味」はいつでもバラしてしまうことが可能であるということであるということです。こうしたことから同書のいう「深い勉強」とは言語の持つ解放的な力について考えるところから始まります。

この点、いわゆる一般的にいう「勉強」とはある「ノリ」から別の「ノリ」へ引っ越すという事を意味しています。これに対して同書は、このような「ノリ」と「ノリ」の「あいだ」に注目します。そこには「環境のコード」から切り離された「ただの音」としての「言語」があります。そして本書はこの「ただの音」としての「言語」を様々な意味を生み出す可能性を秘めた「器官なき言語」と呼びます。

通常、人はある環境の中で言語を「道具的」に使用しています。しかし、そのような環境から切り離された時、人は言語を「玩具的」に使用できるようになります。すなわち「深い勉強」とはこうした意味での「言語」との出会い直しによって、これまでの環境のノリを引き剥がし、自己目的的なノリを獲得する「自己破壊」を目指す営みになるということです。

* アイロニー・ユーモア・享楽

そして、このような同書のいう「深い勉強」は「アイロニー」「ユーモア」「享楽」を頂点とする「勉強の三角形」によって成り立っています。まず、ここでいう「アイロニー」とは、いわゆる「ツッコミ」のことです。日常の場面で生起する様々な「こういうもんだ」という「環境のコード」にツッコミを入れて、それをなるべく大きく抽象的なキーワードとして括り出して行くことで勉強のテーマを見つけていきます。

けれども、ここで注意すべきなのはアイロニーをやり過ぎないという事です。アイロニーによって「環境のコード」の根拠を疑った結果、その上位コードである「超コード」が出現し、この「超コード」に対してさらにアイロニーを入れると、さらなる「超コード」が出現するというように、そのプロセスは無限に遡行して、最終的に言語の意味づけは「無意味(言語なき現実のナンセンス)」に至ってしまいます。

そこで時に人は「アイロニーの有限化」により特定の価値観を絶対化してしまう「決断主義」に陥ってしまいます。もちろん、これは一つの精神安定のための処方箋としてはあり得るかもしれませんが、これはある種の「信仰」であって、決して「勉強」ではありません。そこで本書はこうした弊害に陥らないため「アイロニー」を突き詰める事を一旦やめて「ユーモア」に折り返すことを勧めています。

「ユーモア」とは、いわゆる「ボケ」のことです。ある「環境のコード」の中であえてボケてみることで、勉強のテーマは多重化されることになります。けれどもユーモアもやはり無限に飽和して、やはり最終的に言語の意味づけは「無意味(意味飽和のナンセンス)」を帰結します。そこで今度は思考をズレた方向に広げる「拡張的ユーモア」から思考のある特定のポイントに過度に集中する「縮減的ユーモア」に転回することになります。

この「縮減的ユーモア」を規定しているものが「意味」以前に自身に刻まれた偶然的で強度的な「享楽的こだわり」としての「非意味(形態のナンセンス)」です。すなわち、個々人が持つ「享楽的こだわり」がユーモアの飽和を非意味的に切断し有限化することで思考の足場をいわば「仮固定」するということです。このような「ユーモアの有限化」としての「仮固定」を同書は「決断」との対置で「中断」と呼びます。そしてこの仮固定された享楽の場に再びアイロニーを入れていくことこそが同書のいう「深い勉強」ということになります。

こうした「アイロニー」「ユーモア」「享楽」を頂点とした「勉強の三角形」というべきサイクルを繰り返すことで、人は環境に振り回されるだけの「ただのバカ」ではなく、環境と距離を置きつつも上手くやる柔軟な思考を身につけた「来たるべきバカ」へと変身することができると同書はいいます。

同書のいう「享楽的こだわり」とは分析家のディスクールで析出される〈一者〉的な享楽のシニフィアン(S1)を想起するものがあり、こうした意味で同書が示す「言語」から「享楽」へ旋回する「深い勉強」とはある種の自己精神分析の実践であるともいえるでしょう。


* 世界を制作しなおすということ

さらに千葉氏は『勉強の哲学』の文庫版に追加した「補章 意味から形へ−楽しい暮らしのために」において「勉強の哲学」をさらに「制作の哲学」へと展開させています。もとより同書における勉強論は「自分自身を作り直す」ような何らかの制作行為につながるものであると氏はいいます。文章を書いたり、料理をしたり、あるいは部屋の模様替えをすることまで含めて、言ってみればすべてが「自己制作」ということです。そしてそのための具体的な方法として氏は同書が展開するアイロニーとユーモア、そして自分の身体にもとづく享楽という三つの頂点を持つ「勉強の三角形」を応用した「楽しい暮らしのモデル」を提案します。

まず価値観の本質的な無根拠性を暴くアイロニーから別の価値観を提示するユーモアへの折り返しを実生活で応用してみると、他者とのコミュニケーションやメディアの情報など生活空間に溢れるさまざまな言葉に対して、多様な解釈のいわば「交差点」としての、ただ言われたこと、ただ起こっている出来事に向き合うことができるようになります。これはいわば世界を「小説」のように捉えるということです。つまり純文学小説のように両義性や多義性を重んじ、あたかも自然を観察するかのように出来事をありのままの複雑さで記述していくという態度です。

また、このように言葉についての価値判断や、それに結びついた喜怒哀楽の変化を一時停止して、ただ自然を観察するようにしてみると、さまざまな言葉や行動はそこに付随する「意味」から離れ、ただの動きとしての「運動の形」になってきます。そうするとだんだん世界が自己目的なダイナミックな「運動=リズム」の連鎖として立ち現れてきます。それはすなわち、日々の出来事を「ダンス」としてみるということです。

そして、このような世界を「運動=リズム」として捉えるというダンス的な見方をさらにラディカルに言語そのものに向けると、そこには「詩」が発生します。とりわけラディカルな現代詩になってくると常識的な意味伝達はそこで崩壊して、曖昧な比喩であったり、言葉のダジャレ的なつながりだったり、言葉自体が持つ物質性とでもいうべきものを操作するようになります。つまり現代詩は言葉そのものを「面白い形」として取り扱っているということです。

この点「5・7・5」「5・7・5・7・7」という定型的なリズムのなかでリズムと意味の両面で遊んでいる詩が「俳句」や「短歌」です。とりわけ俳句はある風景を瞬間的に切り取るものが多く、その面白さは「写真」に近いものがあるでしょう。そうであれば逆に写真を撮る時は何か意味を伝えるという発想なしで、ただ、ある形やリズムを切り取ればいいという俳句的発想でとってみればいいということです。

このように同書は言語を「運動の形」で捉えることを提唱していますが、より直接的に「形で遊ぶ」ジャンルとして「絵画」があります。ここでも同書は家とか自然とか動物などといった一定の記号性をもつ対象をその記号性を全否定はせずに、いわば記号への抵抗運動としての何か記号的ではない線や記号から逃れていく線を書くという意識の持ち方を勧めてており、同様に「音楽」においても一般的な近代西洋音楽のルールから外れて、形それ自体に、リズムそれ自体に向かっていくという方向性を提示します。

以上のように同書はアイロニーからユーモアの折り返しにより、さまざまな芸術のジャンルをただの形として操作し、ただその無意味な享楽を楽しんでみることでみるという「制作」のあり方を論じています。そしてこうした「制作」のあり方を突き詰めていけば、そこには自分自身のミニマムで根本的な「個性=特異性」が現れてくることになります。さらにこうした「制作」のあり方はひいては芸術的制作だけでなく日常生活や仕事という広義の制作における意識の持ち方にもつながってくるといいます。

そしてここで提示される「意味からリズムへ」という論点は千葉氏の近著『センスの哲学』(2024)においてさらに深く論じられることになります。アイロニーからユーモアへと折り返すことでさまざまな物事における「意味」が蒸発し、ただの非意味な出来事として「リズム」の表れます。そしてこうしたリズムの反復と差異のなかに見出される「どうしようもなさ」としての享楽的なこだわりを追求することで、そこから新しい世界が立ち上がってくることもあるでしょう。こうした意味で「勉強の哲学」と、その更なる展開としての「制作の哲学」とは「有限化」という観点から、いわば世界を制作しなおす哲学であるといえるでしょう。























posted by かがみ at 23:56 | 精神分析

2026年01月22日

享楽社会と分析家のディスクール



* ジュイサンスからエンジョイメントへ

精神分析を創始したオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトはヒステリーをはじめとする神経症の治療を試行錯誤していく中で神経症患者の心的現実を基礎付ける根源的衝迫を「欲動」と規定しました。そして、フランスの精神分析家ジャック・ラカンはこうした欲動が満たされた状態を「享楽」と名付けました。もっとも、こうしたフロイト=ラカンの観点からすれば欲動の本質とは「死の欲動」であり、その性質上、欲動の完全な満足という事態はあり得ません。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義でした。すなわち、人の欲望や神経症、あるいは様々な芸術的創作やイノベーションはこうした「不可能」の関数として産み出されるということです。

こうしたことから1960年代中盤までのラカン理論においてはあくまで享楽とはシニフィアンの取り逃した〈もの〉としての現実界の側にあり、シニフィアンの世界である象徴界からは「対象 a 」を通じて辛うじて「侵犯」することができるものとして捉えられていました。ところがラカンは1960年代後半から、社会における様々な言説(ディスクール)を分類した「4つのディスクール」の理論を導入する事で、享楽とはむしろシニフィアンという装置により「生産」されるものとして捉え直すことになります。

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「4つのディスクール」の理論の基本構造は「真理(左下)」「動因(左上)」「他者(右上)」「生産物(右下)」という4つの位置と「主人(S1)」「知(S2)」「主体($)」「対象( a )」の4つの要素との対応関係を問うものであり、その基本的な法則は「真理」によって支えられた「動因」が「他者」に命令し、結果「生産物」が産出されることになります。もっとも、「真理」と「生産物」の間は遮蔽されており、両者を一致させることは構造的に不可能とされます。

ここでいうディスクールとはその字義通りの言説のみならず広い意味での社会的紐帯のあり方を意味しています。すなわち、主人のディスクールは主体の構造を、大学のディスクールは強迫神経症者のあり方を、ヒステリー者のディスクールはヒステリー者のあり方を、分析家のディスクールは精神分析の構造を、それぞれ示しています。

さらに上記の4つのディスクールが出そろったのちに、ラカンは「新しい主人のディスクール」と言うべき「資本主義のディスクール」を提出します。資本主義のディスクールとは主人のディスクールを基本としつつ、そこに大学のディスクールとヒステリー者のディスクールの特徴を組み合わせたものになります。

資本主義のディスクール.png

まず資本主義のディスクールにおいては主人のディスクール同様「主人(S1)」が「知(S2)」に働き掛け「対象( a )」を生み出す構造をとります。ところが、資本主義のディスクールの「真理」の位置には大学のディスクール同様に「主人(S1)」が来きます。さらに主体と対象 a は遮蔽線ではなく実線で結ばれています。つまり、資本主義のディスクールにおける「主体($)」とは主人のディスクールのように「対象( a )」と遮断された「欲望の主体」ではなく、大学のディスクールのように「対象( a )」から再生産される「疎外された主体」であるということです。そして、このような「主体($)」がヒステリーのディスクールと同様、動因の位置にくることになります。

ここで生じているのは剰余享楽の「喪失」なき「回復」に他なりません。資本主義のディスクールにおいては、「主体($)」が「主人(S1)」に向けて述べたてる要求は統計学的処理によってデータベース的「知(S2)」を構成し、剰余享楽は計量可能なものとなり、その最適解としての新製品や新サービスとして次々と市場に供給されていくことになります。

結果「主体($)」は市場のそこらかしこに氾濫する無数の製品、サービスといった「対象( a )」の終わりなき消費を通じて、資本主義システムという「主人(S1)」の自覚なき奴隷の一人となります。つまり、資本主義のディスクールにおける「主体($)」とはまさに現代を生きる我々消費者の姿そのものに他ならないということです。

こうして資本主義システムにおける享楽とは、もはや到達不可能なジュイサンスではなく大量生産されるエンジョイメントへと変容し、こうした享楽の変容のもと、人々は獰猛な超自我に「享楽せよ!」と命じられるままに市場に氾濫する対象 a の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送ることになるのでしょう。

この点、現代ラカン派を牽引する精神病理学者の松本卓也氏は鮮烈なデビュー作となったラカン論『人はみな妄想する』(2015)に続けて公刊した『享楽社会論』(2018)において、いま述べたような資本主義のディスクールが前面化した現代社会の病理を論じています。

先述のように1970年代になるとラカンは「享楽」を到達不可能なジュイサンスとしてではなく資本主義システムによって大量生産されるエンジョイメントとして捉え直すようになりました。そして、このようなエンジョイメントとしての「享楽」がいたるところに氾濫する社会を同書は「享楽社会 society of enjoyment」と呼びます。ここから同書は現代ラカン派の展開を踏まえ、こうした「享楽社会」におけるラカン的な〈政治〉はいかにして可能かを論じることになります。


* レイシズムと統計学的超自我

まず同書は「レイシズム2.0?−−現代ラカン派の集団心理学1」において現代におけるレイシズムの発生を「享楽」を鍵概念として論じています。この点、1970年代においてラカンは現代的レイシズムにおける排斥の原因となる文化的差異を「享楽のモード」の差異である考えました。さまざまな人種や民族や出自の人々が共存する世界では飲食や性行為や冠婚葬祭など生活の中で快を得たり不快を処理する方法としての「享楽のモード」には多様なバリエーションが共存することになります。ここでしばしマジョリティはマイノリティの享楽のモードを「発展途上」であると見做して、自分たちの享楽のモードを彼らに押し付けたりもします。ここにレイシズムが発生するとラカンは述べています。

さらにここでラカンは、そもそも人は本質的に自らの享楽を〈他者〉の享楽を介してしか位置付けることができないという逆説を強調します。つまり言語(象徴界)の主体である人にとって言語化不能な領域(現実界)にある完全な享楽は常に既に失われたものでしかなく、それゆえに人はラカンのいう「性関係のなさ(享楽の不可能性)」に悩まされることになり、この「性関係のなさ」は「どこかに十全な享楽を得ている人物=〈他者〉が存在しているにちがいない」という「空想的決めつけ」を生み出してしまうということです。

このように「性関係のなさ」に悩まされている人の前に自分と異なる「享楽のモード」を取る人物が現れた場合、しばし彼/彼女の中で「どこかに十全な享楽を得ている人物=〈他者〉が存在しているにちがいない」という「空想的決めつけ」が活性化してしまいます。そして、ここから「私が十全な享楽に到達できないのは、この人物が私の享楽を盗んでいるからにちがいない」という「妄想的決めつけ」が引き出されるとき、そこにレイシズムが生まれることになります。

次に同書は「享楽の政治−−現代ラカン派の集団心理学2」において現代における「秩序」はどのように基礎付けられるかという問題を「知性」と「享楽」の関係から論じています。まず同書は人は知性では動かされず、むしろ感情や情動や情熱の水準で初めて動かされる存在であるという事実から出発する必要があるという近来の政治理論を踏まえて、今日の非-知性的な政治動向をラカン派の哲学者スラヴォイ・ジジェクに倣い「享楽の政治」と名指し、ここから今日におけるレイシズムや極右の言説を想像界における享楽の病理として位置付けています。

そして同書によれば今日におけるレイシズムや極右の言説は「象徴界のフラットな使用」とでも名付けられる手法を用いているとされます。すなわち、彼らは想像界において享楽を動員する一方で、象徴界においては「データ」とか「ファクト」とか「エヴィデンス」という名で呼ばれる「括弧付きの知性」を用いるということです。

こうしてレイシズムや極右の言説における「享楽の病理」は「法は法だ」「事実は事実だ」というフラットな象徴的論理を介しても展開されることになります。そしてこのような享楽を動員するフラットの象徴的論理を支えているものとして同書は精神分析家マリー=エレーヌ・ブルースがいうところの「統計学的超自我 surmoi statistique」をあげています。

今日においてブルースのいう「統計学的超自我」の力は政治、経済、労働、医療、教育、福祉といったあらゆる領域において急速に高まりつつあります。こうしたことから同書はラカンの「世界中が恥ずべき合意形成へと滑り落ちていく際に発せられる『否 non』というシニフィアン」という言葉を引用し「この惨澹たる現状そのものに対して大文字の『否』を突きつけることである」と述べています。


* 大文字の「否」の否定性から肯定性の移行へ

そして同書は一連の論考の締めくくりとなる「ラカン的政治のために」において、こうした大文字の「否」の先にある「ラカン的政治」の可能性を論じています。ここで同書はやはりジジェクを参照し「よく知っている」にもかかわらず「知らないかのように振る舞う」というシニシズムと精神分析における「否認」の構造の類似性を指摘し、現代におけるイデオロギーにおいては、その当のイデオロギーが決して見ようとしない外傷的な穴を塞ぐため何らかのフェティッシュとなる覆いとしての対象 a を用い、何らかの空想(幻想)を作り上げているといいます。

すなわち、こうしたイデオロギーに従属する主体は従属すると同時にイデオロギーの欺瞞性に気づく主体でもあるということです。しかしこの分裂した主体はイデオロギーの欺瞞性を知っている(「私だけは気づいている」)ことを担保にして、自分がイデオロギーの外部に脱出「しうる」こと、そして現行の体制を侵犯「しうる」ことを空想しながら、それゆえにますますイデオロギーに従属する主体になります。このようなラカン=ジジェク的な主体においてはイデオロギーは外部を持たないのではなく、むしろその内部に外部を安全装置として包摂しているということです。

実際に現代の政治状況の悲惨を作り出しているのはレイシズムや極右の言説をあやつる支配者たちであると同程度に、彼ら支配者の言説に対して「それが最悪であることはわかっているが、それでも・・・」というシニカルな論理を用いる大衆の側でもあると同書はいいます。そしてこうしたシニシズムを克服するには当のイデオロギーが覆い隠そうとする耐え難い光景=外傷的な穴を、すなわちそのイデオロギーが依拠する空想に潜む享楽の次元を暴露しなければならないといいます。

もっとも同書は2010年代の日本においてはこうしたシニシズムの終わりが見えつつあるといい、20万人を動員した2012年7月の脱原発デモや2013年ごろから盛り上がり始めた反レイシズムのカウンター・デモにシニシズムを克服するための通路を見出し、こうした運動のひとつの接合点としての2015年8月に行われた安保法案反対デモにラカンがかつて語っていた「世界中が恥ずべき合意形成へと滑り落ちていく際に発せられる『否 non』というシニフィアン」を見出しています。

その一方で同書はこの大文字の「否」というシニフィアンはその否定性の側面が強調されるだけでは安定した政治的アイデンティティを持続的に支えることはおそらくできないとして、この大文字の「否」を契機としてなんらかの肯定性=実定性なものに名前が与えられなければならないといい、そのための政治運動は「オルタナティヴは可能だ」という確信を市民に与えるようなものへと変化していく必要があり、そしてそこで提示されるオルタナティヴとは、人々を享楽の水準において動員する「楽しいもの」でなければならないと述べます。

このように同書は既存の体制に対して刻まれた大文字の「否」のシニフィアンは、実際には否定性を持つものではなく、享楽しうる要素を持つものであることを強調し、その享楽に新しい名前を与え、認識しうるものにしていく必要があるとして、こうした大文字の「否」の否定性から肯定性の移行という議論の重点の移行をラカン左派の政治理論の中に見出していきます。


* ラディカル・デモクラシーとクッションの綴じ目

エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフは『民主主義の革命』(1985)という共著で、かつてのマルクス主義が持っていた階級還元主義を脱色した「ポスト・マルクス主義」を提唱しました。「ラディカル・デモクラシー」という政治的マニフェストに合流した彼らの理論は今日において民主主義の根源的条件を考えようとするものにとって極めて重要な参照軸となっています。

彼らのラディカル・デモクラシーの中心課題は人々が不平等な状態にただ服従している状態から抜け出すために運動し、大文字の「民主主義」が実現されるようになるための条件の理論化にあります。そのため彼らが持ち出すのが「クッションの綴じ目 point de capition」という古いラカンの概念です。

当時のラカンは言語秩序(象徴界)は〈父の名〉という特権的なシニフィアンによって他の全てのシニフィアンがシニフィエとの関係の中で安定化されているとして、もしそのような特権的なシニフィアンによって言語秩序が綴られていなかったとしたら、全てのシニフィアンは孤立してバラバラになってしまい、頭の中で様々な意味不明のシニフィアンが鳴り響く精神自動症が生じてしまうと考えていました。

ラウラクとムフはこのラカンの図式を民主主義論への転用します。すなわち大文字の「民主主義」は複数の社会運動が連鎖を形成し、ある一つの特権的シニフィアン(クッションの綴じ目)によってキルティングされることによって実現するのであるということです。

例えばかつてのマルクス主義の運動では「階級闘争」が「クッションの綴じ目」として機能し、全ての運動の中心点となっていたと考えることができます。すなわち、この「階級闘争」というシニフィアンによって統御された場合、民主主義は「搾取の合法的形態としてのブルジョワ的・形式的民主主義」とは違う「真の民主主義」となり、フェミニズムは「階級に条件づけられた分業の結果としての女性の搾取」への抵抗となり、エコロジー運動は「利益を追求する資本主義的生産の論理的帰結としての自然資源の破壊」への抵抗となり、平和運動は「平和にとっての最大の脅威は冒険主義的な帝国主義」とみなすものになるということです。

つまり何が「クッションの綴じ目」になるかによって我々の政治空間はその装いをがらりと変えうることになります。そしてそのような綴じ目にキルティングされた運動は非常に大きな影響力を発揮することがあります。それゆえに政治運動においてはこうした「クッションの綴じ目」となるような新しい民主主義のシニフィアンを発明しなければならないということです。

もっとも彼らの議論の問題点は、いかなるシニフィアンでもあらゆる社会的要求を束ねる「クッションの綴じ目」となりうるところにあります。すなわち、彼らの議論はどのようなシニフィアンが「クッションの綴じ目」になるのかは全く偶発的であるという点で相対主義的な考えに転落してしまう可能性があるということです。

さらにこのような思考はおよそ60年代のラカン理論に一致することになります。よく知られるようにラカンはセミネール6『欲望とその解釈(1958〜1959)』のなかで「〈他者〉の〈他者〉はある」というこれまでの立場から「〈他者〉の〈他者〉はない」という立場への転回を表明していますが、それは言い換えればどんな主体においても、またどんな社会においても「クッションの綴じ目」としての〈父の名〉は実際に存在せず、もしある主体や社会が実際にそのような特権的なシニフィアンによって統御されているとすれば、それは単に偶発的なことに過ぎず、その体制は常に変わりうる可能性を持っているということです。ゆえに現存の社会的紐帯は「その根底において詐欺」であり正統なものなどなにもなく、このようなある意味で相対主義的な態度をラカンは「イロニー」と呼んでいます。


* ポスト基礎付け主義とサントームの政治

もちろんラカンを援用する政治理論は単にこのような相対主義的な結論に終わるわけではありません。例えばオリヴァー・マーチャートと山本圭氏は、ラカン理論を援用するラクラウとムフなどを「相対主義」とみなす批判に対して彼らを「ポスト基礎付け主義」とみなすことによって応答しています。

ここでは社会や政治を何らかの普遍的な原理によって基礎づけられうるものとみなす立場を「基礎付け主義」と呼び、反対にそのような普遍的原理など存在しないというローティーの相対主義の立場を「反・基礎付け主義」と呼ばれます。この二つの立場の対立は社会や政治を統御する「基礎」が存在するか否かという二者択一における両極端な立場であるといえます。

これに対してポスト基礎付け主義はむしろこの両者の「あわい」に位置付けられるような立場です。ここでマーチャートのいう「ポスト基礎付け主義」とは社会や政治の基礎付けを無批判に前提としているわけではなく、その意味では「反基礎付け主義」同様に基礎付けの不在を認めています。しかし同時に「ポスト基礎付け主義」はその基礎付けの不在に居直るのではなく、むしろ基礎付けの不在を、社会が何らかの基礎を必要としており、さらにはその基礎は最終的なものではなく、堅固さを持たない暫定的な基礎であることを意味すると捉えます。

そして松本氏は基礎づけをめぐるこのような三つの立場を1950年代から1970年代におけるラカン理論の変遷と対応させ⑴基礎付け主義は普遍的な理念(=〈父〉)を存在させようとする前近代的な立場(フロイト理論に依拠した50年代のラカン)を、⑵反基礎付け主義は〈父〉の不在を認め、さまざまな理念や価値観の並立を言祝ぐリベラル・アイロニスト的な立場(戯画化された60年代のラカン)を、⑶ポスト基礎付け主義は〈父〉の不在を認めるけれども、それでも弱毒化された〈父〉を非抑圧的な仕方で利用しようとする「サントームの政治」の立場(70年代ラカン)をそれぞれ想起させると述べます。


* 享楽社会と分析家のディスクール

こうしたことから「ラカン的政治」としての来るべき民主主義の条件とは、さまざまな社会運動を連鎖させ、そこに「クッションの綴じ目」となる新しい民主主義のシニフィアンを発明することだけでなく、そのシニフィアンそれ自体に肯定的な享楽の実体としての価値を持たせ、それをサントーム化することが必要であるということになります。ではそれはどのような実践としてなしえるものなのでしょうか。

ここで同書は柄谷行人氏が『世界史の構造』(2010)で展開した交換様式論を参照します。柄谷氏は同書において世界史を「A互酬(贈与)」「B略取と再分配」「C商品交換」という交換様式から捉えます。大まかに言えば原始的な氏続社会においては贈与と返礼からなる交換様式Aに規定されていましたが、帝国の時代には主権者である王は臣民の生み出した富を略取しその上で再分配を行う交換様式Bが一般的になり、資本主義の時代には商品交換を活発化させる交換様式Cが導入され、現代ではおおむね交換様式BとCが混ぜ合わせた形態をとっているということです。

こうした3つの交換様式の後にくる交換様式Dこそが柄谷氏によれば真にオルタナティブとなる交換様式となります。氏はこうした交換様式Dの範例として定住を開始する前の遊動民にみられる交換様式があります。遊動民においては生産物を蓄積することができないため、生産物は仲間と平等に分配され、また他の部族と遭遇した場合に戦争を避けるために贈与を行うことがあったとしても、その遭遇は一期一会のものであるため、返礼の義務は発生しません。こうしたことから遊動民における交換様式Dは交換様式BやCからなる資本制的な結合体とは無縁なものであるとされています。

そしてこのような交換様式Dを松本氏はラカンが「資本主義からの出口」と評した分析家のディスクールに対応させています。ここでいう分析家のディスクールとは例えば「エディプス・コンプレックス」のような既存の知(S2)の専制を脱し、主体の自体性愛的な享楽(身体の出来事)が刻まれた一つのシニフィアン(S1)を析出させる営為ですが、ここで析出されたシニフィアン(S1)こそがラカンのいう〈一者〉的な、ひとつきりの享楽のシニフィアンであり、新たな主体化の核となり己の人生を非エディプス的なかたちで特異的=単独的なかたちで新たに生き直すことを可能とするものです。

換言すればそれは人々を画一的な「すべて」にしようとするエディプス的な力に抗い「すべてではない(すなわち、決して「すべて」を構成しない)」生のあり方を発明し、それを生きることにつながるであろうと氏は述べています。このように来るべき新たなシニフィアンは「すべて」の論理によって構成される世界を「すべてではない」ないものとして撹乱し、世界の見え方を根底から変えてしまうポテンシャルを持っており、ちょうど革命的な作家がまったく新しい文学を創作するときのように、それを知る前と知った後では世界の見方が一変してしまうようなシニフィアンを到来させることがオルタナティヴを可能にするのであるということです。

以上のような現代ラカン派の議論を日本の現代思想シーンに接続するのであれば、例えば東浩紀氏は『観光客の哲学』(2017)においてラウラクらの系譜を継ぐアントニオ・ネグリとマイケル・ハートが提唱したグローバル環境下における政治運動の主体である「マルチチュード」を「否定神学的マルチチュード」と名指した上で、そのオルタナティヴとして「郵便的マルチチチュード=観光客」を提示していますが、この両者はそれぞれ松本氏のいう「反基礎付け主義」と「ポスト基礎付け主義」に対応しているといえるでしょう。また東氏は同書において「郵便的マルチチュード=観光客」のもたらす「誤配」の効果を柄谷氏のいう交換様式Dに位置付けていることから、そのメカニズムは分析家のディスクールから理論化することもできるでしょう。

あるいは千葉雅也氏が『勉強の哲学』(2017)において「深い勉強(ラディカル・ラーニング)」として提示する「アイロニー・ユーモア・享楽」という頂点から構成される「勉強の三角形」と呼ばれる「有限化」の技法もこうした分析家のディスクールが基盤となっています。さらに千葉氏がこうした「有限化」の技法を「主体化」の局面において展開したものが『現代思想入門』(2022)であり「制作」の局面において展開したものが『センスの哲学』(2024)であるといえます。また三宅香帆氏が『考察する若者たち』(2025)において「考察」のオルタナティブとして提唱する「批評」もやはり「最適解」という一般性から逸脱する特異的=単独的なかたちを希求する分析家のディスクールから捉えることができるでしょう。

こうしてみるとラカン的政治の実践としての分析家のディスクールとは極めて汎用性の高い実践であるといえるでしょう。そしておそらくそこにはアテンションエコノミーによってますます加速する資本主義のディスクールとプラットフォームアルゴリズムと生成AIという統計学的超自我が猛威を振るう現代情報環境における確かなオルタナティヴのあり方が示されているといえるのではないでしょうか。




























posted by かがみ at 21:16 | 精神分析

2025年12月25日

欲望一元論の哲学



* ドゥルーズ哲学の限界性

20世紀を代表する哲学者の1人であるジル・ドゥルーズは彼の名前をフランス哲学界に知らしめた最初期の著書『ニーチェと哲学』(1962)で「思考することは、生の新たな可能性を発見し、発明することを意味するだろう」と述べています。つまり「思考」によって我々の「生」は変化するということです。

ドゥルーズの仕事は哲学にとどまらず、精神分析、文学、絵画、映画といった諸領域を変幻自在に横断するものであり、そこではさまざまな革新的な概念が創出されることになります。そして、このようなドゥルーズ哲学の枢要部にある哲学原理を國分功一郎氏は『ドゥルーズの哲学原理』(2013)において「超越論的経験論 L'empirisme transcendantal」と呼んでいます。この一見する語義矛盾のように思われる表現はいわばディヴィッド・ヒュームの経験論哲学とイマヌエル・カントの超越論哲学を総合するものであるといえます。

よく知られるようにヒュームは経験論という哲学を説き、人間の知性や認識の基礎を経験に求めました。これに対してカントはこのような経験そのものを可能とする条件を問います。このようなカントの問いは経験に先立つ先験的な「超越論的」と呼ばれる領域を切り開くことになります。これについてドゥルーズは『カントの批判哲学』(1963)において「超越論的とは、経験が必然的に我々のア・プリオリな表象に従う際の原理を指す」と定義しています。

ドゥルーズはカントによる超越論的なものの発見を高く評価します。その一方でドゥルーズはヒュームにこのようなカントが問うことをやめてしまった発生の問いを見出しています。こうしたことからドゥルーズはカント的な超越論的哲学の可能性を引き継ぐとともに、そこで喪われた発生の問いをヒューム的な経験論哲学によって補完します。これがいわば「発生を問う超越論哲学」としての「超越論的経験論」と呼ばれるものです。

こうした超越論的経験論の出発点としてドゥルーズは彼が「無人島」と呼ぶ自他未分の世界を想定し、そこに現れる超越論的な要素を「出来事 événement」ないし「特異性 singularité」と呼びます。この「出来事-特異性」によって我々の主体というものが発生されることになるということです。

ではこのドゥルーズの哲学原理たる超越論的経験論からは、いかなる実践の哲学が現れ出るのでしょうか。この点、ドゥルーズが実践の問題として追求したのはもっぱら「思考」の問題です。この論点はドゥルーズの最初の主著となる『差異と反復』(1968)で大々的に展開されることになります。同書においてドゥルーズは「人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというより、むしろ何かショックを受けて思考するということ、これは「すべての人」のよく知るところである」と述べます。なぜそのように言えるのでしょうか。

ここでいう「事実」とはドゥルーズのいうところの「習慣 habitude」を指しています。ドゥルーズは『経験論と主体性』でヒュームに依拠しながら、習慣は常に経験に接続するが経験に依存していないといいます。通常「習慣」とは反復される行動様式を指しています。しかし反復される具体的な行為は一つ一つ全く異なったものであり、完全に同一の行動が繰り返されているわけではありません。その意味で反復は毎回が交換不可能、置換不可能であるといえます。

ところが習慣はそうした一つ一つが交換不可能、置換不可能である経験の反復から「何か新しいもの、すなわち(…)差異を抜き取る」ことで成立します。そうして成立した習慣が人間の行動の規範となります。このような習慣の位置する次元をドゥルーズは「一般性 généralité」の次元と呼びます。一般性とはどの項も他の項と交換可能であり、置換可能であるという視点を表現しています。つまり先の「事実」とは経験に後続はするけれども、それに依存しないという、この「習慣」という「一般性」の次元を指しています。

このように人は反復の中から「差異を抜き取る」ことで習慣を生きています。なぜなら人は新しさに毎度毎度直面していては日常生活をつつがなく生きていけないからです。こうしたことから習慣の生成をドゥルーズは「受動的総合」と呼び「受動的総合という至福が存在するのだ」とすら述べます。人間は基本的にこの「至福」の中に佇むことを望みます。だから思考に向かう積極的意志など持たないということです。

したがって人がものを考えることがあるとすれば、それはもう、仕方なく、やむをえず、強いられてのことでしかありえません。それゆえに思考とはそれを強制する何かしらのシーニュ(しるし)との出会いがあってはじめて発動します。けれども、だからといってただ待っていれば思考を強制するシーニュとの出会いが訪れるわけではありません。シーニュは読み取られねばならず、またその読み取り方は習得されねばなりません。したがって思考を偶然の出会いによって強制されるものと捉える理論は、出会いそのものを組織する「習得」の理論、あるいは「学び」の理論と切り離せないということです。

さらに晩年のドゥルーズは『シネマ1』(1983)、『シネマ2』(1985)において映画を論じる中でこのような思考の理論を行為へと延長してみせます。ここでドゥルーズはアンリ・ベルクソンの再認論を参照しつつ「失敗」としての「注意深い再認」こそが潜在的なものを現働化し、新たな主体性を生み出すと論じています。

ところがこのように思考の理論を行為へ延長したとき露呈したものが、新たな主体性とは「失敗」によって定義されるということです。人は意図して失敗を目指すことはできません。ここにドゥルーズ哲学におけるある種の限界性を見出すこともできるでしょう。もちろん他ならぬドゥルーズ自身、こうした自身の哲学の限界性に気づいていたと思われます。それゆえにこの限界性を打ち破るため、彼はほとんど賭けといってもよいひとつの実験に打って出ます。それが1969年から開始されたフェリックス・ガタリとの協働作業です。


* アンチ・オイディプスの生成

フランソワ・ドッスの評伝『ドゥルーズとガタリ−−交差的評伝』(2007)によればドゥルーズとガタリが初めて直接対面したのは1969年6月とされています。ドゥルーズはガタリの斬新なアイデアや概念を次々と創造するところに魅了され、二人は対話を重ね、協働作業を始めることになりました。

その最初の成果である『アンチ・オイディプス』(1972)は次のような手順で書かれたといわれます。まずドゥルーズはガタリに朝起きたらすぐに机に向かい自分の考えを紙に書き付け、それを読み直さず、手直しもせず、そのまま自分のところに送るよう求めました。ガタリはその決まりを守りひたすらドゥルーズにメモを送り続けます。ドゥルーズはこの膨大なメモをひたすら読み漁り、頭の中をガタリのアイデアで満たしていきます。

このときドゥルーズはまるでガタリによって憑依されたシャーマンのようになり、その憑依が何らかの閾値を超えたところでドゥルーズはペンを握ることになります。その後、ガタリによる訂正と共同の推敲作業を経て、1971年12月31日にテクストが完成し、出版されたのは翌1972年3月です。このように『アンチ・オイディプス』はガタリでもドゥルーズでもなくまさに「ドゥルーズ=ガタリ」としか呼びようのない何者かによって書かれたエクリチュール実験の産物なのであるということです。

とはいえこの方法はドゥルーズの著作の方法を応用したものと考えることもできます。もともとドゥルーズは特定の哲学者を論じたモノグラフを「自由間接話法」というスタイルで書いており、ここでは「語られる側」の判断が「語る側」の判断であるかのように現れます。ドゥルーズはこのような独自の仕方で論文や著作を書いていました。ドゥルーズとガタリが行った実験はこの方法をさらに推し進めたものとなっているといえます。

客観的に見ればガタリが書き送ったメモをドゥルーズがまとめ直しているのですから、ガタリは「語られる側」に、ドゥルーズは「語る側」にいることになります。実際、同書の概念のほとんどがガタリに由来するものです。しかしドゥルーズはこのような「ガタリの思想」の外側にいて、それを観察者として眺めて報告しているわけではありません。

この時「語る側」にいるドゥルーズは自由間接話法を用いて哲学者を論じていた時のように「語られる側」にあるガタリに生成変化しているといえるでしょう。その唯一の違いはドゥルーズのモノグラフがすでに完成された著作や作品を相手にしていたのに対して、この実験ではドゥルーズが生成途中にあるガタリの思想を生け捕りにするように相手にしていた点にあります。では、こうしたガタリとの協働作業はいかなる理論的要請から生じたものなのでしょうか。


*「機械」とは何か

まずドゥルーズとガタリの理論上の結節点となったのは彼らが初めて対面した1969年6月にガタリが準備していた「機械と構造」というテクストです。このテクストは当時隆盛を極めていた構造主義の乗り越えを目指しています。ここでガタリは一般性の次元に関わる「構造 structure」に代えて、特異性の次元に関わる「機械 machine」の概念を提示することでそれを達成しようとしていました。そこでは出版されたばかりの『差異と反復』などドゥルーズの著作が参照されています。このことはガタリがドゥルーズの著作の中に構造主義的な「構造」の概念に収まりきれない何かを見出していたことを意味しています。

この点、ガタリのいう「機械」の特徴は彼の出自でもあるラカン派精神分析との関係において明確となります。当時、構造主義の旗手の一人として知られていたフランスの精神分析家ジャック・ラカンはジークムント・フロイトが創始した精神分析を受け継ぎつつ、フェルデナン・ド・ソシュールが立ち上げた構造言語学から借用した「シニフィアン(一般に言語記号の音声面を指す)」を用いて独自の精神分析理論を打ち立てました。その概要は以下のようなものです。

ラカンによれば人間は出生時の寄る辺なさを補おうと母子関係という想像的双数関係に入り、束の間の平安を得ることになります。ところが母とのこの想像的同一化は母が子の動物的欲求を満たす以上の過剰な欲望を注いでいるという意味で不均衡を抱えています。これは母は言語の担い手であるが子はそうではないというズレから生じることになります。

子には母の欲望はわかりません。その結果、子はこの想像的双数関係のナルシズム的融合の不可能性を知ることになります。ここに生じる母と子の欲望のズレをラカンはフロイトのオイディプス・コンプレックスにおける〈父〉の役割と重ね合わせるとともに、言語による幻想的母子関係の破壊を「去勢」と呼びます。

フロイトのオイディプス・コンンプレックス理論によれば子は〈母〉を恋人にしようとし、それを邪魔する〈父〉を憎みます。ラカンはこの物語を高度に抽象化して先のズレを〈母〉になくて〈父〉にあるもの、すなわち〈男根=ファルス〉に置き換えます。そして子は「ファルス(φ)でありたい」という欲望を抱くものの〈父の名=父の否〉によってその断念を迫られることになります。

この断念の瞬間に「ファルス(φ)でありたい」という子の欲望は「ファルス(Φ)を持ちたい」という欲望に変換され、このΦが最初のシニフィアンとして無意識にしまい込まれることになります。フロイトが仮定した「原抑圧 Urverdrängung」という過程をラカンはこのように説明しました。


* 代理=表象批判と欲望の複数性

こうして人はこのΦを求め続けることになります。ですがそれは決して手に入らない「永遠の欠如」に他なりません。従って人はその代わりになるものを探し続けることになります。つまりこの最初のシニフィアン(Φ)を意味=シニフィエとして持つような別のシニフィアンを探し求めるということです。これが欲望の原因をなす対象、すなわち「対象 a 」と呼ばれるものです。

このように対象 a を追い求める過程でシニフィアンとシニフィエの対としての「記号」が生まれることになります。こうして第一のシニフィアンから始まる記号の連鎖が「シニフィアン連鎖 chaîne signifiante」 であり、その開始によって人間は「象徴界」と呼ばれる言語的な秩序に入るとされます。

このようにラカンは記号の意味作用の根源に欲望を想定します。何かが何かを意味するのは主体がそう意味させたいと欲望するからです。それゆえにラカンにおいては「一つのシニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を代理=表象する」という定式が生じることになります。

しかしなぜ「一つの」シニフィアンが主体「そのもの」を代理=表象するといえるのでしょうか。それはそこで想定されている欲望が常にただ一つであるからに他なりません。いかなる欲望も対象 a を、根源的にはつまりはΦを求める欲望であることになります。すなわち、それは最初にあった母子間の欲望のズレ、ただ一つの喪失、決定的な欠如を埋め合わせようとする欲望以外の何者でもありません。そのように考えられているからこそ一つのシニフィアンが主体そのものを代理=表象するのである、ということができるのです。

そうであればこの代理=表象の問題は欲望を単一の原因で説明しようとするラカン派精神分析の理論上の設定そのものに関係していることがわかります。そしてガタリがいうようにもし「機械」の概念を導入することによって代理=表象が機能しなくなるのであれば、それは「機械」によってこの設定に変更が加えられたことを意味します。すなわち、それは単一の欲望の「欠如」なる原因から説明するのをやめ、欲望を複数の流れとして捉えるということです。まさしくここには「欠如のイデオロギー」を批判して欲望の複数性を唱える『アンチ・オイディプス』の理論的萌芽を見ることができるでしょう。


* 構造主義はなぜそう呼ばれるのか

ではなぜドゥルーズはガタリのこうしたアイデアに惹かれたのでしょうか?それはおそらく彼自身がかなり強い構造主義的な発想をもっていたからだと思われます。そのことを物語っているのがドゥルーズの論文「構造主義はなぜそう呼ばれるのか」です。ドゥルーズはこの論文において、ある思想が構造主義たりうるための六つあるいは七つの基準を抽出しています。

第一の基準は「象徴的なもの le symbolique」の発見です。構造主義は感性的に把握できる現実でも頭の中に思い描かれる想像でもなく、あくまで象徴的水準を扱います。例えばラカンが語る〈父〉とは現実の父親でも想像的な父のイメージでもなく「原抑圧」を遂行する〈父の名=父の否〉の構造的な担い手を指しています。

第二の基準は「局所あるいは位置 local ou de position」です。象徴的秩序においてある項は単独で積極的に存在するのではなく、その象徴的秩序、すなわち構造の中での役割・意味の担い手として存在します。つまり父がいて、その父が「否」というのではなく、むしろ「否」という役割を与えられている構造内の一項が〈父〉と呼ばれているということです。

第三の基準は「微分的なものと特異的なもの le différentiel et le singulier」です。いま述べたように構造内の諸項は周辺の項との関係の中でその価値が決定されますが、こうした作業をドゥルーズは「微分」と呼びます。例えばレヴィ=ストロースの親族組織の理論によれば一方に兄弟/姉妹、夫/妻という対があり、他方に父/息子、母方のオジ/姉妹の息子(オイ)という対があり、これら「親族の基本構造」という「微分的関係 reqqort différentiel」が「親族間の態度」を規定することになります。もっとも実際にある社会でどの態度が選択されるかはこの構造だけではわからず、この微分的関係に還元できない力をドゥルーズは「特異点」と呼びます。

第四の基準は「異化=分化するもの、異化=分化 le différenciant,le différenciation」です。構造主義のいう構造はすべて無意識的であり、潜在的なものです。例えば言語のように潜在的にはすべての項が構造の中に相互依存的に共存しており、そのうち一部の関係が「今、ここ」の語りによって現働化することになります。ドゥルーズはこのような潜在的なものの部分的な現働化を「異化=分化する」といいます。

この辺りからドゥルーズは構造主義を自分の思想として引き受け始めており「構造主義は発生や時間を語れない」という構造主義に対するありがちな批判に対する反論を始めますが、むしろここでは構造主義が扱う発生や時間の限界が露呈することになります。例えばラカンは主体が発生するプロセスにおいて原抑圧なる出来事とその担い手としての〈父〉を遡行的に名指し、それによって人間が象徴界に入るという時間を見出していますが、これはあくまでも構造の枠内における理念的な発生や時間でしかないということです。


* 構造における空白のマス目

第五の基準は「系列的 sériel」です。構造主義においては微分的関係において捉えられた象徴的要素をセリー状に編成することによって構造は十全に定義されることになります。例えばラカンは無意識を個人的なものでも集団的なものでもなく間主観的なものとして捉えていましたが、これは無意識が〈母〉や〈父〉といった象徴的審級との関係でセリーを織り成しながら形成されていくことを意味しています。

第六の基準は「空白のマス目 la case vide」です。ここでいう「空白のマス目」とはセリーの間を行き交い構造間の項が絶えず移動することを可能にするものですが、それが「空白」と呼ばれるのは、それ自身は何ものでもないからです。例えばラカンのいうファルスや対象 a がこれにあたり、こうしたものをドゥルーズは「対象=x」と呼びます。

ところがドゥルーズは同時にこの基準の必然性に一定の疑問を呈しています。構造における「対象=x」の規定が真であれば構造化可能な領域はことごとくこの特殊な逆説的対象によって規定されることになります。例えばラカンはどこにでもこの逆説的対象を発見しています。しかしそれはもともとあった理論を特定の分野に無理矢理当てはめているからではないのでしょうか?すべての欲望は対象 a を、ひいてはファルスを巡っているという理論的前提があるからこそ、すべての領域に対象 a を、つまり「対象=x」を発見できるということではないのでしょうか?

この論文でドゥルーズはひとまずは構造における「対象=x」の必要性を肯定することになります。しかしここにはドゥルーズの揺らぎが見てとれます。この時点でドゥルーズは構造主義的体制が抱える問題点に確実に気づいています。だが自分もまたこの体制に非常に近い立場にいて、そこから抜け出せる方策も見えていない状態にあるということです。


* 欲望一元論の哲学

ここからドゥルーズは構造の変動に関わる最後の基準である「主体から実践へ du suject à la pratique」に至りとりあえずの結論を出しています。その答えはある意味で単純です。構造主義における「対象=x」の特徴とは⑴それが常に主体に付きまとわれていることと⑵それが空白であり、自らの自己同一性や場所を欠いているという点にあります。従って構造を変動させる条件の一つ目はこの対象=xに主体が付きまとわない事態(シニフィアンの消去)であり、もう一つはその逆で対象=xという空白のマス目が埋められてしまう事態(シニフィエの消去)であるということです。

しかしながらこれは実践というには極めて抽象的な結論であると言わざるを得ないでしょう。そしてこのようなシニフィアンが消えたりシニフィエが消えたりといったアクシデントを待つというこの結論は「失敗を目指す」というドゥルーズ哲学の限界性と完全に相関関係にあるといえます。

こうしてみるとドゥルーズとガタリの間には共通の理論的な問題意識があることがわかります。それはまさに構造主義的な構造、すなわちセリー的構造、すなわち「原抑圧」という仮説的出来事により生じるファルスという名の「対象=x」によって統合された構造とは別の仕方でのモデルを構築することに他ならないでしょう。

こうしたことから『アンチ・オイディプス』においてはファルスの欠如としての欲望とは別の仕方での欲望から社会が考察されることになります。そして、そこでは「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか」という問題が浮上します。換言すれば、それは人はなぜ自由になることができないのか?いや、なぜ人は自由になろうとしないのか?どうすれば自由を求めることができるようになるのか?という問いであるといえます。

そうであれば『アンチ・オイディプス』の続編である『千のプラトー』(1980)とは、こうした問いを起点として、欲望という視座から社会の諸領域において作動する権力装置の分析を試みたものであるといえます。もちろんそこでドゥルーズが現代社会に下した診断は決して希望に満ちたバラ色のものではありません。けれどもここでドゥルーズがガタリと共にプラグマティックな権力分析を伴った〈欲望一元論の哲学〉を完成させたことは確かであり、そこでは人間の自由が問い直されることになります。いわばここでドゥルーズは自身が構築した「失敗を待つ哲学」を乗り越える「自由を志向する哲学」を見事に打ち出したといえるでしょう。











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2025年11月24日

対象 a とファンタスム



* 象徴界から現実界へ−−ラカン理論の転回

精神分析とは19世紀末、オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが当時、謎の奇病とされたヒステリーの治療法を試行錯誤する中で産み出された理論と実践です。そしてフロイト以後の精神分析が米国自我心理学や英国対象関係論を始めとした様々な学派に分かれていく中で、構造主義の見地からフロイト理論を深く読み直すことで独創的な精神分析理論を生み出した人物がフランスの精神分析家ジャック・ラカンです。

ラカンは人の心的次元を「想像界 I'imaginaire」「象徴界 le symbolique」「現実界 le réel」という三つの位相によって把握しています。まず「想像界」とはイメージの領域です。ここでいうイメージの最たるものとして人の「身体」が挙げられます。この点、精神分析的知見によれば「身体」とは神経系の発達に先立ち視覚的な客体化によって得られるものです。そして、このような「身体」の客体化を担う典型的な装置が「鏡」です。すなわち「身体」を起動させるためには自分の姿を「鏡」に映し、統一的なものとして把握する契機が必要となります。このような契機こそが世に名高い「鏡像段階」です。

これに対して「象徴界」とは言語の領域です。ここでいう言語は「シニフィアン」によって構成されています。この点「シニフィアン」は「記号」とは異なり、それ自体では意味を持たず、意味作用が生じるには他のシニフィアンと連接させることが必要となります。例えば突然「ハシ」と言われてもそれだけでは何のことか意味がわかりませんが「ヲワタル」とか「デタベル」といった他のシニフィアンに接続されることで初めて「ハシ」というシニフィアンの意味が遡及的に明らかにされることになります。このようなシニフィアンで構成される象徴界は人の秩序である〈法〉を形成し、イメージの世界である想像界を統御します。

そして「現実界」とは言語やイメージをはみ出すような領域です。当初、ラカンは現実界を単なる物理的な世界として位置付け、人間の心的現実を考える上では物理的な世界としての現実界ではなく言語的な世界としての象徴界に注目しければならないと考えていました。ところが後にラカンはむしろ象徴界では語り得ない「不可能性」を指し示す領域を現実界と呼ぶようになりました。

こうしたラカン理論の展開を精神病理学者の松本卓也氏は卓抜したラカン論である『人はみな妄想する』(2015)において「神経症と精神病の鑑別診断」という精神病理学的観点から読み解いています。ここでいう「神経症」とは生理学的には説明ができない様々な神経系の疾患を幅広く指し「精神病」とは幻覚や妄想や精神機能の衰退といった重篤な障害を指しています。この点、ラカン派における神経症の下位分類は「ヒステリー」「強迫神経症」「恐怖症」から構成されており精神病の下位分類は「パラノイア」「スキゾフレニー」「メランコリー」「躁病」から構成されています。

精神分析の臨床においてはある分析主体の心的構造が神経症構造なのか精神病構造なのかが極めて重要な問題となります。両者においては分析の導入から介入の仕方まで、全てのやり方が異なってくるからです。そして同書はラカンの生み出した様々な概念とは突き詰めればこのような「神経症と精神病の鑑別診断」という臨床的な要請によるものであったといいます。

この点、1950年代のラカンはエディプス・コンプレックスの構造論化を行い、次のような神経症と精神病の理解を提示します。周知の通りフロイトはヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中で人の無意識の内奥に「母親への惚れ込みと父親への嫉妬」という心的葛藤を発見し、このような心的葛藤をギリシアのオイディプス悲劇に準えて「エディプス・コンプレックス」と名づけました。

この「エディプス・コンプレックス」なる仮説によれば、幼児は当初、母親との近親相関的関係の中にあり、やがてこれを禁じる者としての父親がもたらす去勢不安によって、幼児の自我の中に両親の審級が落とし込まれ、ここから自我を統制する超自我が形成されることになります。そしてフロイトによれば、男児と女児では去勢不安への反応は異なるものとされており、男児はペニスの喪失を怖れる結果、父親のような強い存在を目指すようになり、女児はペニスの不在に気付いた結果、父親に愛される存在を目指すようになるとされます。

ラカンの功績の一つはこのエディプス・コンプレックスなる一見すると荒唐無稽でしかないフロイトの神話を「構造」として解明したことにあります。そこでは心的システムの「正常な(神経症的な)」構造化は⑴象徴界の前駆的領域である原-象徴界(シニフィアンのセリー)が「象徴的父=〈父の名〉」によって統御されること、および⑵象徴界におけるセクシュアリティを「象徴的ペニス=ファルス」が規範化=正常化することによって完了すると考えられています。こうした一連の操作は「父性隠喩」と呼ばれます。

その一方で精神病では⑴〈父の名〉が導入されておらず⑵セクシュアリティが規範化されていないことが明らかにされます。精神病の発病はこの構造的異常を露呈するものであり、精神病の経過はこの構造的異常を神経症における父性隠喩の代替としての妄想性隠喩によって補填するものです。これが、50年代ラカンが到達した一つの標準的理論です。

このように1950年代までのラカン理論は主として「象徴界」の構造の解明に注力していたといえます。これに対して1960年代のラカン理論は「象徴界」の理論では取り扱うことができない「現実界」をどのように捕捉するかという問題へと向かいます。ここで導入される概念が、鏡像段階とともにラカンの代名詞をなしているかの名高い「対象 a 」です。

あらためて「対象 a 」とは何でしょうか。「対象 a 」とはいかにして現れ、いかなる機能を持つのでしょうか。そしてそこからいかなる鑑別診断が導き出されるのでしょうか。


*〈物〉と享楽

まずラカンは「現実界」を〈物〉という概念で刺し止めようとします。ここでいう〈物〉という概念はセミネール7『精神分析の倫理』(1959年〜1960年)のなかで、フロイトの1896年12月6日付ヴィルヘルム・フリース宛の書簡や「草稿K」および「心理学草案」等のテクストを少々強引に読解することによって導入されることになります。

まずフロイトはフリース宛の「書簡」のなかで人間の心的装置を論じています。ここでは外界からの刺激が知覚(W)として受容されることからはじまり、その知覚が知覚標識(Wz)→無意識(Ub)→前意識(Vb)という三つの記録の層にわたって翻訳され、最終的に意識(Bew)へと至るさまが示されています。

心的装置.png

乳幼児は外界(母)から様々な満足体験を受け取っていますが、その満足体験の知覚は、記録の層へと翻訳される際に、決定的に変質してしまいます。なぜならこの記録の層における翻訳には「量的調整への傾向」があるために、「一定の材料については翻訳が行われない」からです。つまり、最初の満足体験のうち心的装置に記録されることができるのは量的に表現することができるものだけであって、その他のものに関しては翻訳が拒絶されてしまい、その結果、心的装置は最初の満足体験の一部を決定的に取り逃がしてしまいます。ここで取り逃がされたものが、ラカンのいう〈物〉に相当します。

またフロイトは「心理学草案」において「隣人のコンプレックスは二つの構成部分に分割されるのであって、その一方は恒常的な組織体によって印象を与え、物 Dingとしてまとまっているが、他方は想起の作業によって理解されうる」といいます。ここで「隣人」と呼ばれているのは、子供の「叫び」の宛先となる身近な人物であり、具体的には母親に代表される養育者(以下〈母〉)のことです。この〈母〉をめぐる心的複合体(コンプレックス)は、心的装置のなかでは二つの部分に分割されることになるとフロイトはいいます。

その一方は〈母〉から得られた満足体験のうちの量的な部分のまとまりであり、授乳の満足体験が指しゃぶりという象徴的等価物によって再体験されうるように、子供はこの満足体験を「想起」によって再体験することができます。しかし他方は〈母〉から得られた満足体験のうちの恒常的な領域として組織される「物」のまとまりであり、これは想起によって再体験されることができないものです。

以上のような議論をラカンはおおよそ次のように翻案します。まず乳幼児は満足体験を与えてくれる「隣人=〈母〉」に出会います。この「隣人=〈母〉」は象徴化され表象(=シニフィアン)へと翻訳されることによって無意識の層に書き込まれ「象徴界(正確にはその前駆的領域である原-象徴界)」を形成します。しかしこの書き込みの際に表象へと翻訳されることができなかった部分は、象徴化不可能な〈物〉として「現実界」を構成します。こうして人はもはや原初的な満足体験そのものにはアクセスできないことになります。

すなわち〈物〉とは人間がシニフィアンとかかわり言語の世界に参入する際に、もはや取り返しのつかないような形で失われてしまう原初的対象を指しています。フロイトがいうように人間は不快を避けて快を追求する快原理に従って行為をなしています。しかし、この快原理はシニフィアンのシステムそのものであり、この原理に従っているかぎり〈物〉の水準の原初的な満足体験に到達することはできません。こうした快原理の彼岸にある〈物〉の水準にある禁じられた満足体験をラカンは「享楽」と呼びます。

そして、このような「享楽」がシニフィアンのシステムという法によって禁止されているという事実は「〈物〉へと到達を禁止している法を侵犯しさえすれば、〈物〉へと到達しうるのではないか」というファンタスムを掻き立てることになります。こうして、人間は〈物〉を再発見しようとする永続的運動を開始することになりますが、そもそもの定義からしてシニフィアンを経由することによっては決して〈物〉に到達することができません。こうした不可能を目指して空回りし続ける永続運動こそが「欲望」と呼ばれるものです。


*〈物〉から対象 a へ

この『精神分析の倫理』以後、セミネール8『転移』(1960〜1961年)、同9『同一化』(1961〜1962年)、同10『不安』(1962〜1963年)のなかで、ラカンは次第に〈物〉を「対象 a 」という概念から捉え直していくことになります。

先述のように人が言語の世界へと参入する以前には「はじめに〈物〉があった」とでもいいうる神話的な段階があります。この段階では人は「十全な満足 volle Befriedigung」としての享楽を得ているとされます。しかしこのような享楽をもたらす〈物〉はシニフィアンの導入によって取り返しのつかないような形で喪失されてしまいます。

しかし人間の生活のなかには喪失したはずの〈物〉の痕跡がしばしば顔をのぞかせることになります。この痕跡こそが「対象 a 」と呼ばれるものに他なりません。つまり〈物〉の喪失の場に〈物〉の痕跡をとどめる特権的な対象を置くことによって、主体と〈物〉のあいだに一定に関係を作り、主体の「欲望」を支えることになります。それゆえに「対象 a」は「欲望の原因」と呼ばれます。

こうした意味で精神分析家ドナルド・ウィニコットが「移行対象」と呼んだものは人生の最初期における「対象 a 」であると考えられます。ここでいう「移行対象」とは幼児が全能性を喪失する(=享楽を喪失する)際に現れる特権的な対象を指しています。例えば子供は特定の毛布を手放さず、つねに手元においておこうとすることがありますが、ここではこの毛布が「移行対象」にあたります。

この「移行対象」は母親の乳房のような母子関係における重要な対象の代理であることをウィニコットは指摘しています。また「移行対象」は子供のときにだけみられるのではなく、後の人生のなかでもフェティッシュとして現れます。実際ラカンは対象 a が欲望の支えであることをフェティッシュの機能を参照しながら論じています。

ここでいうフェティッシュとは例えば母親の身体におけるペニスの不在を発見した子供がその欠如を覆い隠すことのできるもの(例えば下着)として採用する任意の対象をいいます。このフェティッシュは母親の身体そのものではありませんが、その身体の痕跡となり人間の欲望の原因として機能します。この意味で「対象 a」とは〈物〉そのものではありませんが〈物〉の断片であるといいうるものです。


* 疎外と分離

このように1960年代前半のラカンはシニフィアンを重視する構造論的な理論から〈物〉あるいは対象 a を重視する力動論的な理論へと大きく軸足を移動させます。しかし、その理論化の作業が一段落しかけたときにラカンは独自の技法である「短時間セッション(変動時間セッション)」が問題となりフランス精神分析協会から除名処分を受けることになり、その結果『〈複数形の父の名〉』を主題とするサンタンヌ病院でのセミネールは1963年11月20日の初回講義だけで中断されてしまいます。

しかしラカンは1964年に自身の学派となる「パリ・フロイト派」を立ち上げ、セミネール11『精神分析の四基本概念』をパリ高等師範学校で再開します。このセミネールとそれと同じ内容を含む論文「無意識の位置」のなかで、ラカンは60年代前半の議論を「疎外と分離 aiiénation et séparation」という二段階の操作にまとめています。この理論的変遷によって神経症と精神病の鑑別診断もまた「疎外と分離」という観点から再び展開されることになります。

疎外と分離.png


まず「疎外」とは、シニフィアンの世界(象徴界)への参入によって、享楽の喪失と引き換えに主体を表れさせる操作です。ラカンによれば子供が象徴界に参入していく際に自らの原生的主体(S)を何らかのシニフィアン(S1)によって代理表象してもらわなければなりません。この代理表象の結果、主体はひとつにシニフィアン(S1)によって表されることになりますが、このシニフィアン(S1)はひとつきりで存在するだけでは無意味であり、そこに意味を生じさせるためにはペアとなるシニフィアン(S2)を必要とします。すると主体(S)は、あるシニフィアン(S1)によって別のシニフィアン(S2)に向けて代理表象されることになります。

ラカンは次のような例をあげてこのことを説明しています。砂漠で象形文字(S1)が書かれた石板を見つけたとき、我々はその文字を書いた主体が存在していたことを理解します。しかし主体が存在したということができるのは、その象形文字(S1)が他の文字(S2)と関係しているからです。

こうして主体は二つのシニフィアンのペア(S1→S2)に取って代わられ、一方では象徴界のなかで何らかの意味を持つことができるようになります。しかし他方ではシニフィアンに取って代わられた主体は、象徴化不可能な享楽を内包する「存在の生き生きした部分 part du vivant(de i'étre)」を決定的に喪失してしまいいます。こうして、原生的主体は「存在の生き生きした部分」を象徴界の外部へと落下させて(-φ)、それと引き換えに斜線を引かれた主体($)として登場することになります。


* 対象 a の享楽

このように「疎外」の操作によって人は象徴界に参入するとともに、享楽を喪失します。この議論は『精神分析の倫理』において、象徴界に参入した主体にとって〈物〉が接近不可能になったことに相当します。つまり、ここではシニフィアンと享楽は二律背反の関係に立つことになります。

ところが話はそれだけでは終わりません。『精神分析の四基本概念』のなかでラカンが「分離」と呼ぶ第二の操作では、失った享楽を別の仕方の享楽(対象 a の享楽)として回復することが試みられます。言い換えれば、「疎外と分離」の理論の導入はセミネール『精神分析の倫理』のようにシニフィアンと享楽を二律背反的なものとして捉えることをやめ、むしろシニフィアンと享楽の緊密な結びつきを考えることを可能にする大きなパラダイムの転換点といえます。では両者はいかにして結びつくのでしょうか。

先述のようにシニフィアンによる疎外をこうむった子供は、自由をもたない主体($)となります。なぜなら象徴界の中での主体のありようを決定するものが大他者(既存の言語)に由来するシニフィアンの連鎖(S1→S2)である以上、子供がそこに何か別のものを付け加えることは不可能だからです。これは現実の水準では、子供が「排泄しなさい」「眠りなさい」といった大他者(=母)が発する要求に従うだけの不自由な存在となってしまうことを意味しています。

しかし子供にはこのような要求にあふれた息苦しい世界から脱出する道がひとつ存在します。「存在の生き生きした部分」を、すなわち享楽を喪失した子供はひとつの欠如を抱え込んでいますが、それと同じように子供を疎外している大他者(=母)の側にもひとつの欠如があるということを子供が発見することが、子供を大他者の要求の鎖から解放する契機となります。

子供はこの大他者における欠如に対して、自分が先に失った欠如である「存在の生き生きした部分」(-φ)を持って答えます。この二つの欠如を重ね合わせる操作が「分離」と呼ばれるものです。こうして、疎外によって失われた「存在の生き生きした部分」、すなわち享楽が大他者(=シニフィアンの体系)における欠如に重ね合わされることになります。そして、この重ね合わされた欠如の点に到来するものこそが「対象 a 」です。

つまり「対象 a 」とは、大他者における欠如(Ⱥ)を埋め合わせてくれる対象であるとともに、主体が原初的に喪失した「存在の生き生きした部分」を部分的に代理し、主体に別種の満足を獲得させてくれる対象でもあります。

この満足はたしかに享楽と呼ぶことができる何かです。しかしそれは原初状態にあったと想定される〈物〉を全体的に回復するような享楽ではありません。すでに象徴界に参入した主体にとってそんなことは不可能だからです。分離の操作によって獲得される享楽とはむしろフロイトが部分欲動と呼んだものに相当する部分的な享楽です。

この部分的な享楽は身体の全体から享楽を掠め取り、それを身体の一部分(器官)に凝縮したものとなります。実際、ここでラカンは欲動は生殖という究極的な目標に達することなしに、口唇や肛門のような部分的器官の周囲を経巡することによって目的を達してしまうというフロイトの説を援用しています。すなわち、この享楽は〈物〉そのものを目指すのではなく、〈物〉の断片としての「対象の周りを経巡る」ものであるということです。このような享楽は後にラカンによって「ファルス享楽」ないし「器官の享楽」と呼ばれます。

以上のように『精神分析の倫理』の時点ではシニフィアンと享楽は完全に分断されており、両者の交通の可能性はほとんどありませんが『精神分析の四基本概念』の時点ではシニフィアンと享楽のあいだの交通が部分的なものとして再建されています。ここで享楽はもはや不可能なものではなく「対象 a」という抜け道を通って獲得可能なものになります。かくして「対象 a」はシニフィアンと享楽のあいだの分断を繋ぎ合わせる理論的接着剤として機能することになります。


* 分離の失敗としての精神病

では、このような「疎外と分離」という観点からは、どのように神経症と精神病の鑑別診断を考えることができるのでしょうか。まず問題となるのは、64年の疎外と分離の理論が、それ以前の理論とどのような関係にあるのかということです。先述のように疎外と分離(特に分離)では、大他者における欠如(Ⱥ)に直面した主体がその欠如を対象 a によって埋め合わせ、それと同時にセクシュアリティの制御(ファルス享楽の体制の確立)が行われます。そうであれば分離は50年代ラカン理論における〈父の名〉の導入という「父性隠喩」の成立に相当すると考えられます。

実際、ラカンは論文「無意識の位置」のなかで「父性隠喩とは、分離の原理である」と述べており、分離を、父性隠喩を受け継ぐ概念として構想していたと考えられます。言い換えるなら、疎外と分離は50年代に構造化されたエディプスコンプレックスを、その規範性を相対化しつつ論理操作へと抽象化し、さらに洗練させたものといえます。それゆえ、60年代のラカン理論を基盤とする神経症/精神病の鑑別診断は、分離の成功/失敗という観点からなされることになります。

この点、分離の操作によって行われるセクシュアリティの制御(ファルス享楽の体制の確立)とは換言すれば享楽を制御し身体器官に局在化させることを意味しています。それゆえに分離の操作に失敗している精神病では享楽は制御されず身体器官に局在化されていません。その結果として、精神病者は「脱局在化された、荷崩れした、象徴化不可能な享楽から侵襲をうける危険性」があります。この享楽の侵襲のあり方によって精神病の下位分類であるパラノイアとスキゾフレニーの二つを区別することができます。

まずパラノイアの場合、享楽が大他者の場に回帰します。その結果、大他者が主体を享楽するようになります(つまり、主体が大他者の享楽の対象となります)。例えばフロイトの「症例シュレーバー」においては、神や主治医のフレックシヒ教授が彼を性的な慰み者として利用しているという訴えがみられますが、このような現象は、享楽が大他者の場に見出されるために生じていると考えられます。このことをラカンは、パラノイアとは「大他者それ自体の場に享楽を見出す」者であると表現しています。

これに対してスキゾフレニーの場合、享楽は身体に回帰します。通常(すなわち、神経症の場合)では、享楽は身体から分離されています。神経症者の言語使用のなかに性的な(ファリックな)意味作用があふれるのは身体の多くの部分が享楽の機能を担わない代わりに言語が享楽の機能を担うからです。しかしスキゾフレニーの場合、その享楽は直接的に身体に回帰します。この享楽の身体への回帰は臨床的な水準では陰部を撫で回される、頭をもやもやしたもので覆われる、あるいは体のいたるところに電気が走るといった異常感覚体験として現れます。

以上のように60年代のラカン理論は、もはや精神病を父性隠喩の失敗によるシニフィアンの脱連鎖として把握するだけではなく、精神病では享楽が局在化されておらず、それゆえに通常とは異なった場所に享楽が回帰すると考えます。そして、パラノイアとスキゾフレニーは、その享楽の回帰する場所によって区別されるということです。


* 疎外と分離からみる神経症

では神経症では疎外と分離はどのように機能しているのでしょうか?前述の通り父性隠喩が分離の原理である以上、父性隠喩の成功によって特徴づけられる神経症は疎外と分離を終えた主体である考えられます。つまり精神病者が疎外だけを経験しているのに対して、神経症者は疎外と分離の両方を経験しているということです。もっとも神経症の下位分類であるヒステリーと強迫神経症では疎外と分離に対してとる態度はそれぞれ異なっており、その違いが両者の構造を決定づけています。

まずヒステリー者とは、疎外と分離を終えたあとも分離の操作に執着する主体です。つまり、ヒステリー者は大他者に欠如しているもの(-φ)を見出し、その欠如に自分自身(a)を捧げようとします。例えばフロイトの「症例アンナ・O」では父が病気になり、その父の看病をするようになったときにヒステリーを発病させ、あるいは「症例ドラ」では不能の父の欲望の支えとなることを自らの行動において実現していました。

つまり、ヒステリー者にとっては大他者における欠如(病気)がきわめて重大な発症の契機となり、その症状は大他者における欠如に対して彼女たちが結ぶある種の自己犠牲的かつ支配者的な関係のなかで展開されるということです。反対に「ヒステリーの主体にとって不安の重大な源泉となるのは、おそらく、大他者のなかに彼ないし彼女(=ヒステリー者)の場所がなくなってしまうこと」です。

これに対して強迫神経症者は、疎外と分離を終えたあとに、以前の疎外の操作にたちもどり、疎外を拒絶しようとする主体です。先述のように疎外とはあるシニフィアン(S1)が主体($)を他のシニフィアン(S2)に対して代理表象する操作でした。この操作は、ひとつのシニフィアンによって、ふたつのシニフィアン(S1とS2)を同時に表現することをヒステリー者に可能にします。その結果、例えばヒステリー者はある人物に対する愛情(彼の欲望を支えること)と憎悪(彼の不能を暴くこと)という対立するふたつの情動を、ひとつの表現でまかなうことができるようになります。

他方、強迫神経症者は疎外を拒絶し、S1とS2の二つのシニフィアンを両方とも保持しようとします。するとある人物に対する愛情と憎悪は、ヒステリー者のようにひとつの表現でまかなわれるのではなく、ひとつずつ独立して現れざるをえなくなります。例えばフロイトの「症例ねずみ男」では愛する女性の車が通る予定の道路にある石を取り除き(=愛情の表現)、その後で、石をふたたび元の道路に置き直す(=憎悪の表現)という奇妙な行動が見られますが、このようなしばしば無意味な−−本人にも無意味であることがわかっている−−儀式的強迫行為は強迫神経症におけるシニフィアンの性質(S1とS2の保持)によって繰り返されているということです。

また、強迫神経症者が疎外を拒絶するということは、享楽を内包する「存在の生き生きした部分」の喪失を拒絶することでもあります。強迫神経症者は疎外と分離を終えており、実際には享楽をすでに喪失しています。しかし彼は、自分のファンタスムのなかでは、享楽を喪失せずに保持していると考えています。「症例ねずみ男」で患者がメガネの代金を支払うように上司から命令されたことでひどく混乱してしまったのは、この支払いが、いわば「享楽の喪失」という未払いのツケを−−「父親が返さなかった負債」を−−払うことに相当するものと空想されていたからに他なりません。


* 去勢の想像的解釈

以上のようにヒステリー者は分離の操作に執着し大他者の欠如を見出し、その欠如を自分で埋めようとする主体であり、強迫神経症者は疎外を拒絶し、享楽の喪失を避けようとする主体であるということです。

では、神経症者はそもそもなぜ大他者に対してこのような態度をとるのでしょうか。それは「神経症者は、ヒステリーと強迫のどちらであっても……大他者の欠如を大他者の要求と同一視する者」だからです。疎外と分離の操作を終えた神経症者は「大他者は、大他者自身の欠如(Ⱥ)を埋めるために、私に何かを要求している。大他者は、私が自分の享楽を大他者に差し出し、私が去勢されることを私に要求しているのだ」と想像しますが、当然ながらこのような大他者の要求に応えることはできません。

こうした大他者に対する強迫神経症者の戦略は疎外を拒絶することで、そもそも大他者に享楽される余地を作らないようにするものです。これに対してヒステリー者の戦略は大他者に欠如を認めることによって彼の不能を暴き、その欠如をあらかじめ自分から埋めておくことで大他者がそれ以上自分を享楽しないようにするものです。

いずれにせよ神経症者は自分の享楽を大他者に差し出すことを恐れています。しかし、彼らは疎外と分離を経験している以上、そもそものはじめから享楽を喪失しているはずですし、そのときにはすでに去勢を経験しているはずです。ではなぜ彼らは享楽を差し出すことや去勢を要求されることを恐れているのでしょうか?

その答えは、「去勢とは、結局のところ、去勢の解釈の瞬間にほかならない」(S10,58)という点に求められます。すなわち、神経症者は「去勢」を経験はしているもののその経験を「想像的な水準」(E826)で解釈してしまっているということです。

去勢を想像的な水準で解釈するとはどういうことでしょうか。それは、自分を去勢する誰かがどこかに存在していると空想することです。もし自分を去勢する人物が存在するのであれば、その人物を打倒することができれば、神経症者は去勢から回復することができることになります。しかし、実際には去勢はそのようなものではありません。去勢(享楽の喪失)は人間がシニフィアンの世界に参入し、その世界のなかで自らのセクシュアリティを何らかの形で制御していく操作のなかにロジックとして最初から組み込まれています。

すなわち、原初的に喪失した「存在の生き生きした部分」を取り戻すことが不可能なように、私たちは去勢を回復することができません。しかし神経症者はそのことを理解できません。彼らは疎外と分離の操作を終えてはいるものの、すでに終わってしまった喪失を、喪失として受け入れることができていないということです。人がしばしば陥ってしまうこのような想像的誤認、すなわち去勢の想像的な解釈こそが人を苦しめる、いわゆる「生きづらさ」を生じさせています。

精神分析の目標のひとつはこのような去勢についての想像的な解釈を変更することにあります。その解釈の変更作業はこの時期のラカンが分析の終結に位置づけていた「ファンタスムの横断 traversée du fantasme」(S11,246/368)に相当するでしょう。

ここでいうファンタスムとは主体と対象 a との結び付きから構成される幻想ないし空想のことをいいます。こうしたファンタスムを横断し「大他者が私たちの去勢を要求している」という想像的な解釈を打ち捨てることができてはじめて、人は自らに固有の欲動のあり方へと向かうことができるようになるということです。


* 対象 a とファンタスム

では、このような「ファンタスムの横断」とは具体的にいかにしてなしうるのでしょうか。片岡一竹氏は画期的なラカン入門書『疾風怒涛精神分析入門』(2017)においてファンタスムの機能を「未来への希望(〈もの〉の再発見の欲望)」を生み出すと共に「現在の満足(対象 a の享楽)」をも生み出すものとして整理した上でファンタスムの役割を次のように論じています。

まずファンタスムは個人の人生においてどういった形で満足を得ていくかという享楽の型(モード)を規定するものであると同時に、どういった形で変化していくかという欲望の指標となります。ところが人生の途上において既存のファンタスムで対応できない出来事が生じることがあります。例えば環境の変化や出会いや別離といった出来事です。しかし人はなかなかそれまでのファンタスムを捨て去ることができず、いわば幻想と現実の狭間で苦悩することもあるでしょう。

しかしファンタスムは幻想=フィクションである以上、構築することもできれば解体することもできます。そこで既存のファンタスムを解体し、新たなファンタスムを再構築することこそがファンタスムの横断と呼ばれるものです。そして、それは対象 a と〈理想〉の癒着を引き剥がすことによって可能となります。

ファンタスムが強固なのは何かしらの享楽ないし欲望の対象(対象 a )が同時に何かしかの理想的な存在(自我理想)になっているからです。しかしファンタスムを横断するとき、こうした〈理想〉は文字通りのただの享楽ないし欲望の対象に変わります。つまり「そうした理想を作り出すことで自分は何がしたかったのか」が分かるということです。こうして人は「あの理想を求めていたのは必然的なことではなかった。自分は他にやりたいことがあったじゃないか」と考えられるようになり、新たなファンタスムの構築へと向かうことができると同書はいいます。

もちろん、こうしたファンタスムの横断を根源的な無意識レベルで成しうるのは極めて困難です。けれども例えば「あれが手に入れば」「あそこに行けば」「あの人がいれば」といった意識レベルの〈理想〉であれば、ある程度はその〈理想〉という名の幻想と距離を置くことも可能でしょう。こうした意味で自身における〈理想=幻想〉をいわば形式化して外側から見つめ直す上で対象 a という概念は有益な参照点となるのではないでしょうか。





























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2025年10月25日

超越論的経験論と快原理の彼岸



* ドゥルーズの哲学原理としての超越論的経験論

20世紀を代表する哲学者の1人であるジル・ドゥルーズの仕事は哲学にとどまらず、精神分析、文学、絵画、映画といった諸領域を変幻自在に横断するものであり、そこではさまざまな革新的な概念が創出されることになります。そして、このようなドゥルーズ哲学の枢要部にある哲学原理を國分功一郎氏は『ドゥルーズの哲学原理』(2013)において「超越論的経験論 L'empirisme transcendantal」と呼んでいます。この一見する語義矛盾のように思われる表現はいわばディヴィッド・ヒュームの経験論哲学とイマヌエル・カントの超越論哲学を総合するものであるといえます。

よく知られるようにヒュームは経験論という哲学を説きました。経験論とはその名の通り、人間の知性や認識の基礎を経験に求める哲学です。ドゥルーズは最初の著作である『経験論と主体性』(1953)においてヒューム哲学の根本にある問いを極めて簡潔な一文で説明しています。「ヒュームが取り組むことになる問いはこうなる−−精神はどのようにして一つの人間的自然に生成するのか?」ということです。同じ問いは「精神はどのようにして一つの主体へと生成するのか?」とも言い換えられています。すなわち、ここでドゥルーズがヒュームに見出しているのは主体を所与の前提とせず、その発生を問う哲学です。

この点、ヒュームによれば精神とは互いに関連を持たないバラバラな観念の集合にすぎず、従って精神はその状態ではいかなる認識も持っていません。この精神が何らかの認識を持つのは、そうしたバラバラな諸観念を関係づけ、連合させる時です。例えば我々が毎朝、太陽が昇るの見るとして、その知覚は「今朝太陽が登った」「昨日も太陽が昇った」「その前も太陽が昇った」といったバラバラな諸観念を形成しますが、そのバラバラな諸観念が或る時に連合され「明日も太陽が昇るだろう」という認識が成立します。認識とはそのようにして我々が経験したことのないものを肯定=信じる事態を指しています。つまり認識とは所与の経験を越え出ています。諸観念が連合されることでこうした「信念」が発生し、所与の経験を超出することで認識が成立します。それはつまりは精神が一つの主体へと生成することに他なりません。

このようにヒュームは人間の知性や認識の基礎を経験に求めました。これに対してカントはこのような経験そのものを可能とする条件を問います。このようなカントの問いは経験に先立つ先験的な「超越論的」と呼ばれる領域を切り開くことになります。これについてドゥルーズは『カントの批判哲学』(1963)において「超越論的とは、経験が必然的に我々のア・プリオリな表象に従う際の原理を指す」と定義しています。

ドゥルーズはカントによる超越論的なものの発見を高く評価します。しかしそれと同時にカントによる超越論哲学の運用上の欠点を明らかにします。ドゥルーズによればカントの超越論哲学においては経験的領野を基礎付けるはずの超越論的領野に経験的領野を「引き写す」ように「自我」や「超越論的統覚」が見出されており、さらにこのような自我や超越論的統覚を想定するだけで、その発生を問うていません。

その一方でドゥルーズはヒュームにこのようなカントが問うことをやめてしまった発生の問いを見出しています。こうしたことからドゥルーズはカント的な超越論的哲学の可能性を引き継ぐとともに、そこで喪われた発生の問いをヒューム的な経験論哲学によって補完します。これがいわば「発生を問う超越論哲学」としての「超越論的経験論」と呼ばれるものです。


* 原光景としての「無人島」

このようにドゥルーズの超越論的経験論は超越論哲学のカント的な運用を批判する形で構想されました。カント流の超越論哲学は「自我」や超越論的統覚を想定しているだけでその発生を問うていません。ならばその発生を問うとき、その根源には一体何があるのでしょうか。

まずドゥルーズは自我に先立つ世界を「無人島」という奇妙な形象を通じて極めて早い段階から論じています。1950年代に書かれ長らく未発表であった草稿「無人島の原因と理由」において「或る島が無人であるということは、我々にとって哲学的には正常なことと思われて然るべきなのだ」「或る島が無人島でなくなるには、そこに人が住めば済むわけではない」「いかなる島も、理論的には無人であり、またそうであり続ける」というなにやら哲学的なテーゼらしきものから無人島なる形象に独自の視点で迫ります。

ここでドゥルーズが言わんとしていることは無人状態の島に誰かが1人ぽつんと置かれたとしても、直ちにこの無人状態が崩壊するかどうかは疑わしいということです。ここでいう無人状態とは「哲学的」に考えれば主体と客体の区分のない世界に他なりません。そこに人が住まうだけでは無人状態は崩壊しないのである。ではどうすればこの無人状態が崩壊し主体と客体の区分がある世界が現れ出るのでしょうか。

この点、後にドゥルーズは同じテーマを『意味の論理学』(1969)の補遺として収録された「ミシェル・トゥルニエと他者のない世界」という論文でより理論的に論じています。ここでドゥルーズは無人島を「他者のいない島」と定義します。我々は普段「他者」がいる非-無人状態の世界を生きています。このような非-無人状態は「他者」の存在を前提としており「他者」によってもたらされる何らかの効果の中にいます。

こうした意味での「他者」がもたらす効果とは我々が知覚する対象や観念に沿って「周縁的な世界」を組織することにあります。人は一度に見ることができる範囲は限られています。例えば我々が通りに立って建物を見たとき、当たり前ですが見えるのは建物の正面だけであり、その裏側や内部を見ることはできません。にもかかわらず人はその建物には裏側や内部があると当然に思っています。なぜならば「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考えるから」です。

このように「他者」というものを想定することではじめて、人は見えない部分を「他者」には見える部分として処理し、それが恒常的に存在していると考えることができます。つまり見えていない「周縁的な世界」を組織することができると言うことです。すなわち、ここでいう「他者」とは、対象の対象性を保証し知覚領域そのものを成立させる「知覚領域の構造 structure du champ perceptif」であると定義されます。そしてこのような対象化作用があって初めて〈私〉なるものが対象として措定され自我というものが発生することになります。つまり、ここで他者によって知覚する主体と客体という構図そのものが成立します。

こうしたことからドゥルーズのいう「無人島=他者がいない島」とはこうした知覚を支えてくれる存在がいない場所であり、そこでは人にとって見えていないものは端的に存在しないことになります。そして外部からくる「他者」によって初めてカントが想定したような自我や超越論的統覚が発生するということになります。

そして、以上のような理論の根幹にはヒューム的な発想があります。「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考える」とはヒュームのいう「信念」に属しています。先述のようにヒュームは「信念」によって人間の認識が所与を超出すると考えました。もっともヒュームはそれはあくまで認識の事実として−−どうしてかはよくわからないが、認識を調べてみると出てくる事実として−−提示していたに過ぎませんでしたが、ドゥルーズはここでヒュームのいう「信念」を「他者」のもたらす効果として捉えているということです。


* 超越論的なものとしての「出来事」

このように「無人島」とはドゥルーズの超越論的経験論にとって原光景となります。そこに「他者」が現れることによって我々のよく知る経験世界が成立します。ではこのようにして超越論哲学が再構成されるとき、そこでいう超越論的なものとは一体何なのでしょうか。

結論からいえばドゥルーズにとって超越論的なものとは「出来事 événement」です。ドゥルーズはこれを「特異性 singularité」とも呼びます。この両者は完全に同一視され二つをハイフンで繋いだ「特異性-出来事」という表現もドゥルーズは用いています。

このような「特異性-出来事」という概念が構築される出発点は17世紀の哲学者ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツが打ち出した可能世界論です。例えば「シーザーはルビコン河を渡った」という事実があるとすれば、その反対の「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という世界線を考えうることができるでしょう。この「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という世界線がライプニッツのいう可能世界です。

そして「シーザーはルビコン河を渡った」という「出来事」において分岐が生じており「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という可能世界では我々の知るこの現実世界では現実化しなかった別の出来事の系列が伸びていることになります。この分岐した諸系列の間の両立不可能性をライプニッツは「非共可能性」と呼びます。換言すればこの現実世界は共可能的な出来事の諸系列だけが現実化しているということです。

ところで「出来事」において系列が分岐するということは、そこで別の個体が発生することを意味しています。すなわち「シーザーはルビコン河を渡った」という「出来事」において、一方では「ルビコン河を渡る」という述語=出来事を内包する現実世界の「シーザー」が発生し、他方では「ルビコン河を渡らない」という述語=出来事を内包する可能世界の「シーザー」が発生しています。つまり「出来事」とは個体に先行し、個体を発生させるジェネレーター(発生素)になるということです。

このようなライプニッツが可能世界論で描いたような発生のメカニズムをドゥルーズこの現実世界に見出そうとします。この課題から要請されたものがドゥルーズ哲学の代名詞といえる「潜在性 virtualité」という概念です。

この点、ドゥルーズは可能世界論における「可能性と実在性」という対に対して「潜在性と現働性」という別の対を提示します。しばしこの現実はいくつかの「可能性」の中の一つとして選択されたものと考えられがちですが、この考え方は実は転倒しており、常にある事柄が実現された後に初めて「そうはならなかった可能性」が見出されています。すなわち「可能性/実在性」を軸とする発生は真の発生ではなく、むしろ潜在的なものが現働化することでこの現実は構成されるのであり、系列化に先立つ「特異性-出来事」が大域的にひとまとまりにされるときに発生が起きるということです。

なおドゥルーズはこのような「特異性-出来事」の着想をライプニッツのいう「微細表象 petite perception 」から得ています。ライプニッツは無数の微細な知覚を無理矢理一括りにすることで意識という統覚が発生するプロセスを論じていますが、それはつまり潜在的な領域にあった発生素としての微細表象(特異性-出来事)が現働化することで統覚(意識)が発生するというプロセスに他なりません。


* 超越論的経験論から読むフロイトの第二局所論

以上のようにドゥルーズの超越論的経験論は「無人島」という舞台と「特異性-出来事」という発生素から構成されることになります。ここからドゥルーズはこうした超越論的経験論が実際に作動する場面として彼が「出来事の科学」と呼ぶ精神分析を検討することになります。

オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが20世紀初頭に創始した精神分析は「エディプス・コンプレックス」の発見で知られています。フロイトによれば幼児は母親に対する近親相姦の欲望と、それを阻む父親に対する尊属殺人の欲望に貫かれていますが、これら無意識の欲望は達成されることがなく、その断念こそが主体を生成することになります。

もっともドゥルーズが注目するのはこのエディプス・コンプレックスではなく、フロイトが後期に展開した「快原理の彼岸」の問題です。フロイトは当初「意識/前意識/無意識」の三つ組から人間の精神生活を描き出していました。これは第一局所論と呼ばれるものです。ところがそこからフロイトはあらたに「エス/自我/超自我」という三つ組を構想することになります。これが第二局所論と呼ばれるものです。

「エス」とはドイツ語でまさしく「それ」としか名指せないような生命エネルギーの塊であり、これは「快原理」と呼ばれる原理に従って動きます。この点、フロイトによれば「快」とは興奮量の減少であり「不快」とは興奮量の増加をいいます。すなわち、ここでいう「快原理」とは心的装置が不快(興奮量の増加)を避けて快(興奮量の減少)を求めることで自らを恒常的なままに保つ原理を指しており、この「快原理」こそがエスを突き動かす唯一無二の行動原理です。ところが幼児は次第にこの行動原理では現実にはうまく立ち回れないことを理解していき、不快を避けて快を求める衝動を延期することを学びます。

このような「延期された快原理」のことを「現実原理」といいます。この「現実原理」を担うのが「自我」です。つまりフロイトのいう「自我」とは、あらかじめ主体に与えられた機能ではなく「エス」が現実と葛藤する中で分化して発生する審級に他なりません。このようにフロイトはカントが「想定」しただけの自我のその「発生」を描き出します。

さらにこうした「自我」の発生にやや遅れて「超自我」と呼ばれる審級も登場します。「自我」が自分が現実世界の中で大変弱い存在であること、自分には到底敵わない外部の権威が存在することを学んでいく中で、そのような権威を取り込むことで発生するのが「超自我」です。

この点、フロイトは「超自我」こそがカントの述べていた「良心」のことだろうと述べています。カントによればどんな悪人でも悪いことをするときには「これは悪いことだ」と思っているのであって、その意味で人間は誰でも「良心」を持っているということになります。そしてフロイトの超自我の理論はカントが単に想定しただけの「良心」なるものの発生をも説明しているということです。

こうして「自我」は「超自我」に監視されつつ「エス」を手懐けながら、自らの欲望の達成を目指すことになります。これがフロイトによって説明された人間の精神生活の概要です。この点「意識/前意識/無意識」という三つ組からなる第一局所論はフロイトの臨床経験から「想定」されたものにすぎませんでした。これに対して「エス/自我/超自我」という三つ組からなる第二局所論は実に発生論的な発想で描かれています。そればかりではなく第二局所論はライプニッツ経由の微細表象論と直結しています。

ドゥルーズはエスと自我の関係について「エスには諸々の局所的な自我がひしめき合っている」といいます。あるひとつの自我が成立する前の段階、つまり主体の構成の最初の段階では自我に統合されうる要素としての断片が「局所的な自我」としてエスの中でひしめいているということです。これらの局所的な自我はそれぞれが「部分対象」によって駆動されています。ここでいう「部分対象」とは乳房、指、口唇、肛門など、人体の形に統合されていない欲望の原初的な対象をいいます。

そしてドゥルーズ=フロイトの説明によれば、部分対象によって駆動されつつエスに同居しているバラバラで局所的な自我が大域的に統合されるとき、エスから析出される形で一つの自我が発生することになります。この議論は潜在的な水準にある微細表象の現働化というライプニッツ経由の議論とまったく同型をなしています。実際にドゥルーズの部分対象を微細表象に準えています。つまりドゥルーズはフロイトの中に微細表象論、つまりは大域的な自我を生成する非系列的な「特異性-出来事」の議論を読み取っているということです。


* 快原理の「彼岸」とは何か

そこで問題となるのはこの大域的な自我の発生そのものです。フロイトによればこの発生は快原理によって制御されているとされます。先述のように現実原理は延期された快原理であり、快原理と対立するものではなく、いわば「快原理の部分」です。ではこの快原理なるものはいったい何に由来するのでしょうか。それは単に人の心の本質としてフロイトが想定したものなのかというともちろんそうではありません。この快原理の由来を問うところからフロイトの真に哲学的思惟、超越論的探求が始まることになります。

周知のようにフロイトは後期の著作『快原理の彼岸』(1920)の中で快原理の起源を説明し「死の本能」という考えを打ち出しました。そしてドゥルーズは「死の本能」をめぐるフロイトの「思弁」を高く評価すると同時に、ある重要な修正を提案することになります。

この点、この『快原理の彼岸』という著作は概ね次のように理解されています。フロイトはある時期まで不快を避けて快を求めるという快原理が心的過程を支配していると考えていましたが、不快でしかありえないことを執拗に繰り返す反復強迫、とりわけ戦争神経症などの外傷性神経症に見られる反復強迫(思い出したくないはずの心的外傷を受けた場面が夢の中に執拗に再来しえ眠れない等)の症例によって、その原理の限界を突きつけられることになります。

そこからフロイトは心的過程においては生を求める「生の本能」と死を求める「死の本能」の二つが対立して作用しており、時に一方が時に他方が現れるという仮説を提示するに至ります。つまりそこには快原理の統御が及ばない「彼岸」があるということです。

ところがドゥルーズが最初に強調するのは快原理の「彼岸」とはこの原理にとっての「例外」ではないということです。どういうことでしょうか。この点、フロイトによれば心的装置は外的なショックにより流入する外部からの過剰なエネルギーに比しうるだけのエネルギーを流入箇所にあらかじめ「備給」することで流入したエネルギーを「拘束」し、外的ショックに対処する刺激保護の機能を持っているとされます。そのような機能のうちの一つが「不安」です。すなわち「不安」とは心的エネルギーが一箇所に過剰に備給された状態をいい、それは畢竟、心が外的ショックから自らを守るための防衛機制であるということです。

しかし、これがうまく作動できない時があります。災害や戦争などでの突発的事態においては不安の準備が整っていないところに突如、強力なショックが生じます。この場合、心的装置は流入するエネルギーを拘束できません。そして拘束できないエネルギーがあまりに多いと刺激保護の機能そのものが破綻してしまいます。これがフロイトのいう外傷性神経症の発症メカニズムです。

ではこの後、心的装置はどう振る舞うのでしょうか?フロイトによれば心的装置はわざと不安な状態を作り出し、また外傷を与えた場面を想起させ、流入するエネルギーの拘束を心の中でシュミレートしようとします。つまり外部からのエネルギーに不安が対処するという事態の再現を繰り返すことで、そのエネルギーの統御を実現しようとします。もちろんこの統御は簡単には実現しないから、外傷的な場面が夢の中に何度も再来することになります。これが反復強迫のメカニズムです。

この点、先述したようにフロイトによれば快とは興奮量の減少であり、不快とは興奮量の増加であり、快原理とは心的装置が不快を避けて快を求める行動原理を指しています。つまり、流入したエネルギーを拘束するために不安によって外的なショックに備えるという一連のプロセスはこの快原理の実現を目指すものであり、反復強迫もまたこの原理の実現を目指すものに他なりません。では快原理の実現はなぜ目指されるのでしょうか。フロイトの「思弁」はここから始まります。


* 超越論的経験論と快原理の彼岸

まずフロイトは外傷神経症を通じて発見したメカニズムを精神生活一般に拡張することを試みます。反復強迫は外部からの刺激によって引き起こされるだけでなく子供の遊びや治療中の神経症患者まで幅広く見出される現象です。ということは外傷性神経症を引き起こすエネルギー流入に比しうる何らかの興奮が内部から起こっていることが予想されます。そしてフロイトによればこの内部興奮の源泉こそ、有機体の「本能 trieb」に他なりません。

フロイトはこの本能を「より以前の状態を回復しようとする、生命ある有機体に内属する衝迫である」と説明します。有機体が緊張を排し、平衡を取り戻そうとするのはそのためだと考えられます。そしてここでいう「より以前の状態」を「思弁」するフロイトは「もし例外なしの経験として、あらゆる生物は内的な理由から死んで無機物に還るという仮定が許されるなら、我々はただ、あらゆる生物の目標は死である(…)としか言えない」と述べます。これがフロイトのいう「死の本能」です。

もちろんこの「思弁」にはすぐさまにごく単純な疑問が呈されるでしょう。ではあらゆる生命の目標が死であるのならば、なぜあらゆる生命には自己保存本能、すなわち生の本能が見出されうるのかという疑問です。フロイトの答えは極めてシンプルです。生の本能は死の本能の部分に過ぎないからです。生命は外から与えられる死ではない、あくまでも「自分自身の死」を目指しており「有機体はただ自分のやり方でのみ死のう」とします。これが「死の本能」です。従ってそのような「自分自身の死」を目指す生の長い過程を邪魔するものは全力で排除します。これが「生の本能」です。つまり「生の本能」とは「死の本能」の部分を近視眼的に見た時に見出されるものに過ぎないということです。

以上のようなフロイトの「思弁」をドゥルーズは高く評価します。けれども同時にドゥルーズは「超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないというところにある」と述べています。フロイトは経験領域を支配している快原理について考えを突き詰め、それを基礎付ける超越論的原理である「死の本能」へと到達しました。しかしフロイトはこの「死の本能」を「想定」したところでその探求をやめてしまいます。そこでドゥルーズはこの超越論的探求の後を継ぎ「死の本能」という超越論的原理そのものの「発生」の解明に取り組むことになります。

こうしたことからドゥルーズは『差異と反復』(1968)において「フロイトは、リビドーは自我に逆流すると、必ず己を脱性化し、タナトスへ奉仕することが本質的にできる移動性の中性エネルギーを必然的に形成する、と述べている。けれども、なぜフロイトは、そのようにして死の本能を、そうした脱性化されたエネルギーに先立って存在するものとして、つまりそのエネルギーから原則的に独立したものとして提起するのだろうか」と述べ、ここから「タナトスは、エロスの脱性化と、すなわち、フロイトが語っているそのような中性的で移動性のエネルギーの形成と、完全に混じり合っていると思われる。このエネルギーは、タナトスへの奉仕に移行するのではなく、タナトスを構成するものである」という解釈を提案します。

つまり快原理の作動により「脱性化」された「中性エネルギー」はフロイトのいうようにタナトスに「奉仕」するのではなく、この「中性エネルギー」こそがタナトスそれ自体を「構成」するということです。換言すれば、ここでドゥルーズは死の本能、つまりタナトスという超越論的原理は快原理という経験的原理の要請に従って生成すると考えているということです。確かに経験領域を支配する経験的原理は超越論的原理に基礎付けられています。しかし超越論的原理は経験的原理から独立して存在するのではなく経験的原理と不可分の形でそれと並んで生成されるものであるということです。

このようにドゥルーズはカントが想定しただけの自我の発生を問い、そこから自我を形成する経験的原理としての快原理を駆動させる超越論的原理としての死の本能の発生を問いました。もちろんドゥルーズのフロイト読解には異論もあるでしょう。しかしドゥルーズがフロイトを読み抜いた先にフロイト本人も問わなかった問いを開いたことは確かでしょう。超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないのです。そして、このようなドゥルーズが開いた超越論的探求の問いの系譜からは近代哲学と精神分析を接続し、両者を統合的に理解するための視座を得ることができるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 23:48 | 精神分析