【参考リンク】

現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2023年03月31日

心の生ぶ毛とケアの思想



* 統合失調症中心主義と中井久夫

精神病理学や病跡学において統合失調症は長らく特権的な位置に置かれていました。統合失調症はかつて「精神分裂病」と呼ばれており、生涯のうちにこの病にかかる割合はおよそ0.7%であるとされています。統合失調症はおよそ青年期から30代までに発症し、幻覚や妄想などを中心とする陽性症状と感情の平板化や意欲の低下と言った陰性症状が見られ、特に予後が不良な場合には知能、感情、意志という精神機能の全般的な解体にまで至るうる精神障害です。かつてこの病は難治性の疾患であるとされ、その予後に関しては極めて悲観的な見方がされてきました。

そして精神病理学や病跡学の世界では統合失調症を患っていたとされる傑出人に注目し、統合失調症を理想化して「統合失調症者は理性の解体に至る深刻な病に罹患することと引き換えに人間の本質に関わる深淵な真理を獲得するに至った人物である」という統合失調症中心主義というべきパラダイムが出来上がりました。また現代思想の文脈においても1970年代の大陸哲学に旋風を巻き起こしたジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリの共著「アンチ・オイディプス」の影響により統合失調症(分裂症)にポストモダンの理想像を見出すような言説が一世を風靡しました。

その一方でかつての統合失調症の研究は「いかにして人の精神が破綻し、統合失調症が発症するか」という発症過程のドラマチックな部分に議論が集中し、その後の慢性化した状態に興味を持つ人はほとんどいませんでした。そこには統合失調症が慢性化してしまうと人格が荒廃してしまってもう治らないという諦観ともニヒリズムともつかない考え方がありました。

ところがこうした風潮に抗い、統合失調症は治療により十分に回復可能な病であることをはっきりと示した不世出の精神科医が中井久夫氏です。

* 寛解過程論

中井氏は京都大学医学部卒業後、ウィルス学の研究を専門としていましたが、1966年32歳の時に精神医学に転向します。中井氏は『最終講義−−分裂病私見(1998)』において当時の精神医学において統合失調症を「目鼻のない混沌とした病気」だったと表現し「私の目的は分裂病に目鼻をつけることでした」と回顧しています。

そこで中井氏は下痢や不眠といった患者の身体における事象つぶさに観察し、時系列でグラフ化していきました。そして統合失調症の回復にはいくつかの段階があることを示し、特に急性期から回復期に移行する時期を発見し「臨界期(回復時臨界期)」と名づけました。

統合失調症の経過を精密に明らかにしたこの寛解過程論は画期的な研究として精神医学界から驚きを持って迎えられました。

中井氏はこの回復の過程でどんな身体的変化が起こるのかを症例をもって実証しながら、慢性状態も普段に変化し続ける寛解の過程に他ならない、つまり治る可能性があることを極めて説得的に示していきましま。

慢性化している状態をコンディション(状態)ではなく寛解の可能性を含んだプロセス(過程)に読み換えるということ。このパラダイムチェンジは当時極めて画期的なものであったと言われます。ここから慢性期をプロセス、つまり変化し得るものだと考えることで、諦めと惰性が支配的だった慢性期の治療に一筋の希望が生まれることになります。中井氏は「希望を処方する」という言葉を残していますが、寛解過程論はまさに希望を処方する理論であったといえます。

* 風景構成法

そして中井氏は早くから治療に絵画療法を積極的に取り入れていました。その理由はいくつも考えられるが、絵画は言葉ほど侵襲的ではなく、患者を傷つける可能性が少ないため、慢性期の、あまり多くは語らない患者にも適用できるという点がまず挙げられます。絵画療法の導入によって害の少ない形で話題が広がり、また絵の変化によって患者の状態や回復の過程を窺い知ることができるという意義もありました。

そのような中井氏の臨床現場から生まれたのが有名な「風景構成法」です。これは10個のアイテム(川、山、田、道、家、木、人、花、動物、石)を治療者が一つずつ読み上げて、患者はその都度枠の中に描き入れ、さらに足りないと思うものを描き加えて風景として完成させるというものです。

絵画療法とも描画テストともつかない不思議な手法ですが、言葉数の少ない患者とのコミュニケーションを取り、病の経過を理解する上でとても有効な方法として高く評価され、海外の臨床現場でも用いられています。

統合失調症患者の絵というと病的でどこか不穏な絵というイメージがあり、確かに病期によってはそうした絵を描くこともありますが、中井氏はむしろ良い治療環境で安定した状態で描かれる普通の絵にこそ治療状の意味があると考えていました。

この点、風景構成法は誰が書いても普通の絵になるような工夫が施されています。例えば指定されたアイテムをその都度書き込んでいくので全体の構成をイメージしておくことが難しく、どんな人でもあまり上手な絵にはなりませんし、また10個のアイテムがごく普通のものなので不気味な絵にもなりません。すなわち、病理に引き摺られることなく、いかに本人の中にある健康なものを引き出すかに配慮して作られた手法だと考えることができます。

* 自分が世界の中心であると同時に世界の一部である

中井氏は統合失調症は特異な素因を持つ人の病であるというスティグマにつながる考え方を否定し、誰しもが発症しうる病であると繰り返し訴えていました。

では統合失調症を発症した人としていない人の違いは何でしょうか。その問いに彼はシステム論的な発想からアプローチしています。すなわち、人間には病原体から体を守る免疫システムのように自他を区別し続けるためのシステムがあり、このシステムの維持のために不断にエネルギーを注いで統合失調症状態にならないようにしていると中井氏は考えていました。

言い換えればこのシステムがうまく作動しなくなれば、誰でも発病する可能性があるということです。統合失調症の発病過程として氏は脳の中のわずかな異常が少しずつ広がりやがて脳全体を巻き込んで異常な活動状態になってしまうモデルを想定し、その過程を原子炉の暴走に喩えています。

そして統合失調症の寛解過程の中で中井が特に事細かく観察したのが回復期の患者に起こるさまざまな事象です。回復の進み具合は絵画療法で描かれる絵の変化や夢を見るかどうかに現れます。夢は発症当初にはほとんど見られず、回復期に入ると増えてきます。

このほかの回復の目安として一見矛盾する認識の両立が挙げられる。中井はよく「自分が世界の中心であると同時に世界の一部である」という表現を使っています。統合失調症の方はどちらか一方に偏りやすく急性期に妄想に支配されている時は自己中心的になり、回復期になると今度は自己を抑えすぎて周囲に助けを求めにくくなる傾向があります。矛盾するものの間で折り合いをつけ両立させられるかが回復や精神健康の度合いを知るポイントとなるという指摘は極めて重要です。

また中井が回復の目安として重視していた要素に「あせり」と「ゆとり」があります。統合失調症急性期の患者は乱数発生能力に著明な障害が生じることで知られていまく。「ゆとり」がなければ既存の秩序に従うしかなく「ゆとり」があればでたらめを作ることができるということです。

* 心の生ぶ毛とケアの思想

中井氏は患者の尊厳を徹底して尊重することがそのまま治療やケアにつながることを一貫して主張してきました。

患者の尊厳とともに治療で大切にすべきものとして中井氏が強調しているのが「心の生ぶ毛」と呼ぶ心の柔らかな部分です。自発性や主体性が失われ感情の平板化や鈍麻が生じている慢性期の患者は「心の生ぶ毛」が損なわれた状態にあるといえます。「心の生ぶ毛」とは心の健康度を測る大事な要素の一つであり、中井氏はこのような「心の生ぶ毛」を大切にする治療を強調していました。

こうした意味で中井の治療論には常に「キュア(治療)」ではなく「ケア」の方に視点が置かれていたと斎藤環氏は述べています。診断を下し、それに見合う治療をしっかり行うという考え方よりも、病気の如何にかかわらず徹底して患者に寄り添い、話を聞き、応答し、ケアしていくという思想が一貫してあったということです。

「医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない」。これは体系化を一切施行しなかった中井が唯一執筆した「看護のための精神医学」に書かれた言葉で中井氏による箴言としてしばし引用されます。ここでいう「看護」は「ケア」と言い換えることができるでしょう。

現在のメンタルヘルス領域では疾患ごとの特異性のないどの病気にも対応できるようなケアの思想で病と向き合っていくという考え方が注目されつつあります。中井が看護=ケアというものの重要性を非常に早い段階から強調していたことは特筆すべき功績でしょう。そして、こうした「ケアの思想」は自身や身近な人のメンタルをケアしていく上でも大いに参考になるようにも思われます。












posted by かがみ at 03:05 | 精神分析

2023年02月25日

自傷的自己愛と自己心理学



* 自傷的自己愛とは何か

ひきこもり支援の専門家として知られる精神科医の斎藤環氏は近著『「自傷的自己愛」の精神分析(2022)』において、思春期や青年期に多く見られる自己愛の否定的な発露として「自傷的自己愛」という概念を提唱しています。

同書は「はじめに」でいわゆる「インセル」や「無敵の人」が起こしたとされる事件を取り上げます。ここでいう「インセル」とは「インボランタリー・セリベイト(不本意な禁欲主義者)」の略称であり、自分の容姿が醜いために女性から相手にされないと確信する男性たちの呼称として用いられ、しばし彼らは女性への憎悪を募らせる男性優位主義者のヘイトグループとされることがあります。そして「無敵の人」とはかつての2ちゃんねる管理人として知られる西村博之氏が2008年に提唱した言葉であるとされており、元々社会的信用が皆無のため逮捕されることがリスクとならず犯罪を起こすことに何の躊躇もないような人々を指しています。

彼らは最も極端な形で「自傷的自己愛」を象徴していると同書はいいます。すなわち「インセル」や「無敵の人」においてはその自己否定の感情が暴走した結果、拡大自殺のような形で通り魔殺人などの事件を犯すことがある、ということです。こうした犯罪の背景にはしばし何かしらの社会批判が見え隠れたりもしますが、同書によればその大元には「自己否定=社会批判」というショートカットがあるわけです(もちろん、これは同書も釘を刺すように「自傷的自己愛」が強い人の犯罪率が高いという意味ではありません)。


* 自傷的自己愛とひきこもり

そして「自傷的自己愛」は斎藤氏の専門領域である「ひきこもり」にもよく見られるといいます。ここでいう「ひきこもり」の定義とは、6ヶ月以上社会参加をしない状態で、かつ何かしらの精神障害を第一の原因としない状態をいいます。現在日本には内閣府の推計で100万人以上の(斎藤氏の推計によれば200万人以上の)「ひきこもり」の当事者がいると考られており、当事者がその保護者と共に高齢化していることを含めて社会的な問題となっています。

「ひきこもり」はしばし視野の狭さや人格的な偏りなどから一種の病気とみなす主張も聞かれることもありますが、斎藤氏は精神科医として、30年以上に及ぶ臨床経験に基づき「ひきこもり」を「困難な状況にあるまともな人」とみなすことを提唱しています。そもそも「ひきこもり」とは、いじめやハラスメント、ブラックな労働環境といった「異常な状況」に対する「まともな反応」として生じるのであり、その意味で、どんな家庭で育ったどんな人でも、いつでもどこでも何歳からでも「ひきこもり」になる可能性がある、と同書はいいます。

そして往々にして「ひきこもり」の当事者は、こうした「まとも」であるがゆえに現在の状況が家族の負担になっており世間的な価値観からも批判される状態にあることをよく自覚しており、その結果、彼らは「セルフスティグマ(自分は無価値な人間であるというレッテルの内面化)」を自身に貼り付けてしまい、こうした状況での周囲からの励ましの言葉はしばし逆効果となることがあります。


* 自己愛の発露としての自傷行為

そして同書はこういった発言をするのは「ひきこもり」の人々ばかりではなく、メンタルな問題を抱える若年層には「自分が嫌い」な人が多いように思うと述べ、この「自分が嫌い」な人はいわゆる格差社会の「負け組」のみならず、社会からの評価も高くて社交性も収入もある、いわば「勝ち組」の中にもいると述べます。

こうしたことから、同書はこうした「自分が嫌い」な人たちというのは、自己愛が弱いのではなくむしろ自己愛が強いのではないかと述べます。つまり、彼らの自己否定的な発言は自己愛の発露としての自傷行為なのではないかということです。その根拠の一つとして同書は彼らが自分自身について、あるいは自分が社会からどう思われているかについて、いつも考え続けているという点を挙げています。

だとすれば、それはたとえ否定的な形であり自分に強い関心があるという、紛れもなく自己愛の一つの形といえます。こうした逆説的な感情こそが斎藤氏のいうところの「自傷的自己愛」です。


* 自己愛性パーソナリティ障害

この点、同書が第一章で述べるように「自己愛」とは従来の精神医学や精神分析の歴史においてはどちらかというとネガティヴな意味で用いられてきた言葉です。

まず、アメリカ精神医学会の編纂した「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-5)」には「自己愛性パーソナリティ障害(narcissistic parsonality disorder:NPD)」という診断名があります。

その診断基準とは誇大性、賞賛の要求、および共感の欠如の持続的なパターンであり、このパターンは⑴自分の重要性および才能についての誇大な根拠のない感覚(誇大性)⑵途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または無欠の恋という空想にとらわれている⑶自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている⑷無条件に賞賛されたいという欲求⑸特権意識⑹目標を達成するために他者を利用する⑺共感の欠如⑻他者への嫉妬および他者が自分を嫉妬していると信じている⑼傲慢、横柄のうち5つ以上が認められる必要があるとされます。

こうしたことから自己中心的な言動を繰り返しながらも我が身を省みず、自分の業績は自画自賛し、少しでも批判されれば激怒して相手を罵倒し、問題が起きてもすべて他人のせいにするような人は、しばしば「自己愛的」と評価されます。日本でも自己愛という言葉は問題行動を起こした著名人や犯罪者を表する際に「精神障害と診断できない困った人」に対するレッテルとして用いられたりもします。


* 精神分析におけるナルシシズム

そして伝統的な精神分析で自己愛とは「ナルシシズム」と呼ばれてきました。周知の通り、この「ナルシシズム」の語源はギリシア神話のナルキッソスの池に映った自分の姿に恋をした話に由来しています。

この点、精神分析の創始者、ジークムント・フロイトは「自体愛」「一次ナルシシズム」「二次ナルシシズム」という概念を提唱しています。

まず「自体愛」とは、まだ生後間もない乳児がリビドー(心的エネルギー)のすべてを口や肛門、性器など自身の体のどこか一部分に備給(心的エネルギーの移動)している状態を指しています(指しゃぶりとかマスターベーションのような行為は自体愛的な行為とされています)。

次に「一次ナルシシズム」とは自他の区別がまだつかない段階の幼児がリビドーのすべてを意識の枢要部である自我に備給している状態を指しています(もっとも最近の研究では乳幼児がかなりの早期から外的対象を認識できるとされており、今日ではフロイトの説はだいぶ分が悪いようです)。

そして「二次ナルシシズム」とは一旦は外的対象、つまり他者をはじめとする外界へ備給したリビドーを、他者への幻滅から再び自己に向け直した状態を指しています。

斎藤氏はこの「二次的ナルシシズム」を病的、退行的とみなす発想が現在の精神科臨床における「自己愛」の低評価につながっているように思われてならないといい「病的ではない二次的ナルシシズム」を「自己愛」と呼びます。


* ラカンの鏡像段階理論

そして、フロイトの精神分析を体系的に発展させたフランスの精神分析家、ジャック・ラカンもやはり「自己愛」を端的に「未熟なもの」として捉えていた、と同書はいいます。

生後しばらくの間、乳幼児は脳や脊髄などの中枢神経系統が未発達であるため、目や口や耳などの感覚器官から得られる身体興奮の束の中で生きています。この点、発達心理学における一般的理解によれば、子どもは中枢神経系統の発達過程の何処かで統合的な「自己(身体イメージ)」を獲得すると言われています。ところがラカンは、こうした中枢神経系統の発達以前に、既に子どもは自身の「自己」を視覚的イメージとして先取りしていると主張しました。

こうした視覚的イメージ化を助けるためのメディアの一つとして「鏡」があります。この点、ラカンは生後6ヶ月から18ヶ月の時期を迎えた乳幼児は「鏡」に映った自分の姿を発見し歓喜に満ちた表情を見せるといいます。すなわち、この時に子どもはそれまでバラバラだった身体興奮の束が「鏡」の中でまとまり視覚的イメージとして「自己」を発見するということです。このような発達過程をラカンは「鏡像段階」と名付けました。


* 想像界という嘘の世界

もっとも鏡が映し出す自身の鏡像とは左右が反転した自分であり、いわば自分そのものではない「嘘」の姿です。けれども人は自分の眼で自分を直接眺めることができないので、その代わりに左右反転した鏡像を自分だと思い込んでいます。鏡の力を借りている限り人が真の自分の姿に辿り着くことはできません。このような状態を精神分析では「主体は自我を鏡像の中に疎外する」などと表現します。

このように鏡像段階とはある意味で「嘘」の世界の起源であり、このような「嘘」の世界をラカンは「想像界」と呼んでいます。そして、ラカンは視覚イメージに魅了されることを多かれ少なかれ「ナルシシズム」の作用と見做しており「自己愛」の起源もまたこの鏡像段階にあると考えます。こうしてラカンにおいて「自己愛」とは鏡の中の自分というイメージを愛する「ナルシシズム」として否定の対象となっていきます。

同書は「自己愛」についてのラカンの功績は一見すると自己愛とは何も関係ないような現象や行動にも「自己愛」が宿ると看破した点にあるいい「自傷的自己愛」という概念もラカンの理論がなければ発見できなかもしれないといいます。けれどもその一方で同書は当のラカン派は「ナルシシズム」という言葉をもっとも批判的な意味を込めて使う人々だと思うと述べています。


* コフートの自己心理学

このようにフロイトやラカンが自己愛を否定的に捉えたのに対して、自己愛を肯定的に捉えた精神分析家もいます。斎藤氏がその代表として取り上げるのが米国の精神分析家、ハインツ・コフートです。

コフート理論はまず自己愛性パーソナリティ障害の治療論として世に出て来ます。この点、フロイト以来の伝統的精神分析は、リビドー備給の正常な発達過程として自体愛から自己愛へ、自己愛から対象愛へと進んでいくモデルを想定しています。これに対して、コフートの慧眼はそれとは別に自己愛独自の発達があると考えた点です。すなわち「未熟な自己愛」から「成熟した自己愛」への発展・昇華ということです。

コフートという人は、その前半生においては米国精神分析学会会長などの要職を歴任するも、後半生からは伝統的精神分析に対する疑念から独自の理論を提唱し始めます。そして、最終的には精神分析理論全領域の大改訂を成し遂げて「自己心理学」と呼ばれる全く新しい理論体系を打ち立てます。

伝統的精神分析と自己心理学の間では、その前提とする人間観が根本的に異なっています。伝統的精神分析が「罪責人間」を対象とするものであるのであれば、コフートの掲げる自己心理学は近年増えてきた「悲劇人間」を対象とするものです。

「罪責人間」とは自らの中にある快楽衝動に抗えず罪責感に苦しむ人をいいます。この点、当時の米国精神分析の主流派であった自我心理学は「自我」を強化する事でこのような葛藤を克服する事を目標としていました。

これに対して「悲劇人間」とは「自分のことを分かってくれない」「認めてくれない」という周囲の承認や共感の欠如に苦しむ人のことであり「罪責人間」とは悩みの構造が異なっています。コフートはこういった「悲劇人間」の増加という社会状況の変化を念頭に置いて、従来の精神分析理論を現代社会に相応しい形へアップデートを行なっていくわけです。


* 自己愛構造体と自己愛性パーソナリティ障害

コフートは最初の著作「自己の分析(1971)」において幼い子どもの自己愛について「誇大自己(完全で万能な自己イメージ)」と「理想化された親イマーゴ(完全で万能な親イメージ)」の二つの機制によって構成される「自己愛構造体」を仮定しました。

つまり子どもの心象風景には「わたしは何でもできる存在で、何でもしてくれる神様が、私をいつでもどんな時でも愛してくれるはずだ」という完全に自分本位の物語があるわけです。

もちろん世の中そうはなっていないわけで、成長するにつれて子どもは現実を悟っていき、誇大的な自己イメージは現実に適応した形で成熟していく、あるいはそうあるべきであるということになります。いわゆる「大人になる」ということは、自分は世界の中心でも何でもなく、社会の歯車に過ぎないというこの無情な現実を受け入れるということに他なりません。

ところが、この現実を受け入れることができず、自己愛構造体が子どものまま発達しない場合があります。こうした発達過程の歪みが自己愛性パーソナリティ障害という病理の根幹を形成するということです。

この点、従来の精神分析理論では自己愛性パーソナリティ障害においては治療者への転移(対象転移)が起きないため精神分析は適用できないとされていました。けれども、コフートは対象転移とは別の「自己愛転移」という特異的な転移を利用すれば自己愛性パーソナリテイ障害は治療可能であると主張したわけです。


* 自己と自己対象

続いてコフートは「自己の修復(1977)」において、旧来の精神分析用語を一掃し、「自己」と「自己対象」の関係性からなる「自己心理学」へのモデルチェンジを果たします。

コフートのいう「自己」とは空間的に凝集し、時間的に連続するひとつの単位であり、その人だけが持っている「パーソナルな現実」を産み出す源泉をいいます。

そして自己の枢要(中核自己)は「野心の極」と「理想の極」という二つの極から成り立つ構造を持っている。これを「双極的自己」と呼びます。

「野心の極」は「自己の分析」でいう「誇大自己」に相当し、「理想の極」は「自己の分析」でいう「理想化された親イマーゴ」に相当します。こうして子どもは「野心の極」により生じる「認められたい」という動機に駆り立てられ、「理想の極」により生じる「こうなりたい」という目標に導かれることで、初めて健全な成長が生じるということです。

そして、この「野心の極」と「理想の極」を確立させるに不可欠な要素、これが「自己対象」です。ここでいう「自己対象」とは自己の一部として体験される人や物といった対象をいいます。

まず「野心の極」を確立させるのは賞賛や承認を与えてくれる自己対象です。これを「鏡映自己対象」といいます。次に「理想の極」を確立させるのは生きる目標や道標を与えてくれる自己対象です。これを「理想化自己対象」といいます。

コフートによれば、こうした「自己対象」に恵まれなければ人は不安に満ちて傷つきやすく尊大な人間になってしまいます。つまり健全な「自己」を確立するには「自己対象」の存在が必要不可欠ということです。


* 鏡映・理想・双子

さらに、コフートは遺作となる「自己の治癒(1984)」において鏡映自己対象・理想化自己対象とは別の第三の自己対象の存在を指摘しています。これが「双子自己対象」と呼ばれるものです。

「双子自己対象」は、野心の極から理想の極へ至る緊張弓に生じる「技倆と才能の中間領域」を活性化させる作用を持つ「私もあの人も同じ境遇の人間なんだ」と実感させてくれる自己対象です。

ここで前述の双極性自己モデルは修正を加えられることになります。すなわち、コフートの最終的な中核自己モデルは「野心の極」「理想の極」「技倆と才能の中間領域」から構成される「三極性自己」ということになります。

以上から示されるように、健全な「自己」とは、「鏡映自己対象」により「野心の極」が確立し、「理想化自己対象」により「理想の極」が確立し、「双子自己対象」によって「技倆と才能の中間領域」が活性化する事で成り立つものだといういうことです。

逆にいうと、これらの三極が機能不全に陥る事で「自己の断片化」が起こり、結果、数々の精神疾患が生じてくる、ということです。

つまり、病んだ心を治療するという事は、治療者が患者の自己対象になる事で、患者の断片化した自己を再び構造化させると同時に、治療者以外の他者を自己対象として上手に依存していく術を学んでいく過程に他ならなりません。


* 共感の科学としての自己心理学

そして、ここで重要なのが「共感」という営みです。コフートによれば共感には二つのレベルがあるといいます。まず一つは、共感とは、患者の立場に身を置いて患者の代わりに内省し患者の内的世界を探索するツールという捉え方です。そしてもう一つは、共感とは、人と人の繋がりという情緒的な絆を感じられることで得られる心理的な栄養補給という捉え方です。

さらにコフートはこういった「共感」を踏まえて精神分析における「解釈」という営みは、患者の内的世界の「受容」という消極的共感からさらに一歩踏み出し「説明」を与えることで患者の内的世界を再構築していく積極的共感だと位置付けます。

すなわち、病んだ自己を健全な自己へと変えていくにはこうした「甘え(消極的共感=受容)」と「究め(積極的共感=解釈/説明)」が高度に統合された営みが必要であるという事なのでしょう。そして、このような共感による「適量な欲求不満による変容性内在化」こそが、自己対象との関係性を成熟したものへと変えていく、とコフートはいいます。その意味では自己心理学とはまさに「共感の科学」であるともいえるでしょう。


* しなやかに依存するということ

こうして、さまざまな自己対象から多くの機能やスキルを取り込むことで自己の構造は複雑化し、安定したものに変わっていきます。この安定状態をコフートは「融和した自己」と呼びます。そして、この「融和した自己」は一つのシステムとして周囲の他者と関わりながら、さらに他者の機能やスキルを吸収し、さらに安定度を高めていきます。

コフートによれば、自己愛の発達のもっとも望ましい条件は青年期や成人期を通じて自己を支持してくれる対象が持続することです。こうした対象が欠けたままでは自己愛を健全に成熟・成長させることが困難になるからです。この点、斎藤氏は「自立とは依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎氏の名言を引き、自己愛の成熟とは良き自己対象を増やすことであるといいます。

そして、おそらくその依存先=自己対象とは決して人に限らず、モノであったりライフワークであったりでも良いはずです。こうした意味で自傷的自己愛を拗らせないために最も必要なスキルとは、言ってみれば「しなやかに依存する能力」なのかもしれません。





















posted by かがみ at 23:54 | 精神分析

2023年01月26日

資本主義のディスクールと統計学的超自我



* 剰余享楽と資本主義のディスクール

精神分析の始祖ジークムント・フロイトはヒステリーをはじめとした神経症の治療を試行錯誤していく中で、神経症患者の心的現実を基礎付ける根源的衝迫を「欲動」と規定しました。そして、フランスの精神分析家ジャック・ラカンはその欲動が満たされた状態を「享楽」と名付けました。もっとも、こうしたフロイト=ラカンの観点からすれば欲動の本質とは「死の欲動」であり、その性質上、欲動の完全な満足という事態はあり得ません。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義でした。人の欲望や神経症、あるいは様々な芸術的創作やイノベーションはこうした「不可能」の関数として産み出されるわけです。

こうしたことから1960年代中盤までのラカン理論においてはあくまで享楽とはシニフィアンの取り逃した〈もの〉としての現実界の側にあり、シニフィアンの世界である象徴界からは「対象 a 」を通じて辛うじて「侵犯」することができるものとして捉えられていました。ところがラカンは1960年代後半から、ディスクールの理論を導入する事で、享楽とはむしろシニフィアンという装置により「生産」されるものとして捉えます。すなわち、シニフィアンの導入は、主体に〈もの〉の享楽を禁止すると同時に、新たな別の享楽の可能性を与えることになります。この別の享楽を「剰余享楽」といいます。

「剰余享楽」の導入は、シニフィアンと享楽の関係を統合的に捉えることを可能とします。こうした新たな観点から「精神分析の裏面(1969〜1970年)」においては「主人のディスクール」「大学のディスクール」「ヒステリー者のディスクール」「分析家のディスクール」からなる「4つのデイスクール」の理論が展開されます。

4つのディスクール.png

そしてさらに1972年、ラカンは「新しい主人のディスクール」と呼ぶべき「資本主義のディスクール」を提出します。この「資本主義のディスクール」においては主体と対象 a は遮蔽線ではなく実線で結ばれています。つまり、ここでは剰余享楽の「喪失」なき「回復」が生じていることになります。

資本主義のディスクール.png

すなわち、人々の要求が速やかに統計学的処理によりデータベース化され、その最適解が新製品や新サービスとして次々と市場に供給されていく資本主義システムにおける享楽とは、もはや到達不可能なジュイッサンスではなく大量生産されるエンジョイメントへと変容し、人々は獰猛な超自我に「享楽せよ!」と命じられるまま、市場に氾濫する対象 a の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送る事になるわけです。

このようにラカンにおける「享楽」は当初「不可能なもの」として登場しましたが、やがて「可能なもの」へと捉え直されることになり、さらには「押し付けられるもの」へと変容してしまうことになります。


* 規律権力から生政治へ

そして、こうした「享楽」をめぐるディスクールの変化を社会システムにおける「権力」という観点から捉えるのであれば、おそらくそれはミシェル・フーコーのいう「規律権力から生政治へ」というパラダイム転換として把握できるでしょう。

1950年代にフーコーはそのキャリアを心理学者としてスタートさせましたが、1960年代に入るとフーコーはかつて自らが依拠していた「(喪失したものの回収といった主題に規定される)人間学的思考」の起源を問い直すことになります。その一つの到達点が構造主義ブームの最盛期に出版され大きな反響を呼んだ「言葉と物(1966)」となります。 こうして「人間学的思考」からの脱出に一つの区切りをつけた後、1970年代に入るとフーコーは自身の研究テーマをこれまでの知と言説をめぐる分析から、知と権力の関係をめぐる分析へと転回させることになります。

この点、フーコーは権力における「抑圧」や「排除」というネガティヴな側面から、むしろ権力における「生産」というポジティヴな側面に注目するようになります。そしてこのような観点から権力のメカニズムを捉え直した研究の成果をまとめたのが「監獄の誕生(1975)」です。ここでフーコーは西洋の刑罰制度における「身体刑から自由刑へ」という処罰形式の転換を「君主権的権力から規律権力へ」という権力のメカニズムの歴史的変容との連関から解明しようとしました。

そして翌年に出版された「性の歴史1−知への意志(1976)」においてフーコーは個人の「身体」を「規律」しようとする「規律権力」の傍らに、統計学的調査の対象としての「人口」を「調整」しようとする「もう一つの権力」を描き出していきます。これがフーコーが「生政治」と呼ぶ新たな権力です。

そして彼はこのような「規律」と「調整」の両極から人の「生」に積極的に介入しようとする包括的な権力形態を「生権力」と呼び、そこで形成される様々な装置の中で最も重要なものの一つに個人の「セクシュアリティ」を位置付けます。


* 管理社会の出現

もっとも当時は多くの人がフーコーは現代社会を近代の延長線上の「規律社会」と見做していたと理解していました。ところがフーコーとともにポスト構造主義の時代を築いた哲学者ジル・ドゥルーズは晩年の著作である「記号と事件(1990)」において、こうした一般的なフーコー観を退け、フーコー自身がむしろ「規律社会」の終わりを示したと解釈しました。こうしてドゥルーズは現代において「規律社会」取って代わり登場したのが「生政治」が全面化した「管理社会」であるといいます。

ここでドゥルーズが「管理社会」を語る時、念頭にあるのが資本主義の変化です。つまり「規律社会」から「管理社会」への移行は「生産を目指す資本主義」から「販売や市場を目指す資本主義」への変化、つまり消費化/情報化社会への変化に対応しています。そして、こうした「管理社会」においては「障壁」ではなく「コンピュータ」が重要な役割を果たし、個々人の情報は例えば乗客のデータや小売店のデータや飲食店のデータや金融機関のデータというように、さまざまなデータの断片へと分割されていきます。こうして管理社会では「マーケティングが社会管理の道具」となり「いつでもどこでも」つまりユビキタスに管理され、しかもその管理は終わることなく続くと、ドゥルーズは述べています。

まだインターネットがほとんど一般的ではなかった30年以上前の時点でドゥルーズは我々の生きる現代社会の病理を恐ろしいほど的確に「予言」しているといえるでしょう。実際、現代における「管理社会」では個々人の情報はさまざまなところで捕捉され分析され記録されて、さらにこれらの情報は相互に流通しあい蓄積されていくことになります。現代を生きる我々は良くも悪くもこのシステムから逃れることはできないでしょう。


* 想像界における享楽の病理と象徴界の変容

このように近代から現代への社会像の変化は「享楽」という観点からは「主人のディスクール(享楽を殺す社会)」から「資本主義のディスクール(享楽を生かす社会)」への変化として、そして「権力」という観点からは「規律権力」から「生政治(管理社会)」への変化として把握できます。では、こうした社会における「正しさ」を担保する「秩序」はどのように基礎付けることができるのでしょうか。

この点、我が国における現代ラカン派を代表する論客として知られる精神病理学者、松本卓也氏はその著書「享楽社会論(2018)」において現代における「享楽」と「知性」の関連の中で社会における「秩序」の変容を論じています。以下、しばらく松本氏の議論を概観してみましょう。

まず氏は「反知性主義」や「ポスト・トゥルース」が台頭する今日的な政治状況から、そもそも⑴「知性」とはそれほど信頼がおけるものであったか、そして⑵「知性」と呼ばれるもの自体が現在では変容しつつあるのではないかという論点を抽出します。

この点 ⑴「知性」とはそれほど信頼がおけるものであったかという点につき、氏は人は知性では動かされず、むしろ感情や情動や情熱の水準で初めて動かされる存在であるという事実から出発する必要があるという近来の政治理論を踏まえて、今日の非-知性的な政治動向をラカン派の哲学者スラヴォイ・ジジェクに倣い「享楽の政治」と名指し、ここから今日におけるレイシズムや極右の言説を想像界における享楽の病理として位置付けます。

そして⑵「知性」と呼ばれるもの自体が現在では変容しつつあるのではないかという点につき、氏は象徴界の変容という文脈から次のように論じます。

ラカンにとって想像界とは双数的=決闘的な二者関係が支配する世界であり、終わりない憎悪と攻撃の応酬が入り乱れる世界です。この点、50年代のラカンはこのような決闘状態は象徴的な第三項、すなわち〈父の名〉を導入することによって解決されると考えていました。すなわち、想像界は決闘であり、象徴界は決闘を終わらせる契約であり、イマジネールは常にサンボリックによって乗り越えられるということです。

ならば、我々はいま象徴的な第三項に頼ることで想像界における享楽の病理を克服できるかというと、氏はそれは不可能だといいます。なぜならば、今日においては「世界秩序を平和的に統御できるような覇権」はどこにも存在せず、象徴界を契約によって秩序づける「〈他者〉の〈他者〉」はなく、さらには信頼に足るような「〈他者〉は存在しない」と考えるべきだからです。


* 象徴界のフラットな使用

そして氏によれば、このような「〈他者〉の不在」の時代におけるレイシズムや極右の言説は「象徴界のフラットな使用」とでも名付けられる手法を用いているとされます。すなわち、彼らは想像界において享楽を動員する一方で、象徴界において「データ」とか「ファクト」とか「エヴィデンス」という名で呼ばれる「括弧付きの知性」を用いるということです。

こうしてレイシズムや極右の言説における「享楽の病理」は「法は法だ」「事実は事実だ」というフラットな象徴的論理を介しても展開されることになります。こうしたフラットな象徴的論理とそこに含まれる「享楽の病理」の存在は「命令は命令である」以上はどんな命令でも官僚主義的に従うことから巨悪が展開されるというハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」を想起させる、と氏は述べます。また氏はレイシズムや極右の言説が享楽の動員のために用いるもう一つの戦略として敵対性を基盤とした同一化を挙げています。すなわち、ある任意の対象を「敵」と認定することで、この世界を「敵」と「友」を切り分けて、大衆の同一化を獲得するという戦略です。

ここで氏は確かに「〈他者〉の不在」の時代においては〈父の名〉に相当する位置に立つ人物は多かれ少なかれフィクショナルなものとして機能せざるを得ず、現代において政治的な同一化を獲得するためには「敵」を作り出し、敵対性を基盤とした同一化を行うことが少なからず必要であるとしつつも、この敵対性を無限に押し進め、他者性をなきものにしたり、他者の要求を共通の闘技の土俵に乗せることすら認めないような立場はフィクショナルな父としても不十分であるといいます。


* 現実界における〈父の名〉の回帰としての鉄の秩序

この点、晩年のラカンは「〈他者〉の不在」の時代には「父なるもの」それ自体が変質し、フェイクとしての「父もどき」が蔓延することを的確に予告していました。セミネール21「騙されない者は彷徨う(1973〜1974)」においてラカンは、現代では社会において〈父の名〉は排除されており、その〈父の名〉は「任命」の機能にとって代わられ、鉄のように冷酷な規範として社会の中に現れるという仮説を唱えています。すなわち「任命」の機能を持つ「鉄の秩序」が「現実界における〈父の名〉の回帰」として社会の秩序づけを行うことになるということです。

〈父の名〉と「鉄の秩序」はどう違うのでしょうか。そもそもラカンにおいて〈父の名〉の機能とは「欲望を法へと結びつけること」でした。生まれたばかりの子供は、母親の気まぐれな現前/不在の法則によって生死を左右される存在といえますが、まさにその母親の現前/不在という謎から子どもにおいて欲望が発生します。そして〈父の名〉は母親の現前/不在を根拠づけ、欲望をファルスへと隠喩化することで象徴的システムの安定を図る機能を持っていました。

他方で、現代のような〈父の名〉が衰退した時代においては〈父の名〉よりも「母の欲望」が優位となります。すなわち、それは社会を秩序づける原理が、父としての理想を体現する自我理想(〈父の名〉)ではなく、母性的な超自我に取って代わられることを意味しています。なぜならば「意味を欠いた法」としての超自我は〈父の名〉によってその欲望が隠喩化される以前の「母の欲望」に近いからです。

そして後にラカンが「悪魔的な力」を持っていると評したように、この超自我は主体の殲滅に至るまで命令や禁止を繰り返すだけであり、どこかの時点で主体に承認を与えるということがありません。

この点、精神分析家、マリー=エレーヌ・ブルースは、このような〈父の名〉から「鉄の秩序」への変化を現代における主人のディスクールの変化として解釈し、それを子どもに「然り」を告げる包摂的秩序から子どもに気まぐれで横暴な命令と「否」だけを告げる排除的秩序への変化として理解しています。

すなわち〈父の名〉の機能しない現代において、普遍的なものを基礎付ける大文字の〈法〉の代わりに現れるのは、官僚主義的に「〇〇してはいけません」という「否」や「理由はともかく、私がこう言っているのだからこうすべきだ」という命令を羅列する一種の小文字の法であるということです。このような小文字の法は大文字の〈法〉が失墜した後に回帰してきた「鉄の秩序」そのものといえます。


* 統計学的超自我の出現

「いかなる理由があろうとも規則だからダメだ」「私の迷惑になるからダメだ」という反駁不可能な論理が公共空間の中に満ちることをその特徴とするこのような「鉄の秩序」はまさしく、象徴界のフラットな使用により想像界において享楽を動員する当のものであるともいえるでしょう。

そして、このような小文字の法の論理を今日支えているものは「データ」とか「ファクト」とか「エヴィデンス」などといった「政治的正しさ」によって支えられた超自我です。ブルースは次のように述べて、そのような現代社会における超自我を「統計学的超自我」と名付けています。

1974年のこの講義(ラカンのセミネール21の講義)の際に、任命に言及したとき、ラカンは、〈父の名〉は今日では排除されているということを付け加えています。ならば、排除されたものは現実界のなかに回帰するという公式に従って、〈父の名〉は現実界のなかに再来するということになります。排除された〈父の名〉は、どのように現実界のなかに再来するのでしょうか?どのような方法で再来するのでしょうか?〈父の名〉は、社会規範としてディスクールのなかに再来するという仮説をラカンは表明しています。

現在、主人として働いているのは、このシニフィアン(=数字・平均・比)、つまり科学の権力を要求する専制の主人なのです。正規分布の中央が、社会秩序なのです。これが今日の〈父の名〉です。ポリティカル・コレクトネス、コンサンセス、存在する権利を正当化できる唯一のものについてのエヴィデンスの保証といったものがそれにあたります。

このような社会秩序を、ラカンは「鉄の秩序」と評しています。この秩序は、〈父の名〉よりも獰猛なものです。なぜなら、鉄の秩序は禁止の事例がそうであったように欲望に相関しているのではなく、直接的な方法で享楽に相関しているからです。誰かが皆さんに「否」と言うときには、欲望が生じることが可能です。しかし「否」の場所に到来するものが数字であったとすれば、もはや超自我しかそれに返答することはできません。

私は、この新しい超自我にふさわしい名前を見つけようとしました。この新しい超自我の名前は、自我理想を犠牲にして書くことができる名前です。今日では「(新しい超自我である)統計学的超自我(surmoi statistique)」について語ることができるでしょう。



* 統計学的超自我の時代における知性

今日においてブルースのいう「統計学的超自我」の力は政治、経済、労働、医療、教育、福祉といったあらゆる領域において急速に高まりつつあります。こうしたことから、松本氏はラカンの「世界中が恥ずべき合意形成へと滑り落ちていく際に発せられる『否 non』というシニフィアン」という言葉を引用し「この惨澹たる現状そのものに対して大文字の『否』を突きつけることである」と述べます。

もっともその一方で、こうした「統計学的超自我」の全面化は「大きな物語」の失墜したポストモダン化の必然的帰結であるともいえます。いまや我々は「統計学的超自我」の時代を生きているという事実を受け入れないわけにはいかないでしょう。そして、こうした状況においてもなお「象徴界のフラットな使用」による「享楽の病理」から逃れていくには「データ」や「ファクト」や「エヴィデンス」という名でもっともらしく提示される二項対立を常に問い直していく態度は不可欠であるといえるでしょう。

こうした意味で、かの名高きニーバーの祈りにあるように「変えることのできるものを変える勇気」と「変えることのできないものを受け止める静けさ」の双方を使い分けていくための「変えることのできるものと変えることができないものとを識別する知恵」を希求することこそが現代における「知性」のささやかなあり方ではないでしょうか。

























posted by かがみ at 03:07 | 精神分析

2022年12月29日

欲望と享楽のエチカ



* エディプス・コンプレックスと〈他者〉の欲望

時は20世紀初頭、精神分析の始祖であるジークムント・フロイトは当時謎の奇病とされたヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中、患者の心的現実を基礎付ける内因的な欲動の存在を想定し、独自の欲動発達論を主張しました。すなわち、フロイトによれば、幼児のリビドーは身体の各粘膜部位に性感帯を持つ自体愛的な部分欲動として生後間もなく生じ「口唇期(1歳頃まで)」「肛門期(2〜3歳頃)」「男根期(4〜5歳頃)」という一定の発達段階プログラムを経由して、やがて「部分対象(身体部位)」から「全体対象(他者)」へ向けられることになります。

この点、男根期に入ると幼児は性の区別に目覚め、異性の親に愛着を持つ一方で、同性の親に対する憎悪を抱くとフロイトは考えました。このような幼児の抱く心的観念の複合体をフロイトはギリシア悲劇に倣い「エディプス・コンプレックス」と命名しました。フロイトはこの「エディプス・コンプレックス」の解消のされ方がセクシュアリティの確立や超自我の形成、そして神経症的葛藤の成立における重大な要因となると述べています。

この一見して奇怪なフロイト神話を構造言語学の知見を用いて再解釈したのがフランス現代思想史における構造主義の代表的論客として知られる精神分析家ジャック・ラカンです。ラカン理論の最も大きな特徴は人の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相によって把握する点にあります。ここでは「想像界」を統御するのが「象徴界」であり「象徴界」を駆動するのが「現実界」であるとされてます。そして、ラカンは「象徴界」に対する心的機制を基準として、人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかへと鑑別しました。

この点、ラカンは「精神病(1955〜1956)」において、エディプス・コンプレックスとは〈父の名〉という「象徴界の法」を示すシニフィアンの導入であり、この〈父の名〉が欠損していることが精神病の構造的条件であると主張しました。ついで、ラカンは「対象関係(1956〜1957)」においてファルスという対象の欠如を巡って、人のセクシュアリティがどのように規範化(正常化)されるかを論じ、さらに「無意識の形成物(1957〜1958)」においては前駆的な象徴秩序(原-象徴界)がいかにして〈父の名〉によって統御されるかを論じています。

こうして、エディプス・コンプレックスというのは⑴セクシュアリティの規範化と⑵原-象徴界の統御という二つの機能を持っていることが明らかになります。そこで、ラカンは、ソシュールの構造言語学のアルゴリズムを応用し、この二つの機能を一つの論理に圧縮します。これが「父性隠喩」と呼ばれる以下の構造式です。

父性隠喩.png

幼児の前で繰り返される母親の現前/不在というセリーは「母の欲望」の「謎=x」がそれぞれシニフィアン/シニフィエの関係を構成し、子どもは「xの想像的形態としてのペニス=想像的ファルス」への同一化を試みることになります(母の欲望/x)。けれどもこの同一化は結局上手くいかず、やがて「母の欲望」は〈父の名〉という「法」を名指すシニフィアンに置き換えられることになります(〈父の名〉/母の欲望)。

結果「象徴界」としての「大文字の他者(A)」が成立すると同時に、置き換えによる固有の意味作用として「象徴界における欠如=欲望」を名指すシニフィアンである「象徴的ファルス」が成立します。この段階をラカンは「象徴的去勢」と呼びます。

この点、ラカンは「人の欲望は〈他者〉の欲望である」といいます。それは上述のように人の欲望は「母の欲望」や〈父の名〉といった大文字の〈他者〉の上に成り立っていることを意味しています。こうしてラカンのいう「象徴界」とは「象徴的ファルス」によって駆動されるシニフィアン連鎖の「構造」として作動することになります。


* アンチ・オイディプスの衝撃

このようにラカンは人間の欲望が成立するプロセスとしてエディプス・コンプレックスを構造的に読み解きました。ところが、こうした「神経症的欲望(精神分析的欲望)」とは異なる欲望のあり方を提示したのが、フランス現代思想史においてポスト構造主義を代表する論客として知られるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリです。彼らが1972年に発表した共著「アンチ・オイディプス−−資本主義と分裂症(1972)」は発売されるや否や若年層を中心に熱狂的に歓迎され、 1970年代の大陸哲学における最大の旋風の一つを巻き起こしました。





AOにおいて究明されたテーマはずばり「欲望」です。ここでドゥルーズ=ガタリは「欲望する諸機械」という奇妙な概念を提示します。つまり「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「諸機械」に宿る非主体的、非人称的な力の作用のことをいいます。

これら「欲望機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだします。こうした矛盾した二面性からなる連続的プロセスをドゥルーズ=ガタリは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった表現で定式化します。

ドゥルーズ=ガタリから言わせれば「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているということです。ここからドゥルーズ=ガタリは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出します。

こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ=ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分します。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるといいます。

すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになります。こうした意味において、幼児の多様多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、同書の立場からはラディカルに批判されることになります。

そして同書はシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めました。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部に在ります。すなわち、この世界を分裂症の側から観るということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他ならなりません。こうしてドゥルーズ=ガタリは「いわゆる正常=神経症」という従来の精神分析的構図をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱しました。

分裂分析が目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された「千のプラトー(1980)」において「リゾーム(根茎)」という概念へ昇華されます。「リゾーム」とはタケやハスやフキのように横に這って根のように見える茎、地下茎のことをいいます。この点「ツリー(樹木)」は1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えています。これに対して、リゾームには全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなります。こうしたリゾームという言葉によって、ドゥルーズ&ガタリは、旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのでした。


* 否定神学システムと郵便=誤配システム

「アンチ・オイディプス」と「千のプラトー」においてドゥルーズ=ガタリは「神経症的欲望(精神分析的欲望)」から解放された「ポスト神経症的欲望」への展開を志向しています。いわば「神経症的欲望」が、単一的な欠如をめぐってひたすら空回りを続ける欲望観だとすれば「ポスト神経症的欲望」とは複数的な可能性に向けて発散していく欲望観であるといえます。この点、両者の欲望観を我が国の現代思想シーンの中に位置付けるとすれば、おそらく両者の相違は東浩紀氏が「存在論的、郵便的(1998)」において提示した「否定神学システム」と「郵便=誤配システム」の相違へと送り返すことができるでしょう。





東氏は同書において、ドゥルーズ=ガタリと並ぶポスト構造主義の論客として知られるジャック・デリダが1970年代初頭から1980年代にかけて発表した一連の実験的テクスト群に光を当てて、デリダの「脱構築」を「否定神学システム」と「郵便=誤配システム」という二つの側面から再整理しています。ここでいう「否定神学システム」とは、シニフィアンからシニフィエへの循環運動の「穴(ゲーテル的亀裂)」を発見した上で、この「穴」を「超越論的シニフィアン」で縫合し、全てのシニフィアンの運動をこの超越論的シニフィアンという最終審級へと回収してしまう思考様式です。こうした「否定神学システム」の先駆としてマルティン・ハイデガーの存在論が挙げられます。そしてハイデガーの強い影響下にあった1950〜1960年代のフランス現代思想もやはり、ラカンやデリダも含めてこの「否定神学システム」の磁場に支配されていたといえます。

これに対して東氏は1970年代に発表されたデリダの実験テクスト群の中に「否定神学システム」から逃れていく別の思考を発見し、これを「郵便=誤配システム」と名づけました。ここでいう「郵便=誤配システム」とは端的に言えばシニフィアンが予期せぬシニフィアンに誤配される不完全で歪なネットワーク/コミュニケーション空間のことです。それは具体的には「思い違い」「読み違い」「書き違い」などといった形で我々の日常生活の中に現れます。こうした「郵便=誤配システム」からは「否定神学システム」における「穴」とは、ネットワーク/コミュニケーションの効果として顕現する仮象として把握されることになります。そして、こうした東氏の図式から見ると「神経症的欲望」は「否定神学システム」に規定されており「ポスト神経症的欲望」は「郵便=誤配システム」に折り重なっているといえるでしょう。


* 享楽の前景化

もっとも、このようなラカンとドゥルーズ=ガタリの対立は、1950年代のラカン理論を前提とする限りにおいてです。なぜならば1960年代以降のラカンもまたエディプス・コンプレックスを相対化する方向へと大きく舵を切っているからです。そして、このラカンの理論的変遷の中で前景化してくるのが「享楽」という概念です。





周知の通りフロイトは人の中に内在する根源的衝迫を「欲動」と規定しました。そして、ラカンはその欲動の満足状態を「享楽」と呼びます。もっともフロイト=ラカンによれば欲動の本質とは「死の欲動」であり、その性質上、完全な「満足」ということはあり得ません。それゆえにラカンのいう「享楽」とはそもそもの意味では「不可能」と同義でした。人の欲望や神経症、あるいは様々な芸術的創作やイノベーションはこうした「不可能」の関数として産み出されるわけです。

まず「精神分析の倫理(1959〜1960)」においてラカンは「享楽」を〈もの〉との関連で取り上げています。ここでいう〈もの〉とは、外界からの刺激を受けた心的装置が決定的に取り逃がした何かであり、象徴界の外部としての現実界を構成します。

心的装置.png

その後、ラカンはシニフィアンの間隙を縫って出現してくる〈もの〉のごとき断片を「対象 a 」という概念で捉えるようになります。そして「精神分析の四基本概念(1964)」においては「疎外と分離」の図式により、シニフィアンの枠組みの中での対象 a の位置が明らかにされました。

疎外と分離.png

けれども、この時点では享楽とはあくまで〈もの〉の側にあり、シニフィアンの世界からは対象 a を通じて辛うじて「侵犯」することができるものとして捉えられていました。ところが、ラカンは1960年代後半から、ディスクールの理論を導入する事で、享楽とはむしろシニフィアンという装置により「生産」されるものとして捉えます。すなわち、シニフィアンの導入は、主体に〈もの〉の享楽を禁止すると同時に、新たな別の享楽の可能性を与えることになります。この別の享楽を「剰余享楽」といいます。

剰余享楽の導入は、シニフィアンと享楽の関係を統合的に捉えることを可能とします。こうした新たな観点から「精神分析の裏面(1969〜1970年)」においては「主人のディスクール」「大学のディスクール」「ヒステリー者のディスクール」「分析家のディスクール」からなる「4つのデイスクール」の理論が展開されます。

4つのディスクール.png

ディスクールの理論が示しているのは、ある社会的紐帯によって何が産み出され、結果、何が真理とされるのかという一つの構造です。これは1968年の5月革命における「構造は街頭に繰り出さない」というアジテーションに対するラカンからの反論でもあります。


* 享楽の洪水

そしてさらに1972年、ラカンは「新しい主人のディスクール」と呼ぶべき「資本主義のディスクール」を提出します。

資本主義のディスクール.png

この「資本主義のディスクール」においては主体と対象 a は遮蔽線ではなく実線で結ばれています。つまり、ここでは剰余享楽の「喪失」なき「回復」が生じていることになります。すなわち、人々の要求が速やかに統計学的処理によりデータベース化され、その最適解が新製品や新サービスとして次々と市場に供給されていく資本主義システムにおける享楽とは、もはや到達不可能なジュイッサンスではなく大量生産されるエンジョイメントへと変容し、人々は獰猛な超自我に「享楽せよ!」と命じられるまま、市場に氾濫する対象 a の洪水の中でただわけもわからず資本主義システムという回し車を回し続けるネズミのような人生を送る事になるわけです。

このようにラカンにおける「享楽」は当初「不可能なもの」として登場しましたが、やがて「可能なもの」へと捉え直されることになり、さらには「押し付けられるもの」へと変容してしまうことになります。こうした意味からドゥルーズ=ガタリにおける「欲望機械」と70年代ラカンにおける「対象 a 」は理論的にほぼ等価的な位置にあるといえるでしょう。

そして消費化と情報化が極まりグローバル化とポストモダン化がますます加速する現代は、一方でドゥルーズ=ガタリの目論み通りオイエディプスが失墜した「リゾーム」の時代ともいえますが、他方でラカンが予見したように獰猛な超自我が支配する「資本主義のディスクール」の時代ともいえるでしょう。けれども、こうした時代における抵抗の拠点もまた、ドゥルーズ=ガタリとラカンの言説の中に見出すことができるでしょう。


* 倒錯的な精神病とリトルネロ

まずドゥルーズ=ガタリが「アンチ・オイディプス」において展開した議論は単にオイディプスからの逃走に尽きる単純なものではありません。この点、千葉雅也氏はAOにおいてドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定しているものの、その背景にはドゥルーズが「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」で展開した独自の倒錯論(急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズム)が潜んでいるとして、この事実は「ポスト神経症的欲望」をいわば「精神病と倒錯のオーバーダブ」として捉える立場を示唆しているとしています。

すなわち「分裂分析」とは千葉氏によれば実は「分裂-マゾ分析」であり、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われるということです。そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば〈性別化のリアル〉の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになります。それゆえに、彼らの称揚した「欲望」とは、サディズム(イロニー)とマゾヒズム(ユーモア)の往還運動によってこの世界を別の仕方で多重化していく欲望であったといえます。

また「千のプラトー」においてドゥルーズ=ガタリは暗闇の中で子供が口ずさむ歌を切り口に「リトルネロ(リフレイン)」という概念を論じています。このリトルネロという営為は何にもまして、無秩序なカオスの中に自分のテリトリーを創り出す「領土性のアレンジメント(編成)」です。そして、それは生成流転する世界の中に暫定的な秩序としての「居場所」ないし「住み処」を創りだす技法でもあります。

周知の通り「千のプラトー」という本の通奏低音をなすのは「ツリーからリゾームへ」というパラダイムシフトです。確かに「ツリー」という旧来の秩序が曲がりなりにも健在であった当時において、同書が前面に押し出した「リゾーム」という新たな秩序は時代に対する強烈な批判力となり得ました。けれども「ツリー」が完全に失墜し、全世界的に「悪しきリゾーム」というべき「資本主義のディスクール」が加速する現代における抵抗の拠点はむしろ「リゾーム」を減速させる契機を創り出す「リトルネロ」に見出されるのではないでしょうか。


* 〈他〉の享楽とララングの享楽

その一方で晩年のラカンもまた「享楽」が氾濫する時代における精神分析の在り方を示しています。まずは「アンコール(1971〜1972)」においてラカンは「性別化の式」と呼ばれる次のような図式を提示しています。

性別化の式.png

ここで「男性側の式」を示す左下(∀xΦx)と左上(∃xΦx)では「すべての男性はファルス関数に従属しているが、少なくとも一人以上、ファルス関数への従属を免れている例外が存在する」という命題が示されています。この命題は、言うなればこれまでのラカン理論における享楽の在り処を再確認するものであるといえます。

これに対して「女性側の式」を示す右上(∃xΦx)と右下(∀xΦx)では「ファルス関数への従属を免れた女性がいるわけではないが、すべての女性がファルス的関数に従属しているわけではない」という何とも不可解な命題が示されています。この命題は、これまでのラカン理論を超えた享楽の在り処を示唆するものであるといえます。





さらに70年代におけるラカンはシニフィアン連鎖以前の、言語として構造化されていない「単独のシニフィアン」を重視しています。

この点、子供が最初に出会うトラウマ的シニフィアンを、ラカンは「ララング(lalangue)」といいます。子どもの身体がララングと邂逅した時、その痕跡は「一の印」として身体に刻み込まれ、ここにトラウマ的享楽がもたらされることになります。

すなわち、子どもにとってララングとは情報の伝達手段ではなく、トラウマ的享楽を反復するための私的言語に他なりません。しかしある時から、大多数の子どもはララングを使うことを諦め、情報の伝達手段としての言語(langage)の世界である「象徴界」へ参入します。こうして子供は次第にララングと折り合いをつけ、結果、シニフィアン連鎖によって構造化された無意識が形成されることになります。

この点、こうしたシニフィアン連鎖を切断して再び「ララングの享楽」へと向かう精神分析的実践を現代ラカン派では「逆方向の解釈」と呼びます。そして、こうしたプロセスの中で分析主体はその人だけが持つ特異的=単独的な固有の享楽のモードと向き合っていくことになります。


* 欲望と享楽のエチカ

こうしてみると、いまやエディプス主義者ラカンと反エディプス主義者ドゥルーズ=ガタリという二項対立は完全に過去のものといえます。むしろ両者は共に「ポスト・エディプス」として出現した「さらに悪いもの」へ抗うための思想として位置付け直す事ができるでしょう。

そして、こうした観点から両者を読み直し、その上で改めて両者の差異を問い直していくその過程の中にこそおそらく、この「さらに悪いもの」が席巻する時代における欲望と享楽のエチカを見出すことができるのではないでしょうか。




































posted by かがみ at 00:52 | 精神分析

2022年11月29日

リトルネロの諸相



* いないいない-ばあ〈Fort-Da〉

精神分析の始祖、ジークムント・フロイトは後期を代表する論文「快原則の彼岸(1920)」において、自身の孫の糸巻き遊びに着想を得て、従来の理論を大幅に更新する「思弁」を展開しています。それまでのフロイトの理論では、人の精神は根源的には「性欲動」と「自我欲動」に規定されており、一方で性欲動は快を目指して不快を回避する快感原則により駆動し、一方で自我欲動は快感原則に一旦歯止めを掛けて自己保存を図る現実原則により駆動するとされています。ところがフロイトは孫のエルンストが糸巻きを使って反復する「いないいない-ばあ〈Fort-Da〉」の遊びの中に従来の自身の理論からは説明し難い衝迫を見出し、ここから従来の「性欲動」と「自我欲動」の対立に代わる「生の欲動」と「死の欲動」の対立を提示しました。

そしてフロイト理論を緻密に読み直したことで知られるフランスの精神分析家、ジャック・ラカンはこの〈Fort-Da〉の反復運動から象徴的秩序(言語秩序)の組成を論じています。ラカンによればフロイトが見出した〈Fort-Da〉とは「人間という動物が象徴界の秩序から受け取る決定をその最も根本的な特徴において表現している」といいます。すなわち、エルンストは母親が現れてはいなくなるというという現実的な出来事を、糸巻きの出現と消失の反復によって把握して、象徴化しているということです。ここからラカンは「現前(+)」と「不在(−)」の二分法からなる原初的象徴化のメカニズムを解明していきます。

これに対してフロイトに真っ向から反旗を翻した「アンチ・オイエディプス(1972)」で一世を風靡したポスト構造主義の代表的論客であるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはその続編である「千のプラトー(1980)」において「精神分析家は〈Fort-Da〉を適切に語ることができない」と批判します。そして、ここでドゥルーズ=ガタリが〈Fort-Da〉を「適切に語る」ものとして提示するのが「リトルネロ」という概念です。

* 領土性のアレンジメントとしてのリトルネロ

暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌を歌えば安心だ。子どもは歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものである。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスのなかに秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれねという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。

(千のプラトーより)


われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子供が暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは、歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない-ばあ」〈Fort-Da〉の呪文を唱えたりする(精神分析家は〈Fort-Da〉を適切に語ることができない。〈Fort-Da〉は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読み取ろうとするからだ)。タララ、ラララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つの節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌い始める。

(千のプラトーより)


ドゥルーズとガタリは「千のプラトー」において、暗闇の中で子供が口ずさむ歌を切り口に「リトルネロ(リフレイン)」という概念を論じています。まわりに何があるのか分からない混沌とした場所で、子供は、何かしらのフレーズを口ずさむことによって、少しの安心と勇気を得ることができる自分自身の居場所ないし領域、すなわち「領土」をかろうじてつくりあげるわけです。こうしたことから、フロイトのいう〈Fort-Da〉とは実はリトルネロであったと主張します。

こうした観点からいえば、このリトルネロという営為は何にもまして、無秩序なカオスの中に自分のテリトリーを創り出す「領土性のアレンジメント(編成)」です。この点、彼らによれば「領土」とは、例えば動物が匂いによって自分のテリトリーをマーキングするように、未だ分割されていない土地に刻印(マーキング)することによって誕生するものです。また彼らのいう「アレンジメント」とは、言葉や身体などのあり方を条件づける社会的文脈の配置編成のことである。言葉や身体はもちろん事物も道具も、つねに、社会的な文脈の中で価値を帯びるものだということを、ドゥルーズ=ガタリは強調しています。

そして、このように人間や動物がある任意の場所を自分のテリトリーであると主張する手段は当然、歌だけではありません。ドゥルーズ=ガタリがいうようにリトルネロには領土を創造する「音響リトルネロ」ばかりでなく、領土へ誘惑する「色彩リトルネロ」や、領土を防衛する「姿勢リトルネロ」も存在します。すなわち、人間や動物は他の種から区別されるばかりでなく、同じ種の他の個体からも区別される独自の「音響」「色彩」「姿勢」といった独自のリトルネロを形成する、ということです。


* 音響リトルネロ・色彩リトルネロ・姿勢リトルネロ

この点、ドゥルーズ=ガタリは後に「哲学とは何か(1991)」という著作のなかで、一羽の鳥を参照しながら、芸術家について語っています。

オーストラリアの多雨林に棲む鳥、スキノピーティス・デンティロストリスは、毎朝あらかじめ切り取っておいた木の葉を下に落とし、それを裏返すことによって、色の薄い裏面を地面と対照させ、こうしていわば(モダン・アートにおける)レディ・メイドのような情景をつくり、そして、その真上で、蔓や小枝にとまって、くちばしの下に生えている羽根毛の黄色い付け根をむきだしにしながら、ある複雑な歌を、すなわちスキノピーティス自身の音色と、スキノピーティスがその間、間断的に模倣する他の鳥の音色によって合成された歌を歌う−−この鳥は完璧に芸術家である。
(「哲学とは何か」より)


ここで彼らはスキノピーティスの動きとともに、リトルネロを音の領域から全ての感覚に拡げています(なお、スキノピーティス・デンティロストリスとは、和名でハバシニワシドリ(庭師鳥の一種)のことです)。

すなわち、スキノピーティスはまず、地面に葉を落とし、色の薄い葉の裏を表にして地面との対比をつくりあげます(色彩による差異)。そしてそのテリトリーの上方の木の枝にとまり、くちばしの下の羽根毛の黄色い付け根をむきだしにして(色彩リトルネロと姿勢リトルネロ)、自身の鳴き声をも真似ながらさえずります(音響リトルネロ)。こうして色彩・姿勢・音響のブロックとともに複数のリトルネロが形成されることになります。


* 芸術の起源としてのリトルネロ

このように動物のテリトリーを印付けるリトルネロがドゥルーズ=ガタリにとって重要なのは、それが「芸術の起源」の問題と深く関わっているからです。彼らによれば、芸術とは人間に固有のものではなく、むしろ「芸術は、おそらく、動物と共にはじまる。少なくとも、テリトリーを裁断し家をつくる動物とともにはじまる」とされます。

すなわち、ドゥルーズ=ガタリは自らのテリトリーを示す動物のさまざまな表現(色彩・姿勢・音響)がすでに芸術であり「芸術はたえず動物につきまとわれている」と述べています。おそらく、ここには芸術をあらゆる「人間化」から奪い返そうとする意思を見ることができるでしょう

ところでドゥルーズは「芸術作品は、諸感覚のブロック」であるとも述べています。ここには「感覚」とは我々人間が所有するものではなく、むしろ「感覚」こそが人間を存在させているという認識があります。そして、芸術作品はそうした人間の把握する「(知覚や感情を超えた)感覚」の存在とともに可能になるということです。

そして重要なのは、そうした諸感覚の塊が、一種のリトルネロとして考えられている点です。もっともドゥルーズ=ガタリによれば、芸術家がなすべきことはリトルネロが創り出すテリトリーに安住することではなく、むしろ芸術の本領とはリトルネロの外にある「宇宙の力」を捉えることにあるとされます。すなわち、彼らにとってのリトルネロとは領土を外へとひらくために領土を創設する営為であり、純粋な混沌の暗闇を回避しながらも自己を越えるような大きな力を引きこむための営為であるということです。彼らは「千のプラトー」でこう書いています。「カオスの諸力、大地の諸力、そして宇宙的な諸力、これらがすべて、リトルネロの中で衝突し、競い合うのだ」。


* 日常におけるリトルネロ

リトルネロ。それは生成流転する世界の中に暫定的な秩序としての「居場所」ないし「住み処」を創りだす技法でもあります。そして、こうした意味でのリトルネロは我々の日常の至る所に−−例えば自閉症スペクトラム障害に顕著とされる常動反復運動に、または「萌え」とか「推し」などと呼ばれる特定の対象へのアディクションに、あるいは近年において医療やビジネスなどの分野で注目を集めるマインドフルネスに−−見出すことができるでしょう。

周知の通り「千のプラトー」という本の通奏低音をなすのは「ツリーからリゾームへ」というパラダイムシフトです。確かに「ツリー」という旧来の秩序が曲がりなりにも健在であった当時において、同書が前面に押し出した「リゾーム」という新たな秩序は時代に対する強烈な批判力となり得ました。けれども、国民国家という「ツリー」が完全に失墜し、全世界的にグローバル化やネットワーク化といった「リゾーム」が加速する一方である現代においては、むしろ同書は「リゾーム」を減速させる契機となる「リトルネロ」に光を当てながら「リゾームからリトルネロへ」というさらに新たなパラダイムシフトから読み直されていくのではないでしょうか。












posted by かがみ at 01:09 | 精神分析