【参考リンク】

現代思想の諸論点

精神病理学の諸論点

現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2025年07月27日

リゾームとアーキテクチャ



* アンチ・オイディプスの衝撃

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス−−資本主義と分裂症』(1972)は1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた「欲望」の奔流を原理的に考察して1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こしました。

同書の主旋律を成すのはその極めて激越なまでの精神分析批判です。この点、精神分析を創始したオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは19世紀末、当時謎の奇病とされたヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中で、その原因が幼児期の性生活に由来する性的欲望と性的空想のなかにある事を突き止めて、幼児期の性生活の中核には、異性の親に愛着を持つ一方で同性の親に対する憎悪を抱くという「エディプス・コンプレックス」なる心的葛藤があることを発見しました。

この一見して奇怪なフロイト神話を構造言語学の知見を用いて再解釈したのがフランスの精神分析家ジャック・ラカンです。ラカン理論の最も大きな特徴は人の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相によって把握する点にあります。そして、ラカンはエディプス・コンプレックスを「象徴界」という「シニフィアンの構造」を統御するシニフィアンである〈父の名〉の導入として捉え、この〈父の名〉が正常に導入されているか否かを基準として、人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかへと鑑別しました。

これに対してドゥルーズ&ガタリはフロイト=ラカンが提示するエディプス・コンプレックスに規定された「神経症=いわゆる正常」という構図を真正面から批判します。この点、ドゥルーズ&ガタリは「欲望機械」という奇妙な概念を提示します。彼らによれば「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「機械」に宿る非主体的な力の作用であり、これら「欲望機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだすといいます。こうした矛盾した二面性からなるプロセスを彼らは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった両義的な表現で定式化しました。

この「欲望機械」なる概念はガタリが提示した「機械-対象 a 」という概念に由来します。ガタリは「機械と構造」(1969)という論文において「構造」を重視する1950年代のラカンを批判しつつ「構造を超えるもの」として1960年代のラカンが提示した「対象 a 」に注目し「機械-対象 a 」という概念を提示しました。この点、ラカンのいう「対象 a 」とは「構造を越えるもの」として「構造」を安定させる装置であり、そこに「構造」それ自体を変革する契機は存在しません。これに対して、ガタリのいう「機械-対象 a 」は「構造」という名の因果の連関を多様多彩な形へと切断して「構造」に規定された「一般性」に回収不能な個々の「特異性」を切り出す機能を担っています。すなわち「機械-対象 a 」はいわば「構造」を常に脱構築していく装置です。このような「機械-対象 a 」の持つ機能をさらに拡大したものがドゥルーズ&ガタリのいう「欲望機械」です。

こうしたことから、ドゥルーズ&ガタリにとって「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているものとして捉えられます。それゆえに彼らは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出すことになります。


* ツリーからリゾームへ

こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ&ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分しました。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるといいます。

すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになります。こうした意味において、幼児の多様多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、それゆえに彼らはラディカルな批判を浴びせます。

そしてドゥルーズ&ガタリはシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めました。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部をなしています。すなわち、この世界を分裂症の側からみるということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他なりません。こうしたことからドゥルーズ&ガタリは精神分析のオルタナティブとして、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱します。

このように『アンチ・オイディプス』においてドゥルーズ&ガタリが目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された『千のプラトー』(1980)において打ち出された「ツリーからリゾームへ」というテーゼへと昇華されることになります。

ここでいう「ツリー(樹木)」とは1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えています。これに対して「リゾーム(根茎)」とは全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなります。こうした「リゾーム」という言葉によってドゥルーズ&ガタリは旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのでした。


*『構造と力』とニュー・アカデミズム

オイディプスの首を切り飛ばし、千の欲望を表出せよ!こうしたドゥルーズ&ガタリの激越なメッセージは1970年代という革命の夢が潰えた時代においてはある種の解毒剤の役割を果たし、フランス内外で熱狂的な反響を呼び起こしました。そして日本でも1980年代以降における国内批評シーンにおいて彼らは少なからぬ影響力を行使しています。

日本経済が空前のバブル景気へ向かいつつあった1983年9月、勁草書房という人文系出版社から一冊の本が出版されました。タイトルは『構造と力』。著者は浅田彰。当時、京都大学人文科学研究所助手のポストにあった弱冠26歳の青年が著したこの本はフランス現代思想を題材にした難解な思想書にもかかわらず15万部を超えるベストセラーとなり、世の中に「ニュー・アカデミズム」と呼ばれる空前の現代思想ブームを巻き起こします。

同書は「序に代えて《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み−−千の否のあと大学の可能性を問う」において、いま大学という場で真に学ぶべき知とは何かという問いにつき、重要なのは「感性によるスタイルの選択」であり「言ってしまえばシラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである」と主張します。こうした観点から同書の第T部においては構造主義とポスト・構造主義のパースペクティヴが素描され、第U部においては構造主義のリミットとしてラカンが位置づけられ、その後いよいよポスト・構造主義の大本命としてドゥルーズ&ガタリが登場します。

この点、同書はドゥルーズ&ガタリの「コード化」「超コード化」「脱コード化」という三段階説に依拠した上で、脱コード化を極限まで推し進め「内部」から「外部」に出よと力説します。もっとも、ドゥルーズ&ガタリがいうところの「オイディプス的三角形」をはじめとする近代資本社会に実装された様々な「整流器」は「脱コード化」を促す過剰の奔出をなし崩し的に解消して、同書が「クラインの壺」と呼ぶ無限循環回路へと還流させていくことになります。腰を落ち着けたが最後「外部」は新たな「内部」になります。こうした「クラインの壺」の中でなお「外部」へ突き抜けようとするのであれば、重要なのは「常に外へ出続ける」というプロセスに他ならないということです。


* パラノ・ドライヴとスキゾ・キッズ

こうして同書終盤で示された「パラノイアックな競争/スキゾフレニックな逃走」というコントラストは浅田氏の次著「逃走論(1984)」においてポストモダン社会における「若者の生き方論」へと接続されることになります。

同書は「過去のすべてを統合化=積分して背負いこみ、それにしがみついている」ことを偏執型(パラノイア)に準えて「パラノ型」と呼び、これに対して「そのつど時点ゼロにおいて微分=差異化している」ことを分裂症(スキゾフレニー)に準えて「スキゾ型」と呼びます。

そして「パラノ人間」が「《追いつけ追いこせ》競争の熱心なランナー」であり、これに対して「スキゾ人間」は「《追いつけ追いこせ》競争に追い込まれたとしても、すぐにキョロキョロあたりを見回してとんでもない方向に走り去ってしまう」のであり「《追いつけ追いこせ》のパラノ・ドライブによって動いている近代社会は、そうしたスキゾ・キッズを強引にパラノ化して競争過程に引きずり込むことを存立条件としており、エディプス的家族をはじめとする装置は、そのための整流器のようなものである」といいます。

こうして浅田氏は今こそ「パラノ・ドライブ」の外に出て「スキゾ・キッズ」の本領を発揮し、メディア・スペースで遊び戯れる時が来たと力説します。つまり既存の秩序である「ツリー」から逃走し、自在に「リゾーム」を作り出す「スキゾ・キッズ」への生成変化こそがポストモダン社会における若者の生き方であるということです。

こうした考え方は消費化情報化社会が爛熟し、バブル景気へと突入しつつあった1980年代中盤の日本社会の気分と見事に同調することになりました。「パラノ/スキゾ」という言葉は1984年の第1回流行語大賞新語部門で銅賞を受賞し、浅田氏は自らその「逃走」を実践するかのようにマスメディアの寵児となっていくのでした。


* 管理社会の拡大

ではオイディプスなる近代の亡霊が退場したのであれば、後はリゾームが自在に広がっていく自由で開放的な社会が実現されるのでしょうか。もちろん事態はそう単純ではありません。この点、ドゥルーズは1990年に公刊した『記号と事件』に収録されたテクスト「追伸−−管理社会について」においてオイディプスが失墜した後に到来するであろう未来図を「より悪いもの」が出現したある種のディストピアとして描き出しました。

同テクストでドゥルーズはミシェル・フーコーの権力論を参照し、現代はフーコーのいう規律訓練型権力が中心的に作動する「規律社会」にとって変わり管理型権力が中心的に作動する「管理社会」に変わりつつあると主張します。

同テクストが前提とするフーコーの権力論とは次のようなものです。フーコーは1975年に公刊した『監獄の誕生』において近代社会の権力は、もはや国家から市民に対して一方的に働くものではなく、市民ひとりひとりの価値観を変え、国家的な目的に自発的に従っていくような行動様式を作り上げる複雑な装置として機能していると主張しました。すなわち、権力には人々に特定の行動を選ばせる「強制的」な側面だけではなく、その行動様式を選ぶように価値観を変えていく「構成的」な側面があるということです。

そしてフーコーは、このような権力は「規律訓練」の場を通じて作動すると論じました。彼がその典型としてあげるのがイギリスの社会思想家ジェレミー・ベンサムが18世紀末に考案した「一望監視施設(パノプティコン)」です。この施設では中心にある塔の周囲に牢獄が円環状に配置されており、この牢獄は独房に区切られ、それぞれの独房は塔に向かって窓が開かれています。塔からは独房が監視できますが光量と角度の関係で独房からは塔の内部は見えません。

つまり、この「一望監視施設(パノプティコン)」において囚人はつねに監視される可能性に曝されていますが、現実に監視されているかどうかは分からず、つねに架空の視線に怯えて暮らさねばなりません。結果として彼らは監視の視線を徐々に内面化させていくことになり、自分で自分を監視するようになります。フーコーによれば、この「視線の内面化」こそが規律訓練型権力の雛型をなしています。監視される対象のなかに監視の視線が内面化されたとき、そのときこそ監視はもっとも効率よく機能することになります。

例えばジョージ・オーウェルが1949年に公刊した『1984年』は、こうした権力と視線の関係をそのまま小説化したような作品です。そこで描かれる未来社会では、公共空間と私室とを問わず、あらゆる場所に「テレスクリーン」と呼ばれる監視カメラ兼スクリーンが設置されています。街のそこかしこには「ビッグ・ブラザーはあなたを見ている」という標語が貼られ、人々はつねに監視に怯えていますが、肝心のビッグ・ブラザーは実在しません。

そして、この世界ではビッグ・ブラザーに服従するだけでは十分ではなく、彼を内面から愛さなければなりません。このように同作ではフーコーが『監獄の誕生』を公刊した四半世紀以上前に一望監視施設の構造と規律訓練の本質が明確に描かれています。


* パノプティコンからコンピュータへ

こうしたことからフーコーは現代社会においても多くの制度が一望監視施設の応用で作られていると考えていました。これに対してドゥルーズは同テクストにおいて規律訓練という権力形式は二十世紀の初めに頂点に達して現在はすでに衰退しており、かわりに台頭しつつあるのは情報処理とコンピュータ・ネットワークに支えられた「管理型」と呼ぶべき新しい形式であると主張します。彼によれば規律訓練型権力は人々に規範を植え付けるため学校や工場のような監禁環境を必要としましたが、管理型権力はそのような場を必要とせず、個人の行動を数字に置き換えて直接に制御するとされます。

たとえばドゥルーズが例に挙げたのは、位置情報と個人認証を結びつけた緩やかな監視システムの可能性です。そこでは、決められた障壁を解除する電子カードを所持することで、各人が自分のマンションや地域に自由に出入りすることができます。しかし特定の日や時間帯には同じカードが拒絶されることもあります。このような秩序維持の方法は門番や警備員が巡回しているわけではなく、かつ住人のいかなる自己監視(視線の内面化)も必要としないという点で強制型とも規律訓練型とも異なるものです。

そして、このようにドゥルーズが管理社会を語る時に念頭にあるのが資本主義の変化です。つまり規律社会から管理社会への移行とは「生産を目指す資本主義」から「販売や市場を目指す資本主義」への変化、つまり消費社会や情報社会への変化に対応しています。そして、こうした管理社会では個々人の個人情報は情報収集のためのデータとして、例えば乗客のデータとして、小売店のデータとして、飲食店のデータとして、金融機関のデータとしてさまざまな断片に分割されていきます。したがって管理社会において個人情報は断片的なデータとしてユビキタスに管理され、しかも管理は終わることなく続いていくことになります。

まだインターネットがほとんど一般的ではなかった当時においてドゥルーズは現代社会の未来図をほとんど的確に予言しているといえるでしょう。現代社会において個々人の行動は至るところで捕捉され、記録保存されていき、しかもその情報は相互に流通し合い、蓄積されていくことになります。このようなシステムから現代人はどこまでも逃れることができません。

しかしながらその一方でドゥルーズはこうした管理社会を憂いつつも、その対応策を何ら提示することなくテクストを閉じています。オイディプスについてはあれだけ饒舌に語り倒すことができたドゥルーズが管理社会についてはほとんど沈黙を強いられたというこの事実は、管理社会がもたらす問題の複雑さと深刻さを何よりも雄弁に物語っているといえるでしょう。


* リゾームとアーキテクチャ

このドゥルーズの管理社会論は多くの研究者の関心を惹きつけ、その後も様々な議論が提示されることになります。ここでは東浩紀氏が2002年から2003年にかけて中央公論で連載した「情報自由論」をみてみましょう。周知のように氏はゼロ年代の批評シーンを切り開いた『動物化するポストモダン』(2001)の著者として知られており、氏によれば同論考は「2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形したものです。したがって、この論考は、『動物化するポストモダン』と双子の関係にあると言えます」ということです。

現代情報社会における「自由」を問い直すことを主題とする同論考はアメリカの憲法学者ローレンス・レッシグの著書『CODE』(1999)に依拠し、人間の行動を制限するには「法」「社会的規範」「市場」「アーキテクチャ」の4つの方法があり、この4つ目の「アーキテクチャ」を「環境」と意訳して、ドゥルーズのいう管理社会における権力の作動様式を「環境管理」と呼びます。

このような「環境管理型社会」は当然、両義的な意味を持っています。規律訓練型社会は社会をまとめ上げる「大きな物語」によるイデオロギーの統一を必要としますが、環境管理型社会はそのようなイデオロギーの統一を必要としません。換言すれば後者の社会では特定のイデオロギーと秩序維持の目的が切り離されているということです。

したがって、「大きな物語」が機能不全に陥るポストモダン状況が加速する現代社会は厄介な二面性を帯びることになります。それは一方では一つの「大きな物語」の強制を放棄し、多様な価値観を歓迎する寛容な社会であると言えます(多文化主義)。ところが他方ではそのような多様性を担保するため絶えず個人認証と相互監視を必要とする強力な管理社会でもあります(セキュリティ化=排除社会)。このどちらかに注目するかでポストモダンの捉え方は全く変わってしまうと同論考は述べます。

こうした観点からいえば、かつてニューアカデミズムが言祝いだ「リゾーム」とはポストモダン社会の多様性のみに注目した一面的な見方だったということになります。つまりドゥルーズ&ガタリのいう「脱コード化」された社会としての「リゾーム」は、ある意味で実現されたかもしれませんが、そこにはカオスと紙一重であるリゾームの多様性を円滑に問題なく維持するためレッシグのいう「アーキテクチャ」が必要になってくるということです。


* 現代情報環境における自由の在り処

では、こうしたアーキテクチャがもたらす「自由」とは本当の自由なのでしょうか。この点、同論考はレッシグと大澤真幸氏の議論を参照し、ポストモダンにおいては選択肢の多様性としての「消極的自由」が拡大する一方で、個人の価値基準を規定する「大きな物語」が機能不全に陥った結果、選択肢を選ぶ動機としての「積極的自由」もまた機能不全に陥っているとした上で、こうした「積極的自由」を情報技術によって補完するものとしてユーザーに最適化された選択肢を絞り込むフィルタリングシステムの普及を位置付けています。

2002年時点におけるこの指摘が極めて的を得ていた事は日常のあらゆるところでフィルターバブルが前面化した2020年代におけるプラットフォームの現実を見れば明らかでしょう。我々は自由に選択しているように見えて実は知らず知らずにアーキテクチャによって選択させられているということです。

そして、このようなアーキテクチャに管理された「自由」とはユーザーの個人情報の蓄積によって実現されるものであり、いわば「匿名性」を放棄した「顕名性」によって得られるものです。こうした観点から同論考はハンナ・アーレントが『人間の条件』で提示した「活動」「制作」「労働=消費」という枠組みを再解釈します。

情報技術の発達はこのアーレントの提示した三領域の全てを拡張します。それは一方で新たな公共空間を開くこともあれば(活動)、新たな協働のモデルを用意することもあるでしょう(製作)。しかしそれは他方でセキュリティとマーケティングの精緻化を介して秩序維持の媒体にもなり得ます(労働=消費)。

この点、アーレントはコミュニケーション(活動)の場を「顕名性」の領域として捉え、日常生活(労働=消費)の場を「匿名性」の領域として捉えていました。しかし同論考は人々がアーキテクチャに無自覚に個人情報を差し出している現代においては、前者を「能動的な顕名性」の領域として捉え、後者を「受動的な顕名性」の領域として捉え直す必要があるといいます。すなわち、現代の情報環境において人はもはやユビキタスな顕名社会から逃れることはできないということです。

このように同論考は『動物化するポストモダン』で提示したシミュラークルの層とデータベースの層からなるポストモダンの二層構造の裏側に、リゾームの層とアーキテクチャの層、イデオロギーの層とセキュリティの層、多様性の層と情報管理の層、寛容の原理が支配する層と排除の原理が支配する層という二層構造があることを明らかにしていきます。

そしてそれは活動の層と労働=消費の層、能動的な顕名性の層と受動的な顕名性の層、人格が問われる層とユビキタス技術で常時監視される層であるともいえます。こうしたことからポストモダンの二層構造とは「人間が人間でいられる層」と「人間が動物として管理される層」の二層構造であり、ポストモダン状況の加速とは前者の層の拡大というよりも、むしろ後者の層のますますの肥大化であるといえるでしょう。






















posted by かがみ at 22:30 | 精神分析

2025年06月25日

情報社会と不気味なもの



* ポストモダンにおける主体性

しばし現代は「ポストモダン」の時代と呼ばれることがあります。ここでいう「ポストモダン」とは端的にいえば近代社会をまとめ上げていた「大きな物語」が機能不全に陥り、その結果として個々人が任意に選択した「小さな物語」が相互無関係的に乱立する状態を指しています。この点、東浩紀氏はそのデビュー作である『存在論的、郵便的』(1998)の公刊後に発表した一連のテクストで現代におけるポストモダン状況を次のように論じています。

まず東氏は「棲み分ける批評」において「アカデミックな批評」と「ジャーナリスティックな批評」の「棲み分け」を例に1990年代以降の日本社会では「徹底化されたポストモダン」が進行しつつあるといいます。続いて「ポストモダン再考−−棲み分ける批評U」において「ポストモダニズム」と「ポストモダン」を区別し「近代」の解体や超克を語る一種の「時代精神」としての前者は今やその役割を終えているが、その一方で社会状態の変化としての後者とはいまもますます過激に進んでおり、今後も衰える兆しは全くないと述べます。

そして氏は「郵便的不安たち−−『存在論的、郵便的』からより遠くへ」においてポストモダンにおける「大きな物語」の機能不全をラカン派精神分析における「象徴界(主体が面する情報に「意味」を与える社会的な言語システム)」の機能不全と重ね合わせています。

ではこのような「ポストモダン」と呼ばれる時代状況において人間のあり方は、精神分析でいうところの「主体」はどのように変容を被るのでしょうか。このような問いに対して東氏は上記のテクストと同時期に執筆された「サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか」(1997〜2000)という論考でひとまずの解答を与えています。


* 地球村からサイバースペースへ

同論考のいう「サイバースペース」とはコンピュータをつなぐネットワークを一つの「空間(スペース)」として捉える隠喩的な表現です。このようなネットワークの空間的理解は1962年に公刊されたマーシャル・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』に遡ります。メディア論の起源とされる同書は電子メディアの発展の延長線上に「地球村(グローバル・ヴィレッジ)」なるものの出現を予見していますが、その議論はきわめて両義的な意味を帯びています。

一方で同書は「地球村」を電子メディアの発展による世界の縮小化として捉えつつ、他方で同書は「地球村」を電子メディアによって生み出される新たな「精神圏」としても捉えています。このように同書の特徴はメディアを移動速度や通信速度といった「速度的=距離的」なもののみならず「空間的」な隠喩から捉えている点にあります。つまり同書のいう「地球村」とは現実空間とメディア空間とで同時に構想されているということです。

そして、このようなメディアの空間的理解は1980年代以降「サイバースペース」という語の流通によりますます強化されることになります。この言葉が広く知られるようになったきっかけはウィリアム・ギブスンが1984年に出版した小説『ニューロマンサー』だと言われています。ギブスンはこの小説でネットワークへのアクセスを「没入(ジャック・イン)」という言葉で形容し、そのことによって登場人物の意識が物理的身体から電子的身体へ切り替わるかのように描写しました。

つまり彼は近未来の情報ネットワークを目の前の物理的な現実とは異なるかたちで自立して存在する電子的な並行世界であるかのように描いたわけです。その並行世界が「サイバースペース」と呼ばれています。これは今でこそ古臭く響く言葉ですが、一時はかなり広く普及しており、日本語では「電脳空間」とも訳されていました。今でいえば「VR(仮想現実)」の概念が近いでしょう。

ともあれこの「サイバースペース」という言葉は多くの読者を惹きつけ、多くの小説や映画が似たイメージを採用しています。『ニューロマンサー』が開いたその潮流は文化史では「サイバーパンク」と呼ばれ、例えば日本では士郎正宗氏の漫画を押井守氏が映画化した『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)が有名でしょう。


* 情報社会と不気味なもの

もちろんコンピュータの情報ネットワークは現実には異世界を作り出すわけではありません。にもかかわらず「サイバースペース」なる隠喩は1998年代半ば以降の情報社会論に決定的な影響を与えました。こうしたなかで東氏は同論文で情報技術の本質は「サイバースペース」のような単純な隠喩では捕まえられるようなものではないと主張します。そこで要請されるのが「不気味なもの」という概念です。

ここでいう「不気味なもの」とは精神分析を創始したジークムント・フロイトが提唱した概念です。フロイトは1919年に書いた「不気味なもの」と題する有名な論文で、不気味さの本質は親しく熟知しているはずのものが突然に疎遠な対象に変わるその逆転のメカニズムにあると述べています。

例えばひとつしかないはずのものがたくさんに増殖したり、一度しか起こらないはずのことがなんども続けて起こったりすると、不気味さのメカニズムが発動することになります。そしてそのメカニズムは後期フロイトにおける重要な概念である「死の欲動」や「反復強迫」といった問題にも深い関係にあるとされます。

この点、東氏は同論考において情報社会論の基礎にこの「不気味なもの」の感覚をおくべきだと主張しました。つまり情報技術に接触すると人は「新世界」に行くというよりもむしろ「幽霊」に取り憑かれるのだということです。


* 分身から不気味なものへ

そして同論考で氏は「分身」と「不気味なもの」を対置し、その対立をさらにギブスンの小説とフィリップ・K・ディックの小説に重ねるという議論を展開しています。

まず氏はギブスンを「分身」の作家として位置付けます。なぜならば彼のいう「サイバースペース」とは人々が「分身(アバター)」を送り込む仮想空間のことだからです。『ニューロマンサー』の物語は情報社会の主体はネットワークに触れることで物理的身体と電子的身体に分裂し、後者をサイバースペースに送り込むというイメージの上で語られており、そこでは情報技術の本質は自分の電子的分身を生み出すことにあると考えられています(このような主体を分裂させる想像力はおそらくは同時期に流行した多重人格の現象と深い関連を持っていると氏はいいます)。

ではディックはネットワークとの接触による主体の変容をどのように描写したのでしょうか。この点、ディックは必ずしもコンピュータやインターネットを主題にした作家ではありません。そもそも1982年に亡くなった彼はパーソナルコンピュータの本格的な普及を見ていません。にもかかわらず彼の小説は来るべき情報社会の特徴を捉えた文学として高く評価されています。

このようなディックの小説で重要な役割を果たすモチーフが「不気味なもの」です。それは例えば『火星のタイムスリップ』であれば時間感覚を変容させる幻覚剤であり『パマー・エルドリッチの三つの聖痕』であれば幻覚剤とジオラマを組み合わせた仮想現実キットであり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であればアンドロイドであり『ユービック』であれば死者の脳を活性化する技術です。そしてこのような「不気味なもの」との接触によって登場人物は本物か偽物かわからないなにか、人間か非人間かわからないなにか、生物か無生物かわからないなにかに取り囲まれることになります。

このような構図を現代思想の言葉で表現すれば彼らは「シミュラークル」に取り囲まれているといえます。ディックはこうした「不気味なもの=シミュラークル」の出現のため、登場人物が現実感を失っていく経験をディックは繰り返し描いており、その世界観はしばし「悪夢的」とも形容されます。

以上のようにギブスンが「分身」によって此方(=現実)と彼方(=サイバースペース)とをきっちり区別した世界を描いたのに対して、ディックは「不気味なもの」によって此方と彼方の境界が融解していくような経験を現代社会の本質として捉えているということです。

そして東氏はディックの最晩年における作品『ヴァリス』の読解を通じて「分身から不気味なものへ」というテーゼを抽出し、こうしたディックが提示した世界観こそが本当の意味で新しい情報社会論の基礎になるはずだと述べています。


* 想像的同一化と象徴的同一化

ではこのような「不気味なもの」に囲まれた主体とは従来の主体と一体何がどう違うのでしょうか。この点、フランスの精神分析家ジャック・ラカンによれば人間の主体は「想像的同一化」と「象徴的同一化」という二つのメカニズムの組み合わせで構成されることになっています。

まず「想像的同一化」とは目で見ることができるイメージへの同一化を意味しています。もともとこれは幼児が鏡に映る像を自分と認識する働き(鏡像段階)を意味する言葉ですが、ラカンの理論ではより広い文脈でも使われます。

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(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』より引用)

この図においては主体からスクリーンの特定の箇所(イメージ)に矢印が向かっています。この矢印が想像的同一化の作用を表しています。ここでいうスクリーンとは主体から見た世界のことです。子どもは誰でも成長の過程で世界の誰かに同一化します。具体的には両親や教師や先輩といった人物です。このような想像的同一化の対象と自分を重ね、その立ち居振る舞いを模倣することで子どもは成長します。

これに対して「象徴的同一化」とは目で見ることができないシンボルへの同一化を意味しています。

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(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』より引用)

この図は先の図を拡張したものです。この図でも主体はスクリーン=世界を眺めていますが、今度はその背後にスクリーン=世界を成り立たせている秩序が書き込まれている点が異なっています。このようなスクリーン=世界を成り立たせている秩序をラカンの理論では「大文字の他者」と呼ばれます。

そしてこの図では主体からは想像的同一化の矢印の他にもう一つの矢印が描かれています。このもう一つの矢印はスクリーン=世界を飛び越えて「大文字の他者」から主体へと向かう「視線」に宛てられています。この矢印が「象徴的同一化」の作用を表しています。つまり「象徴的同一化」とはスクリーン=世界を成立させるメカニズムそれそのものへの同一化であるということです。

換言すれば人間は「見えるもの(イメージ)」に同一化するだけではなく「見えないもの(シンボル)」に同一化するという二重の同一化によってはじめて主体になるということです。この点、ラカンはこの「見えるもの(イメージ)」を「想像界」と呼び「見えないもの(シンボル)」を「象徴界」と呼んでいます。そしてこの「象徴界」を統御するものが「大文字の他者」であるということです。


* インターフェース的主体とエクリチュール

このようなラカンのいう主体はしばし映画の観客に準えられます。すなわち「想像的同一化」とはいわば観客がスクリーン上に映る俳優に同一化している状態をいい「象徴的同一化」とは観客がその俳優たちをまなざすカメラ、すなわち映画監督の視線に同一化している状態をいいます。そして後者へ同一化することが「成熟した(=主体的な)」映画鑑賞であるとされます。

これに対して東氏はポストモダンの主体をパーソナルコンピュータのGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を操作するユーザーに準えて「インターフェース的主体」と呼びます。ではそのような「インターフェース的主体」がいかにしてラカンのいう想像的同一化と象徴的同一化の二重性を確保するのでしょうか。このような問いに対する東氏の解答が次の図です。

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(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』より引用)

この図ではもはやスクリーン=世界の背後の構造は描かれていません。それはポストモダンの時代において主体はもはや社会を支える象徴秩序(象徴界=大きな物語)にアクセスすることができず、したがってそこには同一化の欲望を向けることもできないことを意味しています。

ではこのような状況でいかにして主体は想像的同一化と象徴的同一化の二重性を確保するのでしょうか。ここで氏が提示したのが「宛先の二重化」という観点です。この図では一つのスクリーンのうえに想像的同一化の対象(イメージ)と象徴的同一化の対象(シンボル)が等価に並ぶ様子が描かれています。

このようにポストモダンの世界ではスクリーン=世界の上にイメージとシンボル、見えるものと見えないもの、現象とそれを生み出す原理が同時に並び立つことになります。そしてインターフェース的主体はこの二つに同時に同一化することによって構成されることになります。

換言するとインターフェース的主体はスクリーン=世界を「エクリチュール」の集積として捉えているともいえます。この点、東氏が『存在論的、郵便的』で論じたポスト構造主義を代表する思想家ジャック・デリダによれば「エクリチュール」とは、ときに「絵(イメージ)」として見られ、ときに「言語(シンボル)」として聞かれる「目と耳のあいだ」の経験であるとされます。

こうした意味での「エクリチュール」の集積に直面するインターフェイス的主体こそが「大きな物語」を喪い「不気味なもの=シミュラークル」に曝されるポストモダンの主体に他ならないということです。


* 不気味なものとしてのキャラクター

なお付言すれば、このような同論考が提示したインターフェース的主体はゼロ年代において東氏が展開したサブカルチャー論を理論的に準備したといえるでしょう。

まず氏は『動物化するポストモダン』(2001)においては「シミュラークルの全面化」からオタク系文化における漫画やアニメのキャラクターの「データベース消費」を論じ、その続編である『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)においては当時文芸市場を席巻していたライトノベルをキャラクターのデータベースを人工環境として記述される「キャラクター小説」と位置付け、キャラクターの持つメタ物語性から「ゲーム的リアリズム」を提示します。

この点、ポストモダンにおけるインターフェース的主体たるオタクはあるキャラクターが一方でただのイラストであることを理解しているにもかかわらず、他方でそのキャラクターがあたかも実在しているかのような強い感情をしばし向けることがありますが、このような両義性はキャラクターを一方でイメージ(イラスト)として、他方でシンボル(人間を表す記号)として二重に処理するメカニズムから生じています。すなわち、キャラクターをめぐる「データベース消費」や「ゲーム的リアリズム」といった経験は精神分析的見地からいえば畢竟「不気味なもの」の経験に他ならないということです。






























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2025年05月26日

郵便化するポストモダン




* デリダはなぜかくも奇妙なテクストを書いたのか

「脱構築」で知られるポスト構造主義を代表するフランスの哲学者ジャック・デリダは当初は現象学の研究者として出発し、1960代にはマルティン・ハイデガーの哲学を継承しつつ構造主義、精神分析、文学などを横断する議論を展開する新進気鋭の思想家として知られるようになります。

ところが1970年代から1980年代中盤のデリダはイェール大学を中心としたフランス国外での「脱構築」の受容になかば応じつつ同時にそれを裏切るかのように、伝統的な哲学のフォーマットにはもはや収まらない奇妙なテクスト実践を展開するようになります。

このようなデリダの奇妙なテクスト実践に光を当て「デリダはなぜかくも奇妙なテクストを書いたのか」という問いを真正面からテーマとした独創的なデリダ論が東浩紀氏のデビュー作となる『存在論的、郵便的』(1998)です。

同書において東氏はデリダの「脱構築」を二つのモデルに分類しています。まず一つめの脱構築のモデルはある表象システム全体の中に存在する表象不可能な「穴=ゲーテル的亀裂」を発見することでシステム全体を解体してしまう「ゲーテル的脱構築=否定神学的/存在論的脱構築」です。そして二つめの脱構築のモデルはその都度のコミュニケーションの経路の不完全性、あるいは送受信の失敗や取り違えに着目する「デリダ的脱構築=精神分析的/郵便的脱構築」です。

前者はあるシステムにおける決定不可能性に依拠することで、その決定不可能性そのものを神秘化してしまいます。これに対して、後者はあるネットワークにおける誤配可能性に注目することで、その誤配可能性から生じる訂正可能性を開いていくものであるといえます。

このように同書は1970年代にデリダが行っていた奇妙なテクスト実践を手がかりに「脱構築」の再解釈を試みた著作ですが、同書は同時に1990年代の日本社会で生じつつあった「ポストモダン」の進行という時代的状況を反映した著作であるともいえます。

ここでいう「ポストモダン」とは端的にいえば社会をまとめ上げる「大きな物語」が機能不全に陥り、その結果として個々人が任意に選択した「小さな物語」が相互無関係的に乱立する状態を指しています。この点、東氏は『存在論的、郵便的』と「ポストモダン」の関係を『郵便的不安たちβ』(2011)の冒頭に置いた「状況論」と題される3つのテクストで次のように論じています。


* 徹底化されたポストモダン

まず東氏は「棲み分ける批評」において「『批評』という言葉は今や形骸化している」といい、その「形骸化」の理由をアカデミックな批評とジャーナリスティックな批評の「棲み分け」に求めています。すなわち一方で主に大学の文学研究者によって担われるアカデミックな批評は確かに高い知的緊張に支えられていますが、今や社会的効果を失っており、他方で職業的な文芸批評家によって担われるジャーナリスティックは批評は社会的効果への強い自覚に支えられていますが、批評文そのものの知的緊張を半ば意図的に欠いているということです。

もっとも同論考によればここで重要なのは「この両者が単純に対立するのではなく、むしろ相補的な役割を担って共存している奇妙な状況」であり、このような両者の「棲み分け」こそが「知的緊張と社会的緊張を同時に担う批評が現れることを妨げる、あるいはそのような批評が書かれない状況を追認する構造にほかならない」として、このような条件が「『批評』の機能から遠く離れていることは明らかである」と述べます。そして、このような「棲み分け」が強力に機能してる理由を氏は1990年代以降の日本社会で進行しつつある「徹底化されたポストモダン」に求めています。

このような「徹底化されたポストモダン」においては、社会全体をひとつにまとめ上げる「大きな物語」という意味づけのネットワークが機能不全に陥った結果、ある言説(メッセージ)の「意味」は社会的に共有されることなく、あらゆる言説(メッセージ)は発信された瞬間に無意味な情報として流通し、その「意味」は受け手が勝手に解釈し、想像的に埋めることになると同書はいいます。だからこそ批評文の「意味」に固執するアカデミックは批評は流通可能性を捨てざるを得ず、流通可能性を重視するジャーナリスティックな批評は「意味」を無視せざるを得ず、かくして両者の「棲み分け」が強力に機能することになります。


* ポストモダンとポストモダニズム

続いて氏は「ポストモダン再考−−棲み分ける批評U」において「ポストモダン」と「ポストモダニズム」という区別を提案します。まず同論考のいう「ポストモダン」とは1970年代から先進国で始まった社会的・文化的・認識論的な変化の総称を指しています。これに対して「ポストモダニズム」とは1970年代から1980年代にかけてアメリカを中心に幅広い地域と領域で猛威を振るった「近代」の解体や超克を語る一種の「時代精神」です。

この区分からいうと社会状態の変化としての「ポストモダン」とは1990年代に入り世界的にも日本的にもますます過激に進んでおり、今後も衰える兆しは全くありません。これが「棲み分ける批評」でいうところの「徹底化されたポストモダン」です。その一方で「時代精神」としての「ポストモダニズム」は1990年代に入りその存在感を低下させ、今やその役割を終えているといえるでしょう。

この点、1990年代においてはこの両者を混同し「ポストモダンはすでに終わった」という言説が広く流布していました。しかしそれは実際のところ「ポストモダン」という時代の始まりを告げる「ポストモダニズム」と呼ばれる「時代精神」が終わったという意味でしかありません。換言すれば「ポストモダニズム」は「ポストモダン」がますます進んだからこそ終わりを迎えたということです。

なお日本における「ポストモダニズム」の流行はプラザ合意に始まりバブル崩壊に終わる断続的な好況期とほぼ重なっています。この時期の日本は膨れ上がる海外資産と右肩上がりの株価、強い円、低い失業率と高い生産性などの経済的な条件を反映して、多幸症的な「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の幻想に陥っていました。1980年代に一世を風靡した「ニュー・アカデミズム」に代表される日本型ポストモダニズムはまさにこのようなナルシシズムを理論的に肯定する言説として現れました。

つまり当時の日本では「ポストモダン的であること」と「日本的であること」がぴったりと一致してたということです。このようなポストモダニズムとナルシシズムの奇妙な融合が英米系のポストモダニズムと異なる日本型ポストモダニズムの特徴であったいえるでしょう。


* 郵便的不安から郵便的享楽へ

そして氏は「郵便的不安たち−−『存在論的、郵便的』からより遠くへ」において『存在論的、郵便的』はどのような社会の現実に対応していたのかという点について次のように論じています。

同論考は1990年代の日本社会においては社会をひとつにまとめ上げる「大きな物語」がいよいよ機能不全に陥り、様々な「小さな物語」が乱立する「(徹底化された)ポストモダン」と呼ばれる現象が急速に進行しているという現状認識から、こうした状況においていまや人々はいつも他者とのコミュニケーションが思わぬ誤配を引き起こしてしまう「郵便的不安」に取り憑かれているといいます。

そして、こうした時代状況において氏が『存在論的、郵便的』を書きつつ考えていたのはそのような「郵便的不安」から逃げるのではなく、それを反転させ、いわば「郵便的享楽」に変えるようなテクストを書けないかということであったということです。

ところでこのような「大きな物語」の機能不全はラカン派精神分析の用語では「象徴界」の機能不全に相当すると同論考はいいます。ここでいう「象徴界」とは主体が面する情報に「意味」を与える社会的な言語システムのことを指しています。

こうした「象徴界」というシンボリックな領域が機能不全に陥った結果、若年層においては「恋愛問題や家族問題といったきわめて身近な問題と、世界の破滅のようなきわめて抽象的な問題が彼らの感覚ではベタッとくっついてしまっている」ようになります。このような感覚をラカン派の用語でいえば「想像界(恋愛問題や家族問題)」と「現実界(世界の破滅)」が直結しているということです(ゼロ年代初頭において一世を風靡した「セカイ系」と呼ばれる作品群はこのような感覚を直截に描き出しています)。

では、イマジナリーな領域(日常)とリアルな領域(セカイ)しか存在しない世界にどのようにしてシンボリックな領域(社会)を復活させることができるのでしょうか。ひとまず大きく二つの方向性が考えられるでしょう。ひとつは新たなシンボリックな「大きな物語」を捏造してしまうという方向性です。もうひとつはイマジナリーな「小さな物語」に充足してしまうという方向性です。

こうした中で氏はこの両者とは異なる方向性を提示します。すなわち、それは様々に異なる「小さな物語」を生きる他者とのあいだに「大きな物語」という「共通の言葉」を媒介としない新たなコミュニケーションの回路を開くということです。そして氏は『存在論的、郵便的』をその試みの一つとして位置付けています


* 郵便化するポストモダン

この点、同書ではデリダを精神分析でいうところの「転移」を操作する哲学者だったとも述べています。つまり相手によって使う言葉を変え、けれど会話が終わってみると相手が使っていた言葉の意味そのものが変わってしまっている、そんなコミュニケーションをデリダは目指していたということです。氏はこうしたコミュニケーションを「言葉の転移化」と呼びます。

同書のとりあえずの結論は1970年代以降のデリダが奇妙なテクストを書くようになったのは、この「言葉の転移化」にますます敏感になったせいではないかということです。そのようなデリダの戦略が果たして成功していたかどうかはともかく、それ以前に大事なのはポストモダンの断片化した世界においてはそういう哲学のあり方しか成立しないだろうし、それを先駆的に示したデリダに最大限に学べるべきものを学ぶべきだと氏は述べます。

近代社会においては個々人の生を規定する「小さな物語」の上に社会をまとめ上げる「大きな物語」が存在した(と信じられた)ことで「小さな物語」を超出する思考運動としての「超越論性」が確保されていました。しかしポストモダンが加速する現代社会においては「大きな物語」が機能不全に陥った結果、このような「超越論性」もまた機能不全に陥りました。

そうであれば、ポストモダンが加速する現代社会においては「小さな物語」から「大きな物語」へと遡行する思考運動としての「上向きの超越論性」ではなく、複数の「小さな物語」のあいだを突き抜けていく思考運動としての「横向きの超越論性」を実践することが重要になってきます。そして、このような「横向きの超越論性」を氏は「郵便的超越論性」と呼びます。

こうした意味で『存在論的、郵便的』という著作は単なるデリダ研究の枠に止まらず、ポストモダンにおける超越論性を確保するための基礎理論としても読めるでしょう。そして同書が描き出した「存在論的から郵便的へ」というパースペクティヴはゼロ年代以降の国内批評シーンにおいて「物語からデータベースへ」「セカイから日常へ」「消費から浪費=贅沢へ」「アイロニーからユーモアへ」「垂直方向から水平方向へ」といった様々な形で変奏され続けているといえるでしょう。



























posted by かがみ at 22:17 | 精神分析

2025年04月21日

当事者研究と中動態の世界

* 当事者研究とは何か

当事者研究は2001年に精神障害等を抱えた当事者の地域活動拠点である北海道浦河町の「浦河べてるの家」で生まれました。この営みが考案されるきっかけは統合失調症を抱えるある男性が「爆発」と呼ばれる問題行動を繰り返して親を困らせていた時に、べてるの家を運営していた向谷地生良氏がふと「”爆発”の研究をしないか」と誘いかけたことにあったといいます。

綾屋紗月氏は『当事者研究の誕生』(2023)において「当事者研究の実践では、自らに生じる苦労のメカニズムの解明や対処法を専門家に「丸投げ」することなく、「仲間と共に、自分の苦労の特徴を語り合うなかで」、自らの症状における苦労の規則性や「自己対処の方法」などを研究していく」と述べています。

「統合失調症」は「専門家(精神科医)」が患者へ与える名称(診断)です。それはそれで意味があるものです。けれども、この名称(診断)だけでは患者一人一人の中に起こっていることは理解できません。そこで医師のような専門家に対処法を「丸投げ」するのではなく、それを仲間とともに語り合い研究していくことはできないかという着想から当事者研究は始まりました。

このような当事者研究においては当事者が自らの「苦労」をグループの前で発表することで参加者と共にその「苦労」のパターンを明らかにしながら自分の助け方を考えて、ソーシャルトレーニング(SST)と呼ばれる当事者主体の運用が可能な訓練技法によって自分の助け方を練習していくことになります。

そこでは、これまで当事者があいまいな形で抱えていた「苦労」をきちんと言語化して仲間とシェアすることにより、例えば自分を侵襲する迫害的な幻聴が対話の相手である「幻聴さん」になっていくというように「症状」と呼ばれていたものの性質に大きな変化が見られることがあります。

そしてこうした「苦労」のシェアにより当事者の周囲においても「爆発を繰り返す〇〇さん」という理解から「爆発を止めたいと思っても止まらない苦労を抱えている〇〇さん」という理解に変わり、その人の抱える「問題」がその人自身から切り離されることになります。

また当事者研究のプロセスにおいては、例えば「統合"質"調症・難治性月末金欠型」というような「自己病名」が案出されることがあります。このように自身の「苦労」にオリジナリティを与える「自己病名」は当事者が自分自身の個別性を回復する試みの一環であると同時に、自身の抱える「苦労」をユーモアと共にシェアするきっかけにもなるのでしょう。


* 意志のあるところに責任がある?

このような特徴を持つ当事者研究という営みのなかに國分功一郎氏は一見したところ奇妙な「責任」の生成を読み出しています。國分氏の主著の一つである『中動態の世界』(2017)には「意志と責任の考古学」という副題がついています。同書ははかつてインド=ヨーロッパ語に存在していた「中動態 middle voice」に注目することで現在の能動態と受動態の対立の自明性に疑問を呈するとともに、この能動態と受動態の対立に強く結びついてきた「意志」の概念を批判した著作です。

我々は日々あらゆる行為を「能動(する)」と「受動(される)」に分類しています。そしてこの「能動(する)」と「受動(される)」の区分は通常「意志」の有無に求められます。「意志」があれば能動であり「意志」がなければ受動であるとされます。

このような能動と受動を切り分ける「意志」という概念について同書は『全体主義の起源』(1951)や『人間の条件』(1958)といった著作で知られる20世紀を代表する政治哲学者ハンナ・アーレントが与えた定義を取り上げています。アレントはその遺作となった『精神の生活』(1978)においてこのようなアリストテレスの哲学における意志概念の欠如に注目し、アリストテレスが提示したプロアイレシスと意志の相違を論じています。

ここでアリストテレスのいうプロアイレシスとは理性と欲望の相互作用のもとで生じる何ごとかを「選択する」能力をいいます。こうした意味でプロアイレシスとは過去からの帰結であるといえます。これに対してアーレントは意志とはプロアイレシスのように過去からの帰結ではあってはならず、過去から切断された真正の時制としての未来への「絶対的な始まり」を司る能力であるといいます。

このようにアーレントの考える「意志」には切断の機能があります。あるいは「意志」とは切断そのものであるといえます。そして人はそのような「意志」を持って何らかの行為を開始したからこそ、その行為の「責任」を問われることになります。

このようにアーレントは「意志」を過去の因果関係から切断された行為の純粋な出発点に位置付けます。けれども意志が仮にもしそのようなものであるとすれば、それはとても存在するとは思えない不可能なものであると言わざるを得ないでしょう。このような「意志」があったから「責任」が生じるのではなく、むしろ「責任」を負わせるため、このような「意志」なる概念装置が呼び出されているといえるでしょう。


* 応答としての責任と堕落した責任

もとより「責任」の概念は社会の秩序を維持する上で絶対に必要とされるものです。にもかからずそのような重要な概念が意志などというよくわからない概念によって根拠づけられることを同書は批判します。その一方で同書における「責任」の概念については意志によって根拠づけられる「責任」を論ずるに留まっており、こうした意志から切り離された形での「責任」の概念を積極的に提示するには至っていません。

國分氏もこうした同書の限界はもちろん承知の上であり、こうしたことから本年出版された文庫版で新たに書き下ろされた「文庫版補遺 なぜ免責が引責を可能にするのか−−責任と帰責性」では、意志の概念によらない「責任」の積極的な概念の提示と、さらにはそのような意味での「責任」がいかにして可能になるかという仮説の提示がなされています。

同論考はまず「責任」を意味する英単語であるresponsibilityに注目します。この英単語は「応答する」という意味のrespondという動詞に由来しています。だとすると「責任ある」と翻訳できるresponsibleという形容詞は「応答できる」「応答可能性を持っている」という意味であり、responsibilityとは「応答可能性」「応答能力」とも翻訳できることが分かります。

こうした意味で責任ある世界とは人が人に応答する世界であるということです。すなわち、それは自分の振る舞いに誰かが答えてくれる世界であり、他人の振る舞いに自分が答える世界です。これに対して責任がない世界というものを仮に考えるとすれば、それは応答の可能性がゼロになっている世界であり、端的にいえば、困っている人間がいても誰も手を差し伸べてくれない世界です。

このような「応答としての責任」のあり方は「意志による責任」とは全く異なるものです。例えばある人物が何らかの加害行為を行った場合、その人物には加害の意志があったのであれば、その責任はその人物にあることになるでしょう。ここに応答に契機は全くありません。もちろんこのプロセスをより仔細に見るのであれば、次のように考えることができるでしょう。

加害行為が行われた場面においては「この人が応答すべきだ」と思われる人物がいるはずです。ところがその応答をするべき人物が応答しないため、その人物に何とかして応答させる必要があります。そこでその行為の所属先がその人物であることを示し、当然その帰結に対しても応答するべきであるという論法が用いられることになります。そして、このような論法において利用される概念装置こそが因果の切断を機能とする意志に他なりません。

ここで重要なのは「応答する」という自動詞表現で記述される行為が発生しないがために「応答させる」という使役表現で記述される行為が誘発されるということです。つまり確かにここでも応答能力が問題になっているし、その発揮が期待されているのに、期待されていることが発生していないということです。そこで何とか応答させるべく意志のような概念装置が呼び出されることになります。

応答すべきなのに応答しないから応答させる。これが「意志による責任」の内実です。このようなものを「責任」と呼ぶのであれば、それは「堕落した責任」でなくて何であろうかと國分氏はいいます。応答を強制することで生じるものは所詮「応答に似た何か」に過ぎません。しかし我々がよく知る「責任」とは畢竟このような機序から生じるものです。


* 帰責性から責任が生じるか?

そして、このような「意志による責任」とは、過失を誰かに帰するという「帰責性 imputability」と呼ぶべきものであると同論考はいいます。こうした意味での「帰責性」とは能動態と受動態の対立の中で作動する概念です。すなわち、ある行為を誰かに帰属させる側(能動)が一方にいて、他方にはそれを帰属させられる側(受動)がいるということです。

では、こうした「帰責性」から区別される「応答としての責任」とはいかなるものなのでしょうか。言うまでもなく「応答としての責任」は「負う」ものであり「負わせる」か「負わされる」ものである「帰責性」とは明確に区別されます。

この点「応答としての責任」における「応答する」とは何かを受け取った結果としてなされるものであり、さらにはその行為は自身の身にも跳ね返ってくることになります。このように「応答としての責任」には同書のいう「中動態」の意味素、すなわち「自動詞表現」「受動態表現」「再帰表現」が含まれています。つまり「責任」とは中動態によって描かれる概念であるということです。

もとより「帰責性」は社会を運営するには必ず必要なものです。ただし「帰責性」を「意志」の概念で根拠づけてしまうとかえって「帰責性」の所在をぼやかしてしまう恐れもあります。それは「そんなつもりはなかった(そんな「意志」は持っていなかった)」という極めてありふれた言い訳を考えればすぐさまに分かるでしょう。こうした意味では、社会的に必要であることが明らかな「帰責性」を根拠づける上で「意志」の概念は無益どころか有害であるともいえます。

また「帰責性」の判断が行われる場面で人々は当初は応答しようとしなかった人物が「責任」を感じて応答するであろうと期待します。けれども一方で「帰責性」は能動態/受動態の対立によって作動し、他方で「責任」は中動態によって描き出されるものであり、両者はまったく別の論理で動いています。これは「帰責性」が必ずしも「責任」をもたらさないことを意味しています。当たり前のことですが、人は罰されたからといって必ずしも自分が悪かったとは思いません。


* 当事者研究と中動態の世界

ならば中動態によって描かれるような「責任」は一体どのようにして可能になるのでしょうか。まず中動態から行為を考えることは、行為者を過去からも周囲からも完全に独立した行為の主体と見做さないということです。ある行為はその背景に無限に多くの原因を有しており、一人の行為者によって排他的に所有されることはできず、いわば無数の行為者によって共有されています。中動態の世界として描かれるこのような行為のあり方を同論考は「行為のコミュニズム」と呼びます。そして、このような「行為のコミュニズム」から生じる「責任」を考えるにあたって多くの示唆を与えてくれるものして同論考は当事者研究を取り上げています。

当事者研究はまさしく科学が自然現象を研究するというのと全く同じ意味で当事者の行動を研究します。我々は他人の行為が理解できないとき、通常「なぜそんなことをしたのか」と問うでしょう。しかしその一方で、例えば「雨が降る」というメカニズムが理解できないときは、通常「いかにしてそれは生じるのか」と問うでしょう。つまり「なぜ why」ではなく「いかに how」と問うとき、その人は科学的に考えているといえます。

当事者研究も当事者自身が自身の問題行動をあたかも自然現象のように、いかなる条件下でいかなる頻度で何を原因として起こるのかを研究します。研究である以上、研究倫理を遵守しなければならず、データ捏造や調査結果の改ざんなどは許されません。そして、科学と同様、研究成果を発表することになります(もちろん、その研究の性質上、その聞き手は一定の範囲に限定されることになるでしょう)。

このように問題行動をまるで自然現象であるかのように、換言すれば他人事のように考察するとは、ある面で当事者の「免責」を意味しています。しかし、このような研究における「免責」の段階を経て初めて、他者からの「帰責」ではない自らの「引責」が可能になるという逆説があることを同論考は指摘します。

なぜ「免責」が「引責」をもたらすのでしょうか。ここで「免責」と呼ばれているものは自らの行為が無数の原因によってもたらされた結果であることを理解する手続きであり、他方で「引責」とは「応答としての責任」の生成であり、両者はいずれも中動態によって記述される「行為のコミュニズム」に属しています。そして先述のように中動態には「自動詞表現」「受動態表現」「再帰表現」によって記述される三つの側面がありますが、これらの三つの側面は「免責」によって「引責」が可能になるプロセスのなかで順々に生じてくる段階に対応しているように思われると同論考はいいます。

もちろん当事者研究において「免責」が「引責」をもたらすという事例はあくまでたまたま上手くいった「幸運な事例」に過ぎません。けれども、少なくとも「免責」の中核をなす自身の行為の中動態による再記述は自身の行為を高い解像度で捉え直す契機となることは確かです。

かつて17世紀の哲学者スピノザはいわゆる「自由意志」を否定する一方で、自己の本性の必然性に基づいて行為することを「自由」であると定義しました。いわばスピノザの哲学は「自由意志」なきところで「自由」を志向する哲学です。こうした意味で当事者研究のアプローチもまた、自らの行為を高い解像度で捉え直していくことでスピノザのいう「自由」を回復するための技法であるともいえます。そして、このような「自由」の回復こそが「応答としての責任」をなしうるための条件であるといえるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 22:26 | 精神分析

2025年03月24日

コレクティフとリトルネロ



* グループとコレクティフ

1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた欲望の奔流を原理的に考察し、1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こした哲学書として知られている『アンチ・オイディプス』(1972)を哲学者ジル・ドゥルーズとともに世に送り出した精神分析家フェリックス・ガタリの思想的原点は彼の生涯の職場であったラボルド精神病院における「制度論的精神療法」の実践にあります。

ここでいう「制度論的精神療法」とは病院における集団性を根本的に変革した開放的な環境の下で、さまざまなクラブ活動や演劇祭といった表現を通じて患者自身の主体性を取り戻していくという横断的な実践をいいます。ラボルド病院を開設した精神科医ジャン・ウリはこのような患者という個人よりもむしろ病院という制度に注目するアプローチを手術と滅菌法の関係に例えています。滅菌法が確立される以前の時代においては病気そのものではなくそれを治療するための手術によって命を落とす人が後を絶ちませんでした。それゆえにウリはまずは患者よりも病院という「制度」が、それも無意識に陥っている病を治療する道を選択します。

そしてこのようなラボルドにおける実践のコンセプトをウリは「コレクティフ」という概念から説明しています。この概念はもともと実存主義を代表する思想家ジャン=ポール・サルトルが『弁証法的理性批判』(1960)で用いたものです。例えば停留所でバスを待っている人々がいるとして、これはひとつの集団として考えることができますが、サルトルによれば彼らは決して革命の主体となることはありません。サルトルは単に群れているだけの集団ではなく、特定の目的を共有する組織化された集団こそが社会を牽引すると考え、前者の不十分な集団を「コレクティフ collectif」と呼び、後者の望ましい集団である「グループ groupe」から区別しています。

しかしウリはサルトルがその必要性を訴えた目的の共有と組織化こそが人間を疏外しているとして、むしろ望ましい集団とは「グループ」ではなく「コレクティフ」であるべきだと考えました。こうしたことからウリの提唱する「コレクティフ」とは「構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながら、しかも全体の動きに無理に従わされていることがない状態」のことを指しています。

すなわちガタリがラボルド病院で取り組んだ「制度論的精神療法」とは、このようなウリのいう「コレクティフ」と呼ばれる集団性を前提としているといえます。そして、こうした「コレクティフ」というコンセプトを発展的に継承した日本における実践例として批評家の宇野常寛氏は近著『庭の話』(2024)で「ムジナの庭」の取り組みを紹介しています。


*「あたりまえ」を反復すること

東京都小金井市にある就労継続支援B型事業所「ムジナの庭」はさまざまな心身の障害を持った人たちが収入を得るための技術を身につけることを目的とした施設です。また同時に同施設は利用者のケアにも注力しており、同書は「より正確には、その就労支援とケアとの境界線が曖昧になっていると、表現した方がよいだろう」と述べます。

その具体的な仕組みとしては利用者がそこで行われた作業の成果物(お菓子や雑貨や衣料品など)を販売し、その売上げを工賃として受け取るというもので、利用者の障害がどのようなものであったとしても(身体、知的、精神のいずれの障害であったとしても)18歳以上であれば利用することができるようになっており、その利用も心身のコンディションに合わせて、週に1回や1日1時間など短時間の利用も可能だそうです。

「ムジナの庭」では食べ物や小物を製作する手仕事、庭の植物の世話、アロマテラピー、散歩、当事者研究、オープンダイアローグなどといったさまざまな作業が午前と午後の2時間に配置されていますが、とくにどの作業をどのタイミングで行うかは決められていないそうです。形式上これらの作業は「生活と仕事」「からだプログラム」「こころプログラム」の3つのカテゴリーに分類されていますが、実際にそこでそれが行われている時は「単に『作業』なのだ」と同書は述べます。

そして、この「ムジナの庭」を主宰する鞍田愛希子氏は「誰かと一緒に食事をとりながら会話をすること、昼間にしっかり身体を動かして夜にぐっすり眠ること、こうした『あたりまえのこと』を毎日反復することで、心身の回復をうながす」と述べています。

こうした「あたりまえのこと」の中に結果的に就労につながる作業が組み込まれており、むしろ鞍田氏の意図はこのような「あたりまえのこと」の反復により「眠っている身体感覚を取り戻す」ことにあり、ここから「ムジナの庭」が掲げる「ふと嗅いだ香り、ふいに投げかけられた言葉、何気なく食べているもの、作業に没頭する時間。いつの間にか心や体へ作用している要因をキャッチし、自分なりの暮らし方を見つけていきます」というミッションへ向かっていきます。それが彼女の考えるリスタートの条件であり、宇野氏のよく使う言葉でいえば世界との距離と進入角度の(再)発見に他なりません。


* ほんのちょっとしたこと les moindres des choses

「ムジナの庭」では日によって訪れる利用者の顔ぶれは入れ替わり、そこで行われる「作業」もあえて決められておらず、あらかじめ枠組みを可能な限り設定しないことが何よりも重視されているそうです。結果、そこにはある種の「わかりづらさ」が発生します。しかしこの「わかりづらさ」を引き受けることこそが重要だと鞍田氏は述べています。そしてそのような「わかりづらさ」によって確保される、ばらばらのまま人々がつながっている状態を氏はやはり「コレクティフ」という言葉で説明しています。

同書によれば「ムジナの庭」はその建物も庭も「半分だけ閉じていて、半分だけ開かれている場所」という「半透明性というべき設計」になっており、そこでは当事者研究やオープンダイアローグといった言語的アプローチによるケアの実践と並行して、身体、特に手を動かす「手仕事」という非言語的アプローチが重視されています。

こうした「手仕事」の中心にあるのは庭の手入れと、そこに生息する植物を生かしたお菓子や香料、雑貨などの製作といった作業です。つまり「ムジナの庭」とは建物や庭(の植物たち)といった「もの」の力を引き出すことで「コレクティフ」を実現しようとしているといえます。

この点、鞍田氏の夫であり民藝研究者でもある鞍田崇氏はラボルド病院と「ムジナの庭」の類似性を、その「日常へのまなざし」にあると指摘しています。氏は「生きる意味への応答−−民藝と〈ムジナの庭〉をめぐって」(2021)においてウリのいう「ほんのちょっとしたこと les moindres des choses」をキーワードとして取り上げ「僕らのまなざしは、おうおうして、この『ほんのちょっとしたこと』を見逃してしまう。コレクティフをめぐるウリの議論は、まさにこの見逃しをセーブする作用を論じるものと見ることができる」と述べています。

そして氏は「コレクティフ」な集団の成立条件としてサルトルの「バス停」の例えを引用し、むしろそこに人々をただ集める「バス停」という「もの」に注目しています。「コレクティフ」を「たまたま」という訳する氏はその「たまたま性」を担保するために「もの」の必要性を説きます。

それは同時にラボルド病院と「ムジナの庭」の大きな相違点でもあります。ウリのアプローチは病院における人間間のコミュニケーションを「コレクティフ」な状態に保つための制度設計を重視していました。対して鞍田氏のアプローチはこのようなウリのアプローチをベースにしつつ、その力点を建物や庭(の植物たち)といった人間外の事物へのコミュニケーションに移行しているところにその特徴があります。


* 事物を経由するコミュニケーション

鞍田氏は「ムジナの庭」のコミュニティ運営の指針を「コンパニオンプランツ」という園芸用語で説明しています。「コンパニオンプランツ」とは例えば家庭菜園においてトマトの側にネギを植えて害虫を遠ざけようとするように、近くに2種類以上の植物を栽培することで結果的に良い影響を与え合うことを指しています。そして「ムジナの庭」においては施設の庭に生息する植物を生かした多岐にわたる「手仕事」がこの作物たちにあたります。

また氏は「ムジナの庭」をひとつの「生態系」として捉えているといいます。こうした施設ではある利用者がいなくなったり、逆に新しい利用者が加わったりすると、全体の雰囲気や、それを生み出す利用者たちの関係性が一気に変わります。だからこそ氏は「手仕事」というむしろ人間外の事物とのコミュニケーションを重視します。

ここで重要なのは人間が一度事物を経由することで、他の人間に触れることであると同書はいいます。人間間のコミュニケーションだけで完結するのではなく、あくまで利用者の主な対話の対象は事物であり、その結果「たまたま」人間間のコミュニケーションが発生していることによってはじめて「グループ」ではなく「コレクティフ」が保たれるということです。

ばらばらのままでたまたまつながるということ。豊かな事物間のコミュニケーションが行われていること=生態系があり、そこに触れることは、人間の心身を変化させ、こうして変化した身体だからこそ成立する人間間のつながりがあると同書はいいます。このように「ムジナの庭」におけるさまざまな「手仕事」を通した試みは、当事者研究やオープンダイアローグといった人間間のコミュニケーションを用いたケアの効果を最大化するための試みであるともいえるでしょう。


* プラットフォームから「庭」へ

宇野氏は『庭の話』において今日の情報環境は社会の分断と民主主義の機能不全を引き起こす「相互評価のゲーム」に支配されているとして、ソーシャルメディアに代表される「プラットフォームの時代」を内破するための方法を「庭」という比喩を用いて論じています。なぜ「庭」なのでしょうか。氏は次のように述べます。

プラットフォームには人間間のコミュニケーションしか存在しません。しかし「庭」は異なります。「庭」は人間外の事物であふれる場所です。草木が茂り、花が咲き、そしてその間を虫たちが飛び交います。「庭」にはさまざまな事物が存在し、その事物同士のコミュニケーションが生態系を形成しています。しかし同時に「庭」とはあくまで人間の手によって切り出された場です。完全な人工物であるプラットフォームに対して「庭」という自然の一部を人間が囲い込み、そして手を加えた場は人工物と自然物の中間にあります。

だからこそ人間は生態系に介入し、ある程度まではコントロールできます。しかし完全にコントロールすることはできません。「庭」とはその意味で不完全な場所です。しかし、だからこそプラットフォームを内破する可能性を秘めています。つまり問題そのもの、事物そのものへのコミュニケーションを取り戻すためにはいまプラットフォームを「庭」に変えていくことが必要であると同書はいいます。こうした同書のいう「庭」の条件とは次のようなものです。

まず「庭」とは第一に人間外の事物とのコミュニケーションを取る場所であり、第二に事物同士がコミュニケーションを取り、豊かな生態系を構築している場所であり、第三に人間がその生態系に関与できるが、完全に支配することはできない場所である必要があります。

そしてここでは人間が事物に対して「受動的な存在」になる時間が生まれる場所である必要があり、さらにそこは「共同体」であってはならず、むしろ人間を「孤独」にする場所でなければならないとされます。このような「庭」において人は事物とのコミュニケーションを通じて疑似的な「変身」を遂げることになると同書はいいます。

もちろん「庭」の条件はひとつの場所ですべて満たされる必要はなく、むしろいくつかの機能を持つ場所の複合体としての都市があり、そのなかにどれだけこの「庭」の条件をある程度満たす場所を作ることができるかが問われます。こうした意味で「ムジナの庭」は同書のいう「庭」の条件にかなり近い実践例であるといえるでしょう。


* コレクティフとリトルネロ

思えばガタリもまた事物を重視した思想家であったといえるでしょう。ガタリ(とドゥルーズ)は『アンチ・オイディプス』において様々な事物を「機械」として捉え、このような「機械」の連結によって個人の実存としての「宇宙」が立ち上がるといいます。そして、こうした「宇宙」が立ち上がるプロセスをガタリ(とドゥルーズ)は同書の続編である『千のプラトー』(1980)において「リトルネロ」という概念によって捉えています。

「リトルネロ」とはもともとイタリア語のritorno、ritornareに由来する音楽用語であり、歌の前奏、間奏、後奏における反復演奏を含意していますが、ガタリ(とドゥルーズ)によれば「リトルネロ」とはカオスの中で一瞬の準安定状態を確保して「生きられる空間」としての「領土」を創り出す契機であり、この領土はまさに事物とのコミュニケーションによってアレンジメントされることになります。

すなわち「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げるリトルネロとは世界に散乱するさまざまな事物と直接結びつき、絶えず生成変化していく「領土化」「脱領土化」「再領土化」からなる一連のプロセスに他ならないということです。

このように事物とのコミュニケーションとは他者とのあいだを「コレクティフ」に留めおくと同時に、世界とのあいだに「リトルネロ」を立ち上げる契機となる存在であるといえるでしょう。そうであれば何でもない毎日の「いまここ」における「ここでいい」から「ここがいい」へという世界への棲まい方の変容とは、こうした事物とのコミュニケーションを契機とした「コレクティフ」と「リトルネロ」の相互の連関から生じるのではないでしょうか。
















posted by かがみ at 23:08 | 精神分析