現代思想の諸論点
精神病理学の諸論点
現代批評理論の諸相
現代文学/アニメーション論のいくつかの断章
フランス現代思想概論
ラカン派精神分析の基本用語集
2024年09月22日
精神病理と民俗
* 強迫性障害の諸相⑴
「強迫性障害 Obsessive-Compulsive Disorder:OCD」とは強迫観念や強迫表象と呼ばれる不安を伴う思考やイメージを解消するため何らかの強迫行動を繰り返し日常生活に支障が出てしまう精神疾患です。「強迫 Zwang」という概念そのものは1867年にリヒャルト・フォン・クラフト=エビングが用いた強迫表象の語に由来し、このような強迫表象をカール・ウェストファルは「強迫表象とは、知能は正常で、感情状態或いは感動状態に関係がなく、当人の意志に反して、或いは意志に矛盾して意識の前景にあらわれ、追い払うことができず、観念の正常な流れを妨げ、当人にとって異常で無縁なものに思われ、健康な意識に対立している」であると定義しています。
このウェストファルの定義によれば強迫にとって第一義的なものは強迫表象ないし強迫観念であって、強迫行為は二義的なものとなりますが、これに対して強迫観念や強迫表象はその背後にある不安に対する防衛として生じているという見解もあります。
フランス語圏では強迫を一種の「狂気 délire」とする見解もありますが、ジークムント・フロイトらの精神分析的な研究により長らく強迫性障害は「神経症」の一種と見做される傾向にありました。もっともDSM-5ではそれまで不安障害 anxiety disorderという大分類の中で転換症などと一緒に並べられていた強迫性障害が大分類として独立させられており、これは強迫性障害の生物学的な基盤が近年はっきりとしてきたことを受け、かつての神経症とは区別して捉えらえようというニュアンスを持った変更であるとされます。
また近年の傾向として、強迫を単一の定まった精神障害としてではなく「強迫スペクトラム障害 Obsessive-Compulsive Spectrum Disorder」として捉え、醜形恐怖、心気症、摂食障害、抜毛症、強迫買い物症、さらには妄想性障害や自閉症の一部を含むものとして考える動きも出てきています。
* 強迫性障害の諸相⑵
強迫性障害においてしばし見られる強迫観念としては、手にばい菌がついているのではないかと不安になる洗浄強迫、特定の動作がきちんとできていないのではないかと不安になる確認強迫、自分が汚れているのではないかと不安になる不潔恐怖、自分が不注意によって他人に危害を加えたのではないかと不安になる加害恐怖、自分に被害が及ぶのではないかと不安になる被害恐怖、重大な病気にかかってしまったのではないかと不安になる疾病恐怖などが挙げられます。また重大なものを捨ててしまうのではないかと思いから、ありとあらゆるものを溜め込んでしまい、結果として家がゴミ屋敷のようになってしまう「強迫的ためこみ compulsive hoarding」も知られています。
そして、洗浄や確認といった強迫行為は必ず強迫観念や強迫表象の後に生じる二次的なものであり、強迫観念や強迫表象なしに強迫行為が一次的に出現している場合は脳炎などの器質性精神障害を考えるべきとされています。
強迫性障害の治療には大きく分けて薬物療法と精神療法があります。薬物療法では主としてセロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が用いられています。強迫性障害の精神療法はかつては力動的なアプローチがなされていましたが、現代では薬物療法に加えて行動療法や認知行動療法が行われており、特に「暴露反応妨害法 Exposure and Response Prevention:ERP」という方法がよく用いられています。
この方法ではまず患者が不安に思っていることを多数書き出し、それらを不安の強さに基づいて階層化します。そしてなるべく不安の強さの低いものから順に、不安を引き起こす事柄に「暴露」されても、強迫行為を行わないようトレーニングしていきます。このような作業を反復的に行うことによって徐々に不安が低減されるようになるといわれています。
* 民俗神経症
精神科医の成田善弘氏は「強迫観念にとりつかれると、今まで健全で、信頼しうる合理的な空間が後退し、世界が変質する。明るい表層の現実が後退し、暗い、不気味な、本来秘密で隠されてあるべきものが顕在化してくる。彼らはいたるところに崩壊、腐敗、死の影を見るため、それを防衛する呪術を展開せざるを得ない」と指摘しています。すなわち、同じ時空間を生きながら強迫症の患者はまったく違う日常を生きているということです。
ところで、このように強迫性障害の特徴である「強迫観念/強迫表象→強迫行動」という「繰り返し」は、ある面において「民俗」と呼ばれるものと共通する要素を持っています。この点、民俗学者の及川高氏は「来るべき日の民俗学−ルーチン・フィードバック・スケール−」(『現代民俗学研究』二号(2010)所収)という論考において民俗学の対象とは人びとが一日、一年といった単位で繰り返す「ルーチン」、すなわち繰り返される日常であり、現代民俗学が解明していくべきは繰り返されるルーチンとそれらが生み出すフィードバックの機制であるというように論じています。
そして、こうした観点から民俗学者の辻本侑生氏は「繰り返すことの民俗学 日常・クィア・強迫症」(『現代思想』2024年5月号「民俗学の現在」所収)という論考において強迫性障害(同論考では強迫症と表記)への民俗学的アプローチの試みを論じています。
まず同論考において氏は精神科医、北山修氏の「病的であれ日常的なものであれ、私たちが共有する祟り、祓い、汚れなどの習俗に根ざした訴えを同形に共有する事例を私は「民俗神経症」と呼んでいる」という言葉を引用しつつ、民俗学と比較的親和性のある強迫症の症例報告をいくつか取り上げています。
例えば「忌み言葉」など縁起担ぎと呼ばれる民俗事象がありますが、縁起担ぎの度が超えるとその人が「縁起が悪い」と思っているものに触れた途端、着替えたり、必要以上に手を洗ったり、といった行動に支配され、日常生活が困難になる「縁起強迫」と呼ばれる症状となります。また神仏への信仰も日常に根ざした民俗事象ですが、これが一線を超えて例えば神仏像の前を通るたび「ごめんなさい」と謝罪しなければ気が済まなくなったりすれば、それは「瀆神強迫」と呼ばれる強迫行為となります。
* 民俗学的手法と当事者研究
このように精神病理学においては強迫症に見られる「民俗的なるもの」の要素を指摘しています。では民俗学においては強迫症にいかなるアプローチができるのでしょうか。
この点、辻本氏自身、2015年から強迫症に罹患しており、特に「他人に何か危害を加えてしまったのではないか」という「加害恐怖」に支配され、それを打ち消すため、本当に危害を加えていないか、来た道を何度も確認する強迫行動に支配される日常を繰り返していたそうです。もっとも症状がひどい時には恐怖が原因で新宿区の打ち合わせ会場から当時暮らしていた品川区の実家まで来た道の確認を繰り返し、帰宅するのに5時間かかったことがあると氏は述べています。
そこで氏は日々の生活をノートに記録した上で、どういうタイミングに強迫観念が襲い掛かるのかという分析を行ったそうです。これは日常生活を捉える民俗学的手法であると同時に、精神疾患を有する人々が自身の症状を分析し、より良い生を送ろうとする「当事者研究」と呼ばれる手法に強く影響を受けているとのことです。
そして分析の結果、氏は楽しかった飲み会や自身が進行して首尾よく議論が進んだ仕事での会議の帰り道など、幸せなことや物事が上手くいったことの後に加害恐怖が襲い掛かりやすいことが明らかになったといい、このような幸せなことがあった後に強迫観念が襲い掛かるという分析結果は川島秀一氏がフィールドワークをもとに示した東北地方太平洋沿岸部の災害観と極めてよく似ていると述べます。
ここで川島氏が漁師から聴き取ったという「大漁が続いた後には、何か不幸なことが起こる」という感覚は幸福と災害が繰り返し現れ、幸福なことの後に不安に苛まれるという強迫症ではない人々も有する民俗的な心性を見出すことができるでしょう。ここでは個人的な日常に生起する状況を理解する上で、一見離れた地域の災害観が極めて重要な補助線をなしており、こうした事例をつなぎ合わせることで日常的な「被災」状況を過ごしている強迫症の人々は「異常」とされない人々が生きている日常に自らを接続することができるのであると辻本氏は述べています。
* 精神病理と民俗
日本民俗学の祖、柳田国男は民俗学の対象となる「民俗資料」を「有形文化」「言語芸術」「心意現象」に分類しています。これは「三部分類」と呼ばれています。その第一部「有形文化」は日々の暮らしの物質的側面であり、物体として可視的に存在するゆえに目によって観察ができるため、それは誰でも採集が可能なものです。その第二部「言語芸術」は暮らしの中にある言葉の営みであり、口から語られ耳で聴き取られるものであるため、それは当該言語を理解する者によって採集されます。
そして、その第三部「心意現象」は人の心に刻まれ心で感じるものであることから、それは「同郷人」によって採集されることになります。なお、ここでいう「心意現象」の典型は「〇〇をしてはいけない」という「禁忌」であり、また「同郷人」とはこのような「心意現象」を共有できる広い意味での当事者を意味しています。
こうしてみると強迫性障害の枢要部にある強迫観念や強迫表象はいわば属人的な「心意現象」であるといえるでしょう。そしてある地域社会において「伝統」や「風習」や「しきたり」などと呼ばれる民俗的事象とは、その地域における集団的な強迫行為であるともいえそうです。
すなわち、精神病理学が扱う「疾患」とは決して「異常」な「非日常」ではなく、むしろ民俗学が扱うような「伝統」や「風習」や「しきたり」などと呼ばれる「正常」な「日常」と地続きであるといえるでしょう。そうであれば、こうした観点から精神病理学と民俗学を架橋することにより「正常/異常」や「日常/非日常」といった二項対立を揺るがしていくような知を得ることができるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 21:23
| 精神分析
2024年08月23日
生命の円環
* 生命一般の根拠
日本を代表する哲学者、西田幾多郎は『善の研究』(1911)においてこの世界を構成する実在として主観と客観の二分法という反省が加えられる以前の主客未分の状態である「純粋経験」を位置付けました。その後西田は「純粋経験」を捉え返す「自覚」を経て、その基盤となる「場所」の根源としての「絶対無」へと到達します。さらにここから晩年の西田は「絶対無」を破断的に内在させた「個物=生命」の世界を描き出していきます。
このような「個物=生命」による相互限定からなるポイエシス的作用を西田は「行為的直観」と呼びます。この点、西田は「行為的直観」とは「作られたものは作るものを作るべく作られたのであり、作られたものと云うことそのことが、否定せられるべきものであることを含んで居るのである。併し作られたものなくして作るものと云うものがあるのではなく、作るものは又作られたものとして作るものを作って行く」と述べてます。
かなり難解な言い回しですが、要するに「個物=生命」とは世界によって「作られたもの」であると同時に世界を「作るもの」でもあるということです。そして、こうした「個物=生命」による「行為的直観」が織りなす世界を西田は「絶対矛盾的自己同一」と呼びます。
ここで西田は「行為的直観」や「絶対矛盾的自己同一」という術語を用いてある種の生命哲学を展開しています。そして、こうした西田哲学を基盤として独自の精神病理学理論を築いた木村敏氏はその「生命論的転回」の嚆矢となった著作『あいだ』(1988)において次のような仮説を提示します。
この地球上には、生命一般の根拠とでも言うべきものがあって、われわれ一人ひとりが生きているということは、われわれの存在が行為的および感覚的にこの生命一般の根拠とのつながりを維持しているということである。
(木村敏『あいだ』より)
生命の実体や生命の起源についての研究は現代における先端科学の中心的課題の一つであることは言うまでもなく、この先いつか生命の構造が余すところなく解明される日が来るかもしれません。もっとも、そのような科学的視野に中にある「生命」とはどこまでいっても「生命物質の生命活動」のことです。たとえ「生命物質の生命活動」が余すところなく解明できたからといって、個々の「生命物質の生命活動」とはまったく位相を異にする「生命それ自身」ともいうべき存在様式が明らかになったとはいえません。
このような「生命それ自身」は「生命物質の生命活動」のように個別的な認識の対象になりませんが「生命それ自身」はこの地球上に存在するすべての生きものが現に「生きている」ということの根拠となっています。すなわち、すべての生きものが「生きている」とはこの意味においての「生命一般の根拠とのつながり」が保たれている、あるいは切れていないということに他なりません。そうであれば我々が世界や自己における経験を事実のままに説明するためにはどうしてもこのような「生命一般の根拠」というべき存在を仮定しなくてはならないということです。
* ヴァイツゼッカーの医学的人間学
そして木村氏がこうした生命論を展開する上で西田と共に特権的に参照する思想家がヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカーです。ヴァイツゼッカーは精神科医ではなく内科医、神経科医であり同時に哲学者でもあった人物ですが、彼は早くから客観主義的な自然科学的医学に対する批判を展開し、医学に「主体」を導入する「医学的人間学」を提唱したことで知られています。このような主張は今日的な医療倫理からみればごくあたりまえのことを言っているようにも聞こえます。しかし、ここでヴァイツゼッカーのいう「主体」とはかなり奇妙な概念です。
彼のいう「主体」とは「客体」と対立する項としての「主体」でも、近代的自我という意味での「主体」でもなく、広い意味での「生きもの」とその外部である「環境世界」との邂逅それ自体を指しています。この点、彼は生きものがその生存を保持するため環境世界との間に保っている接触現象のことを「相即 Kohärenz」と呼びます。生きもの自身も環境世界も絶え間なく変転する中で、この「相即」は絶えず繰り返し中断されることになり、そのたびにそれに変わる新たな「相即」が樹立されて、生きものと環境世界との接触は引き続き保たれることになります。
このような「相即」と呼ばれる事態を支えている知覚と運動の円環構造をヴァイツゼッカーは「ゲシュタルトクライス」と呼びます。そしてこのような構造を生存を保っている当事者である生きものの側から見たものが、彼のいう「主体」ということになります。すなわち、彼のいう「主体」とは、いわば生きものとその環境との「あいだ」の現象であると理解できます。
こうした意味で彼の主体概念において人間的な「意識」は要件とされておらず、その範囲は人間以外の全ての生物、それも随意運動の可能な動物だけではなく、植物から単細胞生物まで拡大されて適用されます。すべての生きものは環境世界と「相即」を成立させている限り「主体」として生きているということです。
こうしたことからヴァイツゼッカーの主体概念は生きものが「生きている」という事実から切り離すことができません。「生きている」ということは一定の物質的組成を持った物体が「生命」と呼ばれる活動のうちに身をおき「生命」に根ざしているということです。このような生きものと「生命」の「あいだ」を、彼は「根拠関係」と呼びます。そして、このような「生命」への「根拠関係」こそが生きものを「主体」たらしめている「主体性」であり、ここから彼は医学への「主体」を導入する上ではこのような「主体」を成立せしめている「主体性」としての「生命」に関与することが必要になると主張します。
* 世界とのかかわりと生命とのつながり
この点、木村氏は世界とのかかわりとしての「主体」と生命とのつながりとしての「主体性」という二つの主体概念の関係を音楽を例にして説明します。この点、音楽の演奏は少なくとも次のような三つの契機から成り立っています。すなわち⑴瞬間瞬間の現在において次々と音楽を作り出していく行為と⑵自分の演奏している音楽を聞く作業と⑶これから演奏する音や休止を先取り的に予期することで現在演奏中の音楽に一定の方向を与える作業です。
その上で氏は音楽を演奏する行為的な側面を音楽の「ノエシス的」な面と呼び、その時に我々が意識している音楽の演奏を音楽の「ノエマ的」な面と呼びます。いままさに音楽を演奏するという第一の契機は音楽のノエシス的な面にほぼ相当し、これまで演奏された音楽を参照する第二の契機とこれから演奏される音楽を先取りする第三の契機は音楽のノエマ的な面に相当します。
音楽のノエシス的な面であるその都度の演奏行為がそれ自体として独立に意識されることは決してなく、我々が経験できるのはいつもこれまでに演奏された音楽かこれから演奏する音楽のどちらでしかなく、これはいずれも音楽のノエマ面の意識に他ならりません。
つまり我々は演奏という行為と聴覚という感覚の両面で音楽の世界と関わっているということです。これは知覚と運動を一元的に把握するヴァイツゼッカーのいう「ゲシュタルトクライス」の格好の実例であるといえます。すなわち、ここで演奏者は絶えず「世界とのかかわり=主体」というものに直面すると同時に「生命とのつながり=主体性」を見出すことができているということです。
* ノエシス・ノエマ・メタノエシス
これは何も音楽だけではなく、例えばわれわれが何か話したりする時や本を読んだりする時にも当てはまります。これらの場合も「話し手/読み手」の意識に表象されたノエマ面である「話された内容/読んだ文章」が「次の話/次の読み」を限定するノエシス的な作用を営むことになります。
すなわち、ここでは「話し手/読み手」の意識の中には現在「話している/読んでいる」という「第一の主体」の他に「話された内容/読んだ文章」そのものが「第二の主体」としてノエシス的な作用を営んでいることになります。
このような直接的に世界と出会って音楽や言葉や文字を作り出し意識の中にノエマ的表象を送り込んでいる「第一の主体」も、すでに「作られた」ものの背後から働いてその「作る」行為に一定の方向を指示する「第二の主体」もいずれも意識のノエシス面に位置していますが、この二つの関係は決して互いに平等ではなく「第二の主体」は「第一の主体」に対して「ノエシスのノエシス」としての間主体的な「メタノエシス」の立場にあります。
つまり二つの主体が別々に存在するわけではなく「第二の主体」がその一局面として「第一の主体」を包摂しているということです。すなわち、ヴァイツゼッカーのいうところの「根拠関係」としての「主体性」は「世界との出会いの原理」としての「主体」を包含して限定しており「ゲシュタルトクライス」の究極の根源は生命一般の根拠とのつながりの中に見出されることになります。
* 生命の円環
以上の議論の全体の構造はほぼ次のようになっています。人間は生物として生命一般の根拠との「あいだ」に絶えず関係を持ち続けています。この関係は世界との「あいだ」の瞬間瞬間のノエシス的・実践的な行為的関係を通じて保持されています。この刻々のノエシス的行為は、そのつど意識の中に認知対象として個々のノエマ的表象を送り込みます。
そして、このノエマ的表象は、そのつどのノエシス的行為が全体的な生命一般の根拠とのつながりから外れないようにこれを制御する標識として役立っています。それゆえにこのつながりが個々のノエシスを包む高次のメタノエシスとして作用する際にも、個々のノエマ的表象の複合的な全体、つまり世界表象のようなものが制御の標識の役目を果たすことになります。
このノエシス的行為面とノエマ的意識面との「あいだ」でノエシスがノエマを生み出すそれ自体ノエシス的な働きが、いわゆる「自己=我」を成立させる場面ということになります。つまり「自己=我」という概念はノエマ的意識を抜きにしては考えられません。それゆえに我々はこうしたノエマ的意識を滅却した純粋なノエシス的な行動を通常「無我」とか「忘我」などと呼んでいます。
こうしてノエシスとノエマはひとつの円環を描きだすことになります。このような円環を西田は「作られたもの」と「作るもの」からなる「行為的直観」として捉え、ヴァイツゼッカーは知覚と運動からなる「ゲシュタルトクライス」として捉えました。そして、このような円環を駆動させているものこそがヴァイツゼッカーのいう生命との「根拠関係」であり、木村氏のいう「生命一般の根拠とのつながり」ということになるでしょう。
こうした意味で我々が日々において固執する「自己=我」とは、いわば「生命の円環」というべき、より大きな存在様式の中から産み出されたものであるといえるでしょう。そして、こうした根源的な関係をあえて比較的、馴染みのある日本語に言い換えるとすれば、それはおそらく「物語」と呼ぶことができるようにも思えます。社会共通の「大きな物語」が失われ、人間の固有性が問い直されつつあるポストモダン/ポストヒューマニズムにおいてはより一層なお、こうした人の生のアクチュアリティを基礎付ける「物語」としての生命の存在様式を直視する必要があるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 22:45
| 精神分析
2024年07月26日
多重見当識と対人性愛中心主義
* セクシュアリティにおける多重見当識
精神医学用語に「二重見当識」というものがあります。これは統合失調症の患者などにみられるとされるもので、例えば「自分は東京都知事だ、資産数十兆円だ」といった妄想を語りながら、看護スタッフの指示で病棟の掃除を手伝ったりしているような事態を指しています。自分の立場を理解することを「見当識」といいますが、いかに重症の妄想型分裂病患者といえども、妄想の立場と患者の立場を区別できることは案外多く、こういう患者は「二重見当識」を持つといわれます。
この点、ひきこもり臨床で知られる精神科医の斎藤環氏は日本におけるオタク系文化を論じた古典的名著『戦闘美少女の精神分析』(2000)において、こうした「二重見当識」に示唆された「多重見当識」という概念からオタク(同書で斎藤氏は「おたく」とひらがなで書きます)の心理あるいは行動を論じています。
斎藤氏によれば「コアなおたく」というものは「虚構」へのスタンスが独特であり、アニメ作品にしても複数のレヴェルで楽しむことができるといった「虚構コンテクスト」のレヴェルを自在に切り替えることができる素養を持っているとされます。
また氏は彼らは現実を虚構の一種と見做しており、必ずしも現実を特権化していないけれども、このことは彼らが別に虚構と現実を混同しているわけではなく、むしろ虚構にも現実にもひとしくリアリティを見出すことができる「おたくの特殊能力」であるといいます。それゆえにオタク(おたく)は「二重」ならぬ「多重見当識」を持つと比喩的にいうことができると氏はいいます。
さらに斎藤氏はオタク(おたく)について決定的であるのは「想像的な倒錯傾向と日常における「健常」なセクシュアリティの乖離ではないか」といいます。すなわち、彼らはここでも「欲望の見当識」をやすやすと切り替えているということです。
このような同書の議論は東浩紀氏の『動物化するポストモダン』(2001)をはじめとして、ゼロ年代初頭から現在に至るまでオタク系文化をめぐる批評に大きな影響を与えており、近年においては斎藤氏がもっぱらオタク(おたく)を念頭に置いていた「多重見当識」の理論をより広いパースペクティヴへと開く議論が現れています。以下では斎藤氏のいう「多重見当識」をクィアな視点から読み直した松浦優氏の論考「アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識=複数的指向−−仲谷鳰『やがて君になる』における「する」と「見る」の破れ目から(『現代思想』2021年9月号「〈恋愛〉の現在」所収)」を見ていきたいと思います。
* 性愛規範とアセクシュアルな読解実践
本論考はまず冒頭で「異性愛/同性愛」という二項対立から抹消されているさまざまな非-セクシュアリティの可能性に注目します。例えば他者へ恋愛的に惹かれることと性的に惹かれることは(人によっては分かちがたく結びついているとはいえ)必ずしも一致しないことから「性的指向 sexual orientation」と「恋愛的指向 romantic orientation」を区別し、他者に対する性的惹かれを経験しないことを「アセクシュアル」を呼び、他者に対して恋愛的に惹かれないことを「アロマンティック」と呼びます。
またアセクシュアル・コミュニティにおいては「アセクシュアル」と「非アセクシュアル」の間を連続的に捉える見方から、両者の間の領域としての「グレーセクシュアル」や「グレーアセクシュアル」を見出す「アセクシュアル・スペクトラム」という考え方があります。
さらに近年では実在の他者ではなく架空のキャラクターに惹かれることを「フィクトセクシュアル fictosexual」という造語を用いる人々がいます。こうした人々もまた「性愛を当たり前のものとみなす価値観のもとで周縁化される」ことがあり、しばしばアセクシュアル・スペクトラムとして捉えられています。
このようにアセクシュアル/アロマンティックの観点から提示される語彙や見方はセクシュアリティをめぐる従来の解釈図式を問い直すものとなります。本論考はこうした問い直しを引き受けつつ、クリスティーナ・グプタらの整理を参照し「性愛規範」と「アセクシュアルな読解実践」という視角から、性愛をめぐる実践について従来の議論とは異なる考察を行います。
ここでいう「性愛規範」とは「欲望する主体として自身を経験することや、性的アイデンティティを引き受けること、そして性的活動に従事することなどを矯正する規範と実践」および「さまざまな形態の非-セクシュアリティ(性的関心の欠如、性的行為の欠如、またはセクシュアリティの喪失)を周縁化する規範と実践」を指す概念です。端的にいえば当然誰もが他者に惹かれるものだという想定です。
次に「アセクシュアルな読解実践」とは「生物学的に同定可能なアセクシュアリティや身体の欲望に規定されたアセクシュアリティを求めるのではなく、非-セクシュアルな表現が意味を持つ瞬間のための読解」をいいいます。換言すれば「クィアとアセクシュアルを結びつけて、思いがけない多様な場所にアセクシュアルを見出す」という読解です。
* 恋愛を「する」と「見る」の破れ目からみる対人性愛中心主義
以上の観点から本論考は仲谷鳰氏の『やがて君になる』という作品を読解していきます。同作は他者に恋愛感情を抱けないことに悩む小糸侑と、自分を肯定できないことで他者からの好意を受け入れられずにいる七海燈子と、七海に恋をする佐伯沙弥香との関係を描く百合漫画です。同作では「恋愛とは何か」という問いがテーマとなっており、恋愛を自明のものとして扱っておらず、作中では恋愛は誰もが当然するものだという固定観念を相対化する場面がいくつか描かれています。
本論考はこうした同作のテーマを考える上で槙聖司というキャラに注目します。槙は他人の恋愛を見たり恋愛相談に乗ったりするのが好きですが、自分が恋愛をしたいという欲望はなく、また恋愛感情を経験しないことを素直に肯定しています。彼が好んでいるのは「舞台の上の物語」としての「役者」がする恋愛であり、それゆえに自身が他人から恋愛感情を向けられた時には「役者が観客に恋するなんて、がっかりだ そんなのはいらない 僕は客席にいてただ舞台の上の物語を見ていたい」と拒否感を露わにします。
ここで描かれているのは恋愛を「する」と「見る」の間にある「破れ目」であると本論考はいいます。このことは性愛規範と創作物との関係を考える上で極めて重要な意味を持ちます。すなわち、恋愛要素のある創作物を求める欲望はしばしば漠然と「恋愛に対する欲望」として認識されてしまいます。この漠然とした認識のもとでは「恋愛に対する欲望」は「恋愛をしたいという欲望」へと両者の差異が認識されないまま還元されることになります。これに対して「する」と「見る」の間の破れ目が突きつけられるとき、恋愛は必ずしも「する」ものではないということが露わになります。
このように同作は性愛を実践する営みを基準とした枠組みに基づいて性愛/恋愛的創作物の受容者を解釈することは、ある意味で性愛規範的なのではないかという問題を提起しています。そしてこうした問題は現実においても、例えば「二次元の性的表現を愛好しつつ、現実の他者への性的惹かれを経験しない」人々の中から「性愛は現実の他者と実践されるのが当然だ」という想定を批判する声として現れています。
そしてそのような批判では「生身の他者に対する性的な要求を伴う」ような「生身の他者に対して性的に惹かれるセクシュアリティ」が「対人性愛」という造語で名指されています。こうした造語実践を踏まえて本論考は「生身の他者に対して性的-恋愛的に惹かれることが規範的なセクシュアリティとされること」を「対人性愛中心主義」と呼びます。
ここで本論考は斎藤氏による多重見当識=複数的指向 multiple orientationsの議論を参照します。先述のように斎藤氏はオタク(おたく)における「想像的な倒錯傾向と日常における「健常」なセクシュアリティの乖離」を挙げています。このような「乖離」は多重見当識がセクシュアリティの領域で作用してものと位置付けられます。そうであれば『やがて君になる』が詳らかにした「する」と「見る」の間の破れ目とは、まさにこのような「乖離」の一例として理解できるということです。
* 引き受けないという仕方で引き受けられている
このような本論考が展開する議論はクィア批評はもちろんのこと、ポストモダンにおける主体をめぐる議論にも大きなパラダイム転換をもたらす射程を持っています。
例えば東浩紀氏は『動物化するポストモダン』において近年におけるオタクの消費行動傾向が「物語消費」から「データベース消費」へ移行していることを指摘し、オタク系文化における「シュミラークル(コンテンツ)」と「データベース(コンテンツを生成する「萌え要素」など非物語的な情報の束)」の二層構造はポストモダンにおける世界構造と対応しているといい、このようなポストモダンにおける主体もまた「シュミラークル」に没入する動物的欲求と「データベース」に介入する人間的欲望を解離的に共存させたポストモダン的主体を「データベース的動物」と名付けました。
もっともその一方で東氏はこのような動物的欲求と人間的欲望の区別になぞらえて「性器的な欲求」と「主体的な「セクシュアリティ」」を区別したうえで、二次元の性的表現を愛好することは「ほとんどの場合」「主体的な「セクシュアリティ」」として(とりわけ男性オタクにとっては)引き受けられていないとしています。
けれども本論考はこうした営みはフィクトセクシュアルあるいはアセクシュアル・スペクトラムとして引き受けられることもあるといい、東氏のいう動物的欲求あるいは「性器的な欲求」は「主体的な「セクシュアリティ」」として、あるいは本論考の文脈でいう「対人性愛の自明性を揺さぶるようなセクシュアリティ」として「引き受けないという仕方で引き受けられている(あるいは引き受けさせられている)」と捉えられるべきであり、そこにはセクシュアリティの装置=性愛規範が作用していることを見て取る必要があるといいます。
* ポスト神経症的欲望と対人性愛中心主義
このような視座はここからさらにフィクトセクシュアルあるいはアセクシュアル・スペクトラムといった「対人性愛の自明性を揺さぶるようなセクシュアリティ」における主体の欲望をいかに捉えるかという大きな問いを開くことができるでしょう。
例えば現代思想の領域において大きな影響力を行使するラカン派精神分析では周知のように人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかに分類した上で、人の「欲望」の標準形を「神経症的欲望」であると見做しています。これに対して1970年代において精神分析に対して真っ向から反旗を翻し大陸哲学に大きなインパクトを与えたジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』(1972)は「神経症の精神病化」というべきプロセスをいわば「ポスト神経症的欲望」として肯定的に描き出しました。また近年のラカン派においても従来の精神病や倒錯には収まらない「ふつうの精神病」や「ふつうの倒錯」といったカテゴリーが提唱され、従来のように「欲望」の標準形を「神経症的欲望」と見做すモデルはかなり揺らぎを見せています。
そして、ドゥルーズ=ガタリの強い影響下に置かれている日本の現代思想シーンにおいても「ポスト神経症的欲望」をめぐる議論が従来より活発になされており、1980年代における浅田彰氏のスキゾ・キッズ支持、1990年代における宮台真司氏のコギャル支持、そしてゼロ年代における東氏のオタク支持といった言説はまさにこうした流れの中に位置づけることができるでしょう。
こうした議論を総括する形で千葉雅也氏は「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない−−倒錯の強い定義(『意味がない無意味』(2018)所収)」という論考で「ポスト神経症的欲望」を「別のしかたでの欲望」と名指し、この「別のしかたでの欲望」を(a)まったく精神分析的ではない「動物的な欲求」へと振り切れさせるパターン(東氏の立場)と(b)あくまでも神経症的欲望を前提とした多かれ少なかれの倒錯化として捉えるパターン(斎藤氏の立場)と(c)肯定されるべき「分裂病」の解放とみなすパターン(古典的なドゥルーズ=ガタリ主義の立場)という三類型に整理しています。
ここから千葉氏は古典的なドゥルーズ=ガタリ主義における「神経症の精神病化」を「倒錯的な精神病」と解釈し直した上で「別のしかたでの欲望」をめぐる上記の三類型を「神経症的欲望」を「無効化せずに否認する」という「メタ倒錯=倒錯の強い定義」という論理で連結させています。
フィクトセクシュアルあるいはアセクシュアル・スペクトラムといった「対人性愛の自明性を揺さぶるようなセクシュアリティ」がこうした「ポスト神経症的欲望=別のしかたでの欲望」のどこに位置づけられるかについては依然として問いは開かれているといえるでしょう。いずれにせよ「対人性愛中心主義」という視座は「ポスト神経症的欲望=別のしかたでの欲望」をめぐる議論を新たな局面へと導くのではないでしょうか。
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| 精神分析
2024年06月24日
少女のエディプス・コンプレックスと母娘関係
* エディプス・コンプレックスの諸相
時は19世紀末、オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは当時、謎の奇病とされたヒステリーの治療法を試行錯誤する中でその病因が患者の「無意識」にあることを突き止め、その症状を解消すべく精神分析を生み出しました。もっとも当初フロイトはヒステリーをはじめとする神経症の症状を患者が無意識へ抑圧した幼児期の性的外傷経験に求める「誘惑理論」なるものを提唱していましたが、やがてフロイトは患者の言葉は必ずしも現実の出来事を述べているのではなく、あくまでその心的な現実を述べているのであると考えを改め、自身の夢の分析を通じて幼児期における母親への愛情と父親への敵意を発見し、このような心的葛藤をギリシア悲劇になぞらえて「エディプス・コンプレックス」と名付けます。
フロイトによれば誰でもこのエディプス・コンプレックスの克服という課題に直面し、これに失敗した者が神経症に罹るとされます。そしてフロイトは幼児がエディプス・コンプレックスを克服するための条件となる別の心的葛藤を「去勢コンプレックス」と名付けます。つまり母親の身体にペニスがないことを知った幼児は自分のペニスを失う「去勢不安」から母親への愛情を断念して父親への同一化を目指すようになるということです。
確かに男児の場合、このようなフロイトの説明は一応は合理的といえるでしょう。しかし言うまでもなく女児の場合にはこの説明はまったく整合性を持ちません。そもそもペニスを持っていない女児においては「去勢」とは当初から見出されるものであり、男児のようにそれを怖れる理由がないからです。では女児においては、どのような過程を経てエディプス・コンプレックスが構成されることになるのでしょうか?
フロイトの説明はこうです。女児は自身におけるペニスの不在を知ると自身がひどく「損なわれている」と感じ、男児と同じようなペニスを持つことを熱望するようになりますが、同時に自らと同様に「損なわれている」存在である母親に幻滅し、父親なら自分にペニス(の代わりの子ども)をくれるかもしれないと、これまで母親に向けていた愛情をまるごと父親の方へ振り向けます。
ここでの女児のペニスへの執着をフロイトは「ペニス羨望」と呼びます。しかしこの願望が実際に満たされるわけでもなく、結局のところフロイトは「真のエディプス・コンプレックス」は男児にのみ生じるものであり、女児のエディプス・コンプレックスは克服されるというよりも自然に消滅していくと考えられるといういまひとつよくわからない結論に至ります。
* 精神分析における女性のセクシュアリティ
そして、このようなフロイトの置き残した課題に触発される形で、1920年代から1930年代にかけての精神分析界においては女性のセクシュアリティに関する論争が盛んになります。この点、フロイトの最側近であり英国精神分析の基礎を築いたアーネスト・ジョーンズはフロイト理論の忠実な守護者を自認しつつも、当時気鋭の女性分析家として頭角を表していたカレン・ホーナイやメラニー・クラインの影響の下で、女児の性的発達に関してフロイト説の実質的な修正を試みる議論を展開しました。
先述のようにフロイトの理論では女児の場合、エディプス・コンプレックスがなぜ始まりいつ終わるのかが今ひとつ明確ではありませんでした。これに対してジョーンズは女児においては母親から自らの女性器を破壊されるかもしれないという根源的恐怖があり「ペニス羨望」とは畢竟、この恐るべき結末を回避するための二次的な防衛にほかならないと主張し「去勢不安」と「ペニス羨望」をエディプス・コンプレックスからの撤退として一元的に把握することで女児においても男児とほぼ同様のエディプス・コンプレックスのメカニズムが作動しているとしました。
これに対して、当時の精神分析教育のメッカであったBPI出身の俊英、オットー・フェニヒェルはフロイト以来の象徴的等式である「ペニス=子ども」は時として「ペニス=少女」という形を取ることがあると主張し女性のセクシュアリティ論争において全く新しい機軸を打ち出しました。
ここで彼が引き合いに出すのは、覗き症の傾向を持つ一人の女性患者のケースです。この患者は2度にわたり「ペニスの代わりに子どもを腹からぶら下げた男(たち)」の夢を見ています。ここには「子ども=ペニス」に同一化するある種の「父体空想」を見出すことができます。この空想において、少女はペニスのように父の身体にぶら下がります。言い換えれば彼女は父と分かち難く結びつき、父の身体の部分になっています。この部分はあくまでも全体の一部に過ぎませんが、しかし、なくてはならない一部であり、その最も重要な部分に他なりません。
ここに見出されるのは、古来の伝説や御伽噺にお馴染みの、偉大な英雄の危機を救う少女というモチーフです。「彼」は強いけど、私がいないと何もできないのだから−−まさにこの少女の「全能空想」のうちにフェニヒェルはフロイトのいう「ペニス羨望」の克服の試みを認めます。ここからフェニヒェルはペニスの発見により脅かされた少女の幼児的全能感はペニスの象徴的等価物たる「ファルス」への同一化によって回復される「少女=ファルス」という結論を取り出してきます。
* 少女=ファルス
このような1920〜30年代の議論を総括し、1950年代に構造主義の立場からエディプス・コンプレックスを再解釈したのがフランスの精神分析家、ジャック・ラカンです。ラカンは、形式的にはフロイトの顔を立てつつ、実質的にはむしろホーナイやクラインの説に立つジョーンズの二枚舌を「弁証法的スケーティング」などと揶揄する一方で、フェニヒェルが打ち出した等式「少女=ファルス」への評価は常に肯定的です。
まず前提としてラカンは解剖学的存在としてのペニスと言語的存在であるファルスを厳密に区別します。ラカンはエディプス・コンプレックスを徹頭徹尾「ファルス」という特権的なシニフィアンを軸としたセクシュアリティの構造化の運動として捉えます。
ここでファルスはまず母親(養育者)の現前不在運動の超越論的シニフィエとしての場に現れます。これを「想像的ファルス」といいます。子どもはまずこの想像的ファルスへの同一化を試みます。この点、フェニヒェルが見出した等式「少女=ファルス」という無意識の幻想は、このような子どもの「(母親の)ファルスである」に根ざしているとラカンは述べています。
けれども当然母親(養育者)の現前不在は止まらないので、その同一化は失敗に終わります。そこで子どもそこにひとつの欠如を発見し、これが超越論的シニフィアンの場としてのファルスを構成します。これを「象徴的ファルス」といいます。男女のセクシュアリティはこの「象徴的ファルス」への態度の相違に起因します。
この点、ラカンにおいて「欲望」とは「要求」の間で弁証法的に生じてくるものであり、この二つの水準が男女のセクシュアリティにおける非対称性を生み出すことになります。すなわち、まず男女ともに「欲望の水準」においては「ファルスをもつ」というポジションを取ることになります。
ところが「要求の水準」においては「ファルスである」というポジションが女性のセクシュアリティを構成します。ここでは「少女=ファルス」というポジションが無意識へ一旦抑圧された上で回帰していることになります。そしてラカンはこうした意味での「ファルス」がレヴィ=ストロースのいう親族の基本構造を安定させる装置として長らく機能してきたといいます。
ここでラカンはセクシュアリティの問題を解剖学的性差から決定的に切り離す事に成功しています。しかしながらその一方で、ここでもやはり「ファルス」という〈父〉に由来する概念が軸となっています。すなわち、精神分析のいう〈成熟〉の条件とは大きくいえば〈父〉への何らかの意味での同一化が必要になるということです。ところがこうした中、日本の精神分析においてはその早期から〈父〉以上に〈母〉の影響が重視されてきました。
* 阿闍世コンプレックス
精神分析は意外と早い時期に日本に紹介されています。1900年代には既にいくつかの学術雑誌の論考において精神分析について言及がなされており、1917年(大正6年)にはアメリカでフロイト理論を学んだ久保良英の手による『精神分析』という本が公刊され、同年に中村古峡を主幹として創刊された『変態心理』という雑誌ではフロイト学説の紹介や翻訳がなされています。そして1926年(大正15年)には安井徳太郎の翻訳でフロイトの『精神分析入門(上)』が出版されました。こうして精神分析が日本においても徐々に盛り上がりを見せる中、日本独自の精神分析理論が生まれてくるようになります。とりわけ有名なのは戦後、日本精神分析学会を創立した古澤平作が提唱した「阿闍世コンプレックス」です。
阿闍世とは仏典に登場する古代インドの王子です。古澤はこの阿闍世物語の中にフロイトのいう「エディプス・コンプレックス」とは別種の「母を愛するがゆえに母を殺害せんとする欲望」という心的葛藤を見出し、これを「阿闍世コンプレックス」と名付けました。「阿闍世コンプレックス」に関する最初の論文は1931年、古澤が東北帝国大学医学部の機関紙『艮陵』に発表した「精神分析學上より見たる宗教」です。同論文はその後1954年、日本精神分析学会の学術雑誌『精神分析研究』第1巻第1号に「罪悪感の二種」と表題を変えて再喝されています。また古澤は1953年に出版された『続精神分析入門(フロイト選集第3巻)』の訳者あとがきにおいてもこの「阿闍世コンプレックス」を論じています。
そしてこの「阿闍世コンプレックス」は古澤の弟子である小此木啓吾氏により広く世間に知られるようになりました。もっとも古澤と小此木氏の下で語られる阿闍世物語は様々な紆余曲折を経て、その委細が幾度となく変化しています。『阿闍世コンプレックス』(2001)に収録された観無量寿経を原典とする小此木版阿闍世物語は次のようなものです。
韋提希は古代インドの王舎城の王頻婆娑羅の妃であった。そして、その息子、つまり王舎城の王子が阿闍世である。阿闍世を身ごもるに先立って、その母韋提希夫人は自らの容色の衰えとともに、夫である頻婆娑羅王の愛が薄れていく不安を抱いた。そして、王子を欲しいと強く願うようになった。思い余って相談した預言者に、森に住む仙人が三年後になくなり、生まれ変わって夫人の胎内に宿ると告げられた。
しかし、韋提希夫人は不安のあまりその三年を待つことができず、子供を得たい一念からその仙人を殺してしまった。ところが、この仙人が死ぬときに、「自分は王の子供として生まれ変わる。いつの日がその息子は王を殺すだろう」という呪いの言葉を残した。その瞬間に頻婆娑羅の妃である韋提希夫人が妊娠した。こうして身ごもったのが阿闍世であった。すでに阿闍世はその母のために一度は殺された子どもなのであった。しかもこの母は身ごもってはみたものの、お腹の中で胎児である阿闍世の恨みが恐ろしくて、産んでから高い塔から落として殺そうとした。しかし彼は死なないで生き延びた。ただし、小骨を骨折した。そこでこの少年は「指折れ太子」とあだなされた。この少年が阿闍世である。
阿闍世はその後すこやかに育った。しかし思春期を迎えてから阿闍世はお釈迦様の仏敵である提婆達多(だいばだった)から次のような中傷を受けた。「おまえの母はお前を高い塔から突き落として殺そうとした。その証拠に、お前の折れた小指を見てみろ」と言った(サンスクリット語のAjatasatruは「折れた指」「未生怨」の両方を意味する)。そして阿闍世は自分の出生の由来を知った。
この経緯を知って、それまで理想化していた母への幻滅のあまり、殺意に駆られて母を殺そうとする。しかし、阿闍世はその母を殺そうとした罪悪感のため流注という悪病(腫れ物)に苦しむ。そして、この悪臭を放って誰も近づかなくなった阿闍世を看病したのが、ほかならぬ韋提希その人であった。しかし、この母の看病は一向に効果が上がらない。そこでお釈迦様にその悩みを訴えて救いを求めた。この釈迦との出会いを通して自らの心の葛藤を洞察した韋提希が阿闍世を看病すると、今度は阿闍世の病も癒えた。そして阿闍世はやがて、世に名君とうたわれるような王になる。
*〈母〉という癒し
そして、こうした「阿闍世コンプレックス」を前提とした古澤や小此木氏が打ち出した精神分析的な治療論とは、言うなれば〈母〉の持つ癒しの力を重視する議論であったといえます。
まず古澤は「罪悪感の二種」においてには「あくなき子供の〈殺人的傾向〉が〈親の自己犠牲〉にとろかされて」はじめて子供に罪悪の生じたる状態になるとしています。ここで古澤は、母親から愛されたいという欲求を充足させることで母親への執着から解放され、他者を愛することができるようになるという、いわゆる「とろかし」技法の名で知られる治療機序を想定しています。
また古澤は『続精神分析入門』の訳者あとがきで、ある分裂強迫神経症患者の症例を挙げ、神経症の背景には患者の母親を独占したい強い欲求があることを指摘し、精神分析的治療はこの欲求を「何らの不安・恐怖をともなうことなく充足できるのです」と語り「そして、この欲求が満たされると、彼の精神生活は成長・成熟し、母親拘束から解放され、社会に適応し、他人を愛することができるパーソナリティに到達できるのです。ここにおいて精神分析学の真の目的が達成されるのです」と主張しています。
次に小此木氏は阿闍世物語を夫の愛を失うことを恐れた「母親のエゴイズム」に対する「息子の恨み」と、息子から殺意を向けられてなお、献身的に尽くす「母の愛」の物語として読み解き、こうした母子間における愛憎劇を乗り越えて母子が一体感を回復していく過程に一つの治療機序を見出しています。
そして小此木氏は「母性再考−−阿闍世の母韋提希の葛藤を辿る」(2003)という最晩年の論考で日本の母親像に関して「無償の愛とか、ゆるしとか、思いやりとか、やさしさとか、献身とか、自己犠牲とか、母性という言葉に含蓄されるすべて込められている。そのようにマゾヒズム的な母性の存在がいることで家庭でも職場でもうまく成り立って機能しているのだというのが日本人の阿闍世コンプレックス論の一つのテーマである」と述べています。
*〈母〉の持つ両義性
このように古澤と小此木氏の治療論の前提には、慈愛に満ちた存在としての〈母〉への素朴な信頼があるように思われます。ところがこれに対してユング派の心理療法家である臨床心理学者、河合隼雄氏は『母性社会日本の病理』(1976)において、当時、急増しつつあった登校拒否症やわが国に特徴的ともいわれる対人恐怖症の背景に日本社会における母性原理の優位性があることを指摘し、母性原理における「生み育てる」という肯定的側面の他に「呑み込む」という否定的側面に注目しています。
また戦後日本の文芸批評においても、古くは江藤淳氏が『成熟と喪失』(1967)において安岡章太郎氏や庄野潤三氏など「第三の新人」の作品を読み解く中で戦後日本における〈成熟〉の条件とは〈母〉を見棄てることによる「喪失感の空洞」のなかに湧いて来る「悪」を引き受けることであると主張し、近年においても宇野常寛氏が『母性のディストピア』(2017)において戦後日本における「矮小な父性」と「肥大化した母性」の結託からなる仮初めの〈成熟〉を「母性のディストピア」と名指し、宮崎駿氏、富野由悠季氏、押井守氏といった戦後アニメーションにおける巨匠たちの作品を読み解く中で現代の情報環境の中でますます肥大化する「母性のディストピア」の解除条件を論じています。
これらの議論において〈母〉とはいずれも乗り越えるべきものとして描き出されています。その一方で従来の〈母〉をめぐる議論ではもっぱら「母と息子」の関係における男性的な成熟が念頭に置かれていました。しかしながら、一般的にも「母と娘の関係はこじれやすい」としばし言われるように〈母〉の呪縛はむしろ「母と娘」の関係においてより強力に現れることがあります。
* 母娘関係の脱構築
こうした母娘関係の複雑さに光を当てた文芸批評として三宅香帆氏の近著『娘が母を殺すには?』(2024)があります。同書は母は娘に規範を与えるもっとも近しい存在であり、しばし娘は母の規範に成人してからも縛られていることを指摘し、娘はその〈成熟〉の過程で精神的な位相における〈母殺し=母の規範の相対化〉が必要であるといいます。こうしたことから同書では小説、漫画、ドラマ、映画などざまざまなフィクションの読解を通じて「母娘関係の脱構築」を提案します。
ここでいう「母娘関係の脱構築」とは母娘関係という名の二項対立に新たに第三項を導入することで母の規範を相対化させ娘の欲望を開いていく技法をいい、その理論的基盤としてポスト構造主義の哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリが『アンチ・オイディプス』(1972)で展開した非エディプス的な欲望観が参照されています。こうした同書の提案をこれまで述べてきた精神分析の語彙を使うと次のようにいえるでしょう。
もとより精神分析における「母娘関係の脱構築」はフロイトのいう「ペニス羨望」にはじまり、フェニヒェルのいう「少女=ファルス」やラカンのいう「象徴的ファルス」といった〈父〉に由来する第三項の導入によって行われていました(少なくとも理論的にはそのように想定されていました)。もっとも日本の場合は長らく「阿闍世コンプレックス」が唱えられてきたように〈母〉の影響が強く、こうした〈父〉に由来する第三項が十全に機能しない恐れがあります。そこで同書は「母娘関係の脱構築」を〈父〉とは異なる非エディプス的な経路からの第三項の導入によって行おうと提案しているということです。
もっとも同書によれば日本の文学史において母娘関係の複雑さが「発見」されたのは極めてごく最近になってからだとされています。そうであれば今後の日本文学においては、こうした母娘関係の複雑さとそこから抜け出るための第三項の在りようをこれまで以上に高い解像度で描き出していくことこそが、ひとつの大きなテーマとなるのではないでしょうか。
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| 精神分析
2024年05月28日
西田幾多郎の哲学と精神病理学のあいだ
* 日本哲学のはじまりと西田幾多郎
日本における哲学の歴史は一般的にはPhilosophyを「哲学」という日本語に訳したことでも知られる西周が行った哲学講義によって始まったとされています。江戸幕府の洋学研究機関であった蕃書調所(のちの東京大学)の教授手伝並であった西は1862年(文久2年)に軍艦発注のために派遣された幕府の使節に随行し、オランダで法学や経済学と共に哲学を学び、明治維新後「育英舎」という私塾を開き1870年(明治3年)から「百学連環」という題目で哲学を含む学問全体を論じる講義を行っています。
やがて1877年に東京大学が創設された際には文学部に「史学、哲学及政治学科」が置かれ、1881年には独立した形での「哲学科」へと改編されました。この哲学科での教育に大きな役割を果たしたのがフェノロサやブッセやケーベルらの外国人教師であり、彼らの下からは近代日本を担う多くの人材が輩出されました。そして、このような受容期間を経て日本の哲学はついに自らの足で歩き始めます。そのことを示す記念碑的著作が1911年(明治44年)に公刊された西田幾多郎の『善の研究』です。
西田は旧制第四高等学校教授、学習院大学教授などを経て1910年に京都帝国大学文科大学助教授となり、1914年から1928年まで哲学講座の教授を務め「西田哲学」と呼ばれる独自の思想を創り上げ、その周囲には田辺元、和辻哲郎、三木清、九鬼周造、戸坂潤を始めとした錚々たる人材が集まり、いわゆる「京都学派」と呼ばれる一大知的ネットワークが形成されました。
西田の存命中も『善の研究』は繰り返し版を重ねましたが、戦後も特に1950年に岩波文庫版が出て以来、幅広い層に読み継がれて多くの研究書も出され、現在では英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、中国語、韓国語など多くの言語にも翻訳されています。
しばし同書は東洋の思想、特に禅の思想を西洋哲学の術語を用いて表現し直したものであると言われることがあります。もちろん西田は東洋の思想、特に儒教や仏教について深い理解を有していましたが、実際のところ同書はこれらの思想を積極的に論じるものではありません。もっともその一方で同書が問題とした「実在とは何か」「善とは何か」「宗教とは何か」といった問題を自らの力で考えていこうとするときに、東洋の伝統的な思想もまた、西田にとって大きな手がかりとなったことは確かです。いわば「西田哲学」とは西洋と東洋の間で練り上げられた思索であるといえます。
* 主客二元論と純粋経験
『善の研究』は第一編「純粋経験」、第二編「実在」、第三編「善」、第四編「宗教」の四つの部分からなっていますが、その中で最初に書かれたのが第二編「実在」です。そこで西田は同書で明らかにしようとする問題の所在を「天地人生の真相は如何なる者である、真の実在とは如何なる者であるかを明にせねばならぬ」と述べ、この問題に取り組むため「今もし真の実在を理解し、天地人生の真面目を知ろうと思うたならば、疑いうるだけ疑って、凡ての人工的仮定を去り、疑うにももはや疑い様のない、直接の知識を本として出立せねばならぬ」と述べています。
そして、ここでいう「人工的仮定」について西田は「我々の常識では意識を離れて外界に物が存在し、意識の背後には心なる物があって色々の働をなす様に考えている」と述べています。こうした考え方は哲学において一般的に「主客二元論」と呼ばれます。この「主客二元論」によれば「私」という主観と、その主観が働きかける「対象」としての客観とがそれぞれ独立に存在しており、この二つのあいだでさまざまな関係が成立するとみなされます。
けれども西田はこの「主客二元論」は事実をそのものとして捉えたものではなく、そこに既に「人工的仮定」としての先入観が持ち込まれてしまっており、それを取り除かなければなければ、ものの真のあり方を把握することはできないと主張します。このように同書の意図は西洋哲学を伝統的に規定している思考を根本から問い直すところにあります。
そして同書において西田が出した結論が「実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである」というものであり、ここでいう「意識現象」「直接経験の事実」を「純粋経験」と呼びます。
この「純粋経験」について西田は第一編「純粋経験」の冒頭で「純粋というのは、普通に経験といって居る者もその実は何らかの思想を交えて居るから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じて居るとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである」と述べています。
これは何か特別な経験のことではなく、単にその辺の道に咲く花を見たりとか遠くから鳥の鳴き声が聞こえたりなどといった日常にありふれたごく普通の経験を指していますが、ここでは「色を見、音を聞く刹那」という点が重要となります。
ふつうに「経験」という場合、そこでは既に何かを見たり聞いたりする「私」というものが想定され、その「私」が見たり聞いたりする「対象」とのあいだに認識が成立するという枠組みが知らず知らずに作り上げられています。つまり、そこにはすでに「思慮分別」が入り込んでおり、そこで捉えられたものは、もうすでに我々はじかに経験したもの、物事の真相から離れているということです。
* 実在の在り処
これに対して物事の真相はその様な「思慮分別」が入り込む以前の「経験其儘の状態」であると言うのが西田の考え方です。我々は普通「私」という意識を持ち、例えば目の前に咲く百合の花を「この花は白い」などと判断したりします。しかし西田は「純粋経験」においてはただそこには白が白として意識されているだけであり、そこには「この花は白い」という判断も花を知覚しているという意識すらもないといいます。これが「色を見、音を聞く刹那」の意味するところです。
我々は通常、一方に自分の外にある対象を表象あるいは認識する「意識」を考え、そして他方でその意識によって表象される「物」を考えて、そのあいだに認識なり行為といった「関係」が成立していると考えます。そのような考えを徹底していくと意識の外部には我々が見たり聴いたり触ったりする以前の単なる物体の世界が広がっており、我々はその外的世界の情報を感覚器官を通して受け取りそれを脳に伝え、そこに色や音や手触りで満たされた内的世界が作りあげられていくことになります。
このような外的世界と内的世界を区別する立場からは当然、後者は前者を原因としてたまたま生じた結果であり、前者こそが第一次的な存在であり、後者は第二次的、あるいは派生的な存在であると考えが帰結されます。また外的世界は誰が計測しても同じ客観的世界であるのに対して、内的世界はそれを見たり聴いたり触ったりする人によって異なる主観的世界であるという見方が生じてきます。
しかし西田はそのような仕方で外的世界と内的世界を対置するのではなく、両者が一体になった世界のことを「経験其儘の状態」と呼び、そこにこそ実在が現前していると考えました。もちろん西田も我々が意識と対象を区別して感覚ないし意識する以前の対象そのものの存在を想定することを否定しているわけではなく、主客二分論的対立を前提とした科学的認識の持つ意義を認めています。西田が批判しようとしたのは意識に対置される対象が第一次的存在であり、我々の意識するものは主観的であやふやな反映に過ぎないという考え方です。
我々が行っている具体的な経験においては、意識と対象とはひとつになっているし、その一つになった経験のなかにこそ、物のリアリティが現前しているというのが西田の考えです。それは決して主観的であやふやなものとして排除されるべきものではなく、それこそが「実在の真景」であり、そこに現前した物のリアリティこそが我々の生活を豊かにして意義あるものにしているということです。
*「もの」と「こと」
このように西田が『善の研究』において「純粋経験」という術語で展開した思索はいかにも思弁的な議論に聞こえてしまうかもしれません。けれども、我々の普段の認識や行為がこの「純粋経験」といかに密接に関わっているかはある種の精神の不調によって裏側から明らかになります。例えば西田哲学に造詣が深いことでも知られている精神病理学者の木村敏氏は「離人症 depersonalization」と呼ばれる症状との関わりでこの「純粋経験」を「もの」と「こと」の問題として議論しています。
ここでいう「離人症」という症状においては外界の事物や自分自身の身体についての実在感や現実感、充実感、重量感、自己所属感などといった感覚が失われるだけではなく、何よりもまず自分自身の自己がなくなってしまった、あるいは以前とすっかり違ってしまった、感情や性格が失われたという体験が訴えられています。
この点、木村氏は『時間と自己』(1982)においてこのような離人症において欠落する感覚を「こと」の消失として捉えています。すなわち、離人症においてはそれまでの日常において世界の「もの」的な知覚を背後から豊かに支えていた「こと」的な感覚が一挙に喪失して、世界はその表情を失ってしまうということです。
通常、我々が何かしらの対象ないし事物を具体的に見たり聴いたり触ったりするという経験の現場において、その対象ないし事物は我々の存在とはまったく関わりのない物体としてただ客観的に「もの」としてあるのではなく、そこで「もの」は「こと」と共生しており、これが「いま」という「あいだ」を構成することになります。これに対して離人症においては、この「もの」と共生しているはずの「こと」が、すなわち西田のいう「純粋経験」が失われてしまっているわけです。
* マインドフルネスと純粋経験
また西田は禅の思想に通暁し、自身も熱心に禅に取り組んでいたことで知られていますが、現代において禅の思想と実践は「いまこのとき」に意識を向けていくマインドフルネスアプローチとして心理療法の領域にも取り入れられています。
例えば第3世代の行動療法として注目される「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)」ではさまざまな心理的・行動的な問題を言語と現実を混同した「認知的フュージョン」が引き起こす「体験の回避」の問題として一元的に捉え、マインドフルネスアプローチを基盤としてクライエントが「体験の回避」から「価値ある行動」に踏み出せるよう支援していきます。
このACTにおいては普段「わたし」と呼んでいる自分自身のイメージを「概念化された自己」と呼び、この「概念化された自己」への無自覚的な執着がしばし様々な精神の不調を生み出す原因になるとして、ここから自分自身を外側から客観的に見つめる「プロセスとしての自己」を経て、さらに俯瞰的に世界を眺める「文脈としての自己」への変容を促していきます。これは主客二元論における「わたし」を消去したところで生じる「純粋経験」の全面化であるともいえます。こうした観点からも思弁と実践が表裏一体になった哲学として『善の研究』を読み直すことができるのではないでしょうか。
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