【参考リンク】

現代批評理論の諸相

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

現代アニメーションのいくつかの断章

2022年10月29日

アンチ・オイエディプスの倒錯論的解釈



* アンチ・オイエディプスは何を目指したのか

かつて1960年代に一世を風靡した「構造主義」の首領にして精神分析中興の祖として知られるジャック・ラカンは人間の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの位相の絡み合いの中で、その心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかに位置付けました。これに対して1970年代に「構造主義」を乗り越える形で現れ大陸哲学に一大ムーブメントを起こした「ポスト構造主義」の代表的思想家と目されるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはその共著「アンチ・オイエディプス」において「いわゆる正常=神経症」という従来のラカン的構図をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱しました。

AOにおいて、ドゥルーズ=ガタリは「精神分析的欲望=神経症的欲望」から解放された「ポスト神経症的欲望」への展開を志向しています。ここでいう「神経症的欲望」とはラカンが「象徴界」と呼んだ間主観的ネットワークにおいて個人のセクシャリティの規範化を構成する欲望の様式を指しています。これに対して「ポスト神経症的欲望」とは象徴界=間主観的ネットワークから切断されて多方向に発散していく無軌道な欲望の様式を指しています。

この点、千葉雅也氏はAOにおけるドゥルーズ=ガタリは「神経症の精神病化」を誇張的に肯定したが、その背景には「マゾヒズム論としての倒錯論」が潜んでいるとして、この事実はポスト神経症的欲望という〈別の仕方での欲望〉をいわば「精神病と倒錯のオーバーダブ」として捉える立場を示唆しているとします。

すなわちAOにおいて展開される「分裂症論」はそれ自体、精神病的というわけではなく、彼らの理想化する「分裂症者」とは、セクシュアリティを規範化する〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われる、ということです。

そして、この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈するのであれば、ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば〈性別化のリアル〉の「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになります。

それでは、ここでいうAOの背景にあるとされる「マゾヒズム論としての倒錯論」とはいかなるものでしょうか。千葉氏は「動きすぎてはいけない−−ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学(2013)」において次のような解釈を提示しています。

* サディズムとマゾヒズム

まず、ドゥルーズは独自の倒錯論を展開した「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」で、倒錯における「サディズム」と「マゾヒズム」をそれぞれ「イロニー」と「ユーモア」という思考運動に対応させています。

ここでいうイロニーとユーモアは「法」を転覆させるための二つの技法になります。そして、このような意味での「法のイロニー的転覆」が「サディズム」であり「法のユーモア的転覆」が「マゾヒズム」ということです。そしてドゥルーズによればサディズムとマゾヒズムは「形態」に対する態度の差異ということになります。

この点、サディズムはあらゆる「形態」の「否定」を本質とします。サディズムは経験的な「二次的自然」の彼岸に「純粋否定」を体現する「第一次的自然」という実現不可能な「理念」を遠望して、この「純粋否定」の存在を論証すべく、その「間接証拠」として、此岸における破壊活動を累積し加速させます。

このようにサディズムは「大文字の法」へとイロニー的に上昇する運動です。サディストは二次的自然のあらゆる「形態」を破壊し、純粋な「非形態」である「大文字の法」へと向かうことになります

これに対して、マゾヒズムではサディズムとは「形態」に対する「別の仕方での否定」が働いています。このような「別の仕方での否定」をドゥルーズは「否認」といいます。すなわち、マゾヒストはこの世界という「形態」をサディストのような破壊活動によらず「否認」して、所与の素材に勝手な工夫を凝らすことで自身の「理想」へと作り替えてしまいます。

このようにマゾヒズムは「小文字の法」をユーモア的に変換する運動です。ドゥルーズによれば「(マゾヒストにとって法は)もはや原理への遡行によってイロニックに覆されるのではなく、帰結を深く究明することで、ユーモラスに、斜めに回される」ということになります。

この点、ドゥルーズはマゾヒストは弁護士に似ているといいます。マゾヒストは何らかの「フェティッシュ」を素材とした「特殊な物語」によってこの世界を多重化します。それは既存の事実と法文のいくつかを独自に連合する弁護士的なコラージュといえます。それは「超越的でない」外部性を、この世界におけるこの世界の分身=解離という形で実現することに他なりません。

このような「ザッヘル=マゾッホ紹介」における倒錯論をAOにおける欲望論と照らし合わせてみたとき「純粋否定」という「理念」へと向かうサディズム/イロニー的運動がラカン的構図の中にとらわれた否定神学的欲望に相当するとすれば「否認」によって「理想」へと向かうマゾヒズム/ユーモア的運動はドゥルーズ=ガタリが称揚する内在的欲望の前駆体であるといえるでしょう。こうしたことから千葉氏はドゥルーズ=ガタリの提唱した〈分裂分析〉とは実のところ〈分裂-マゾ分析〉であるといいます。

* 超越論哲学と超越論的経験論

もっとも「ザッヘル=マゾッホ紹介」におけるドゥルーズは単純なマゾヒズム一元論には立っていません。なぜなら、千葉氏が指摘するように同書ではサディズム/マゾヒズムのそれぞれの論理を分離して肯定しているからです。そして、ここで導きの糸となるのが精神分析の始祖、ジークムント・フロイトが1920年に発表した論文「快原理の彼岸」です。

周知の通り、フロイトは「快原理の彼岸」において「快原理」に駆動される存在であるはずの人間がなぜ「快原理」に矛盾するかのような苦しみの記憶を繰り返し想起するのかと問い、そこで「快原理」を超える「彼岸」を仮定しました。それが「死の欲動」であり「タナトス」です。

この点、ドゥルーズは、フロイトにおける「快原理の彼岸」をカント哲学における「経験的/超越論的」という二つの位相に位置付けます。ここでは「死の欲動」が経験的な位相に対応し「死の本能=純粋状態のタナトス」が超越論的な位相に対応します。すなわち、ここでの「経験的/超越論的」という区別がサディズムにおける二つの「自然」と対応していることになります。ここでサディズム=イロニーの哲学は、この世界が単一の外部=超越論性によって駆動される「超越論哲学」となります。

これに対して、マゾヒズムは「快原理の彼岸」とは「別の彼岸」あるいは「此岸的な彼岸」を構築することになります。ここでドゥルーズはマゾヒズムとフェティシズムを癒着させ「否認」によってこの世界が「別の仕方」へと分身するための条件=超越論性を所与の素材やイメージにおいて肯定します。ここでマゾヒズム=ユーモアの哲学は、この世界の中で立ち騒ぐ経験の断片達がそれぞれ複数的な外部=超越論性を立ち上げる「超越論的経験論」となります。

* サディズム優位の下でのサド-マゾヒズムと一次マゾヒズム

では、こうしたサディズムとマゾヒズムはどのような関係に立つのでしょうか。

この点、フロイトの説明によれば、まずサディズムが発生し、次にこれが反転して自我に向けられる時にマゾヒズムが発生するという機序となります。けれどその一方でフロイトはサディズムには当初から「マゾヒズム的な経験」が含まれているといいます。

この一見矛盾したフロイトの説明は、ドゥルーズによれば純粋な「攻撃的サディズム」と、他人の苦痛を愉悦する「快楽主義的サディズム」という異なったサディズムの説明であるとされます。すなわち、ここでは「サディズム優位の下でのサド-マゾヒズム」という単位が成立することになります。

もっとも、フロイトによれば、攻撃的かつ性的なリビドーが自我に向けられる時「脱性化」されることになります。これが自我を道徳原則で統御する超自我の力です。従って、ここでマゾヒズムは単なるサディズムの反転ではなく、むしろ反転されたものの「再性化」によって定義される、とドゥルーズはいいます。

この「再性化」にはマゾヒズム的本質である強い刺激のエロス化が関わってくることになります。このような「再性化」を引き起こすマゾヒズム的本質をドゥルーズは「一次マゾヒズム」と呼びます。

* 快原理における二段階の彼岸

そして、ドゥルーズによれば、こうした「再性化」はサディズムとマゾヒズムを分つ二種類の「反復」による「一種の飛躍」として行われます。すなわち、サディズムとマゾヒズムにおいて「死の本能」は異なった「反復」の経験として作動するわけです。

この点、サディズムにおける「純粋否定」は単一の外部を目指す「加速する反復」であり、マゾヒズムにおける「(破壊的でない)否認」は複数的な外部を開く「宙吊りの反復」となります。

ここにドゥルーズはフロイトの「快原理」における二段階の「彼岸」を想定することになります。

まず第一の彼岸は「拘束」に基づくエロスです。「快原理」に権利上先行すると想定されるのは苦痛と快感のプリミティヴな刺激群です。この刺激群が一定のまとまりに「拘束」されて「快原理」が成立します。この「拘束」こそが「快原理」の第一の彼岸です。なお、ここでドゥルーズはヒューム主義的な「観想=縮約」をフロイトの「拘束」と同一視しています。このような「観想=縮約=拘束」がマゾヒズムに相当します。

ところがここでドゥルーズは彼岸をもう一歩、深化させます。すなわち、第二の彼岸としてのタナトスへの問いかけです。ここで第一の彼岸=エロスは、その先にある第二の彼岸=タナトスへと自らを超出させます。

所与を一旦は受け入れつつも、なおかつ解き放つということ。こうしたことから「マゾッホ紹介」は単なるマゾヒズム一元論ではありません。けれども、それでもドゥルーズはマゾヒズムを主としてサディズムを従とします。なぜならサディズムには思弁を「急ぎすぎて」しまう事で「観想=縮約=拘束」の解離可能性としての「死の本能」を、一なる〈欠如〉へと硬直化させてしまう勢いが否めないからです。

ここで〈欠如〉なき純粋なマゾヒズムという「理想」と〈欠如〉を論証する純粋なサディズムという「理念」との間に「急ぎすぎてはいけない=動きすぎてはいけない」という節約のテーゼが生じます。そしてここに、実地でのマゾヒズムを位置付けられます。

こうしたことから、千葉氏はドゥルーズの倒錯論を「観想=縮約=拘束に折り込まれた解離可能性としての幾度もの、生きながらの死を経ていくこと、それが、急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズムである」と結論しています。

* 理念を手放さないままで理想に向かうということ

このようにドゥルーズの倒錯論においては、サディズム/イロニー的運動とマゾヒズム/ユーモア的運動は大変に入り組んだものとなっています。そしてここで千葉氏が提示した〈急ぎすぎずにサディスティックでもあるマゾヒズム〉というマゾヒズム観は、氏のベストセラー「勉強の哲学」において「深い勉強(ラディカル・ラーニング)」を形成する「アイロニー・ユーモア・享楽」という「勉強の三角形」の基底を成しているように思えます。

我々は普段は「世界とはこういうものだ」「人生とはこういうものだ」という「環境のコード」の中で生きています。こうした「環境のコード」の根拠を疑う技法が「アイロニー(イロニー)」です。そして「深い勉強」はこのようなアイロニーを極めようとせずに、その手前で「環境のコード」を変換する技法である「ユーモア」への折り返しを説きます。なぜならばアイロニーはやり出すと原理的に際限がないものであり、そのどこかでアイロニーを有限化してしまえば特定の価値を囲い込む「決断主義」に陥るからです。

そして「深い勉強」はアイロニーからユーモアに折り返した後、今度はユーモアの意味飽和を自身に刻まれている特異的なこだわりである「享楽」で切断することで、その思考の足場を「仮固定」します。こうした仮固定を氏は「決断」ではなく「中断」と呼びます。そして「深い勉強」はこの仮固定した享楽に再びアイロニーを入れていくことになります。すなわち、ここでは「理念(サディズム/イロニー)」と「理想(マゾヒズム/ユーモア)」の往還運動が生じているということになります。

しばし我々は自らの描き出した「理念」や「理想」へまっすぐに向かって歩んでいく過程を「自己実現」などと呼びます。けれども、その「自己実現」と呼ばれる過程を果たして仔細に見ていけば、むしろそれは「理念」と「理想」を幾度となく往還することで生じるある種の倒錯的な「自己破壊」を常に伴うものといえます。

理念を手放さないままで理想に向かうということ。ポスト神経症的欲望としての〈別の仕方での欲望〉とは、おそらく、こうした「理念」と「理想」を往還する倒錯的な「自己破壊」の中にこそ見出せるのではないでしょうか。

















posted by かがみ at 21:53 | 精神分析

2022年09月29日

空想的決めつけと享楽的こだわり



* レイシズムと集団形成の問題

レイシズム(人種主義)とは、人間を様々な「人種」に区別して「優等な人種」が「劣等な人種」を支配することを当然視する思想をいいます。周知の通り第二次世界大戦後、レイシズムはナチスドイツのホロコーストを正当化したイデオロギーとして激しく非難されました。ところがレイシズムはまったく科学的根拠がないにもかかわらず、いまなお根強く人々の無意識に浸透し、また一部では積極的に信奉されていたりもします。果たして人はなぜレイシストになってしまうのでしょうか。

この点、レイシズムに関する多くの言説は、経済情勢と国民のアイデンティティの問題からレイシズムの台頭を説明します。すなわち、レイシズムとは不安定化する経済情勢を埋め合わせるように国民のアイデンティティを鼓舞する動きとして機能しているということです。けれども、レイシズムとは本質的には自らが属するある集団を別の集団と対立させ、この二つの集団を友/敵に切り分ける思考です。そのためレイシズムの問題を解明する上ではまず「いかに人は集団を形成するのか」というある意味で素朴な問題を解明する必要があります。


* レイシズム1.0とレイシズム2.0

この点、ラカン派精神分析家、エリック・ローランは「レイシズム2.0(2014)」という論考の中で精神分析的視点から集団形成とレイシズムの関係を論じています。同論考においてローランはジークムント・フロイトとジャック・ラカンの精神分析理論を援用して「フロイト的時代のレイシズム」と「ラカン的時代のレイシズム」を対置させています。

まず「フロイト的時代のレイシズム」とは精神分析的な〈父〉に依拠するモデルです。すなわち、ここでは何かしらの権威を体現するカリスマ的指導者に対する同一化がレイシズムを生み出していることになります。これが古典的レイシズムというべき「レイシズム1.0」です。

これに対して「ラカン的時代のレイシズム」とは精神分析的な〈父〉に依拠しないモデルです。ラカンは専らレイシズムを〈父〉への同一化ではなく「享楽」という観点から論じています。ここでラカンのいう「享楽」とはフロイトが人の根本衝動として位置付けた「欲動」が満足を得た状態を指します。

この点、ローランは比較的早期にラカンが発表した論考「論理的時間と予期された確実性の断言(1954)」における有名な「三人の囚人の論理」に、早くも〈父〉への同一化ではなく、享楽の論理でレイシズムを理解する手がかりが見出されるといいます。

この「三人の囚人の論理」からは、人間が集団を形成するのは自分が「人間ではないもの」と認定されるのを恐れるためであるという結論が導かれます。すなわち、集団の形成には「人間ではないもの=排斥対象」を集団内部に想定して当該対象をスケープゴートにする契機が必ず含まれているわけです。

このように〈父〉への同一化を必要とせず集団を形成するラカンの論理をローランは「反-同一化論理」と呼んでいます。この論理からすれば、レイシズムもまた特定の〈父〉を必要としません。何らかのマイノリティ性を理由として、ある集団内部における「人間ではないもの=排斥対象」が想定された時点でレイシズムは成立します。これが現代的レイシズムというべき「レイシズム2.0」です。


* 症状としての〈父〉とフェイクとしての〈父〉

以上のようなローランの議論はラカンの娘婿であり現代ラカン派を領導するジャック=アラン・ミレールのいう「精神分析のフロイト的時代(〈父〉の現前)」と「精神分析のラカン的時代(〈父〉の不在)」という区分にも対応した極めて明快な議論です。

もっとも、精神病理学者の松本卓也氏はローランの議論はフロイトにおける〈父〉とは「症状」であったことを見逃していると指摘しています。この点、松本氏が参照するフィリップ・ラクー=ラバルトとジャン=リュック・ナンシーは、フロイトが「集団心理学と自我分析(1921)」においてわずかに言及した「パニック」という現象の中に〈父〉をめぐるフロイトの動揺=症状を見定めます。

ここでフロイトのいう「パニック」とは、集団のリビード的拘束が弛緩してしまった時に構成員の中で生じる不安のことを指します。つまりパニックとは、それまであると信じられてきた紐帯が壊れ、理想が機能しなくなってしまった時に起こる現象、すなわち、ラカンのマテームを用いるのであれば、一貫した〈他者=A〉がいるという夢から覚醒し、非一貫的な〈他者=Ⱥ〉が暴かれたことから帰結する現象であると考えられます。

そしてこのパニックは単に〈父〉の不在を暴露するだけではありません。松本氏が参照する柿並良佑氏の「恐怖(パニック)の誕生−−同一化・退引・政治的なもの(2013)」によれば、集団は〈父〉への同一化という錯覚が解けた時、その成員相互の同一化も解消しパニックに陥ることになるけれども、この同一化の失敗は翻って〈父〉という「形象」への再-同一化ないし超-同一化に転じることになり、その再-同一化ないし超-同一化は他人への憎悪が剥き出しとなる場面を到来させることになるといいます。

松本氏はこれこそが現代において我々が見ているレイシズムのメカニズムではないかといいます。すなわち、少なくとも現代的なレイシズムは、症状としての〈父〉の夢想(レイシズム1.0)が瓦解した後に、フェイクとしての〈父〉を求める運動(レイシズム2.0)として読まれるべきであるということです。


* 享楽の病理としての空想的決めつけ

上記の議論から松本氏はレイシズムの精神分析的論理を@一貫した〈他者=A〉が夢想されている段階とA非一貫的な〈他者=Ⱥ〉が暴露される段階とBフィクションとしての〈父〉への再-同一化する段階という三段階に定式化します。

そしてAの段階からBの段階が生じるとき、個人はお互いの「享楽のモード」の僅かな差異に鋭敏な反応を示すようになり、そこからレイシズムが生じるといいます。すなわち、精神分析的観点からレイシズムを論じるとすれば〈父〉の不在の暴露と、そこから発生する享楽の病理の二つの曲の絡み合いに注目する必要があるわけです。

この点、1970年代においてラカンは現代的レイシズムにおける排斥の原因となる文化的差異を「享楽のモード」の差異である考えていました。さまざまな人種や民族や出自の人々が共存する世界では、飲食や性行為や冠婚葬祭など、生活の中で快を得たり不快を処理する方法としての「享楽のモード」には多様なバリエーションが共存することになります。ここでしばしマジョリティはマイノリティの享楽のモードを「発展途上」であると見做して、自分たちの享楽のモードを彼らに押し付けたりもします。ここにレイシズムが発生するとラカンは述べています。

さらにここでラカンは、そもそも人は本質的に自らの享楽を〈他者〉の享楽を介してしか位置付けることができないという逆説を強調します。つまり言語(象徴界)の主体である人にとって言語化不能な領域(現実界)にある完全な享楽は常に既に失われたものでしかなく、それゆえに人はラカンのいう「性関係のなさ(享楽の不可能性)」に悩まされることになり、この「性関係のなさ」は「どこかに十全な享楽を得ている人物=〈他者〉が存在しているにちがいない」という「空想的決めつけ」を生み出してしまうわけです。

このように「性関係のなさ」に悩まされている人の前に自分と異なる「享楽のモード」を取る人物が現れた場合、しばし彼/彼女の中で「どこかに十全な享楽を得ている人物=〈他者〉が存在しているにちがいない」という「空想的決めつけ」が活性化してしまいます。そして、ここから「私が十全な享楽に到達できないのは、この人物が私の享楽を盗んでいるからにちがいない」という「妄想的決めつけ」が引き出されるとき、そこにレイシズムが生まれることになるわけです。


* 空想の横断と逆方向の解釈

ではレイシズムの興隆に対して精神分析は何かできることがあるのでしょうか。松本氏はその一つの答えは60年代のラカンが分析目標とした「空想の横断」から得られるといいます。「空想の横断」とは「性関係のなさ」を覆い隠している分析主体の「空想」を引き剥がし、その欲望を丸裸にしてしまうことです。

この点、ラカン派の精神分析学者、スラヴォイ・ジジェクはこの「空想の横断」をレイシズムに対する一種の処方箋として提出し、これに「否定的なもののもとに滞留すること(tarrying with the negative)」というヘーゲルから借用した名前を与えています。それは「〈他者〉の不在」という否定性から目を向けるのではなく、むしろ「否定的なもの」をまざまざと見つめ、その場所に踏みとどまることを意味します。

享楽が常に不十分なものにとどまるのは、何らかの〈他者〉によって享楽が盗まれているためではなく、我々の享楽の体制そのものに「性関係のなさ」が刻印されているからに他ならないということを知ること。これが我々をレイシズムから引き剥がすことを可能するということです。

こうしたことから、松本氏は「人がレイシストになることを予防する効果ならば、精神分析にわずかな期待を抱くことが可能かもしれない」と述べています。人は自らの抱える「性関係のなさ」の理解不可能性、宙吊り状態にある不全感の原因を理解可能なものにするため、しばしその「性関係のなさ」の原因を何かしら特定の「黒幕」に局在化し「結論の時」へと飛躍する。ここからレイシズムが生じることになります。

ここでレイシズムとは「性関係のなさ」におけるある種の「解釈」として機能しているといえます。これに対して(少なくとも松本氏のいう現代ラカン派において)精神分析は「解釈=順方向の解釈」とは反対の方向を向いた「逆方向の解釈」を提示します。

すなわち、分析主体は何かしらの「解釈=結論の時」を〈他者〉の中に探し回るのではなく「否定的なもののもとに滞留すること」することで、むしろ自らの固有の「享楽のモード」と向き合うことになります。そして分析という作業の中で、その自ら固有の「享楽のモード」を「特異性=単独性」にまで高めることができた時、人はレイシストになることなく自らの享楽と付き合っていくことができるはずであると、氏は述べます。


* 空想的決めつけと享楽的こだわり

もちろん、このような意味でのレイシズムに取り憑かれてしまった人はおそらくそう多くはないと思います(そう信じたいと思います)。けれども厳密な意味でのレイシズムではないとしても、属性や立場や嗜好の相違に起因した差別的な言動はSNSなどでわりとよく見かける光景のようにも思えます。

そして、こうした差別的な言動の裏にもやはり「私が十全な享楽に到達できないのは、この人物が私の享楽を盗んでいるからにちがいない」と想定してしまう「享楽の病理」が潜んでいます。では我々の日常的な実践の中で、このような「享楽の病理」を解除するための処方箋を見出すことはできないのでしょうか。

この点、精神分析におけるプロセスの「独学版」といえるのが千葉雅也氏が「勉強の哲学(2017)」で提唱する「深い勉強(ラディカル・ラーニング)」です。ここでいう「深い勉強」とは「アイロニー・ユーモア・享楽」からなる「勉強の三角形」によって規定される思考過程です。

我々は知らず知らず「世界とはこういうものだ」「人間とはこういうものだ」といった「環境のコード」の中で生きています。「深い勉強」とはこうした「環境のコード」に「アイロニー」を入れるところから出発します。

「アイロニー」は「環境のコード」の根拠を疑います。その結果「環境のコード」を根拠付ける上位コードである「超コード」が出現します。そしてその「超コード」にさらに「アイロニー」を入れることで、さらなる「超コード」が出現する・・・こうした際限なき「アイロニー過剰」により「超コード化による脱コード化」が起こります。そしてその極にあるのが、もはや言語によっては記述不可能な「現実それ自体」を志向する「言語なき現実のナンセンス」です。

そこで時に人は「アイロニー」を有限化して特定の価値観を絶対化してしまう「決断主義」に陥ります。この「決断主義」の一類型がまさにレイシズムにおける「享楽の病理」です。

これに対して「深い勉強」は「決断主義」に陥るその手前で「アイロニーからユーモアへ折り返す」ことになります。すなわち、精神分析における「逆方向の解釈」です。

「ユーモア」は「環境のコード」を拡張します。けれども「ユーモア」も繰り返すうちに、やはり際限なき「ユーモア過剰」による「コード変換による脱コード化」が起こります。そしてその極にあるのが、あらゆる言葉が接続過剰となり言語がトータルで無意味になるという「意味飽和のナンセンス」です。これは、およそ精神分析における「空想の横断=否定的なもののもとに滞留すること」に相当するでしょう。

そこで今度は思考をズレた方向に広げる「拡張的ユーモア」から思考のある特定のポイントに過度に集中する「縮減的ユーモア」に転回します。ここではコードが拡張されるのではなく、コードの一部へとコード全体が縮減されることになります。

この点「縮減的ユーモア」を規定しているものが「享楽的こだわり」です。「享楽的こだわり」とは意味以前に自分の中に刻まれている「偶然で強度的な出会いの痕跡」の事です。ここでは言語は意味を伝えるのではない「強度的な語り」となります。そしてその極にあるのが、言語の非意味的形態が出現する「形態のナンセンス」です。ここでいう「非意味」とは「無意味=意味がなくなる次元」とは異なる「意味とは別の意味ではない次元」です。

すなわち、個々人が持つ「享楽的こだわり」が「ユーモア」の意味飽和を非意味的に切断し思考の足場をいわば「仮固定」するわけです。こうした「ユーモア」の有限化としての「仮固定」を千葉氏は「決断」との対置で「中断」と呼びます。そして「深い勉強」はこの仮固定された享楽の場に再び「アイロニー」を入れていく事になります。これはまさしく精神分析における自ら固有の「享楽のモード」を「特異性=単独性」にまで高める作業に相当するでしょう。

レイシズムから逆方向の解釈へ。アイロニーからユーモアへ。空想的決めつけから享楽的こだわりへ。もとより人は誰しも「享楽」を求める生き物です。この点、完全無欠な「享楽」など世界中のどこを探し回っても見つかることはありませんが、他の誰でもない「わたし」や「あなた」だけが持つ「享楽」は誰もが確実に自分自身の中に刻み込まれています。こうした意味でおそらく「享楽の病理」を解除するための処方箋とは、この極めて単純な真理を深く探求していくというその過程の中で自ずと見つけていくものなのでしょう。













posted by かがみ at 00:23 | 精神分析

2022年08月30日

精神分析にとって〈母性〉とは何か



* 阿闍世コンプレックス

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ジークムント・フロイトが確立した精神分析という新しい学問は意外と早い時期に日本に紹介されています。1900年代には既にいくつかの学術雑誌の論考において精神分析について言及がなされており、1912年(大正元年)には大槻快尊が「心理研究」という雑誌に「もの忘れの心理」「やり損なひの心理」「やり損なひの実例」といった論考を寄稿し、錯誤行為に関するフロイトの実例を紹介しています。1917年(大正6年)にはアメリカでフロイト理論を学んだ久保良英の手による「精神分析」という本が公刊され、同年に中村古峡を主幹として創刊された「変態心理」という雑誌ではフロイト学説の紹介や翻訳がなされています。そして1926年(大正15年)には安井徳太郎の翻訳でフロイトの「精神分析入門(上)」が出版されました。

1930年(昭和5年)には矢部八重吉が日本初の精神分析家となり、日本精神分析学会が設立されます。さら1934年(昭和9年)には丸井清泰によってもう一つの日本支部となる国際精神分析協会仙台支部が設立されました。こうして精神分析が日本においても徐々に盛り上がりを見せる中、日本独自の精神分析理論が生まれてくるようになります。

とりわけ有名なのは丸井の弟子である古澤平作が提唱した「阿闍世コンプレックス」でしょう。阿闍世とは仏典に登場する古代インドの王子です。古澤はこの阿闍世物語の中にフロイトのいう「エディプスコンプレックス」とは別種の精神分析的力動を見出し、これを「阿闍世コンプレックス」と名付けました。そしてこの概念は古澤の弟子である小此木啓吾により広く世間に知られるようになりました。もっとも、ここで参照される阿闍世物語は古澤と小此木の下でその委細が幾度となく変化しています。以下その変遷をしばし概観してみることにします。

* 古澤版阿闍世物語T

「阿闍世コンプレックス」に関する最初の論文は1931年、古澤が東北帝国大学医学部の機関紙「艮陵」に発表した「精神分析學上より見たる宗教」です。同論文は翌年、古澤氏の留学時に独訳されてフロイトの手に渡ったとされています。そして同論文は後に1954年、古澤が設立した日本精神分析学会の学術雑誌「精神分析研究」の第1巻第1号に「罪悪感の二種」と表題を変更して掲載されました。同論文で古澤が語る阿闍世物語とは、次のようなものです。

少年鋭意の彼阿闍世王は隣国に連戦連勝し、提婆(注:提婆達多)に教唆され父を幽閉し、燃ゆる復讐心はいやが上にもつのりつつあった。王は先ず牢の門に至って門番に向かい、父の王は未だ生きて居られるか如何にと巧みに問いかけた。門番は事情を有の侭に話した。阿闍世は聞くなり火の如く怒った。「母は是賊也。賊なる父の追うと伴なればなり」又「沙門は悪人なり、数々の妖術を以って、この悪王の命を延ばす」と罵り叫びつつ、左手を伸ベて母の髪を掴み、右手に刺剣を執って母の胸に擬し、あわや一息に衝き刺さんとした。母は驚き合掌して、身を曲げ頭を垂れて我が子の手に縋い全身熱き汗を流して身心悶絶した。このとき大臣の月光なるものと耆婆(ジーヴァカ)なるものが慌てて之を遮りて云うには、大王臣等が聞くところに依れば昔より「もろもろの悪王ありて、国位を奪わんがために其の父を殺害せるものは頗る多数のことである。されど無動に母を害せるものあるを聞かず。王にして若しこの如きことをなさば是殺帝利根の恥なり汚なり臣等之を聞くに忍びず是施陀羅の行いなり」と大いに苦諫した。阿闍世も此の言葉を聞きて剣を採って母を害すること丈は思い止まった。が忽ち侍従者に言いつけてまた深宮に幽閉して一歩も出さなかった。斯くして彼の阿闍世太子は国王となり、飽くままで五慾の楽しみを慾しいままにしようと思う心から父を殺して王位に坐った。然るにあとに至て心に深い悔恨を為し、胸中しきりに熱し、悩みて全身に悪瘡を生じ臭気甚だしくて近づくことが出来ぬ。王自ら請えらく、此の如くに悪事の報いがてき面であるから、只今にも地獄に堕つるであろうと大いに苦しむに至った。如何にも失望悲哀の頂点であり、かく身も心も悩乱して、現在、未来の苦痛煩悶が一時に大山の崩るるが如くに迫り来った。かかるところへ六人の臣下−−この六人は印度の六派の哲学を奉ずるものである。−−が御前へ出て各自の意見を述べて御慰め申し上げたが、大王には一向に安心の様子がなかった。然る処へ彼の有名な耆婆大臣がお伺い申し上げて色々と慰めた。そのとき虚空の中に伺者とも知れず声ばかりあって、大王に告げて云うよう。

「世尊は久しからずして涅槃に入り給うから、早々仏陀世尊の所に行って、お救いを蒙れ。仏陀世尊の外には助けてくださる方はない。我は今其方を不憫と思うゆえ勧め導くのじゃ」と、大王この語を聞いて恐ろしく感じて五体震動して芭蕉樹の如く震い上がって天に向かって尋ねた。

「雲の上ではそう仰せあるはどなたで御座る。御姿も見えず、声ばかりであるは」と申すに「我はこれ汝の父頻婆娑羅じゃ。其方は疾くに耆婆の言葉に従え、邪晃の輩六臣の勧めに附てはならぬ」。この父の親切の言葉を聞いて阿闍世王は愈々心苦しくてたまらなくなって、気絶して倒れて仕舞った。さて王は愈々仏世尊の御許に参られた。仏の御説法は他の事はない。唯、阿闍世王の心には罪のない父を殺したので、必定地獄に堕すると思いつめて、如何に仏世尊でも我身ばかりは御救いくださることは叶うまいと疑いきって居るから、其の執心を打ち砕いて信仰を起こさせる御諭しであった。「…三世を見通しています仏陀が、大王を王位の為めに父を殺すべしということを知り乍ら、父王の供養を受けて、父王に王位に登るべき果報を得べき因縁を与えた以上は、大王が父王を殺したとてそれを大王ばかりの罪ということが出来ぬ、大王が地獄へ墜つるときは諸仏も共に堕ちねばならぬ。諸仏が罪を得ぬならば、大王独り罪を得る筈がない。よって大王の地獄に堕つるをば仏陀は必ず救わねばならぬ。人の供養を受ける仏陀大王の地獄に堕つるをば黙って見て居る事はどうしても出来ぬと。是程までも罪悪のものに同情を寄せて頂いてどうして黙って居られよう。阿闍世王の結びつめた真閣な胸が一時に聞けて、まるで長い長い隧道の中を辿り辿って、急に広い海辺へ出たような心地であった。「仏世尊よ、私が世相を見ますに伊蘭樹と申すあの至極厭な樹の種子からは必ず伊蘭樹が生え出るは当然であるが、決して伊蘭樹の種子からあの結構な栴檀香木の生える例はありませぬ。然るに不思議ではありませんか、唯今は伊蘭の種子から栴檀が生えました。伊蘭と申したのは我身であります。栴檀とは私の今得たところの信心であります。して見ればこの信心は無根心と申してよろしいと存じます…」嗚呼、阿闍世王に対して下したまいたる大慈悲の徳育は道理々屈を離れて、唯々満身同情の魂というより外はない。ここに於いて枯木再び花開き、いり豆再び芽を出した所以である。実にこれ極端なる罪悪観に対して垂れまいし救済の至極により極端なる懐悔心の生じたるものである。


以上の古澤版阿闍世物語Tは古澤が同論文で主張する「罪悪感の二種」の例示として引用されたものです。ここでいう「罪悪感の二種」とは「罪を起こしたこと」に対する罪悪感と「罪を許されたこと」によって生じる罪悪感(=懺悔心)を指しています。

この阿闍世物語では、父親である頻婆娑羅を殺した阿闍世が苦しみの末に仏陀の慈悲により許される場面が中心となり、母親の韋提希は最初のごく限られた部分にのみしか登場しません。もっとも古澤は補足説明において、阿闍世が父親を殺害したのは「青春今や去らんとした韋提希が父王との間に子なきため、容色の衰えうると共に王の寵愛の去ることを憂いたる悲しむべき母の煩悶にその源を発して居る」として「あと三年経てば、天命全うするという仙人をむりに殺害させて懐妊した韋提希は預言者の言の如く父王の右足の血が吸いたくなったりして、着々その予言の如き事実の現れに已に見心を悶した。斯くて生まれた阿闍世が已に両親に生まれ乍らの敵意を懐いたことは当然である」と述べています。

すなわち、韋提希は頻婆娑羅との間に子ができないことで夫の寵愛を失うことを恐れて妊娠を望み、仙人を殺害したものの仙人が残した予言に苦悩します。そして阿闍世はそうした出生のために両親に対して生まれながらの敵意を抱いていたということです。

こうして古澤は「阿闍世コンプレックス」とは「母を愛するがゆえに母を殺害せんとする欲望」であると定義します。ここで古澤が念頭に置いているのは口愛サディズムです。嫌いだから破壊するのではない。好きだからこそ、噛み砕き、食べて、破壊する、ということです。このような子どもの攻撃欲求は、後に英国の精神分析家、メラニー・クラインが「羨望」という概念で理論的に発展させたことがよく知られています。古澤はこうした攻撃欲求を阿闍世物語の中に見出していたということです。

* 古澤版阿闍世物語U

そしてその後、約20年余りの時を経た1953年、戦後の精神分析に対する関心の高まりの中で出版された「続精神分析入門(フロイト選集第3巻)」の訳者あとがきにおいて、古澤氏はふたたび阿闍世王を物語ることになります。

ではこの王舎城に起こった阿闍世王の悲劇物語とはどんなことでしょう。釈迦の深い帰依者であった王に頻婆娑羅王という方がありました。この王の妃が韋提希夫人であります。夫人には子供がないうえに、年老いられる身の容色の衰退が、やがて王の愛のうすれゆく原因となることを深く憂えられたのです。ところが、夫人が相談されたある預言者の言によれば、裏山の仙人が三年ののちには死んで、夫人にみごもり、立派な王子となって生まれるということでありました。しかし老いおとろえた王妃にはこの三年間が実に待ち遠しくていらいらし、ついに待ちきれずに、迷妄なる心は妃を駆ってこの仙人を殺害して自己の煩悩を達成せしめました。ところがこの仙人がこと切れようとした時に妃に向かって「わたしがあなたの腹に宿って生まれた子は将来必ず父親を殺す」といいはなちました。この予言は本当になりました。やがて妃は妊み、運命の王子を、すなわち阿闍世太子を産みおとしました。王も妃も大層彼を可愛がり育て、十六七歳ごろには文武ならびなき青年王子となり、近隣諸国を平定しましたが、王子はなんとなく気分がすぐれず鬱々として日を過ごしておりました。ときあたかも釈迦の教団は円熟の域にたち改革を要するようになっていました。日頃、釈迦に怨恨を持つ提婆達多はこの時とばかりに、教団を乗っ取ろうとたくらみ、王子に「お前の前歴はこうこうだ…瓔珞に蜜をつめ、こっそり王にさしいれしていましたので、一週間ののちに、王子が王はどうだろうと見舞ったときには、王はますます元気でありました。王子は怒り、母にたいして、賊呼ばわりし、賊の父と通じたといって剣を取り、母妃を殺そうとしましたが大臣の一人がこれを止め「もし母君を殺せば王の命はありません」とたちむかいました。王子はここで五体ふるえ、ついに流注という病気になって不安発作を起こしたのです−−かくしてこの後で阿闍世王が釈迦に救済されることになります。これはかの「エディプス物語」に似て、それよりも大きな問題を含んでおります。


古澤版阿闍世物語Tとの最も大きな相違は、先の論文で補足説明として加えられていた阿闍世の妊娠にまつわる韋提希の煩悶と、さらに阿闍世もそうした出生のために鬱々とした気分を抱えていたというエピソードが話の中心になっている点にあります。

さらに古澤版阿闍世物語Tで述べられていた「提婆に教唆され父を幽閉し」「国王となり飽くまで五慾の楽しみをを慾しいままにしようと思う心から父を殺害して王位に坐った」という父王の殺害理由が削除されています。

また古澤版阿闍世物語Tでは父親を殺して後悔から「胸中しきりに熱し、悩みて全身に悪瘡を生じ臭気甚だしくて近づくことができぬ」という状態になったと記されていますが、古澤版阿闍世物語Uにおいては、母親を殺そうとしたこと、あるいは母親の殺害を止められたことで、流注になって不安発作を起こしたと受け取られる文脈へと変化しています。

* 小此木版阿闍世物語T

そして阿闍世物語は古澤から小此木へと受け継がれます。1973年、小此木は谷口雅春が創始した新宗教団体、生長の家の機関紙「精神科学」における連載で「阿闍世コンプレックス」という小論を発表します。そこで語られる阿闍世物語は以下のような内容です。

昔、お釈迦様の時代のインドに、頻婆娑羅という王様がいた。その妃の韋提希夫人は年とって容姿がおとろえ夫の愛が自分から去ってゆく不安から王子が欲しいと強く願うようになった。すると、ある預言者から山に住む仙人が天寿を全うして死去した後に、夫人の子として生まれかわるという話をきかされた。

ところが妃は、夫の愛のうすれるのを恐れるあまり、その年を待てないで、その仙人を殺してしまった。早くその仙人が生れかわって、自分の息子のできるのを急いだからである。

やがて韋提希夫人は、身ごもったが仙人の呪いがおろしく、その子を産むのがこわくなって、なんとかおろしてしまいたいと願ったが、それもかなわず、とうとう産まねばならなくなってしまった。

このようにして人となった阿闍世の出征の由来を提婆達多がやってきて、あばいてしまったが、この囁きによって、その父母に怨み心を起こした阿闍世は、父を幽閉して、餓え死させようとした。

しかし、母の韋提希夫人はこっそり夫の命を助けようとして、密かに自分のからだに蜜をぬってそれをなめさせていた。これを知った阿闍世は、母まで殺そうとしたが、みかねた忠臣ギバ大臣が戒めたので、阿闍世は、母を殺すことを思いとどまった。しかし食を断たれていた父はとうとう死んでしまう。そして後悔の念に責められる阿闍世は、全身の皮膚病にかかってもだえ苦しむが、母親の献身的看護によって救われる。


* 小此木版阿闍世物語U

続いて1978年、小此木は「中央公論」にて「日本人の阿闍世コンプレックス−−モラトリアム人間を支える深層心理」という論考を発表します。そこで語られる阿闍世物語は以下のような内容です。

そもそも阿闍世は、仏典中に登場する古代インド、王舎城の王子のことであるが、この王子は暗い出生の由来を背負っていた。つまり、阿闍世を身籠るに先立って、その母韋提希夫人は自らの容姿の衰えとともに、夫である頻婆娑羅王の愛が薄れていく不安から、王子が欲しいと強く願うようになった。思いあまって相談した預言者に、森に住む仙人が3年後になくなりその上で、生まれ変わって夫人の胎内に宿る、と告げられる。

ところが、夫人は不安のあまりその三年を待つことができず、早く子供を得たい一念からその仙人を殺してしまう。こうして身ごもったのが阿闍世、すなわち仙人の生まれ変わりである。すでに阿闍世はその母のために一度は殺された子どもなのであった。しかもこの母は身ごもってはみたものの、お腹の中で胎児である阿闍世の恨みが恐ろしくて、産む時も高い塔から産み落とす。

何事も知らぬまま、父母の愛に満ち足りた日々を送っていた阿闍世は、長じるに及んでこの経緯を知り、理想化していた母への幻滅のあまり、殺意に駆られて母親を殺そうとする。しかし、阿闍世は母を殺そうとした罪悪感のために五体ふるえ、流注という悪病(身体の深部にできる一種の腫れ物)に苦しむ。ところが、この悪臭を放って誰も近づかなくなった阿闍世を看病したのが、他ならぬ韋提希その人であった。つまりその母は、この無言の献身によって、自分を殺そうとした阿闍世を許したのであるが、やがて阿闍世もまた母の苦悩を察して母をゆるす。この愛と苦しみの悲劇を通して、母と子はお互いの一体感を改めて回復していく。


小此木版阿闍世物語Tと大きく異なるのは、父親が関わっていた部分が削除され、すっかり母子の話へと変更されているところです。

この小此木版阿闍世物語Uはのちに「日本人の阿闍世コンプレックス(1982)」という文庫になり、世間に広く知られることになりました。しかしその出典がどの仏典なのかが不明確だったことから、仏教関係者を中心に批判が相次ぐことになります。古澤が語っていた阿闍世物語の出典がそれほど不明確なものとは露ほども疑っていなかったであろう小此木にとって、こうした批判は想定外だったようです。

* 小此木版阿闍世物語V

こうした批判に応えるため、最終的に小此木は観無量寿経を原典として小此木版阿闍世物語V(古澤ー小此木阿闍世物語)を作ります。多くの仏典における阿闍世物語は、母親と息子の話ではなく、息子が父親を殺害する筋が中心の、父親と息子の話です。つまり、仏典に見られる阿闍世物語は、エディプス神話に非常によく似たストーリーであったということです。そうした仏典が多くを占める中で、小此木が原典とした観無量寿経の阿闍世物語は母親の救いをテーマにした珍しいものでした。2001年に公刊された「阿闍世コンプレックス」に収録された小此木版阿闍世物語Vは次のようなものです。

韋提希は古代インドの王舎城の王頻婆娑羅の妃であった。そして、その息子、つまり王舎城の王子が阿闍世である。

阿闍世を身ごもるに先立って、その母韋提希夫人は自らの容色の衰えとともに、夫である頻婆娑羅王の愛が薄れていく不安を抱いた。そして、王子を欲しいと強く願うようになった。思い余って相談した預言者に、森に住む仙人が三年後になくなり、生まれ変わって夫人の胎内に宿ると告げられた。

しかし、韋提希夫人は不安のあまりその三年を待つことができず、子供を得たい一念からその仙人を殺してしまった。ところが、この仙人が死ぬときに、「自分は王の子供として生まれ変わる。いつの日がその息子は王を殺すだろう」という呪いの言葉を残した。その瞬間に頻婆娑羅の妃である韋提希夫人が妊娠した。こうして身ごもったのが阿闍世であった。すでに阿闍世はその母のために一度は殺された子どもなのであった。しかもこの母は身ごもってはみたものの、お腹の中で胎児である阿闍世の恨みが恐ろしくて、産んでから高い塔から落として殺そうとした。しかし彼は死なないで生き延びた。ただし、小骨を骨折した。そこでこの少年は「指折れ太子」とあだなされた。この少年が阿闍世である。

阿闍世はその後すこやかに育った。しかし思春期を迎えてから阿闍世はお釈迦様の仏敵である提婆達多(だいばだった)から次のような中傷を受けた。「おまえの母はお前を高い塔から突き落として殺そうとした。その証拠に、お前の折れた小指を見てみろ」と言った(サンスクリット語のAjatasatruは「俺た指」「未生怨」の両方を意味する)。そして阿闍世は自分の出生の由来を知った。この経緯を知って、それまで理想化していた母への幻滅のあまり、殺意に駆られて母を殺そうとする。しかし、阿闍世はその母を殺そうとした罪悪感のため流注という悪病(腫れ物)に苦しむ。そして、この悪臭を放って誰も近づかなくなった阿闍世を看病したのが、ほかならぬ韋提希その人であった。しかし、この母の看病は一向に効果が上がらない。

そこでお釈迦様にその悩みを訴えて救いを求めた。この釈迦との出会いを通して自らの心の葛藤を洞察した韋提希が阿闍世を看病すると、今度は阿闍世の病も癒えた。そして阿闍世はやがて、世に名君とうたわれるような王になる。


この物語はそれまでのものと比較すると仏典に沿おうとする努力が見られます。「産むときも高い塔から産み落とす」は「産んでから高い塔から突き落として殺そうとした」に変更され、「何事も知らぬまま、父母の愛に満ち足りた日々を送っていた」などの文章は削除されています。

そして小此木は古澤による阿闍世物語は「古澤の心の中で構成、推敲された古澤版阿闍世物語」であり「古澤がいくつかの仏典に親しんでいる間に、各所から選び出して省略し、圧縮し、再構成して作り上げたもの、とみなすのが妥当」と結論づけました。

なお、小此木没後の2009年には、哲学者の岩田文昭氏によって、最初の古澤の阿闍世物語が近角常観の「懺悔録(1905)」のほとんど引き写しであったことが明らかになっています。この「懺悔録」は近角自身が回心に至った経緯と阿闍世王の物語と重ね合わせて書かれているものですが、岩田氏は両者が年月を経て古澤の中で混ざり合った可能性を指摘しています。

* 阿闍世コンプレックスと精神分析的治療論

では、以上のような阿闍世コンプレックスを前提とした古澤や小此木の精神分析的治療論とはどのようなものであったのでしょうか。

まず古澤は「罪悪感の二種」においてには「あくなき子供の〈殺人的傾向〉が〈親の自己犠牲〉にとろかされて」はじめて子供に罪悪の生じたる状態になるとしています。ここで古澤は、母親から愛されたいという欲求を充足させることで母親への執着から解放され、他者を愛することができるようになるという、いわゆる「とろかし」技法の名で知られる治療機序を想定しています。

また古澤は「続精神分析入門」の訳者あとがきで、ある分裂強迫神経症患者の症例を挙げ、神経症の背景には患者の母親を独占したい強い欲求があることを指摘し、精神分析的治療はこの欲求を「何らの不安・恐怖をともなうことなく充足できるのです」と語り「そして、この欲求が満たされると、彼の精神生活は成長・成熟し、母親拘束から解放され、社会に適応し、他人を愛することができるパーソナリティに到達できるのです。ここにおいて精神分析学の真の目的が達成されるのです」と主張しています。

次に小此木は阿闍世物語を夫の愛を失うことを恐れた「母親のエゴイズム」に対する「息子の恨み」と、息子から殺意を向けられてなお、献身的に尽くす「母の愛」の物語として読み解き、こうした母子間における愛憎劇を乗り越えて母子が一体感を回復していく過程に一つの治療機序を見出しています。

そして小此木は「母性再考−−阿闍世の母韋提希の葛藤を辿る(2003)」という最晩年の論考で日本の母親像に関して「無償の愛とか、ゆるしとか、思いやりとか、やさしさとか、献身とか、自己犠牲とか、母性という言葉に含蓄されるすべて込められている。そのようにマゾヒズム的な母性の存在がいることで家庭でも職場でもうまく成り立って機能しているのだというのが日本人の阿闍世コンプレックス論の一つのテーマである」と述べています。

*〈母性〉をめぐる諸相

こうした古澤と小此木の治療観の前提には、慈愛に満ちた存在としての〈母性〉への素朴な信頼があるように思われます。

これに対して、ユング派の心理療法家である臨床心理学者、河合隼雄氏は〈母性〉における「生み育てる」という肯定的側面のみならず「呑み込む」という否定的側面に注目しています。そして氏はこうした「呑み込む」という側面を持つ〈母性〉との対決をユングのいう「自己実現の過程」の中に位置付けています。

また、戦後日本社会を代表する批評家である江藤淳氏はその主著「成熟と喪失」において、近代社会における〈母性〉は「圧しつけがましさ」を持つようになるといいます。そして氏はそのような〈母性〉を見棄てるということ、すなわち〈喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」を引き受けること〉こそがまさしく戦後日本社会における「成熟」の条件であるとしました。

河合氏や江藤氏の議論は「母性」をいわば乗り越えるべき対象として想定し、こうした〈母性〉との対決の中に個人の生を支える物語の獲得を見出しているといえます。そして、こうした〈母性〉をめぐる議論を踏まえた上で、社会共通の「大きな物語」が失墜し、ポストモダン状況が加速する現代社会の中に「阿闍世コンプレックス」を再び位置付け直してみるのも興味深い試みのように思われます。


参考:西 見奈子「日本の精神分析における女性」(『精神分析にとって女とは何か』所収)














posted by かがみ at 03:22 | 精神分析

2022年07月29日

データベース的動物とネットワーク的動物−−ヘーゲル哲学とポストモダン



* 理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である

人間の歴史における「近代」を創建した哲学者がルネ・デカルトであり「近代」を確立した哲学者がイマヌエル・カントであるとすれば「近代」を完成させた哲学者がゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルということになるでしょう。カントによって捉えられた人間理性は確かに自然界=現象界の立法者ではありましたが、決してその創造者ではなく、自然界=現象界はその外部=物自体に材料を求める点で、人間理性の有限性が厳然と画されていました。けれどもカントは現象界を構成する思考のカテゴリーを形式論理学の判断表から導出しその数を12に限定していましたが、もし仮に理性の側から発動されるカテゴリー、例えば悟性のカテゴリーがもっと多ければ、それだけ物自体によって提供される材料はもっと少なくて済むことになります。そしてもし仮にその形式を無限に増大せしめうるとすれば、人間理性を限定する物自体の存在を認める必要がなくなり、人間理性はある種の絶対的創造者となりうることになります。

この点、ヘーゲルは人間理性の発露たる精神の本質とは「おのれ自身を知る」という自己意識ないし自覚へ向かう生成の運動にあるといい、その運動を「労働」と呼びます。ここでヘーゲルのいう「労働」とは労働主体が、対立する異他的な労働対象に働きかけ、それをおのれの望む形に変形させることで自己を外化する運動をいいます。こうした「労働」の過程において労働主体は労働対象の本性を正確に認識して制御するための高い教養や強靭な肉体を獲得していきます。そして、その労働が完了し、主体が対象のうちに自己を外化して、そこにいわば自己の分身を認めうるようになったとき、その主体は自分の持っている可能性の、少なくともその一部を現実化し、それまで知ることのできなかった自己を自覚するに至ります。

もっとも労働を通じ対象を自己の分身に変じたとしても、その間に労働主体もすでに大きく成長していることから、実現された成果のうちに自己自身の十全な似姿を見ることはなく、それは再び精神に対立する異他的な対象として現れます。ゆえに精神は再度より高次な労働により対象に働きかけてゆくことになります。

ここには精神と対象との直接的統一の関係(正)が破れて、そこに矛盾対立(反)が生じ、それが労働を通じて再び統一される(合)というプロセスを見出すことができます。このプロセスこそがあの名高いヘーゲルの弁証法です。そしてヘーゲルのいう「歴史」とは人間精神がこのように絶えず高められてゆく労働(自己外化)を通じて外的世界に働きかけ、一歩一歩自覚を深め自由を獲得してきた過程に他ならず、弁証法とはまさしく「歴史」の論理だということになります。

こうして精神の弁証法的な生成によってもはや外界に異他的な力として精神に対立するものが全くなくなり、精神が全てのもののうちに自己自身をみて全てのものにおいて自己自身の元にありうるようになるとき、精神は絶対の自由を獲得した「絶対精神」となり「歴史」は完結を迎えることになります。このように精神が絶対精神に至る艱難辛苦の「歴史」を描き出した労作がヘーゲルの主著「精神現象学(1807)」です。

そして、ヘーゲルはこうした意味の「歴史」の最終局面としてフランス革命を位置付け、そこに立ち会った彼自身の哲学こそが、精神の自己外化の終局点にある「絶対精神」の顕現に他ならないと確信することになります。

この点、ヘーゲルは晩年の著作となる「法哲学講義(1821)」において「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というテーゼを掲げています。すなわち、理性の認めるものだけが現実に存在する権利を持つ以上、現実に存在する全てのものは理性的であり、理性によって隈なく認識可能となり合理的に制御可能となるということです。こうしてヘーゲルはいまや人間はついに世界を統べる理性を獲得したことを力強く宣明して近代ヨーロッパにおける理性主義の完成を寿ぐ凱歌を上げました。

* 動物とスノビズム

かようにしてヘーゲルのいう「歴史」は19世紀初頭のヨーロッパにおいて大円団を迎えることになります。ではその後の「ポスト歴史」において人間の人間性はどうなるのでしょうか。

この点、ロシア出身のフランスの哲学者、アレクサンドル・コジューヴはその講義録である「ヘーゲル読解入門第二版(1968)」の(特に日本で)よく知られた脚注においてヘーゲル的な「歴史」が終わった後、人々には「動物への回帰」と「スノビズム」という二つの生存様式しか残されていないと主張しています。

先に述べたように、ヘーゲルの弁証法は精神と対象との直接的統一の関係(正)が破れて、そこに矛盾対立(反)が生じ、それが労働を通じて再び統一される(合)というプロセスを経由します。ここには既存の環境を「否定」するという契機が含まれます。このことから、コジューヴは、ヘーゲルのいう「人間」とは既存の環境を「否定」するという闘争的行動を伴う存在であるとします。

これに対して動物は常に既存の環境と調和して生きています。こうした意味でコジューヴは戦後アメリカに代表される消費化情報化社会に適応した人々を「動物」と呼びました。コジューヴに言わせれば「歴史の終わりのあと、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを開き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう」ということになります。

他方で「スノビズム」とは、与えられた環境を否定する実質的理由が何もないのにも関わらず、それを「形式化された価値」に基づき、あえてそれを否定する行動様式です。コジューヴがその例として挙げているのがなんと日本の切腹です。実質的には死ぬ理由が何もないにも関わらず「名誉」とか「規律」などといった「形式化された価値」に基づいて行われる自殺である切腹をコジューヴは究極のスノビズムであると称しました。

コジューヴはスノビズムは環境に対する「否定」の契機がある点で決して動物的な生き方ではないけれど、ヘーゲル的な「歴史」における人間的な生き方とも異なるとしています。というのもスノビズム的主体の自然(切腹の例で言えば生存本能)との対立は、もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからです。「名誉」とか「規律」などといった「形式化された価値」に基づいて純粋に儀礼的に遂行される切腹はいくらその犠牲者の屍が積み上がろうとも決して「歴史」を切り開く革命の原動力にはならないということです。そして、コジューヴは日本文化の中核にはスノビズムがあると直感し、今後はその精神が「ポスト・歴史」の文化世界を支配していくだろうと論じました。

* シニシズムと否定神学

なお、コジューヴが「スノビズム」と呼んだ生き方はのちにスロヴァニア出身の哲学者、スラヴォイ・ジジェクによって「シニシズム」という名で理論化されています。ジジェクはシニシズムの例としてしばし冷戦期のスターリニズムを挙げます。ジジェクはその主著「イデオロギーの崇高な対象(1989)」において、スターリニズムの支持者は本当はそれが嘘であることを知っているけれど「だからこそ」彼らはそれを信じるふりを止められないといいます。ここには実質と形式の捩れた関係があります。シニカルな主体は世界の実質的価値を信じないけれど「だからこそ」彼らは形式的価値を信じるふりをやめられないし、時にその形式のために実質を犠牲にすることも厭わないということです。

この「だからこそ」をコジューヴは主体の能動性として捉えていましたが、ジジェクはその「だからこそ」という転倒はむしろ主体にはどうにもならない強制的なメカニズムだと述べている点で相違があります。

こうしたジジェクのいう「だからこそ」のメカニズムはある種の否定神学的な論理から成り立っています。この点、ジジェクの依拠するラカン派精神分析においては人の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」の三つの位相から捉えます。ここでいう「想像界」とはイメージの世界であり「象徴界」とは言語の世界であり「現実界」とは象徴化不可能な〈もの〉の世界のことを指しています。

そして人は象徴化不可能な〈もの〉を任意の対象に仮託し、その対象を〈もの〉の尊厳まで引き上げる事で、象徴的秩序を安定させているわけです。このような〈もの〉の尊厳まで引き上げられた対象をラカンは「対象 a 」と呼んでいます。

そして一旦、対象 a が成立した以上、当該象徴的秩序内においては当該対象を公然と貶めるような行為はタブーとなります。なぜならばそのタブーを犯した瞬間に当該対象を中心とした象徴的秩序が崩壊するからです。

つまり、ここでは神は不在「だからこそ」現前するという否定神学の論理が成り立っています。それゆえに人は無意味だと分かっていても切腹を行い、嘘だと分かっていてもスターリニズムを信じ、そしてそれは嫌でも止められないということです。

* 虚構の時代から動物の時代へ

この点、東浩紀氏は「動物化するポストモダン(2001)」において「スノビズム(シニシズム)」を近代からポストモダンへの移行期における一つの特徴として位置付けています。ここでいうポストモダンとは社会共通の価値規範である「大きな物語」が失墜した時代をいいます。そして氏は近代からポストモダンへの移行は世界的には1970年代を一つの中心として第一次大戦が始まった1914年から冷戦構造が終焉する1989年までの75年間をかけて緩やかに進行したと捉えた上で、この移行期の時代精神は「大きな物語」が失われつつあることは誰もが知っているが「だからこそ」フェイクの大きな物語を捏造するというスノビズムないしシニシズムによって特徴づけられていたといいます。

もっとも東氏は日本における近代からポストモダンへの移行過程は1945年の敗戦で一度切断されているとして、大澤真幸氏の提唱する社会学的時代区分である「理想の時代(1945年〜1970年)」「虚構の時代(1970年〜1995年)」を参照しながら、日本社会が近代からポストモダンに移行したのは「虚構の時代」に当たる1970年代以降になるとします。そして「虚構の時代」を規定した日本的スノビズムの典型例として氏は漫画・アニメ・ゲーム・特撮といったサブカルチャーを愛好する日本のオタク系文化を挙げています。

すなわち、オタク的感性の中心には、漫画やアニメなどは所詮は子供騙しと分かっていながらも、その実質的な無意味からコジューヴのいう「形式化された価値」に相当するオタク的な「趣向」を切り離すことで、騙されていることを承知の上で作品に没入するというスノビズムを見出すことができるということです。こうしてみると、ある意味でオタクとは、スノビズムに規定されていた日本文化の正統継承者ともいえるでしょう。
 
もっとも、東氏は「虚構の時代」が終焉した1995年以降は日本においてもスノビズムの有効性は失われたとして、1995年以降の時代をコジューヴに倣い「動物の時代」と規定します。そして「動物の時代」における主体を「シュミラークル(小さな物語)」の水準での動物性と「データベース(大きな非物語)」の水準での(形骸化した擬似的な)人間性を解離的に共存させた「データベース的動物」と名付けました。

* データベース的動物とネットワーク的動物

ここまでの議論に即していえば、ヘーゲルのいう「歴史」が終焉した後の「ポスト歴史」における人間とは、近代からポストモダンの移行期における「スノビズム(シニシズム)」を経て「動物」ないし「データベース的動物」へと至ったということになります。ではコジューヴのいう「動物」と東氏のいう「データベース的動物」は何が違うのでしょうか。

この点、既存環境を否定する存在が人間であり、既存環境に調和する存在が動物であるというコジューヴの図式からいえば、シュミラークルに没入して動物的欲求を満たすデータベース的動物とは本質的にはコジューヴのいう動物の亜種である事は確かです。

しかしその一方で、データベース的動物には形骸化した形であるにせよ、データベースへ介入する人間的欲望が残されています。そして現代では動ポモが公刊された20年あまり前とは比較できないくらいに情報技術やネットワーク環境が発展し、人々はよりスマートかつラディカルにデータベースに介入できる可能性を手にしました。その意味で、いまや我々は「データベース的動物」であると同時に「ネットワーク的動物」であるともいえます。

そして、もしもここで東氏のいう「データベース」とヘーゲル的な「歴史」をパラレルに捉えるのであれば、データベース的動物/ネットワーク的動物はヘーゲル的人間を「半分だけ」は取り戻したともいえなくもないでしょう。

おそらくヘーゲルはそんな人間など偽物に過ぎないと嗤うかもしれません。けれども「偽物」の人間であるからこそ、むしろ「本物」の人間に見出せなかった新たな人間の可能性をその中に見る事ができるのではないでしょうか。

















posted by かがみ at 03:30 | 精神分析

2022年06月23日

世界の謎から日常の問題へ−−カント哲学と思弁的実在論



* 近代的意味での有限性としての「理性」

「近代」とは人間の新たな意味での「有限性」が発見された時代であるいえます。すなわち人間はその理性的認識の範囲内でしか世界を捉えることができないという意味での有限性です。18世紀末、こうした近代的意味での有限性を初めて明晰に分析したのがイマヌエル・カント(1724〜1804)の「純粋理性批判(1781)」です。

近代における「理性」は17世紀、ルネ・デカルトにより神の後見の下で見出されることになりましたが、18世紀になると神の後見によらずして「理性」を基礎付けることができるのかが問題となりました。つまり、これまでは神的理性によって支えられていたからこそ、人間理性と世界の合理性との調和が保障されもしたわけなのですが、そうした神的理性による媒介がないとすれば、この想定された調和には何の根拠もあり得ないことになるからです。

この点、イギリスにおける経験主義は、我々の持つ観念とはすべて経験的観念だと考えようとしました。しかしそうした考え方からすると数や幾何学といった観念も「たまたまそうであった」という蓋然的事実でしかない事になります。これに対してカントは神的理性の媒介を拒否しつつも我々の理性的観念に基づく認識と世界の合理性の調和を保証すべく、理性の超越論的機能の新たな基礎づけを行いました。

この点、カントによれば、理性が認識できるのは、決して対象それ自体の姿としての「物自体(Ding an sich)」ではなく、その認識の中で現れてくる「現象(Erscheinung)」でしかあり得ません。すなわち、理性は「物自体」に由来する色々な材料を受容し、整理統合することで「現象としての世界=現象界」を構成します。

この点、カント哲学においては物自体に由来する材料を「空間・時間」といった「直観の形式」により受容する能力を「感性」といい、受容した材料を「量・質・関係・様相」といった「思考のカテゴリー」により整理統合する能力を「悟性」と呼びます。そして、この感性と悟性により創り上げられた「現象界」だけに限れば、確かに我々の理性は世界を確実なものとして認識していることになります。

こうしてカントは、一方において古い独断的な形而上学を葬り去り、数学や物理学といった近代自然科学の普遍的妥当性を基礎付けるとともに、その一方において人は「現象界」の外部にある「物自体」への接近不可能性という近代的意味での有限性を示したことになります。

* 思弁的実在論とは何か

そして、カント以降において近代哲学には一つの暗黙の前提が作られることになりました。すなわち、人間は決して対象の実在それ自体を認識することはできず、人間固有の認識装置を通じてのみ対象は表象として認識されるということです。こうした近代哲学が築き上げた暗黙の前提に反旗を翻す現代哲学における新たな実在論が「思弁的実在論」と呼ばれる潮流です。

思弁的実在論(Speculative Realism)とは狭義には2007年、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにおいて行わ れた同名のワークショップの登壇者であったカンタン・メイヤスー、レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、グレアム・ハーマンら4名の思想の総称を指していますが、広義には同ワークショップを発端に生じた今世紀初頭の大陸哲学における実在論的潮流をいいます。

それは我々が生きるこの世界を構成する客観的な事物としての「実在」それ自体を、従来の実在論とは異なった「思弁的」といえる奇妙な理路によって捉え直すという新種の実在論です。こうした潮流はフランス現代思想の系譜において「構造主義」「ポスト構造主義」の後にくる、いわば「ポスト・ポスト構造主義」に位置付けられます。

* 相関主義の乗り越え

思弁的実在論において共有される問題意識は、その筆頭的立場にあるメイヤスーのいうところの「相関主義」の乗り越えにあります。

近代西洋哲学においては、カント以降、「存在(対象)」が何であるかは「思考(認識)」との関係によってのみ明らかにされるという前提が広く共有され、思考と存在の一方の項目だけにアクセスすることはできないと考えられるようになります。こうした近代哲学における思考と存在の相関関係をメイヤスーは「相関主義」と呼びます。

そしてメイヤスーは「相関主義」を前提とすると、思考不可能な「実在」の位置に任意に代入した非合理・非常識な命題こそがまさに世界の真実であるなどと主張する陰謀論的な「信仰主義」に対する反駁が困難となり、その帰結として(悪い意味での)ポストモダン的「相対主義」がもたらされるとします。

*「ただあるだけ」のこの世界

これに対してメイヤスーはこうした「相対主義」に対して常識的な自然科学的世界像を擁護するための理論を提示します。けれどもその理路は極めてアクロバティック=思弁的なものとなります。

まずメイヤスーは世界を構成する事物は人間の言語による意味づけとは無関係に、ただ端的な「実在」として客観的に存在しており、そしてそれは一義的に、つまり唯一の真理として「これはこういうものだ」といえるといいます。そしてこうした「実在」の客観性はメイヤスーによれば、唯一、数理的記述によって思考可能だとされます。

このようにメイヤスーは数理的記述こそが世界の揺るぎない客観性だというのですが、その一方で、まさにその世界の客観性を保証するために、メイヤスーはこの世界が現にこのようなあり方をしているという事実には全く必然性がなく、世界はたまたま偶然的にこうなっているのであり、木々も星々も、星々も諸法則も、自然法則も論理法則もすべては実際に崩壊し、世界は突然別様のものに変わるかもしれないという恐ろしく思弁的な主張を持ち出します。

すなわち、この世界のあり方に仮に必然性があるのであれば、世界には隠された存在理由(充足理由律)があるはずですが、メイヤスーはその存在理由が消去された完全に乾き切った「ただあるだけ」のこの世界を捉えます。そしてメイヤスーは自然科学的な世界像はこうした「事実論性の原理(非理由律)」によって哲学的に正当化できると考えました。いわばメイヤスーにおいては(悪い意味での)ポストモダン的相対主義に対して、より高い次元での相対主義をもって対抗する理論であると言えるでしょう。

* 否定神学システムとしてのラカン派精神分析

こうした議論を日本の現代思想シーンの中に位置づけるのであれば、それはおそらく、東浩紀氏が「存在論的、郵便的」において提出した否定神学システム批判に相当するでしょう。

ここでいう否定神学システムとはラカン派精神分析に代表される構図のことを指しています。この点、フランスの精神分析医、ジャック・ラカンは主体の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの位相によって把握します。「想像界」とはイメージの境域であり「象徴界」とは言語の境域であり「現実界」とはイメージや言語によって捉えることが不可能な境域です。

そしてラカンによれば「想像界」は「象徴界」により統御されており、その「象徴界」は「現実界」という「外部=穴」によって駆動しているという構造となっています。

こうしたラカン的構図は、カント哲学の現代版ともいます。つまり人の認識構造における「感性」が「想像界」に相当し「悟性」が「象徴界」に相当します。そしてこうした認識構造によって捉えられない領域としての「物自体」が「現実界」に対応しています。

* 世界の謎から日常の問題へ

こうした意味でメイヤスーのいう相関主義とは、東氏のいう否定神学システムとほぼイコールとなります。そして、こうした相関主義=否定神学システムに対する抵抗の拠点をメイヤスーは客観的な事物としての「実在」に求め、東氏はコミュニケーションの失敗としての「誤配」に求めたとひとまずはいえるでしょう。そして、そこにはかつてカントが見出した近代的な意味での有限性とは別の有限性が見出されることになります。

無限の解釈の外部へ向かうということ。日々の偶然性を肯定するということ。こうした世界像の中には世界の謎から日常の問題へと折り返していく主体のあり方を見出す事ができるでしょう。そしてそこには、決して辿り着けない「ここではないどこか」を目指して永遠に空回りする悲劇としての有限性ではなく、さしあたりの「いま、ここ」から別な「いま、ここ」へと跳躍する瑞やかな歓びとしての有限性が見出せるのではないでしょうか。
















posted by かがみ at 21:02 | 精神分析