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現代思想の諸論点

現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2024年03月25日

生命の〈あいだ〉



* 木村精神病理学の生命論的転回

日本を代表する精神病理学者である木村敏氏は統合失調症やうつ病をはじめとする様々な精神疾患を〈あいだ〉という独自の概念から読み解いていったことで知られています。ここでいう〈あいだ〉という概念とは個人が存在し、その個人どうしが取り結ぶ関係として成立するものではなく、むしろ個人に構造的に先行して個人の存在を根底で支える何者かを指しています。

そして、この〈あいだ〉という概念は「自己と他者」との関係のみならず「自己と自己」との関係に対しても適用されます。こうしたことから木村氏はうつ病(内因性うつ病)を自己と他者との〈あいだ〉が問題となる病理として捉え、統合失調症を自己と自己との〈あいだ〉が問題となる病理として捉えました。

やがて木村氏は、こうした〈あいだ〉を「時間」として論じられるようになり、氏の名を世に広く知らしめることになった著作である『時間と自己』(1982)においては〈もの〉としての時間と〈こと〉としての時間の〈あいだ〉としての時間が自己との等根源性をなすものとして析出され、時間構造と精神疾患を重ね合わせた「アンテ・フェストゥム(まつりのまえ)」「ポスト・フェストゥム(あとのまつり)」「イントラ・フェストゥム(まつりのさなか)」という三つ組からなる「祝祭論」が展開されることになります。こうして木村精神病理学はある種の人間学として名実とともに成熟期を迎えることになりました。

もっとも同書のあとがきにおいて木村氏はやや唐突に「私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか」「この夢の主は、死という名を持っているのではないのか」と述べています。同書の論旨からすれば逸脱としか思えないこの記述は、今から見ればまさしくその後の木村精神病理学の新たな展開を予告するものであったといえます。

果たしてここからの木村精神病理学は「生と死」をめぐる「生命」の領域へと旋回していくことになります。このような木村精神病理学の「生命論的転回」において特権的に参照される思想家がヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカーです。


* ヴァイツゼカーの医学的人間学

ヴァイツゼカーは精神科医ではなく内科医、神経科医であり同時に哲学者でもあった人物ですが、彼は早くから客観主義的な自然科学的医学に対する批判を展開し、医学に「主体」を導入する「医学的人間学」を提唱したことで知られています。このような主張は今日的な医療倫理からみればごくあたりまえのことを言っているようにも聞こえます。しかし、ここでヴァイツゼカーのいう「主体」とはかなり奇妙な概念です。

彼のいう「主体」とは「客体」と対立する項としての「主体」でも、近代的自我という意味での「主体」でもなく、広い意味での「生きもの」とその外部である「環境世界」との邂逅それ自体を指しています。この点、彼は生きものがその生存を保持するため環境世界との間に保っている接触現象のことを「相即 Kohärenz」と呼びます。生きもの自身も環境世界も絶え間なく変転する中で、この「相即」は絶えず繰り返し中断されることになり、そのたびにそれに変わる新たな「相即」が樹立されて、生きものと環境世界との接触は引き続き保たれることになります。

このような「相即」と呼ばれる事態を、それによって生存を保っている当事者である生きものの側から見たものが、彼のいう「主体」ということになります。すなわち、彼のいう「主体」とは「相即」と呼ばれる環境世界との接触現象そのものであり、いわば生きものとその環境との〈あいだ〉の現象であると理解できます。

こうした意味で彼の主体概念において人間的な「意識」は要件とされておらず、その範囲は人間以外の全ての生物、それも随意運動の可能な動物だけではなく、植物から単細胞生物まで拡大されて適用されます。すべての生きものは環境世界と「相即」を成立させている限り「主体」として生きているということです。

こうしたことからヴァイツゼカーの主体概念は生きものが「生きている」という事実から切り離すことができません。「生きている」ということは一定の物質的組成を持った物体が「生命」と呼ばれる活動のうちに身をおき「生命」に根ざしているということです。このような生きものが自らの根拠としての「生命」に根ざしたあり方を、彼は「根拠関係」と呼びます。そして、このような「生命」への「根拠関係」こそが生きものを「主体」たらしめている「主体性」であり、ここから彼は医学への「主体」を導入する上ではこのような「主体」を成立せしめている「主体性」としての「生命」に関与することが必要になると主張します。


* 二重の主体性と生命論的差異

このようにヴァイツゼカーの医学的人間学は「患者さんの主体性を大事にしよう」などという常識的なヒューマニズムではなく、人の生死の問題を個人を超えた「生命」という局面から見ていくという意味ではむしろラディカルなアンチ・ヒューマニズムに立脚するものであるとすらいえます。

この点、木村氏はヴァイツゼカーの医学的人間学を高く評価しつつも「集団的主体性」という概念からその思想をさらに更新しようとします。ここでいう「集団的主体性」とは個人の「個別主体性」に先立つ共同的な主体性であり、このような「集団的主体性」は精神科の臨床はもとより、音楽の合奏や日常的な人間関係にも見出すことができるとして、通常は「個別主体性」の肥大で覆い隠されている「集団的主体性」を考古学的に発掘することによって人間学的な諸問題に新しい光を投げかけることができるのではないかと木村氏はいいます。

こうした「集団的主体性」を軸とした木村氏の生命論は1996年秋に開催された国際シンポジウム「生命論」における二つの講演でまとまったかたちで論じられています(いずれの講演も『こころ・からだ・生命』に収録されています)。

まず第一講演「心身相関と間主観性」で氏は「間主観性」を「公共的間主観性(認識や行動の基盤として客観性の基礎となる通常の意味での間主観性)」と「私的間主観性(本能的な次元で痛みや喜びや悲しみを共有する間主観性)」に区別した上で「公共的間主観性」が複数の主観的経験や主体的行動のあいだでいわば二次的に成立する関係であるのに対して「私的間主観性」とはむしろ〈あいだ〉そのものが個別の主観/主体から独立した独自の主観性/主体性を帯び、それ自体がある意味で独立の主観/主体として働いているような事態であるとします。

ここで氏はヴァイツゼカーの「相即」の概念を援用して〈あいだ〉の主体としての「私的間主観性」を「個別主体性」とは別の「集団的主体性」として位置付け、生きものを「個別主体性」と「集団的主体性」という「二重の主体性」の緊張関係を生きる存在であると捉えます。

さらに第二講演「人間的医学における生と死」で氏はまず「リアリティ」と「アクチュアリティ」の区別から出発して「生命そのもの」は生きている〈もの〉としての実在(リアリティ)ではなく、生きている〈こと〉という現実(アクチュアリティ)として捉えなければならないといいます。

そして、氏はこの生きている〈もの〉と生きている〈こと〉という生命論的差異を、第一講演で提示した「個別主体性」と「集団的主体性」からなる「二重の主体性」へと接続し「個別主体性」は個々の生きものに基盤をもつ「リアルな不連続性」を体現するものであるのに対し「集団的主体性」は「生命そのもの」に基盤をもつ「アクチュアルな非・不連続性」を実現しているとして、生きている〈もの〉としての個別的な生命が「自と他」の区別とともに「生と死」の区別を抱え込まざるをえないのに対して、生きている〈こと〉としての「生命そのもの」には「自と他」の区別も「生と死」の区別も存在しないと述べています。こうしたことから「生命そのもの」はヴァイツゼカーの言っているとおり(個の生死を問題とする限りにおいては)けっして死なないと木村氏は述べてます。


* 木村生命論の問題点と可能性

このようにおそろしく並外れたスケールで展開されていく木村氏の生命論に対しては当然のことながら「生命を実体化し過ぎている」という批判が向けられます。例えば山竹伸二氏は日本を代表するセラピストを論じた著作である『こころの病に挑んだ知の巨人−−森田正馬・土居健郎・河合隼雄・木村敏・中井久夫』(2018)において木村氏の生命論を「自己」が「自己ならざるもの」としての自他未分の「生命」から分離する物語になっていると捉えた上で、確かに「自己」は最初からあったわけではなく、どこかの時点で成立し、意識されるようになったに違いないけれど、こうした自己形成のプロセスを証明することは決してできないし、自他未分の「生命」の存在も仮説でしかありえないように思えるといいます。

この点、木村氏は「生命を実体化し過ぎている」という批判につき、ここでいう「生命」とはリアリティとして対象化された生命ではなく、アクチュアリティにおける生命を語っていることから、このような批判は見当違いであり〈もの〉の世界であるリアリティと異なり〈こと〉の世界であるアクチュアリティは主観的に関わる中でしか感じ取ることができないといいます

これに対して山竹氏は誰しも世界の中に生き生きした生命的なものを感じる瞬間はあるだろうし、木村氏の主張するアクチュアリティの世界について共感できる部分も少なくないとしつつも、木村氏の語る「生命」が対象化され得ないアクチュアリティにおける「生命」だとしても、その連続的な生命からの個別化を「自己」の形成として語るのは、やはり証明できない仮説といえるのではないかといいます。

ただその一方で山竹氏は木村氏自身の実存的な実感や体験に根ざしたその生命論は精神病理学でいうところの「自然な自明性(ブランケンブルグ)」や「現実との生ける接触(ミンコフスキー)」と同じ経験を指しているとして、こうした意味での生命を感じる経験の喪失は現象学的・人間学的精神病理学者たちが共通して重視してきたものであると述べています。確かに現象学が木村氏がいうところの「自分自身の経験に直接映ってくる景色をありのままに写生する」ための方法論であるとすれば、氏の生命論はむしろ現象学的精神病理学における可能性を大きく開いたものであったともいえるでしょう。


* 生命の〈あいだ〉

ところで木村氏は生きている〈こと〉と生きている〈もの〉の差異を神話学者カール・ケレーニイの知見に倣い、ディオニュソス的な生そのものとしての「ゾーエー Zoe」とアポロン的な個々の生命としての「ビオス Bios」の差異としても捉えています。

ここでいう「ゾーエー」も「ビオス」もともに「生」を意味するギリシア語ですが「ゾーエー」が今の英語の「動物学 Zoology」の語源になっており「ビオス」が同じく「伝記 Biography」の語幹になっているように、前者は「動物的/身体的」という含意があり、後者は「人間的/精神的」という含意があります。この意味で木村氏の生命論は人間と動物という生命の〈あいだ〉を論じたものであるともいえます。

この点、例えばハンナ・アーレントが公共性の概念をめぐる古典『人間の条件』(1958)において人間の生におけるゾーエーとビオスの位相をそれぞれ私的領域(オイコス)と公的領域(ポリス)の区別に重ねていたように、近代思想の基本的枠組みは人は私的には動物として生きて公的には人間として生きるという二項対立の上に成り立っていました。

しかしながら、その一方でアレクサンドル・コジューヴがヘーゲル的な「歴史」が終焉した後の人間の「動物化」を論じ、ミシェル・フーコーが「近代」の終焉としての「人間の消滅」を予告したように、現代思想の領域において動物と人間という二項対立に依拠した公共性のパラダイムは常に問いに付されてきました。

そして、現代ではフーコーのいう生政治の肥大化や生物工学や情報工学の飛躍的発展により、動物と人間の二項対立はまさしく現実的なレベルにおいて揺らぎを見せているといえます。こうした意味でこれからますます加速するであろう「ポスト・ヒューマニズム」とも呼びうる状況の中で、動物と人間の二項対立を超えたところで生命の〈あいだ〉を深くまなざす木村生命論は、あるいはこれまでとは全く異なる新たな輝きを見せてくれるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 23:51 | 精神分析

2024年02月22日

統合失調症中心主義とポスト・ヒューマニズム



* 存在と狂気 

20世紀最大の哲学者の1人に数えられるマルティン・ハイデガーが1927年に公刊した主著『存在と時間』は「存在の意味」の解明をその目的に謳っています。同書はまず上巻でその準備作業として現存在(人間)の実存論的分析を展開し、続く下巻では同書の本来の目的である「存在の意味」が解明されるはずでした。しかし同書上巻の公刊後「存在の意味」を問うための準備作業であったはずの現存在の実存論的分析がまさに「存在の意味」の解明という本来の目的を阻害するという構造的欠陥に気づいたハイデガーは同書下巻の公刊を断念します。

それ以降、ハイデガーは現存在を経由することなく「存在の真理」を直接問うようになります。これがいわゆるハイデガーの「転回 Kehre」と呼ばれるものです。そして、このまさにその「転回」を迎えつつある時期に執筆された「芸術作品の根源」という論文においてハイデガーは芸術を通じて「存在の真理」を論じています。

本論文でハイデガーは芸術作品を次のような4つの時代に区分けしています。まず、プラトンが『国家』において論じたような⑴芸術作品が模倣によって作られた時代があります。そのあと⑵芸術作品のうちに「存在」が据えられるようになる時代が来ます。次に⑶中世になると芸術作品は「神によって創作されたもの」としての存在者になります。そして⑷近代に入ると芸術という存在者は「計算」によって統御可能なものに変貌します。そして、ハイデガーはこの論文では⑷の近代以降の、いわば神が不在になった時代の芸術作品を論じています。

そして本論文の中でハイデガーはフィンセント・ファン・ゴッホが描いた百姓靴の絵画《古靴》(1888年)を近代以降の芸術における範例として取り上げています。一見するとこの絵は単に百姓靴を描いただけですが、ハイデガーはこの靴は道具としての靴が属する「世界」と道具としての靴を生み出す「大地」の「抗争」が力強く立ち現れているとして、絵画が事物と一致しているか(本物そっくりに描けているか)どうかは絵画において真理が生起しているかどうかとはまったく関係がなく、むしろ絵画は事物をこれまで気づかれていなかった新たな角度から描くことで、その見方を一変させて「不気味で途方もないものを衝撃的に打ち開き、同時に安心できるものと、人々が安心できるとみなすものとを、衝撃的に打ち倒す」ものであると主張します。

すなわち、絵画という芸術は事物を見る我々の視点を「移動=逸脱 Verrückung」させて、日常的な物の見方をすっかり変容させてしまう働きを持っているということです。ここからハイデガーは次第にこの「移動=逸脱」という言葉についての考察を深めていきます。例えば1937〜1938年の冬学期講義『哲学の根本的問い』の第一草稿の中でハイデガーはこの「移動=逸脱」という言葉を理性が正常から偏奇=逸脱 Verrückenした状態を指す「狂気 Verrücktheit」と関連づけて論じています。

この点、ハイデガーは神の庇護を失った西洋の近代人には人間という存在の変貌が生じており、かつてあったような自分の所在地を失ったという意味において危機的な状況にあるとして、そのような時代には人間の本質の根拠へと「移動=逸脱」することが必要となり、そのように「移動=逸脱」はしばし「狂気」として現れるといいます。こうしてハイデガーは近代における特権的な芸術家として、時に「狂気の詩人」とも呼ばれるドイツの詩人フリードリヒ・ヘルダーリンを繰り返し論じ、彼の詩作の解明を通じて「存在の真理」の探求を行っていく事になります。


* ヘルダーリンと統合失調症

ヘンダーリンは1770年3月20日にネッカール湖畔の小さな町で出生しました。父親は修道院と教会の管理人でしたがヘンダーリンが2歳の時に亡くなっています。ヘルダーリンは元来傷つきやすく孤独を好み、どこか人生によそよそしさを感じており、他者に対してはしばしば猜疑心を起こすメンタリティの持ち主だったようです。

十代の頃より詩作に深い関心を寄せていたヘルダーリンは1791年に「調和の女神への讃歌」で詩人としてデビューし、当時を代表する詩人であったフリードリヒ・フォン・シラーの知遇を得て、1794年にはシラーが編集する雑誌に「断片ヒューペリオン」を発表し、1797年には『ヒューペリオン』第1巻を刊行します。しかしその後、恋愛トラブルと生活苦に陥り、この頃から精神に不調をきたし始めます。

1799年の『ヒューペリオン』第2巻の刊行後、ヘルダーリンの頭には新たな文学的・美学的・哲学的雑誌を創刊するという考えが閃きますが、シラーの協力を得られず、その閃きは結局のところ実現化することはありませんでした。その後、ヘルダーリンの精神の危機はいよいよ深刻なものとなり、痴呆化が徐々に潜行し、叫んだり暴れたりする狂暴発作を繰り返すようになり、まさに「狂気」というべき様相を呈していきます。こうしてヘルダーリンは1807年には『ヒューペリオン』の熱心な読者の家に引き取られ、以後、1843年に73歳で没するまでの生涯をその家の塔の中で過ごすことになりました。

もしもカルテが残っていればヘルダーリンの「狂気」は現代においては統合失調症と診断されていた可能性が高いといわれています。そして「パンと葡萄酒」といった彼の代表的な詩作はまさにその発病前後からその極相を迎えた時期にかけて作られたものでした。この点、精神病理学者カール・ヤスパースは1922年の『ストリンドベリとファン・ゴッホ』において統合失調症者においては一時的に「形而上学的な深淵」が啓示されるとして、1801年から1805年にかけてのヘルダーリンがまさにそのような状態にあり、それゆえに彼は優れた詩作を行うことができたのだと主張しました。


* ハイデガー哲学の統合失調症化

そしてハイデガーは、この「狂気」の中でヤスパースのいうところの「形而上学的な深淵」に不可避的に引き寄せられながら詩作を行ったこの詩人を範例として「存在の真理」をめぐる自身の思索を深めていきます。

例えば1936年の講演「ヘルダーリンと詩の本質」でハイデガーは詩人が行う詩作は神に名前を与えることであるが、詩人が神に名前を与えることができるのは、神の側が詩人に「合図 Wink」を送り、その合図のなかで詩人たちのことを話題にするかぎりにおいてであるといいます。すなわち、神のような超越的な他者から人間に向けて何らかの謎めいた「合図」が起こられ、その「合図」が人間に対して「何か」を仄めかすという体験はまさに統合失調症の初期から急性期にしばしば報告されるものであり、ハイデガーによる神の「合図」の記述はまさに統合失調症の体験を描写しているかのようでもあります。

この点、精神病理学者の松本卓也氏は『想像と狂気の歴史』(2019)において病跡学的な観点からいえば「転回」以後のハイデガーによるヘルダーリンの詩をめぐる議論は統合失調症の精神病理学に肉薄していると指摘し「統合失調症化」した後のハイデガー哲学はいわゆる「否定神学」的な構造を持つようになると述べています。ここでいう「否定神学」というのは神は人間の認識や言語では捉えられないが、むしろその「捉えられなさ」という否定性それ自体が重要だとみなす考え方をいいます。そして、この「否定神学」では「神は現れないが『現れない』という仕方で現れる」という思考法がしばし用いられます。

こうした意味でハイデガーのヘルダーリン論における「否定神学」的な構造が最もよく現れているのが1946年の「何のための詩人たちか」という論文です。この論文の中でハイデガーはヘルダーリンの詩「パンと葡萄酒」を参照しながら、ヘルダーリンを「乏しい時代 dürftiger Zeit」の詩人であると規定します。ここでいう「乏しい時代」とは、神によって支えられていた時代が過ぎ去った後に到来する神なき時代のことをいいます。

そして、ハイデガーによればヘルダーリンのような詩人の詩作とは、いまや逃げ去ってしまった神々の「聖なるもの」としての「痕跡」を感知し、その「痕跡」に名を与えることで、再び人間が神々と出会うことのできる場を準備し、将来において神々が到来する可能性を確保する営為に他ならないということです。つまり神が人間の前に姿を現さなくなった時代においても人々は「痕跡」という否定的な形で神と出会うことができるということです。すなわち、ハイデガーが論じる「神」とは人間の通常の認識や言語では捉えられないものですが、むしろその「捉えられなさ」という否定性それ自体が、神との出会いや将来における来るべき神の到来を保証する条件になっているということです。


* 詩の否定神学と統合失調症中心主義

こうしたハイデガー哲学における否定神学的な傾向は1950年代以降の詩論においてより洗練された形態をとって反復されることになります。例えば1952年の講演をもとにした「詩における言葉−−ゲオルク・トラークルの詩の論究」という論文でハイデガーはトラークルの詩を題材にしながら、偉大な詩人が作り上げる個々の詩は、そのすべてが唯一の「語られぬまま」の詩、すなわち不在の詩の場所から由来しているとして、詩人の偉大さとは「詩人の心がこの唯一のものにどの程度まで吐露されており、それによって詩人がその詩の言葉をこの唯一のものの中でどれ程純粋に保ちうるに至っているか」によって測られると主張します。この考え方にも(神の)不在の近くに留まりながらその不在に忠実であることから詩作が行われるという否定神学的な構造を見ることができます。

さらに1958年の講演「語」では再びヘルダーリンの詩「パンと葡萄酒」が参照され、ここでハイデガーは「かつて神々が立ち現れた場所は、かつてはそこに語があったのに、いまでは拒絶された語である」と述べ、シュテフィアン・ゲオルゲの詩「語(ことば)」における「語の欠けるところ ものあるべくなし」という一節を「(語が欠けた場所においては)語るという行為 Sagen が転換し、語りえない言い伝え unsäglichen Sage がほどんど隠されたざわめく歌のように反響するようになる」と解釈します。ここでもやはり「語」の欠落という否定性は、むしろその欠落した語を暗示する言葉に向かうという否定神学的な構造が語られています。

このようなハイデガーの語る詩作における否定神学的な構造は統合失調症の発病時にみられる現象とよく似ています。統合失調症は進学、結婚、出産、就職、昇進といったライフイベントの際にしばしば発病することが知られていますが、発病直後に多く見られる幻聴は単にデタラメな内容の声が聞こえてくるのではなく「何か」を暗示するような言葉として現れます。こうして統合失調症者は自分に聞こえてくるようになった声が正体不明の「何か」を仄めかしていることに気づき、やがてその「何か」はしばしば「FBIに狙われている」などといった妄想の形をとることになります。

こうしたことから松本氏はハイデガーの展開した一連の詩論を「詩の否定神学」と名指し、このような思考が「創造と狂気」における「統合失調症中心主義」として20世紀の精神病理学/病跡学を決定的に規定することになったといいます。

ここでいう「統合失調症中心主義」とは統合失調症を患っていたと考えられる傑出人の創造性に特に注目し、反対にうつ病や躁うつ病(双極性障害)のような病を患っていた傑出人の創造性にはあまり注目せず、それどころかこれらの病や創造性を統合失調症と比べて「二流の病」「二流の創造性」として扱う考え方です。

そして、このような「統合失調症中心主義」はヤスパースのいう「形而上学的な深淵」のように統合失調症を理想化して「統合失調症者は理性の解体に至る深刻な病に罹患することと引き換えに、人間の本質にかかわる深淵な真理を獲得するに至った人物である」という「悲劇主義的パラダイム」に支配されていました。けれども、その一方で定量的な研究によれば統合失調症よりもうつ病や躁うつ病のような気分障害の方が創造性と関係しているというデータが多数得られているという事実もあります。


* 統合失調症中心主義とポスト・ヒューマニズム

なぜ統合失調症は長らく精神病理学/病跡学において特権的な狂気に祭り上げられてきたのでしょうか。この点、ポスト構造主義を代表する思想家の1人であるミシェル・フーコーは『狂気の歴史』(1961)において近代以降、人々は狂気の中に真理を見るようになったと述べています。フーコーはこういう態度を「弁証法的人間 homo dialecticus」と呼びます。つまり自分(理性的人間)にとっての他者(非理性としての狂気)の中に自身の真理をみるという態度です。

すなわち「統合失調症者は理性の解体に至る深刻な病に罹患することと引き換えに、人間の本質にかかわる深淵な真理を獲得するに至った人物である」という「悲劇主義的パラダイム」に支配された「統合失調症中心主義」とはこうしたフーコーのいう「弁証法的人間」の一つのバリエーションであるということです。

もっとも、現代においては統合失調症は病それ自体が軽症化しているといわれており、創造性に関しても統合失調症以外の病理、例えば境界例や躁うつ病、最近では自閉症スペクトラム等が注目されはじめていることから、長らく精神病理学/病跡学を規定してきた「統合失調症中心主義」はその覇権を徐々に失っていくかもしれない、と松本氏はいいます。

この点、フーコーは彼を時代の寵児に押し上げた主著『言葉と物』(1966)において「人間の消滅」という挑発的なテーゼを提示しています。同書においてフーコーは西洋の歴史における「エピステーメー(ある時代における思考様式)」はルネサンス期(16世紀以前)における「類似」から、古典主義時代(17〜18世紀)における「表象」を経て、近代(19世紀以降)における「人間」へと不連続的に変化してきたと主張しています。その上でフーコーはいまや「人間」も主役の座から降りようとしているといい、同書は「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と結語しています。

もちろん、フーコーのいう「人間の消滅」とはあくまでも「人間」という観念の終焉を指す思想的な出来事でした。しかし21世紀に入ると生物工学(ゲノム編集)や情報工学(人工知能)といったテクノロジーの発展によって「人間の消滅」がいよいよ現実のものとなり始め、ここから従来の「ヒューマニズム(人間中心主義)」を揺るがす「ポスト・ヒューマニズム」というべき状況が前景化してくることになります。こうした意味で「人間(弁証法的人間)」を前提とする精神病理学/病跡学における「統合失調症中心主義」も目下加速する一方であるポスト・ヒューマニズム的な状況の中で抜本的に問い直される時が来ているといえるでしょう。















posted by かがみ at 23:53 | 精神分析

2024年01月27日

まなざし過剰と自閉の技法



*「まなざし」の作用

光の空間として私へと現れているものの中で、まなざしとはつねに、光と透過不能性による何かの働きです。それは、さっきの私のちょっとした物語の中心にあったあの輝きです。そしてそれは、スクリーンであったり、スクリーンから溢れるきらめきとして光をあらわにしたりすることによって、つねに私を引きつけ魅了するものです。要するに、まなざしの点はいつも、宝石の輝きのような曖昧さを帯びているのです。

(ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』より)


フランスの精神分析家ジャック・ラカンはセミネールⅪ『精神分析の四基本概念』(1964)において次のような若き日のエピソードを交えつつ「まなざし」について論じています。

20代の頃、都会のインテリ知識人という身分をもて余していたラカンは、過酷な自然の中に飛び込み危険な肉体労働に従事するという実践体験に興味を持ち、ある日、田舎の漁師一家と小さな船に乗って漁に出掛けました。そして船上のラカンが網を引揚げようとしたその時、同船していたプチ・ジャンという漁師が波間に漂うイワシの缶詰を指し示しながら若きラカンに対して「あんたあの缶が見えるかい、あんたはあれが見えるだろ。でもね、奴のほうじゃあんたを見ちゃいないぜ」といいます。

漁師はあくまでユーモアのつもりだったのかもしれませんが、当のラカンはあまり面白い気分ではなかったようです。彼はその理由として「厳しい自然の中でやっとの思いで生きているこれらの人々に混じってすっかりその気になっていた私は、実に珍妙な絵をなしていた、ということです」と述べています。ひらたくいえば、ここでラカンは自分が今やっていることが所詮はインテリのなんちゃってごっこ遊びに過ぎないことに気付いてしまったということです。

これが「まなざし」の作用です。若きラカンは波間に漂いながら太陽の光を浴びてきらきらと光るイワシの缶詰を眺めるうちに、その乱反射する輝きの中に「まなざし」を意識しかけていることを、図らずも漁師から否定形のメッセージとして受け取ったわけです(ちなみに、このイワシの缶詰は漁師の納入先の缶詰会社のものだったようです)。

この点、ラカンは同じ講義中で二つの三角形からなる次のような図式で主体にとっての「まなざし」の位置を示しています。

二つの三角形.png

(ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』122頁の図表をもとに制作)

まず、上段の図は、人間の視覚機能を構成する実測的領野、すなわち「見る」という領野を構成します。この「実測点」に位置するのが主体です。そしてその主体の向こう側に対置されるのが「対象」であり、両者の間には「象」すなわち「表象」が定位します。すなわち「見る」という領野においては、主体は対象を表象化する外部に位置することになります。

そして、下段の図は、「見る」とは異なるもう一つの領野、すなわち「見られる」という領野を表現しています。ここで「光点」に位置するのは主体にとっての超越的審級を体現する〈他者〉です。すなわち「見られる」という領野においては、主体は〈他者〉の「まなざし」にとらわれた内部に「珍妙な絵(ラカン)」として描きこまれることになります。


* 自閉症スペクトラム障害における視線恐怖

このような「まなざし」を人が日常において感じるひとつの具体的例として「注察感」があげられます。例えば何かしら後ろめたい行為や良くも悪くも秘密裏に進めたい行為の最中において人は周囲には誰もいないことがわかっていても、やはりどことなく「誰かに見られている」というような「注察感」を感じることがあるでしょう。

また、こうした「注察感」が病的に現れる例として統合失調症における注察妄想が挙げられます。しばし統合失調症においては周囲に誰ひとりいない時でもいつも誰かに見張られていると感じてしまい、その結果、彼らは自室のあちこちに目張りをしたり壁紙を剥がしてカメラを探したりといった不毛な作業を際限なく繰り返すことになります。

けれども、このような「注察感」は決して自明のものではありません。この点、ラカンのセミネールの邦訳者の1人でもある菅原誠一氏は論考「見られるとはどういうことか」において自閉症スペクトラム障害(ASD)の自験例を挙げた上で、現象学者の村上靖彦氏が提唱した「視線触発」という概念を参照しつつASDにおける視線恐怖を論じています。

ここで村上氏のいう「視線触発」とは「視線や呼び声、触れられることなどで働く、相手からこちらへと一直線に向かってくるベクトルの直感的な体験」であり、必ずしも他人の眼それ自体を知覚しなくても、物音や気配で視線を感じ取ることもある「知覚とは異なる次元で成立している概念」です。また村上氏は「(絶えず誰かに見られているという)統合失調症の妄想であるにしても、眼球の知覚を伴わない視線の経験はありうる」といいます。つまり、眼球知覚なしに視線を感じ取る「視線触発」とは定型発達者から統合失調症患者まで幅広く認められる現象であるということです。

この「視線触発」は定型発達児の場合、乳幼児のごく早期から成立する体験であるといわれます。村上氏は「ほとんどの人は覚えている限り視線を感じる世界のなかで育ってきている」といい、定型発達には「もっとも原初的な層においてすら視線触発を前提とせざるを得ない」としています。これに対して自閉症児の場合、村上氏は「目も合わず他者というものを知らない重度の自閉症児から、他者の存在に気づいているけれど視線を怖がる自閉症児、あるいは特に視線を怖がらないがコミュニケーションにぎこちなさを残す自閉症児など、さまざまな状態がある」といいます。

この点、菅原氏は「(村上氏が挙げる)自閉症患者が視線恐怖を持つようになった実例は全て、目が合うことへの恐怖を訴える例ばかりであって、例えば後ろから見られることへの恐怖、視野の外にある視線の恐怖は登場しない。よって当然ながら、周囲にだれもいない場面での視線恐怖も登場しない」といい「以上の村上の著書と自験例からの知見をまとめると、ASDの視線恐怖の特徴として、目が合うことへの恐怖を訴えることが多く、誰もいないところで注察感を感じることはほとんどなく、後方など視野外からの注察感を感じることもほとんどないということになる」と述べています。

さらにここから氏はラカンの「まなざし」の議論を参照し、ASDにおいてはラカンのいうところの「目とまなざしの分裂」の不成立があると表現できるのではないかと述べます。すなわち、ASDにおいてはラカンのいう「まなざし」が機能していない可能性があるということです。そうであればASDにおいては定型発達とは別の仕方での主体化を果たしていると考えるべきなのでしょうか。


* 自閉症スペクトラム障害における顔認知−−記述主義と反記述主義

この点、清水光恵氏は論考「他者の顔、わたしの顔」においてASDにおける他者の顔との出会いの困難という問題を概観しています。ASD者は他者の顔をまなざさないこと、そして他者の顔や名前を覚えるのが苦手なことがよく知られています。清水氏は患者の話を聞いていると彼らは知っているはずの他者が髪型を変えたり、あるいはいつもとは違う場所でその他者と出くわしたりするとたちまち誰なのかわからなくなってしまうことが多いといいます。しかも驚くべきことにこの他者には同居の家族さえ含まれています。

例えばある患者は街の雑踏の中で母親を見分けるのには母親の髪型といつも持っている鞄を手がかりにしています。また別の患者は人の顔を見分けるのは問題ないといっていましたが、さらに聞いてみると例えば妹について「(自分が)大学から帰る時間に自宅にいるのは妹に決まっているので間違いない」と言い、では街路で偶然妹に出会ったらどうかと清水氏が尋ねたところ患者はあっさりと、わからないだろうと答えます。

つまり、彼らは他者の髪型や眉毛や鼻や顎の形、眼鏡、服装や持ち物など外見全体のうち比較的変化に乏しく固定的な部分的特徴や、その他者と出会う場所と時間の経験則に頼ってなんとか他者の同定を試みているということです。例えばASDの当事者研究で知られる綾屋紗月氏は論考「発達障害当事者から−−あふれる刺激、ほどける私」において顔認知にあたって「目、鼻、口、耳というそれぞれのパーツ」や「表情や顔や筋肉が動くパターン、声のトーンや話し方の癖」など顔情報を細分化して記憶すると述べる一方で、これらのパーツ情報を全体像として捉えるのが難しく、ひとりの人としてまとめ上げにくいと分析しています。こうしたことから清水氏は「ASDの世界では基本的には、『パーツ』はあるが顔はない、その意味ではのっぺらぼうの名もない現象(という他者たち)が生起している」と述べます。

また清水氏は別の論考「自閉症スペクトラム症の患者はなぜ人の顔と名前を覚えるのが苦手なのか」において他人の顔を覚えることのできないというASDの自験例を取り上げています。初診時20歳の大学生であったX子は4回目の面会の際にも担当医師(清水氏)の顔を覚えておらず、そのことを問うてみたところ、彼女は他者の顔を目の形や鼻の形、あるいは髪の毛の生え際、おでこの広さ、肌の荒れ具合、出っ歯といった様々な属性の組み合わせで覚えているため、その他者が急に髪を染めたりとか坊主頭になったりするとわからなくなるといいます。

清水氏はこのような他者の顔を覚えることができないというASDの特性をバートランド・ラッセルやソール・クリプキの「固有名 proper name」をめぐる議論から理解しています。この点、固有名とは何かということを考える哲学的立場には大きく分けて「記述主義 descriptivism」と「反記述主義 anti-descriptivism」の二つがあります。

一方の記述主義の立場では固有名は確定記述(=その固有名を定義する属性や説明)の束に還元できるとされます。たとえば「アリストテレス」という固有名は「古代ギリシアの哲学者」「アレクサンダー大王を教えた」などの一連の確定記述の束に還元できると考えます。ところが記述主義の立場をとった場合、もし仮に歴史的調査によって「アリストテレスはアレクサンダー大王を教えていなかった」ことが判明した場合に「アレクサンダー大王を教えた人物は実はアレクサンダー大王を教えていなかった」という無意味な命題が生じてしまいます。他方、反記述主義の立場からは固有名は確定記述の束には還元できず、むしろ確定記述に還元できない反記述的なクオリア(主観的に感知される特定の質)こそが固有名を支えていることが帰結されることになります。

このような固有名をめぐる議論の文脈からいえばX子は人の顔を記述主義的に確定記述の束として捉えており、反対に定型発達者は人の顔を反記述主義的に「〈この〉顔」として捉えているともいえそうです。


*〈この〉性と確定記述のあいだ

こうしたことから松本卓也氏は論考「自閉症スペクトラムと〈この〉性」において清水氏が提示した固有名をめぐる議論を「〈この〉性 thisness」の不在の問題として論じてます。

この点、定型発達においてはしばし〈この〉性と確定記述の接続が問題となります。例えば「私は私である Je suis Moi」という文における主観的自我としての「私 Je」と対象的自我としての「私 Moi」の関係は〈この〉性と確定記述の関係に相当するものであり、ここで「私」は自分が何者かであるかを陳述するため「私」を対象化し、その確定記述(年齢、性別、出身、所属等)を数え上げていくことになります。けれども、そのようなやり方では主観的自我としての〈この〉性としての「私」は対象化され得ない「無」となり、時にこの「無」が危機的な裂け目として迫り出してくることがあります。

そして、このような意味での「無」を20世紀を代表する哲学者の1人に数えられるマルティン・ハイデガーは「存在 Sein」という言葉で名指しました。例えばハイデガーは1929年の公開講義「形而上学とは何か」において「存在」を問うために「無」とは何かを議論する必要があると述べ、その顕われとして統合失調症における妄想気分や世界没落体験のような「何となく不気味だ Es ist einem unheimlich」という体験を参照しています。

すなわち、存在者の総体(世界を構成する事物)には何の変化も「無」いにもかかわらず、この世界はどこか不気味であり、むしろ世界には何の変化も「無」いことそれ自体が不気味であると感じられるような意味未満の意味のざわめきに満ちた「何となく不気味だ」という体験においては「何も無い Nothing exists」ことが「無がある Nothing exists」ことへと転化してしまうということです。

ところが、このようなハイデガーの主張に対して論理実証主義を代表する哲学者であるルドルフ・カルナップはそれは単に「言葉のあや」に過ぎないと批判します。すなわち「外に何があるか What is outside?」という問いに対して「何もない Nothing is outside」という答えを「無が外にある Nothing is outside」と読み替えることによって「無」の積極的な性質をいおうとするのは無意味な論理に過ぎないということです。

このようなカルナップの立場を松本氏は固有名を確定記述の束へと還元することによって把握しようとするX子に類似しているといいます。そして、こうしたことから松本氏は村上氏が取り出した「視線触発の不在」とは不安を引き起こすハイデガー的な「無」に対する志向性の欠如として理解することが可能であろうと述べています。すなわち、ラカン的な「まなざし」の機能不全とは突き詰めればハイデガー的な「存在」の機能不全に起因するということです。


*〈この〉性だらけの世界

その一方で松本氏は同論考でX子とは対照的に他者の顔を覚えることが極度に得意なASDの症例としてレオ・カナーが1943年に発表した自閉症に関する初の論文に登場する症例ドナルドを取り上げています。ドナルドは2歳になる前に人の顔と名前に関して異常な記憶能力を持っていたとされています。すなわち、ASDには顔の認知が極度に苦手である症例(X子)と反対に極度に得意である症例(ドナルド)の両方が存在するということです。

この点、ドナルドはある行動をそれを初めて覚えた時と全く同じやり方で反復します。例えば彼は自分が靴を脱ぐことに成功した際の母親の言葉である「あなたの靴を引っぱって」という言葉を「靴を脱ぐ」という行動と一対一対応するものとして結びつけています。換言すれば彼にとって「あなたの靴を引っぱって」という母親の言葉は「あなた/の/靴/を/引っぱって」というふうにいくつかの単語に分節されたものではなく、むしろ「開け、ゴマ!」と同じような「靴を脱ぐための呪文」として扱われているということです。

カナーが「同一性保持 maintenance of sameness」と呼び、のちにバーナード・リムランドによって「閉回路現象 closed-loop phenomenon」という名前が与えられたこの現象は、彼らが入力された刺激を「原料のまま」に再生することに専念しており、その「原料」を混ぜあわせ新しい「化合物」を作ることがないということを意味しています。

ドナルドに見られるこのような特徴は極端に反記述主義的であるといえます。すなわち、彼はある瞬間に自分の目の前で起こった新しい出来事を固有の〈この〉クオリアを持つものとして名指し、その驚きと喜びを既存の確定記述に還元することなく絶えず反復しているということです。いわば彼は〈この〉性だらけの世界を生きているといえるでしょう。

この意味でASD者は一方でX子(アスペルガー型)のように〈この〉性の存在しない領域において確定記述の束によって固有名を把握しようとする徹底的に記述主義的な世界に生きており、他方ではドナルド(カナー型)のように他のものに分節不可能な〈この〉性に溢れた徹底的に反記述主義的な世界に生きているといえます。すなわち、ASD者においては〈この〉性と確定記述の接続それ自体が拒絶されているということです。


* まなざし過剰と自閉の技法

この点、松本氏はドナルドのような〈この〉性だらけの世界を生きるASD者を捉えるモデルとして「思弁的実在論 speculative realism」や「オブジェクト存在論 object-oriented ontology」といったゼロ年代以降の現代実在論をあげています。これらの立場はカント哲学における物自体と現象という区別以降、近代哲学を規定してきた「相関主義(世界には接近不可能なものがあり人間はそのような不可能性を整除した限りのものしか認識し得ないという立場)」を破棄して、例えば物自体といった相関主義とは無関係な実在を問題にします。

さらに氏はここまで見てきた展開をラカン理論における「存在論から〈一者〉論へ」という転回と対応させています。周知の通りかつて(1950年代〜1960年代)のラカンは「S1→S2」として定式化されるシニフィアン連鎖のあいだの消失点として生じるハイデガー的な無=存在にもとづく主体モデルを前提としてきました。ところが晩年(1970年代)のラカンはS1→S2以前に単独的に実在するS1を〈一者〉と名指し、この〈一者〉にもとづく主体モデルを考えようとしていました。

こうしたことから現代ラカン派においてはラカンの娘婿であるジャック・アラン・ミレールが提唱する「逆方向の解釈」のようにS1→S2の切断からのS1の析出が重視されることになります。そして、このような現代ラカン派におけるS1とS2の連関は、まさにASDにおける〈この〉性と確定記述の連関とパラレルに考えることができるでしょう。

こうしてみるとハイデガーやかつてのラカンが提示した世界や主体のあり方は〈この〉性と確定記述の接続を問題とする「統合失調症モデル」にもとづいており、これに対して現代実在論や現代ラカン派が提示する世界や主体のあり方は〈この〉性と確定記述の切断を問題とする「自閉症モデル」にもとづいているといえるでしょう。そうであれば、ここから現代の肥大化した情報環境が引き起こす「まなざし過剰」の外部に立つための「自閉の技法」を読み出していくこともできるのではないでしょうか。























posted by かがみ at 22:47 | 精神分析

2023年12月26日

希望を処方するということ−−中井精神病理学の断層



* 統合失調症と中井久夫

かつて精神病理学や病跡学において統合失調症は理性の解体と引き換えに人間の本質に関わる深淵な真理を開示する病として特権的な位置に置かれ、その研究は「いかにして人の精神が破綻し、統合失調症が発症するか」という発症過程のドラマチックな部分に議論が集中する一方で、その後の慢性化した状態に興味を持つ人はほとんどいませんでした。そして、そこには統合失調症は慢性化してしまうと人格が荒廃してしまってもう治らないというニヒリズムともいえる諦めがありました。

ところが、こうした風潮にノーを突きつけ統合失調症は治療により十分に回復可能な病であることをはっきりと示した不世出の精神科医が中井久夫氏です。中井氏は京都大学医学部卒業後、ウィルス学の研究を専門としていましたが、1966年、32歳の時に精神医学に転向して以降、医師としての生涯を賭けて統合失調症の探究に邁進することになります。

周知の通り、統合失調症はその名の通り精神の統合機能が阻害されてしまう疾患で、自他の境界が曖昧になり、思考が阻害されたり、様々な幻覚妄想が生じたりします。この病気はかつて「精神分裂病」と呼ばれ、1980年頃まで難治性で進行性の慢性化しやすい疾患であると考えられていました。当時ほとんどの精神病理学者が統合失調症を特異で深刻で人間存在を根底から掘り崩すような疾患だと主張する中で中井氏は一貫してこの考え方に抵抗し、統合失調症は治療によって回復可能な病であることを主張し続けました。


* 寛解過程論

1997年に神戸大学医学部を退官する際に行った最終講義を書籍化した『最終講義−−分裂病私見』(1998)において中井氏は精神科医に転じた1966年当時、統合失調症(分裂病)に関してはなお「混沌たるもの」があったとして「私の目的は分裂病に目鼻をつけることでした」と回顧しています。そして氏は当時の分裂病の臨床が症状と身体状態との関連への注目が少なく観察間隔も空きすぎていることや、これまでの分裂病研究が発病論や本質論ばかりに偏っており回復過程を記述したものがほとんどないということに気づきました。

そこで氏は下痢や不眠といった患者の身体における事象をつぶさに観察し、時系列でグラフ化していきました。そして統合失調症の回復にはいくつかの段階があることを示し、特に急性期から回復期に移行する時期を発見し「臨界期(回復時臨界期)」と名づけました。

こうして統合失調症の経過を精密に明らかにした中井氏の「寛解過程論」は当時、画期的な研究として精神医学界から驚きをもって迎えられました。氏はこの回復の過程でどのような身体的変化が起こるのかを症例をもって実証しながら、慢性状態も不断に変化し続ける過程であることを、つまり「治る(寛解)」という可能性がある過程であることを極めて説得的に示していきました。

慢性化している状態を「コンディション(状態)」ではなく「治る(寛解)」という可能性を含んだ「プロセス(過程)」に読み換えていくこのパラダイムシフトは当時極めて画期的なものであったと言われます。ここから慢性期をプロセス、つまり変化し得るものだと考えることで、諦めと惰性が支配的だった慢性期の治療に一筋の希望が生まれることになります。中井氏は「希望を処方する」という言葉を残していますが、氏の提唱した「寛解過程論」はまさに患者や精神科医に「希望を処方する」ことができた理論であったといえます。


* 風景構成法

そして中井氏は早くから治療に絵画療法を積極的に取り入れていました。その理由はいくつも考えられますが、絵画は言葉ほど侵襲的ではなく患者を傷つける可能性が少ないため、慢性期のあまり多くは語らない患者にも適用できるという点がまず挙げられます。絵画療法の導入によって害の少ない形で話題が広がり、また絵の変化によって患者の状態や回復の過程を窺い知ることができるという意義もありました。

そのような中井氏の臨床現場から生まれたのが有名な「風景構成法」です。これは10個のアイテム(川、山、田、道、家、木、人、花、動物、石)を治療者が一つずつ読み上げて、患者はその都度枠の中に描き入れ、さらに足りないと思うものを描き加えて風景として完成させるというものです。

統合失調症患者の絵というとアウトサイダー・アートのような病的でどこか不穏な絵というイメージがあり、確かに病期によってはそうした絵を描くこともありますが、中井氏はむしろ良い治療環境で安定した状態で描かれる「普通の絵」にこそ治療上の意味があると考えていました。

この点、風景構成法は誰が書いても「普通の絵」になるような工夫が施されています。例えば指定されたアイテムをその都度書き込んでいくので全体の構成をイメージしておくことが難しく、どんな人でもあまり上手な絵にはなりませんし、また10個のアイテムがごく普通のものなので不気味な絵にもなりません。すなわち、病理に引き摺られることなく、いかに本人の中にある健康なものを引き出すかに配慮して作られた手法だと考えることができます。


* 統合失調症の人類史

また中井氏は日々の臨床と並行して統合失調症を人類史的視野で検証するという壮大なテーマに取り組んでいます。『分裂病と人類』(1982)において氏は統合失調症的な気質を持つ人として「S親和者(分裂病親和者)」という概念を提示しています。そして狩猟採集時代にはこの「S親和者」がリーダーシップをとっていたのではないかという大胆な仮説を提示し、時代によって主役となる気質が入れ替わることを人類史という壮大な規模で論じます。

このような発想の背景には氏の盟友でもあった木村敏氏が提唱した様々な精神病理を時間意識から捉える「祝祭論」と呼ばれる議論があります。木村氏は統合失調症者における未来を先取りする時間意識を「アンテ・フェストゥム(まつりのまえ)」と呼び、うつ病者における過去に固執する時間意識を「ポスト・フェストゥム(あとのまつり)」と呼びました。

このような木村氏の「祝祭論」を踏まえ中井氏はアンテ・フェストゥム的意識を「微分回路(変化に敏感に反応するが、とても疲弊しやすい回路)」として、ポスト・フェストゥム的意識を「積分回路(過去のデータベースを参照しながら変化に反応し、不測の事態には対応できない回路)」として表現しています。

この点、狩猟採集時代において人類と野生動物と互いに狩り狩られる関係にあり、動物の兆候にいち早く気付き先手を打って仕留めたり、あるいは逃げたりできる人ほど生存可能性が高かったと思われます。また当時は水や採集できる食料もそれがどこにあるかを敏感に感じ取る力がある方が生存に有利だったと思われます。こうしたことから「S親和者」の持つほんのわずかな兆候に敏感に反応する兆候優位的な気質は狩猟採集時代には決定的な力を持っていたと考えられます。

ところが農耕社会が誕生すると計画通りに農作業を行うための秩序が重んじられるようになり、過去・現在・未来へ流れていく客観的な時間の成立が権力や宗教を生み出しました。こうして狩猟採集時代には生存に優位だった兆候優位的な気質は農耕社会においてはその優位性が失われるだけではなく、やがて社会からの逸脱として扱われるようになります。もっとも、中井氏の指摘するように人類全体の存続の上で前例なき大破局の兆候を感知できる「S親和者」の持つ特性はいまだに必要されているといえるでしょう。


*「立て直し」と「世直し」

その一方、同書で中井氏は「S親和者」とは対照的な「執着気質」についても分析しています。ここでいう「執着気質」とは昭和前期に下田光造が「うつ病の病前性格」として提唱した概念であり、非常に勤勉で真面目、人に配慮ができ社交的で秩序に従順という性格傾向を持っています。

中井氏によれば仕事に対する真面目さや勤勉さを持つ執着気質は江戸時代中期以降、職業倫理として日本に根付きます。この「執着気質的職業倫理」を体現する存在として中井氏は二宮尊徳(二宮金次郎)を位置付けます。勤勉と倹約によって生家を再興し、さらに指導者として荒廃した農村をいくつも蘇らせた二宮の行動の根底には、没落や荒廃からの復興という、いわば「とりかえしをつけよう」とする「立て直し」の倫理があるということです。このような二宮尊徳が体現した勤勉と倹約を美徳とする「立て直し」の倫理は長らく日本人のロールモデルとして位置付けられてきました。

もっとも江戸時代には「立て直し」の倫理と対立する「世直し」の倫理も存在しました。のちに討幕運動や自由民権運動にも連なっていくこの「世直し」の倫理の特徴は「S親和者」の気質そのものでもあります。その上で中井氏は「立て直し」は「世直し」の人を絶えず「立て直し」にくり込み、ついにくり込めない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性を持っていると指摘しています。

そして、このような「くり込み」の動きは現代においても失われていないと思えるところがあります。中井氏が同書に収録された論文を執筆した1970年代における生活臨床、デイケア、作業療法では「S親和者」を勤勉労働者に矯正するという使命感が支配的でした。そして現代においても精神疾患で休職した人が職場復帰に向けた準備を行うリワークプログラムが盛んに行われていますが、こうしたプログラムも執着気質的な適応倫理を回復することを目標とする面があるといえるでしょう。


* 希望を処方するということ

中井氏は統合失調症は特異な素因を持つ人の病であるというスティグマにつながる考え方を否定し、誰しもが発症しうる病であると繰り返し訴え、患者の尊厳を徹底して尊重することがそのまま治療やケアにつながることを一貫して主張してきました。また中井氏が患者の尊厳とともに治療で大切にすべきものとして強調しているのが「心の生ぶ毛」と呼ぶ人の心が持っている柔らかな部分です。中井氏は次のように述べています。

私たちは「とにかく治す」ことに努めてきました。今ハードルを一段上げて「やわらかに治す」ことを目標とする秋(とき)であろうと私は思います。かつて私は「心の生ぶ毛」ということばを使いましたが、そのようなものを大切にする治療です。

分裂病の人のどこかに「ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ」を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。

(『最終講義−−分裂病私見』より引用)


自発性や主体性が失われ感情の平板化や鈍麻が生じている慢性期の統合失調症患者は中井氏のいう「心の生ぶ毛」が損なわれた状態にあるといえます。ここでいう「心の生ぶ毛」とは心の健康度を測る大事な要素の一つであり、中井氏はこのような「心の生ぶ毛」を大切にする治療を強調していました。こうした観点からいえばリワークプログラムなどによる社会復帰の局面においても当事者の「心の生ぶ毛」を守りながら適応を目指していくといったきめ細かな支援が求められるでしょう。

あるいはまた、ここで中井氏がいう「心の生ぶ毛」とはより広く、人それぞれが持っているその人だけの特異的な部分とも解することもできるでしょう。すなわち「S型親和者」に限らず人はそれぞれ、その人だけの「特異性」を抱えた存在として、社会における「一般性」との間で折り合いをつけながら生きているともいえます。

この点、中井氏が記述した「S型親和者」をめぐる壮大な人類史がまさにそうであるように、こうした人それぞれが持つ「特異性」は時代や社会といった「一般性」との諸々のめぐりあわせに幸運にも恵まれると、何かしらの「個性」として承認されますが、そのようなめぐりあわせに不幸にして恵まれなければ、端的に「社会不適合者」などとレッテルを貼られて排除されることになるでしょう。

けれども、このような「個性/社会不適合者」を始めとして「正気/狂気」「本物/偽物」「正義/悪」「友/敵」といった様々な二項対立もやはり、あるめぐりあわせからたまたま生じた仮固定的な産物に過ぎず、それらはまた別のめぐりあわせによる訂正可能性を常に孕んでいます。こうした意味で人それぞれが持っている「特異性」としての「心の生ぶ毛」を深くまなざした中井精神病理学の思想は精神医療の領域のみならず、対人援助、文化論、社会思想といった様々な領域においても「希望を処方する」ことができる開かれた可能性を持っているといえるでしょう。























posted by かがみ at 22:03 | 精神分析

2023年11月25日

認知症の時間論



* 認知症における「回復の試み」としてのBPSD

認知症(神経認知障害群)とは一度獲得された認知機能が脳の器質的病変によって持続的に変化した状態をいいます。かつて認知症は知能の低下や人格の荒廃を想起させる「痴呆」とも呼ばれていましたが、近年において認知症とは様々な認知機能の変化であることが明らかになりました。認知症の下位分類としては一般的に次のような4つが知られています。

認知症の中で一番多いアルツハイマー型認知症は脳の全般的な萎縮、神経原繊維変化、アミロイドβ蛋白の沈着といった脳病理所見が確認されており、主な症状は記憶や学習を中心とする認知機能の慢性かつ進行性の低下です。血管性認知症は脳梗塞などの脳の血管の変化によって生じた脳実質の障害によるものであり、その発症は脳梗塞や脳出血などと時期を同じくすることが多く、症状としてはかつて「まだら痴呆」と呼ばれたように認知機能の低下が起きる部分とそうでない部分に差が見られ、同じことをするにしても一日の中でも差が見られることがあります。

前頭側頭型認知症は前頭葉や側頭葉の萎縮によって起きる認知症であり、記憶の障害よりも脱抑制や人格変化が目立ち、典型的には礼儀を欠いた行動や悪ふざけ、万引きや痴漢といった行動の障害が見られます。レビー小体型認知症は進行性の認知機能の障害の他に認知機能の動揺(短いスパンでの日内変動)、幻視(具体的で人物や小動物が家に入ってくると訴えられることが多い)、パーキンソニズム(寡動や筋固縮、振戦など)、レム睡眠行動障害(レム睡眠の時期に見ている夢の通りに体が動いてしまう)という4つの中核症状が見られます。

超高齢化社会を迎えた現代において認知症は「正常ならざるもの」として対象化されるだけではなく、いつかは誰もが「それとともに生きていかなければならないもの」「それ自体を生き抜かなければならないもの」となりつつあります。このような認知症の全般化は人がどうしようもない不可逆的な「老い」を生きていかなければならないということを文字通りに突きつけることになります。

この点、近年では認知症の症状を記憶障害や見当識障害といった中核症状と妄想や作話や徘徊といった周辺症状に分けて、後者を認知症の行動・心理症状(behavioral and psychological symptoms of dementia :BPSD)と呼ぶ理解が広まっています。もっとも、こうしたBPSDと呼ばれる認知症における周辺症状はある意味で当事者の「回復の試み」であるともいえます。

すなわち、認知症の当事者は記憶障害や見当識障害といった自らが抱える症状に困惑しながらも、責任ある主体として行動しなければならないという思いを持っており、その結果としてなされた「回復の試み」が時として周囲から妄想とか作話とか徘徊などと呼ばれることになるわけです。

このような認知症における「回復の試み」を「時間」という観点からいえば、認知症の当事者はいまにもばらばらになりそうな自身の「時間」を通常とは別の仕方で再びひとつの「時間」としてまとめ上げようとしているといえそうです。認知症を生きる当事者の「時間」とはいかなるものでしょうか。

* 時間の三つの総合

ポスト構造主義を代表する論客の1人でもあるフランスの哲学者ジル・ドゥルーズは前期の主著である『差異と反復』(1968)において「時間の三つの総合」という議論を展開しています。これは人の精神において「時間」が発生するプロセスを論じるものです。

まず、ここでいう「時間」の前段階となる非時間的位相は「反復における不連続性と瞬間性」と呼ばれます。すなわち、これは経験に与えられる諸要素は原則としてそれぞれ不連続的かつ瞬間的であり、ある要素は次の要素が提示された時点では既に消えてしまい保持されていないという位相です。

つまり、この非時間的位相において与えられた諸要素は「1、2、3・・・」と先行する要素を踏まえながら展開していくことができず、あたかも瞬きするたびに記憶喪失するかのようにその都度その都度「1、1、1・・・」がひたすら生じることになります。

通常、人は「私」という主体がまず自明なものとしてあって、その「私」が何か色々と経験して、その経験のもろもろが「私」においてまとめ上げられていると考えがちですが、ドゥルーズにとっては経験の連続性とその統一を保証する、あるいはその統一性そのものである「私」という主体自体が決して自明の前提ではないわけです。

それゆえにドゥルーズは互いに独立した不連続的瞬間が結びつけられて関係づけられ、何かしらのまとまりを得るというプロセスを問い直します。それは非時間的位相からの「時間」の根源的な総合を論じることであり、また、そのような総合とともに立ち上がる主体を論じることでもあります。

* 生ける現在−−時間の第一の総合

この点、まず「時間の第一の総合」においては「想像」という作用が重要な役割を演じることになります。一般的に「想像」といえば現前しないものをいまここにありありと思い描くことをいいますが、ここで重要なのは「想像」が「新しいものが現れたときに以前のものを保持する」という点です。

こうして非時間的位相おいては「1、1、1・・・」とその都度消え去る不連続瞬間が「想像」によって縮約されて、先行する瞬間が次の瞬間に保持され「1、2、3・・・」と系列的に展開していくことになります。

このように「想像」は直前の瞬間を把持して直後の瞬間を期待することで、直近の過去と未来を含み込んだ厚みのある「生ける現在」という最小限の時間的シークエンスからなる原初的な「時間」の単位=統一性を構成します。すなわち、このような「生ける現在」の構成が非時間的位相としての不連続的瞬間からの「時間の第一の総合」です。

そして「私」という主体もまた「生ける現在」と同じく「想像」によるばらばらな諸要素が暫定的な縮約されたもの(習慣づけられたもの)として誕生することになります。それは文字通り暫定的な「縮約」のまとまりとして受動的に構成された主体であるということです。

ドゥルーズはこのような主体を「幼生の主体」と呼びます。未だ恒常性なき瞬間ごとに転変する世界に生まれ落ちた人間存在はまず「想像」によって自らに暫定的なまとまりを与えながら、その生へと乗り出していくわけです。

* 純粋過去−−時間の第二の総合

しかし、このような「生ける現在」と「幼生の主体」はあくまで局所的で有限的なものです。「想像」による諸要素の縮約は、直前直後の要素のみを保持しておくことができるに過ぎず、それを超えて永続することはありません。とりあえず縮約された現在、習慣づけられた主体はその限りでは永続することなく、やがて再び不連続的瞬間へと解けていくことになります。ドゥルーズはこれを「疲労」と呼びます。

それゆえに時間の総合はさらに不連続的瞬間を縮約した現在が尽き果てることなく、その中を過ぎ去り、その中で保存されていくような大域的な時間形式を要請します。ここにドゥルーズは「生の哲学」として知られるフランスの哲学者アンリ・ベルクソンがいうところの「純粋過去」を位置付けます。

ここでいう「純粋過去」とは新たに生じる「現在」をその先端として、過去に生じた様々な「現在」を水準の差異としてその中に保存する「巨大な時間の器」として機能します。この「生ける現在」から「純粋過去」への乗り越えが、すなわち「想像」から「記憶」への乗り越えが「時間の第二の総合」です。

つまり「時間の三つの総合」とは非時間的位相である不連続的瞬間が、まず⑴「想像」によって「現在」に縮約され、次に⑵「記憶」によって「過去」として保存され、さらに⑶「思考」によって「未来」が到来するという現象発生の内的論理を説明するものです。

*「疲労」の全面化としての「老い」

そして、こうした『差異と反復』において展開された時間論はドゥルーズ晩年の著作である『哲学とは何か』(1991)において別の観点から光が当て直されることになります。この点、ドゥルーズ研究者の小倉拓也氏は「老いにおける仮構−−ドゥルーズと老いの哲学」という論考において『哲学とは何か』で提示される「仮構」という概念に注目し、ドゥルーズとともに、ひとつの「老いの哲学」を試みています。

まず『差異と反復』における非時間的位相としての不連続的瞬間は『哲学とは何か』では「カオス」と呼ばれ概念化されることになります。ここでいう「カオス」とは経験に与えられる諸要素がドゥルーズがいうところの「誕生と消滅の無限速度」で「1、1、1・・・」というように、ただ現れては消えていくだけでいかなる結果ももたらさない状態です。

そして『哲学とは何か』においてもやはり『差異と反復』同様の枠組みから、カオスの把握の一つの仕方として無限速度で流産し続ける諸要素を縮約する「想像」が位置付けられます。

しかしながら、この二つの著作のあいだにはある決定的な差異があり、これこそが『哲学とは何か』の独自性を構成します。『哲学とは何か』における「カオス」は確かに『差異と反復』における不連続的瞬間と同じく「想像」により縮約される位相としても論じられていますが、それ以上に「想像」による縮約がままらなくなり崩壊していく位相としての意味合いを強く持っています。

すなわち『差異と反復』では時間や主体といった何かが「生み出されること」が論じられました。しかし『哲学とは何か』では『差異と反復』と同様の枠組みを用いながらも、時間や主体といったものが不可逆的かつ再開不能な仕方で「終わっていくこと」が強調されます。そして、そのような『哲学とは何か』における議論の萌芽は既に『差異と反復』おける「疲労」という概念に見出すことができます。このような「疲労」の全面化を『哲学とは何か』は「老い」として定義します。

* 記憶なき現在の仮構

では、このような「老い」の果てにいったい何が残されているというのでしょうか。そもそも『差異と反復』の議論でも「想像」により縮約された「現在」はそれだけでは永続し得ず「疲労」によって再び不連続的瞬間への解けていくのでした。しかしながら「現在」がそのように尽き果てることなく保存されるのは、もっぱらそれが「記憶」によって純粋過去へと乗り越えられたからです。

だとすれば「疲労」の全面化である「老い」においてまず損なわれるのは「現在」における縮約ではなく「過去」をなす「記憶」なのであり、むしろそれによって「現在」はたとえ今まさに消え去りながらも、剥き出しの状態で現出することになります。

このような意味での「記憶」によることなく、おのれだけで持ちこたえる「現在」をドゥルーズは「モニュメント」と呼びます。そしてこのような「モニュメント」の行為として「記憶」から解放され、自分で打ち立て持ちこたえる「現在」の縮約をドゥルーズは「仮構 fabulation」といいます。

ここでいう「仮構」とはやはりベルクソンから援用された概念であり「想像」の一種ですが、ベルクソンによれば「仮構」は「想像」の中でも社会的紐帯の解体に反発して宗教的、迷信的な絆を構成するものであり、また、死などの意気消沈させるものの表象に対抗する表象を創り出すことで抗うものと限定されています。

こうしたことからドゥルーズにおける「仮構」とは社会や個人が直面する耐え難いものに対して自然が用意した防御反応であり、それは「老い」において不可逆的にほどけていく世界を「記憶」から解放されたかたちで縮約し、迷信のようなまがいものの絆を与えることで当の耐えがたい崩壊に抗う行為である、と小倉氏はいいます。

* 創造としての作話=仮構

そしてこの「仮構」という概念はしばし「作話」という日本語に訳されます。そこで認知症における周辺症状としての「作話」をドゥルーズのいう「仮構」に代入してみると、この「作話=仮構」という営為が新たな相貌を持って現れてきます。すなわち「作話」とは認知症における病理現象などではなく、むしろ当事者が「記憶」の後ろ盾なく「現在」を「想像」ならぬ「創造」していこうとする「仮構」であり、それはドゥルーズに倣えば「カオスに抗う闘い」であるということです。

近年、認知症におけるケアとして「見る」「話す」「触れる」「立つ」という4つの基本動作の中に徹底的に「あなたのことを大切に思っています」というメッセージを入れていく「ユマニチュード humanitude」という技法が日本でも導入されつつあります。

この「ユマニチュード」という言葉には「人間らしさを取り戻す」という意味が込められています。こうした意味で、ユマニチュードの理念を実践する上で当事者が生きている「時間」がどのようなものかに思いを致すことは「あなたのことを大切に思っています」というメッセージが持つ響きをより豊かで、より生きたものにするのではないでしょうか。





























posted by かがみ at 22:03 | 精神分析