【参考リンク】

現代思想の諸論点

精神病理学の諸論点

現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2013年03月11日

法律解釈論はある意味宗教

法学の方が『理系』で、工学の方が『文系』という話 〜本当の理系と本当の文系について〜(雪見、月見、花見。)

なかなか興味深い議論なので一言。

リンク先ブログ主様の演繹的か帰納的かという区分論は非常に面白いですが、法律学に付いて言えば、領域によって若干傾向は分かれますかね。憲法を始めとした公法系は良くも悪くもイデオロギーが先立つので、なるほどかなり演繹的な部分が目立つ。憲法は言うまでもなくアレだし、刑法とかも昔から主観主義対客観主義やら行為無価値対結果無価値など、それこそ明治の昔から果てしない神学論争をやらかしていた。

ただ、一方で民法や会社法といった私法系は現実の経済活動をどうしても前提とせざるを得ない。基本哲学はいくら高邁でも解釈論的帰結が取引社会の実態から遊離しているような学説は実務家からはそっぽを向かれるし、学生さんにも司法試験の教科書として使ってもらえない(笑)

そういうわけで私法系はいきおい帰納的にならざるを得ない。少なくともそういう傾向の学説が通説になりやすいですね。

もちろん、上記の差は程度の差であって、法典解釈である以上、基本的にはドクマ的な宿命をもっている。そういう意味では宗教と同じ構造をもっているんでしょう。解釈論の正しい正しく無いなんて客観的に証明のしようがないですよ。やはり根幹においては「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」いう世界ではあります。

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タグ:法律
posted by かがみ at 21:38 | 法律関係

2013年02月28日

司法制度改革という「失われた10年」

試験合格者数目標3000人、文科相「間違っていた」(福岡の家電弁護士 なにわ電気商会)

司法試験の年間合格者数3000人という数字は今世紀初頭に画策された司法制度改革審議会の意見書を受けたものです。曰く、「国民の社会生活上の医師」としての法曹。曰く、「公共性の空間」としての司法部門。曰く、「点」による選抜ではなく、「プロセス」としての法曹教育等々…舞い踊る数々の美麗字句もいま見るとなんともむなしい限りだが、ともかくもその結果、拙速ともいうべき早さでロースクールが華やかに立ち上がり、なんだかんだで公平性だけは担保していた旧司法試験は制度の波間へ人知れず消えていった。

そしてあれから10年の月日が流れた。その間、多くの有為な人材が人生を棒に振り、司法研修所は修習生の質の低下に頭を抱え、弁護士業界は供給過多の過当競争で日々疲弊していった。一方で、司法へのアクセスは依然改善されず、それどころか将来的には、法曹の社会的地位の低下による司法権の権威の失墜すら懸念される。法律っていうのは、良くも悪くもロジック以上に権威に依存している部分があるからね。いずれにせよ、かような昨今の状況をみるに、あの「改革」とはほんとうに一体何だったんだと思わざるを得ない。

この10年で失ったものはあまりにも大きいと言わざるをえないでしょう。

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タグ:司法
posted by かがみ at 01:25 | 法律関係

2013年01月20日

奈良県って児童ポルノ単純所持が規制されているんですね

AKB・河西智美の不適切写真で、警視庁が講談社幹部を聴取…児童ポルノ禁止法に抵触か(痛いニュース(ノ∀`) )

今回の騒動で初めて知りましたが、奈良県は児童ポルノの単純所持に対して条例で罰則を課しているんですね。件のグラビアの妥当性はさておき、条例制定権の限界という観点から見るとなかなか興味深い事案です。地方自治法14条1項によれば地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて、自治体事務に関する条例を制定することができる。では「法令に違反しない限り」とはどういう場合か。徳島県公安条例事件判決によれば「条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない」という。

そして具体的類型として「ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうる」と言っています。

これを児童ポルノ規制法につき考えるに、単純所持に関しては対象範囲が不明確で捜査権の乱用の危険性を懸念する意見が出たりして規制が見送られた経緯があり、要するに国レベルでは慎重な立法判断を行っているわけです。そうであれば当該規制は上記判例が言うところである「規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨」に少なくとも現時点では当てはまる可能性は高いかと思われます。

もとより児童虐待など万死に値するのは当然ですし本件グラビアが児童ポルノ規制法そのものに反するかは色々議論があるところでしょう。ただ、いち購入者を直接処罰する単純所持に対する対応が住んでる都道府県によって異なるっていうのはどうなのよ?という部分はあるでしょうね。

参考:奈良県:子どもを犯罪の被害から守る条例

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タグ:法律
posted by かがみ at 03:11 | 法律関係

2012年12月29日

生活保護の問題を語るとき人は何故リバタリアンになるのか

気がついたら年の瀬ですね。今月はあんまり更新できなかったのが残念です。

さてこのたび衆院総選挙があり周知の通りの結果となりましたが、いずれにせよこういうご時世。とにかく経済政策はしっかりとやって頂きたい。ただ、持続的な経済成長を可能とするためには誰もが安心できる社会保障制度が不可欠の前提だと思います。

【速報】ついに大臣が正式に生活保護引き下げを表明でナマポ死亡wwwwww(2chエクサワロス)

そりゃあね。確かに厚顔無恥というか、けしからん受給者も相当程度いるでしょうけど。だからといって生活保護全体の給付水準をさげるというのはさすがに論理の飛躍があると思いますよ。生活保護というのは別に国が慈善事業でやって言うわけじゃあないですから。あれは治安維持対策でもあり経済政策でもあるんです。ケインズ経済学風の表現で言うと消費性向上昇に伴い乗数効果が拡大することになるわけです。これ以上は堕ちないって言う最低限のラインが確保されているからこそ、人は思い切って金を使えるんですよ。

だから何故この問題になると皆が皆リバタリアンになるのか不思議でしょうがない。ナマポの連中が奈落に堕ちたからといって我が暮らしが良くなるわけでもなかろうに。得られるのは、自分は最底辺ではないという陳腐で相対的な自己満足だけでしょう。生活保護の問題は雇用問題と紙一重の部分がある。多くの問題の本質はワーキングプア層の待遇の改善であり、生活保護を切り下げるというのはワープア層の溜飲を下げるだけのごまかしでしかない。要するに明日は我が身ですよ。みんな不幸になれば幸せな社会というのは一体なんなんだろうか、と最近の生保叩きをみるたびに思わざるを得ない。

確かに自由な社会である以上ある程度の格差が生じるのは仕方のないことです。ただ格差の固定化は社会から活力を奪ってしまう。教育の問題もそうなんですが、莫大な情報量とネガティブな空気が蔓延するこの時代だからこそ、必要なのは誰もが未来に希望の持てる社会システムの構築が不可欠だと思います。

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タグ:法律 福祉 格差
posted by かがみ at 00:04 | 法律関係

2012年12月09日

天賦人権論というセキュリティシステム

天賦人権論のアレが随所で問題になっていますのでとりあえず雑感のみ。

選挙前に人権意識が問題になるなんて(novtan別館)

「権利は義務を伴う」。この言葉自体を道徳律として否定する気はもちろん毛頭ないです。生き方としてそれはそれで美しい。けれども、その思想をいやしくも近代憲法典に取り込むのは本末転倒としか言いようがないでしょう。道徳の話と法律論はどこまでも峻別して考えるべきです。

天賦人権論は真っ当な法思想であって別に宗教でもキャッチフレーズでも何でもないよ。権力抑制装置としての憲法典を別の側面から言い換えただけです。そもそも近代憲法というのは基本的に民主主義というものを信用していない。NSDAPがワイマール憲法下において民主的な手続きによって成立してしまった歴史を考えればそれはよくわかるはずです。大衆の喝采程アテにならないものはないということです。

だから、近代憲法はそういう民主主義の暴走を見越した上で二重三重の防護策を講じている。基本的人権の保障にしろ違憲立法審査権にしても、多数決では救われぬものに救いの手をという弱者救済思想であると同時に、瞬間風速的な「民意」の熱狂によって国家百年の大局を見誤らない為のセキュリティシステムとして憲法典に内包されているわけです。「リベラルでない民主制は、民主制の否定であり、多かれ少なかれ独裁的性格を帯びる。民主制は人権の保障を本質とする。」という宮沢俊義の言葉はいまでも至言でしょう。一元的内在制約説が説く通り、人権を制約できるのは他人の人権だけであり、そこであえて義務を言うのであれば他人の人権を侵さない義務があるだけです。公共の福祉というのはそういうことなんです。幾多の艱難辛苦の結果、生み出された統治機構のバランスを無下に否定すべきではないと思います。

政治家でも官僚でも財界人でも何でもない普通の人がああいう勇ましい言説をネット上で支持するという現象も閉塞した時代だからこそなのかもしれない。けれどもそこから得られる物が何かあるとすれば、ただただ自分はシステムの側にたっているなどという気持ちの良い錯覚だけしかないですよ。

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タグ:法律 憲法
posted by かがみ at 02:34 | 法律関係