【参考リンク】

現代思想の諸論点

精神病理学の諸論点

現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2013年07月25日

岩波書店が六法全書の刊行を終了

岩波書店、六法全書の刊行終了 ネットの普及や需要低迷で - 47NEWS(よんななニュース)

法律の条文なんていまやググレカスの最たるものだからね。時代の必然です。むしろ遅すぎるくらい。

もっとも六法全書といえば有斐閣の方が有名ですが、いずれにせよ六法全書なる書物は長らく法律学の権威の象徴として世間に君臨してきた。法律学っていうのは割と権威に寄りかかった学問なんですよ。ある論点につき、判例・通説・有力説・少数説があるとする。では「有力説」とは何かというと有力な学者が支持している説とかだったりする。では「有力な学者」とは何かというと「有力説を唱えている人」などというトートロジーが平気でまかり通るステキな世界なんですよあそこは。だから司法権の世間的権威の源泉にしたって、突き詰めていけば、法律家は苦節何年の旧司法試験を突破した人という「美談」にあったりする。そういうある意味馬鹿馬鹿しい浪花節が三権分立システムの後景には確実にあった。

元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 「増員」に寄りかかる需要増の幻想

大学生(とくに法学部生)は、激怒していいと思う。|福岡の家電弁護士 なにわ電気商会

それが果たして理論的に良いのかどうかは一つの論点なんでしょうけど、少なくとも言えるのはロースクールはそれに匹敵する物語を残念ながら作れなかったということです。それは長い目でいえば司法権の権威の低下を招き、三権分立のバランスを崩すという統治機構上の由々しき問題を孕むことになる。その観点からいえば「点による選抜」か「プロセス教育」か、などという二項対立というのは畢竟、枝葉の議論ということです。供給が増やせば需要も勝手に増えるとか一体どこの古典派経済学なんでしょうか。


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タグ:法律 司法
posted by かがみ at 01:49 | 法律関係

2013年05月17日

生活保護法改正問題。一歩踏み外せば奈落に堕ちる社会でイノベーションなど起きるのか。

現行生活保護法は申請保護の原則をとります。本人や親族の申請があって初めて保護手続きが開始するということです。保護の要否決定は「申請のあつた日」から原則14日以内になされることになるが、一旦保護開始の決定が出たら、各種扶助は申請日にさかのぼって適用されます。要するに、申請がいつあったかというのは生活保護法上重要なポイントになるわけです。

「まず書類持って来い」 生活保護申請、コペルニクス的転換(田中龍作ジャーナル)

生活保護申請はこれまで不要式行為とされ本人や支援者が口頭で可能でしたが、改正法案によれば、申請に当たり、「本人の資産」「かつて勤めていた職場の給与明細」「家賃の支払い」など必要書類を揃えて提出を要求され、更に、審査過程において保護申請者本人のみならず親族など扶養義務者の資産まで行政が調査できるようになっているらしい。

従来も所謂123号通知に端を発した「水際作戦」が多くの自治体で展開され、訪れた相談者を役所があの手この手で申請にいたらせない文字通りの「相談」のレベルで追い返してしまうというケースも見られた。札幌市の姉妹孤独死を始めとする惨劇はその帰結と言わざるを得ないでしょう。もとより「水際作戦」の多くの事例は生活保護法上からすれば申請権の侵害と断じ去る他ならなかったわけだが、こういった行政レベルの運用を法律レベルで正当化し更に強化しようとするのが今回の改正の趣旨ということになります。

生活保護法・改悪問題について知っていますか?(ihayato.書店)

プロテスタンティズムの倫理もノブレスオブリージュもそういう思想的基盤が一切何もない日本において再配分というのはもう制度的にやるしかないわけでして、日本国憲法25条で謳われる生存権については一昔前までは国家的努力目標であるというプログラム規定説もあるにはあったが、現在では少なくとも生存権は憲法上抽象的に認められた国民の権利だと解される。そうであれば、申請手続きの本質は抽象的権利の具体化の為の確認行為ということになります。従って、その手続きを厳格化する本件改正案は生存権へのアクセスを遠ざけるという点から憲法上の観点からも問題があると言わざるを得ない。生活保護受給者は現在進行形で右肩上がりに増えており、今回の改正案の趣旨はそういった点を踏まえてのものなんでしょうが、その前になぜ右肩上がりなのかという原因について考えるべきでしょう。順序が完全に逆だと言うとことです。

沿革的には共産圏に対する毒まんじゅうとして憲法典の中に放り込まれた社会権条項ですが、グローバルな要素価格均等化の濁流の中にあってはまた別の意義を持ち始めている。成長戦略とか言っているけど、リスクを取りにいって欲しければ「これ以上は堕ちない」というデッドラインの提示は不可欠です。そうでなければただでさえ普通の幸せが得難いこの時代、優秀な人はみんな公務員を目指すでしょう。現実とアニメをごっちゃにしてはいけないと言いますが、今やろうとしていることは文字通り普通の人にエレンのようになれと言っているようなものです。外に巨人がうようよいるのに世界が見たいからなどと調査兵団を目指し立体機動に命を預けるのは所詮蛮勇の特権であって、合理的思考を有する大多数一般人であれば憲兵兵団を手堅く目指すのが正常な態度です。安寧を投げ捨て一歩間違えれば奈落へ堕ちる綱渡りに身を投じる有為な人材など基本的にはいない、という想定を持って制度は設計するべきです。

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posted by かがみ at 01:03 | 法律関係

2013年05月14日

「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」への転換が意味するもの

【維新】橋下共同代表「自民の憲法案は危険だ、怖い」(保守速報)

この感覚は曲がりなりにも法律家であれば当然でしょう。あれはフォーマットこそ現行憲法を前提にしているものの拠って立つ思想的基盤は全く異質。それは現行憲法の「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」に書き換えた点に端的に表れています。

「公共の福祉」とは何か(Die Zeit des Rechts)

「公共の福祉」の定義は現行憲法制定初期こそ百家争鳴の感があったものの、やがて「人権の矛盾衝突を調整する実質的公平の原理」という一元的内在制約説へと理解はほぼ収斂した。内在制約とはこれまた難解な言い回しですが、要は人権を制約できるのは人権自身であるということでして、国家が人権制約をなし得る根拠を「それが他人の人権を害する(した)場合」という他害原理に求めるものです。

これは天賦人権説および社会契約説という近代憲法理論を現行憲法典の条文解釈の平面上に投影した定義です。すなわち人権とは人が生まれながら享有する前国家的な権利であり、憲法典とは互いに人権を保全する為の相互協定的な社会契約である。かかる社会契約の産物である国家とは法理論的にはどこまでも社会契約の目的を達成する為の人権保全機関にすぎない。だから「何となくけしからんから」とかそういうよく分からない理由で人権を外在的に制約することを憲法は認めていない。そういう理解が「公共の福祉」という文言の背景にはあります。

改憲試案はかかる意味を持つ「公共の福祉」という文言を片っ端から「公益及び公の秩序」という文言に書き換えているわけですから、そこには「公共の福祉の背後にある近代憲法的なもの」を積極的に否定する意図があると勘ぐられても仕方がないということです。

【参考】

改憲案の「新しさ」 (内田樹の研究室)

政治家も国民も信用できないから憲法がある(Life is beautiful)

憲法改正権の正体(かぐらかのん)


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タグ:憲法
posted by かがみ at 05:55 | 法律関係

2013年05月06日

憲法改正権の正体

【憲法記念日】他国は柔軟に改正 日本国憲法は「世界最古」に(MSN産経ニュース)

今年の憲法記念日は例年にまして憲法改正が話題となっていました。そこでふとした疑問が出てきたんですが、憲法改正規定に則れば「いかなる改正」も可能なんでしょうかね?

そもそも憲法を改正する権限、すなわち憲法改正権とは一体何なんでしょうか。かつて憲法を制定した権力である始原的憲法制定権力(制憲権)により産み出された権限なのか。それとも制憲権そのものなのか。

この点憲法改正権を制憲権から産み出された権限と考えれば、憲法改正権はどこまでも制憲権の枠組みを外れることは出来ず、憲法典の基本原理を損なう改正は不可能とされる。他方で憲法改正権を制憲権そのものだと解すれば、一見いかなる改正も可能のように見えますが、現行憲法が超国家的に存在するいわゆる天賦人権を文書化した社会契約であるとする通説的な立場からは、いかに憲法制定権力といえども全能とは言えずやはり改正には一定の限界があると理解されています。

なので例えばの話ですけど、人権の制約原理を内在的制約に限るとする「公共の福祉」から外在的制約も広く可能とする「公益及び公の秩序」に転換するような改正が果たして憲法改正の限界に抵触しないのかどうなのか。そういった疑問が理論上なくはないということです。

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posted by かがみ at 00:19 | 法律関係

2013年03月13日

生活保護法とロールズ的正義

ナマポとパチンコ〜国民を攻撃すべきなのか、国家を攻撃すべきなのか〜 (異常な日々の異常な雑記)

小野市の生活保護受給者のパチンコ云々の件。生活保護の金をパチンコにつぎ込むことの是非はあるでしょうが、他方、生活保護の決定・実施というのは本来は国がやるべき法定受託事務なので、少なくとも、いち自治体が独自条例を作ってそういうところに手を突っ込むのは、条例制定権の限界論的な観点からいって果たしてどうなの?という部分ではあります。

最近、何かと風当たりの強い生活保護制度ですが、あれは別に慈善事業でやっているわけではないですからね。治安維持対策の側面があることは否定はできないし、消費性向の高い層に重点的にカネをばらまくのは乗数理論の基本でしょう。昔の憲法の学説なんかでは、資本主義経済である以上は憲法25条の社会権は法的には無意味なプログラム規定とかいう向きも有力ではありましたが、あれも所詮は高度経済成長と東西冷戦という時代背景の産物に過ぎず、むしろJ.Sロールズが論じたように、個人の価値そのものと社会的評価を切断する道徳的恣意性の議論を前提とすれば、所得の可及的な再分配は社会契約レベルの要請であり、健康で文化的な最低限度のラインを確保する生活保護法を底辺とした社会福祉法体系の存在は、持続的な資本主義体制を原理的に正当化する役割をもっているはずです。

それは確かにけしからん受給者はいるでしょうね。ただ、そういう輩を血眼になって捜すのが福祉制度の役割ではないはずです。たとえ99人のクズを見逃してしまったとしても、本当に必要な人が1人救われればそれでいいじゃないか、と思うのは違うんでしょうかね。

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タグ:法律 福祉 格差
posted by かがみ at 06:02 | 法律関係