2014年04月22日

Macの美点

Macユーザーを長年やってると、なぜお前はMacなのかと、よくMacを使うメリットなんか質問されるわけなんですが、林檎信者は、だが、それがいいの選民思想の世界で生きているから、なぜMacかと急に言われてもなかなか論理的に説明し辛いんですよね。

個人的なきっかけとしてはHideちゃんが使っていたからという超ミーハーな理由だったりするんですけど、昔は確かにMacintoshはWindowsよりも同時発声数とか発色数とかの点で優れていたからこそDTPやDTMはMacの独壇場だったんです。けどまあその辺今はWindowsと大差ないわけでして。あるいはIntelPentium何するものぞ、浮動小数点演算に優れたPowerPCこそ至高とかいう、そんな神学論争に明け暮れた時代もありましたが、その後のApple社の掌返しは周知の通り。

なのでMacの何処がいいか?と聞かれても本質的には何故ならばそれがMacだからと循環論法的に答える他にないのが現状のところ。それでもハード、アプリ、サービスの全てをAppleが制御している垂直統合の安心感はあるかな。思い返せばWin98の今は昔、次々とポップアップするわけのわからない警告ウインドウに辟易して「だからウインドウズか」なんて、しょうもないことを考えてまして。その点、Macはそういうめんどくさい「作業をするための作業」みたいなものがあんまり無くて、シンプルにやりたいことだけやれるという使い勝手の良さはあります。何十日も電源入れっぱなしでも平気な顔してるしね。あとはBDとPCゲームに対応してくれたら万々歳なんですが。

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posted by かがみ at 03:20 | 時評/日記

2014年03月30日

模範解答を丸呑みするという勉強法

最先端の学術論文からまとめブログに至るまで、とかくコピペは悪だという世情ですが、その論調が大学の定期試験まで飛び火している模様。

小保方晴子さん「コピペ論文」で揺れる早稲田大学 法学部に広がる「モカイ文化」とは

模範解答を丸呑みして定期試験に望むのは怪しからぬということらしい。けど、これはどうなんですかね?こんなの早稲田に限らず、どこの大学でも同じでしょう。最先端の学術論文と単なる試験論文を一緒にされても困る。司法試験ですら、論点毎に「論証例」なるものを事前に準備して、試験ではそれを組み合わせて答案を処理するというのが(ロースクール時代の今はどうか知らんが)主流の試験対策だった。昔の司法試験哀歌で「六法全書に『 故意』はあるけど『恋』はなし」という言葉がありますが、お勉強なんかよりも大事なことは山ほどあります。時間は有限です。そこに合理的な方法論が転がっていれば、それを使うのが普通の人間というもの。

それに予め出回った模範解答で対応できてしまうということは出題がワンパターン化してるってことでしょ?そんなに金太郎飴みたいな答案がお嫌なら、先生方は複雑な事例問題を自作して出題すればいい。こればかりはその場で知識を応用して自分の言葉で書くしかないんだから。それをしないのは単に面倒くさいだけだろうといわれても仕方がない。

要するに、早稲田の「モカイ文化」なるものは、教育する側の怠慢を別の言葉で言ってるだけです。そこを棚に上げて学生を非難するのは無理筋というものです。「自分の頭で考えろ」という言葉は、なるほど大正義ですが、それをアプリオリにドヤ顔で言い放つ人ほど得てして自分の頭で考えたことの無い人だったりするんですよ。本当に自分の頭で考え抜いた経験があればその限界も知っているはずですから。

それはそうと、その早稲田大学を悠木碧ちゃんがこの度無事卒業されたそうです。それなりに声優業をこなしつつきちんと4年で卒業したわけだから、立派なことです。

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タグ:教育
posted by かがみ at 04:07 | 時評/日記

2014年03月11日

奇跡も、魔法も、ないけれど

福島の子どもへ311個の折りバラ 山陽女子中

相対性理論の説くところによればエネルギーと質量は等価(E=mc2)であり、原子力発電というシステムは基本的にこの理論を核分裂反応に応用したものということになります。核分裂性物質ウラン235が中性子を吸収することで核分裂を起こし、核分裂生成物と中性子が発生する。この中性子を別のウラン235が吸収し、核分裂連鎖反応が起きる。その増倍係数kが1.0を超えた状態を超臨界といい、放射性物質の生成と引き換えに生じた僅かな質量差から莫大なエネルギーが産み出される。

言ってみれば、希望と絶望の相転移である。3年前の今日、福島第一原発がメルトダウンを起こし、多量の放射性物質と様々な社会的論点を撒き散らす一方で、同時進行的にまどかマギカという作品が深夜アニメとしては異例ともいえる絶大な支持を集めていたという現象はまさに時代の皮肉としか言いようがない。

原発少女めると☆ダウン 第9話

「まどか」の作中において変奏曲の如く繰り返し説かれたように、畢竟、希望とは条理への叛逆に他ならず、そこには反動としての歪みが生じそれは絶望となり跳ね返ってくる。だから何かを産み出すということは、その代償として別の何かを失うということなんです。そういう意味で、世界は差し引きゼロで成り立っているということなんでしょう。だけどね。それが仮に真理だとしてもやっぱり人として生まれた以上、我々はエントロピーに抗い続けていかなければならないんですよ。結果としてそれはムダな営為なのかもしれない。正義が勝つとは限らない、努力が報われるとは限らない、想いが届くとは限らない・・・何事もままならない世の中ですけど、結局、生きるという所業は、奇跡も魔法もない世の中で、それでもやっぱり奇跡も魔法もあるんだよと叫び続けて行くということ、なのかもしれません。

posted by かがみ at 06:05 | 時評/日記

2013年12月31日

アンチテーゼとしてのマルクス主義経済学

年の瀬にマルクスって言うのもなんですが。

現在のムダな不幸を思えば、マルクスは正しかったのかもしれない

最近、マルクスが読み直されているという話を良く耳にします。資本論は昔から周期的に読もうと思い立っては挫折するという繰り返しなんですけどね。以下は第一章「商品」の一節からの引用ですが、全く以って意味不明です。

「 相対的価値形式と等価形式は、ともに一体的に結合されており、互いに依存しており、切り離せない価値表現の核心なのである。がしかし、同時に、互いに排除しあう、極端に対立する同じ価値表現の両極なのである。この二つは、二つの異なった商品がその価値表現としての関係に置かれた時、それぞれ別々に当てはめられるのである。」

お前は一体何を言っているんだって感じです。最近、池上さんの資本論講義を読んでようやく概略だけは理解できたかなって感じです。

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もとよりマルクス主義経済学の本質は経済学の体裁をとった暴力革命の扇動理論であり、そこに共感できる点は微塵も無いんですが、資本主義社会の病巣を抉り出す鋭い考察過程については今なお参照に値するものは多い。フランスの2月革命を皮肉った「歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」や、「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。問題は世界を変革することである」と断じ去った『フォエルバッハにかんするテーゼ』はあまりにも有名。この辺りは普通に至言と言える。大学教授の道を断たれたルサンチマンから出発したマルクスの思想は、決してメインテーゼとはなり得ないだろうが、アンチテーゼとしての輝きは今なお色褪せていないでしょう。

ところでマルクスはものすごいノート魔だったらしいですね。本人が死んだ後にエンゲルスの手によって出版された資本論の第2部以降は膨大な草稿ノートがあったからこそ。もしEvernoteがあったらマルクスはどう使うんだろうか、とか思ってしまいます。

共産主義運動と資本論の構想に明け暮れて窮乏のうちに死んだマルクスですが、私生活では4つ年上の幼馴染と終生を添い遂げて、晩年まで3人の娘や孫から慕われてたみたいです。家族には恵まれていたんですよね。そこだけは少し羨ましいかな。

皆様、良いお年を。来年も宜しくお願いします。
タグ:経済 格差
posted by かがみ at 05:51 | 時評/日記

2013年12月22日

アスペルガー症候群がオキシトシン投与で改善

自閉症:ホルモン点鼻薬を投与で改善 東大臨床試験で効果 - 毎日新聞

主に陣痛促進剤として使われるオキシトシンを投与することでコミュニケーション障害が一時的な改善したとのこと。アスペルガー症候群は前頭葉の機能不全に起因すると言われているが、そこにオキシトシンがどう作用するか医学的な因果関係はよくわからないらしい。

ある特質が障害か個性かなんて時代性という偶然的な条件に規定される。アスペルガー症候群は現代特有の「障害」と言われる。知能指数が通常である点で従来型のカナー自閉症と明確に区別されるこの特質は、1944年にハンスアスペルガーにより発見されるが、当時は大戦中ということもあり、取り立てて世間的に注目を浴びるものでもなかった。ところが、重化学工業主体からサービス業主体への産業構造の転換、男女共同参画、価値観の多様化といった諸般の要素が高度コミュニケーション社会を重畳的に加速させた。心理学においてIQに対置される概念としてEQ(情動指数)という概念が一般化し、コミュニケーション能力に欠ける人間には社会不適合の烙印が容易くラベリングされる時代となった。

根本的な治療薬がないと言われるアスペルガー症候群ですが、対処療法的には西尾維新のライトノベル「少女不十分」に出てくる「不自由帳」のような発想もあるいは出てくるんでしょう。本作ヒロイン(?)である「U」は、予め定立された行為規範をロジカルに自己に適用するという点からアスペルガー的な特質が看取できる。彼女の父親は世間体を慮り、娘の特質を逆手に取り数十項目に及ぶ事細かな行動ルール集を作成することで「U」を制御する。結果、彼女は自由な感情と引き換えに「良い子」という立場をひとまずは手に入れるが、それは到底幸せな状態とはいえまい。この問題の本質は「薬がない」ではなく「居場所がない」というところにある気がします。

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タグ:医療 こころ
posted by かがみ at 04:02 | 時評/日記