「主体の発するParoleは、主体の知らない内に、Discourantの限界の向こう側に達しますーーー話す主体の諸限界の内部に留まっていることは確かですが(ジャック=ラカン「セミナールT・フロイトの技法論(下)」172頁)」
精神分析の目標はラカン風の表現で言えば「根源的幻想の横断による欲動の主体の顕現」であり、この境地へ至るため、臨床技法として自由連想と解釈投与という作業が行われるわけですが、そこで用いられる「言葉」という点に付き、ラカンはパロールとディスクールを明確に区別しています。
「話すこと(パロール)」は、「語ること(ディスクール)」よりも広い概念です。上に示すセミネールの引用はパロールによってディスクールの限界を超える瞬間があることを明らかにしたものです。
ディスクールとは極めて表層的な意識レベルでなされる言語活動です。これに対して、パロールとはより深層の意識レベルで行われます。パロールを繰り返すことで「無意識」が徐々に姿を表してくる。この時、多くの場合、胸が一杯になって涙が溢れたり、怒りが湧き起こるなどの情動的反応が起こることもあるでしょう。
このような経験を積み重ねることで「無意識」を徐々に意識レベルに再統合していく。これこそが「根源的幻想の横断」の過程に他ならないのです。イメージとしては、こころという深い湖の一番底(無意識層)にタッチして湖面(意識層)まで帰ってくるという往復運動を何回も繰り返すような感じと言えばいいのでしょうか。
このようなディスクールとパロールの違いを鮮明なまでに見事描き分けた好例として「響け!ユーフォニアム」という作品を取り上げてみたいと思います。TVシリーズ屈指の神回として名高い第2期10話の、久美子ちゃんが、母親の介入で全国大会出場を断念したあすか先輩を説得する場面です。
久美子ちゃんはあすか先輩に「コンクールに出てください」と、普段の彼女からは想像もできない高圧的な態度で迫ります。しかしながら、その主張の論拠として持ち出してくるのは所詮「みんな言ってます。あすか先輩が良いって・・・」とか、「低音パートの皆や、夏希先輩(註:あすかの代役)は絶対、あすか先輩に出てほしいって思ってます」などという、ラカン風に言えばまさに「他者の欲望」の枠から一歩も出ることのない言動ばかりです。
なるほど理性的ではありますが、同時に防衛的な態度とも言えるでしょう。これがまさにディスクールの典型です。
しかし、あすかが繰り出す論理的な反駁、そしてえげつのない精神攻撃の数々に、久美子ちゃんは逆に窮地に追い込まれて進退極まってしまう。しかしここから、久美子ちゃんの鼠猫を噛むかの如き、渾身の咆哮であすかを圧倒していきます。
だったら何だって言うんですか!?先輩は正しいです!部のこともコンクールのことも全部正しい!!
でもそんなのはどうでもいいんです!あすか先輩と本番に出たい・・・私が出たいんです!!
子供で何が悪いんです!?先輩こそなんで大人ぶるんですか!?全部わかってるみたいに振舞って!自分だけが特別だって思い込んで!!
先輩だって、ただの高校生なのに!そんなの、どこがベストなんですか!?
先輩、お父さんに演奏聴いて貰いたいんですよね・・・誰よりも全国行きたいんですよね・・・それをどうして無かったことにしちゃうんですか・・・ガマンして諦めれば丸く収まるなんて、そんなのただの自己満足です!!
悔しいです・・・待っているって言っているのに・・・諦めないで下さいよ・・・後悔するって解っている選択肢を、自分から選ばないで下さい・・・諦めるのは最後までいっぱい頑張ってからにして下さい!!
私は、あすか先輩に本番に立ってほしい!あのホールで先輩と一緒に吹きたい!!先輩のユーフォが聴きたいんです!!!
久美子役の黒沢ともよさんの鬼気迫る演技と、京都アニメーションの神掛かった演出によって産み出された映像は圧巻の一言に尽きます。もはや余計なコメントは一切不要でしょう。これがパロールです。ディスクールの限界を超えて「無意識の主体」が現れる瞬間を見事に描き切っている。
この場面は久美子ちゃんが初めて剥き出しの感情を露わにする処でもありますが、いままでの久美子ちゃんの失言キャラ付けの積み重なりが手伝って、唐突感が全然ないんですよねーーーフロイトはかの「精神分析入門」の一章をまるまる「錯誤行為(言い間違い)」に割いていたりもするんですがーーーよもやここまで計算していたとすれば見事と言うしかないでしょう。
まためんどくさい解釈を色々と書いてしまいましたが、本作「響け!ユーフォニアム」という作品自体、アニメーション史に残る名作と言い切って過不足無い、シナリオ、作画、美術、演出が極めて高い次元で統合された青春群像劇の傑作と言えるでしょう。もしかして、タイトルの「響け!」とはパロール、「ユーフォニアム」とは久美子ちゃん自身のことなんでしょうか・・・?そういう風に考えてみると、精神分析的にはなかなか面白いものがあります。
「根源的幻想を横断した主体は、欲動をどのように生きることができるのでしょうか?これは分析の彼岸であり、これまでだれも取り組んだことがなかったことです(ジャック=ラカン「セミナールTX・精神分析の四基本概念」368頁)」
それはもちろんーーーーそして、次の曲が始まるのです\(^o^)/
TVアニメ『響け!ユーフォニアム2』オリジナルサウンドトラック「おんがくエンドレス」
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