2016年05月24日

アイドルという供給過剰なブラック産業

痛いニュース(ノ∀`) : アイドルがファンに20カ所刺され重体 - ライブドアブログ

なんとも凄惨な事件で、被害に遭われた方には本当にただただお気の毒としか言いようがありませんが・・・

今更こんなところで一般論的な何かを言うのもなんですけど、誤解を恐れずに言えば、今の時代、人並みの容姿の女の子であれば、(食っていけるかどうかは別として)わりと簡単にアイドル(みたいなもの)になれてしまう。これはいわば規制緩和による供給過剰ともいうべき事象でしょう。もともとニッチな業界でメジャー、インディー入り乱れてのパイの仁義なき奪い合いが行なわれた結果、産業構造が加速的にブラック化しているわけでして、この過当競争に生き残るためには、多かれ少なかれ「ファンとの距離の近さ」っていう関係性自体を商品とせざるを得ない。そこに生じる「私は商品として『親しい関係』という幻想を貴方に売りましたけど、売り手の私自身は別に貴方と『親しい関係』になるつもりなんか微塵もありません」という矛盾に満ちた定式に、アイドル、ファンの当事者のどれだけが自覚的かというといささか覚束のない状況のように思えます。

被害に遭われた方はどうやらアイドルというよりもシンガーソングライター的な方向性でやられていたようなので、上記のような定式がそのまま当てはまるわけではないでしょうけど、そもそも論として表現活動全般に大なり小なりこういったリスクが伴うということも事実なんでしょう。一日も早いご回復を祈念しています。


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タグ:社会
posted by かがみ at 01:42 | 文化論

2016年05月20日

音楽という箱入り娘

痛いニュース(ノ∀`) : 「なんで全部無料で聴けないの??」…LINEミュージックのレビューが酷すぎると話題に - ライブドアブログ

なんかLINEミュージックのレビューが酷いとかで。記事中で取り上げられたレビューを見るに「なんでチケット購入しないと聴けんの? 視聴者目線で考えて欲しい」「なぜ30秒しかきけないの? fullだとなんか問題でもあるの?」「急に30秒しか聞けなくなるよ!お金入れないとダメなんて…ラインの人チケットとかやめて全部無料にしてくれよ!」「30日間だけ無料ってのが気に入らない。その半端な数字をやめて、LINEなら、LINEらしく、ずっと無料でいいんじゃないの?? いきなり、1曲に30秒くらいしか聴けなくなったから、アンストしました。」等々。

なかなか理解し難い所ではありますが、けどそう思ってしまうのは我々がCDバブル世代なだけの話でして、むしろこういう反応っていうのは多分、民度とか底辺の問題というよりも、今のデジタルネイティヴ世代のごく普通の感覚なんじゃないでしょうか。

嫌なら聴くなという態度も一つの選択肢ですけど、このままじゃ音楽ビジネスは確実に袋小路に行きあたると思うんですよ。ドラマやアニメも大抵のものは放映後一週間は無料配信されるご時世ですよ?ひとり音楽だけ特別という理由は残念ながら見出し難い。

なので彼らの感覚を嘆いたり嘲笑したりするよりも、そこは割り切って新しいビジネスモデルを模索していくことも大事じゃないでしょうか。例えば無料はフルバージョンだけど冒頭に15秒広告が入って有料で広告解除とか。音楽を「情報」として聞く人達はそのあたりで妥協するんじゃないかという気がします。

著作権の保護と、単純に聴かせないというのはまた違ます。どんな美少女だろうと、箱入り娘のように世俗の手の届かない所に閉じこめているのでは、結局は誰からも見初められず、行き遅れて朽ち果てるという悲劇が待っているわけです。

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タグ:音楽
posted by かがみ at 00:42 | 文化論

2016年01月19日

2分アニメという隙間産業

今期見ている数少ない作品の一つに『大家さんは思春期』というネット配信のみのアニメがありますが、今期放映作品をざっと見渡しても、ごちうさ難民の受け皿になりそうなのは多分この作品しかないという印象です。

いくら時短系が流行りとはいえ放映時間2分というのはなかなか凄いですが、それはそれでむしろパンクロックのような潔さのようなものが感じられます。正直、いくらなんでも日常系で23分もだらだらやられるのは普通にちょっと辛いという部分もあるので、いろんなメディアによる可処分時間の奪い合いがますます加速していっている昨今における方法論としては正しい。何かの作業の合間にサクッと観れる隙間産業的な良さがあります。

Wikipediaには「就職を機に6畳風呂なしのアパートで一人暮らしを始めた前田さんと、そのアパートの大家さんとの日常を描くピュアほっこり(ハートマーク)な半同居コメディ」という割と誤解を招きそうな紹介がされていました。ちなみにその大家さん、里中チエちゃんのWikipediaにおける紹介文字数は1497文字ですが、これは作品の現状におけるポジションから言えば異例の記述量のような気がします。参考までにごちうさのチノちゃんは1164文字で、ひだまりスケッチのゆのちゃんは1060文字です(2016年1月19日時点)。どなたか熱心なストーカー・・・いや、ファンの方が既にいらっしゃるんでしょうね。

TVアニメ「大家さんは思春期!」オフィシャルサイト 2016年1月放送開始!

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タグ:アニメ
posted by かがみ at 23:40 | 文化論

2015年10月06日

Charlotteは2クールでやれば大傑作になっていたと思う。

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Charlotte惜しかったなあ。本当に本当に、惜しいという感じです。この作品、大筋は決して悪くないどころか、美味しい要素を沢山詰め込んでいる。世界観設定は「とある」とシリーズとかと若干かぶるものの、それ自体は決して悪くないし、奈緒ちゃんもユサミサもいい意味でKey的なヒロインの伝統的可愛らしさをきちんと引き継いでいる。

しかしやはり、何とも尺がね・・・足りてなさすぎ。1クールにあまりにも色々な展開を詰め込みすぎてる。物語には「間」というものが必要だから。静があってこそ動が活きるし、葛藤を経てこそ決意は気高く見えるわけですが、本作は展開が早すぎて、感動する前に問題が解決されてしまって、結果、物語はバタバタとした喜劇的な様相すら呈する。麻枝さんがやりたいことは理解できるんだけど、尺の限界というかエロゲレベルの莫大な情報量を原作なしで1クールに詰め込みすぎたため、物語の奥行きとかキャラの心的描写を十分に描き切れておらず、全体的に雑な展開というか何だか軽く見えて非常に残念でした。

あとね、やはりハロハロとZHIENDとは何だったのか、と言いたくなってしまう。バンドを絡ませる展開自体は悪くないというかむしろ個人的には大好物なんですが、その存在感がガルデモの時以上にまるで物語の中で活かされておらず、個々の楽曲自体は実に佳曲揃いだけにこれまた残念。サラのボーカルがループのトリガーになったのはいいがその後何のフォローもなく唐突感だけが残った。 これもまた尺の問題に還元されてしまうわけですが。

けど、ラストは本当に文句なく名シーンでした。AB!が後に引く含みを残した何とも言えないマイナーセブンス的な終わり方であったのに対して、こっちはシンプルな言葉と笑顔。メジャーコードでジャン!って叩き斬る清々しさがあった。最後は綺麗にまとまったかなっていう。こんな考察とか一切ない全体の印象だけを述べた月並な所感で恐縮ですが、この作品、2クールでやればまごう事なき大傑作だったと思います。ええですから、アルバムは買いますよ。

内田真礼による「Charlotte」ハロハロのアルバムの全曲解説動画 :おた☆スケ【声優情報サイト】

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タグ:音楽 アニメ
posted by かがみ at 23:49 | 文化論

2015年05月29日

衛宮士郎の正義の味方への希求はメサイヤコンプレックス

衛宮士郎の正義の味方への希求はもはや強迫観念めいたものを感じるわけですが、精神分析的にこれはメサイヤコンプレックスというべきものでしょう。ユングによればコンプレックスとは無意識下に沈み込む感情に色付けられた心的複合体と定義される自我の統合性を脅かす存在であり、自我はその安定を保つため様々な防衛機制を作動させるわけです。ノイローゼやヒステリーもある意味で自我防衛であり、失敗した防衛機制といわれます。

衛宮士郎のケースは代償行為という防衛機制で説明できる。10年前の第4次聖杯戦争時の冬木大火災で衛宮士郎は「皆死んでしまったのに自分だけが」衛宮切嗣に「救われてしまった」。その経験は無意識層に抑圧されコンプレックスと化したことは想像に難くない。そこで「自分は自分以外の全てを救う正義の味方になる、ならなければならない」という信念を形成することで自我の安定を図った。救われてしまった代償を救うことで払うわけです。メサイヤコンプレックスは医療関係者や宗教家に多いとされますが、昏い歪な過程を経由しているだけに、その精神的基盤は思ったより脆いといわれます。結局は何かの躓きが契機となり、これまた防衛機制の作動により転じて正反対のニヒリストになってしまうことも少なくはない。まさにいまのアーチャーがそうであり、あの「理想に溺れて溺死しろ」という言葉は、メサイヤコンプレックスの成れの果ていうことなんでしょうか。


posted by かがみ at 03:00 | 文化論