2013年10月29日

希望と絶望を止揚する第三原理としての愛〜『まどかマギカ叛逆の物語』感想

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強烈なまでに目眩がした。華やかな前半、感動の中盤、そして狂気のどんでん返し。銀幕に狂い咲く果てしなき百合の花々の繚乱に我々観客はただただ呆然と戦慄する他は無かった。

結果として「叛逆の物語」というタイトルには三重の意味があったわけです。叛逆のQB、叛逆のほむら、そして叛逆の虚淵玄。まどかが予想以上に売れ、世間的に何か尊い自己犠牲を描いた物語と受け取られていることに対し、強烈なアンチテーゼを込めて放った回答が銀幕に燦然と映し出されていた。

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希望か、絶望か、という二項対立的な問題提起を立てておきながら、蓋を開けて出てきた答えは、狂おしいほどの愛でしたという実に鮮やかなミスリードは美事とするほかは無い。ただ、よくよく考えればこれは必然的な帰結であるようにも思える。この世界では、希望と絶望は差し引きゼロであり、その基本構造は円環の理の許でも変わらない。しかしながらその唯一の例外が暁美ほむらその人であった。円環の理が最愛の人であることを知っている彼女の場合、ソウルジェムが絶望に澱むことは、まどかとの再会が近くなるという「希望」であり、その産み出された希望がソウルジェムを澄み切らせていくことはまどかとの再会が遠ざかる「絶望」以外の何者でもない。いわばほむらのソウルジェムは希望と絶望が常に最高密度でスパークした状態にあったと想像される。かかる相克を止揚すべく生成された第三原理を静的かつ詩的に称するのであれば、それは他ならぬ「愛」ということになる。愛こそが、円環システムに内在する最大のセキュリティホールだったという話です。

けれども我々は決してほむらを責められない。ほむらの行動はある意味、どこまでも人間的です。歴史を振り返れば、或る人は情欲に溺れる方がよほど人間としてリアルだと断じ去り、また或る人は恋愛感情など精神病の一種と嘯いた。情愛の念なんてその内実を他人が客観的に見ればそれはどこまでも罪深く気持ち悪いものでしかないですよ。

その意味において、神々しいまでに美しく終劇した前作にあえて「それでいいのか」という一石を自ら投じ、それを作品のテーマまで昇華させた今作はスタンドアローンの作品として言えば紛うことなき大傑作である事は疑いない。

けれども悲しいかな世間は名作の条件として普遍的な寓話性を期待する。この作品は後の世まで万人に観て貰いたいと願う者としては、この作品がこのまま絶望でも希望でもない欲望の物語として幕を閉じてもらうのはそれもまた困る。果てしなく困難な仕事になるであろう事は承知の上でそれでも敢えて続編の制作を強く祈念する次第ではあります。

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posted by かがみ at 03:46 | 文化論