2013年08月21日

「はだしのゲン」の閉架措置における法的観点

「はだしのゲン」の閉架措置 「子どもの知る権利の侵害だ」 全国集会で批判相次ぐ

知る権利などと言ってしまうと何だかうさんくさいキャッチコピーのように聞こえますが、憲法21条の表現の自由が包摂する憲法上の法的権利です。だからその侵害行為は普通に違憲訴訟の対象となるわけです。

もともと絶対王政批判の歴史から始まった表現の自由の原始形態は「政治的意見表明の自由」という限局されたものだったが、莫大な情報量が流通する現代社会においてその実質は総合的な情報流通権へと変容した。その変容過程で出てきたのが知る権利。

なので、知る権利に対する規制は、表現の自由一般同様、厳格な違憲審査基準が妥当する。ナチスドイツが当時最も民主的とされたワイマール憲法下で出てきたことを考えれば明らかなように、表現行為が規制された社会で民主主義のシステムは正常に作動しない。表現の自由というのは一旦規制されれば民主制の過程でそれを回復するのが困難なため司法権が積極的に介入していかなければならない。いわゆる二重の基準論というやつです。従ってその規制の違憲審査基準に付いては、アメリカの判例理論を引いてCPDの基準(明白かつ現在の危険の法理)やLRAの基準(より制限的でない他の選びうる手段の法理)などといった厳格な違憲審査基準が妥当するとされている。本件閉架処分は図書館という「場所」に対する規制であることからLRAの基準が馴染むと考えられる。そして公共施設たる図書館において閲覧制限および貸出を禁ずる閉架措置というのは、一般論としては、より制限的でない他の選びうる手段が他に無いとはいえまい。

・・・と、まあ別にこういう類いの論点はいまさら議論する程新しいものではないんですけどね。10年前の司法試験で似たような事案が普通に出題されてたりします。

法務省:平成14年度司法試験第二次試験論文式試験問題

もちろん本件の特質として「小中学校の図書館」という環境というものがあります。6歳と15歳はえらい違いだし、繊細な子だっているでしょう。そこのフォローが全く不要とは思わない。ただね。それでも閉架措置っていうのは無いと思うんですよ。考えとして安易すぎる。少なくとも憲法学の立場からいうと、パターナリズムなんてものが許されるのは判断能力が未熟な発達過程における自己加害の危険が明白な場合のみです。本件は果たしてそうなんですか?この漫画はそういう作品なんですか?

「はだしのゲン」閲覧制限は正義か?〜最近の保守派の一部はどうも度量が狭くなってきた - 木走日記

「はだしのゲン」を学校に置くべき理由(Hayato Ikeda) - BLOGOS(ブロゴス)

教育委員会もモンペがめんどくさかったんでしょうけど、「偏向の無い思想」なんて無いですからね。価値観というものは清濁併せ呑んで身に付いていくものです。すべからく世界は綺麗なものだけでできていると信じて育ってしまえばそれはもう悲劇でしかない。その先に待ってるのは絶望と希望の相転移の末路でしょう。いくら憲法をひっくり返しても「自分が見せたくないものを子どもにみせない権利」なんて出てこない。そんなの単なるエゴイズムか責任放棄のどっちかですよ。

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posted by かがみ at 02:19 | 時評/日記