これはまあ、やることに意義があるというか、訴訟としては残念ながら無理筋でしょう。この手のリーディングケースである朝日訴訟以来、憲法25条の謳う生存権は抽象的権利の域を脱しておらず、「健康で文化的な最低限度の生活」は政策判断を含む多義的な概念であるというのが今に至る判例の流れなので、真っ向からがっつり憲法訴訟をやるとなると現状どうしても分が悪いと言わざるを得ない。
申請の様式行為化や不正受給の厳罰化などを盛り込んだ生活保護改正案は、政局の妙な流れのドサクサで廃案になりましたが、保護費切り下げは行政レベルの政策課題なので予定通り粛々と行われるわけです。インタゲやるよとか言いながら、生保はこれからだんだん下げますよというのが何とも意味不明です。
「生活保護は恥」というケチ臭い価値観が、「見えない貧困」を生み出す - ihayato.書店
ネット上で多数の「正義の味方」がナマポ叩きに熱狂するという絵図はもはや常軌を逸している感があるが、福祉制度というのは裏面として治安維持対策を持っていますからね。国家の治安維持というのは、社会契約としての公共の福祉を維持する為の政府の最低限の任務であることはいうまでもない。その際たるは刑法の執行ですが、刑務所に放り込めるのは犯罪が起きた後ですよ。司法権というのは事件があった後にしか発動しない。けど何かあってからじゃ遅いだろ。福祉や教育といった制度は犯罪が起きにくい社会を作るという意味では真っ当な治安維持対策。表層的な正義を語る前に、その辺りをもっと考えるべきなんでしょうけどね。
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