2013年06月23日

子は親を選べないという道徳的恣意

日本を救う方法を考えたので、みんなの力と知恵を貸してほしい(異常な日々の異常な雑記)

相互リンクして頂いている煎茶さんのブログより。熱いタイトルですね。各論ではなかなかアクロバティックなことも仰ってますが、後景にある思考は至極全うなものだと思います。

有効需要の原理を説いたケインズ経済学の基本は乗数理論にあります。つまり財政政策の経済効果は無限等比級数の和である以上、当然、公比に代入すべき限界消費性向が高いところに金をばらまかないといけない。ところが昭和30年代ならいざ知らず、現代日本においてこの限界消費性向の見極めというのは非常に難しい。そこへいくと子どもはいっさい何も持たずに生まれてくるという点では非常に明快な存在ですね。なので煎茶さんは子育てにおける消費性向の高さというマクロ経済の観点から少子化対策を論じているということなんでしょう。

プロテスタンティズムの倫理も何もない我が国の資本主義経済体制において、再配分というのはもう制度的にやるしかないわけです。その意味で社会主義という思想は対抗原理として良くも悪くも一定の意味は持ち得えましたが、ソ連の消滅でそれももはや歴史の徒花となった。いまや要素価格均等化が進むグローバル経済においてトリクルダウンなどを期待するのは広大な砂漠のただ中で雨乞いするようなものです。

残念ながら世界は公平にはできていない。ロールズは個人の社会的評価を出自、才能、あるいは努力(!)といった恣意的に分配された先行要因に規定されるという道徳的恣意性の議論を前提として「最も不利な状況にある人々の利益の最大化のための社会経済的不平等が正当化される」という格差原理を導いた。こういういわば「運も実力のうち」ではなく「実力も運のうち」と断じ去るようなロールズの議論をラディカルに感じる向きもあるかもしれませんが、少なくとも子どもたちは生まれてくる家庭を選べませんからね。人の親であれば我が子の希望は可能な限りかなえてあげたいと思うでしょう。しかしながら現状そのハードルはどんどん上がってきているといわざるを得ない。スーパーマンかロックスターにならなきゃ子育てもまともにできない社会なんてのはどう考えても異常ですよ。


posted by かがみ at 07:54 | 時評/日記