2012年12月29日

生活保護の問題を語るとき人は何故リバタリアンになるのか

気がついたら年の瀬ですね。今月はあんまり更新できなかったのが残念です。

さてこのたび衆院総選挙があり周知の通りの結果となりましたが、いずれにせよこういうご時世。とにかく経済政策はしっかりとやって頂きたい。ただ、持続的な経済成長を可能とするためには誰もが安心できる社会保障制度が不可欠の前提だと思います。

【速報】ついに大臣が正式に生活保護引き下げを表明でナマポ死亡wwwwww(2chエクサワロス)

そりゃあね。確かに厚顔無恥というか、けしからん受給者も相当程度いるでしょうけど。だからといって生活保護全体の給付水準をさげるというのはさすがに論理の飛躍があると思いますよ。生活保護というのは別に国が慈善事業でやって言うわけじゃあないですから。あれは治安維持対策でもあり経済政策でもあるんです。ケインズ経済学風の表現で言うと消費性向上昇に伴い乗数効果が拡大することになるわけです。これ以上は堕ちないって言う最低限のラインが確保されているからこそ、人は思い切って金を使えるんですよ。

だから何故この問題になると皆が皆リバタリアンになるのか不思議でしょうがない。ナマポの連中が奈落に堕ちたからといって我が暮らしが良くなるわけでもなかろうに。得られるのは、自分は最底辺ではないという陳腐で相対的な自己満足だけでしょう。生活保護の問題は雇用問題と紙一重の部分がある。多くの問題の本質はワーキングプア層の待遇の改善であり、生活保護を切り下げるというのはワープア層の溜飲を下げるだけのごまかしでしかない。要するに明日は我が身ですよ。みんな不幸になれば幸せな社会というのは一体なんなんだろうか、と最近の生保叩きをみるたびに思わざるを得ない。

確かに自由な社会である以上ある程度の格差が生じるのは仕方のないことです。ただ格差の固定化は社会から活力を奪ってしまう。教育の問題もそうなんですが、莫大な情報量とネガティブな空気が蔓延するこの時代だからこそ、必要なのは誰もが未来に希望の持てる社会システムの構築が不可欠だと思います。

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タグ:法律 福祉 格差
posted by かがみ at 00:04 | 法律関係