田中文科相による大学の不認可と大学教員の雇用について(政治学に関係するものらしきもの)
田中真紀子の大学認可云々で(異常な日々の異常な雑記)
件の不認可問題については、本件手続きが適法なのかという行政法上の問題と、大学の数が多すぎるという高等教育資源の適正配分という教育政策問題は分けて考えるべきだと思います。
まず、前者だが、手続保障と言うまっとうな法律論からいえば今回の不認可処分は不適切ということになるでしょう。もうすでに色々なところで指摘されている通り、行政法学において認可という概念は許可とは異なり、行政が意図的に認可を行わないことは認められていない。大学が多すぎると思うのであれば、まずは国会の審議を経て学校教育法なりの改正を行うべきなのが筋であろう。
3大学不認可問題──問われているのは「法の支配」 (アゴラ)
そんで、後者なんだが、大学全入時代と言われて久しい昨今、確かに、大学の数は過剰供給であり、そこに莫大な補助金がつぎ込まれているのは問題でしょう。ただ、この論調の流れがラディカルな大学削減論に与するのであれば少々怖い気がするんですね。
田中大臣の不認可問題の影にあるもの (内田樹の研究室)
多分、マクロ経済的な観点からいえば、ぶっちゃけ、ほとんどの大学はいらない子になるでしょうね。 殖産興業に必要なのは少数の研究職とマネジメント層、そして大多数の単純労働者。その単純労働者に求められるのは、文字通りの読み書き算盤と、たとえ壮絶ブラック環境でもそれが人生の全てだと思って働く順従な性格であり、教養とか思考能力などは無用の長物だからです。
けれども教育政策というのは効率論だけではすべて片付けられない部分があるんですよ。一般的な発達段階区分論に従えば、生理的成熟と心理的諸機能の一応の完成を見る青年期の終わりは実は22歳ということらしい。そうであれば。その年齢までは高等教育の門戸は可及的に広げるべきだということなるだろう。だいたい、大学の数が多すぎると正論を格調高く叫ぶ御仁にしたところで、いざ愛息、愛娘の話となると、どんなアホの子でもせめて高等教育は受けさせたいと思っている人は多いでしょう。
「希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、わたし、そんなのは違うって・・・何度でも、そう言い返せます。きっといつまでも言い張れます。(魔法少女まどか☆マギカ第12話)」
なるほど今の高等教育の底辺部がまるで「まどか☆マギカ」のQBエコシステムなのは否定できない。僕と契約してFラン大生になってよ!こういう甘言に踊らされ何がしかの夢とか目標とか展望を少なからず抱いて入学した大多数は結局就職出来ないまま卒業し、人生の路頭に迷うという、まさに希望と絶望の相転移です。そんな4年間は結果としてムダなのかもしれない。けれども人生には有意義なムダというのがたくさんあるんですよ。特に法文系では高校までの主要5教科の能力の優劣があまり関係ない分野もある。高校までは落ちこぼれでも大学に入ることで思わぬ花を咲かせることもあるだろう。そういう可能性はできるだけ摘み取るべきではないと思います。いかにまどかちゃんといえども、とにかくQBと契約せんことには、世界を変えられなかったでしょうからね。