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2025年12月25日
欲望一元論の哲学
* ドゥルーズ哲学の限界性
20世紀を代表する哲学者の1人であるジル・ドゥルーズは彼の名前をフランス哲学界に知らしめた最初期の著書『ニーチェと哲学』(1962)で「思考することは、生の新たな可能性を発見し、発明することを意味するだろう」と述べています。つまり「思考」によって我々の「生」は変化するということです。
ドゥルーズの仕事は哲学にとどまらず、精神分析、文学、絵画、映画といった諸領域を変幻自在に横断するものであり、そこではさまざまな革新的な概念が創出されることになります。そして、このようなドゥルーズ哲学の枢要部にある哲学原理を國分功一郎氏は『ドゥルーズの哲学原理』(2013)において「超越論的経験論 L'empirisme transcendantal」と呼んでいます。この一見する語義矛盾のように思われる表現はいわばディヴィッド・ヒュームの経験論哲学とイマヌエル・カントの超越論哲学を総合するものであるといえます。
よく知られるようにヒュームは経験論という哲学を説き、人間の知性や認識の基礎を経験に求めました。これに対してカントはこのような経験そのものを可能とする条件を問います。このようなカントの問いは経験に先立つ先験的な「超越論的」と呼ばれる領域を切り開くことになります。これについてドゥルーズは『カントの批判哲学』(1963)において「超越論的とは、経験が必然的に我々のア・プリオリな表象に従う際の原理を指す」と定義しています。
ドゥルーズはカントによる超越論的なものの発見を高く評価します。その一方でドゥルーズはヒュームにこのようなカントが問うことをやめてしまった発生の問いを見出しています。こうしたことからドゥルーズはカント的な超越論的哲学の可能性を引き継ぐとともに、そこで喪われた発生の問いをヒューム的な経験論哲学によって補完します。これがいわば「発生を問う超越論哲学」としての「超越論的経験論」と呼ばれるものです。
こうした超越論的経験論の出発点としてドゥルーズは彼が「無人島」と呼ぶ自他未分の世界を想定し、そこに現れる超越論的な要素を「出来事 événement」ないし「特異性 singularité」と呼びます。この「出来事-特異性」によって我々の主体というものが発生されることになるということです。
ではこのドゥルーズの哲学原理たる超越論的経験論からは、いかなる実践の哲学が現れ出るのでしょうか。この点、ドゥルーズが実践の問題として追求したのはもっぱら「思考」の問題です。この論点はドゥルーズの最初の主著となる『差異と反復』(1968)で大々的に展開されることになります。同書においてドゥルーズは「人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというより、むしろ何かショックを受けて思考するということ、これは「すべての人」のよく知るところである」と述べます。なぜそのように言えるのでしょうか。
ここでいう「事実」とはドゥルーズのいうところの「習慣 habitude」を指しています。ドゥルーズは『経験論と主体性』でヒュームに依拠しながら、習慣は常に経験に接続するが経験に依存していないといいます。通常「習慣」とは反復される行動様式を指しています。しかし反復される具体的な行為は一つ一つ全く異なったものであり、完全に同一の行動が繰り返されているわけではありません。その意味で反復は毎回が交換不可能、置換不可能であるといえます。
ところが習慣はそうした一つ一つが交換不可能、置換不可能である経験の反復から「何か新しいもの、すなわち(…)差異を抜き取る」ことで成立します。そうして成立した習慣が人間の行動の規範となります。このような習慣の位置する次元をドゥルーズは「一般性 généralité」の次元と呼びます。一般性とはどの項も他の項と交換可能であり、置換可能であるという視点を表現しています。つまり先の「事実」とは経験に後続はするけれども、それに依存しないという、この「習慣」という「一般性」の次元を指しています。
このように人は反復の中から「差異を抜き取る」ことで習慣を生きています。なぜなら人は新しさに毎度毎度直面していては日常生活をつつがなく生きていけないからです。こうしたことから習慣の生成をドゥルーズは「受動的総合」と呼び「受動的総合という至福が存在するのだ」とすら述べます。人間は基本的にこの「至福」の中に佇むことを望みます。だから思考に向かう積極的意志など持たないということです。
したがって人がものを考えることがあるとすれば、それはもう、仕方なく、やむをえず、強いられてのことでしかありえません。それゆえに思考とはそれを強制する何かしらのシーニュ(しるし)との出会いがあってはじめて発動します。けれども、だからといってただ待っていれば思考を強制するシーニュとの出会いが訪れるわけではありません。シーニュは読み取られねばならず、またその読み取り方は習得されねばなりません。したがって思考を偶然の出会いによって強制されるものと捉える理論は、出会いそのものを組織する「習得」の理論、あるいは「学び」の理論と切り離せないということです。
さらに晩年のドゥルーズは『シネマ1』(1983)、『シネマ2』(1985)において映画を論じる中でこのような思考の理論を行為へと延長してみせます。ここでドゥルーズはアンリ・ベルクソンの再認論を参照しつつ「失敗」としての「注意深い再認」こそが潜在的なものを現働化し、新たな主体性を生み出すと論じています。
ところがこのように思考の理論を行為へ延長したとき露呈したものが、新たな主体性とは「失敗」によって定義されるということです。人は意図して失敗を目指すことはできません。ここにドゥルーズ哲学におけるある種の限界性を見出すこともできるでしょう。もちろん他ならぬドゥルーズ自身、こうした自身の哲学の限界性に気づいていたと思われます。それゆえにこの限界性を打ち破るため、彼はほとんど賭けといってもよいひとつの実験に打って出ます。それが1969年から開始されたフェリックス・ガタリとの協働作業です。
* アンチ・オイディプスの生成
フランソワ・ドッスの評伝『ドゥルーズとガタリ−−交差的評伝』(2007)によればドゥルーズとガタリが初めて直接対面したのは1969年6月とされています。ドゥルーズはガタリの斬新なアイデアや概念を次々と創造するところに魅了され、二人は対話を重ね、協働作業を始めることになりました。
その最初の成果である『アンチ・オイディプス』(1972)は次のような手順で書かれたといわれます。まずドゥルーズはガタリに朝起きたらすぐに机に向かい自分の考えを紙に書き付け、それを読み直さず、手直しもせず、そのまま自分のところに送るよう求めました。ガタリはその決まりを守りひたすらドゥルーズにメモを送り続けます。ドゥルーズはこの膨大なメモをひたすら読み漁り、頭の中をガタリのアイデアで満たしていきます。
このときドゥルーズはまるでガタリによって憑依されたシャーマンのようになり、その憑依が何らかの閾値を超えたところでドゥルーズはペンを握ることになります。その後、ガタリによる訂正と共同の推敲作業を経て、1971年12月31日にテクストが完成し、出版されたのは翌1972年3月です。このように『アンチ・オイディプス』はガタリでもドゥルーズでもなくまさに「ドゥルーズ=ガタリ」としか呼びようのない何者かによって書かれたエクリチュール実験の産物なのであるということです。
とはいえこの方法はドゥルーズの著作の方法を応用したものと考えることもできます。もともとドゥルーズは特定の哲学者を論じたモノグラフを「自由間接話法」というスタイルで書いており、ここでは「語られる側」の判断が「語る側」の判断であるかのように現れます。ドゥルーズはこのような独自の仕方で論文や著作を書いていました。ドゥルーズとガタリが行った実験はこの方法をさらに推し進めたものとなっているといえます。
客観的に見ればガタリが書き送ったメモをドゥルーズがまとめ直しているのですから、ガタリは「語られる側」に、ドゥルーズは「語る側」にいることになります。実際、同書の概念のほとんどがガタリに由来するものです。しかしドゥルーズはこのような「ガタリの思想」の外側にいて、それを観察者として眺めて報告しているわけではありません。
この時「語る側」にいるドゥルーズは自由間接話法を用いて哲学者を論じていた時のように「語られる側」にあるガタリに生成変化しているといえるでしょう。その唯一の違いはドゥルーズのモノグラフがすでに完成された著作や作品を相手にしていたのに対して、この実験ではドゥルーズが生成途中にあるガタリの思想を生け捕りにするように相手にしていた点にあります。では、こうしたガタリとの協働作業はいかなる理論的要請から生じたものなのでしょうか。
*「機械」とは何か
まずドゥルーズとガタリの理論上の結節点となったのは彼らが初めて対面した1969年6月にガタリが準備していた「機械と構造」というテクストです。このテクストは当時隆盛を極めていた構造主義の乗り越えを目指しています。ここでガタリは一般性の次元に関わる「構造 structure」に代えて、特異性の次元に関わる「機械 machine」の概念を提示することでそれを達成しようとしていました。そこでは出版されたばかりの『差異と反復』などドゥルーズの著作が参照されています。このことはガタリがドゥルーズの著作の中に構造主義的な「構造」の概念に収まりきれない何かを見出していたことを意味しています。
この点、ガタリのいう「機械」の特徴は彼の出自でもあるラカン派精神分析との関係において明確となります。当時、構造主義の旗手の一人として知られていたフランスの精神分析家ジャック・ラカンはジークムント・フロイトが創始した精神分析を受け継ぎつつ、フェルデナン・ド・ソシュールが立ち上げた構造言語学から借用した「シニフィアン(一般に言語記号の音声面を指す)」を用いて独自の精神分析理論を打ち立てました。その概要は以下のようなものです。
ラカンによれば人間は出生時の寄る辺なさを補おうと母子関係という想像的双数関係に入り、束の間の平安を得ることになります。ところが母とのこの想像的同一化は母が子の動物的欲求を満たす以上の過剰な欲望を注いでいるという意味で不均衡を抱えています。これは母は言語の担い手であるが子はそうではないというズレから生じることになります。
子には母の欲望はわかりません。その結果、子はこの想像的双数関係のナルシズム的融合の不可能性を知ることになります。ここに生じる母と子の欲望のズレをラカンはフロイトのオイディプス・コンプレックスにおける〈父〉の役割と重ね合わせるとともに、言語による幻想的母子関係の破壊を「去勢」と呼びます。
フロイトのオイディプス・コンンプレックス理論によれば子は〈母〉を恋人にしようとし、それを邪魔する〈父〉を憎みます。ラカンはこの物語を高度に抽象化して先のズレを〈母〉になくて〈父〉にあるもの、すなわち〈男根=ファルス〉に置き換えます。そして子は「ファルス(φ)でありたい」という欲望を抱くものの〈父の名=父の否〉によってその断念を迫られることになります。
この断念の瞬間に「ファルス(φ)でありたい」という子の欲望は「ファルス(Φ)を持ちたい」という欲望に変換され、このΦが最初のシニフィアンとして無意識にしまい込まれることになります。フロイトが仮定した「原抑圧 Urverdrängung」という過程をラカンはこのように説明しました。
* 代理=表象批判と欲望の複数性
こうして人はこのΦを求め続けることになります。ですがそれは決して手に入らない「永遠の欠如」に他なりません。従って人はその代わりになるものを探し続けることになります。つまりこの最初のシニフィアン(Φ)を意味=シニフィエとして持つような別のシニフィアンを探し求めるということです。これが欲望の原因をなす対象、すなわち「対象 a 」と呼ばれるものです。
このように対象 a を追い求める過程でシニフィアンとシニフィエの対としての「記号」が生まれることになります。こうして第一のシニフィアンから始まる記号の連鎖が「シニフィアン連鎖 chaîne signifiante」 であり、その開始によって人間は「象徴界」と呼ばれる言語的な秩序に入るとされます。
このようにラカンは記号の意味作用の根源に欲望を想定します。何かが何かを意味するのは主体がそう意味させたいと欲望するからです。それゆえにラカンにおいては「一つのシニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を代理=表象する」という定式が生じることになります。
しかしなぜ「一つの」シニフィアンが主体「そのもの」を代理=表象するといえるのでしょうか。それはそこで想定されている欲望が常にただ一つであるからに他なりません。いかなる欲望も対象 a を、根源的にはつまりはΦを求める欲望であることになります。すなわち、それは最初にあった母子間の欲望のズレ、ただ一つの喪失、決定的な欠如を埋め合わせようとする欲望以外の何者でもありません。そのように考えられているからこそ一つのシニフィアンが主体そのものを代理=表象するのである、ということができるのです。
そうであればこの代理=表象の問題は欲望を単一の原因で説明しようとするラカン派精神分析の理論上の設定そのものに関係していることがわかります。そしてガタリがいうようにもし「機械」の概念を導入することによって代理=表象が機能しなくなるのであれば、それは「機械」によってこの設定に変更が加えられたことを意味します。すなわち、それは単一の欲望の「欠如」なる原因から説明するのをやめ、欲望を複数の流れとして捉えるということです。まさしくここには「欠如のイデオロギー」を批判して欲望の複数性を唱える『アンチ・オイディプス』の理論的萌芽を見ることができるでしょう。
* 構造主義はなぜそう呼ばれるのか
ではなぜドゥルーズはガタリのこうしたアイデアに惹かれたのでしょうか?それはおそらく彼自身がかなり強い構造主義的な発想をもっていたからだと思われます。そのことを物語っているのがドゥルーズの論文「構造主義はなぜそう呼ばれるのか」です。ドゥルーズはこの論文において、ある思想が構造主義たりうるための六つあるいは七つの基準を抽出しています。
第一の基準は「象徴的なもの le symbolique」の発見です。構造主義は感性的に把握できる現実でも頭の中に思い描かれる想像でもなく、あくまで象徴的水準を扱います。例えばラカンが語る〈父〉とは現実の父親でも想像的な父のイメージでもなく「原抑圧」を遂行する〈父の名=父の否〉の構造的な担い手を指しています。
第二の基準は「局所あるいは位置 local ou de position」です。象徴的秩序においてある項は単独で積極的に存在するのではなく、その象徴的秩序、すなわち構造の中での役割・意味の担い手として存在します。つまり父がいて、その父が「否」というのではなく、むしろ「否」という役割を与えられている構造内の一項が〈父〉と呼ばれているということです。
第三の基準は「微分的なものと特異的なもの le différentiel et le singulier」です。いま述べたように構造内の諸項は周辺の項との関係の中でその価値が決定されますが、こうした作業をドゥルーズは「微分」と呼びます。例えばレヴィ=ストロースの親族組織の理論によれば一方に兄弟/姉妹、夫/妻という対があり、他方に父/息子、母方のオジ/姉妹の息子(オイ)という対があり、これら「親族の基本構造」という「微分的関係 reqqort différentiel」が「親族間の態度」を規定することになります。もっとも実際にある社会でどの態度が選択されるかはこの構造だけではわからず、この微分的関係に還元できない力をドゥルーズは「特異点」と呼びます。
第四の基準は「異化=分化するもの、異化=分化 le différenciant,le différenciation」です。構造主義のいう構造はすべて無意識的であり、潜在的なものです。例えば言語のように潜在的にはすべての項が構造の中に相互依存的に共存しており、そのうち一部の関係が「今、ここ」の語りによって現働化することになります。ドゥルーズはこのような潜在的なものの部分的な現働化を「異化=分化する」といいます。
この辺りからドゥルーズは構造主義を自分の思想として引き受け始めており「構造主義は発生や時間を語れない」という構造主義に対するありがちな批判に対する反論を始めますが、むしろここでは構造主義が扱う発生や時間の限界が露呈することになります。例えばラカンは主体が発生するプロセスにおいて原抑圧なる出来事とその担い手としての〈父〉を遡行的に名指し、それによって人間が象徴界に入るという時間を見出していますが、これはあくまでも構造の枠内における理念的な発生や時間でしかないということです。
* 構造における空白のマス目
第五の基準は「系列的 sériel」です。構造主義においては微分的関係において捉えられた象徴的要素をセリー状に編成することによって構造は十全に定義されることになります。例えばラカンは無意識を個人的なものでも集団的なものでもなく間主観的なものとして捉えていましたが、これは無意識が〈母〉や〈父〉といった象徴的審級との関係でセリーを織り成しながら形成されていくことを意味しています。
第六の基準は「空白のマス目 la case vide」です。ここでいう「空白のマス目」とはセリーの間を行き交い構造間の項が絶えず移動することを可能にするものですが、それが「空白」と呼ばれるのは、それ自身は何ものでもないからです。例えばラカンのいうファルスや対象 a がこれにあたり、こうしたものをドゥルーズは「対象=x」と呼びます。
ところがドゥルーズは同時にこの基準の必然性に一定の疑問を呈しています。構造における「対象=x」の規定が真であれば構造化可能な領域はことごとくこの特殊な逆説的対象によって規定されることになります。例えばラカンはどこにでもこの逆説的対象を発見しています。しかしそれはもともとあった理論を特定の分野に無理矢理当てはめているからではないのでしょうか?すべての欲望は対象 a を、ひいてはファルスを巡っているという理論的前提があるからこそ、すべての領域に対象 a を、つまり「対象=x」を発見できるということではないのでしょうか?
この論文でドゥルーズはひとまずは構造における「対象=x」の必要性を肯定することになります。しかしここにはドゥルーズの揺らぎが見てとれます。この時点でドゥルーズは構造主義的体制が抱える問題点に確実に気づいています。だが自分もまたこの体制に非常に近い立場にいて、そこから抜け出せる方策も見えていない状態にあるということです。
* 欲望一元論の哲学
ここからドゥルーズは構造の変動に関わる最後の基準である「主体から実践へ du suject à la pratique」に至りとりあえずの結論を出しています。その答えはある意味で単純です。構造主義における「対象=x」の特徴とは⑴それが常に主体に付きまとわれていることと⑵それが空白であり、自らの自己同一性や場所を欠いているという点にあります。従って構造を変動させる条件の一つ目はこの対象=xに主体が付きまとわない事態(シニフィアンの消去)であり、もう一つはその逆で対象=xという空白のマス目が埋められてしまう事態(シニフィエの消去)であるということです。
しかしながらこれは実践というには極めて抽象的な結論であると言わざるを得ないでしょう。そしてこのようなシニフィアンが消えたりシニフィエが消えたりといったアクシデントを待つというこの結論は「失敗を目指す」というドゥルーズ哲学の限界性と完全に相関関係にあるといえます。
こうしてみるとドゥルーズとガタリの間には共通の理論的な問題意識があることがわかります。それはまさに構造主義的な構造、すなわちセリー的構造、すなわち「原抑圧」という仮説的出来事により生じるファルスという名の「対象=x」によって統合された構造とは別の仕方でのモデルを構築することに他ならないでしょう。
こうしたことから『アンチ・オイディプス』においてはファルスの欠如としての欲望とは別の仕方での欲望から社会が考察されることになります。そして、そこでは「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか」という問題が浮上します。換言すれば、それは人はなぜ自由になることができないのか?いや、なぜ人は自由になろうとしないのか?どうすれば自由を求めることができるようになるのか?という問いであるといえます。
そうであれば『アンチ・オイディプス』の続編である『千のプラトー』(1980)とは、こうした問いを起点として、欲望という視座から社会の諸領域において作動する権力装置の分析を試みたものであるといえます。もちろんそこでドゥルーズが現代社会に下した診断は決して希望に満ちたバラ色のものではありません。けれどもここでドゥルーズがガタリと共にプラグマティックな権力分析を伴った〈欲望一元論の哲学〉を完成させたことは確かであり、そこでは人間の自由が問い直されることになります。いわばここでドゥルーズは自身が構築した「失敗を待つ哲学」を乗り越える「自由を志向する哲学」を見事に打ち出したといえるでしょう。
posted by かがみ at 23:07
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