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2024年04月23日
近代的有限化と別のしかたでの有限化−−自閉症スペクトラム障害における記憶の発達の見地から
*「自閉」から「自閉症スペクトラム障害」へ
「自閉 Autism」という言葉の起源は1911年、スイスの精神科医オイゲン・ブロイラーの統合失調症論に見出されます。ここで「自閉」とは「外界活動の離反を伴う内的生活の優位」と定義されています。それからおよそ30年後の1943年にアメリカの児童精神科医レオ・カナーが「早期幼児自閉症 Early Infantile Autism」を報告し、ここで「自閉」という言葉は単独の疾患概念となります。
カナーはブロイラーの「自閉」を彷彿させる特殊な病態をこの病名で取り出しましたが、この段階では幼児自閉症は児童期に発症した統合失調症でありうると考えられていました。ところがその後、認知領域・言語発達領域における研究の進展に伴い1970年代には自閉症は脳の器質的障害であり統合失調症とは別の疾患だと考えられるようになり、さらにその病態の中心も言語の障害、ついで社会性障害へとシフトしていくことになります。
その一方でカナーの報告の翌年、1944年にはオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーは子どもに見られる精神病質(今日的でいうパーソナリティ障害におおむね相当するもの)の一つとして、やはりブロイラーの自閉概念を参照しつつ「自閉的精神病質 Autistische Psychopathie」を報告しています。このアスペルガーの報告は諸般の事情があり長らく日の目を見ることがなかったわけですが、1980年代に入るとイギリスの精神科医ローナウィングが成人の症例にもアスペルガーの症例と同様の特徴が見られることを発見し、その一群を「アスペルガー症候群 Asperger Syndrome」と名付けます。
アスペルガー症候群はカナー型自閉症の診断基準を部分的に満たす症例であり、言語使用に関して特異的な発達が見られる一方で、コミュニケーションに関してしばしば適切さを欠いており、とりわけ非言語的コミュニケーションに難がある点に特徴があるとされています。ここで自閉症は「社会性障害」「コミュニケーション障害」「イマジネーション障害」として再定義されることになります。これが世に知られる「ウィングの三つ組」です。
こうしたことから自閉症を「スペクトラム(連続体)」と捉える考え方が有力となり2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-X)」においてカナー型自閉症とアスペルガー症候群は「自閉症スペクトラム障害 Autism Spectrum Disorder」という名のもとに統合されることになりました。
ASDの診断は現在では大きく2つの基準から行われます。その1つ目は社会的コミュニケーションの持続的障害です。その2つ目は常同反復的な行動や同一性へのこだわりなど限局化された興味や行動の様式です。これら以外にもASD児・者には感覚刺激への特異的な反応や記憶の異常や身体・運動技能の特異性といった多様な症状が見られます。
* 心の理論仮説
ASDの第一の診断基準である社会的コミュニケーションの持続的障害(対人相互的反応性の問題)とは(a)相手との注目・興味・関心の相互共有や双方向的な感情の交換や(b)目と目で見つめ合うことや表情身振りなど、他者に対する意思伝達的な仕草や行動や(c)状況に合わせて相手との関係を作り仲間を持とうとする傾向といった定型発達の子どもなら乳幼児期から自然に身につけているような対人行動上の間主観的な反応性が非常に弱かったり通常と異なっていることをいいます。
このようなASDの特徴については、その中核に人の心を読む能力(メタ表象能力)の困難があるという「心の理論仮説」というものが主張されました。そして、ここでいう「心の理論」の獲得のリトマス試験紙とみなされたのが「サリーとアンの課題」という名で知られる「誤信念 false belief」の理解を測る課題です。この課題ではある人物(サリー)が物をカゴに入れてその場を離れている間に、別の人物(アン)が物をカゴから別の場所にある箱に移してしまい、一連の様子を見ていた子どもに戻ってきたサリーが物を探すのはどこかを尋ねます。この課題に「カゴ」と答えるにはサリーは物を箱に移されたのを見ていないため、まだ物はカゴにあると勘違い(誤信念)しているはずだと推論しなければなりません。
定型発達児は4〜5歳ごろにこの誤信念課題に正解できるようになります。ところがASD児はたとえ6歳を超えても物が実際にある箱だと答えることが報告され、このことからASD児の障害は人の心を読む「心の理論」の欠陥にあるという仮説が唱えられることになりました。
しかしこの仮説の最大の問題点は実際には誤信念課題をパスしてしまうASD児がいるということです。ところが彼らはたとえ誤信念課題を解決できても現実の社会においては克服しがたい困難を示します。つまり日常生活で求められる社会的能力とは「心の理論」を用いた推論能力とは異なるということです。
* ASDの脳科学
このようにASD児における社会性障害は「心の理論」からは説明できません。彼らの困難は柔軟で即時的な、いわば直感的な人の心の理解にあります。こうした対人関係は計算や推論を行う以前に他者と情動を交換しつつ自らの感覚や身体を相手のそれと協調させる間主観的な相互作用により、自分と相手、および両者を取り巻く世界に意味づけを行う実体験として生じます。
人の行動は顔の表情、視線、声、目的的な動作など瞬間的な対人刺激に満ちており、定型発達者はそうした目に見える対人刺激からほとんど直感的に他者の行動を理解しているわけですが「心の理論」ではそこにあえて目に見えない「心」なるものがあるという前提を置いています。しかし、このような前提自体がむしろ定型発達的なコミュニケーションの実態を適切に説明できていない可能性があるわけです。
では対人刺激の直感的理解とは通常どのようにして生じるのでしょうか。この点、ヒトの脳には目や口の位置や方向などを見分けたり相手の表情や動作を見たりまねたりするときにだけ活性化する特定の領域群があり、これらの領域の多くはヒトでは脳の表面を覆う大脳皮質にありますが、これらの皮質領域は実はより深い皮質下の領域とも密接な連絡を持っており、こうした領域群と皮質下との相互作用が対人刺激を一瞬にしていわば自動的に拾って解読し、それに対する反応を調整し実行する独自の機構をなしていると考えられています。
そしてこのような直感的な対人理解を可能とする機構は生得的なものではなく、乳幼児以降の長い時間をかけて社会的な刺激に繰り返しさらされることで、そうした刺激に最も適した特殊な機構が形成されると考えられています。脳神経同士の連絡がまだ定まっていない乳幼児の脳では、さまざまな神経間連結が試された結果、頻繁に連絡のついたものだけが残り、徐々に安定した脳神経の連絡が決まっていきます。このよう脳神経の連絡が定型発達児とASD児では異なる発達の過程を辿っているものと考えられています。
* ASDの特性と記憶の発達
ここまで見たASDの第一の診断基準である社会的コミュニケーションの持続的障害については現在においては心理学や脳神経科学的で多くの知見が提出されています。これに対して第二の診断基準である限局化した興味や行動の様式をめぐる検討はあまり進んでいない状況にありますが、最近のASDの記憶に関する心理学的知見からある程度の考察を行うことが可能となっています。
人間の記憶はさまざまな情報を保持しています。保持できる期間の長さから記憶は大きく「短期記憶」と「長期記憶」に別れます。このうち「長期記憶」は「宣言的記憶(言語で表現できる記憶)」と「手続き的記憶(言語で表現できない身体感覚や運動・認知技能)」に分類され、さらに「宣言的記憶」は「エピソード記憶(自分自身の個人的な体験や出来事に関する記憶)」と「意味記憶(自分をとりまく世界に関する知識と概念)」に分類されます。
記憶形成のプロセスは常識的に考えれば、さまざまな「エピソード記憶」の蓄積から「意味記憶」が形成されていくように思われますが、実際は幼児は自分の体験したことをまず「意味記憶」として獲得してから「エピソード記憶」が定着するようになるといわれています。これは新奇の事象や環境に対応するための認知的負荷の軽減から説明されています。
「エピソード記憶」の発達には自己意識とコミュニケーション能力の発達が必要といわれています。この点、自己意識の指標となる「鏡映像認知(鏡に映っている人物がいまここにいる自分であるという意識)」は1歳半以降にならないと現れず、さらに子どもが自身の記憶をめぐり他者とコミュニケーションを行うにはどの情報をどのように語れば良いのかを取捨選択する学習が必要となります。このため一般的には最初の「自伝的記憶(自分の体験に関わるエピソード記憶)」は早くて3〜4歳以降に出現します。
* ASDにおける自己意識
そしてASDにおいては意味記憶は損なわれていない一方でエピソード記憶や自伝的記憶に特異性があることが知られています。ASD者のエピソード記憶には情報を自分に関連付けて記憶させる自己準拠効果が見られず、自伝的記憶においてもASD者は自分自身の体験として語られるエピソード記憶が定型発達者に比べて減弱しているとされています。
またASD者がしばし「タイムスリップ現象」や「サヴァン症候群」を示すことが知られています。タイムスリップ現象とは脈略や状況と無関連に何らかのきっかけで突然過去の感情体験を再現してしまう現象をいいます。また一部のASDが示すサヴァン症候群はバスや路線図や宇宙の惑星の名前をくまなく覚えていたり、過去の日付と曜日が瞬時にわかるカレンダー計算といった機械的記憶が知られています。このようにASDの記憶の特徴に共通するのは彼らの記憶が脱文脈的で断片的だということです。
この点、認知心理学者の内藤美加氏はASDの特性として自己体験意識(自分自身が体験したという強い想起意識)や心的時間移動(過去の追体験や未来の仮想的な事前体験)の減弱があるのではないかという仮説に基づき4〜6歳の定型発達児と知的な遅れのないASD児それぞれ94名(論考執筆時点)の参加者を対象に出典記憶課題(獲得情報の出典を想起し特定することを求める課題)と未来課題(新奇な未来事象のために必要な準備の段取りを尋ねる課題)の正誤を調べた結果から、ASD児は幼児期後半になっても時間的に拡張する一貫した自己意識や自己体験の意識が脆弱なままであり、それが成人になってもなお続くエピソード記憶の減退やタイムスリップといった記憶の混乱や特異性につながるのだと考えられると述べています。
このことから内藤氏はASDの記憶の特異性は社会性障害同様に神経学的基盤が関わっているとして、おそらく海馬を中心とする皮質下領域と上位皮質を結ぶエピソード記憶と未来思考の核となる神経組織の形成不全に起因するものであろうといいます。その一方で、特に自己に関わる情報の処理や自己意識は脳の特定の部位やネットワークが関連するという証拠はなく神経学的に局在しているわけではないことから、記憶と思考に関わる神経組織の形成の不全がもたらすひとつの帰結が記憶や時間性を伴う自己意識(心的時間移動)の特異性として現れるのではないかとして、このような自己意識の不全が「いまここ」にないものを想像し予期することへの困難や強い不安としてこだわりや限局化した興味などの症状と結びつくのではないかと推測しています。
* 近代的有限化と別のしかたでの有限化
その一方でこのようなASDにおける限局化した興味や行動の様式はASD者が断片化した自己をまとめ上げ、世界の中に自身が棲まうための「有限化の技法」であり、そしてこのような有限化は近代的有限化=主体化に対する別のしかたでの有限化であるともいえます。
例えば近代哲学を確立したイマヌエル・カントの超越論哲学においては我々が認識しているものは「現象」であり、その外部に不可知の「物自体」が想定されます。そして現代思想の領域において大きな影響力を行使するラカン派精神分析においてもこのようなカント的構図が引き継がれており、イメージの領域である「想像界」と言語の領域である「象徴界」の外部としてイメージや言語では意味づけができない「現実界」が想定されます。これらの構図はいずれも「物自体」とか「現実界」などといった到達不可能な外部から個人を有限化=主体化しようとする発想に立っています。
これに対して近年の哲学的潮流はこうした近代的有限化=主体化とは別のしかたでの有限化を提唱しています。例えば「思弁的実在論」や「オブジェクト指向存在論」といった現代実在論はカント以降、近代哲学を規定してきた「相関主義(世界には接近不可能なものがあり人間はそのような不可能性を整除した限りのものしか認識し得ないという立場)」を破棄し、人間による意味づけとは無関係に偶然的に実在する事物それ自体を問題にします。また現代ラカン派においてもラカンの娘婿であるジャック=アラン・ミレールが提唱する「逆方向の解釈」のようにシニフィアン連鎖以前に単独的に実在するシニフィアンとしてのララングの析出を重視します。
こうしたアプローチは「物自体」とか「現実界」などといった到達不能な外部から生み出される意味の無限増殖をいわばその「さらなる外部」としての実在レベルで有限化しようとする発想に立っています。こうした観点からいえばASDにおける限局化された興味や行動の様式は世界における意味のカオスを常同反復的な行動や同一性へのこだわりといった実在的なリズムで切断していく「有限化の技法」であるといえるでしょう。そして、このような近年の哲学的潮流の傾向性とASDの前景化は現代という時代におけるある種のコンステレーションとして把握することもできるのではないでしょうか。
参考:内藤美加「記憶の発達と心的時間移動:自閉スペクトラム症の未解決課題再考」『発達障害の精神病理T』(2018)所収
posted by かがみ at 00:33
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