2017年12月31日

欲望と享楽の円環、根源的幻想の横断、あるいは「魔法少女まどか☆マギカ」



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魔法少女まどか☆マギカ
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「根源的幻想を横断した主体は欲動をどのように生きるのでしょうか。分析の彼岸とはこのことであって、いまだかつて接近されたことがありません。」

(ジャック=ラカン「精神分析の四基本概念」368頁より)


フランスの精神分析医ジャック=ラカンによれば、人のこころは「想像界」「象徴界」「現実界」というそれぞれ異なった3つの位相によって構成されています。

「想像界」とは感覚器官を通じて知覚される領域、「象徴界」とは言語によって認知される領域、「現実界」とは知覚や認知の外側にある客観的現実そのものの領域です。

まず「想像界」は「鏡像段階」において成立します。生後6〜18ヶ月の子どもは外部の鏡像を通じて自己イメージを視覚的に先取りする。ここで人は「自我」を獲得することになります。

ついで「象徴界」はエディプス段階における「父性隠喩」によって成立します。子どもにとっての「母親の現前-不在」という原象徴的秩序が〈父の名〉というシニフィアンによって言語化された結果、主体の中に「象徴界」が無意識として内在化され、同時に意味作用として「欲望のシニフィアン」となる「象徴的ファルス」が成立する。ここで人は「言語」と「欲望」を獲得することになります。

その一方、子どもは「現実界」から〈他者〉である象徴界に参入した代価として、その外部に主体として「疎外」されつつ、自らと〈他者〉の欠如が重なり合う内に「欲動の対象=対象 a 」を見出すことで〈他者〉から「分離」を果たし再び現実界に回帰します。ここで人は「享楽」を獲得します。

もっとも、人は象徴界に参入した以上、〈他者〉からの完全な分離はあり得ません。そこで、主体は分離を否定するため、対象 a を「欲望の原因」と看做して、「〈他者〉の欲望」に同一化する。こうして主体の「欲望のあり方」を示す〈おはなし〉が作り出される。これが「根源的幻想」と呼ばれるものです。

人は一人では生きていけません。根源的幻想は人が〈他者〉と関わって生きる為には必要なものです。けれども、あまりに「〈他者〉の欲望」に縛られてしまうと今度は神経症的症状を典型とする様々な「生きづらさ」が生じてくるわけです。

そこで人は「欲望」と「享楽」を調和させ、〈他者〉と繋がりつつも、主体が〈他者〉からの自由を獲得する必要があるわけです。この営みこそがラカンが精神分析の目標として宣明する「根源的幻想の横断」と呼ばれるものです。

では、ラカン自身が問うように、根源的幻想を横断した果ての、その彼岸には一体、何があるのでしょうか?「魔法少女まどか☆マギカ」はこのような問題に対して見事な回答を与えた作品と呼ぶべきでしょう。

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「まどか」の世界における魔法少女とは、どんな願いも一つだけ叶えられるという条件と引き換えに不思議な生物「キュゥべえ」と契約し、その代償として魔女と戦う使命を課せられた存在です。

魔法少女の契約の際には「ソウルジェム」と呼ばれる、魔法力の源である宝石状のアイテムが生み出されますが、その生成過程は先に見た父性隠喩の構造式と極めて類似した関係に立っています。

まず、契約者の少女が述べる「願い」とは「誰かの願い=〈他者〉の欲望」を名付けるシニフィアンである〈父の名〉に相当します。

結果、彼女の中に「魔法という言語=象徴界」が内在化される。そして同時に「ソウルジェム=象徴的ファルス」が成立し、魔法力を起動させる為の源泉として機能する。

実際、ソウルジェムの形状は「象徴的ファルス」にそっくりです。すなわち魔法少女とはまさしく「欲望の主体」と呼びうるものです。

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物語の後半になり、ソウルジェムの濁り切った魔法少女は魔女になるという戦慄の事実が発覚します。キュゥべえの真の正体はインキュベーターと呼ばれる地球外生命体端末であり、彼らの目的は魔法少女が魔女となる「希望と絶望の相転移」の瞬間に発生する莫大なエネルギーの搾取にあった。

そんな中で、本作の主人公、鹿目まどかは優れた魔法少女となる可能性を持ちながらも様々な葛藤から傍観者に留まり続けます。

そして最終話、ついにまどかは魔法少女となる。それまでずっと願いを見つけられなかった彼女が願ったそれは「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」と言う途方もなく壮大なものでした。

まどかはいう。「今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる」と。

こうしてまどかは魔法少女として、全ての魔法少女の、まさしく「〈他者〉の欲望」を「欲望」し、ありとあらゆる時間軸における魔法少女を魔女化する前に救い出す。果たして彼女の願いは瞬く間に成就されることになる。

ここで、まどかの壮大な願いは同じ規模でそのまま莫大な呪いに転換します。希望と絶望の相転移。これは〈他者〉の欲望はどこまでも〈他者〉に依存するという「欲望の限界」を端的に表しています。

しかし、まどかの願いは「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」であり、まどか自身もその例外ではありません。地球規模の呪いを溜め込んだまどかは「別のまどか」、つまり「概念としてのまどか」から放たれた一閃によって、消滅する。

この「概念としてのまどか」こそが、「魔法少女」という「根源的幻想」を横断したその彼岸にある領域、象徴界から干渉不能な現実界において、初めもなく終わりもなく、常に既に満たされている「享楽の主体」に他ならないということです。

このように「欲望」と「享楽」は一見似ていますが、異なる位相にあります。これはマミの「あなたは希望を叶えるんじゃない。あなた自身が希望になるのよ」という言葉が端的に表しているでしょう。すなわち「欲望」とは「希望を願う」ことであり、これに対して「享楽」とは「希望そのもの」だということです。

翻って考えれば我々の生も、欲望の生成と享楽への回帰が螺旋のようにめぐりゆく、ある意味で円環の理とも言えるものではないでしょうか。

そして仮に「幸せのありか」なるものがあるとすればそれは、両者の重なり合う領域に存在するのでしょう。

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こうして先の問いの答えは既にもう明らかになったと思います。根源的幻想を横断した果ての、その彼岸には一体、何があるのでしょうか?つまりそれは、まどかの言う、ともすればありきたりな、次の言葉の通りなのでしょう。

「希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、私、そんなのは違うって、何度でもそう言い返せます。きっといつまでも言い張れます。」

(「魔法少女まどか☆マギカ」第12話より)





posted by かがみ at 23:52 | 文化論