2017年07月28日

欲望とは〈他者〉の欲望である・エロマンガ先生・それは貴方だけの夢じゃない




ジャック=ラカンの示す有名なテーゼの一つに「欲望とは〈他者〉の欲望である」というものがあるわけです。

つまり、人の欲望というのは自然発生的に湧いてくるわけではなく、常に「〈他者〉からもらうもの」だということです。

例えば、なぜ皆がiPhoneの最新機種を欲しいと思うのでしょうか?それを皆が欲しがっているからでしょう。あるいはなぜ誰も路傍に打ち捨てられたゴミを欲しいと思わないのでしょうか?それを誰も欲しがっていないからでしょう。


「欲求不満」から「欲望」へ


では、なぜ「欲望とは〈他者〉の欲望」なのでしょうか?これは欲望の生成過程に深く関わる問題です。

ヒトの子供は、他のほとんどすべての動物と異なり、未熟な状態で誕生して自立まで長い期間を要します。寄る辺ない存在である子どもはその間の身の回りの世話を養育者である〈他者〉(多くは母親)に頼らざるを得ない。

子どもは母親に生理的な「欲求」を伝達するため、例えば「おぎゃあ」という「ことば」を発する。ここで「欲求」が〈ことば〉によって剪定され「要求」となった結果、この「要求」には「生理的な要求(ミルクがほしい)」と「愛の要求(あなたが側にいてほしい)」という二重の意味が含意されることになる。

母親が常に子どもの側にいれば両方の要求は満たされますが、母親も別に四六時中、子どものそばにいるわけでもなく「現前-不在」を繰り返しているわけです。従って二つの要求は両方とも拒絶されることがあれば、どちらかだけが満たされることもあるでしょう。

そこで二つの要求の間には一つの裂け目が生じることになり、子どもはよくわからない不快と不安に満ちたイライラを感じることになる。これを「欲求不満」という。

子どもは当然このイライラをなんとかして解消しようと母子一体の回復を目指すことになります。これをラカン的に言うと「子どもは母親の想像的ファルスになろうとする」ということです。

しかし実際問題、どうやっても母親の現前不在は終わらないわけです。そこで子どもは必然的に自分と母親以外の第三者の存在を帰結する。つまり母親は持ってないものがあり、それがほしいから、「それ」を持っている何者かのところに行くので不在になるという論理です。

この第三者の機能を担う存在を便宜上「父親」と呼びます。そして父親の持つ「それ」こそが、母親の現前不在を「欲望」として象徴的に名付ける「欲望の名前」であり、これをラカン的に言うと「象徴的ファルス」といいます。

こうして子どもは決して想像的ファルスになれない事実に直面する。つまりこのよくわからないイライラがこれから先もずっと続くということです。

この現実をどうにか受け入れるために想像的ファルスが無理なら、せめて母親を欲望させる象徴的ファルスをいつか自分も手に入れようと自分も「欲望」するしかない。つまり「これ(欲求不満)はこういうこと(欲望)なんだ」という理解を強制的に強いられるわけです。

このように子どもは「母親の欲望」を発見することで、自らの「欲求不満」を「欲望」に変換することができるわけです。従って「欲望とは〈他者〉の欲望である」ということです。

いちいち難解奇怪な理論でおなじみのラカンですが、その治療方針は普通にシンプルでして、ひとまず目指すのはクライエントの「欲望の活性化(弁証法化)」にあります。


なぜマサムネは沙霧ちゃんを「エロマンガ先生」と呼ぶのか?



「なあ、沙霧・・・俺にも夢ができたぞ。すっげえビッグな夢。俺はこの原稿を本にする。このままじゃあ話にならないから、練り直して企画書を書いて、担当編集に認めさせて、そんなところからだけど・・・でも、必ず本にするよ。たくさんの人を面白がらせて、主人公やヒロインを好きになってもらって、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらい、お金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!・・・こんなんは前準備だ!うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、バカ高いスピーカーも用意して、豪華なケーキにロウソク立ててさ、お前を部屋から連れ出して、2人でアニメを観るんだ!俺が原作でお前がイラストを描いた、俺たちのアニメだ!そうしたら、きっとスッゲー楽しいと思うんだよ!悲しいことなんて吹っ飛んじまうかもしんねえぜ!?それが俺の夢だ!絶対に叶える目標だ!!どうだ!?スッゲーだろ!?」

「貴方は昔からそうだね。和泉先生・・・いつもオレに夢をくれる。いいぜ、和泉先生。やってやろうじゃん!そんな面白そうなこと、一人でやらせてたまるかよ!それは貴方だけの夢じゃない。オレたち2人の夢にしよう!」

(エロマンガ先生第4話)



エロマンガ先生(アニメ公式)

沙霧ちゃんはDSM的に言えばおそらく社交性不安障害の診断基準に該当すると思われますが、「引きこもり」のケースというのは、ラカン的な視点で言えば、欲望が停滞・固着している状態に他なりません。精神科医の斎藤環氏が言うように、引きこもり本人に欲望を持ってほしいのであれば、家族が率先して〈他者〉として欲望を表明することが大事になってくるわけです。

義兄であるマサムネは沙霧ちゃんのことを時折、エロマンガ先生と呼ぶことで、作家とイラストレーターという社会的な〈他者〉性を強調し、愛憎渦巻くドロドロの想像的関係に転落することを防ぐ一方で、沙霧ちゃんの「妹」ではなく「女の子」としてみてほしいという「要求」に対して「ラノベ主人公」的態度で沙霧ちゃんを常に「欲求不満」の状態で宙吊りにする。

そして、その裂け目のなかに「世界一の妹ラノベを書いて、そのアニメを妹と家の居間で見る」などという強烈な「〈他者〉の欲望」を投入することで、沙霧ちゃんのなかにも「私もそれが欲しい」という「欲望」を生み出し、これが治療的な方向にも作用している。上記のマサムネと沙霧ちゃんの台詞は「欲望とは〈他者〉の欲望」の適切な範例といえるでしょう。



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posted by かがみ at 04:19 | 心理療法