2017年06月25日

認知行動療法・サクラクエスト・いつも世界は私を拒絶する



認知行動療法の発展に多大なインパクトを与えたアーロン・T・ベック博士によれば、うつ病を引き起こす認知の三大特徴として「自己否定(自分はダメだ)」「過去否定(世の中悪いことばかり)」「将来否定(この先いいことなんかあるわけない)」があると言われます。

ここでいう認知とは知覚した事象の捉え方をいい、人それぞれで異なるものです。認知、行動、気分、生理は円環的に連関しており、どのような認知をもっているかはその人の気分、行動、体調に多大な影響を及ぼすといわれます。

そして認知のレベルは自動思考とスキーマに分けられ、自動思考とはある状況に対して瞬間的に浮かぶ「状況の捉え方」をいい、スキーマとは自動思考の背景にある自己認識、価値観、世界観などの個人的な中核信念、つまり「その人の生き方を規定するルールのようなもの」をいいます。スキーマは精神分析でいうコンプレックスに相当するものであり、「その人にとってあまりにも自明すぎる」が故に、普段は意識に上ることが少ないといわれます。

例えば、職場の同僚に挨拶をして相手が返してくれなかったというよくある場面を想定してみましょう。このとき特に明確な理由もないのに「無視された」「やっぱり嫌われている」と考えてしまうのが自動思考です。その根底には「私は誰からも必要とされてない」「私は欠陥人間だ」という悲観的なスキーマの存在が伺い知れます。

ベックの開発した認知療法は、日々の自身の思考の流れを客観的に観察し記録するなどの外在化を通じ、非適応的認知を見つけ出し、これをより適応的認知へ変容させることで症状を消去することを目標とする。非適応的認知とは事実を歪曲したり、根拠のない憶測を元に物事を判断することをいい、適応的認知とは物事を事実に即して判断することです。

先の例で言えば、「忙しくて気がつかなかったのかもしれない」「今日は体調が悪くて、返事できる気分じゃなかったのかもしれない」「仮にあの人から嫌われていたとしても、別に世界中から嫌われているわけではない」と考えることが適応的認知と言えるでしょう。


だから、いつも世界は私を拒絶する

「私は・・・龍だ」

「龍の死を知った村人は、とても悲しんだ・・・え?」

サクラクエスト11話「忘却のレクイエム」


こういう観点から是非とも、サクラクエスト11話「忘却のレクイエム」を視ていただきたいと思います。

サクラクエストのあらすじをざっと述べますと、就職活動全滅状態だった短大生の木春由乃が、いろいろな手違いを経て、寂れた田舎町、間野山で「国王」として、観光協会職員の四ノ宮しおり、商店会会長の孫である織部凛々子、元女優の緑川真希、WEBデザイナーの香月早苗たちと協力して町おこしに奮闘するという、いわゆる「地方創生」をキーワードとするアニメ作品です。

その11話は凛々子に焦点を当てた回ですが、いま書いた不適応認知から適応認知への変容の流れが僅か20分で物語として見事に纏められています。

高校卒業以来、基本引きこもり気味に過ごしてきた凛々子はなかなか人の輪に入れない自らの境遇を間野山に伝わる「龍の娘」の民話に重ね合わせているところがあります。

精神分析的観点からいえば、この同一化は「私は特別」という凛々子の全能感保存の表れに他ならず、その背景に、彼女の複雑な生い立ちと「ファリックマザー」としての千登勢の存在があることは容易に読み取れるでしょう。

いずれにせよ、何かにつけてネガティブな過去ばかり回想して落ち込むところや、後に触れるように、龍の民話をあまり公にして欲しくない立場である金田一1人の言葉から「誰もそんな話聞きたいと思ってない」と思い込むところなど、先の自動思考で言えば「過度の一般化」「マイナス化思考」「結論の飛躍」といったいわゆる「推論の誤り」が見て取れます。

ところが、図書館で凛々子は龍の娘の民話には別に解釈が存在することを知る。実は村人たちは龍を歓迎しており、龍の死を悲しみ歌を作ったという全く真逆の解釈が。

この「間野山はよそ者を排除する土地ではない」という別の解釈の存在が、竜の娘と自身を同一視している凛々子の自動思考に対して「自分の人生も決して拒絶されてばかりではなかったかもしれない」という反駁として作用する。

その後、凛々子は図書館で知った真実を皆に話そうとするも、ちょうど村おこし婚活イベント真っ最中で間が悪く、金田一から「空気読んでよ」と拒絶されてしまう。


ドラゴンは仲間たちに囲まれて、少しだけ、笑えました


「ずっと変。私は変な子・・・私のことなんか、誰も認めてくれない。誰も理解してくれないって・・・私には無理。由乃みたいになれない。知らない「間野山踊り」を教えてって、何の抵抗もなく言える由乃。田舎から東京に出る事が出来た由乃。自分が普通だってことが、コンプレックスの由乃。全部、私と逆!私が持ってないもの、私が出来なかったことを何でもできる!・・・ごめんなさい。別に私、由乃みたいになりたい訳じゃない。私は私。でも私のことなんか、誰も認めてくれない・・・誰も理解してくれないって」

「みんな凛々子ちゃんのこと、分かってるよ。もちろん私だって。私からすれば、凛々子ちゃんの方が凄いって思う。好きなものがいっぱいあって、周りに簡単に流されたりしなくて、私には真似出来ない。私、そんな凛々子ちゃんが好きだよ。」

サクラクエスト11話「忘却のレクイエム」



由乃の前で珍しく感情をあらわにする凛々子に対して由乃は言葉を紡いでいきます。

これは多分、普通であることを徹底的に嫌う由乃の率直な心境なのかもしれないんですけど、ここでの由乃の介入は凛々子の「私は変な子」という自己スキーマを揺るがして、「自分の世界を持ってる子」という新たなスキーマが対提示されるという、いわゆるリフレイミング効果として作用している。そういえば、龍の民話を、調べようとしたきっかけにも由乃の介入があるといえばあるんですよね。

そしてイベント最終日、蛍の舞う中、皆の前で「龍の唄」を歌唱を披露するという行動を通じて、「いつも世界は私を拒絶する」という非適応的認知から「決して世界は私を拒絶しているわけではない」という適応的認知の再構成へ向けて歩み始めたわけです。


「私もこの歌を伝えたい、何十年、何百年先の、誰かに」

「ドラゴンは仲間たちに囲まれて、少しだけ、笑えました」

サクラクエスト11話「忘却のレクイエム」


地方創生〜保守的な風土が有能なイノベーションの芽を潰す?

TVアニメ「サクラクエスト」公式

サクラクエスト(wikipedia)

「サクラクエスト」は「花咲くいろは」「SHIROBAKO」に続く「P.A.WORKSお仕事シリーズ」第3弾のオリジナル作品。「内定したのは国王だけでした」というキャッチコピーが秀逸。さすがにオリジナルアニメを多く手がけたP.A.WORKSだけあって、実によくまとまっており、安心して観れます。

メインキャラ5人のバランスもいいですね。「普通というコンプレックス」を抱える由乃ちゃんをはじめとして、皆それぞれ際立った個性がありますが、凛々子ちゃんはスピンオフのコミカライズも予定されており、おそらく視聴者の共感を最も多く得たキャラであろうことが窺えます。

物語全体を貫く「地方創生」というキーワードに対してもそれなりの問題提起がされており、作品に一層の奥行きを与えている。

常によくある地方創生論で「保守的な風土が有能なイノベーションの芽を潰す」というのがありますが、所詮、イノベーションというのは後になって遡及的に「あれはイノベーションだった」と初めて評価可能なものであって、それまではただの海のものとも山のものとも分からないに過ぎないということです。

本作において千登勢さんをはじめとした保守的な立場に立つ商店街側を一方的な敵役として描いていないというのは、そういう点を意識しているのではなかろうかと思われます。


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posted by かがみ at 21:14 | 文化論