2017年02月14日

ドラマ版「嫌われる勇気」に日本アドラー心理学会が抗議文

ドラマ版「嫌われる勇気」を最初観たときは完全に口開けてポカンの状態でして、なんというか、よくまあ、ここまで思い切った改変をしたものだと別の意味で制作サイドの「嫌われる勇気」を見た気がしましたが、ここに来てやっぱり日本アドラー心理学会から抗議が来た模様です。

香里奈主演「嫌われる勇気」に「日本アドラー心理学会」が抗議文 - ライブドアニュース

日本アドラー心理学会のホームページ|INDIVIDUAL PSYCHOLOGY

株式会社フジテレビジョン 『嫌われる勇気』製作責任者御机下

抗議文は「放映の中止か、あるいは脚本の大幅な見直しをお願いしたいと思っております 」と結ばれており、まさにドラマ版主人公の庵堂蘭子の決め台詞である「明確に否定します」と言わんばかりです。

この抗議は極めて正当だと思います。ドラマ版はキャストの誰某の演技が大根だとか、事件解決にアドラー心理学がまったく絡んでいないとか、巷ではそういうところでも辛辣に批判されているみたいですが、アドラー心理学という観点からの本質的な批判はもっと別のところにあります。

それは抗議文にあるように、現状、ドラマ版においては、アドラー心理学の生命線ともいえるべき概念である「共同体感覚」「勇気づけ」の視点が完全に欠落している点に他なりません。この点、抗議文ではわりと端的な指摘に留まっているので、ここで大変僭越ながらも、ざっくりと私なりの理解から書いてみたいと思います。


劣等コンプレックスと共同体感覚

まずはそもそも論というか、アドラー心理学の基礎理論の整理から始めます。

精神分析の創始者でおなじみのジークムント・フロイトは人の根本衝動を「性欲動」だと規定しましたが、これに対して、アルフレッド・アドラーは人の根本衝動は「劣等感の補償」による「優越性の追求」だと主張します。要するに、人は無力な寄る辺ない存在としてこの世に生を受けるが故に「もっと成長したい、もっとあるべき理想に近づきたい」という動機が生まれてくるということです。

人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました。

(嫌われる勇気:79頁)


こうした劣等感の補償ないし優越性の追求に駆動されていった結果、形成されていく個人的な信念・世界観といった個人のパーソナリティをアドラーは「ライフスタイル」と呼びます。

ライフスタイルというのは認知行動療法でいうところの「スキーマ」に概ね重なる概念と思って差し支えないでしょう。人は知らず知らずのうち、自らのライフスタイルを正当化し維持する「目的」で様々な症状や問題行動を起こし、またライフスタイルというプリズムを通してこの世界を「認知」する(目的論・認知論)

よく言われる「トラウマは存在しない」というのは、過去の出来事は現在のライススタイルに整合する形で認知されるため、結果、同じ事実が「美しい思い出」にも「忌むべきトラウマ」にも、可能性としてはどちらにもなり得るいうことでしょう。

つまり重要なのは、どのようなライフスタイルを形成するかという問題であり、そこでは精神分析でいう意識・無意識の区別は重要ではなく、あくまで「全体」としての個人という「主体」の在り方が問われている(全体論・主体論)

つまり主体としての個人の有り様によってライフスタイルはいつでも変えられるというわけです。「ライフスタイル」という呼び方もその着せ替えできるような「軽さ」を強調するためと言われます。

そして、ある人がいかなるライフスタイルを形成するかは、その人が「対人関係」をどのように捉えるかにかかってきます(対人関係論)

対人関係を「縦の関係」、すなわち支配、評価の関係として捉えれば、「劣等コンプレックス」という歪んだライフスタイルが形成されていきます。逆に対人関係を「横の関係」、すなわち、尊敬、感謝の関係で捉えれば、「共同体感覚」という適正なライフスタイルが形成されていくわけです。

課題の分離の二つの側面

以上から、共同体感覚の涵養こそがアドラー心理学の目標となります。そしてその実践プロセスは以下のとおりです。

まず、自他の問題領域を切り分けます。いわゆる「課題の分離」です。

実は課題の分離には二つの側面があります。まず第一に「他者の課題に踏み込まないこと」。これはわかりますよね??庵堂さんがたまにドヤ顔で言い放つ「それはあなたの課題です」というアレですよ。(原作の)「嫌われる勇気」でも強調されている通り、他者からの評価というのも「他者の課題」ですから、いわゆる「承認欲求を否定する」というのもここに通じるものがあります。

そしてもうひとつ、第二に「自分の課題に誠実にとり組むこと」。これは巷のアドラー解説本ではあまり強調されていない気もしますが、普通に考えれば第一の点と密接な関係になるはずです。だってそうでしょう??「相手の課題に踏み込まないこと」だけだと、単なる自分の殻に閉じこもって何もしない人と何ら変わらないじゃないですか??

では自分の課題とは何でしょうか?私の理解ではこれこそが「勇気づけ」の実践です

「勇気づけ」の実践その1〜自分を勇気づける

勇気づけとは「横の関係に基づく援助」と呼ばれますが、基本言葉が「ありがとう」「嬉しいです」「助かります」とあるように、より端的に言えば尊敬・感謝の表明です。勇気づけの実践は、まずはいまの自分を勇気づけるところから始まります。

自分なりの言葉で、いまのありのままの「交換不能なわたし」を直視し受け入れて、いわば自分で自分を援助するということなんですよ。これを「自己受容」といいます。(原作の)哲人の言葉で言えば「肯定的なあきらめ」。「あきらめ」というのはもともと「明らかに見る」という意味合いだそうです。カウンセリングにおけるロジャーズ三原則でいえば「自己一致」という概念に近いでしょう。

「勇気づけ」の実践その2〜他者を勇気づける

そういうわけで、自分を勇気づけることができるようになれば、次のステップとして他者を勇気づけます。他者を尊敬し感謝の念を表明する。「他者信頼」「他者貢献」です。

「他者信頼」というのは他者にイエスマンのごとく追従する態度とは全く異なります。アドラー派に「結末技法」というものがありますが、相手の存在を尊敬・信頼することと、相手の間違った行為を間違っているときっぱり断じ去ることは全く別のことです。「明確に否定します」という言葉はここに通じます(ただ原作の哲人がいう「明確に否定します」とドラマ版の庵堂さんがいう「明確に否定します」は相当ニュアンスが違ってますが・・・)。ロジャーズ三原則でいえば「無条件受容」「共感的理解」に相当するものでしょう。

「他者貢献」は最も重要です。実際に何かを貢献したかどうかではなく、重要なのは「貢献感」が得られたかどうかです。人は「貢献感」を得ることで自分の価値を実感できるというわけです。こういう風に書くと何か胡散臭い雰囲気を感じる方もいるでしょうが、このメカニズムの神経学的な解明は現代においてかなり進んでおり、例えば「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンという神経伝達物質は、親しい相手とのスキンシップ、優しい言葉、温かいまなざしといった物理的、精神的接触の他にも、誰かに対する親切心によって分泌が促進されるそうです。

兎も角も、こうして「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」。この三つの要件が揃って初めて、人は劣等コンプレックスの磁場を抜け出し、共同体感覚(=横の関係)の領域に遷移するということができます。

本当に難しいのは共同体感覚を「持ち続けること」

そして大事なのはこれを継続することです。実は、共同体感覚を瞬間的に得ること自体はそんなに難しくないんですよ。誰だって自分がうまくいっているときは余裕がありますから、周りに受容的な態度をとることはそんなに難しいことではないでしょう。

けど、一度上手くいかなくなれば、やっぱり妬みや僻みという負の感情が出てきます。いったんは共同体感覚に遷移しても、簡単に劣等コンプレックスに転落してしまいます。

それでも、どんな苦境に立たされようが、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を一貫して維持し続ける。これはもはや至難の技と言わざるを得ない。だからこそ共同体感覚というのはアドラーの言うように「到達できない理想」なのです。

世界はシンプルであり、人生もまた同じである。しかし、「シンプルであり続けることはむずかしい」と。そこには「なんでもない日々」が試練となるのです。

(幸せになる勇気:275頁)


我々凡人は劣等コンプレックスと共同体感覚という二つの両極の間をウロウロするのが実際のところなんでしょう。そんな中、せめて少しでも、共同体感覚寄りの「斜めの関係」を維持できれば、まあ御の字なのかもしれませんね。

嫌われる勇気とは自己中心的な生き方ではない

さて、これでもう明らかだと思いますが、要するにドラマ版はこれまで観た限りでは、庵堂さんの振舞いには「他者を勇気づけること」、すなわち共同体感覚中核三要件の「他者信頼」「他者貢献」が欠落していると言わざるを得ない。

これは片手落ちどころの話ではないでしょう。そんな主人公を哲人ポジションにいる人が「ナチュラル・ボーン・アドラー」などと持ち上げるわけです。

そうすると当然、原作未読の視聴者から「嫌われる勇気というのはこの女みたいな周りを顧みない自己中心的な生き方か、これがアドラー心理学か」と、こういう風に認識されても仕方がないでしょう。

もしかしたらあるいは万が一、今後の展開で、そういう共同体感覚的な側面が出てくる予定の構成になっているのかもしれません。けど百歩譲って仮にそうだとしても、最初の数話で呆れて視聴をやめてしまった人の中にはやっぱり、上に書いたような誤解がずっと残ってしまうことになるわけです。こうなるとアドラー心理学の普及団体としては苦情のひとつも言いたくなるでしょうね。

香里奈「嫌われる勇気」に放映中止要求 本家・アドラー心理学会の抗議理由 : J-CASTニュース

今のところ、制作サイドとしては放映中止は考えてない模様。最初、原作サイドの監修はなかったのか疑問でしたが、一応、岸見先生がアドラー理論の解釈部分のチェックは行っていたみたいですね。岸見先生的にはドラマのストーリーがどう作られるかについては、あくまで「他者の課題」というご認識なのかもしれませんね。

長くなったので要旨をまとめておきます。

【まとめ】

・(動因)劣等感の補償/優越性の追求→(形成物)ライフスタイル

・対人関係を縦に捉える(支配・評価の関係)ライフスタイル=劣等コンプレックス

・対人関係を横に捉える(尊敬・感謝の関係)ライフスタイル=共同体感覚

・課題の分離=他者の課題に踏み込まない(承認欲求の否定)+自分の課題に誠実に取り込む(勇気づけの実践)

・勇気づけ=自分を勇気づける(自己受容)+他者を勇気づける(他者信頼・他者貢献)→共同体感覚


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posted by かがみ at 19:47 | 心理療法