ラカンの、おそらく最も引用されることが多いであろう言葉の一つに「欲望とは〈他者〉の欲望である」というものがあります。要するに我々が何かを欲しいと思う感情は自分以外の誰かがそれを欲しいと思う感情のコピーにすぎないわけです。例えば、なぜ皆がiPhoneの最新機種を欲しいと思うのかというと、それを皆が欲しがっているからです。あるいは、なぜ誰も路傍に打ち捨てられたゴミを欲しいと思わないのかというと、それを誰も欲しがっていないからです。
精神分析過程において起きる「転移」という現象も、かかる「欲望とは〈他者〉の欲望である」テーゼの一つの臨床的発現として理解可能でしょう。
精神分析は転移によって駆動し展開して行くとすらいえます。転移とは定義的にはかつて過去に両親などに抱いた愛憎の感情が分析関係という「いま、ここ」に投射され反復されることをいいますが、この転移は分析家の「分析主体の無意識を詳らかにしたいという欲望」により発生します。
すなわち、かかる分析家のあくなき欲望を分析主体が自身の欲望としてコピーすることで、それまで彼が無意識下に抑圧されていた過去の感情が分析過程において現前するわけです。だからこそラカンは『精神分析の倫理』において「分析家は己の(分析家としての)欲望に背いてはならない」と主張したわけです。
そういう意味で、先の米大統領選におけるドナルド・トランプ氏のまさかの勝利は、精神分析の観点から言えば、一種の大規模な転移現象とも言えるでしょう。
不法移民やポリティカル・コレクトネスなどに対する、氏の「欲望」を剥き出しにした言葉は大手メディアの四面楚歌を物ともせず、サイレントマジョリティーの「欲望」に火をつけて瞬く間に延焼させていき、ついに「リベラルという理性」を蹂躙することに成功してしまったということです。
氏は数々の放言の一方で、ビジネスマンとしては真っ当な名言も残していますが、これらの共通項を仔細に見るに、そこには意外なことに「公正であること」「前向きであること」「誠実であること」「正直であること」といったトランプ氏なりの人生哲学が垣間見えてくるのは興味深いところです。4度もの破産申請を繰り返し、何度もどん底から這い上がったという印象も有利に働いたのでしょうか。
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こうして見ると、トランプ氏の言動は『Fate/Zero』の征服王イスカンダルを想起させるものがあります。物語中盤、彼は聖杯問答において騎士王アルトリア(セイバー)の「正しき統制、正しき治世を望むことこそが理想の王の在り方である」という主張を次のように論破します。
「無欲な王など飾り物にも劣るわい!!・・・セイバーよ、”理想に殉じる”と貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞ、高貴で侵しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教などという荊の道に一体、誰が憧れる?焦がれる程の夢を見る?聖者はな、たとえ民草を慰撫できたとしても、決して導くことはできぬ。確たる欲望の形を示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!・・・王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する。清濁も含めて人の臨界を極めたるもの。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に、”我もまた王たらん”と憧憬の火が灯る!(星海社文庫『Fate/Zero3』243頁)」
虚淵玄氏らしい絢爛豪華な表現ですが、後段はまさに「己の欲望に背いてはならない」「欲望とは〈他者〉の欲望である」というラカンのテーゼそのものでしょう。征服王の擁するランクEXの超宝具「王の軍勢」は彼の言葉の具現化と言えますが、今回、トランプ氏を支持したサイレントマジョリティーは氏の欲望に魅せられた「王の軍勢」だったのではないかとも思えるわけです。
これがいわゆるアメリカンドリームなどというものなのか、はたまた単なる悪夢なのかは今の時点では即断できませんが、少なくとも、いち泡沫候補からドンキホーテさながらの徒手空拳で頂点へ上り詰めた壮挙自体については「清濁も含めて人の臨界を極めたるもの」として素直に敬服の意を表するしかないでしょう。
ただ、精神分析においては、転移を発生させた後、これを「解釈」し「操作」しなければならない過程があります。果たしてトランプ氏が、これからこの大規模な転移をどう「解釈」し「操作」するのか、注視していくべきなんでしょう。いまはとりあえず、なんとも目の前に何が出るかわからないビックリ箱を置かれたような感じですね。
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