わりと母性社会として語られがちな我が国の社会体制ですが、河井隼雄氏がかつて『中空構造日本の深層』で指摘するように、あくまでそれは欧米と比較した場合であって、アジア諸国と比較するとき、むしろ日本は母性と父性のバランスの上に立っており、この均衡を支えるものこそ中空構造という円環的な論理構造を成しているとも理解できます。
全盛期の小沢一郎氏が言い放った「神輿は軽くてバカがいい」という迷言はある意味で中空構造の本質的なものを言い表しており、いわば「空の原理」と呼ぶべきものが中心にあり、そこから生じる斥力により相対立する善悪、正邪の諸々が互いを排除せずに均衡しているわけです。 欧米的(一神教的)中心統合構造に対する日本的(多神教的)中空均衡構造という図式は一見ステレオタイプな気がしますが、未だに普通にベタベタに当てはまるというか、そういう事案が今世紀に入ってから起きていることは皆さん知っているはずなんですよね。言うまでもなく、米国の9.11は中心統合構造への強烈な一撃でしたし、我が国の3.11は中空均衡構造の機能不全と言わざるを得ない。今の時代は一見、複雑そうに見えて、本質的なところでは意外と単純なのかも知れませんね。昨今、煌びやかな改憲論議もその延長線上で理解可能な気がします。
「中空の空性がエネルギーの充満したものとして存在する、いわば、無であって有である状態にあるときは、それが有効であるが、中空が文字通りの無となるときは、その全体のシステムは極めて弱いものとなってしまう。後者のような状態に気づくと、誰しも強力な中心を望むのは、むしろ当然のことである。(63頁)」
先の参院選の結果を受け、今秋からまた憲法審が再稼働するそうですが、ここでひとつだけ言わせて頂きますと、日本国憲法っていうのは、あの時代を生きた、戦勝国とかも含めた人々の集合的無意識が発した、本音に近い部分でのヒステリックな「叫び」みたいなもので、時代性に色付けられた固有的なメッセージを強く帯びていると思うんですよ。
その意味であれは「人類普遍の原理」でも何でもないし、この国の中空を埋めるようなものには決してなり得ない一方で、71年前の今日を生きた人々があの日、全てが灰塵に帰した絶望のどん底で、明日へどんな希望を懐いたのか、そういった時代への共感的理解が、あの憲法にどんな態度をとるにせよ、少なくともそれだけは欠かすことは絶対に出来ないものだと思うんですよね。