2016年07月07日

鏡像段階の反復運動としての共感的理解

誰かから「悩み相談」など受けた時、ついつい、人というのは何かしらの「アドバイス」をしたくなるものです。しかし、アドバイスは概して役に立たないことが多い。時にはその内容が正論であればあるほどに反感を買ってしまうこともある。悩みを打ち明ける人はアドバイスを聞きたいのではなく、共感が欲しくて悩みを打ち明けていることが多いのです。

一般的には「悩み相談に対してはアドバイスではなく、共感的理解が大事」だと言われていますよね?共感的理解とはカウンセリングの神様と言われたカール・ロジャーズの定義に依れば「クライエントの内的な主観的世界を、セラピストがあたかも自分のものであるかのように感じ取り、 しかも巻き込まれずに、『あたかも〜のような(as if)』という性質を失わないこと」などと言われます。

それではなぜ人は共感を求めるのでしょうか?ここを原理的に理解せずして、単に話し手のキーワードをマニュアル的に鸚鵡返しして、適当な所で「辛かったんだよね」とか「苦しかったね」などとリフレクションしていれば共感的理解になるとか思ってしまうと、そういう気持ちはあっさり話し手に見抜かれてしまうでしょう。

なので自分なりに「なぜ共感をすべきなのか」という物語を持っておく事は大事なんだと思うんですよ。この点、一つの説明としてこれは人が共感を求めるのはそれは「かつての鏡像段階を反復しているからである」ということが言えると思います。

鏡像段階というのは簡単に言えば、生後6ヶ月から18ヶ月の間の時期の幼児が鏡を見て自我を獲得するという、フランスの精神分析家ジャック=ラカンの提唱した発達段階概念です。生まれて間もない赤ちゃんは、いまだ神経系が未発達であるため、寸断された身体イメージの中に生きている。鏡像段階において、幼児は身体興奮の束に過ぎなかったみずからの身体イメージを、鏡の中にはじめて全体的・統合的なものとして発見し、そこにおいて自己イメージを先取りする。

そしてこの鏡とは他者のことをも意味します。つまり、人は、他者を鏡像として、他者の中に自らを見出すということです。すなわち「これが自分だ」と自己イメージを同定し、自我を生じさせる為には「他者」が必要なのです。

この「他者」という用語にはまた少々注釈が必要でしょう。鏡像段階を図式化したものとしてシェーマLですが、この図は自我aと想像的他者a'を結ぶ想像的軸と、無意識の主体Sと大他者Aを結ぶ象徴的軸により構成されるものです。



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Sとは主体を指します。これは自我という意味での「わたし」とは違います。Sは仏語のSujet(シュジェ)の頭文字であり、またフロイトの第二局所論でいう「エス・自我・超自我」における「エス」でもあります。英語で「雨が降る」は”It rains.”と表記しますが、丁度Sはこのときの”It”にあたるでしょう。”It”は形式上は主語であるが、それ自体に意味はない。言うなればSとは「わたし」という自我を越えた「その人の存在そのもの、生命そのもの」を指しているのです。

かかる主体Sと象徴的軸上において対極に位置するのが大他者Aです。これも「あなた」という誰か具体的な人ではありません。ざっくりいうと、この世界を形作る言語や倫理といった象徴的秩序のことをいいます。

これに対して、「あなた」というべき身近にいる人々は想像的他者a’として想像的軸上に配置される。大他者と想像的他者は概念上は区別されますが、もちろん実際は具体的な1人の人間が両者の役割を体現するケースも多いでしょう。例えば幼児にとって両親はもっとも身近な人々という意味では想像的他者a’であり、同時に世界の秩序を代表する大他者Aでもあります。

そして、幼児(主体)はこの想像的他者a’を鏡像関係として自らの自我aを形成するというわけです(鏡像段階)。つまり「わたし」は「あなた」によって作り出されることになります。

鏡像段階によって作り出された自我はその後も他者を鏡として二次的同一化を続けていき、その反復運動は死ぬまで続けられることになる。人は常に誰かに大他者Aあるいは想像的他者a'のイメージを投影して生きているのです。

以上、ものすごく乱暴に鏡像段階論とシェーマLを眺めてきましたが、ここから以下のような事が言えるでしょう。

まず「悩み相談」においてアドバイスが有効に機能するのは聴き手が大他者Aの位置に来る時、すなわち秩序の代弁者と見做される場合だけです。これは極めて限定的なものと見るべきでしょう。例えば連立方程式の解き方がわからない子が数学に詳しいクラスメイトに聞きに来たというような場合、あるいはiPhoneを買ったばかりの初心者がiPhoneに詳しい人に操作方法を聞きに来たというような場合、この時「数学に詳しい人」「iPhoneに詳しい人」は「連立方程式の解き方」「iPhoneの操作方法」といういうある意味での秩序を代弁する大他者の位置に来ます。従ってこの限りにおいては普通にアドバイスをしていればいい。

他方で、話し手の人生観や世界観といった私的な領域に密接に関連する悩み相談の場合、「正しい人生観や世界観」なるものが存在しない為、よっぽど相談者が助言者に心酔していない限り、助言者が大他者の位置に来ることは通常はありえないわけです。

すなわち、悩み相談において話し手にとっての聴き手とは基本的に想像的な軸上にいる想像的他者a’の位置にいるわけです。従って話し手(わたし)は聴き手(あなた)に「あたかも自分のものであるかのように」共感してくれる鏡としての役割を基本的に期待しているということになります。なので共感的理解が大事だという事になるわけです。

実際の「悩み相談」の場合、鏡を演じて話し手の感情を照射すべき場面と秩序の代弁者としてアドバイスをすべき場面が入り混じるんだと思います。ただ、何れにしても自分の価値観を押し付けるアドバイスというのは、基本的には自己陶酔にしかならないというべきなんでしょう。

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posted by かがみ at 00:00 | 心理療法