嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
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岸見 一郎 古賀 史健
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「つまり、ご友人には『外に出ない』という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを『目的論』と呼びます。(嫌われる勇気27頁)」
フロイトは過去に無意識へと抑圧された表象や観念が「原因」となり現在の症状や問題行動を産み出していると考え、無意識に抑圧されたトラウマを暴き出すことで問題を解決できると考えた。これに対し、アドラーはフロイト的なトラウマを否定し、症状や問題行動は「目的」を達成するために産み出していると説く。
目的論の論拠として、もし仮に過去が現在を規定するという原因論が正しいとすれば、「同じような過去を持っている人は同じような『現在』を生きていないとおかしい」いうことが言われる。『嫌われる勇気』の例で言えば「両親から虐待を受けて育った人は、すべてがご友人と同じ結果、すなわち引きこもりになっていないとつじつまが合わない(26頁)」。そして、アドラー心理学は不適切な目的として@賞賛要求、A注目喚起、B権力闘争、C復讐、D無能証明、という5段階論を唱えている。
・・・と、まあ、以上が目的論の一般的な説明なのかもしれませんが、これはある意味で実際に対人恐怖や引きこもりで悩んでいる人から見れば腹立たしい立論でしょう。
実際に社交不安障害やパニック障害などは動悸や過呼吸などの身体症状として現れます。なので、当事者から「自分はこれこれこういう症状があるから、いまこうやって苦しんでいるのであって、断じてそういう変な『目的』を持っているわけではない」と言われたら、上記の論理だけでは返す言葉もない、と言わざるを得ない。
果たして、アドラー心理学でいう「目的」とは一体なんなんでしょうか?これを理解するためには「目的論」をあえて「原因論」で捉え直して見ることが必要ではないかと思います。
まず、アドラーによれば、人の根本衝動は「優越性の追求」であり、その表裏の関係に「劣等感」があるといいます。優越性の追求(劣等感)の結果、そのひとの個人的な傾向、世界観が形成される。これを「ライフスタイル」と呼び、このライフスタイルが拗れてしまった類型を「劣等コンプレックス」といいます。
「ライフスタイル」とは「信念・世界観」である以上、人は自ら形成したライフスタイルを正当化する思考や行動をとることになる。ライフスタイルが不適切であれば、そこから派生する思考や行動も当然不適切になる。
つまり、「目的」の正体とは、この「ライフスタイル」そのもの、あるいはそこから派生する思考に他ならないということになります。
この「ライフスタイル」というのは認知行動療法でいうスキーマに相当するものと以前書きましたが、意識・無意識という観点から位置付けるとすれば、これはちょうどユング心理学でいうところの個人的無意識のレベルでしょう。アドラー心理学はあくまで方法論とし「無意識」を重んじないだけで、べつに「無意識」という精神領域が無いとは言ってはいません。そして、ユング派ではこの個人的無意識に抑圧された心的葛藤をまさに文字通り「コンプレックス」と呼んでおり、神経症とはかかる「コンプレックス」が抑圧される結果として生み出す代理満足に他ならないということです。
さて、以上を踏まえて、「目的論」を「原因論」で捉え直した結果、以下のように言えるのではないでしょうか?
「目的(=ライフスタイルないし、そこからの派生思考)」とは前意識下あるいは無意識下に抑圧された心的葛藤(=ユング派でいうコンプレックス)であり、動悸や過呼吸という身体症状はこの「目的」という「原因」により生じた「結果」であるという風に理解できる。この一連のメカニズムは全て無意識下で為されるわけですから、当人が症状を生み出している「目的」に無自覚的なのも当然であると言えるわけです。
こうしてみると「原因論」も「目的論」も全く正反対のことを言っているわけではなく、真理を違う角度から説明しているだけ、という言い方もできるでしょうね。
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