2015年07月07日

共感的理解とただの同情は何が違うのか

共感的理解というのは傾聴という技法的な文脈で語られる為、ロジャーズ3原則の中で最も後天的努力で伸ばすことのできる要素とされますが、共感的理解というのは同情とは全く違うものと言われます。何が違うのか?これも難しい問いです。

一般的に言われるのが、自分の準拠枠で聴くか相手の準拠枠で聴くかの違いだとされます。すなわち、ただの同情は相手の話を自分の物差しに当てはめて理解するわけですが、共感的理解はどこまでも相手の物差しで聴く。相手の「いま、ここ」の感情を鏡のように反射するリフレクションという技法はまさにそういう意味での共感的理解の象徴でもあるわけです。

しかしいかにリフレクションをしたつもりでも、相手の物差しというのは完全に理解するということはそれこそ不可能でしょう。それは文字通り「心を読む」ことであって、できたらそれこそ超能力です。必死で「共感的理解」をやってるつもりでも実際はやっぱり単なる同情に終わっているケースというのが殆どでしょう。

ロジャーズ曰く「セラピストの経験と人間の諸感情と体験過程のパターンに関する知識とによって解決する」らしいんですけど、申し訳ないことにちょっと何を言っているのかよくわからないです。

共感的理解も無条件受容と同様、態度自体は疑いなく正しいがそこに至るのが至難の極みというロジャーズの理論全体に通底する問題が内在するわけです。実際、グロリアビデオとかでもロジャーズ自身も上手く返せてないんじゃないの?って場面は普通にある。テレパシストでもない限り、どうしても共感不全が生じることは不可避です。

なので、共感的理解は努力目標でありつつも、共感不全が起こる事態をも想定内として織り込み、これを逆に治療の「活かし」とするのが現実的方途というべきだとするコフートの見解が凡人には妥当な処方というべきでしょうか。雨降って地固まるというアレですね。

あと、自己開示を伴わない同情が共感とも言われるが、自己開示自体傾聴技法でそれが治療の展開点となる場合もあるので、自己開示をしないというドグマを立てるというのもまた、どうかと思うわけです。


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posted by かがみ at 02:24 | 心理療法