* 統合失調症と中井久夫
かつて精神病理学や病跡学において統合失調症は理性の解体と引き換えに人間の本質に関わる深淵な真理を開示する病として特権的な位置に置かれ、その研究は「いかにして人の精神が破綻し、統合失調症が発症するか」という発症過程のドラマチックな部分に議論が集中する一方で、その後の慢性化した状態に興味を持つ人はほとんどいませんでした。そして、そこには統合失調症は慢性化してしまうと人格が荒廃してしまってもう治らないというニヒリズムともいえる諦めがありました。
ところが、こうした風潮にノーを突きつけ統合失調症は治療により十分に回復可能な病であることをはっきりと示した不世出の精神科医が中井久夫氏です。中井氏は京都大学医学部卒業後、ウィルス学の研究を専門としていましたが、1966年、32歳の時に精神医学に転向して以降、医師としての生涯を賭けて統合失調症の探究に邁進することになります。
周知の通り、統合失調症はその名の通り精神の統合機能が阻害されてしまう疾患で、自他の境界が曖昧になり、思考が阻害されたり、様々な幻覚妄想が生じたりします。この病気はかつて「精神分裂病」と呼ばれ、1980年頃まで難治性で進行性の慢性化しやすい疾患であると考えられていました。当時ほとんどの精神病理学者が統合失調症を特異で深刻で人間存在を根底から掘り崩すような疾患だと主張する中で中井氏は一貫してこの考え方に抵抗し、統合失調症は治療によって回復可能な病であることを主張し続けました。
* 寛解過程論
1997年に神戸大学医学部を退官する際に行った最終講義を書籍化した『最終講義−−分裂病私見』(1998)において中井氏は精神科医に転じた1966年当時、統合失調症(分裂病)に関してはなお「混沌たるもの」があったとして「私の目的は分裂病に目鼻をつけることでした」と回顧しています。そして氏は当時の分裂病の臨床が症状と身体状態との関連への注目が少なく観察間隔も空きすぎていることや、これまでの分裂病研究が発病論や本質論ばかりに偏っており回復過程を記述したものがほとんどないということに気づきました。
そこで氏は下痢や不眠といった患者の身体における事象をつぶさに観察し、時系列でグラフ化していきました。そして統合失調症の回復にはいくつかの段階があることを示し、特に急性期から回復期に移行する時期を発見し「臨界期(回復時臨界期)」と名づけました。
こうして統合失調症の経過を精密に明らかにした中井氏の「寛解過程論」は当時、画期的な研究として精神医学界から驚きをもって迎えられました。氏はこの回復の過程でどのような身体的変化が起こるのかを症例をもって実証しながら、慢性状態も不断に変化し続ける過程であることを、つまり「治る(寛解)」という可能性がある過程であることを極めて説得的に示していきました。
慢性化している状態を「コンディション(状態)」ではなく「治る(寛解)」という可能性を含んだ「プロセス(過程)」に読み換えていくこのパラダイムシフトは当時極めて画期的なものであったと言われます。ここから慢性期をプロセス、つまり変化し得るものだと考えることで、諦めと惰性が支配的だった慢性期の治療に一筋の希望が生まれることになります。中井氏は「希望を処方する」という言葉を残していますが、氏の提唱した「寛解過程論」はまさに患者や精神科医に「希望を処方する」ことができた理論であったといえます。
* 風景構成法
そして中井氏は早くから治療に絵画療法を積極的に取り入れていました。その理由はいくつも考えられますが、絵画は言葉ほど侵襲的ではなく患者を傷つける可能性が少ないため、慢性期のあまり多くは語らない患者にも適用できるという点がまず挙げられます。絵画療法の導入によって害の少ない形で話題が広がり、また絵の変化によって患者の状態や回復の過程を窺い知ることができるという意義もありました。
そのような中井氏の臨床現場から生まれたのが有名な「風景構成法」です。これは10個のアイテム(川、山、田、道、家、木、人、花、動物、石)を治療者が一つずつ読み上げて、患者はその都度枠の中に描き入れ、さらに足りないと思うものを描き加えて風景として完成させるというものです。
統合失調症患者の絵というとアウトサイダー・アートのような病的でどこか不穏な絵というイメージがあり、確かに病期によってはそうした絵を描くこともありますが、中井氏はむしろ良い治療環境で安定した状態で描かれる「普通の絵」にこそ治療上の意味があると考えていました。
この点、風景構成法は誰が書いても「普通の絵」になるような工夫が施されています。例えば指定されたアイテムをその都度書き込んでいくので全体の構成をイメージしておくことが難しく、どんな人でもあまり上手な絵にはなりませんし、また10個のアイテムがごく普通のものなので不気味な絵にもなりません。すなわち、病理に引き摺られることなく、いかに本人の中にある健康なものを引き出すかに配慮して作られた手法だと考えることができます。
* 統合失調症の人類史
また中井氏は日々の臨床と並行して統合失調症を人類史的視野で検証するという壮大なテーマに取り組んでいます。『分裂病と人類』(1982)において氏は統合失調症的な気質を持つ人として「S親和者(分裂病親和者)」という概念を提示しています。そして狩猟採集時代にはこの「S親和者」がリーダーシップをとっていたのではないかという大胆な仮説を提示し、時代によって主役となる気質が入れ替わることを人類史という壮大な規模で論じます。
このような発想の背景には氏の盟友でもあった木村敏氏が提唱した様々な精神病理を時間意識から捉える「祝祭論」と呼ばれる議論があります。木村氏は統合失調症者における未来を先取りする時間意識を「アンテ・フェストゥム(まつりのまえ)」と呼び、うつ病者における過去に固執する時間意識を「ポスト・フェストゥム(あとのまつり)」と呼びました。
このような木村氏の「祝祭論」を踏まえ中井氏はアンテ・フェストゥム的意識を「微分回路(変化に敏感に反応するが、とても疲弊しやすい回路)」として、ポスト・フェストゥム的意識を「積分回路(過去のデータベースを参照しながら変化に反応し、不測の事態には対応できない回路)」として表現しています。
この点、狩猟採集時代において人類と野生動物と互いに狩り狩られる関係にあり、動物の兆候にいち早く気付き先手を打って仕留めたり、あるいは逃げたりできる人ほど生存可能性が高かったと思われます。また当時は水や採集できる食料もそれがどこにあるかを敏感に感じ取る力がある方が生存に有利だったと思われます。こうしたことから「S親和者」の持つほんのわずかな兆候に敏感に反応する兆候優位的な気質は狩猟採集時代には決定的な力を持っていたと考えられます。
ところが農耕社会が誕生すると計画通りに農作業を行うための秩序が重んじられるようになり、過去・現在・未来へ流れていく客観的な時間の成立が権力や宗教を生み出しました。こうして狩猟採集時代には生存に優位だった兆候優位的な気質は農耕社会においてはその優位性が失われるだけではなく、やがて社会からの逸脱として扱われるようになります。もっとも、中井氏の指摘するように人類全体の存続の上で前例なき大破局の兆候を感知できる「S親和者」の持つ特性はいまだに必要されているといえるでしょう。
*「立て直し」と「世直し」
その一方、同書で中井氏は「S親和者」とは対照的な「執着気質」についても分析しています。ここでいう「執着気質」とは昭和前期に下田光造が「うつ病の病前性格」として提唱した概念であり、非常に勤勉で真面目、人に配慮ができ社交的で秩序に従順という性格傾向を持っています。
中井氏によれば仕事に対する真面目さや勤勉さを持つ執着気質は江戸時代中期以降、職業倫理として日本に根付きます。この「執着気質的職業倫理」を体現する存在として中井氏は二宮尊徳(二宮金次郎)を位置付けます。勤勉と倹約によって生家を再興し、さらに指導者として荒廃した農村をいくつも蘇らせた二宮の行動の根底には、没落や荒廃からの復興という、いわば「とりかえしをつけよう」とする「立て直し」の倫理があるということです。このような二宮尊徳が体現した勤勉と倹約を美徳とする「立て直し」の倫理は長らく日本人のロールモデルとして位置付けられてきました。
もっとも江戸時代には「立て直し」の倫理と対立する「世直し」の倫理も存在しました。のちに討幕運動や自由民権運動にも連なっていくこの「世直し」の倫理の特徴は「S親和者」の気質そのものでもあります。その上で中井氏は「立て直し」は「世直し」の人を絶えず「立て直し」にくり込み、ついにくり込めない者を極端な破滅的幻想の中に追いやるだけの強力性を持っていると指摘しています。
そして、このような「くり込み」の動きは現代においても失われていないと思えるところがあります。中井氏が同書に収録された論文を執筆した1970年代における生活臨床、デイケア、作業療法では「S親和者」を勤勉労働者に矯正するという使命感が支配的でした。そして現代においても精神疾患で休職した人が職場復帰に向けた準備を行うリワークプログラムが盛んに行われていますが、こうしたプログラムも執着気質的な適応倫理を回復することを目標とする面があるといえるでしょう。
* 希望を処方するということ
中井氏は統合失調症は特異な素因を持つ人の病であるというスティグマにつながる考え方を否定し、誰しもが発症しうる病であると繰り返し訴え、患者の尊厳を徹底して尊重することがそのまま治療やケアにつながることを一貫して主張してきました。また中井氏が患者の尊厳とともに治療で大切にすべきものとして強調しているのが「心の生ぶ毛」と呼ぶ人の心が持っている柔らかな部分です。中井氏は次のように述べています。
私たちは「とにかく治す」ことに努めてきました。今ハードルを一段上げて「やわらかに治す」ことを目標とする秋(とき)であろうと私は思います。かつて私は「心の生ぶ毛」ということばを使いましたが、そのようなものを大切にする治療です。
分裂病の人のどこかに「ふるえるような、いたいたしいほどのやわらかさ」を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。
(『最終講義−−分裂病私見』より引用)
自発性や主体性が失われ感情の平板化や鈍麻が生じている慢性期の統合失調症患者は中井氏のいう「心の生ぶ毛」が損なわれた状態にあるといえます。ここでいう「心の生ぶ毛」とは心の健康度を測る大事な要素の一つであり、中井氏はこのような「心の生ぶ毛」を大切にする治療を強調していました。こうした観点からいえばリワークプログラムなどによる社会復帰の局面においても当事者の「心の生ぶ毛」を守りながら適応を目指していくといったきめ細かな支援が求められるでしょう。
あるいはまた、ここで中井氏がいう「心の生ぶ毛」とはより広く、人それぞれが持っているその人だけの特異的な部分とも解することもできるでしょう。すなわち「S型親和者」に限らず人はそれぞれ、その人だけの「特異性」を抱えた存在として、社会における「一般性」との間で折り合いをつけながら生きているともいえます。
この点、中井氏が記述した「S型親和者」をめぐる壮大な人類史がまさにそうであるように、こうした人それぞれが持つ「特異性」は時代や社会といった「一般性」との諸々のめぐりあわせに幸運にも恵まれると、何かしらの「個性」として承認されますが、そのようなめぐりあわせに不幸にして恵まれなければ、端的に「社会不適合者」などとレッテルを貼られて排除されることになるでしょう。
けれども、このような「個性/社会不適合者」を始めとして「正気/狂気」「本物/偽物」「正義/悪」「友/敵」といった様々な二項対立もやはり、あるめぐりあわせからたまたま生じた仮固定的な産物に過ぎず、それらはまた別のめぐりあわせによる訂正可能性を常に孕んでいます。こうした意味で人それぞれが持っている「特異性」としての「心の生ぶ毛」を深くまなざした中井精神病理学の思想は精神医療の領域のみならず、対人援助、文化論、社会思想といった様々な領域においても「希望を処方する」ことができる開かれた可能性を持っているといえるでしょう。