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2023年09月27日
「うつ病」の諸相と魔術的自立主義
*「うつ病」の現在地
かつて「うつ病」といえばもっぱら「メランコリー(内因性うつ病)」を指していました。このタイプのうつ病者は一般的にその発症前から几帳面、凝り性、責任感旺盛で、秩序を重んじ、自分への要求水準が高く堅実、誠実、世話好きといった性格を持つことで知られています。
この点「メランコリー親和型うつ病」という疾患概念の提唱者であるドイツの精神病理学者フーベルトゥル・テレンバッハは内因性うつ病者が持つ特徴を「インクルデンツ(秩序のなかに閉じ込められている状態)」と「レマネンツ(自分自身に常に負い目のある状態)」と呼んでいます。また同じくドイツの精神病理学者アルフレッド・クラウスは個人のアイデンティティ(自己同一性)を「自我アイデンティティ(純粋に自分自身について持つアイデンティティ)」と「役割アイデンティティ(社会の中での自分の役割について持つアイデンティティ)」の二重構造から成り立っているとして、内因性うつ病者は「自我アイデンティティ」の形成が不十分であるため「役割アイデンティティ」が優勢となり、社会的・対人的な役割関係を守ることに自分の価値を見出していると考えました。
このようにメランコリー親和型のうつ病者は社会の中で規定された秩序や役割に縛られており、彼ら/彼女らが自分自身に課された秩序や役割に対して負い目を感じたとき、症状としてうつ病が発症することになります。
しかしながら今日において「新型うつ病」や「現代型うつ病」といった名で世界的な拡大を見せている「うつ病」は伝統的なメランコリーとは異なっていると言われており、このようなタイプの「うつ病」は「メランコリー」とは区別して「デプレッション」と呼ばれることがあります。
* メランコリーとデプレッション
そもそもメランコリーとデプレッションは出自の異なる概念であり、前者は主に精神科医によって、後者は主に内科医によって、それぞれ記載され、治療されてきた歴史的経緯があります。
まずメランコリーは18世紀末フランスにおいてフィリップ・ピネルの「メランコリー mélancolie」や、その弟子であるジャン=エティエンヌ・ドミニク・エスキロールの「リペマニー lypémanie」などに始まり、ジャン=ピエール・ファルレの「循環性狂気 folie circulaire」やジューヌ・バイヤルジェの「二相性狂気 folie à double forme」など、興奮状態と抑うつ状態の周期的交代に着目する見解を経由して、1899年にエミール・クレペリンがそれらをまとめる形で「躁うつ病 manisch-depressives Irresein」の概念を作ることによって一通りの完成を見ることになります。
これらの病は「狂気 folie/Irresein」という強い言葉が使われていることからもわかるように、外来診療で対応可能なものではなく、そのほとんどが入院環境下で治療されるような激しい症状を伴うものであり、まさに「精神病」と呼ぶにふさわしいものでした。
これに対してデプレッションは一つの疾患というよりも基本的にストレス反応とされてきました。この意味でのデプレッションの範例となるのはジョージ・ミラー・べアードが提唱した「神経衰弱 neurasthhenia」という概念です。べアードは19世紀中盤のアメリカの産業革命下で生まれた神経疲弊状態を「神経衰弱」と呼びました。それは疲労、不安、頭痛、神経痛、抑うつ気分などを特徴とする状態であり、彼はその原因を当時の長時間にわたる非人間的な工場労働に帰しています。そしてその後、20世紀になるとやはりクレペリンがベアードの神経衰弱概念に関心を寄せ、1913年に出版した『精神医学総論』第8版の中で仕事による疲弊のため不眠、頭痛などが生じる病態として「作業神経症」なる心因性疾患を記述しました。
このようにかつてはメランコリーは精神病院への入院必須な「狂気」であり、デプレッションは内科外来で治療しうる「ストレス反応」であるという差異がありました。けれども三環系抗うつ薬イミプラミン(製品名「トフラニール」として広く知られています)の登場を期に、近年ではメランコリーの中でも外来において治療可能な症例が増加します。
こうしてメランコリーとデプレッションは重症度以外の質的差異を認めず両者は本質的に同じものであるとする見解が主流になっていきます。1980年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」の第3版においては、メランコリーとデプレッションは一括して「感情障害 affective disorders」に分類され、以降両者の鑑別診断を不問とする臨床と研究が世界中を席巻することになります。
もっとも、いかにメランコリーとデプレッションが接近したとしても両者は鑑別可能です。両者を鑑別するための最も有用な特徴とされてきたのは「アンヘドニア」と呼ばれる症状です。
通常、メランコリーではどんなに楽しいことがあろうとも、たとえ発病の誘引となった状況が変わろうとも症状は変化しません。このような事態を「アンヘドニア」といいます。他方で、デプレッションでは何か楽しいことがあったり、患者を苦痛に至らしめた状況が好転したりすれば、患者は喜びを感じて病それ自体も好転する傾向にあります。
* グローバル資本主義の病としてのうつ病
ところでベアードが「神経衰弱」という概念を提唱した当時のアメリカは急速な経済発展をしつつあり、1865年には大西洋海底電線ケーブルの施設が始まるなどグローバルな情報化社会の端緒が訪れようとしていました。またクレペリンはベアードのいう神経衰弱を「われわれの時代の病気と名づけてもほとんど間違いではない」と規定し「われわれの文化の発展の性急な進歩が個人の精神病、道徳的、身体的な能率に課する要求の急激な増大の中には、神経的な荷重負担の重要な要因が存在する」と述べています。こうしてみるとデプレッションは資本主義社会の発達と共に前景化してきた病態であるともいえそうです。
この点、精神病理学者の加藤敏氏は「現代型うつ病」と呼ばれる一群をべアードの神経衰弱の現代版とみなし「職場結合性うつ病」という造語を提唱しています。ここでいう「職場結合性うつ病」とは対人関係や自己同一性の双方での明らかなパーソナリティ機能の問題が認められない安定した社会機能を有する個人が職場での過重労働(目安としては1ヶ月あたり100時間を超える時間外労働)を誘因として発病したうつ病に対して提唱された概念です。この病態は不安、焦燥が前景に立つために、うつ病としての診断がつきにくく、パニック障害の併存も多く認められます
そして加藤氏は「現代の日本で増加している職場結合性うつ病は、ベアードのいう神経衰弱、またクレペリンのいう作業神経症の病態水準からより深い段階へと進行した病態と位置付けることができ、19世紀に比べて仕事のスピード、仕事量が加速度的に増大した産業・情報社会のありようと大きく関連していることは間違いない」と述べています。
氏によれば「職場結合性うつ病」という神経衰弱性の病態の増加の背景には「職場のメランコリー親和型化」があるといいます。通常「メランコリー親和型」といえばテレンバッハが指摘したような内因性うつ病(メランコリー)を発症させやすい個人の性格類型を指しています。ところが氏は現代において「メランコリー親和型」の特徴を示しているのはもはや個人ではなく職場の側にあるといいます。
すなわち、グローバル資本主義における過度の競争にさらされて十分な休息もなしに熱心に働かされるという現代の職場環境は個人がいかなる性格であろうと旧来のメランコリー親和型者に匹敵する働き方を全ての人間に求めていると言い得るでしょう。こうしてみるとビアードの神経衰弱が19世紀アメリカの産業革命下での疲弊であったとすれば、職場結合性うつ病は今日において拡大加速を続ける一方のグローバル資本主義下での疲弊として位置付けることができるでしょう。
* メンタルヘルスと自己責任
「世界の疾病負荷研究(GBD)」によれば現在、世界のうつ病患者数は約2.6億人とされています。この数字はDSM改定によって「うつ病」と診断される範囲が広がったことに加えて、1980年代末から1990年代にかけて新世代抗うつ薬SSRIが登場したことで製薬業界とも結びついた世界的なマーケティングが行われ「うつ病」の概念が拡散したことも関係しているといわれています。
資本主義にとってはうつ病は「生産性」を低下させる病として「管理」すべき対象であるといえます。よって企業や事業主は被雇用者のメンタルヘルスの監視=管理に少なくないコストを支払うようになります。例えば日本では2015年に改正労働法に基づく「ストレスチェック制度」が施行され、労働者が50名以上いる事業所では同年12月から毎年1回ストレスチェックを全ての労働者に対して実施することが義務付けられています。
この「ストレスチェック制度」は被雇用者のメンタルヘルスの恒常的な「管理」を一つの目的とすると同時に、ストレスチェックを受けさせることで被雇用者自身が自分のストレス状況にやメンタルヘルスの問題について「自己分析」に基づく「気づき」を得て「自主的に」うつ病の予防やメンタルヘルスの健康管理に努めるよう促す目的も含意されています。
ここで労働者に暗に要請されているものは徹底したメンタルヘルスの自己監視・自己管理です。現代の企業は労働者に対してメンタルヘルスの疾病予防、あるいはそこからの早急な回復のために「レリジエンス」を身につけることを不断に要求します。すなわち、現代を席巻する新自由主義ないしリベラル能力資本主義のもとでは蔓延化、慢性化するメンタルヘルスの疾病あるいは職場結合性うつ病は社会的・政治的課題として真剣に検討されることはなく、あくまで個人の「自己責任」によって解決されるべき問題として位置付けられているといえます。
* 魔術的自立主義におけるうつ病と自己啓発
イギリスの批評家マーク・フィッシャーは現代における支配的なイデオロギーとしてイギリスの心理学者デイビッド・スマイルが提唱した「魔術的自立主義」を位置付けています。ここでいう「魔術的自立主義」とは「自分の力だけが自分を変えて、なりたい自分になることができる」という「自立」に対する無根拠な信念です。自身もまた重いうつ病を患っていたフィッシャーはこのような「魔術的自立主義」の裏面が現代社会に蔓延するうつ病に他ならないといいます。
そしてこのような「魔術的自立主義」のもう一つの裏面が「自己啓発」です。「自己啓発」は「自分が変われば世界も変わる」という唯心論的、独我論的な世界観がそのベースにあります。けれども、それはどこまでも世界に対する個人の「解釈」の変化に過ぎず、世界それ自体は何一つ変わりません。
自分が変われば世界も変わる。それは希望であると同時に呪いでもあります。こうした意味で「うつ病」と「自己啓発」は新自由主義ないしリベラル能力資本主義が生み出した双子の関係に立っています。そしてそれは、いずれも「自立」という幻想に立脚した病であるといえるでしょう。
posted by かがみ at 23:56
| 精神分析