* キルケゴール哲学と「肉体の棘」
実存主義の始祖とされるセーレン・キルケゴール(1813〜1855)は19世紀前半のヨーロッパを席巻していたヘーゲル哲学に抗い、形而上学的真理に回収されない「実存」たる人の主体的な個別性を称揚しました。キルケゴールによれば人は以下のような実存段階を経ることになります。
最初の実存段階は「美的実存」と呼ばれます。これは人生のあらゆる快楽や美に身を任せ感覚的に生きる俗世間的な実存段階です。この美的実存の挫折を乗り越えるために人は次の実存段階である「倫理的実存」へと移行する必要があります。これは普遍的な倫理や正義に基づく社会的な自己実現をはかる実存段階です。
そして人がこの倫理的実存のアポリアに直面した時に、最後の実存段階である「宗教的実存」への道が開かれます。この「宗教的実存」とはキルケゴールによれば、人が自己自身の罪の意識に基づいて神の前にただ一人の「単独者」として立ち、自らにとってのひとつきりの真理を発見する実存段階です。
このようなキルケゴール哲学の起源の一つには「レギーネ体験」とも呼ばれる有名な婚約破棄事件があります。1837年、24歳の青年キルケゴールはレギーネ・オルセンという15歳の少女と出逢い、その後キルケゴールはレギーネに執拗に結婚申し込みを繰り返します。そして1840年、ようやくキルケゴールの努力(?)が実ったのか、二人は婚約します。ところがどういうわけか婚約から11か月目にキルケゴールは一方的に婚約指輪をレギーネに送り返し婚約を破棄してしまいます。
これだけみると完全に意味不明なキルケゴールの行動ですが、彼はレギーネとの婚約破棄を自身の「肉体の棘」によるものだとしばし述べています。ここでいう「肉体の棘」とは一体なんなのでしょうか?
* ラカンはキルケゴールの中に何を見たのか
この点、キルケゴールの病跡学的研究によれば、キルケゴールが何らかの疾患を抱えていることが彼の日記から明らかになっており、このことから、側頭葉てんかん説、メランコリー説、脊椎結核説、慢性脊椎炎説、ポルフィリン症説などが主張されています。
こうした諸説の中で、キルケゴールが梅毒などの性感染症に罹患していると信じ込んでいたという説があります。史伝的事実によれば生涯一度きりしか性交渉を持たなかったらしいキルケゴールが果たして本当に性感染症に罹患していたかどうかの真偽は今もって不明ですが、少なくとも彼が自らの身体的不調を性感染症によるものだと信じ込んでいたとすれば、彼がレギーネとの婚約を破棄したのは性感染症の影響を恐れてのことではなかったのかという推測も成り立ちます。
いずれにせよキルケゴールの中ではこの「肉体の棘」によるレギーネへの接近不可能性という論理が成立しているわけです。その後、彼のレギーネへの愛は、その接近不可能性ゆえにますます強く燃え上がり、彼は死ぬまでレギーネを愛し続け、その不可能な愛こそがキルケゴールの実存哲学を駆動させていくことになります。
フランスの精神分析家、ジャック・ラカンはキルケゴールを「フロイト以前に魂についてもっとも鋭く問いを立てた人物」として称揚します。ラカンといえば周知の通り、精神分析の始祖であるジークムント・フロイトの著作を徹底して読み抜くことで独創的な精神分析理論を発明した人物であり、フランス現代思想史においては「構造主義の騎手」としても知られています。
そのラカンが構造主義によってとっくの昔に乗り越えられたはずの実存主義の始祖であるキルケゴールをこうまで高く持ち上げるのはどうにも奇妙な気もします。ラカンはキルケゴールの中に一体、何を見たのでしょうか?
* キルケゴールの愛と宮廷愛
この点、キルケゴールのレギーネに対する愛は一見して、いわゆる「宮廷愛」と呼ばれるものと似たような構造を持っているようにも思えます。ここでいう「宮廷愛」とは12世紀ヨーロッパに起源を持つ詩歌の一つのジャンルであり、高貴な既婚女性を対象とする肉体関係抜きのプラトニックな愛をいいます。
このような「宮廷愛」をラカンはセミネール7「精神分析の倫理(1959〜1960)」の中で「昇華」の形式の一つに位置付けています。一般的な心理学的意味での昇華は「実現不可能な欲求を別の社会的に望ましい行為を通じて実現すること」などと定義されますが、ラカンがいうところの「昇華」とは「ある任意の対象を〈もの〉の尊厳まで引き上げる営為」を指しています。
ここでラカンが〈もの〉と呼ぶ境域は、シニフィアンよって象徴化不能な領域である現実界を構成するものです。つまりラカンのいう「昇華」とは〈もの〉への到達不可能性を「芸術」や「愛」などといった何か尊いものへと高揚する創造的営みであり、その昇華の一類型である宮廷愛は、ある女性との想像的関係を〈もの〉という現実的極限として見立てているということになります。
* 性別化の式におけるファルス享楽
その後、ラカンはセミネール20「アンコール(1971〜1972)」において宮廷愛を再度取り上げます。ここで宮廷愛は同セミネールで展開する「性別化の式」における「男性側の式」の中に位置付けられます。
まず男性側の式の左下(∀xΦx)は「すべての男性はファルス関数に従属しており、彼らが得ることができる享楽はファルス享楽だけである」という「普遍」に関する命題を示しています。
「ファルス関数」とは完全な欲動満足である「絶対的享楽」を禁止する機能を持ちます。象徴界への参入以降、〈もの〉への接近が不可能となるのと同様に、このファルス関数によって、すべての男性は「絶対的享楽」に関して去勢され、彼らの享楽は「対象 a 」に切り詰められた残滓としての「ファルス享楽」で満足するほかなくなります。ここから「性関係の不在」という後期ラカンのよく知られたテーゼが導かれます。
そして男性側の式の左上(∃x
*「例外」を夢想するということ
ここでいう「例外」の位置には、典型的にはフロイトの論文「トーテムとタブー」に登場する「原父」のような存在が想定されますが、男性にとって「例外」として機能するのは何も「原父」とは限りません。「原父」と同様に「宮廷愛」における「La femme(女性なるもの)」も男性にとっての「例外」として機能します。ラカンは「La femme」は「〈父〉のバージョン違い」であると述べています。
「La femme」とは宮廷愛によって〈もの〉の高みまで引き上げられた女性像です。そして男性が「La femme」への接近不可能性という「性関係の不在」を自らが置く障壁に見立てた時、そこには「それさえなければ、あのLa femmeを手に入れられるのに」という宮廷愛の構図が成立します。
言うなればラカンは「精神分析の倫理」の段階では宮廷愛を、ある女性を〈もの〉とみなす「昇華」として捉えていましたが「アンコール」の段階では宮廷愛を「性関係の不在」の隠蔽装置として捉えていることになります。この点につきラカンは宮廷愛を「性関係の不在を補填するためのまったく洗練された方法」「男性にとっては、性関係の不在からエレガントに抜け出すための唯一の方法」と述べています。いずれにせよ、ここには〈もの〉や「La femme」といった「例外」を夢想する構図が見出せます。
そうなると、キルケゴールのいう「肉体の棘」によるレギーネへの接近不可能性という論理は「男性側の式」でわりとありがちな宮廷愛の変奏曲として処理可能なようにも思えます。ところが「アンコール」おいてラカンは「男性側の式」ではなく「女性側の式」の中でキルケゴールの愛について言及しています。これはどういうことなのでしょうか?
* 性別化の式における〈他〉の享楽
ここで「性別化の式」における「女性側の式」である(
もっとも、このような「〈他〉の享楽」を手に入れる可能性を持つのは生物学的意味での女性のみならず、キリスト教の神秘主義者をはじめとした傑出した男性にも〈他〉の享楽に到達する可能性があるとラカンはいいます。
そして「アンコール」の中でキルケゴールについて明確な言及がなされるのはまさにこの文脈においてです。すなわち、ここでラカンはキルケゴールの愛を単なる「宮廷愛」を超えた、神秘主義者たちの「〈他〉の享楽」にも匹敵するような愛として読み解いているということです。
* 二段階の去勢
この点につきラカンは「キルケゴールは、自らを去勢し、愛を諦めることによってのみ実存にアクセスできると考えています」と述べています。ここでラカンがいう「去勢」とは古典的なフロイト的意味における「去勢」とは異なります。おそらく婚約破棄以前のキルケゴールはファルス関数の枠組みの中でレギーネを「対象 a」として愛するファルス享楽の段階にいたはずです。しかし彼は婚約破棄により、レギーネに対するファルス享楽の愛を諦めました。そのことをラカンは「自らを去勢し、愛を諦めること」と表現しています。
つまり(ラカンが読み解いた)キルケゴールはここで二段階の「去勢」を経由していることになります。第一段階目がファルス関数によるフロイト的意味の「去勢」であり、第二段階目がファルス関数に「否」を突きつけるラカン的意味での「去勢」です。
キルケゴールにとってレギーネとの婚約破棄は「神との聖なる婚約」であったといいます。すなわち、ここで彼はレギーネを対象 a に還元するファルス享楽を放棄することで「神との聖なる婚約=〈他〉の享楽」に到達したことになります。
しかし、これは「男性側の式」から「女性側の式」への単純な移行を意味しません。「女性側の式」における「〈他〉の享楽」のパラダイムが「神秘主義」的な享楽であるのに対して、キルケゴールにおける「〈他〉の享楽」のパラダイムは二段階の去勢を経由したいわば「禁欲主義」的な享楽といえます。すなわち、ここでキルケゴールは宮廷愛的な「例外」の夢想を超えた「男性側の式」のリミットの外部へ、まさしく「例外そのもの」へと跳躍している事になります。
* 例外なき例外を生きるということ
こうしてみると、キルケゴール哲学における「倫理的実存」から「宗教的実存」への移行とは、ラカンのいうところの「自らを去勢し、愛を諦めること」ではじめて可能となる「実存」への跳躍を、すなわち二段階の去勢を経由した「例外そのもの」への跳躍を指しているように思われます。
このようなキルケゴール的跳躍は19世紀当時においては、まさしく文字通りの「例外そのもの」であったと思われます。けれども「倫理的実存」という名の「ファルス関数」が失墜した現代においては、ある意味で我々は皆、キルケゴール的跳躍が問われているといえます。おそらく人は今や誰もが例外なく「例外そのもの」を、いわば例外なき例外として、自分にとってのひとつきりの真理を、あるいは特異的な享楽を、この人生という名の実存と構造が矛盾する螺旋の円環の中に見出していかなければならないのでしょう。