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フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

現代アニメーションのいくつかの断章

2021年02月26日

別のしかたでの欲望−−アンチ・オイエディプスから動物化するポストモダンへ




* ふつうの精神病とふつうの倒錯

1970年代以降、フランスや日本を含む西側先進諸国では、消費化情報化社会の進展を背景に「ポストモダン」と呼ばれる社会の断片化が加速していきました。「ポストモダン」とはある特定の社会を統合する共通秩序としての「大きな物語」がもはや機能不全となった社会ということです。

こうした「大きな物語」の機能不全をラカン派精神分析では「象徴界」の機能不全として捉えます。フランスの精神分析医、ジャック・ラカンは人の精神活動を「想像界」「象徴界」「現実界」という三つの位相で捉えました。そしてラカンによれば人の心的構造は「象徴界」を内在化させているか否かで「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかに分類されます。

すなわち「大きな物語=象徴界」の機能不全とは「いわゆる正常=神経症」という等式を揺るがせる事態ということです。こうしてラカン派内部では「ポスト神経症時代」の主体をいかに捉えるかという議論が活性化しました。

この点「École de la cause freudienne(フロイト大義学派)」を率いるラカンの娘婿、ジャック=アラン・ミレールは「ふつうの精神病」なる暫定的カテゴリーを提唱します。「ふつうの精神病」とは古典的な「並外れた精神病」のような幻覚や妄想はないけれど、その心的構造に明らかな精神病的特徴が見られるような主体を言います。

これに対して「Association Lacanienne Internationale(国際ラカン協会)」を創設したジャン=ピエール・ルブランは「ふつうの倒錯」なる概念を提唱します。「ふつうの倒錯」は「真正の倒錯」と同様「否認」というメカニズムによって基礎づけられます。この点「真性の倒錯」においては「象徴的去勢=享楽の喪失」という「欠如」を「拒絶」するという「積極的否認」により自らを主体化します。けれども「ふつうの倒錯」の場合、この主体化自体を「回避」するという「消極的否認」にその特徴があります。そして、このような「ふつうの倒錯」における主体化を回避した主体を「ネオ主体」と言います。


*「アンチ・オイエディプス」から考える

これに対して「ポスト・構造主義」の代表と目されるフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズと精神分析家、フェリックス・ガタリはその共著である「アンチ・オイエディプス−−資本主義と分裂症(1972−−以下AO)」において精神分析における「いわゆる正常=神経症」という等式自体をラディカルに批判し、いわば「神経症の精神病化」を目指す「分裂分析」を提唱しました。

AOはフランス内外で熱狂的に歓迎され1970年代の大陸哲学における最大の旋風の一つを巻き起こしました。日本でも1980年代における「ニュー・アカ」と呼ばれる思想的流行以降、ドゥルーズ&ガタリは現代思想や批評に少なからぬ影響力を行使しています。

そしてその核心にあるのは精神分析的欲望=神経症的欲望から解放された「新たな欲望」の主体の肯定です。1980年代における浅田彰氏のスキゾ・キッズ支持、1990年代の宮台真司氏のコギャル支持、そしてゼロ年代の東浩紀氏のオタク支持など、それぞれの時代の思想をリードした言説はまさにこうした流れの中に位置づけることができるでしょう。

では、こうした「新たな欲望」の主体はラカン派における「いわゆる正常=神経症」「(ふつうの)精神病」「(ふつうの)倒錯」の枠組みのどこに位置づけられるのでしょうか?この点に関して千葉雅也氏は〈倒錯の強い定義〉という極めて興味深い概念を提示しています。


* 欲望の二重性

まず千葉氏は、精神分析的欲望=神経症的欲望から解放された「新たな欲望」を〈別のしかたでの欲望〉と名指した上で、この「欲望の二重性」のバランスを前者と後者のどちらに寄せるかについて以下の三類型を挙げています。

(a)〈別のしかたでの欲望〉を全く精神分析的ではない「動物的な欲求」へと振り切れさせるパターン。これは東浩紀氏が「動物化するポストモダン(2001)」において展開した議論です。

(b)〈別のしかたでの欲望〉をあくまでも神経症的欲望を前提とした多かれ少なかれの倒錯化として捉えるパターン。これはスラヴォイ・ジジェクや斎藤環氏の立場に近いとされます。

(c)〈別のしかたでの欲望〉を肯定されるべき「分裂病」の解放とみなすパターン。これは古典的なドゥルーズ=ガタリ主義です。

こうした三類型を前提として氏が提示する〈別のしかたでの欲望〉とは「非-精神分析的主義(a)」と「(神経症の前提をカットした)故障させられた精神分析主義(b’)」を「倒錯的な精神病(c’)」を媒介として縫合するという、かなりアクロバティックな議論です。


* 精神病と倒錯のオーバーダブ

ラカンは「欲望とは他者の欲望である」という有名なテーゼを提示しました。すなわち、神経症的欲望とは他者との間主観的なネットワークを前提として、究極的には千葉氏のいう〈性別化のリアル〉に回収される欲望ということです。

これに対してAOにおいてドゥルーズ=ガタリは、他者との間主観的なネットワークから切断された他方向にどうでもよく発散する〈欲望機械〉が〈全体化しない全体=器官なき身体〉として個体化されると主張します。

以上のような「欲望機械→器官なき身体」という説はAO以前にドゥルーズ単著である「ザッヘル=マゾッホ紹介(1967)」において萌芽的に見出される。そこでドゥルーズはマゾヒストが他者からの暴力を勝手に(他者の欲望から切断された)快楽と化してしまうことを欲望のあり方として肯定した。こうした欲望のあり方を千葉氏は〈欲望の間主観的な因果性を「否認」して勝手に享楽する個体性の肯定〉といいます。

すなわち、ドゥルーズ=ガタリはAOにおいて神経症の精神病化を誇張的に肯定しましたが、その背景にはマゾヒズム論としての倒錯論が潜んでいる。この事実は神経症的欲望ではない〈別の仕方での欲望〉をいわば精神病と倒錯のオーバーダブとして捉える立場を示唆しています。


* 否認的な排除−−〈倒錯の強い定義〉

すなわちAOにおいて展開される「分裂症論」はそれ自体、精神病的というわけではない。彼らの理想化する「分裂症者」は〈性別化のリアル〉を初めから排除しているのではなく、排除している「かのように」逃げ続ける主体だと思われる。

この「かのように」という偽装性を「否認」的であると解釈する余地がある。ドゥルーズ=ガタリの言う「神経症の精神病化」とはいわば「否認的な排除」であり、彼らの狙いは〈倒錯的な精神病〉という折衷案であったことになる。

この〈性別化というリアル〉を排除している「かのように」否認するという「否認的な排除」を極めて強く誇張するならば、倒錯は神経症/精神病をベースとした精神分析の有効性を「無効化せずに否認する立場」として再定義されうる。

すなわち「否認的な排除」とは非-精神分析主義における「精神分析はオワコン」というある種の断定に他ならない。こうして倒錯は「精神分析圏内の否認」と、精神分析それ自体の否認により開かれる「精神分析圏外の否認」をショートサーキットすることで〈性別化のリアル〉を「否認的に排除」する態度として再定義される。これが精神分析それ自体に対する「メタ倒錯」としての氏のいう〈倒錯の強い定義〉です。


* 動物化するポストモダン再読−−「クィアな動物化」と「頭空っぽ性」

ここから氏はさらに論を進め、東浩紀氏の「動物化するポストモダン」における議論を「否認的な排除」の観点から読み直します。すなわち氏によれば、東氏のいう「動物化」とは「非-精神分析主義」の方へ振り切れた動物的な欲求から、文字通り動物的に「異性愛-生殖規範性」をストレートに肯定し、その上に「認知的習慣化」としての対象(二次元美少女)へのアディクション(萌え)が便乗している「異性愛-生殖規範性的な動物化」を言います。

そして、ここから氏は「クィアな動物化」の可能性を思弁して、その範例を「女装する女性」としての「ギャル(男)」に見出します。神経症的囚われを「否認」した軽量化された身体性と有限化された社交性。その欲望の多すぎる理由づけを忘却したかのような「どうでもよさ」の中心にある「どうでもよくなさ」。こうした「ギャル(男)」の特性を氏は「頭空っぽ性 airhead-ness」という言葉で概念化しています。

こうしてみると「否認的な排除」という観点は現代サブカルチャー批評に新たな視界をもたらす可能性があるように思えます。そして、こうした千葉氏の議論を現代ラカン派の枠組みの中に無理やり接続するのであれば、おそらく「(ふつうの)精神病」である「かのように」振る舞う「(ふつうの)倒錯」ということになるのではないでしょうか。だとすれば〈動物化〉とはラカンのいうところの特異性としての「症状」に相当する事になるのではないでしょうか。

いずれにせよ「大きな物語」という規範性が失墜した現代において「神経症から倒錯へ」という流れは避ける事のできない現実と言えます。そして確かに言えることは、こうした現実それ自体を「否認」して従来の「いわゆる正常=神経症」である「かのように」振る舞う態度は、おそらく多くの場合において、様々な「生きづらさ」が降りかかる茨の道となるようにも思えます。



参考:あなたにギャル男を愛していないとは言わせない−−倒錯の強い定義(千葉雅也「意味のない無意味」より)











posted by かがみ at 19:51 | 心理療法