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フランス現代思想概論
ラカン派精神分析の基本用語集
2020年07月30日
規範性と特異性の間で−−「誤配の時代」におけるラカン派精神分析
* 実存主義から構造主義へ
1960年代、フランス現代思想のトレンドは「実存主義」から「構造主義」へと変遷しました。ジャン=ポール・サルトルに代表される実存主義は「実存は本質に先立つ」というキャッチコピーのもと、人は独自の「実存」を切り拓いていく自由な存在=主体であることを限りなく肯定しました。ところがクロード・レヴィ=ストロースに代表される構造主義が暴き出しだしたのは、我々の文化は主体的自由の成果などではなく、歴史における諸関係のパターン=構造の反復的作動に過ぎないという事でした。
レヴィ=ストロースの緻密な論証に対してサルトルは有効な反論を提出できず、たちまち構造主義は時代のモードへと躍り出ました。このような中、構造主義の立場から独創的な精神分析理論を立ち上げたのがジャック・ラカンです。
* 構造と主体の理論
ラカンが構築した理論の特徴は、基本的には構造主義の立場に依拠しつつも、その枠組みの中で「構造」と「主体」の統合を試みた点にあります。
この点、サルトルのいう主体とは「意識の主体」です。ここでいう「意識の主体」とは、自由意志による投企を通じて、自らを意識的に更新していく存在をいいます。
これに対して、ラカンのいう主体とは「無意識の主体」です。ここでいう「無意識の主体」とは、その語りの中における−−例えば「言い間違い」などといった−−自由意志によらない裂け目を通じて、自らを無意識的に拍動させる存在をいいます。
このような観点からラカンは精神分析の始祖であるジークムント・フロイトが提唱した「エディプス・コンプレックス」を再解釈して「〈父の名〉」や「対象 a 」といった概念を創り出し「構造」と「主体」を統合的に捉える理論を完成させました。
* ポスト・構造主義の登場
ところが1970年代になると、こうした構造主義およびラカンの理論を乗り越えようとする動きが台頭化します。その急先鋒となったのがジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリです。彼らが1972年に発表した共著「アンチ・オイエディプス−−資本主義と分裂症」において精神分析は人の中に蠢く多様多彩な欲望を「エディプス・コンプレックス」なる家父長的規範へと回収する装置としてラディカルに批判されることになります。
こうしたドゥルーズたちの立場からすれば、もはやラカンの理論など古色蒼然たる父権主義的言説としか言いようがないわけです。今や目指すべきは構造の解明でも安定でもなく、それ自体の変革あるいは破壊でなければならない。こうして70年代におけるフランス現代思想のトレンドは「構造主義」から「ポスト・構造主義」へと遷移しました。
* ラカンはすでに乗り越えられたのか
以上の経緯から今日においてラカンはポスト・構造主義により乗り越えられたものとみなされるのが一般的な理解です。けれども果たして本当にラカンは既に過去の遺物に過ぎないのでしょうか?
この点、精神病理学者の松本卓也氏は、ラカンの理論と実践において、あるいはドゥルーズ&ガタリとの対立において、これまで見逃されていた「核心点」があると言います。そしてこの「核心点」の理解無くして、いわゆるフランス現代思想におけるラカンの位置付けを理解することも、ラカンに向けられた批判を理解することも不可能であるとまで断じます。
では、その「核心点」とは何か?氏によればそれは「神経症と精神病の鑑別診断」です。
* 神経症と精神病の鑑別診断
「神経症」とは生理学的には説明することのできない様々な神経系の疾患を幅広く指します。そして「精神病」とは、幻覚や妄想といった悟性の障害や、精神機能の衰退を含む重篤な精神障害をいいます。
この点、ラカン派における神経症の下位分類はヒステリー、強迫神経症、恐怖症から構成され、精神病の下位分類はパラノイア、スキゾフレニー、メランコリー、躁病から構成されます。
精神分析の臨床においては、ある分析主体の心的構造が神経症構造なのか精神病構造なのかは極めて重要な問題です。両者においては分析の導入から介入の仕方まで全てのやり方が異なってくるからです。
通常、分析家は分析主体の自由連想を解釈して転移を引き起こすことで症状に介入します。ところが精神病構造を持つ主体の場合、この転移が発生しない上に、最悪の場合は状態がさらに悪化して本格的な精神病を発病させてしまう危険があります。
そのため自由連想開始以前の予備面接段階において当該分析主体が神経症か精神病かのどちらの構造を持つかを鑑別する必要があるということです。
松本氏によれば、ラカンの提唱した様々な概念は、突き詰めればこのような「神経症と精神病の鑑別診断」という臨床的な要請によるものであるといいます。そしてドゥルーズ&ガタリが標的としたのもまさにこの「神経症と精神病の鑑別診断」に他ならないということです。
* 鑑別診断論からみるラカン理論の変遷
こうした「神経症と精神病の鑑別診断」という視点による、1950年代から1970年代に至るラカン理論の変遷は以下の通りです。
⑴ 50年代のラカン理論
1950年代のラカンは精神分析に構造主義的言語学の考え方を導入し、神経症と精神病を鮮明に鑑別する手法をもたらしました。
ここで打ち出されたのがエディプス・コンプレックスを構造化した「父性隠喩」というモデルです。子どもは母親(=〈他者〉)の現前不在運動の根源(=〈他者〉の〈他者〉)を問い、やがてこの現前不在運動は「〈父の名〉(le Nom-du-Pe’re)」というシニフィアンによって隠喩化されて象徴界が統御されることになります。
このモデルからは〈父の名〉の導入に成功していれば神経症であり、失敗していれば精神病という鑑別診断が帰結されます。ここで〈父の名〉はある種の「規範性としての構造」として現れているわけです。
そして「〈父の名〉の導入の失敗=〈父の名〉の排除」は、臨床的には「シニフィアン」と「隠喩」という二つの方向性から捉える事が可能であるといわれます。すなわち( a )「〈父の名〉の排除」の直接的証拠となる「要素現象」の有無による鑑別診断と( b )「〈父の名〉の排除」の間接的証拠となる「ファリックな意味作用」の有無による鑑別診断です。精神病者において、前者は「確信」「病的な自己関係付け」という体験として現れ、後者は「困惑」の体験として現れます。
この二つの方向性は1958年に発表された論文「精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的問題」におけるシェーマIの二つの穴(「P0(〈父の名〉の不在の効果)」と「Φ0(ファリックな意味作用の不在の効果)」)に概ね対応します。50年代のラカン理論は臨床的に最も鋭くパラノイア(妄想型統合失調症)を鑑別可能な理論と言われます。
⑵ 60年代のラカン理論
このように1950年代のラカン理論において、少なくとも「前提的問題」までは〈他者〉を根拠づける「〈他者〉の〈他者〉=〈父の名〉」を中心にその理論が構築されていました。
ところが50年代の終わり頃になると、ラカンは「〈他者〉の〈他者〉はない」と言い出します。すなわち、精神病、神経症問わず〈父の名〉は排除されており〈他者〉はいかなる根拠も持たず、そこには単に「欠如のシニフィアン=S(Ⱥ)」が存在するだけということです。これは現代ラカン派において「排除の一般化」と呼ばれるものです。
こうして60年代のラカンはシニフィアンに還元不能なものとして「享楽」の側面を重視するようになります。ここで導入されるのが「疎外と分離」という新たなモデルです。ここでは50年代に〈父の名〉と呼ばれていたものが「分離の原理」として捉えられるようになります。このモデルからは「分離」による「対象 a 」の切り出しに成功していれば神経症であり、失敗していれば精神病という鑑別診断が帰結されます。
60年代のラカン理論からは享楽の回帰モードからパラノイアとスキゾスレニー(主として破瓜型統合失調症)が鑑別可能となります。両者はともに精神病ではありますが、パラノイアでは享楽が「〈他者〉それ自体の場」に局在化されるのに対して対してスキゾフレニーでは脱・局在化された享楽が「身体全域」に回帰するという違いがあるということです。
⑶ 70年代のラカン理論
このように「神経症と精神病の鑑別診断」という問題は1950年代のラカンにおいては、主として「シニフィアン」の領域で論じられ、1960年代のラカンにおいては、主として「享楽」の領域で論じられていました。ところが1970年代のラカンにおいては「シニフィアン」と「享楽」が統合的に論じられるようになります。そしてこうした議論が「神経症と精神病の鑑別診断」という問題を相対化させることになります。
70年代のラカンが提示したのは「R(現実界)」「S(象徴界)」「I(想像界)」という三つの位相からなる「ボロメオの環」と呼ばれるモデルです。そして1974年以後はこのボロメオの環に「サントーム」と呼ばれる第四の輪が導入されます。この考え方によれば〈父の名〉とは、もはやサントームの一種に過ぎず、ここで神経症と精神病は一元的に把握されることになります。
ここでいう「サントーム」とは、その人だけが持つ「特異性としての症状」のことです。こうして精神分析は人それぞれが持つ「特異性」と「同一化する/うまくやる」ための実践として再発明される事になります。
* いわゆるラカン
エディプスからサントームへ。規範性から特異性へ。こうして「神経症と精神病の鑑別診断」を軸とした松本氏の読解において示されるのは従来の「いわゆるラカン」とは全く異なる新しいラカンです。
この点「いわゆるラカン」とは1960年代までのラカン理論です。ラカンによれば、我々の認識する「現象=想像界」とは「システム=象徴界」によって統制されているわけですが、このシステムを中心で駆動させているのが認識不能な「システムの穴=現実界」です。
そして「いわゆるラカン」の到達点である「精神分析の四基本概念(1964)」において論じられたのは、この認識不能なはずの「現実界」を「欲動の往還運動」の中に囲い込むことで「欲動の対象=対象 a 」として切り出す概念操作です。つまり精神分析においては、分析家が「対象 a 」の場を演じることで、分析主体の症状を規定する「幻想=$♢a」へ介入が可能となるわけです。
ここで示された理論は、当時において最も革新的な精神分析理論であると同時に、最も洗練された近代哲学であった事は確かです。ところが今日においては、この「いわゆるラカン」が想定していない問題が生じているわけです。どういうことでしょうか?
* 象徴界の機能不全と郵便的不安
1970年代以降のフランスや日本を含む西側諸国では、消費化情報化社会の進展を背景に「ポストモダン」と呼ばれる社会の断片化が加速していきました。こうした社会構造の変化をラカン派の用語では「象徴界の機能不全」と言います。すなわち、ポストモダン化した社会とは、社会を統合する象徴的秩序としての「大きな物語」がもはや機能していない社会であるということです。
こうしたポストモダン的状況で生じる特有の感覚を批評家、東浩紀氏は「郵便的不安」と呼びます。郵便的不安とは「大きな物語」なきところで乱立する個々人の「小さな物語」同士の衝突を恐れる不安のことです。
この点「いわゆるラカン」とは単数的超越性(現実界)がシステム全体(象徴界)を駆動させる構造になっています。これは「否定神学構造」と呼ばれるものです。一方で「郵便的不安」とはまさに複数的超越性同士の衝突から生じるわけです。よって「いわゆるラカン=否定神学構造」では「郵便的不安」の問題を上手く処理できないわけです。
そこで、東氏はある時期のジャック・デリダの著作の読解を通じて「いわゆるラカン=否定神学構造」とは別のモデル−−すなわち、複数の超越性同士の衝突から生じる「誤配」をむしろ正面から肯定することで「郵便的不安」を乗り越える処方箋を提示します。
* ゼロ年代のフランス現代思想
ここで東氏が提示したモデルは「いわゆるラカン=否定神学構造」の相対化を考えるものです。そして2000年代におけるフランス現代思想の潮流においても同様の傾向が見られます。
例えば、カトリーヌ・マラブーは脳神経に物質的な変化や障害が起きれば、その「可塑性(外因的変化)」によって精神は変容を強いられるといい、ラカンの「現実界」とは別に「物質界」を位置付けます。また「思弁的実在論」の論者として有名なカンタン・メイヤスーは「相関主義(ラカンでいう象徴界)」の外部にある「思考不可能な実在(ラカンでいう現実界)」とは別の「思考不可能ではない実在(物質的世界)」を措定します。
* 「うまくやる」ということ
そして「鑑別診断」という視点から捉え直されたラカン理論もまた「いわゆるラカン=否定神学構造」の外側へ向かう新しいラカンです。
すなわち、晩年のラカンが提示したサントームという概念を神経症と精神病の差異を相対化する上位カテゴリーとして捉える時、それは同時に「いわゆるラカン=否定神学構造」の相対化をも意味しているわけです。こうしてラカンは再び、フランス現代思想の最先端に呼び戻される事になります。
規範的幸福のロールモデルが喪われ、幸福の規制緩和が拡大する現代社会において、誰もが自らの特異性と「うまくやる」という問題は避けて通れないでしょう。
人はそれぞれ、その人だけの特異性をもった存在として、一般性の中で折り合いをつけながら生きている。こうした特異性と一般性の巡り合わせが良ければ、それは「個性」として承認され、その巡り合わせが悪ければ「社会不適合者」として排除される。
この差はおそらく、ほんの紙一重なんだと思います。正義が勝つとは限らない。努力が報われるとは限らない。未来が素晴らしいとは限らない。所詮、世界は「巡り合わせ」という名の誤配に規定されたガチャに過ぎないのかもしれません。
けれども、こうした紙一重の現実に、恨み辛みを無闇に述べ立てるよりも、そのガチャを回す機会を1回でも多く増やす努力をする方が遥かに生産的で、希望のある人生ではないでしょうか。こうした「誤配の時代」を生き抜くための実践知として、再びラカンは読まれるべきなんだと思います。
posted by かがみ at 02:50
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