【参考リンク】 ラカン派精神分析の基本用語集 現代アニメーションのいくつかの断章

2020年04月27日

自閉的技法としての「勉強」




* 「自閉」から「自閉症スペクトラム障害」へ

「自閉(Autism)」という言葉の起源は1911年、スイスの精神科医、オイゲン・ブロイラーの統合失調症論に見出されます。ここで「自閉」とは、外界との接触が減少して内面生活が病的なほど優位になり、現実からの遊離が生じることを指しています。

それからおよそ30年後の1943年、アメリカの児童精神科医レオ・カナーが「早期幼児自閉症」という論文を発表し、ここで「自閉」という言葉は単独の疾患概念となります。

もっとも当時は自閉症は幼児期に発症した統合失調症と考える見解が依然として多数でした。ところがその後、認知領域・言語発達領域における研究の進展に伴い、1970年代には自閉症は脳の器質的障害であり、統合失調症とは別の疾患だと考えられるようになります。

その一方でカナー論文の翌年、1944年にはオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによる「小児期の自閉的精神病質」という論文が発表されています。このアスペルガー論文は諸般の事情があり長らく日の目を見ることがなかったわけですが、1980年代になってイギリスの精神科医ローナ・ウィングにより再発見されます。そして、ここで自閉症は「社会性障害」「コミュニケーション障害」「イマジネーション障害」として再定義されます(ウィングの三つ組)。

こうしたことから自閉症を「スペクトラム(連続体)」と捉える考え方が有力となり、2013年に改訂された「精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-X)」において、カナー型自閉症とアスペルガー型自閉症は「自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder)」として統合されることになります。その診断基準は以下の通りです。




以下のA、B、C、Dを満たしていること。

A 社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害(以下の3点で示される)

 1 社会的・情緒的な相互関係の障害。

 2 他者との交流に用いられる非言語的コミュニケーション(ノンバーバル・コミュニケーション)の障害。

 3 年齢相応の対人関係性の発達や維持の障害。

B 限定された反復する様式の行動、興味、活動(以下の2点以上の特徴で示される)

 1 常同的で反復的な運動動作や物体の使用、あるいは話し方。

 2 同一性へのこだわり、日常動作への融通の効かない執着、言語・非言語上の儀式的な行動パターン。

 3 集中度・焦点づけが異常に強くて限定的であり、固定された興味がある。

 4 感覚入力に対する敏感性あるいは鈍感性、あるいは感覚に関する環境に対する普通以上の関心。

C 症状は発達早期の段階で必ず出現するが、後になって明らかになるものもある。

D 症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている。




* 現代ラカン派における自閉症論

端的にいうと、ASDの特性とは「社会的コミュニケーションの持続的障害」と「常同的反復的行動・関心」という2点から成り立ちます。

具体的には「相手の気持ちや場の空気を読めない」「言葉をそのままの意味で受け取ってしまう」「他人の表情や態度などの意味が理解できない」「相手が2人以上になるとわけがわからなくなる」「独自のルール・こだわりに執着する」といった特性をいいます。

こうした特徴は「〈他者〉の拒絶」として理解できます。ここでいう〈他者〉とは言語、そして声やまなざしの事です。

この点、ラカン派精神分析では自閉症を「シニフィアン」と「享楽」の2つの側面から把握します。

まず、自閉症をもっぱら「シニフィアン」の側面のみで捉えた時、それはラカン派のタームでいうところの原初的象徴化の失敗、疎外の拒絶に他ならず、この限りにおいては自閉症と精神病は同一圏内にあるということになります。

ところが自閉症を「享楽」の側面から捉える時、そこには精神病とは明らかに異なる独自の享楽の回帰モードが見出せます。

こうした観点から現代ラカン派における自閉症論を「縁の上の享楽の回帰」「分身」「合成〈他者〉」という三つ組の概念により体系化したのがジャン=クロード・マルヴァルです。すなわち、自閉症者は「縁の上の享楽の回帰」によって〈他者〉を拒絶しつつ、その上で「分身」の助けを借りながら「合成〈他者〉」の創発という形で〈他者〉への再接続を試みているという事です。

〈他者〉の拒絶と〈他者〉への特異的な仕方での再接続。こうした「自閉的技法」ともいえる試みは時として驚異的な能力として発現したり、独創的な創造として結実することになります。


* ドゥルーズの文学論

この点、ポスト・構造主義の代表と目されるフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズは、その主著の一つである「意味の論理学」において、典型的な統合失調症者であるアントナン・アルトーと、現代では自閉症スペクトラム障害と診断されうるであろうルイス・キャロルの文学論を並走させています。

ここでドゥルーズはアルトーの文学は「深層」にあり、キャロルの文学は「表面」にあるといいます。そして「意味の論理学」以降、ドゥルーズ哲学は「深層」を拒絶し「表面」を偏愛する方向に向かっていきます。

キャロルの代表作「不思議の国のアリス」の「かばん語」をはじめとして、キャロル作品の中には、言葉の解釈を次々とずらしながら物語が展開していく技法が頻繁に見られます。これはASD的な言葉の解釈のずれを逆手に取り、創作へ応用した技法と言えます。

ドゥルーズは後期の主著「批評と臨床」において、キャロルは「表面」の言語を獲得することでアルトー的な「深層」から華麗に逃れることができたといいます。そしてドゥルーズはこうした「表面」の言語によって書かれた文学こそが、文学の描く世界のすべてになりうると断言します。

こうして「批評と臨床」においてドゥルーズは、キャロルの他に、やはり自閉症スペクトラム障害の特徴を持つレーモン・ルーセルやルイス・ウルフソンといった作家を評価しています。

彼らはアルトーのように言語の「深層」に魅入られるのではなく、言語の「表面」をある種の情報の束、データベースとして捉えて、これにハッキングをかけていくわけです。これは〈他者〉を拒絶した上で、自らの特異的な仕方で〈他者〉への再接続を果たす自閉的技法が独創的な創造として結実した例と言えます。


* 特異性と一般性

では、こうした自閉症における構造と可能性の中に我々は何を発見できるのでしょうか。この点、人はそれぞれ、その人だけの特異性をもった存在として〈他者〉という一般性の中で折り合いをつけながら生きているわけです。

そして、こうした特異性と一般性の巡り合わせが良ければ、それは「個性」として承認されますが、その巡り合わせが悪ければ「不適合者」として排除されてしまいます。

いわゆる発達障害の明と暗の問題は、特異性と一般性の巡り合わせの悪さが、一周回って別の一般性の文脈において「個性」だと承認されるかされないかという側面もあると思うんです。

こうした意味において、人は皆、潜在的な意味で自閉的存在と言えます。では、我々はいかなる自閉的技法を日常において実践できるのでしょうか。一つの方法論として、私はここで「勉強」を考えてみたいと思います。


* 自閉的技法としての「勉強」

我々は社会生活を送る上で多かれ少なかれ「勉強」をしています。入学試験や資格試験など、わかりやすい「勉強」の他にも、新しい仕事の手順を覚えたり、新しい料理の作り方を覚えたり、新しいスマホの操作を覚えたり、こんな風に何気なく日々「勉強」してるわけです。いわば「勉強」するというのは「生活」と表裏の関係とさえ言えます。

この点、千葉雅也氏は「勉強の哲学」において「深い勉強=ラディカル・ラーニング」を提唱します。

我々は日々「学校」「会社」「家庭」など、ある一定の「こういうもんだ」という「環境のコード」の中で生きています。「ラディカル・ラーニング」はこうした「環境のコード」に縛られず、逆にこれを弄ぶことの出来る存在、同書のいう「来るべきバカ」に変身するための方法論です。

その委細は是非とも同書を読んでいただきたいところですが、同書の提唱する方法論は「環境のコード」という〈他者〉を一旦は切断し、その上で〈他者〉へ特異的な仕方によって再接続する試みに他なりません。

「勉強」という営みの中に「アイロニー(懐疑:そうなのか)」「ユーモア(連想:こうもいえる)」「享楽(中断:これでよい)」を頂点とした「勉強の三角形」というサイクルを導入することで「環境のコード」から「器官なき言語」を切り出し「享楽的こだわり」を深化させていく。

同書のいう「享楽的こだわり」による「ユーモアの有限化」とは自閉症でいう「縁」に重なるものがあります。すなわち、ラディカル・ラーニングは自閉的技法の日常的実践であり、特異性を一般性の中で消極的に「折り合いをつける」のではなく、一歩進んで積極的に「うまくやる」ための実践とも言えるでしょう。

そして、こうした実践の中で出会うのは「思考する快楽」「自己破壊の快楽」「生成変化の快楽」です。同書が提唱する方法論は受験勉強的な意味での「合理的勉強法」から見ればやや迂遠な方法論なのかもしれません。それでも一度はこうした「まっとうな勉強」をやってみる事をお勧めしたい。世俗的な何かを成し遂げる為の「努力としての勉強」ではなく、それ自体が自己目的的な「快楽としての勉強」は、世界の見え方を、そして自由と幸福の在り処を、確実に変えていくと思います。









posted by かがみ at 21:57 | 心理療法