* ラカンは自閉症をどのように捉えていたか
フランスの精神科医、ジャック・ラカンはフロイトの精神分析理論を精神病の方面から読み直すことで独創的な理論体系を築き上げたことで知られています。ではラカンは「自閉症」についてはどのように考えていたのでしょうか?
アメリカの児童精神科医レオ・カナーの論文「早期幼児自閉症」が発表されておよそ10年後、ラカンは早くもセミネール1「フロイトの技法論(1954年)」において、現代であれば「自閉症」と診断されるであろう症例を取り上げています。いわゆる症例ディックと症例ロベールです。
ここでラカンは自閉症をスキゾフレニーに近縁の精神病的構造をもっていたと考えていたようです。例えば、ロベールが発する「狼!(loup!)」というシニフィアンは、精神病における幻聴のシニフィアンと同じような他のシニフィアンから切り離された「ひとつっきりのシニフィアン」として捉えることも可能です。
時代は下り、ラカンはセミネール11「精神分析の四基本概念(1964年)」の中でディックやロベールが用いていた上記のような言語使用の特徴を「オロフラーズ(一語文)」として把握する。
ラカンが言う「オロフラーズ」とは二つのシニフィアンS1とS2を分節化することなく凝集し、一つの塊として用いる語の使用です。例えばテンプル・グランディンの伝記映画では、彼女が出会う人に次々と「ワタシノナマエハテンプルグランディンデスハジメマシテ」と挨拶する場面があります。
また、シニフィアン連鎖のオロフラーズ化は、他人の言葉も一言文に凝集して理解してしまうので「空気を読む」といったコミュニケーション上の困難が生じます。
そして1970年代に入り、ラカンは「症状についてのジュネーヴでのシンポジウム(1975年)」という講演において「自閉症」という言葉をはじめて疾患の意味で使用しています。
ここでもやはりラカンは自閉症をスキゾフレニーと近縁のものとして捉えてはいますが、自閉症者に現れる諸現象を対象 a としての「声」という観点から新たに捉えようとも試みています。
この点、精神病者に生じる言語性幻覚(幻聴)は「声」を「外部の他者から到来したもの」として聞いているのに対して、自閉症者は「自分自身から来るもの」として聞いているわけです。
ここでラカンは自閉症における声が持つ自体性愛的な性格を指摘しています。つまり彼らにとって「声」とは〈他者〉との間のやり取りのために用いられるのではなく、その「声」を対象 a として自身の身体に保持し自閉的享楽を得るために用いているということです。
このように晩年のラカンは自閉症の特異性に気がついていた節はあるようです。しかし自閉症をもっぱら「シニフィアンの病理」という側面のみで捉えた時、それは原初的象徴化の失敗、疎外の拒絶に他ならず、この限りにおいては自閉症と精神病は同一圏内にある、ということになります。
* 現代ラカン派の自閉症論
こうしたことからラカン派において自閉症は長らく「子どもの精神病」と考えられてきました。
ところが1980年代以降、テンプル・グランディンの『我、自閉症に生まれて』や、ドナ・ウィリアウズの『自閉症だった私へ』といった自閉症者の伝記出版が相次ぎ、自閉症者の内的世界が徐々にあきらかになります。
そしてラカン派内部でも、自閉症を「シニフィアンの病理」のみならず「享楽の病理」という側面から仔細な検討が加えられ、ルフォール夫妻による「〈他者〉の不在」とエリック・ロランによる「縁の上への享楽の回帰」という概念の導入によって、自閉症は精神病から決定的に切り離されることになります。
こうしてゼロ年代後半、ジャン=クロード・マルヴァルの手により、現代ラカン派の自閉症論は体系化されることになります。マルヴァルの自閉症論の体系はドナ・ウィリアムスの次の言葉に集約されています。
これはふたつの闘いの物語である。ひとつは、「世の中」と呼ばれている「外の世界」から、私が身を守ろうとする闘い。もうひとつは、その反面なんとかそこに加わろうとする闘いである。
(自閉症だった私へ:24頁)
すなわち、自閉症者はシニフィアンや享楽から身を守りつつ〈他者〉との関係性を特異的な方法で創造しようと試みているということです。こうした営みをラカン派の理論体系から把握しようとした時「緑の上の享楽の回帰」「分身」「合成〈他者〉」の三つ組の概念が導き出されることになります。
⑴ 縁の上への享楽の回帰
自閉症者は原初的象徴化が上手くいっていない為、欠如という概念を持て余し、それはしばし「現実的な穴」として根源的不安を引き起こします。
これはいわゆる「ブラックホール体験」と呼ばれるものであり、享楽の観点から言えば、子供にとっての原初のトラウマ的シニフィアンであるララングの反復が生み出す「不定形の享楽」の侵襲として捉えられます。
そこで彼らは目や口や耳といった「縁取り構造」を持つ身体器官に殻を作り上げ、身体を襲う不定形の享楽をその中に閉じ込めようとするわけです。
例えばドナはしばし激しい「まばたき」を行っており、彼女曰くその反復運動は「物事のスピードを緩め、自分の周りのものを、自分からより遠ざかったものにするため」であったと言います。こうすることで「あたりがコマ送りの映画のようになって現実感が薄れるので、恐怖心もやわらぐ」とドナは語っています。
また「緑の構造」の例としては「声の保持」を挙げることができます。マルヴァルは自閉症者の言語使用は「声」という対象 a を〈他者〉に手渡そうとせず、むしろ保持しておこうとすることから帰結すると考えています。ロベールの例の「狼!」といったオロフラーズは「不定形の享楽」から身を守るための「一つの現実的穴に見合うシニフィアン」と言えますし、自閉症における場面緘黙はこうした観点から理解できるでしょう。
自閉症者にとって「縁」は、安心できる既知の世界と理解不能な混沌な世界(ブラックホール)を分割し、外的世界と関わるための基点となります。彼らはこの「縁」から出発し、より高次のコミュニケーションの可能性を拓いていくわけです。
⑵ 分身
自閉症者は言表行為の主体を持って応答すべき状況に置かれたときしばし混乱を伴います。このような状況の際に自閉症者を補助してくれる装置が自らの「分身」になります。
ドナは他者とのコミュニケーションを取ることが難しい時、ウィリー、キャロルといった自らの分身となる空想上の存在の助けを借りていました。分身はドナにとっては周りの子供たちよりずっと信頼でき、絶対的な安心感を得られる存在であったということです。
このような空想的(想像的)な存在との関係のあり方は精神病と自閉症では大きく異なっています。
精神病では想像界の増殖の結果、空想的(想像的)他者が現れます。けれども、その他者は主体を迫害する他者であったり、主体の享楽を強奪する他者であったりするわけです。このように精神病における他者への関係は双数的、決闘的な鏡像関係に支配された悪意に満ちたものになります。
これと反対に、自閉症における空想的(想像的)他者はむしろ自閉症者を助けてくれる補助的自我として機能することになります。
⑶ 合成〈他者〉
高機能自閉症やアスペルガー症候群の患者さんにおいては、幼児期に示した特異的な能力や極端なこだわりを高度なものに発展させていくという例がよく見られます。
自閉症者は、例えば時刻表、電話帳、カレンダーの丸暗記など、特異的な能力を持っていることがあります。こうした「島状に点在する能力」を次第に発展させていくことで、彼らなりの個人的な秩序が作りだされていきます。
断片的な「点」でしかなかった世界は、いつしか「線」となり、やがて「面」にもなる。
そして、このような自閉症者の能力の発展は時にイノベーションと呼ぶべき創造的効果を生じさせることがあります。
ここには自閉症圏における一般的な〈他者〉構造に依拠しない特異的な構造化を見いだすことができるでしょう。このようにして創り出された特異的な〈他者〉を「合成〈他者〉」と言います。
* 精神分析の彼岸としての「洗練された自閉症」
ともすれば自閉症圏の主体ははたから見れば自らの世界だけを生きているようにも見えるかもしれません。しかし、上記のドナの言葉にもあるように、その世界は決して閉じたものではない。
そこには、日常的に現れる底なしのブラックホールを自分なりの秩序で囲い込み、他者との間にとぎれとぎれに結びついていく試行錯誤があるということです。
こうした自閉症圏における「切断と再接続」の営みはラカンが精神分析の終結条件とした「症状とうまくやっていくこと」とはどういうことなのかを、もっとも鮮明な形で我々に教えてくれます。
自閉症に限らず人は誰しもその人固有の〈一者〉というべき自閉的な享楽を抱えています。つまり「症状とうまくやっていくこと」とは、こうした〈一者〉を一旦「切断」し、その上で〈他者〉と「再接続」することにより自由な社会的紐帯を紡ぎ出す「洗練された自閉症(ジャック・アラン・ミレール)」としての生き方に他なりません。
いわばラカンは精神分析を自閉症化する事でかつてフロイトが陥った「終わりなき分析」のアポリアを乗り越えたというべきでしょう。
* 「こころのおと」という〈一者〉
「発達障害のピアニスト」として知られる野田あすかさんは、22歳の時に短期留学先のウィーンで広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害)と診断されたのがきっかけで、小さい頃からずっとやってきたピアノを頑張ってみようと発達障害の持つ「明」の部分に賭ける決意をします。
この点、長い間、あすかさんにとってピアノはやらされるもの、譜面どおり弾かなければならないものでした。まさに「〈他者〉の欲望」のピアノです。
しかし、恩師となる田中幸子先生の出会いがあすかさんとピアノの関係を変え、ひいてはあすかさんの生き方自体を変えていきます。
田中先生の「あなたは、あなたの音のままでとても素敵よ。あなたは、あなたのままでいいのよ!」という言葉に導かれ、あすかさんは自らの中にある「こころのおと」に向き合うことでピアニストとしての才能を開花させます。
小さい頃は、コンクールに入賞するために、その曲にあった音色通りに引かなければと、自分をおさえるピアノをやるしかありませんでした。まねごとのピアノはつらかったです。
でも、田中先生に教えてもらうようになってからは、良くても悪くても自分の「こころのおと」を出せるようになって、ありのままの自分でいいと思えるようになりました。
(発達障害のピアニストからの手紙:168頁)
おそらく田中先生の言葉はあすかさんの「こころのおと」という〈一者〉をうまく刺し留めることができたのでしょう。
こうして自分の「こころのおと」を聴いてもらうことで皆に希望を与えていく新たな未来の可能性があすかさんの前に切り開かれてきたわけです。これはひとつの「切断と再接続」の営みではないでしょうか。
今、学校や職場で障害があることでつらい思いをしている方々に、
「きっとこれから先、いいことが待っている」
そう感じてもらえる演奏をするのが、私の理想です。
私は何もできませんが、でもあなたの心に希望は与えられます。言葉ではなくて、音で、みんなに思いを伝えられて、みんながしあわせになるピアノの音を出せる。そんなピアニストになるのが理想です。
(発達障害のピアニストからの手紙:181頁)
* 幸せの青い鳥はいつも「いま、ここ」にいる
近年、自閉症をはじめとした発達障害は「個性」という風潮もなきにしもあらずですが、障害自体はその人の「特異性」であり、それ以上でも以下でもありません。
その「特異性」を「個性」に昇華するためには、あくまで本人の努力と周囲の環境のめぐりあわせが必要になってくるわけです。
また、発達障害傾向があるものの診断名が付かない「発達障害グレーゾーン」の場合、発達障害という診断名がないだけに、ただただ「普通に空気が読めない人」「普通にミスが多い人」として周りから蔑まれ、自身を責め続けてしまう別の「生きづらさ」があるでしょう。
そもそも「定型発達」というものが本当に存在するのでしょうか?仮に「理想的な定型発達」のモデルがあって、そのモデルに寸分違わずぴったりな人がいたとしても、その人は果たして「生きづらさ」とは無縁の幸福な人生を送れるのでしょうか?
もとより発達過程は人それぞれであり、皆それぞれ何がしかの特異性を抱え込んでいるという意味では人は皆、発達障害と言えなくもないわけです。
何となく我々は自分は「普通」だと思い込んでいたりするわけですが、それはこれまでたまたま運良く環境に恵まれていただけかもしれません。
もしかして、ほんのちょっとした環境の変化でたちまち「生きづらさ」を感じる境遇に追い込まれる可能性だってあるわけです。そういう意味で、発達障害とは決して「どこか誰かの他人事」の話ではなく、我々の日常と地続きの問題でもあります。
新しい時代が始まります。生きていればいろいろと嫌なこと、不安なこと、大変なこともあるでしょう。けれども、外的な現実を懸命にやり抜きつつも、内的な現実との対話を重ねていく。そういった営みの積み重ねこそがまさに「生きていく」ということなんだと思います。
幸せの青い鳥は「ここではないどこか」はなく、いつも「いま、ここ」にいます。日々生起する困難とめぐりあわせの中で鳴り響く、自分だけの「こころのおと」にしっかりと耳を傾けて、この日常を生きていきましょうね。
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