* 「欲望」から「享楽」へ
1950年代までのジャック・ラカンの精神分析理論は「欲望」を中心概念として構築されてきました。ところが1960年代に入り、徐々に「欲望」は背後に退き、入れ替わるように「享楽」という概念が前景化してきました。
この点、ラカンは当初「対象 a 」という概念を通じて享楽を捉えました。しかし、1970年代になるとラカンはその対象 a ですらも「みせかけ」であると言い出すようになります。
では「みせかけ」ではない享楽があるとすれば、それは何処にあるのでしょうか?ここでラカンが導入したのが「ララング」の概念です。
* 〈一者〉
ラカンは、セミネール19「ウ・ピール(1971〜1972)」において、症状の「象徴的側面」を問題とする存在論を使う限り、症状の「現実的側面」を捉えることはできないと述べ、次にセミネール20「アンコール(1972〜1973)」における性別化の式の構築過程で従来の「ファルス的享楽」とは異なる「〈他なる〉享楽」を発見し、存在論から〈一者〉論へ軸足を移します。
〈一者〉とは子どもが初めて言語と遭遇した時、その身体にトラウマ的に刻まれる原初的満足体験の痕跡をいい、ここで齎される満足を「〈一者〉の享楽」といいます。
そしてこの「〈一者〉の享楽」は子どもが最初に遭遇するシニフィアンである「ララング(S1)」に紐付けられる事になります。
* ララング
「ララング(lalangue)」とはラカンの造語で、冠詞付きの国語(la langue)の冠詞と名詞を一語に融合させたものです。
子どもの身体がララングと遭遇した時、その痕跡は「一の印」としてトラウマ的に身体に刻み込まれ「〈一者〉の享楽」がもたらされます。
つまり、子どもにとってこのララングはコミュニケーション手段ではなく「〈一者〉の享楽」の再現手段としての私的言語ということになります。
その後、多くの子どもはコミュニケーション手段としての言語(langage)の世界(象徴界)へと参入し、次第にララングと折り合いをつけていった結果、例の「言語によって構造化された無意識(S2)」というものが形成されるわけです。
しかし一方でララングに刻まれた「〈一者〉の享楽」は、シニフィアンの構造化に回収されることはなく、対象 a の形をとって回帰し、症状の「現実的側面(症状の根)」を構成します。
心を病んでしまった人がリストカットを繰り返したり、ギャンブル、アルコール、薬物への依存からなかなか抜け出すことができないのは、その根本において「〈一者〉の享楽」の反復があるからです。
* 逆方向の解釈
「〈一者〉の享楽」の前では「欲望」は二次的な概念に過ぎなくなります。「欲望」とは周知の通り象徴的秩序を前提として生み出された「〈他者〉の欲望」であり、いくら「〈他者〉の欲望」を弁証法化させたところで主体における特異的(単独的)な「〈一者〉の享楽」を捉えることはできないからです。
こうして現代ラカン派の臨床においては、症状にS3、S4と意味を付け加え続ける古典的解釈(順方向の解釈)ではなく、逆に症状の意味を削減してS1を析出させる「逆方向の解釈」が重視されることになります。
そしてそこでは最晩年のラカンが言うように、主体自身が「症状とうまくやっていく」という特異的(単独的)な解決が目指されているわけです。
* 「これでよい」と思えるということ
「症状とうまくやっていく」。ラカンはここで別に奇抜な主張をしているわけではなく、むしろ人生論的意味ではきわめてまっとうなことを言っていると思います。
我々はいつのまにか「普通こうである」という「〈他者〉の欲望」をあたかも自分の欲望であるかの如く思い込んで生きているわけです。
普通の感性、普通の意見、普通の生活、普通の人生。
もちろん、人は社会とのつながりの中で生きていくわけですから「〈他者〉の欲望」というのもある程度は大事です。
けれど「みんなやってるから私もしなくちゃ」「みんなできているのに私はできない」といった、本来ありもしない「みんな」などという〈他者〉が産み出す幻想に囚われてしまえばそこから様々な生きづらさが生じてくるわけです。
臨床心理学者の河合隼雄氏は「心」を超えた「たましい」の重要性を強調します。ユング派の分析家である河合氏はおそらくユングの言う「自己」を念頭に置かれていると思いますが、ここでいう「たましい」とはフロイトがいう「エス」、そしてラカンがいう「ララング」に通じるものがあります。
つまり、その時その時において、自分が執着しているもの、囚われているものは本当に自分の「たましい」に響く何かなのか?を問い続ける事が自らの内にある「〈一者〉の享楽」を追求していく営みになるという事です。
こうした営みを積み重ね「〈他者〉の欲望」と「〈一者〉の享楽」との間の何処かに「これでよい」と思える自分なりの特異的な調和点を見出す事が出来た時、人はきっと、その人なりの幸福を生きていけるのではないでしょうか。
ことばと知に基づいた臨床実践:ラカン派精神分析の展望
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