【参考リンク】 ラカン派精神分析の基本用語集

2018年12月30日

ボロメオの環としあわせの在り処



ボロメオの環.png


* 想像的なもの・象徴的なもの・現実的なもの

フランスの精神分析医、ジャック・ラカンは人のこころを「想像的なもの」「象徴的なもの」「現実的なもの」という三つの異なる位相の上に成立するものとして捉えます。

すなわち、我々は生の現実をイメージと言語で捉えて、パーソナルな現実を創り出しているわけです。

そして、この三つの位相が如何なる関係にあるかを示したものが晩年のラカンが探求した「ボロメオの環」と言われるものです。


* ボロメオの環の導入と展開

「ボロメオの環」とは、互いには交差しない三つの輪が結び目を形成することで三位一体となったトポロジー的構造体のことをいいます。

ボロメオの環はセミネール19「ウ・ピール(1971〜1972)」で導入され、セミネール20「アンコール(1972〜1973)」で展開されることになる。

もっとも当初、ボロメオの環は、次々に与えられるシニフィアンがいかにして一つの構造の中で意味を担うのかという、シニフィアンの自己構造化の論理を示すものとして捉えられていました。

つまり、ボロメオの一つ一つの輪は、文字を示すものであり、シニフィアン連鎖が意味をなすためには、それぞれの輪が互いの関係の中で一つの安定した構造をなす必要があるということです。

ラカンは症例シュレーバーを引きつつ「この数学的ランガージュの特性は、一つの文字が欠けるだけで、他の全ての文字が、単にその配置に応じた価値を保ち続けられなくなるだけでなく、すべてバラバラになってしまう」と述べています。


* 意味と対象 a

しかしその後、ラカンはセミネール21「騙されないものは彷徨う(1973〜1974)」において、ボロメオの環を「想像的なもの」「象徴的なもの」「現実的なもの」という三つの領域と紐付けます。ここでボロメオの環は現在広く知られる姿となります。

この点、「象徴的なもの」の領域において自己構造化するシニフィアンは「想像的なもの」の領域と重なる事によって「意味」を見出すことになる。そしてこれを支えるのが「(みせかけの)現実的なもの」としての対象 a ということになります。

そしてこの対象 a を起点として、「現実的なもの」は「象徴的なもの」と「想像的なもの」の重なり合う中でそれぞれ異なる2種類の享楽を見出すことになる。これが「ファルス的享楽」と「〈他〉の享楽」です。


* ファルス的享楽

ボロメオの環において「象徴的なもの」「現実的なもの」の重なり合いの中に位置付けられた「ファルス的享楽」は、「アンコール」における男性の論理式の例外、すなわち「あるものはファルス関数によって規定されていない」というテーゼに対応しています。

「象徴的なもの」が「普遍」として成り立つには「例外」を内的に排除することが必要となります。例外が「外-在」することにより、初めてシニフィアンというシステム全体が安定するという論理です。

こうした「例外」に位置するファルス的享楽を夢想し、我々は「欲望」という名の終わることのない永続的運動に人生を費やすことになるわけです。

このように、ファルス的享楽は象徴界内部にある何かを「所有」することによって得られる、いわばギラギラとした享楽とも言えます。


* 〈他〉の享楽

他方、ラカンはシニフィアンの秩序の外に「ファルス的享楽」とは異なる「〈他〉の享楽」を見出していきます。

それはボロメオの環においても「象徴的なもの」の外部にある「想像的なもの」と「現実的なもの」が重なり合う場所に位置付けられています。

「〈他〉の享楽」の典型としては、ルドルフ・オットーのいういわゆる「ヌミノース体験」が挙げられるでしょう。

ヌミノース体験とは我々の自我を超えた圧倒感、抗しがたい魅力、近寄りがたい畏敬の感情を惹起させる体験をいいます。様々な宗教の根本にはこのような象徴化不能な「それ」としか言いようのない神秘体験が存在しているわけです。

また、ヌミノースとまではいかなくても、我々の普段の日常においてふと訪れる、法悦に満たされた不思議な瞬間というのは思い返せば至る所に見いだすことができるのではないでしょうか。

すなわち、〈他〉の享楽は象徴界外部にある何かを「体験」することによって得られる、いわばキラキラした享楽とも言えます。


* 「あなただけのきらめき」を見つけましょう。

ある意味で、ボロメオの環はこの社会の中に居場所を見出せず、生きづらさを抱えている人に対して、しあわせの在り処を示しているのではないでしょうか。

終身雇用や年功序列を前提とした昭和的なロールモデルが崩壊した昨今において、車、結婚、マイホームなどといったファルス的享楽を得るためのハードルは確実に上がったと言わざるを得ないでしょう。

けれども、享楽の道は一つではない。生の現実は変えることはできないかもしれないけど、パーソナルな現実は変える事ができる。

意識を「今、ここ」に向けることで象徴的なものを排し、想像的なものと現実的なものを直結させた時に「〈他〉の享楽」は訪れる。

すなわち、日々の何気ない日常を心から味わい、慈しむことが出来れば、決して大袈裟な話はなく、人は誰でも今すぐに、しあわせになることができる。

こうしてみると、人生を本当の意味において実り豊かなものにする鍵は、容姿でも財産でも社会的地位でもない。むしろしばし理不尽とも言える日常の中で見い出す事ができる「あなただけのきらめき」にあるのではないでしょうか。



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posted by かがみ at 00:01 | 心理療法