2015年07月19日

「考えるフリ」という傾聴技法

例えば親しい誰かから「悩み相談」を持ちかけられた時、やはり社会人何年とかやっていますと誰しも何かしら一家言持ってしまうので、色々とアドバイスをしたくなるというのはよくある話です。

けれども巷に出回る多くの傾聴本が教えるようには、傾聴においてアドバイスは原則として非援助的なものとされる。所詮は聴き手の「教えてやった」という自己満足にしかならないわけです。

こういう悩み相談の場合、話し手の心境としては得てして「問題を解決してほしい」ではなくて「とにかく私の話を聴いてほしい」わけです。

こういう場合、傾聴技法的には反復(Restatement)や感情反映(Reflection)などを基本として話し手に応じるといいんでしょう。ロジャーズのいう無条件受容ないし共感的理解。河合先生の言葉で言えば「自分の倫理観は括弧に入れて聴く」という態度が重要と言われます。

ただ、傾聴技法を金科玉条的に適用してしまいこれに終始するというのもこれはこれでまたどうなのかという問題があるわけです。ロジャーズを信奉してやまない原理的ロジャリアンがよく鸚鵡返しマシーンとか何とかなんとか揶揄されるのは、このあたりの問題があるからなんでしょう。

そこで傾聴セオリー的な反復やリフレクションのその後にもう一捻り入れて「相手の悩みを一緒に悩んで何か妙案はないか考えるフリ」をしてみる。ぶっちゃけ本当に考えなくてもいいので、とにかく「一生懸命考えてるフリ」をしてみる。

話し手は本来的な悩みとは別にいわば「自分の悩みはちゃんとした悩みに値する悩みなのかという悩み」を持っていることが割と多いと思うんですよ。そこで聴き手がその悩みを真剣に考えているという姿勢を示すことで、話し手は「私の悩みはちゃんとした悩みだったんだ」という安心感を得られ、聴き手に「この人はちゃんと私の話を聞いてくれる」という印象を持ち、そこから、より会話の深度を深めていける。

要するに、中途半端な上から目線のアドバイスは毒にも薬にもなりませんが、アドバイスを「考えるフリ」というのは、一つの援助的な傾聴技法ではないかと思うわけです。

もちろんいま言った諸々はマジメに悩み相談に対応する際の態度を想定しているのであって、逆にどうでもいい人からの相談をさっさと切り上げたい時は、毒にも薬にもならない「アドバイス」で適当に煙に巻くのも全然ありというわけです。

人生は有限なので時間は有益に使わないといけませんからね\(^o^)/

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タグ:こころ
posted by かがみ at 21:19 | 心理療法

2015年07月07日

共感的理解とただの同情は何が違うのか

共感的理解というのは傾聴という技法的な文脈で語られる為、ロジャーズ3原則の中で最も後天的努力で伸ばすことのできる要素とされますが、共感的理解というのは同情とは全く違うものと言われます。何が違うのか?これも難しい問いです。

一般的に言われるのが、自分の準拠枠で聴くか相手の準拠枠で聴くかの違いだとされます。すなわち、ただの同情は相手の話を自分の物差しに当てはめて理解するわけですが、共感的理解はどこまでも相手の物差しで聴く。相手の「いま、ここ」の感情を鏡のように反射するリフレクションという技法はまさにそういう意味での共感的理解の象徴でもあるわけです。

しかしいかにリフレクションをしたつもりでも、相手の物差しというのは完全に理解するということはそれこそ不可能でしょう。それは文字通り「心を読む」ことであって、できたらそれこそ超能力です。必死で「共感的理解」をやってるつもりでも実際はやっぱり単なる同情に終わっているケースというのが殆どでしょう。

ロジャーズ曰く「セラピストの経験と人間の諸感情と体験過程のパターンに関する知識とによって解決する」らしいんですけど、申し訳ないことにちょっと何を言っているのかよくわからないです。

共感的理解も無条件受容と同様、態度自体は疑いなく正しいがそこに至るのが至難の極みというロジャーズの理論全体に通底する問題が内在するわけです。実際、グロリアビデオとかでもロジャーズ自身も上手く返せてないんじゃないの?って場面は普通にある。テレパシストでもない限り、どうしても共感不全が生じることは不可避です。

なので、共感的理解は努力目標でありつつも、共感不全が起こる事態をも想定内として織り込み、これを逆に治療の「活かし」とするのが現実的方途というべきだとするコフートの見解が凡人には妥当な処方というべきでしょうか。雨降って地固まるというアレですね。

あと、自己開示を伴わない同情が共感とも言われるが、自己開示自体傾聴技法でそれが治療の展開点となる場合もあるので、自己開示をしないというドグマを立てるというのもまた、どうかと思うわけです。


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posted by かがみ at 02:24 | 心理療法

2015年07月04日

フロイトとロジャーズどちらが正しいのか

まさに目の眩むような巨大な問いでして、もとよりこんなところで答えは出ないんでしょうが、現時点での所感として、思ったことを書き留めるという意義も小さくないでしょう。

まずそもそもとして、どちらが「正しいのか」という問い自体、正しいのかという問題があるわけです。

例えば法律学とかだと、ある法規定の解釈についてA説B説C説と対立する説があり、そのどれかを「正しい」と主張し、他は「不当」と断じ去るわけですが、臨床心理の世界においては、各学派は一応の共存関係にあるように思えるわけです。

それでもなお、上の両者はあまりにも対照的だと言わざるを得ない。方やフロイトは無意識下で欲望にまみれたイドと倫理規範たる超自我が鬩ぎ合い、自我がその鬩ぎ合いを止揚して人の行動は決定されるという悲観的人間観を取り、その治療法である自由連想法は治療者が患者の背後から「解釈」を与えるという点で父性原理的といえます。

対してロジャーズは人は先天的に自己実現と自己治癒能力を持つ存在であるという楽観的確信があり、クライエントの言動を無条件に受容し共感的に理解するという点で母性原理的といえる。母性原理社会な我が国でロジャーズが強い人気を誇っているのはある意味で当然のことでしょう。

ともかくもロジャーズの人間性心理学はフロイト的精神分析理論のアンチテーゼとして発しているのでこのコントラストは当然と言えば当然なんですが、そうなれば、やはり人間観として性悪説なのか性善説なのかという二項対立的な問いに帰着するようにも思えるわけです。

この点において、大きく見れば精神分析の系譜に属するユングも心の中心に自我(Ego)を超越した自己(Self)を措定し、人間の自己実現傾向を認めており、そういう意味で言えば、「人はより善くなろうする存在」であるとするロジャーズ的性善説には正しい核心があるように思える。

しかしながら、心の中心である自己と意識の主体である自我の間には複雑な精神回路が介在しており、我々が日々接する現実の人間は「より善くなろうする存在」などとは遥かに程遠い、臆病でネガティヴでわがままな存在であることもまた認めないといけない。こういった現実の人間と相対しこれを素で無条件に受容できるかというと、ロジャーズならぬ我々凡人には無理な話なわけです。

そこで自己と自我の間に介在する複雑な精神回路の理解が必要となってくるわけですが、この点においてはロジャーズの自己一致モデルはあまりにも単純とも言え、ここにおいては精神分析の鋭く怜悧な心的装置概念モデルが大きな参照価値を持つ。

要はロジャーズは人の心の最深奥部のいわば「中心点」に着目したので当然に性善説的であり、フロイトは精神回路という「全体構造」に着目したのでこれもまた当然、性悪説的であるという違いという気がします。こうして、やはり本質的にどちらが正しいのかという問いは立たないという凡庸な結論に差し当たり着地したわけです。


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posted by かがみ at 15:57 | 心理療法

2015年07月03日

我々は観音菩薩ではない

来談者者中心療法で一世を風靡したロジャーズの理論はいたってシンプルです。枝葉末節まで至ればまあ、色々あるんでしょうけど、フロイトやユングなどの精神分析系に比べれば理論的な難解さはそこまでない。曰く、人は実現傾向を持った存在であり、心理療法家はその自己治癒能力に期待すべきである。そして、神経症などの諸症状は自己概念と経験的自己概念の不一致に起因する。そこで心理療法の目的は畢竟、自己概念と経験的自己を一致させる自己一致となる。つまり心理療法家の役割はクライエントの自己治癒能力に託して、雨乞いの巫女の如く自己一致が起きる過程の援助に徹すべきということになり、かの有名なロジャーズ三原則である無条件受容、共感的理解、自己一致が導かれる。

こういう風に素描してしまうとすごい簡単なんですが、ロジャーズの理論ほど言うは易し行うは難しものもないでしょう。心理療法の過程で治療者はクライエントの転移やアクティングアウトなど様々な事象に直面することになる。そういう局面において、治療者がクライエントを何処まで無条件に受容できるのか。

凡人たる我々は観音菩薩ではないし、罷り間違ってもそうはなれない。ロジャーズが言っていることは疑いなく正しい核心を持っていますが、その理論を教条主義的に適用するようになれば、これはむしろ有害とさえいえる。河合隼雄先生が説かれるように、完全な無条件受容は不可能であることを知りつつも、そこに可及的に到達できるよう、心理療法の諸理論についての造形を深める努力を怠らないというのが凡人の正しい態度でしょう。

河合先生はユング派の分析家ですが、やっていることはロジャーズそのものです。しかし、コンプレックスとかグレートマザーといった概念が不要とは言っていない。それも右のような理論と態度の相補性という点から言えば、こういったスタンスは至極当然ということになります。

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posted by かがみ at 02:15 | 心理療法