2014年03月30日

模範解答を丸呑みするという勉強法

最先端の学術論文からまとめブログに至るまで、とかくコピペは悪だという世情ですが、その論調が大学の定期試験まで飛び火している模様。

小保方晴子さん「コピペ論文」で揺れる早稲田大学 法学部に広がる「モカイ文化」とは

模範解答を丸呑みして定期試験に望むのは怪しからぬということらしい。けど、これはどうなんですかね?こんなの早稲田に限らず、どこの大学でも同じでしょう。最先端の学術論文と単なる試験論文を一緒にされても困る。司法試験ですら、論点毎に「論証例」なるものを事前に準備して、試験ではそれを組み合わせて答案を処理するというのが(ロースクール時代の今はどうか知らんが)主流の試験対策だった。昔の司法試験哀歌で「六法全書に『 故意』はあるけど『恋』はなし」という言葉がありますが、お勉強なんかよりも大事なことは山ほどあります。時間は有限です。そこに合理的な方法論が転がっていれば、それを使うのが普通の人間というもの。

それに予め出回った模範解答で対応できてしまうということは出題がワンパターン化してるってことでしょ?そんなに金太郎飴みたいな答案がお嫌なら、先生方は複雑な事例問題を自作して出題すればいい。こればかりはその場で知識を応用して自分の言葉で書くしかないんだから。それをしないのは単に面倒くさいだけだろうといわれても仕方がない。

要するに、早稲田の「モカイ文化」なるものは、教育する側の怠慢を別の言葉で言ってるだけです。そこを棚に上げて学生を非難するのは無理筋というものです。「自分の頭で考えろ」という言葉は、なるほど大正義ですが、それをアプリオリにドヤ顔で言い放つ人ほど得てして自分の頭で考えたことの無い人だったりするんですよ。本当に自分の頭で考え抜いた経験があればその限界も知っているはずですから。

それはそうと、その早稲田大学を悠木碧ちゃんがこの度無事卒業されたそうです。それなりに声優業をこなしつつきちんと4年で卒業したわけだから、立派なことです。

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タグ:教育
posted by かがみ at 04:07 | 時評/日記

2014年03月25日

正義という凶器

正論や真実を振りかざして他人を罵倒するのはある種のカタルシスです。少なくともその時だけは正義の代行者のごとき錯覚を得ることが出来るかもしれない。けれども、束の間の法悦に満たされた代償として、その後、取り返しのつかない事態に陥ったりもする。

故・河合隼雄先生の有名な至言に「嘘は常備薬、真実は劇薬」とあるように、正論や真実というのはいわば人間関係における奥義開帳のようなものであり、正しすぎるがゆえに時に凶器性を鋭く帯びて人を傷つけることがある。なので、その取り扱いはゆめゆめ厳重になさなければなりません。いくら中身が誤謬なき大正義であろうとも、そこでそれを言われた人がどんな気持ちになるかを考えないといけない。

つまりロジカルな視点とリリカルな視点からダブルチェックをかけて検証してみるわけです。こうして諸般の状況を洞察した上で、あえて知らん振りをして三味線を掻き鳴らすか、或いはリスクを取って火中の栗を拾いに行くか、その見極めが大事ということなんでしょう。

こう書いてみると至極当たり前の話なんですが、こういうことは自覚的になっておかないと、ついついやらかしてしまったりするんですよね。覆水盆に返らずです。馴れ合うだけがいいとは決して思いませんが、やっぱり人間は感情の生き物ですから。日々の基本動作として重々気をつけたいところですね。

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タグ:心理 人間 洞察
posted by かがみ at 06:23 | 心理療法

2014年03月11日

奇跡も、魔法も、ないけれど

福島の子どもへ311個の折りバラ 山陽女子中

相対性理論の説くところによればエネルギーと質量は等価(E=mc2)であり、原子力発電というシステムは基本的にこの理論を核分裂反応に応用したものということになります。核分裂性物質ウラン235が中性子を吸収することで核分裂を起こし、核分裂生成物と中性子が発生する。この中性子を別のウラン235が吸収し、核分裂連鎖反応が起きる。その増倍係数kが1.0を超えた状態を超臨界といい、放射性物質の生成と引き換えに生じた僅かな質量差から莫大なエネルギーが産み出される。

言ってみれば、希望と絶望の相転移である。3年前の今日、福島第一原発がメルトダウンを起こし、多量の放射性物質と様々な社会的論点を撒き散らす一方で、同時進行的にまどかマギカという作品が深夜アニメとしては異例ともいえる絶大な支持を集めていたという現象はまさに時代の皮肉としか言いようがない。

原発少女めると☆ダウン 第9話

「まどか」の作中において変奏曲の如く繰り返し説かれたように、畢竟、希望とは条理への叛逆に他ならず、そこには反動としての歪みが生じそれは絶望となり跳ね返ってくる。だから何かを産み出すということは、その代償として別の何かを失うということなんです。そういう意味で、世界は差し引きゼロで成り立っているということなんでしょう。だけどね。それが仮に真理だとしてもやっぱり人として生まれた以上、我々はエントロピーに抗い続けていかなければならないんですよ。結果としてそれはムダな営為なのかもしれない。正義が勝つとは限らない、努力が報われるとは限らない、想いが届くとは限らない・・・何事もままならない世の中ですけど、結局、生きるという所業は、奇跡も魔法もない世の中で、それでもやっぱり奇跡も魔法もあるんだよと叫び続けて行くということ、なのかもしれません。

posted by かがみ at 06:05 | 時評/日記