2013年06月24日

なぜブラック企業を簡単に辞めれないのか


ブラック企業、嫌なら辞めれば?(ihayato.書店)

勤めている会社がいわゆるブラック企業だったとした場合どうすればいいのか。すぐにやめればいいじゃないか?なるほど道理ですね。しかしながら多くの人はその道に踏み込めない。なぜか。

もちろん具体的事情は人それぞれでしょうが、この問題の多くは「履歴書を汚したらまずい」っていう固定観念に起因するのではないでしょうか。

【就活】人事「空白期間のある人は雇いません。お帰りください。」 (無内定速報)

どういうわけか履歴書の職歴欄に空白期間は敬遠されるといわれます。会社をやめてから転職活動した場合、この空白期間のリスクが生じてしまいます。すんなり次の転職先が決まればいいんですが、今のご時世なかなかそうはいかない。こうして3ヶ月、半年、1年…と何もない空白の期間が延びていくに従って、その説明も次第に苦しくなってくる。なのでそのリスクを避けるには仕事をしながら転職活動をせざるを得ない。ところが、ブラック企業と呼ばれているからにはサービス残業休日出勤など当然で、有給?何それ美味しいの?というところもザラでしょう。こうして日々の業務に忙殺され続け転職活動など事実上不可能ということになります。

そういうわけで、「なぜブラック企業を簡単に辞めれないのか」という問題は、学歴・職歴を(無職期間も含め)間断なく羅列しなければならない画一的な履歴書の記入形式にひとつはあるような気がします。これがもし仮に履歴書の記入形式が自由であれば、入社数ヶ月でやめた会社や無職期間に付いてわざわざ言及する必要はなく、アピールポイントだけ書けばいいということになりますからね。

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posted by かがみ at 04:54 | 時評/日記

2013年06月23日

子は親を選べないという道徳的恣意

日本を救う方法を考えたので、みんなの力と知恵を貸してほしい(異常な日々の異常な雑記)

相互リンクして頂いている煎茶さんのブログより。熱いタイトルですね。各論ではなかなかアクロバティックなことも仰ってますが、後景にある思考は至極全うなものだと思います。

有効需要の原理を説いたケインズ経済学の基本は乗数理論にあります。つまり財政政策の経済効果は無限等比級数の和である以上、当然、公比に代入すべき限界消費性向が高いところに金をばらまかないといけない。ところが昭和30年代ならいざ知らず、現代日本においてこの限界消費性向の見極めというのは非常に難しい。そこへいくと子どもはいっさい何も持たずに生まれてくるという点では非常に明快な存在ですね。なので煎茶さんは子育てにおける消費性向の高さというマクロ経済の観点から少子化対策を論じているということなんでしょう。

プロテスタンティズムの倫理も何もない我が国の資本主義経済体制において、再配分というのはもう制度的にやるしかないわけです。その意味で社会主義という思想は対抗原理として良くも悪くも一定の意味は持ち得えましたが、ソ連の消滅でそれももはや歴史の徒花となった。いまや要素価格均等化が進むグローバル経済においてトリクルダウンなどを期待するのは広大な砂漠のただ中で雨乞いするようなものです。

残念ながら世界は公平にはできていない。ロールズは個人の社会的評価を出自、才能、あるいは努力(!)といった恣意的に分配された先行要因に規定されるという道徳的恣意性の議論を前提として「最も不利な状況にある人々の利益の最大化のための社会経済的不平等が正当化される」という格差原理を導いた。こういういわば「運も実力のうち」ではなく「実力も運のうち」と断じ去るようなロールズの議論をラディカルに感じる向きもあるかもしれませんが、少なくとも子どもたちは生まれてくる家庭を選べませんからね。人の親であれば我が子の希望は可能な限りかなえてあげたいと思うでしょう。しかしながら現状そのハードルはどんどん上がってきているといわざるを得ない。スーパーマンかロックスターにならなきゃ子育てもまともにできない社会なんてのはどう考えても異常ですよ。


posted by かがみ at 07:54 | 時評/日記

2013年06月07日

貞本版エヴァ完結。「逃げたっていいんだ」という貞本さんの世界観。

TVシリーズと同時にメディアミックス展開を開始して18年。遂に完結しましたね。

「貞本エヴァ」ついに完結! ヤングエース7月号発売(みんなのエヴァンゲリオン(ヱヴァ)ファン)

最後は変えてくるんだろうな、って気はしていましたが、ある意味で貞本氏らしい終わり方ですね。これも一つのエヴァの正統な終わり方だと思うんですよ。

例えば新約聖書にだって4つの福音書が並んでいるでしょう。福音書というのはイエスの言行に対する証言録のようなものでして、成立順としてはマルコが一番古く、その後に、後の文献が先の文献を参照するような形で、マタイ・ルカと続き、最後に有名な「ヨハネの福音書」が位置している。先行する3つは割と内容が近いので、3つ併せて「共観福音書」とか呼ばれています。ヨハネだけが別個独立した感があって、キリスト教の思想的な立場が比較的明確に打ち出されている。例えば共観福音書の方はイエスは「人の子」だと言っているのに対して、ヨハネの福音書はイエスを「神の子」だとはっきり明言している。いわば同一の出来事に対する4つの異なる証言があって、そのいずれも正典として新約聖書に取り込んでいるというわけです。

なので、結局漫画版というのは何だったのかというと、新約聖書になぞらえるとTV版・旧劇とともに共観福音書に相当する部分を構成する。個人的にはそういう感じで捉えてますね。

あと面白いことに、マタイとルカの参照元は先行するマルコの他とある文献があって、それは「Q資料」などと呼ばれているそうです。新劇Qのアスカの台詞と漫画版のシンジの行動がある点でリンクしていることなど思えば、これはこれで非常に興味深いところではあります。

ところで貞本版エヴァにはあの有名な「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」っていう台詞がないんですよね。あれは意図してやっているらしくてそこが庵野版との最大の相違を端的に表している。昔、「パラノ・エヴァンゲリオン」か何かの対談で読んだんですけど、貞本さんは逃げたっていいんだっていう前提がある。それでも人は生きていけるんだっていう。それがシンジの性格にも表れていたしああいう飄々としたエンドに繋がっているのかな、と。

ヤングエース 2013年 07月号 [雑誌]

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ヤングエース 2013年 06月号 [雑誌]

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posted by かがみ at 20:50 | 文化論