2013年05月21日

トリクルダウンとかいう共同幻想

うちに相互してくださっている煎茶さんのブログのホッテントリ記事。

長時間労働が日本の諸悪の元凶だ(異常な日々の異常な雑記)

はてブ数260overで日間PVが7500だとか。煎茶さんの普段のエントリーからはご本人の教養や洞察性の高さみたいなのが伺えるんですけど、今回はそういった要素を意識的に排したのか、えらいソリッドな文章になっている。ジャズギタリストが敢えて全部パワーコードで曲作りましたみたいな潔さを感じます。すべての書き出しが「労働時間が長いから」で始まっているところなんかは、増田の短文に近い詩的様式美を感じますね。

異次元緩和の結果、失われた20年の半分は取り戻せたとか言う財界の声もあるようですが、それは必ずしも国民生活全体の改善を意味しない。最近巷でよく言われるトリクルダウンとかいう理論にしても要素価格均等化の定理が作用するグローバル経済下では成立しないという指摘もある。そういう諸々を後景に今みんなが何となく思っていることを的確にわかりやすく言語化してる点に共感が集まったのかな。ブログの書き方としても参考になります。やはり昔の赤い人が言ったように「個人的な感情を吐き出すことが事態を突破する上で一番重要なことではないのか」ということでしょうか。

【参考】

資本主義経済では労働者は剰余価値を生み出して資本家に貢いでいるということ

リフレはトリクルダウンではありません。(Chocolate Prince)

リフレ政策とトリクルダウン理論について(カンタンな答 - 難しい問題には常に簡単な、しかし間違った答が存在する)

「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実( yuhka-unoの日記)

さっさと不況を終わらせろ
ポール・クルーグマン
早川書房
売り上げランキング: 58,241




posted by かがみ at 16:16 | 時評/日記

2013年05月17日

生活保護法改正問題。一歩踏み外せば奈落に堕ちる社会でイノベーションなど起きるのか。

現行生活保護法は申請保護の原則をとります。本人や親族の申請があって初めて保護手続きが開始するということです。保護の要否決定は「申請のあつた日」から原則14日以内になされることになるが、一旦保護開始の決定が出たら、各種扶助は申請日にさかのぼって適用されます。要するに、申請がいつあったかというのは生活保護法上重要なポイントになるわけです。

「まず書類持って来い」 生活保護申請、コペルニクス的転換(田中龍作ジャーナル)

生活保護申請はこれまで不要式行為とされ本人や支援者が口頭で可能でしたが、改正法案によれば、申請に当たり、「本人の資産」「かつて勤めていた職場の給与明細」「家賃の支払い」など必要書類を揃えて提出を要求され、更に、審査過程において保護申請者本人のみならず親族など扶養義務者の資産まで行政が調査できるようになっているらしい。

従来も所謂123号通知に端を発した「水際作戦」が多くの自治体で展開され、訪れた相談者を役所があの手この手で申請にいたらせない文字通りの「相談」のレベルで追い返してしまうというケースも見られた。札幌市の姉妹孤独死を始めとする惨劇はその帰結と言わざるを得ないでしょう。もとより「水際作戦」の多くの事例は生活保護法上からすれば申請権の侵害と断じ去る他ならなかったわけだが、こういった行政レベルの運用を法律レベルで正当化し更に強化しようとするのが今回の改正の趣旨ということになります。

生活保護法・改悪問題について知っていますか?(ihayato.書店)

プロテスタンティズムの倫理もノブレスオブリージュもそういう思想的基盤が一切何もない日本において再配分というのはもう制度的にやるしかないわけでして、日本国憲法25条で謳われる生存権については一昔前までは国家的努力目標であるというプログラム規定説もあるにはあったが、現在では少なくとも生存権は憲法上抽象的に認められた国民の権利だと解される。そうであれば、申請手続きの本質は抽象的権利の具体化の為の確認行為ということになります。従って、その手続きを厳格化する本件改正案は生存権へのアクセスを遠ざけるという点から憲法上の観点からも問題があると言わざるを得ない。生活保護受給者は現在進行形で右肩上がりに増えており、今回の改正案の趣旨はそういった点を踏まえてのものなんでしょうが、その前になぜ右肩上がりなのかという原因について考えるべきでしょう。順序が完全に逆だと言うとことです。

沿革的には共産圏に対する毒まんじゅうとして憲法典の中に放り込まれた社会権条項ですが、グローバルな要素価格均等化の濁流の中にあってはまた別の意義を持ち始めている。成長戦略とか言っているけど、リスクを取りにいって欲しければ「これ以上は堕ちない」というデッドラインの提示は不可欠です。そうでなければただでさえ普通の幸せが得難いこの時代、優秀な人はみんな公務員を目指すでしょう。現実とアニメをごっちゃにしてはいけないと言いますが、今やろうとしていることは文字通り普通の人にエレンのようになれと言っているようなものです。外に巨人がうようよいるのに世界が見たいからなどと調査兵団を目指し立体機動に命を預けるのは所詮蛮勇の特権であって、合理的思考を有する大多数一般人であれば憲兵兵団を手堅く目指すのが正常な態度です。安寧を投げ捨て一歩間違えれば奈落へ堕ちる綱渡りに身を投じる有為な人材など基本的にはいない、という想定を持って制度は設計するべきです。

生活保護とあたし
生活保護とあたし
posted with amazlet at 13.05.16
和久井 みちる
あけび書房
売り上げランキング: 17,063


posted by かがみ at 01:03 | 法律関係

2013年05月14日

「公共の福祉」から「公益及び公の秩序」への転換が意味するもの

【維新】橋下共同代表「自民の憲法案は危険だ、怖い」(保守速報)

この感覚は曲がりなりにも法律家であれば当然でしょう。あれはフォーマットこそ現行憲法を前提にしているものの拠って立つ思想的基盤は全く異質。それは現行憲法の「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」に書き換えた点に端的に表れています。

「公共の福祉」とは何か(Die Zeit des Rechts)

「公共の福祉」の定義は現行憲法制定初期こそ百家争鳴の感があったものの、やがて「人権の矛盾衝突を調整する実質的公平の原理」という一元的内在制約説へと理解はほぼ収斂した。内在制約とはこれまた難解な言い回しですが、要は人権を制約できるのは人権自身であるということでして、国家が人権制約をなし得る根拠を「それが他人の人権を害する(した)場合」という他害原理に求めるものです。

これは天賦人権説および社会契約説という近代憲法理論を現行憲法典の条文解釈の平面上に投影した定義です。すなわち人権とは人が生まれながら享有する前国家的な権利であり、憲法典とは互いに人権を保全する為の相互協定的な社会契約である。かかる社会契約の産物である国家とは法理論的にはどこまでも社会契約の目的を達成する為の人権保全機関にすぎない。だから「何となくけしからんから」とかそういうよく分からない理由で人権を外在的に制約することを憲法は認めていない。そういう理解が「公共の福祉」という文言の背景にはあります。

改憲試案はかかる意味を持つ「公共の福祉」という文言を片っ端から「公益及び公の秩序」という文言に書き換えているわけですから、そこには「公共の福祉の背後にある近代憲法的なもの」を積極的に否定する意図があると勘ぐられても仕方がないということです。

【参考】

改憲案の「新しさ」 (内田樹の研究室)

政治家も国民も信用できないから憲法がある(Life is beautiful)

憲法改正権の正体(かぐらかのん)


日本人なら知っておきたい 憲法改正自民党案
ゴマブックス株式会社 (2013-03-14)
売り上げランキング: 197

タグ:憲法
posted by かがみ at 05:55 | 法律関係

2013年05月08日

「DAHLIA」のサウンドはもっと評価されるべき

X Japan『紅』を聴こう(異常な日々の異常な雑記)

当時のギターキッズの部屋には大体手垢まみれになった「Blue Blood」の楽譜が転がっていたわけですから、そういう意味では偉大な曲ですね。ただギターサウンド的には3rdのDAHLIAが好きでした。際限なく膨れ上がるアルバムの制作費をペイする為、完成した曲を片っ端からシングルカットして売りさばいたというかなりアレなエピソードを持つ同作ですが、サウンド面だけで言えばXJAPANの最高傑作と思う。このアルバムはHideちゃんがソロで色々実験した成果が反映されていて、当時最先端の機材だったワーミーペダルやらサスティナーやらを積極的に取り入れた面白い音がこれでもかというくらいいっぱい詰め込まれている。マスタリングの音質もずば抜けてて今聴いても音が全然古くさくない。歌詞と曲調はシリアスなのに右チャンネルからは人を食ったようなギター音が聞こえてくるという、あの妙なギャップは後期XJapanの一つの魅力だった。LASTLIVEの「紅」にしろ、そういったDAHLIA的な感じがかなり反映されているような気がします。

ゼロ年代に入ってから音楽が売れない売れないと言われる時代が今に至るまで続きますが、それはああいう風にギターで何か面白いことをやってやろうという人がでてこなかったことと決して無関係ではないでしょうね。来年はHideちゃん生誕50周年。

DAHLIA
DAHLIA
posted with amazlet at 13.05.07
X JAPAN
Weaジャパン (1996-11-04)
売り上げランキング: 13,362

posted by かがみ at 03:19 | 文化論

2013年05月06日

憲法改正権の正体

【憲法記念日】他国は柔軟に改正 日本国憲法は「世界最古」に(MSN産経ニュース)

今年の憲法記念日は例年にまして憲法改正が話題となっていました。そこでふとした疑問が出てきたんですが、憲法改正規定に則れば「いかなる改正」も可能なんでしょうかね?

そもそも憲法を改正する権限、すなわち憲法改正権とは一体何なんでしょうか。かつて憲法を制定した権力である始原的憲法制定権力(制憲権)により産み出された権限なのか。それとも制憲権そのものなのか。

この点憲法改正権を制憲権から産み出された権限と考えれば、憲法改正権はどこまでも制憲権の枠組みを外れることは出来ず、憲法典の基本原理を損なう改正は不可能とされる。他方で憲法改正権を制憲権そのものだと解すれば、一見いかなる改正も可能のように見えますが、現行憲法が超国家的に存在するいわゆる天賦人権を文書化した社会契約であるとする通説的な立場からは、いかに憲法制定権力といえども全能とは言えずやはり改正には一定の限界があると理解されています。

なので例えばの話ですけど、人権の制約原理を内在的制約に限るとする「公共の福祉」から外在的制約も広く可能とする「公益及び公の秩序」に転換するような改正が果たして憲法改正の限界に抵触しないのかどうなのか。そういった疑問が理論上なくはないということです。

憲法がしゃべった。〜世界一やさしい憲法の授業〜
木山 泰嗣
すばる舎
売り上げランキング: 13,647


posted by かがみ at 00:19 | 法律関係