2013年04月30日

Ust限定配信アニメ「宮河家の空腹」はらき☆すた10周年を寿げるか。

4月最後の本日はワルプルギスの夜でしたね。「まどか☆マギカ」のモチーフともなったゲーテの「ファウスト」で描かれる魔女の集会のイメージが強いですが、そもそもの起源は春を迎える為の儀式の一つ。「ワルプルギス」と言う名称はイングランドの聖ワルプルガの名に因んだもので、ドイツ語では「ヴァルプルギス」と発声するみたい。

さて、昨日より始まった5分アニメ「宮河家の空腹」。原作は「らき☆すた」のスピンオフで、宮河ひなた・ひかげの貧乏姉妹が織りなす貧困ホームコメディ。Ust配信で配信期間は昨日一杯という何とも斬新な放映形態です。原作テーマが「勿体ない」だけあって、Webラジオも含めてかなり予算ギリギリ感のチープな空気が漂う。宮河姉妹を含め声優はほとんど新人さんを起用。ひなたさんのあの異様な語尾上げはなんんでしょうか。ひかげちゃんの声優さんはゲームから数えて3代目ですが、そりゃゆかりんや鹿野さんに頼んだらそのギャラだけで予算がぶっ飛ぶ台所事情だったのかもしれません。ネット上では「期待の斜め下を逝ってくれた感じで」「俺が期待して待ち続けた宮河家の空腹は一瞬にして爆破された」「らき☆すたがどれほど秀逸だったかがよくわかった」などの反応が見られました。

「宮河家の空腹」第1話 ヤマカンは5分アニメ監督のレベルに達してなかった(にゅうにゅうす)

ただ本作はそもそも秋に発売されるらき☆すた10巻の作品の特典DVDにつくおまけアニメ。過度な期待というのが酷でして、特典DVDの内容を小分けにして先行配信してくれてると思った方が精神衛生上宜しいです。もっともせっかくのらき☆すた10周年を寿ぐ企画だし、ヤマカン氏がその域に達した矜持の一つでも見せて頂けるのなら、それはとっても嬉しいな。

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美水 かがみ
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タグ:アニメ
posted by かがみ at 23:51 | 文化論

2013年04月12日

ゼロの使い魔の思い出

【訃報】ヤマグチノボル先生

ライトノベル原作のアニメというのは90年代やゼロ年代前半も皆無というわけではなかったが、まだまだ数えるくらいで、アニメ全体の中では傍流に属していた。

ところが2005年くらいから潮目がやや変わってくる。エヴァ以降、業界の主流となった製作委員会というシステムはリスクヘッジとしては効果的な手法である反面、一社あたりの回収利益は当然少ない。2000年以降、採算性の良い深夜アニメの制作がおもむろに活発化することになるのはそういう事情があったわけだが、他方で漫画原作の枯渇も深刻な問題となった。そこで着目されたのがライトノベルである。ラノベは一般小説と異なり既に認知を得たキャラクターイメージがある上、文章で物語が紡がれる以上漫画媒体に比べ原作の拘束力は相対的に弱く演出の自由度は上がるという妙味もある。そういった状況の変化の中、「涼宮ハルヒの憂鬱」「灼眼のシャナ」と並び、ラノベ作品のアニメ化という一大潮流を創りだしたのが「ゼロの使い魔」であった。

【訃報】「ゼロの使い魔」作者 ヤマグチノボル氏が逝去&業界の方から寄せられたお悔みの言葉(にゅうにゅうす)

ゼロ魔からラノベに入った人間としては実に残念です。本当に個人的な印象で恐縮ですが、正直、昔のラノベ作品群といえば無駄に難解な設定と婉曲的な表現ばかりが目に付きいわば「閉じたジャンル」という印象も当時無くは無かったが、その中にあって、ゼロ魔は飛び抜けて読みやすかった。第1巻はそんなにイラストが多いわけじゃないんですが、それこそ文章だけで持ってかれた。流麗かつ華と色気を兼ね備えた筆致で生き生きと描き出されるルイズの可愛さは破壊力満点でした。毒舌家でプライドが高く一方でコンプレックスの固まりで寂しがり屋。今でこそツンデレは萌え要素の一テンプレートに収斂した感もありますが、それはそれこそルイズの功績に負うところがかなり多いはずです。おそらく同じくゼロ魔を入り口にしてラノベの世界に足を踏み入れた人は多いはず。そういう意味で、ライトノベルというジャンル自体の地位を向上させた作家の一人であること疑いないでしょう。御冥福を祈念します。

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posted by かがみ at 00:19 | 文化論

2013年04月05日

社会システムにおける理論と感情

党派性やどうでもいい体験談で少子化問題を矮少化するなよ(異常な日々の異常な雑記)

例えば我々がルールだったり制度だったりと何か社会システムを論ずるとして、そこに万人を納得させるための怜悧かつ客観的な理論構成というのは、必ず必要になってくるんだろうけれども、それだけでは人の心に絶対に響かないでしょう。少なくとも社会科学の領域に関していえば、結局のところは人間を対象にしているわけですから、ゼロサムな自然科学と違って最終的にその理論の正否を決めるのは本質的には他者の共感なんですよね。 古人曰く覚くの如く。「個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破するうえで一番重要なことではないかと感じたのだ」と。結局のところ決め手になるのは実に主観的で素朴な泥くさい感情論だったりするわけです。

だから出生率2.0の議論にしてもそうなんでしょう。少子化問題を論ずるとなれば、経済政策から社会保障や労働問題に至るまでいろいろな幅広い観点からの理論的なアプローチはあるだろうし、それは政策論的にそれぞれ重要な論点であることは疑いないでしょう。けれども、同時にそれらは、かつては町の至る所に何気なく存在した「普通の家族の普通のしあわせ」がどんどん手の届かない世の中になっているけどそれでいいんですか?っていう価値観の問い掛けの問題でもおそらくあるんですよね。やっぱり単純な話、弟妹がいたほうが楽しいですよきっと。

【参考】

インターネットと路地裏と私たち(雪見、月見、花見。)

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タグ:経済 福祉 格差
posted by かがみ at 01:28 | 時評/日記