2012年12月31日

魔法少女のソウルジェムって要するに心の均衡だよね

年内にとりあえず一回更新しておこうと思いまして、最近読んだまどか本の感想とかをちょこっと書いておきますね。

すっかりきららマギカが発売していたことに気づいて慌てて購入。アレいつまで刊行するんだろうね?巻頭は宮本監督の総集編解説インタビュー。第4話冒頭の食事のシーンは総集編では意図的に削ったとかそういう編集上の舞台裏が語られている。確かにTVシリーズをDVDで続けて観るとマミられたあとに目玉焼き喰ってるってどうなのよってなりますからね。



それと「まどか☆マギカthe different story」ようやく下巻まで読了。本編では交わることのなかった二人の魔法少女の関係に焦点を当てた「マミられなかった世界」。一応、別の平行世界での話という設定になっているものの本編の設定の補完し得るものでもあるだろう。本編でマミさんが唐突にさやかに放った「あなたは彼に夢を叶えてほしいの?それとも、彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」という言葉の真意や、杏子がああいう家庭崩壊劇があったにも拘らず希望と絶望の相転移が起きなかったのかが本作を読むとよくわかる。ストーリーとしても完成度が高く繊細な人間関係描写は本編以上かもしれない。



エヴァ世界においてATフィールドが誰もが持ちえる心の壁であるように、まどかの世界におけるソウルジェムは心の均衡と言うべきものだろう。マミさんはあの事故で「家族全員が」ではなく自分一人だけ助かることを願ってしまった。その後の魔法少女としての異様なまでの利他的な姿はその贖罪だったのだろうか。

それでは皆様よいお年を。来年も宜しくお願いします。
タグ:アニメ 文化
posted by かがみ at 18:55 | 文化論

2012年12月29日

生活保護の問題を語るとき人は何故リバタリアンになるのか

気がついたら年の瀬ですね。今月はあんまり更新できなかったのが残念です。

さてこのたび衆院総選挙があり周知の通りの結果となりましたが、いずれにせよこういうご時世。とにかく経済政策はしっかりとやって頂きたい。ただ、持続的な経済成長を可能とするためには誰もが安心できる社会保障制度が不可欠の前提だと思います。

【速報】ついに大臣が正式に生活保護引き下げを表明でナマポ死亡wwwwww(2chエクサワロス)

そりゃあね。確かに厚顔無恥というか、けしからん受給者も相当程度いるでしょうけど。だからといって生活保護全体の給付水準をさげるというのはさすがに論理の飛躍があると思いますよ。生活保護というのは別に国が慈善事業でやって言うわけじゃあないですから。あれは治安維持対策でもあり経済政策でもあるんです。ケインズ経済学風の表現で言うと消費性向上昇に伴い乗数効果が拡大することになるわけです。これ以上は堕ちないって言う最低限のラインが確保されているからこそ、人は思い切って金を使えるんですよ。

だから何故この問題になると皆が皆リバタリアンになるのか不思議でしょうがない。ナマポの連中が奈落に堕ちたからといって我が暮らしが良くなるわけでもなかろうに。得られるのは、自分は最底辺ではないという陳腐で相対的な自己満足だけでしょう。生活保護の問題は雇用問題と紙一重の部分がある。多くの問題の本質はワーキングプア層の待遇の改善であり、生活保護を切り下げるというのはワープア層の溜飲を下げるだけのごまかしでしかない。要するに明日は我が身ですよ。みんな不幸になれば幸せな社会というのは一体なんなんだろうか、と最近の生保叩きをみるたびに思わざるを得ない。

確かに自由な社会である以上ある程度の格差が生じるのは仕方のないことです。ただ格差の固定化は社会から活力を奪ってしまう。教育の問題もそうなんですが、莫大な情報量とネガティブな空気が蔓延するこの時代だからこそ、必要なのは誰もが未来に希望の持てる社会システムの構築が不可欠だと思います。

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タグ:法律 福祉 格差
posted by かがみ at 00:04 | 法律関係

2012年12月09日

天賦人権論というセキュリティシステム

天賦人権論のアレが随所で問題になっていますのでとりあえず雑感のみ。

選挙前に人権意識が問題になるなんて(novtan別館)

「権利は義務を伴う」。この言葉自体を道徳律として否定する気はもちろん毛頭ないです。生き方としてそれはそれで美しい。けれども、その思想をいやしくも近代憲法典に取り込むのは本末転倒としか言いようがないでしょう。道徳の話と法律論はどこまでも峻別して考えるべきです。

天賦人権論は真っ当な法思想であって別に宗教でもキャッチフレーズでも何でもないよ。権力抑制装置としての憲法典を別の側面から言い換えただけです。そもそも近代憲法というのは基本的に民主主義というものを信用していない。NSDAPがワイマール憲法下において民主的な手続きによって成立してしまった歴史を考えればそれはよくわかるはずです。大衆の喝采程アテにならないものはないということです。

だから、近代憲法はそういう民主主義の暴走を見越した上で二重三重の防護策を講じている。基本的人権の保障にしろ違憲立法審査権にしても、多数決では救われぬものに救いの手をという弱者救済思想であると同時に、瞬間風速的な「民意」の熱狂によって国家百年の大局を見誤らない為のセキュリティシステムとして憲法典に内包されているわけです。「リベラルでない民主制は、民主制の否定であり、多かれ少なかれ独裁的性格を帯びる。民主制は人権の保障を本質とする。」という宮沢俊義の言葉はいまでも至言でしょう。一元的内在制約説が説く通り、人権を制約できるのは他人の人権だけであり、そこであえて義務を言うのであれば他人の人権を侵さない義務があるだけです。公共の福祉というのはそういうことなんです。幾多の艱難辛苦の結果、生み出された統治機構のバランスを無下に否定すべきではないと思います。

政治家でも官僚でも財界人でも何でもない普通の人がああいう勇ましい言説をネット上で支持するという現象も閉塞した時代だからこそなのかもしれない。けれどもそこから得られる物が何かあるとすれば、ただただ自分はシステムの側にたっているなどという気持ちの良い錯覚だけしかないですよ。

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タグ:法律 憲法
posted by かがみ at 02:34 | 法律関係