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2025年12月25日
欲望一元論の哲学
* ドゥルーズ哲学の限界性
20世紀を代表する哲学者の1人であるジル・ドゥルーズは彼の名前をフランス哲学界に知らしめた最初期の著書『ニーチェと哲学』(1962)で「思考することは、生の新たな可能性を発見し、発明することを意味するだろう」と述べています。つまり「思考」によって我々の「生」は変化するということです。
ドゥルーズの仕事は哲学にとどまらず、精神分析、文学、絵画、映画といった諸領域を変幻自在に横断するものであり、そこではさまざまな革新的な概念が創出されることになります。そして、このようなドゥルーズ哲学の枢要部にある哲学原理を國分功一郎氏は『ドゥルーズの哲学原理』(2013)において「超越論的経験論 L'empirisme transcendantal」と呼んでいます。この一見する語義矛盾のように思われる表現はいわばディヴィッド・ヒュームの経験論哲学とイマヌエル・カントの超越論哲学を総合するものであるといえます。
よく知られるようにヒュームは経験論という哲学を説き、人間の知性や認識の基礎を経験に求めました。これに対してカントはこのような経験そのものを可能とする条件を問います。このようなカントの問いは経験に先立つ先験的な「超越論的」と呼ばれる領域を切り開くことになります。これについてドゥルーズは『カントの批判哲学』(1963)において「超越論的とは、経験が必然的に我々のア・プリオリな表象に従う際の原理を指す」と定義しています。
ドゥルーズはカントによる超越論的なものの発見を高く評価します。その一方でドゥルーズはヒュームにこのようなカントが問うことをやめてしまった発生の問いを見出しています。こうしたことからドゥルーズはカント的な超越論的哲学の可能性を引き継ぐとともに、そこで喪われた発生の問いをヒューム的な経験論哲学によって補完します。これがいわば「発生を問う超越論哲学」としての「超越論的経験論」と呼ばれるものです。
こうした超越論的経験論の出発点としてドゥルーズは彼が「無人島」と呼ぶ自他未分の世界を想定し、そこに現れる超越論的な要素を「出来事 événement」ないし「特異性 singularité」と呼びます。この「出来事-特異性」によって我々の主体というものが発生されることになるということです。
ではこのドゥルーズの哲学原理たる超越論的経験論からは、いかなる実践の哲学が現れ出るのでしょうか。この点、ドゥルーズが実践の問題として追求したのはもっぱら「思考」の問題です。この論点はドゥルーズの最初の主著となる『差異と反復』(1968)で大々的に展開されることになります。同書においてドゥルーズは「人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意欲が高まってというより、むしろ何かショックを受けて思考するということ、これは「すべての人」のよく知るところである」と述べます。なぜそのように言えるのでしょうか。
ここでいう「事実」とはドゥルーズのいうところの「習慣 habitude」を指しています。ドゥルーズは『経験論と主体性』でヒュームに依拠しながら、習慣は常に経験に接続するが経験に依存していないといいます。通常「習慣」とは反復される行動様式を指しています。しかし反復される具体的な行為は一つ一つ全く異なったものであり、完全に同一の行動が繰り返されているわけではありません。その意味で反復は毎回が交換不可能、置換不可能であるといえます。
ところが習慣はそうした一つ一つが交換不可能、置換不可能である経験の反復から「何か新しいもの、すなわち(…)差異を抜き取る」ことで成立します。そうして成立した習慣が人間の行動の規範となります。このような習慣の位置する次元をドゥルーズは「一般性 généralité」の次元と呼びます。一般性とはどの項も他の項と交換可能であり、置換可能であるという視点を表現しています。つまり先の「事実」とは経験に後続はするけれども、それに依存しないという、この「習慣」という「一般性」の次元を指しています。
このように人は反復の中から「差異を抜き取る」ことで習慣を生きています。なぜなら人は新しさに毎度毎度直面していては日常生活をつつがなく生きていけないからです。こうしたことから習慣の生成をドゥルーズは「受動的総合」と呼び「受動的総合という至福が存在するのだ」とすら述べます。人間は基本的にこの「至福」の中に佇むことを望みます。だから思考に向かう積極的意志など持たないということです。
したがって人がものを考えることがあるとすれば、それはもう、仕方なく、やむをえず、強いられてのことでしかありえません。それゆえに思考とはそれを強制する何かしらのシーニュ(しるし)との出会いがあってはじめて発動します。けれども、だからといってただ待っていれば思考を強制するシーニュとの出会いが訪れるわけではありません。シーニュは読み取られねばならず、またその読み取り方は習得されねばなりません。したがって思考を偶然の出会いによって強制されるものと捉える理論は、出会いそのものを組織する「習得」の理論、あるいは「学び」の理論と切り離せないということです。
さらに晩年のドゥルーズは『シネマ1』(1983)、『シネマ2』(1985)において映画を論じる中でこのような思考の理論を行為へと延長してみせます。ここでドゥルーズはアンリ・ベルクソンの再認論を参照しつつ「失敗」としての「注意深い再認」こそが潜在的なものを現働化し、新たな主体性を生み出すと論じています。
ところがこのように思考の理論を行為へ延長したとき露呈したものが、新たな主体性とは「失敗」によって定義されるということです。人は意図して失敗を目指すことはできません。ここにドゥルーズ哲学におけるある種の限界性を見出すこともできるでしょう。もちろん他ならぬドゥルーズ自身、こうした自身の哲学の限界性に気づいていたと思われます。それゆえにこの限界性を打ち破るため、彼はほとんど賭けといってもよいひとつの実験に打って出ます。それが1969年から開始されたフェリックス・ガタリとの協働作業です。
* アンチ・オイディプスの生成
フランソワ・ドッスの評伝『ドゥルーズとガタリ−−交差的評伝』(2007)によればドゥルーズとガタリが初めて直接対面したのは1969年6月とされています。ドゥルーズはガタリの斬新なアイデアや概念を次々と創造するところに魅了され、二人は対話を重ね、協働作業を始めることになりました。
その最初の成果である『アンチ・オイディプス』(1972)は次のような手順で書かれたといわれます。まずドゥルーズはガタリに朝起きたらすぐに机に向かい自分の考えを紙に書き付け、それを読み直さず、手直しもせず、そのまま自分のところに送るよう求めました。ガタリはその決まりを守りひたすらドゥルーズにメモを送り続けます。ドゥルーズはこの膨大なメモをひたすら読み漁り、頭の中をガタリのアイデアで満たしていきます。
このときドゥルーズはまるでガタリによって憑依されたシャーマンのようになり、その憑依が何らかの閾値を超えたところでドゥルーズはペンを握ることになります。その後、ガタリによる訂正と共同の推敲作業を経て、1971年12月31日にテクストが完成し、出版されたのは翌1972年3月です。このように『アンチ・オイディプス』はガタリでもドゥルーズでもなくまさに「ドゥルーズ=ガタリ」としか呼びようのない何者かによって書かれたエクリチュール実験の産物なのであるということです。
とはいえこの方法はドゥルーズの著作の方法を応用したものと考えることもできます。もともとドゥルーズは特定の哲学者を論じたモノグラフを「自由間接話法」というスタイルで書いており、ここでは「語られる側」の判断が「語る側」の判断であるかのように現れます。ドゥルーズはこのような独自の仕方で論文や著作を書いていました。ドゥルーズとガタリが行った実験はこの方法をさらに推し進めたものとなっているといえます。
客観的に見ればガタリが書き送ったメモをドゥルーズがまとめ直しているのですから、ガタリは「語られる側」に、ドゥルーズは「語る側」にいることになります。実際、同書の概念のほとんどがガタリに由来するものです。しかしドゥルーズはこのような「ガタリの思想」の外側にいて、それを観察者として眺めて報告しているわけではありません。
この時「語る側」にいるドゥルーズは自由間接話法を用いて哲学者を論じていた時のように「語られる側」にあるガタリに生成変化しているといえるでしょう。その唯一の違いはドゥルーズのモノグラフがすでに完成された著作や作品を相手にしていたのに対して、この実験ではドゥルーズが生成途中にあるガタリの思想を生け捕りにするように相手にしていた点にあります。では、こうしたガタリとの協働作業はいかなる理論的要請から生じたものなのでしょうか。
*「機械」とは何か
まずドゥルーズとガタリの理論上の結節点となったのは彼らが初めて対面した1969年6月にガタリが準備していた「機械と構造」というテクストです。このテクストは当時隆盛を極めていた構造主義の乗り越えを目指しています。ここでガタリは一般性の次元に関わる「構造 structure」に代えて、特異性の次元に関わる「機械 machine」の概念を提示することでそれを達成しようとしていました。そこでは出版されたばかりの『差異と反復』などドゥルーズの著作が参照されています。このことはガタリがドゥルーズの著作の中に構造主義的な「構造」の概念に収まりきれない何かを見出していたことを意味しています。
この点、ガタリのいう「機械」の特徴は彼の出自でもあるラカン派精神分析との関係において明確となります。当時、構造主義の旗手の一人として知られていたフランスの精神分析家ジャック・ラカンはジークムント・フロイトが創始した精神分析を受け継ぎつつ、フェルデナン・ド・ソシュールが立ち上げた構造言語学から借用した「シニフィアン(一般に言語記号の音声面を指す)」を用いて独自の精神分析理論を打ち立てました。その概要は以下のようなものです。
ラカンによれば人間は出生時の寄る辺なさを補おうと母子関係という想像的双数関係に入り、束の間の平安を得ることになります。ところが母とのこの想像的同一化は母が子の動物的欲求を満たす以上の過剰な欲望を注いでいるという意味で不均衡を抱えています。これは母は言語の担い手であるが子はそうではないというズレから生じることになります。
子には母の欲望はわかりません。その結果、子はこの想像的双数関係のナルシズム的融合の不可能性を知ることになります。ここに生じる母と子の欲望のズレをラカンはフロイトのオイディプス・コンプレックスにおける〈父〉の役割と重ね合わせるとともに、言語による幻想的母子関係の破壊を「去勢」と呼びます。
フロイトのオイディプス・コンンプレックス理論によれば子は〈母〉を恋人にしようとし、それを邪魔する〈父〉を憎みます。ラカンはこの物語を高度に抽象化して先のズレを〈母〉になくて〈父〉にあるもの、すなわち〈男根=ファルス〉に置き換えます。そして子は「ファルス(φ)でありたい」という欲望を抱くものの〈父の名=父の否〉によってその断念を迫られることになります。
この断念の瞬間に「ファルス(φ)でありたい」という子の欲望は「ファルス(Φ)を持ちたい」という欲望に変換され、このΦが最初のシニフィアンとして無意識にしまい込まれることになります。フロイトが仮定した「原抑圧 Urverdrängung」という過程をラカンはこのように説明しました。
* 代理=表象批判と欲望の複数性
こうして人はこのΦを求め続けることになります。ですがそれは決して手に入らない「永遠の欠如」に他なりません。従って人はその代わりになるものを探し続けることになります。つまりこの最初のシニフィアン(Φ)を意味=シニフィエとして持つような別のシニフィアンを探し求めるということです。これが欲望の原因をなす対象、すなわち「対象 a 」と呼ばれるものです。
このように対象 a を追い求める過程でシニフィアンとシニフィエの対としての「記号」が生まれることになります。こうして第一のシニフィアンから始まる記号の連鎖が「シニフィアン連鎖 chaîne signifiante」 であり、その開始によって人間は「象徴界」と呼ばれる言語的な秩序に入るとされます。
このようにラカンは記号の意味作用の根源に欲望を想定します。何かが何かを意味するのは主体がそう意味させたいと欲望するからです。それゆえにラカンにおいては「一つのシニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を代理=表象する」という定式が生じることになります。
しかしなぜ「一つの」シニフィアンが主体「そのもの」を代理=表象するといえるのでしょうか。それはそこで想定されている欲望が常にただ一つであるからに他なりません。いかなる欲望も対象 a を、根源的にはつまりはΦを求める欲望であることになります。すなわち、それは最初にあった母子間の欲望のズレ、ただ一つの喪失、決定的な欠如を埋め合わせようとする欲望以外の何者でもありません。そのように考えられているからこそ一つのシニフィアンが主体そのものを代理=表象するのである、ということができるのです。
そうであればこの代理=表象の問題は欲望を単一の原因で説明しようとするラカン派精神分析の理論上の設定そのものに関係していることがわかります。そしてガタリがいうようにもし「機械」の概念を導入することによって代理=表象が機能しなくなるのであれば、それは「機械」によってこの設定に変更が加えられたことを意味します。すなわち、それは単一の欲望の「欠如」なる原因から説明するのをやめ、欲望を複数の流れとして捉えるということです。まさしくここには「欠如のイデオロギー」を批判して欲望の複数性を唱える『アンチ・オイディプス』の理論的萌芽を見ることができるでしょう。
* 構造主義はなぜそう呼ばれるのか
ではなぜドゥルーズはガタリのこうしたアイデアに惹かれたのでしょうか?それはおそらく彼自身がかなり強い構造主義的な発想をもっていたからだと思われます。そのことを物語っているのがドゥルーズの論文「構造主義はなぜそう呼ばれるのか」です。ドゥルーズはこの論文において、ある思想が構造主義たりうるための六つあるいは七つの基準を抽出しています。
第一の基準は「象徴的なもの le symbolique」の発見です。構造主義は感性的に把握できる現実でも頭の中に思い描かれる想像でもなく、あくまで象徴的水準を扱います。例えばラカンが語る〈父〉とは現実の父親でも想像的な父のイメージでもなく「原抑圧」を遂行する〈父の名=父の否〉の構造的な担い手を指しています。
第二の基準は「局所あるいは位置 local ou de position」です。象徴的秩序においてある項は単独で積極的に存在するのではなく、その象徴的秩序、すなわち構造の中での役割・意味の担い手として存在します。つまり父がいて、その父が「否」というのではなく、むしろ「否」という役割を与えられている構造内の一項が〈父〉と呼ばれているということです。
第三の基準は「微分的なものと特異的なもの le différentiel et le singulier」です。いま述べたように構造内の諸項は周辺の項との関係の中でその価値が決定されますが、こうした作業をドゥルーズは「微分」と呼びます。例えばレヴィ=ストロースの親族組織の理論によれば一方に兄弟/姉妹、夫/妻という対があり、他方に父/息子、母方のオジ/姉妹の息子(オイ)という対があり、これら「親族の基本構造」という「微分的関係 reqqort différentiel」が「親族間の態度」を規定することになります。もっとも実際にある社会でどの態度が選択されるかはこの構造だけではわからず、この微分的関係に還元できない力をドゥルーズは「特異点」と呼びます。
第四の基準は「異化=分化するもの、異化=分化 le différenciant,le différenciation」です。構造主義のいう構造はすべて無意識的であり、潜在的なものです。例えば言語のように潜在的にはすべての項が構造の中に相互依存的に共存しており、そのうち一部の関係が「今、ここ」の語りによって現働化することになります。ドゥルーズはこのような潜在的なものの部分的な現働化を「異化=分化する」といいます。
この辺りからドゥルーズは構造主義を自分の思想として引き受け始めており「構造主義は発生や時間を語れない」という構造主義に対するありがちな批判に対する反論を始めますが、むしろここでは構造主義が扱う発生や時間の限界が露呈することになります。例えばラカンは主体が発生するプロセスにおいて原抑圧なる出来事とその担い手としての〈父〉を遡行的に名指し、それによって人間が象徴界に入るという時間を見出していますが、これはあくまでも構造の枠内における理念的な発生や時間でしかないということです。
* 構造における空白のマス目
第五の基準は「系列的 sériel」です。構造主義においては微分的関係において捉えられた象徴的要素をセリー状に編成することによって構造は十全に定義されることになります。例えばラカンは無意識を個人的なものでも集団的なものでもなく間主観的なものとして捉えていましたが、これは無意識が〈母〉や〈父〉といった象徴的審級との関係でセリーを織り成しながら形成されていくことを意味しています。
第六の基準は「空白のマス目 la case vide」です。ここでいう「空白のマス目」とはセリーの間を行き交い構造間の項が絶えず移動することを可能にするものですが、それが「空白」と呼ばれるのは、それ自身は何ものでもないからです。例えばラカンのいうファルスや対象 a がこれにあたり、こうしたものをドゥルーズは「対象=x」と呼びます。
ところがドゥルーズは同時にこの基準の必然性に一定の疑問を呈しています。構造における「対象=x」の規定が真であれば構造化可能な領域はことごとくこの特殊な逆説的対象によって規定されることになります。例えばラカンはどこにでもこの逆説的対象を発見しています。しかしそれはもともとあった理論を特定の分野に無理矢理当てはめているからではないのでしょうか?すべての欲望は対象 a を、ひいてはファルスを巡っているという理論的前提があるからこそ、すべての領域に対象 a を、つまり「対象=x」を発見できるということではないのでしょうか?
この論文でドゥルーズはひとまずは構造における「対象=x」の必要性を肯定することになります。しかしここにはドゥルーズの揺らぎが見てとれます。この時点でドゥルーズは構造主義的体制が抱える問題点に確実に気づいています。だが自分もまたこの体制に非常に近い立場にいて、そこから抜け出せる方策も見えていない状態にあるということです。
* 欲望一元論の哲学
ここからドゥルーズは構造の変動に関わる最後の基準である「主体から実践へ du suject à la pratique」に至りとりあえずの結論を出しています。その答えはある意味で単純です。構造主義における「対象=x」の特徴とは⑴それが常に主体に付きまとわれていることと⑵それが空白であり、自らの自己同一性や場所を欠いているという点にあります。従って構造を変動させる条件の一つ目はこの対象=xに主体が付きまとわない事態(シニフィアンの消去)であり、もう一つはその逆で対象=xという空白のマス目が埋められてしまう事態(シニフィエの消去)であるということです。
しかしながらこれは実践というには極めて抽象的な結論であると言わざるを得ないでしょう。そしてこのようなシニフィアンが消えたりシニフィエが消えたりといったアクシデントを待つというこの結論は「失敗を目指す」というドゥルーズ哲学の限界性と完全に相関関係にあるといえます。
こうしてみるとドゥルーズとガタリの間には共通の理論的な問題意識があることがわかります。それはまさに構造主義的な構造、すなわちセリー的構造、すなわち「原抑圧」という仮説的出来事により生じるファルスという名の「対象=x」によって統合された構造とは別の仕方でのモデルを構築することに他ならないでしょう。
こうしたことから『アンチ・オイディプス』においてはファルスの欠如としての欲望とは別の仕方での欲望から社会が考察されることになります。そして、そこでは「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか」という問題が浮上します。換言すれば、それは人はなぜ自由になることができないのか?いや、なぜ人は自由になろうとしないのか?どうすれば自由を求めることができるようになるのか?という問いであるといえます。
そうであれば『アンチ・オイディプス』の続編である『千のプラトー』(1980)とは、こうした問いを起点として、欲望という視座から社会の諸領域において作動する権力装置の分析を試みたものであるといえます。もちろんそこでドゥルーズが現代社会に下した診断は決して希望に満ちたバラ色のものではありません。けれどもここでドゥルーズがガタリと共にプラグマティックな権力分析を伴った〈欲望一元論の哲学〉を完成させたことは確かであり、そこでは人間の自由が問い直されることになります。いわばここでドゥルーズは自身が構築した「失敗を待つ哲学」を乗り越える「自由を志向する哲学」を見事に打ち出したといえるでしょう。
posted by かがみ at 23:07
| 精神分析
2025年11月24日
対象 a とファンタスム
* 象徴界から現実界へ−−ラカン理論の転回
精神分析とは19世紀末、オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが当時、謎の奇病とされたヒステリーの治療法を試行錯誤する中で産み出された理論と実践です。そしてフロイト以後の精神分析が米国自我心理学や英国対象関係論を始めとした様々な学派に分かれていく中で、構造主義の見地からフロイト理論を深く読み直すことで独創的な精神分析理論を生み出した人物がフランスの精神分析家ジャック・ラカンです。
ラカンは人の心的次元を「想像界 I'imaginaire」「象徴界 le symbolique」「現実界 le réel」という三つの位相によって把握しています。まず「想像界」とはイメージの領域です。ここでいうイメージの最たるものとして人の「身体」が挙げられます。この点、精神分析的知見によれば「身体」とは神経系の発達に先立ち視覚的な客体化によって得られるものです。そして、このような「身体」の客体化を担う典型的な装置が「鏡」です。すなわち「身体」を起動させるためには自分の姿を「鏡」に映し、統一的なものとして把握する契機が必要となります。このような契機こそが世に名高い「鏡像段階」です。
これに対して「象徴界」とは言語の領域です。ここでいう言語は「シニフィアン」によって構成されています。この点「シニフィアン」は「記号」とは異なり、それ自体では意味を持たず、意味作用が生じるには他のシニフィアンと連接させることが必要となります。例えば突然「ハシ」と言われてもそれだけでは何のことか意味がわかりませんが「ヲワタル」とか「デタベル」といった他のシニフィアンに接続されることで初めて「ハシ」というシニフィアンの意味が遡及的に明らかにされることになります。このようなシニフィアンで構成される象徴界は人の秩序である〈法〉を形成し、イメージの世界である想像界を統御します。
そして「現実界」とは言語やイメージをはみ出すような領域です。当初、ラカンは現実界を単なる物理的な世界として位置付け、人間の心的現実を考える上では物理的な世界としての現実界ではなく言語的な世界としての象徴界に注目しければならないと考えていました。ところが後にラカンはむしろ象徴界では語り得ない「不可能性」を指し示す領域を現実界と呼ぶようになりました。
こうしたラカン理論の展開を精神病理学者の松本卓也氏は卓抜したラカン論である『人はみな妄想する』(2015)において「神経症と精神病の鑑別診断」という精神病理学的観点から読み解いています。ここでいう「神経症」とは生理学的には説明ができない様々な神経系の疾患を幅広く指し「精神病」とは幻覚や妄想や精神機能の衰退といった重篤な障害を指しています。この点、ラカン派における神経症の下位分類は「ヒステリー」「強迫神経症」「恐怖症」から構成されており精神病の下位分類は「パラノイア」「スキゾフレニー」「メランコリー」「躁病」から構成されています。
精神分析の臨床においてはある分析主体の心的構造が神経症構造なのか精神病構造なのかが極めて重要な問題となります。両者においては分析の導入から介入の仕方まで、全てのやり方が異なってくるからです。そして同書はラカンの生み出した様々な概念とは突き詰めればこのような「神経症と精神病の鑑別診断」という臨床的な要請によるものであったといいます。
この点、1950年代のラカンはエディプス・コンプレックスの構造論化を行い、次のような神経症と精神病の理解を提示します。周知の通りフロイトはヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中で人の無意識の内奥に「母親への惚れ込みと父親への嫉妬」という心的葛藤を発見し、このような心的葛藤をギリシアのオイディプス悲劇に準えて「エディプス・コンプレックス」と名づけました。
この「エディプス・コンプレックス」なる仮説によれば、幼児は当初、母親との近親相関的関係の中にあり、やがてこれを禁じる者としての父親がもたらす去勢不安によって、幼児の自我の中に両親の審級が落とし込まれ、ここから自我を統制する超自我が形成されることになります。そしてフロイトによれば、男児と女児では去勢不安への反応は異なるものとされており、男児はペニスの喪失を怖れる結果、父親のような強い存在を目指すようになり、女児はペニスの不在に気付いた結果、父親に愛される存在を目指すようになるとされます。
ラカンの功績の一つはこのエディプス・コンプレックスなる一見すると荒唐無稽でしかないフロイトの神話を「構造」として解明したことにあります。そこでは心的システムの「正常な(神経症的な)」構造化は⑴象徴界の前駆的領域である原-象徴界(シニフィアンのセリー)が「象徴的父=〈父の名〉」によって統御されること、および⑵象徴界におけるセクシュアリティを「象徴的ペニス=ファルス」が規範化=正常化することによって完了すると考えられています。こうした一連の操作は「父性隠喩」と呼ばれます。
その一方で精神病では⑴〈父の名〉が導入されておらず⑵セクシュアリティが規範化されていないことが明らかにされます。精神病の発病はこの構造的異常を露呈するものであり、精神病の経過はこの構造的異常を神経症における父性隠喩の代替としての妄想性隠喩によって補填するものです。これが、50年代ラカンが到達した一つの標準的理論です。
このように1950年代までのラカン理論は主として「象徴界」の構造の解明に注力していたといえます。これに対して1960年代のラカン理論は「象徴界」の理論では取り扱うことができない「現実界」をどのように捕捉するかという問題へと向かいます。ここで導入される概念が、鏡像段階とともにラカンの代名詞をなしているかの名高い「対象 a 」です。
あらためて「対象 a 」とは何でしょうか。「対象 a 」とはいかにして現れ、いかなる機能を持つのでしょうか。そしてそこからいかなる鑑別診断が導き出されるのでしょうか。
*〈物〉と享楽
まずラカンは「現実界」を〈物〉という概念で刺し止めようとします。ここでいう〈物〉という概念はセミネール7『精神分析の倫理』(1959年〜1960年)のなかで、フロイトの1896年12月6日付ヴィルヘルム・フリース宛の書簡や「草稿K」および「心理学草案」等のテクストを少々強引に読解することによって導入されることになります。
まずフロイトはフリース宛の「書簡」のなかで人間の心的装置を論じています。ここでは外界からの刺激が知覚(W)として受容されることからはじまり、その知覚が知覚標識(Wz)→無意識(Ub)→前意識(Vb)という三つの記録の層にわたって翻訳され、最終的に意識(Bew)へと至るさまが示されています。
乳幼児は外界(母)から様々な満足体験を受け取っていますが、その満足体験の知覚は、記録の層へと翻訳される際に、決定的に変質してしまいます。なぜならこの記録の層における翻訳には「量的調整への傾向」があるために、「一定の材料については翻訳が行われない」からです。つまり、最初の満足体験のうち心的装置に記録されることができるのは量的に表現することができるものだけであって、その他のものに関しては翻訳が拒絶されてしまい、その結果、心的装置は最初の満足体験の一部を決定的に取り逃がしてしまいます。ここで取り逃がされたものが、ラカンのいう〈物〉に相当します。
またフロイトは「心理学草案」において「隣人のコンプレックスは二つの構成部分に分割されるのであって、その一方は恒常的な組織体によって印象を与え、物 Dingとしてまとまっているが、他方は想起の作業によって理解されうる」といいます。ここで「隣人」と呼ばれているのは、子供の「叫び」の宛先となる身近な人物であり、具体的には母親に代表される養育者(以下〈母〉)のことです。この〈母〉をめぐる心的複合体(コンプレックス)は、心的装置のなかでは二つの部分に分割されることになるとフロイトはいいます。
その一方は〈母〉から得られた満足体験のうちの量的な部分のまとまりであり、授乳の満足体験が指しゃぶりという象徴的等価物によって再体験されうるように、子供はこの満足体験を「想起」によって再体験することができます。しかし他方は〈母〉から得られた満足体験のうちの恒常的な領域として組織される「物」のまとまりであり、これは想起によって再体験されることができないものです。
以上のような議論をラカンはおおよそ次のように翻案します。まず乳幼児は満足体験を与えてくれる「隣人=〈母〉」に出会います。この「隣人=〈母〉」は象徴化され表象(=シニフィアン)へと翻訳されることによって無意識の層に書き込まれ「象徴界(正確にはその前駆的領域である原-象徴界)」を形成します。しかしこの書き込みの際に表象へと翻訳されることができなかった部分は、象徴化不可能な〈物〉として「現実界」を構成します。こうして人はもはや原初的な満足体験そのものにはアクセスできないことになります。
すなわち〈物〉とは人間がシニフィアンとかかわり言語の世界に参入する際に、もはや取り返しのつかないような形で失われてしまう原初的対象を指しています。フロイトがいうように人間は不快を避けて快を追求する快原理に従って行為をなしています。しかし、この快原理はシニフィアンのシステムそのものであり、この原理に従っているかぎり〈物〉の水準の原初的な満足体験に到達することはできません。こうした快原理の彼岸にある〈物〉の水準にある禁じられた満足体験をラカンは「享楽」と呼びます。
そして、このような「享楽」がシニフィアンのシステムという法によって禁止されているという事実は「〈物〉へと到達を禁止している法を侵犯しさえすれば、〈物〉へと到達しうるのではないか」というファンタスムを掻き立てることになります。こうして、人間は〈物〉を再発見しようとする永続的運動を開始することになりますが、そもそもの定義からしてシニフィアンを経由することによっては決して〈物〉に到達することができません。こうした不可能を目指して空回りし続ける永続運動こそが「欲望」と呼ばれるものです。
*〈物〉から対象 a へ
この『精神分析の倫理』以後、セミネール8『転移』(1960〜1961年)、同9『同一化』(1961〜1962年)、同10『不安』(1962〜1963年)のなかで、ラカンは次第に〈物〉を「対象 a 」という概念から捉え直していくことになります。
先述のように人が言語の世界へと参入する以前には「はじめに〈物〉があった」とでもいいうる神話的な段階があります。この段階では人は「十全な満足 volle Befriedigung」としての享楽を得ているとされます。しかしこのような享楽をもたらす〈物〉はシニフィアンの導入によって取り返しのつかないような形で喪失されてしまいます。
しかし人間の生活のなかには喪失したはずの〈物〉の痕跡がしばしば顔をのぞかせることになります。この痕跡こそが「対象 a 」と呼ばれるものに他なりません。つまり〈物〉の喪失の場に〈物〉の痕跡をとどめる特権的な対象を置くことによって、主体と〈物〉のあいだに一定に関係を作り、主体の「欲望」を支えることになります。それゆえに「対象 a」は「欲望の原因」と呼ばれます。
こうした意味で精神分析家ドナルド・ウィニコットが「移行対象」と呼んだものは人生の最初期における「対象 a 」であると考えられます。ここでいう「移行対象」とは幼児が全能性を喪失する(=享楽を喪失する)際に現れる特権的な対象を指しています。例えば子供は特定の毛布を手放さず、つねに手元においておこうとすることがありますが、ここではこの毛布が「移行対象」にあたります。
この「移行対象」は母親の乳房のような母子関係における重要な対象の代理であることをウィニコットは指摘しています。また「移行対象」は子供のときにだけみられるのではなく、後の人生のなかでもフェティッシュとして現れます。実際ラカンは対象 a が欲望の支えであることをフェティッシュの機能を参照しながら論じています。
ここでいうフェティッシュとは例えば母親の身体におけるペニスの不在を発見した子供がその欠如を覆い隠すことのできるもの(例えば下着)として採用する任意の対象をいいます。このフェティッシュは母親の身体そのものではありませんが、その身体の痕跡となり人間の欲望の原因として機能します。この意味で「対象 a」とは〈物〉そのものではありませんが〈物〉の断片であるといいうるものです。
* 疎外と分離
このように1960年代前半のラカンはシニフィアンを重視する構造論的な理論から〈物〉あるいは対象 a を重視する力動論的な理論へと大きく軸足を移動させます。しかし、その理論化の作業が一段落しかけたときにラカンは独自の技法である「短時間セッション(変動時間セッション)」が問題となりフランス精神分析協会から除名処分を受けることになり、その結果『〈複数形の父の名〉』を主題とするサンタンヌ病院でのセミネールは1963年11月20日の初回講義だけで中断されてしまいます。
しかしラカンは1964年に自身の学派となる「パリ・フロイト派」を立ち上げ、セミネール11『精神分析の四基本概念』をパリ高等師範学校で再開します。このセミネールとそれと同じ内容を含む論文「無意識の位置」のなかで、ラカンは60年代前半の議論を「疎外と分離 aiiénation et séparation」という二段階の操作にまとめています。この理論的変遷によって神経症と精神病の鑑別診断もまた「疎外と分離」という観点から再び展開されることになります。
まず「疎外」とは、シニフィアンの世界(象徴界)への参入によって、享楽の喪失と引き換えに主体を表れさせる操作です。ラカンによれば子供が象徴界に参入していく際に自らの原生的主体(S)を何らかのシニフィアン(S1)によって代理表象してもらわなければなりません。この代理表象の結果、主体はひとつにシニフィアン(S1)によって表されることになりますが、このシニフィアン(S1)はひとつきりで存在するだけでは無意味であり、そこに意味を生じさせるためにはペアとなるシニフィアン(S2)を必要とします。すると主体(S)は、あるシニフィアン(S1)によって別のシニフィアン(S2)に向けて代理表象されることになります。
ラカンは次のような例をあげてこのことを説明しています。砂漠で象形文字(S1)が書かれた石板を見つけたとき、我々はその文字を書いた主体が存在していたことを理解します。しかし主体が存在したということができるのは、その象形文字(S1)が他の文字(S2)と関係しているからです。
こうして主体は二つのシニフィアンのペア(S1→S2)に取って代わられ、一方では象徴界のなかで何らかの意味を持つことができるようになります。しかし他方ではシニフィアンに取って代わられた主体は、象徴化不可能な享楽を内包する「存在の生き生きした部分 part du vivant(de i'étre)」を決定的に喪失してしまいいます。こうして、原生的主体は「存在の生き生きした部分」を象徴界の外部へと落下させて(-φ)、それと引き換えに斜線を引かれた主体($)として登場することになります。
* 対象 a の享楽
このように「疎外」の操作によって人は象徴界に参入するとともに、享楽を喪失します。この議論は『精神分析の倫理』において、象徴界に参入した主体にとって〈物〉が接近不可能になったことに相当します。つまり、ここではシニフィアンと享楽は二律背反の関係に立つことになります。
ところが話はそれだけでは終わりません。『精神分析の四基本概念』のなかでラカンが「分離」と呼ぶ第二の操作では、失った享楽を別の仕方の享楽(対象 a の享楽)として回復することが試みられます。言い換えれば、「疎外と分離」の理論の導入はセミネール『精神分析の倫理』のようにシニフィアンと享楽を二律背反的なものとして捉えることをやめ、むしろシニフィアンと享楽の緊密な結びつきを考えることを可能にする大きなパラダイムの転換点といえます。では両者はいかにして結びつくのでしょうか。
先述のようにシニフィアンによる疎外をこうむった子供は、自由をもたない主体($)となります。なぜなら象徴界の中での主体のありようを決定するものが大他者(既存の言語)に由来するシニフィアンの連鎖(S1→S2)である以上、子供がそこに何か別のものを付け加えることは不可能だからです。これは現実の水準では、子供が「排泄しなさい」「眠りなさい」といった大他者(=母)が発する要求に従うだけの不自由な存在となってしまうことを意味しています。
しかし子供にはこのような要求にあふれた息苦しい世界から脱出する道がひとつ存在します。「存在の生き生きした部分」を、すなわち享楽を喪失した子供はひとつの欠如を抱え込んでいますが、それと同じように子供を疎外している大他者(=母)の側にもひとつの欠如があるということを子供が発見することが、子供を大他者の要求の鎖から解放する契機となります。
子供はこの大他者における欠如に対して、自分が先に失った欠如である「存在の生き生きした部分」(-φ)を持って答えます。この二つの欠如を重ね合わせる操作が「分離」と呼ばれるものです。こうして、疎外によって失われた「存在の生き生きした部分」、すなわち享楽が大他者(=シニフィアンの体系)における欠如に重ね合わされることになります。そして、この重ね合わされた欠如の点に到来するものこそが「対象 a 」です。
つまり「対象 a 」とは、大他者における欠如(Ⱥ)を埋め合わせてくれる対象であるとともに、主体が原初的に喪失した「存在の生き生きした部分」を部分的に代理し、主体に別種の満足を獲得させてくれる対象でもあります。
この満足はたしかに享楽と呼ぶことができる何かです。しかしそれは原初状態にあったと想定される〈物〉を全体的に回復するような享楽ではありません。すでに象徴界に参入した主体にとってそんなことは不可能だからです。分離の操作によって獲得される享楽とはむしろフロイトが部分欲動と呼んだものに相当する部分的な享楽です。
この部分的な享楽は身体の全体から享楽を掠め取り、それを身体の一部分(器官)に凝縮したものとなります。実際、ここでラカンは欲動は生殖という究極的な目標に達することなしに、口唇や肛門のような部分的器官の周囲を経巡することによって目的を達してしまうというフロイトの説を援用しています。すなわち、この享楽は〈物〉そのものを目指すのではなく、〈物〉の断片としての「対象の周りを経巡る」ものであるということです。このような享楽は後にラカンによって「ファルス享楽」ないし「器官の享楽」と呼ばれます。
以上のように『精神分析の倫理』の時点ではシニフィアンと享楽は完全に分断されており、両者の交通の可能性はほとんどありませんが『精神分析の四基本概念』の時点ではシニフィアンと享楽のあいだの交通が部分的なものとして再建されています。ここで享楽はもはや不可能なものではなく「対象 a」という抜け道を通って獲得可能なものになります。かくして「対象 a」はシニフィアンと享楽のあいだの分断を繋ぎ合わせる理論的接着剤として機能することになります。
* 分離の失敗としての精神病
では、このような「疎外と分離」という観点からは、どのように神経症と精神病の鑑別診断を考えることができるのでしょうか。まず問題となるのは、64年の疎外と分離の理論が、それ以前の理論とどのような関係にあるのかということです。先述のように疎外と分離(特に分離)では、大他者における欠如(Ⱥ)に直面した主体がその欠如を対象 a によって埋め合わせ、それと同時にセクシュアリティの制御(ファルス享楽の体制の確立)が行われます。そうであれば分離は50年代ラカン理論における〈父の名〉の導入という「父性隠喩」の成立に相当すると考えられます。
実際、ラカンは論文「無意識の位置」のなかで「父性隠喩とは、分離の原理である」と述べており、分離を、父性隠喩を受け継ぐ概念として構想していたと考えられます。言い換えるなら、疎外と分離は50年代に構造化されたエディプスコンプレックスを、その規範性を相対化しつつ論理操作へと抽象化し、さらに洗練させたものといえます。それゆえ、60年代のラカン理論を基盤とする神経症/精神病の鑑別診断は、分離の成功/失敗という観点からなされることになります。
この点、分離の操作によって行われるセクシュアリティの制御(ファルス享楽の体制の確立)とは換言すれば享楽を制御し身体器官に局在化させることを意味しています。それゆえに分離の操作に失敗している精神病では享楽は制御されず身体器官に局在化されていません。その結果として、精神病者は「脱局在化された、荷崩れした、象徴化不可能な享楽から侵襲をうける危険性」があります。この享楽の侵襲のあり方によって精神病の下位分類であるパラノイアとスキゾフレニーの二つを区別することができます。
まずパラノイアの場合、享楽が大他者の場に回帰します。その結果、大他者が主体を享楽するようになります(つまり、主体が大他者の享楽の対象となります)。例えばフロイトの「症例シュレーバー」においては、神や主治医のフレックシヒ教授が彼を性的な慰み者として利用しているという訴えがみられますが、このような現象は、享楽が大他者の場に見出されるために生じていると考えられます。このことをラカンは、パラノイアとは「大他者それ自体の場に享楽を見出す」者であると表現しています。
これに対してスキゾフレニーの場合、享楽は身体に回帰します。通常(すなわち、神経症の場合)では、享楽は身体から分離されています。神経症者の言語使用のなかに性的な(ファリックな)意味作用があふれるのは身体の多くの部分が享楽の機能を担わない代わりに言語が享楽の機能を担うからです。しかしスキゾフレニーの場合、その享楽は直接的に身体に回帰します。この享楽の身体への回帰は臨床的な水準では陰部を撫で回される、頭をもやもやしたもので覆われる、あるいは体のいたるところに電気が走るといった異常感覚体験として現れます。
以上のように60年代のラカン理論は、もはや精神病を父性隠喩の失敗によるシニフィアンの脱連鎖として把握するだけではなく、精神病では享楽が局在化されておらず、それゆえに通常とは異なった場所に享楽が回帰すると考えます。そして、パラノイアとスキゾフレニーは、その享楽の回帰する場所によって区別されるということです。
* 疎外と分離からみる神経症
では神経症では疎外と分離はどのように機能しているのでしょうか?前述の通り父性隠喩が分離の原理である以上、父性隠喩の成功によって特徴づけられる神経症は疎外と分離を終えた主体である考えられます。つまり精神病者が疎外だけを経験しているのに対して、神経症者は疎外と分離の両方を経験しているということです。もっとも神経症の下位分類であるヒステリーと強迫神経症では疎外と分離に対してとる態度はそれぞれ異なっており、その違いが両者の構造を決定づけています。
まずヒステリー者とは、疎外と分離を終えたあとも分離の操作に執着する主体です。つまり、ヒステリー者は大他者に欠如しているもの(-φ)を見出し、その欠如に自分自身(a)を捧げようとします。例えばフロイトの「症例アンナ・O」では父が病気になり、その父の看病をするようになったときにヒステリーを発病させ、あるいは「症例ドラ」では不能の父の欲望の支えとなることを自らの行動において実現していました。
つまり、ヒステリー者にとっては大他者における欠如(病気)がきわめて重大な発症の契機となり、その症状は大他者における欠如に対して彼女たちが結ぶある種の自己犠牲的かつ支配者的な関係のなかで展開されるということです。反対に「ヒステリーの主体にとって不安の重大な源泉となるのは、おそらく、大他者のなかに彼ないし彼女(=ヒステリー者)の場所がなくなってしまうこと」です。
これに対して強迫神経症者は、疎外と分離を終えたあとに、以前の疎外の操作にたちもどり、疎外を拒絶しようとする主体です。先述のように疎外とはあるシニフィアン(S1)が主体($)を他のシニフィアン(S2)に対して代理表象する操作でした。この操作は、ひとつのシニフィアンによって、ふたつのシニフィアン(S1とS2)を同時に表現することをヒステリー者に可能にします。その結果、例えばヒステリー者はある人物に対する愛情(彼の欲望を支えること)と憎悪(彼の不能を暴くこと)という対立するふたつの情動を、ひとつの表現でまかなうことができるようになります。
他方、強迫神経症者は疎外を拒絶し、S1とS2の二つのシニフィアンを両方とも保持しようとします。するとある人物に対する愛情と憎悪は、ヒステリー者のようにひとつの表現でまかなわれるのではなく、ひとつずつ独立して現れざるをえなくなります。例えばフロイトの「症例ねずみ男」では愛する女性の車が通る予定の道路にある石を取り除き(=愛情の表現)、その後で、石をふたたび元の道路に置き直す(=憎悪の表現)という奇妙な行動が見られますが、このようなしばしば無意味な−−本人にも無意味であることがわかっている−−儀式的強迫行為は強迫神経症におけるシニフィアンの性質(S1とS2の保持)によって繰り返されているということです。
また、強迫神経症者が疎外を拒絶するということは、享楽を内包する「存在の生き生きした部分」の喪失を拒絶することでもあります。強迫神経症者は疎外と分離を終えており、実際には享楽をすでに喪失しています。しかし彼は、自分のファンタスムのなかでは、享楽を喪失せずに保持していると考えています。「症例ねずみ男」で患者がメガネの代金を支払うように上司から命令されたことでひどく混乱してしまったのは、この支払いが、いわば「享楽の喪失」という未払いのツケを−−「父親が返さなかった負債」を−−払うことに相当するものと空想されていたからに他なりません。
* 去勢の想像的解釈
以上のようにヒステリー者は分離の操作に執着し大他者の欠如を見出し、その欠如を自分で埋めようとする主体であり、強迫神経症者は疎外を拒絶し、享楽の喪失を避けようとする主体であるということです。
では、神経症者はそもそもなぜ大他者に対してこのような態度をとるのでしょうか。それは「神経症者は、ヒステリーと強迫のどちらであっても……大他者の欠如を大他者の要求と同一視する者」だからです。疎外と分離の操作を終えた神経症者は「大他者は、大他者自身の欠如(Ⱥ)を埋めるために、私に何かを要求している。大他者は、私が自分の享楽を大他者に差し出し、私が去勢されることを私に要求しているのだ」と想像しますが、当然ながらこのような大他者の要求に応えることはできません。
こうした大他者に対する強迫神経症者の戦略は疎外を拒絶することで、そもそも大他者に享楽される余地を作らないようにするものです。これに対してヒステリー者の戦略は大他者に欠如を認めることによって彼の不能を暴き、その欠如をあらかじめ自分から埋めておくことで大他者がそれ以上自分を享楽しないようにするものです。
いずれにせよ神経症者は自分の享楽を大他者に差し出すことを恐れています。しかし、彼らは疎外と分離を経験している以上、そもそものはじめから享楽を喪失しているはずですし、そのときにはすでに去勢を経験しているはずです。ではなぜ彼らは享楽を差し出すことや去勢を要求されることを恐れているのでしょうか?
その答えは、「去勢とは、結局のところ、去勢の解釈の瞬間にほかならない」(S10,58)という点に求められます。すなわち、神経症者は「去勢」を経験はしているもののその経験を「想像的な水準」(E826)で解釈してしまっているということです。
去勢を想像的な水準で解釈するとはどういうことでしょうか。それは、自分を去勢する誰かがどこかに存在していると空想することです。もし自分を去勢する人物が存在するのであれば、その人物を打倒することができれば、神経症者は去勢から回復することができることになります。しかし、実際には去勢はそのようなものではありません。去勢(享楽の喪失)は人間がシニフィアンの世界に参入し、その世界のなかで自らのセクシュアリティを何らかの形で制御していく操作のなかにロジックとして最初から組み込まれています。
すなわち、原初的に喪失した「存在の生き生きした部分」を取り戻すことが不可能なように、私たちは去勢を回復することができません。しかし神経症者はそのことを理解できません。彼らは疎外と分離の操作を終えてはいるものの、すでに終わってしまった喪失を、喪失として受け入れることができていないということです。人がしばしば陥ってしまうこのような想像的誤認、すなわち去勢の想像的な解釈こそが人を苦しめる、いわゆる「生きづらさ」を生じさせています。
精神分析の目標のひとつはこのような去勢についての想像的な解釈を変更することにあります。その解釈の変更作業はこの時期のラカンが分析の終結に位置づけていた「ファンタスムの横断 traversée du fantasme」(S11,246/368)に相当するでしょう。
ここでいうファンタスムとは主体と対象 a との結び付きから構成される幻想ないし空想のことをいいます。こうしたファンタスムを横断し「大他者が私たちの去勢を要求している」という想像的な解釈を打ち捨てることができてはじめて、人は自らに固有の欲動のあり方へと向かうことができるようになるということです。
* 対象 a とファンタスム
では、このような「ファンタスムの横断」とは具体的にいかにしてなしうるのでしょうか。片岡一竹氏は画期的なラカン入門書『疾風怒涛精神分析入門』(2017)においてファンタスムの機能を「未来への希望(〈もの〉の再発見の欲望)」を生み出すと共に「現在の満足(対象 a の享楽)」をも生み出すものとして整理した上でファンタスムの役割を次のように論じています。
まずファンタスムは個人の人生においてどういった形で満足を得ていくかという享楽の型(モード)を規定するものであると同時に、どういった形で変化していくかという欲望の指標となります。ところが人生の途上において既存のファンタスムで対応できない出来事が生じることがあります。例えば環境の変化や出会いや別離といった出来事です。しかし人はなかなかそれまでのファンタスムを捨て去ることができず、いわば幻想と現実の狭間で苦悩することもあるでしょう。
しかしファンタスムは幻想=フィクションである以上、構築することもできれば解体することもできます。そこで既存のファンタスムを解体し、新たなファンタスムを再構築することこそがファンタスムの横断と呼ばれるものです。そして、それは対象 a と〈理想〉の癒着を引き剥がすことによって可能となります。
ファンタスムが強固なのは何かしらの享楽ないし欲望の対象(対象 a )が同時に何かしかの理想的な存在(自我理想)になっているからです。しかしファンタスムを横断するとき、こうした〈理想〉は文字通りのただの享楽ないし欲望の対象に変わります。つまり「そうした理想を作り出すことで自分は何がしたかったのか」が分かるということです。こうして人は「あの理想を求めていたのは必然的なことではなかった。自分は他にやりたいことがあったじゃないか」と考えられるようになり、新たなファンタスムの構築へと向かうことができると同書はいいます。
もちろん、こうしたファンタスムの横断を根源的な無意識レベルで成しうるのは極めて困難です。けれども例えば「あれが手に入れば」「あそこに行けば」「あの人がいれば」といった意識レベルの〈理想〉であれば、ある程度はその〈理想〉という名の幻想と距離を置くことも可能でしょう。こうした意味で自身における〈理想=幻想〉をいわば形式化して外側から見つめ直す上で対象 a という概念は有益な参照点となるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 21:59
| 精神分析
2025年10月25日
超越論的経験論と快原理の彼岸
* ドゥルーズの哲学原理としての超越論的経験論
20世紀を代表する哲学者の1人であるジル・ドゥルーズの仕事は哲学にとどまらず、精神分析、文学、絵画、映画といった諸領域を変幻自在に横断するものであり、そこではさまざまな革新的な概念が創出されることになります。そして、このようなドゥルーズ哲学の枢要部にある哲学原理を國分功一郎氏は『ドゥルーズの哲学原理』(2013)において「超越論的経験論 L'empirisme transcendantal」と呼んでいます。この一見する語義矛盾のように思われる表現はいわばディヴィッド・ヒュームの経験論哲学とイマヌエル・カントの超越論哲学を総合するものであるといえます。
よく知られるようにヒュームは経験論という哲学を説きました。経験論とはその名の通り、人間の知性や認識の基礎を経験に求める哲学です。ドゥルーズは最初の著作である『経験論と主体性』(1953)においてヒューム哲学の根本にある問いを極めて簡潔な一文で説明しています。「ヒュームが取り組むことになる問いはこうなる−−精神はどのようにして一つの人間的自然に生成するのか?」ということです。同じ問いは「精神はどのようにして一つの主体へと生成するのか?」とも言い換えられています。すなわち、ここでドゥルーズがヒュームに見出しているのは主体を所与の前提とせず、その発生を問う哲学です。
この点、ヒュームによれば精神とは互いに関連を持たないバラバラな観念の集合にすぎず、従って精神はその状態ではいかなる認識も持っていません。この精神が何らかの認識を持つのは、そうしたバラバラな諸観念を関係づけ、連合させる時です。例えば我々が毎朝、太陽が昇るの見るとして、その知覚は「今朝太陽が登った」「昨日も太陽が昇った」「その前も太陽が昇った」といったバラバラな諸観念を形成しますが、そのバラバラな諸観念が或る時に連合され「明日も太陽が昇るだろう」という認識が成立します。認識とはそのようにして我々が経験したことのないものを肯定=信じる事態を指しています。つまり認識とは所与の経験を越え出ています。諸観念が連合されることでこうした「信念」が発生し、所与の経験を超出することで認識が成立します。それはつまりは精神が一つの主体へと生成することに他なりません。
このようにヒュームは人間の知性や認識の基礎を経験に求めました。これに対してカントはこのような経験そのものを可能とする条件を問います。このようなカントの問いは経験に先立つ先験的な「超越論的」と呼ばれる領域を切り開くことになります。これについてドゥルーズは『カントの批判哲学』(1963)において「超越論的とは、経験が必然的に我々のア・プリオリな表象に従う際の原理を指す」と定義しています。
ドゥルーズはカントによる超越論的なものの発見を高く評価します。しかしそれと同時にカントによる超越論哲学の運用上の欠点を明らかにします。ドゥルーズによればカントの超越論哲学においては経験的領野を基礎付けるはずの超越論的領野に経験的領野を「引き写す」ように「自我」や「超越論的統覚」が見出されており、さらにこのような自我や超越論的統覚を想定するだけで、その発生を問うていません。
その一方でドゥルーズはヒュームにこのようなカントが問うことをやめてしまった発生の問いを見出しています。こうしたことからドゥルーズはカント的な超越論的哲学の可能性を引き継ぐとともに、そこで喪われた発生の問いをヒューム的な経験論哲学によって補完します。これがいわば「発生を問う超越論哲学」としての「超越論的経験論」と呼ばれるものです。
* 原光景としての「無人島」
このようにドゥルーズの超越論的経験論は超越論哲学のカント的な運用を批判する形で構想されました。カント流の超越論哲学は「自我」や超越論的統覚を想定しているだけでその発生を問うていません。ならばその発生を問うとき、その根源には一体何があるのでしょうか。
まずドゥルーズは自我に先立つ世界を「無人島」という奇妙な形象を通じて極めて早い段階から論じています。1950年代に書かれ長らく未発表であった草稿「無人島の原因と理由」において「或る島が無人であるということは、我々にとって哲学的には正常なことと思われて然るべきなのだ」「或る島が無人島でなくなるには、そこに人が住めば済むわけではない」「いかなる島も、理論的には無人であり、またそうであり続ける」というなにやら哲学的なテーゼらしきものから無人島なる形象に独自の視点で迫ります。
ここでドゥルーズが言わんとしていることは無人状態の島に誰かが1人ぽつんと置かれたとしても、直ちにこの無人状態が崩壊するかどうかは疑わしいということです。ここでいう無人状態とは「哲学的」に考えれば主体と客体の区分のない世界に他なりません。そこに人が住まうだけでは無人状態は崩壊しないのである。ではどうすればこの無人状態が崩壊し主体と客体の区分がある世界が現れ出るのでしょうか。
この点、後にドゥルーズは同じテーマを『意味の論理学』(1969)の補遺として収録された「ミシェル・トゥルニエと他者のない世界」という論文でより理論的に論じています。ここでドゥルーズは無人島を「他者のいない島」と定義します。我々は普段「他者」がいる非-無人状態の世界を生きています。このような非-無人状態は「他者」の存在を前提としており「他者」によってもたらされる何らかの効果の中にいます。
こうした意味での「他者」がもたらす効果とは我々が知覚する対象や観念に沿って「周縁的な世界」を組織することにあります。人は一度に見ることができる範囲は限られています。例えば我々が通りに立って建物を見たとき、当たり前ですが見えるのは建物の正面だけであり、その裏側や内部を見ることはできません。にもかかわらず人はその建物には裏側や内部があると当然に思っています。なぜならば「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考えるから」です。
このように「他者」というものを想定することではじめて、人は見えない部分を「他者」には見える部分として処理し、それが恒常的に存在していると考えることができます。つまり見えていない「周縁的な世界」を組織することができると言うことです。すなわち、ここでいう「他者」とは、対象の対象性を保証し知覚領域そのものを成立させる「知覚領域の構造 structure du champ perceptif」であると定義されます。そしてこのような対象化作用があって初めて〈私〉なるものが対象として措定され自我というものが発生することになります。つまり、ここで他者によって知覚する主体と客体という構図そのものが成立します。
こうしたことからドゥルーズのいう「無人島=他者がいない島」とはこうした知覚を支えてくれる存在がいない場所であり、そこでは人にとって見えていないものは端的に存在しないことになります。そして外部からくる「他者」によって初めてカントが想定したような自我や超越論的統覚が発生するということになります。
そして、以上のような理論の根幹にはヒューム的な発想があります。「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考える」とはヒュームのいう「信念」に属しています。先述のようにヒュームは「信念」によって人間の認識が所与を超出すると考えました。もっともヒュームはそれはあくまで認識の事実として−−どうしてかはよくわからないが、認識を調べてみると出てくる事実として−−提示していたに過ぎませんでしたが、ドゥルーズはここでヒュームのいう「信念」を「他者」のもたらす効果として捉えているということです。
* 超越論的なものとしての「出来事」
このように「無人島」とはドゥルーズの超越論的経験論にとって原光景となります。そこに「他者」が現れることによって我々のよく知る経験世界が成立します。ではこのようにして超越論哲学が再構成されるとき、そこでいう超越論的なものとは一体何なのでしょうか。
結論からいえばドゥルーズにとって超越論的なものとは「出来事 événement」です。ドゥルーズはこれを「特異性 singularité」とも呼びます。この両者は完全に同一視され二つをハイフンで繋いだ「特異性-出来事」という表現もドゥルーズは用いています。
このような「特異性-出来事」という概念が構築される出発点は17世紀の哲学者ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツが打ち出した可能世界論です。例えば「シーザーはルビコン河を渡った」という事実があるとすれば、その反対の「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という世界線を考えうることができるでしょう。この「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という世界線がライプニッツのいう可能世界です。
そして「シーザーはルビコン河を渡った」という「出来事」において分岐が生じており「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という可能世界では我々の知るこの現実世界では現実化しなかった別の出来事の系列が伸びていることになります。この分岐した諸系列の間の両立不可能性をライプニッツは「非共可能性」と呼びます。換言すればこの現実世界は共可能的な出来事の諸系列だけが現実化しているということです。
ところで「出来事」において系列が分岐するということは、そこで別の個体が発生することを意味しています。すなわち「シーザーはルビコン河を渡った」という「出来事」において、一方では「ルビコン河を渡る」という述語=出来事を内包する現実世界の「シーザー」が発生し、他方では「ルビコン河を渡らない」という述語=出来事を内包する可能世界の「シーザー」が発生しています。つまり「出来事」とは個体に先行し、個体を発生させるジェネレーター(発生素)になるということです。
このようなライプニッツが可能世界論で描いたような発生のメカニズムをドゥルーズこの現実世界に見出そうとします。この課題から要請されたものがドゥルーズ哲学の代名詞といえる「潜在性 virtualité」という概念です。
この点、ドゥルーズは可能世界論における「可能性と実在性」という対に対して「潜在性と現働性」という別の対を提示します。しばしこの現実はいくつかの「可能性」の中の一つとして選択されたものと考えられがちですが、この考え方は実は転倒しており、常にある事柄が実現された後に初めて「そうはならなかった可能性」が見出されています。すなわち「可能性/実在性」を軸とする発生は真の発生ではなく、むしろ潜在的なものが現働化することでこの現実は構成されるのであり、系列化に先立つ「特異性-出来事」が大域的にひとまとまりにされるときに発生が起きるということです。
なおドゥルーズはこのような「特異性-出来事」の着想をライプニッツのいう「微細表象 petite perception 」から得ています。ライプニッツは無数の微細な知覚を無理矢理一括りにすることで意識という統覚が発生するプロセスを論じていますが、それはつまり潜在的な領域にあった発生素としての微細表象(特異性-出来事)が現働化することで統覚(意識)が発生するというプロセスに他なりません。
* 超越論的経験論から読むフロイトの第二局所論
以上のようにドゥルーズの超越論的経験論は「無人島」という舞台と「特異性-出来事」という発生素から構成されることになります。ここからドゥルーズはこうした超越論的経験論が実際に作動する場面として彼が「出来事の科学」と呼ぶ精神分析を検討することになります。
オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが20世紀初頭に創始した精神分析は「エディプス・コンプレックス」の発見で知られています。フロイトによれば幼児は母親に対する近親相姦の欲望と、それを阻む父親に対する尊属殺人の欲望に貫かれていますが、これら無意識の欲望は達成されることがなく、その断念こそが主体を生成することになります。
もっともドゥルーズが注目するのはこのエディプス・コンプレックスではなく、フロイトが後期に展開した「快原理の彼岸」の問題です。フロイトは当初「意識/前意識/無意識」の三つ組から人間の精神生活を描き出していました。これは第一局所論と呼ばれるものです。ところがそこからフロイトはあらたに「エス/自我/超自我」という三つ組を構想することになります。これが第二局所論と呼ばれるものです。
「エス」とはドイツ語でまさしく「それ」としか名指せないような生命エネルギーの塊であり、これは「快原理」と呼ばれる原理に従って動きます。この点、フロイトによれば「快」とは興奮量の減少であり「不快」とは興奮量の増加をいいます。すなわち、ここでいう「快原理」とは心的装置が不快(興奮量の増加)を避けて快(興奮量の減少)を求めることで自らを恒常的なままに保つ原理を指しており、この「快原理」こそがエスを突き動かす唯一無二の行動原理です。ところが幼児は次第にこの行動原理では現実にはうまく立ち回れないことを理解していき、不快を避けて快を求める衝動を延期することを学びます。
このような「延期された快原理」のことを「現実原理」といいます。この「現実原理」を担うのが「自我」です。つまりフロイトのいう「自我」とは、あらかじめ主体に与えられた機能ではなく「エス」が現実と葛藤する中で分化して発生する審級に他なりません。このようにフロイトはカントが「想定」しただけの自我のその「発生」を描き出します。
さらにこうした「自我」の発生にやや遅れて「超自我」と呼ばれる審級も登場します。「自我」が自分が現実世界の中で大変弱い存在であること、自分には到底敵わない外部の権威が存在することを学んでいく中で、そのような権威を取り込むことで発生するのが「超自我」です。
この点、フロイトは「超自我」こそがカントの述べていた「良心」のことだろうと述べています。カントによればどんな悪人でも悪いことをするときには「これは悪いことだ」と思っているのであって、その意味で人間は誰でも「良心」を持っているということになります。そしてフロイトの超自我の理論はカントが単に想定しただけの「良心」なるものの発生をも説明しているということです。
こうして「自我」は「超自我」に監視されつつ「エス」を手懐けながら、自らの欲望の達成を目指すことになります。これがフロイトによって説明された人間の精神生活の概要です。この点「意識/前意識/無意識」という三つ組からなる第一局所論はフロイトの臨床経験から「想定」されたものにすぎませんでした。これに対して「エス/自我/超自我」という三つ組からなる第二局所論は実に発生論的な発想で描かれています。そればかりではなく第二局所論はライプニッツ経由の微細表象論と直結しています。
ドゥルーズはエスと自我の関係について「エスには諸々の局所的な自我がひしめき合っている」といいます。あるひとつの自我が成立する前の段階、つまり主体の構成の最初の段階では自我に統合されうる要素としての断片が「局所的な自我」としてエスの中でひしめいているということです。これらの局所的な自我はそれぞれが「部分対象」によって駆動されています。ここでいう「部分対象」とは乳房、指、口唇、肛門など、人体の形に統合されていない欲望の原初的な対象をいいます。
そしてドゥルーズ=フロイトの説明によれば、部分対象によって駆動されつつエスに同居しているバラバラで局所的な自我が大域的に統合されるとき、エスから析出される形で一つの自我が発生することになります。この議論は潜在的な水準にある微細表象の現働化というライプニッツ経由の議論とまったく同型をなしています。実際にドゥルーズの部分対象を微細表象に準えています。つまりドゥルーズはフロイトの中に微細表象論、つまりは大域的な自我を生成する非系列的な「特異性-出来事」の議論を読み取っているということです。
* 快原理の「彼岸」とは何か
そこで問題となるのはこの大域的な自我の発生そのものです。フロイトによればこの発生は快原理によって制御されているとされます。先述のように現実原理は延期された快原理であり、快原理と対立するものではなく、いわば「快原理の部分」です。ではこの快原理なるものはいったい何に由来するのでしょうか。それは単に人の心の本質としてフロイトが想定したものなのかというともちろんそうではありません。この快原理の由来を問うところからフロイトの真に哲学的思惟、超越論的探求が始まることになります。
周知のようにフロイトは後期の著作『快原理の彼岸』(1920)の中で快原理の起源を説明し「死の本能」という考えを打ち出しました。そしてドゥルーズは「死の本能」をめぐるフロイトの「思弁」を高く評価すると同時に、ある重要な修正を提案することになります。
この点、この『快原理の彼岸』という著作は概ね次のように理解されています。フロイトはある時期まで不快を避けて快を求めるという快原理が心的過程を支配していると考えていましたが、不快でしかありえないことを執拗に繰り返す反復強迫、とりわけ戦争神経症などの外傷性神経症に見られる反復強迫(思い出したくないはずの心的外傷を受けた場面が夢の中に執拗に再来しえ眠れない等)の症例によって、その原理の限界を突きつけられることになります。
そこからフロイトは心的過程においては生を求める「生の本能」と死を求める「死の本能」の二つが対立して作用しており、時に一方が時に他方が現れるという仮説を提示するに至ります。つまりそこには快原理の統御が及ばない「彼岸」があるということです。
ところがドゥルーズが最初に強調するのは快原理の「彼岸」とはこの原理にとっての「例外」ではないということです。どういうことでしょうか。この点、フロイトによれば心的装置は外的なショックにより流入する外部からの過剰なエネルギーに比しうるだけのエネルギーを流入箇所にあらかじめ「備給」することで流入したエネルギーを「拘束」し、外的ショックに対処する刺激保護の機能を持っているとされます。そのような機能のうちの一つが「不安」です。すなわち「不安」とは心的エネルギーが一箇所に過剰に備給された状態をいい、それは畢竟、心が外的ショックから自らを守るための防衛機制であるということです。
しかし、これがうまく作動できない時があります。災害や戦争などでの突発的事態においては不安の準備が整っていないところに突如、強力なショックが生じます。この場合、心的装置は流入するエネルギーを拘束できません。そして拘束できないエネルギーがあまりに多いと刺激保護の機能そのものが破綻してしまいます。これがフロイトのいう外傷性神経症の発症メカニズムです。
ではこの後、心的装置はどう振る舞うのでしょうか?フロイトによれば心的装置はわざと不安な状態を作り出し、また外傷を与えた場面を想起させ、流入するエネルギーの拘束を心の中でシュミレートしようとします。つまり外部からのエネルギーに不安が対処するという事態の再現を繰り返すことで、そのエネルギーの統御を実現しようとします。もちろんこの統御は簡単には実現しないから、外傷的な場面が夢の中に何度も再来することになります。これが反復強迫のメカニズムです。
この点、先述したようにフロイトによれば快とは興奮量の減少であり、不快とは興奮量の増加であり、快原理とは心的装置が不快を避けて快を求める行動原理を指しています。つまり、流入したエネルギーを拘束するために不安によって外的なショックに備えるという一連のプロセスはこの快原理の実現を目指すものであり、反復強迫もまたこの原理の実現を目指すものに他なりません。では快原理の実現はなぜ目指されるのでしょうか。フロイトの「思弁」はここから始まります。
* 超越論的経験論と快原理の彼岸
まずフロイトは外傷神経症を通じて発見したメカニズムを精神生活一般に拡張することを試みます。反復強迫は外部からの刺激によって引き起こされるだけでなく子供の遊びや治療中の神経症患者まで幅広く見出される現象です。ということは外傷性神経症を引き起こすエネルギー流入に比しうる何らかの興奮が内部から起こっていることが予想されます。そしてフロイトによればこの内部興奮の源泉こそ、有機体の「本能 trieb」に他なりません。
フロイトはこの本能を「より以前の状態を回復しようとする、生命ある有機体に内属する衝迫である」と説明します。有機体が緊張を排し、平衡を取り戻そうとするのはそのためだと考えられます。そしてここでいう「より以前の状態」を「思弁」するフロイトは「もし例外なしの経験として、あらゆる生物は内的な理由から死んで無機物に還るという仮定が許されるなら、我々はただ、あらゆる生物の目標は死である(…)としか言えない」と述べます。これがフロイトのいう「死の本能」です。
もちろんこの「思弁」にはすぐさまにごく単純な疑問が呈されるでしょう。ではあらゆる生命の目標が死であるのならば、なぜあらゆる生命には自己保存本能、すなわち生の本能が見出されうるのかという疑問です。フロイトの答えは極めてシンプルです。生の本能は死の本能の部分に過ぎないからです。生命は外から与えられる死ではない、あくまでも「自分自身の死」を目指しており「有機体はただ自分のやり方でのみ死のう」とします。これが「死の本能」です。従ってそのような「自分自身の死」を目指す生の長い過程を邪魔するものは全力で排除します。これが「生の本能」です。つまり「生の本能」とは「死の本能」の部分を近視眼的に見た時に見出されるものに過ぎないということです。
以上のようなフロイトの「思弁」をドゥルーズは高く評価します。けれども同時にドゥルーズは「超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないというところにある」と述べています。フロイトは経験領域を支配している快原理について考えを突き詰め、それを基礎付ける超越論的原理である「死の本能」へと到達しました。しかしフロイトはこの「死の本能」を「想定」したところでその探求をやめてしまいます。そこでドゥルーズはこの超越論的探求の後を継ぎ「死の本能」という超越論的原理そのものの「発生」の解明に取り組むことになります。
こうしたことからドゥルーズは『差異と反復』(1968)において「フロイトは、リビドーは自我に逆流すると、必ず己を脱性化し、タナトスへ奉仕することが本質的にできる移動性の中性エネルギーを必然的に形成する、と述べている。けれども、なぜフロイトは、そのようにして死の本能を、そうした脱性化されたエネルギーに先立って存在するものとして、つまりそのエネルギーから原則的に独立したものとして提起するのだろうか」と述べ、ここから「タナトスは、エロスの脱性化と、すなわち、フロイトが語っているそのような中性的で移動性のエネルギーの形成と、完全に混じり合っていると思われる。このエネルギーは、タナトスへの奉仕に移行するのではなく、タナトスを構成するものである」という解釈を提案します。
つまり快原理の作動により「脱性化」された「中性エネルギー」はフロイトのいうようにタナトスに「奉仕」するのではなく、この「中性エネルギー」こそがタナトスそれ自体を「構成」するということです。換言すれば、ここでドゥルーズは死の本能、つまりタナトスという超越論的原理は快原理という経験的原理の要請に従って生成すると考えているということです。確かに経験領域を支配する経験的原理は超越論的原理に基礎付けられています。しかし超越論的原理は経験的原理から独立して存在するのではなく経験的原理と不可分の形でそれと並んで生成されるものであるということです。
このようにドゥルーズはカントが想定しただけの自我の発生を問い、そこから自我を形成する経験的原理としての快原理を駆動させる超越論的原理としての死の本能の発生を問いました。もちろんドゥルーズのフロイト読解には異論もあるでしょう。しかしドゥルーズがフロイトを読み抜いた先にフロイト本人も問わなかった問いを開いたことは確かでしょう。超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないのです。そして、このようなドゥルーズが開いた超越論的探求の問いの系譜からは近代哲学と精神分析を接続し、両者を統合的に理解するための視座を得ることができるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 23:48
| 精神分析
2025年09月22日
オープンダイアローグにおける「斜め」の空間
* オープンダイアローグとは何か
フィンランドの西ラップランド地方トルニオ市にあるケロプダス病院のスタッフを中心に開発された「オープンダイアローグ(OD)」は、従来、薬物や入院が必須と考えられていた急性期の統合失調症を「対話」の力で寛解に導くことで精神医療に大きなインパクトをもたらしました。
ODの実践は一見、極めてシンプルです。クライアントやその家族から電話などで支援要請を受けたら24時間以内に治療チームが結成され、クライアントの自宅を訪問。治療チームと本人、家族、友人知人らの関係者が車座になって対話が行われます。
この対話においてはすべての参加者に平等に発言の機会が与えられます。ミーティングは1回につき1時間から1時間半程度で、ミーティングの最後にファシリテーターが結論をまとめます。本人抜きではいかなる決定もされないこともODの重要な原則です。何も決まらなければ「何も決まらなかったこと」が確認されることになります。このミーティングはクライアントの状態が改善するまで、ほぼ毎日のように続けられる場合もあります。
このようにODの特色は治療者側が「チーム」で介入する点にあります。チームは精神科医、看護師、臨床心理士などで構成されますが、チーム内での序列はありません。皆が自律したセラピストとして対等の立場で対話に加わります。
そして、今後の治療方針を決める治療者同士の話し合いも患者側の前で行われます。これは「リフレクティング reflecting」と呼ばれる家族療法家のトム・アンデルセンによって開発された技法です。診断、見通し、治療方針に関する議論を全て患者の前で開示することで、さらなる対話が促進され患者の意思決定も容易になるということです。
こうしてODでは対話の場に参加者の言葉が投入されることで、自律性的に作動する対話システム(対話クラウド)が形成されていきます。こうした対話システムが作動する目的はその作動それ自体がであり、その結果として患者の中で「新しい現実」が創出され、その副産物、ないし廃棄物として症状の改善や治癒が降ってくるというイメージです。では、このようなオープンダイアローグという対話システムはいかなる治療原理によって作動し、そこではいかなる主体が現れ出る空間として把握されうるのでしょうか。
* 精神分析との比較から考える
この点、松本卓也氏は「精神分析とオープンダイアローグ」(2022)という論考(初出:石原孝二・斎藤環編『オープンダイアローグ 思想と哲学』)で精神分析との比較からODの特性を際立たせています。精神分析とODの相違はまず何よりもそれぞれの臨床が行われる空間配置にあります。よく知られるように精神分析の創始者ジークムント・フロイトはごく初期には対面法(治療者と患者が相対するような形で面接を行う方法)を用いていましたが、のちに患者を寝椅子(カウチ)に横たわらせ、治療者はその傍らに座るという特異な空間配置(背面式自由連想法)を用いるようになりました。
このような空間配置は精神分析が分析家と分析主体のあいだに生じる垂直的な関係を治療のための原動力として用いていることを意味しています。すなわち、分析家に頭を向けて寝椅子に横になることで、分析家という他者が自分の頭上にいるような位置関係が生じます。換言すれば精神分析における空間は寝椅子に横たわることで人間同士の水平的関係を人工的な垂直的関係へと作り替えているということです。そして、このような空間配置は当然、精神分析の過程で生じる現象にも関わってきます。
その典型例が「転移 übertragung」です。ここでいう「転移」とは患者が幼少期において体験していた重要な他者(両親などの養育者)との関係が現在時における患者と分析家とのあいだで再現されることを指しています。このような転移の発生を本論考は分析の場と幼少期との空間的な類似性に関連づけており「いまだ直立二足歩行を身につけていない子どもは、横たわった状態で、自分の『上』に他者がいるという空間配置のなかで人生を始めるのである」といいます。
そして精神分析の治療原理とは、このような転移を通じて患者が分析家を「厳しい超自我(これは患者の幼少期における養育者の権威的な像に由来するとされます)」として体験することに始まり、このような超自我と同一視された分析家が患者に解釈を投与することで患者が徐々に過去に形作られた超自我のイメージをより抑圧的ではないものへの更新することによって終わると考えられています。
* 水平方向のダイアローグと垂直方向のダイアローグ
では翻ってオープンダイアローグにおける臨床空間はどうでしょうか。先述のようにODのミーティングの特徴は関係者が車座になって座り、平等で開かれた対話がなされる点にあります。こうしたことからODにおける患者の語りは独語的モノフォニーではなく、多数の声が響き合うポリフォニーとなります。
このようにODでは精神分析のように患者と治療者の関係が垂直方向において展開されるのではなく水平方向において展開されており、しかも患者と治療者の関係はふたり(だけ)の関係から多数の関係へと拡張されることになります。
ただしそれはODが水平的な他者関係のなかだけでなされる治療法であるということを意味しません。ODにおいては患者の前で治療者同士が治療方針を決める「リフレクティング」により、水平的な関係のなかに垂直的な関係がいわば「弱毒化」された形で再導入されていることがきわめて重要となります。つまり患者は「リフレクティング」を観察することで、自分の心から発せられる「内なる声」と垂直的に対話することが可能となるということです。
ODの開発者であるヤーコ・セイックラが述べているようにODにおける対話には、すべての参加者のあいだで行われる「水平のダイアローグ」と、それによって触発された個人の内部での「内なる声」としての「垂直のダイアローグ」のふたつがあり、このふたつの対話の協同こそが重要になってきます。すなわち「『内なる声』が超越的な権威として作用しないようにするための「抑え」として水平方向のダイアローグを用いること。そうすることによって個人における変容を引き起こすこと。それこそがオープンダイアローグの空間で生じる治療の原理なのである」と本論考は述べています。
* 裂け目としての主体
次に本論考は精神分析とオープンダイアローグの相違を「主体」との関係から検討します。この点、精神分析における「主体 subject」とは「自我 ego」とは似て非なるものです。ここでいう「自我」とは精神分析において様々な対象を取り込んで作り上げられるパーソナリティのような比較的安定したものを指すのに対し「主体」とはむしろそのような安定したものの「裂け目」においてはじめて現れるものであるといわれます。
そしてフランスの精神分析家ジャック・ラカンは精神病(統合失調症)は「発言すること prendre la parole」を要請されるときに発病すると述べています。つまり統合失調症とは、患者が他者との関係のなかで生じた裂け目に対して主体定立的な言語的応答を行わなければならないときに、自分が他者に向けて「発言すること」ができない代わりに、他者が自分に向けて語り始めるという仕方で、発病するということです。
こうしたことからラカン派においては統合失調症の患者に対して主体を再生するようなアプローチが推奨されてきました。その一つに治療者がラカンのいう「狂者の秘書 secrétaire de l'aliéné」になるというものがあります。すなわち、妄想する患者に語りに同調するのではなく、語りを聞き届ける役目を果たすというアプローチです。
この点、本論考は統合失調症の患者は一方では「他者の世界(すなわち妄想の世界)に否応なく引き寄せられてい」ますが、他方では妄想を「自ら主体的に語り直すことによって、現実世界とも関わりを持つことができる」のであり「このような二重のあり方を利用し、妄想を否定せずに現実とも折り合いをつけていけるような構造的な二重見当識を獲得させること」こそがラカン派における統合失調症の治療指針とされてきたといいます。
* オープンダイアローグにおける「斜め」の空間
これに対してオープンダイアローグでは統合失調症における主体化の困難に対してオルタナティヴな解答を提供しているように思われると本論考はいいます。すなわち、統合失調症が主体化の要請によって発病する病であるとすれば、その主体なるものを単数的な個体に属するものとして扱うのではなく、複数的な声(ポリフォニー)が鳴り響く空間へと開くということです。
このような実践は精神分析の文脈でいえばラカン派の臨床に対するラディカルな批判を行った精神分析家フェリックス・ガタリのそれと一定の類似性を持つように思われると本論考はいいます。フランスのラボルド病院における「制度論的精神療法」の実践から出発したガタリは病院というシステムがしばしば患者に対して上から命令を押し付ける「垂直方向」と平準化された横並びの「水平方向」の両方においてそれぞれ極端化しがちであるという認識に基づき、その両方の極端さを乗り越える次元としての「斜め横断性」の重要性を説いています。
ここには全ての参加者のあいだで平等に行われる「水平方向のダイアローグ」と各個人の中で行われる自己対話である「垂直方向のダイアローグ」の協同としての「斜め」を重要視するODとの共通性を見出すことができるでしょう。
またガタリはラカン派の精神分析が想定していたようなあらゆる言語的な行為を個人における「主体」に帰属させる「言表行為の主体」の単数的モデルを批判し、その対立物として「集団的主体性」という概念を採用しています。こうしたガタリのいう「集団的主体性」の概念もやはり専門家や患者といった単一の声(モノフォニー)を持つ人物が主体の座を占めるのではなく、複数的な声(ポリフォニー)が鳴り響く空間のなかで「主体を別様に機能させる」というODの実践に通じているといえます。
松本氏は本論考も収録されている近著『斜め論』(2025)において従来の精神病理学や精神分析が特権化しがちであった「垂直方向」の言説や実践に対する異議申し立てとしての「水平方向」の言説や実践が開く「ちょっとした垂直性」としての「斜め」に注目した議論を展開しています。こうした観点からいえばオープンダイアローグは極めて洗練された「斜め」の実践であるといえます。そして同時にそれは従来の精神病理学や精神分析がほとんど自明視していた「主体」とはひとりの個人に帰属するという前提を根本から揺るがす契機をもたらす実践であるといえるでしょう。
posted by かがみ at 21:34
| 精神分析
2025年08月24日
不気味なものと不気味でないもの
* 快感原則の彼岸と不気味なもの
精神分析を創始したジークムント・フロイトは1919年に「不気味なもの Das Unheimliche」と題される論文を発表しています。この1919年という年はフロイトが「快感原則」を根底におく前期の理論体系から「快感原則の彼岸」としての「死の欲動」の存在を仮定する後期の思想に移行する過度期に位置しています。ここでいう「快感原則」とは心的エネルギーの恒常性(ホメオスタシス)を保つための自動調整作用をいいます。フロイトによれば「快」とは興奮量の低い状態を指し、反対に「不快」とは興奮量の高い状態を指し、興奮量が低い方が心は安定するため人は快を好むということになります。
そしてフロイトはこの快感原則に1人の人間の心的統一性を保証する機能を見出しています。よく知られるように精神分析の革新性は1人の人間の中に知覚と運動を制御する複数の審級を見出し、それら諸審級の争いを発見した点にあり、この複数の審級は前期のフロイトにおいては「意識/前意識/無意識」からなる第一局所論として、後期フロイトにおいては「自我/超自我/エス」からなる第二局所論としてモデル化されています。つまり1人の人間の中に複数の心的人格が競合する場=空間があり、これらの心的人格の競合を調停して個人の心的統一性を保証するものこそが快感原則であるということです。
このようにフロイトはその前期においては人は畢竟、快のみのために生きると考えました。ところがその後期になると人は快のみのために生きるのではなく、そこにはしばしば、あるズレが忍び込み、人は不快へと駆動されると考えるようになります。
フロイトは1920年の著作『快感原則の彼岸』で、そのズレを「反復強迫」に見出しています。この点、ある種の神経症患者や幼児においては、しばしば同じ外傷ないし苦痛の感覚を飽きることなく反復することが観察されていますが、彼らのその行動を快感原則から解釈することは困難です。では彼らを駆動するものは何なのか。この問いは後期フロイトの精神分析理論の中核に位置することになり「不気味なもの」という論文もまたこうした問題意識から記されています。
* フロイトの不気味な経験
この「不気味なもの」という論文でフロイトは「不気味さ」の本質は親しく熟知しているはずのものが突然に疎遠な対象に変わるその逆転のメカニズムにあると述べています。そして同論文は「不気味なもの」の感情の起源についていくつかの仮説を検討したのち、最終的に「反復強迫を思い出させるものこそが不気味に感じられる」と結論づけています。このように「不気味さ」とはフロイトによれば快感原則からの逸脱の想起にともなう感情であるということになります。
フロイトがそこで挙げる「不気味なもの」の典型例はそれ自体では無意味な出来事の偶然的な反復、例えば1日の間に同じ数字に何度も出会うといった現象ですが、同時に彼は「不気味なもの」の例として神経症患者が「自分たちが考えていたその人間に決まって出会う」という体験を挙げています。
事実上の偶然としか言いようがない数の反復と異なり「自分たちが考えていたその人間に決まって出会う」という体験が生じる理由はある程度分析できます。もとよりフロイトは「自分たちが考えていたその人間に決まって出会う」という体験について1901年の著作『日常生活の精神病理学』においてフロイトは街頭で不愉快な友人について考えていた直後にその当人に出会うという自身の経験を次のように分析しています。
フロイトは2人の距離がまだ遠く離れている時点でその友人がこちらに歩いてくる姿を知覚しますが、その知覚自体は感情的な動機により抑圧され、意識にのぼりません。にもかかわらず他方でその情報を受け取った無意識は独自に連想の糸を辿り、その友人を空想のかたちで意識にのぼらせます。
つまり、ここでは一つの情報が二つに分割され、そののちに別々に処理されていることになります。そして、その間にフロイトと友人との距離は縮まっており、結果としてフロイトはちょうど友人のことについて考えていたときにまさにその当人から声をかけられるという「不気味な」体験をすることになるということです。
* 不気味なものと無意識
こうした初期フロイトの仕事を手がかりとして東浩紀氏は「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」(1997〜2000)という論考においてフロイトのいう「不気味なもの」が生じるメカニズムを次のように解釈します。
まず同論考は『日常生活の精神病理学』におけるフロイトの分析が人の心の内部で稼働している複数の情報処理装置の衝突(より正確にはその処理経路とその中を通過する速度の衝突)への着目によって成立している点を挙げます。すなわち、人の心は「意識」という情報処理装置のバックグラウンドで「意識」とは異なる演算速度を持つ「無意識」という情報処理装置が稼働しており、我々は一つの情報を常に同時に複数の経路を通じて処理しているということです。従ってその演算結果も複数出力されることになり、それらの出力結果が相互に矛盾し衝突することでヒステリーといった症状や夢内容や失錯行為が生じることになります。
『ヒステリー研究』(1985年)から『夢判断』(1900年)、そして『日常生活の精神病理学』へと至る世紀転換期のフロイトは一貫してこの演算結果の衝突の問題を扱っていたと同論考はいいます。また『ヒステリー研究』の出版とほぼ同時にフロイトが書き記していたとされる『科学的心理学草稿』においては既に心のメカニズムを説明するための中心概念として「経路」という発想が持ち出されています。
この『科学的心理学草稿』によれば情報=知覚はニューロンの興奮を引き起こし、次にその興奮は移動してニューラル・ネットワークの中にそれが通過した痕跡を残し、それが「経路」になり、この「経路」の深さや大きさは各興奮に与えられたエネルギーの量(備給)により決定されることになります。そして、このテクストでフロイトは不条理な夢内容やヒステリー症状が複数の経路の存在によって生まれることをはっきりと述べています。
初期フロイトにおけるこうした生理学かつ機械論的な心のモデルはやがて主体間の言語コミュニケーションに基礎を置いた解釈学的方法としての精神分析の確立により表面的には放棄されてしまいます。しかしその発想はフロイトの仕事の根底に常に潜在していたと同論考はいいます。
すなわち、この文脈において「不気味なもの」との出会いという体験は、人の心の内部を走る諸経路の複数性、情報処理の並行性をその人自身がはっきりと自覚する体験として解釈できます。我々は通常、自分を1人の人間だと考えていますが、それは畢竟、心に宿る情報処理装置が一つだと考えていることを意味しています。しかしながら前述のような「不気味な」体験において人はしばし意識とは無関係に処理された別の情報がやや遅れて意識へと回帰する現象に出会うことになり、その時、我々は心が分散されているという事実に直面し、その分散状態の再認こそが「不気味さ」と呼ばれる特殊な感情を引き起こすことになります。
* 不気味なものとソーシャルメディア空間
以上のようにフロイトは快感原則から逸脱する存在を「不気味なもの」と名付けました。そして東氏によれば、それは心の内部を走る諸経路の複数性、情報処理の並行性から生じるものであるとされます。そして氏は今日における情報社会論の基礎にはこうした「不気味なもの」の感覚を置くべきであると主張しました。
この点「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」において氏は「分身」と「不気味なもの」を対置し、その対立をさらにウィリアム・ギブスンの小説とフィリップ・K・ディックの小説に重ねるという議論を展開しています。
まず氏はギブスンを「分身」の作家として位置付けます。なぜならば彼のいう「サイバースペース」とは人々が「分身(アバター)」を送り込む仮想空間のことだからです。「サイバースペース」という言葉が広く人口に膾炙するきっかけとなったギブスンの小説『ニューロマンサー』は情報社会の主体はネットワークに触れることで物理的身体と電子的身体に分裂し、後者をサイバースペースに送り込むというイメージの上で語られており、そこでは情報技術の本質は自分の電子的分身を生み出すことにあると考えられています。
これに対してディックの小説で重要な役割を果たすモチーフが「不気味なもの」です。それは例えば『火星のタイムスリップ』であれば時間感覚を変容させる幻覚剤であり『パマー・エルドリッチの三つの聖痕』であれば幻覚剤とジオラマを組み合わせた仮想現実キットであり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であればアンドロイドであり『ユービック』であれば死者の脳を活性化する技術です。そしてこのような「不気味なもの」との接触によって登場人物が現実感を失っていく経験をディックは繰り返し描いており、その世界観はしばし「悪夢的」とも形容されます。
以上のようにギブスンが「分身」によって此方(=現実)と彼方(=サイバースペース)とをきっちり区別した世界を描いたのに対して、ディックは「不気味なもの」によって此方と彼方の境界が融解していくような経験を現代社会の本質として捉えているということです。
そして東氏は後に『観光客の哲学』(2017)において「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか?」の議論を更新しており、そこで同論考の主張は20年が経ったいま多く人が体感できる話なのではないかと述べています。例えば現代のSNSのユーザーはしばしば現実に紐づいた実名アカウントである「本アカ」と、現実から切り離された匿名アカウントである「裏アカ」を使い分けていますが、この区別を援用して説明すれば、ギブスンが描いたのはいわば本アカと裏アカがきちんと区別できている世界であるといえます。
しかし実際問題、本アカと裏アカを使い分けているうちに、その当人もその使いわけがだんだんできなくなってくることがしばし生じます。裏アカで吐いた毒はまさに「不気味なもの」として、徐々に本アカのコミュニケーションに歪みを与えていくことになります。我々はいままさにそのような事例をヘイトやフェイクニュースの隆盛という形で日常的に目にしているように思われます。ディックの小説はその「悪夢」を正確に予見しており、それゆえに氏は情報社会論はギブスンのいう「サイバースペース」のうえにではなく、ディックが描いた「悪夢」のうえに設立すべきだといいます。
確かにこのような「悪夢」的な傾向はコロナ・パンデミックを経てますます加速しているといえるでしょう。今日のソーシャルメディア空間におけるアテンション・エコノミーの加速とポピュリズムの台頭は様々な局面における社会の分断と民主主義の機能不全を引き起こし、いまやSNSは一方でフェイクニュースや陰謀論の温床となり、もう一方では正義の名の下に失敗した他人に安全圏から石を投げつける安価で高性能な投石機と化していると言わざるを得ないでしょう。
そして、こうしたソーシャルメディア空間に広がる病理はまさに「不気味なもの」への過剰なコミットメントによって生じているといえます。今日の情報社会において人はどうあっても「不気味なもの」から逃れられません。ではこうした「不気味なもの」に対処するにはどうすればよいのでしょうか。答えはある意味で極めて単純です。「不気味なもの」を「不気味でないもの」に変えてしまえばいいということです。
* 無意味の諸相と不気味でないもの
この「不気味でないもの」を哲学的な概念として提示する千葉雅也氏は『意味がない無意味』(2018)という論集の冒頭に置いた総論的な論考「意味がない無意味−−自明性の過剰」で「意味」に対する「無意味」を〈意味がある無意味〉と〈意味がない無意味〉から論じています。
まず、ここでいう〈意味がある無意味〉とはある対象(例:トマト)から様々な意味(例:トマトは赤い/夏野菜である/栄養がある/美味しい/たくさん品種がある/庭で栽培している・・・etc)を汲み尽くしてもなお「いわく言いがたさ」が残る「謎のx」としての「無限の多義性としての無意味」のことをいいます。
つまり、あらゆる対象は有限に有意味なものとして現前すると同時に無限の多義性としての〈意味がある無意味〉を持つ「謎のx」なのであり、我々はその周りを「空回り」するようにして意味を生産し続けているということです。同論考は〈意味がある無意味〉とは意味の世界に空いた「穴」のようなものであるといいます。そして、この「最強の重力を持つ中心点」に向かって「意味の雨」が降り続け、その「穴」は決して埋まることはありません。
このような〈意味がある無意味〉の典型例がフランスの精神分析家ジャック・ラカンのいうところの「現実界」です。よく知られるようにラカンは人間の精神活動を「想像界(イメージの次元)」「象徴界(言語の次元)」「現実界(イメージと言語の外部の次元)」という三つの次元から説明していますが、このようなラカン的構図において「想像界」と「象徴界」の外部に位置する「現実界」は「謎のx」として無限に「意味」を産出する「意味の彼岸」としての〈意味のある無意味〉に位置付けられます。
これに対して〈意味がある無意味〉へ向けて降り注ぐ「意味の雨」を堰き止めるような無意味が〈意味がない無意味〉です。同論考は〈意味がない無意味〉とは意味の世界に開いた「穴」に蓋をする「石」のようなものであるといいます。つまり〈意味がある無意味〉とは「もっと何かを言いたくさせるような無意味」であり〈意味がない無意味〉とは「我々を言葉少なにさせ、絶句に至らせる無意味」であるということです。
もっとも同論考は二つの無意味は同じ場所で重なっているかもしれないといいます。すなわち、同じ場所が同時に「穴」であり、かつその「穴」に蓋をする「石」であり、しばし意味を発生する何かが意味を遮断する何かにすり替わり、あるいは意味を遮断する何かが意味を発生する何かにすり替わることになるということです。
そして同論考は〈意味がない無意味〉を「身体」の問題として論じます。つまり〈意味がある無意味〉から〈意味がない無意味〉への転換とは、無限の多義性に溺れる「考えすぎること」から無限に降り注ぐ意味の雨を跳ね返す「行為する身体」への転換であるということです。
例えば千葉氏の最初の著作である『動きすぎてはいけない』(2013)が打ち出した「接続過剰から非意味的切断へ」というテーマはこうした思考から身体への転換に相当し、ここでいう「非意味的切断」の「非意味」が〈意味がない無意味〉に相当します。
なお、ここでの「身体」という言葉は人間や動物の「からだ」のみならず、英語の「body」が意味するところの「物体」や「物質」、あるいは「集団」をも含み、さらには同論考はイメージや絵画における「形態」も、音楽における「メロディー」や「リズム」も「身体 body」として捉えています。そして、こうした意味での「行為する身体」を捉えるために千葉氏が提示する概念が「不気味でないもの das Un-unheimliche」です。
* 不気味なものと不気味でないもの
この点、フロイトのいう「不気味なもの das Unheimliche」はラカンにおいては「不安」の現象として捉えられます。それは「馴染み heimliche」であるはずの事物の状態が、ふとした瞬間に、漠然とした違和感を呈する事態をいいます。すなわち、ラカン的構図における「不気味なもの」とは「現実界」つまり〈意味がある無意味〉が急に意味(想像的かつ象徴的)の地平に迫り出してくる事態であるといえます。
このことを千葉氏は次のように再解釈します。「馴染みのもの」とは有限に有意味な事物のことであり、それは〈意味がある無意味〉の無限の多義性の減算によって生じています。他方「不気味なもの」とは、通常は身体によって抑圧されている〈意味がある無意味〉の無限の多義性がにわかに浮上し、つまり身体性が弱まることによって、意味の有限性が不安定になるという事態であるということです。
このように「馴染みのもの」と「不気味なもの」は互いを前提し合う=相関性を成しています。そこで氏は馴染みのものと不気味なものの相関性の外部に〈意味がない無意味〉に相当する第三項として「不気味ではないもの」を想定します。それは有限化を引き起こす「身体」それ自体の性質です。
フロイトのいう「不気味さ」とは、いわば無限性の迫り出しによる有限性の破れですが、ここでは立場が逆転してます。千葉氏のいう「不気味でなさ」とは有限性の迫り出しによる無限性の破れであるということです。
それはもはや無限性と相関しない「ラディカルな有限性」であり、不安の反対の極端である「馴染み以上」のものであり、通常の「(不安の反対としての)馴染みさ」を「自明性」と呼ぶのであれば、不気味でないものとは「自明性の過剰」であるといえます(この用語法は統合失調症における「自明性の喪失(ブランケンブルク)」という事態が念頭に置かれています)。このような「自明性の過剰」とは「現実性の過剰」であり、それは行為の純粋化に他ならないということです。
そして、このような「ラディカルな有限性」に至るための技法として千葉氏が『勉強の哲学』(2017)で提唱した「ラディカル・ラーニング(深い勉強)」を位置付けることができるでしょう。
この点「勉強」というのは基本的に「馴染みのもの」へ「アイロニー」を入れて「不気味なもの」に変える営為であるといえます。しかし人はしばしこの「不気味なもの」の中に何か「至高なもの」を見出してしまいます。こうした「アイロニーの有限化」を同書は「決断主義」と呼びます。そしてソーシャルメディアの様々な病理の根源にあるのはこうした意味での「決断主義」に他なりません。
そこで同書は「勉強」を「ユーモア」によって多重化し、さらに「享楽的こだわり」による「ユーモアの有限化」により思考の足場を「仮固定」することを勧めます。こうした「アイロニーからユーモアへの折り返し」は、いわば「不気味なもの」から生じる無限の意味を蒸発させ「不気味でないもの」に変える営為であるといえるでしょう。
こうしてみると同書の提唱する「ラディカル・ラーニング」は「不気味なもの」が跋扈する現代情報環境に対する優れた処方箋でもあります。すなわち、情報社会論の基礎に「不気味なもの」の経験があるとすれば、その突破口は「不気味でないもの」によって切り開かれるといえるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 22:11
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