* 当事者研究とは何か
当事者研究は2001年に精神障害等を抱えた当事者の地域活動拠点である北海道浦河町の「浦河べてるの家」で生まれました。この営みが考案されるきっかけは統合失調症を抱えるある男性が「爆発」と呼ばれる問題行動を繰り返して親を困らせていた時に、べてるの家を運営していた向谷地生良氏がふと「”爆発”の研究をしないか」と誘いかけたことにあったといいます。
綾屋紗月氏は『当事者研究の誕生』(2023)において「当事者研究の実践では、自らに生じる苦労のメカニズムの解明や対処法を専門家に「丸投げ」することなく、「仲間と共に、自分の苦労の特徴を語り合うなかで」、自らの症状における苦労の規則性や「自己対処の方法」などを研究していく」と述べています。
「統合失調症」は「専門家(精神科医)」が患者へ与える名称(診断)です。それはそれで意味があるものです。けれども、この名称(診断)だけでは患者一人一人の中に起こっていることは理解できません。そこで医師のような専門家に対処法を「丸投げ」するのではなく、それを仲間とともに語り合い研究していくことはできないかという着想から当事者研究は始まりました。
このような当事者研究においては当事者が自らの「苦労」をグループの前で発表することで参加者と共にその「苦労」のパターンを明らかにしながら自分の助け方を考えて、ソーシャルトレーニング(SST)と呼ばれる当事者主体の運用が可能な訓練技法によって自分の助け方を練習していくことになります。
そこでは、これまで当事者があいまいな形で抱えていた「苦労」をきちんと言語化して仲間とシェアすることにより、例えば自分を侵襲する迫害的な幻聴が対話の相手である「幻聴さん」になっていくというように「症状」と呼ばれていたものの性質に大きな変化が見られることがあります。
そしてこうした「苦労」のシェアにより当事者の周囲においても「爆発を繰り返す〇〇さん」という理解から「爆発を止めたいと思っても止まらない苦労を抱えている〇〇さん」という理解に変わり、その人の抱える「問題」がその人自身から切り離されることになります。
また当事者研究のプロセスにおいては、例えば「統合"質"調症・難治性月末金欠型」というような「自己病名」が案出されることがあります。このように自身の「苦労」にオリジナリティを与える「自己病名」は当事者が自分自身の個別性を回復する試みの一環であると同時に、自身の抱える「苦労」をユーモアと共にシェアするきっかけにもなるのでしょう。
* 意志のあるところに責任がある?
このような特徴を持つ当事者研究という営みのなかに國分功一郎氏は一見したところ奇妙な「責任」の生成を読み出しています。國分氏の主著の一つである『中動態の世界』(2017)には「意志と責任の考古学」という副題がついています。同書ははかつてインド=ヨーロッパ語に存在していた「中動態 middle voice」に注目することで現在の能動態と受動態の対立の自明性に疑問を呈するとともに、この能動態と受動態の対立に強く結びついてきた「意志」の概念を批判した著作です。
我々は日々あらゆる行為を「能動(する)」と「受動(される)」に分類しています。そしてこの「能動(する)」と「受動(される)」の区分は通常「意志」の有無に求められます。「意志」があれば能動であり「意志」がなければ受動であるとされます。
このような能動と受動を切り分ける「意志」という概念について同書は『全体主義の起源』(1951)や『人間の条件』(1958)といった著作で知られる20世紀を代表する政治哲学者ハンナ・アーレントが与えた定義を取り上げています。アレントはその遺作となった『精神の生活』(1978)においてこのようなアリストテレスの哲学における意志概念の欠如に注目し、アリストテレスが提示したプロアイレシスと意志の相違を論じています。
ここでアリストテレスのいうプロアイレシスとは理性と欲望の相互作用のもとで生じる何ごとかを「選択する」能力をいいます。こうした意味でプロアイレシスとは過去からの帰結であるといえます。これに対してアーレントは意志とはプロアイレシスのように過去からの帰結ではあってはならず、過去から切断された真正の時制としての未来への「絶対的な始まり」を司る能力であるといいます。
このようにアーレントの考える「意志」には切断の機能があります。あるいは「意志」とは切断そのものであるといえます。そして人はそのような「意志」を持って何らかの行為を開始したからこそ、その行為の「責任」を問われることになります。
このようにアーレントは「意志」を過去の因果関係から切断された行為の純粋な出発点に位置付けます。けれども意志が仮にもしそのようなものであるとすれば、それはとても存在するとは思えない不可能なものであると言わざるを得ないでしょう。このような「意志」があったから「責任」が生じるのではなく、むしろ「責任」を負わせるため、このような「意志」なる概念装置が呼び出されているといえるでしょう。
* 応答としての責任と堕落した責任
もとより「責任」の概念は社会の秩序を維持する上で絶対に必要とされるものです。にもかからずそのような重要な概念が意志などというよくわからない概念によって根拠づけられることを同書は批判します。その一方で同書における「責任」の概念については意志によって根拠づけられる「責任」を論ずるに留まっており、こうした意志から切り離された形での「責任」の概念を積極的に提示するには至っていません。
國分氏もこうした同書の限界はもちろん承知の上であり、こうしたことから本年出版された文庫版で新たに書き下ろされた「文庫版補遺 なぜ免責が引責を可能にするのか−−責任と帰責性」では、意志の概念によらない「責任」の積極的な概念の提示と、さらにはそのような意味での「責任」がいかにして可能になるかという仮説の提示がなされています。
同論考はまず「責任」を意味する英単語であるresponsibilityに注目します。この英単語は「応答する」という意味のrespondという動詞に由来しています。だとすると「責任ある」と翻訳できるresponsibleという形容詞は「応答できる」「応答可能性を持っている」という意味であり、responsibilityとは「応答可能性」「応答能力」とも翻訳できることが分かります。
こうした意味で責任ある世界とは人が人に応答する世界であるということです。すなわち、それは自分の振る舞いに誰かが答えてくれる世界であり、他人の振る舞いに自分が答える世界です。これに対して責任がない世界というものを仮に考えるとすれば、それは応答の可能性がゼロになっている世界であり、端的にいえば、困っている人間がいても誰も手を差し伸べてくれない世界です。
このような「応答としての責任」のあり方は「意志による責任」とは全く異なるものです。例えばある人物が何らかの加害行為を行った場合、その人物には加害の意志があったのであれば、その責任はその人物にあることになるでしょう。ここに応答に契機は全くありません。もちろんこのプロセスをより仔細に見るのであれば、次のように考えることができるでしょう。
加害行為が行われた場面においては「この人が応答すべきだ」と思われる人物がいるはずです。ところがその応答をするべき人物が応答しないため、その人物に何とかして応答させる必要があります。そこでその行為の所属先がその人物であることを示し、当然その帰結に対しても応答するべきであるという論法が用いられることになります。そして、このような論法において利用される概念装置こそが因果の切断を機能とする意志に他なりません。
ここで重要なのは「応答する」という自動詞表現で記述される行為が発生しないがために「応答させる」という使役表現で記述される行為が誘発されるということです。つまり確かにここでも応答能力が問題になっているし、その発揮が期待されているのに、期待されていることが発生していないということです。そこで何とか応答させるべく意志のような概念装置が呼び出されることになります。
応答すべきなのに応答しないから応答させる。これが「意志による責任」の内実です。このようなものを「責任」と呼ぶのであれば、それは「堕落した責任」でなくて何であろうかと國分氏はいいます。応答を強制することで生じるものは所詮「応答に似た何か」に過ぎません。しかし我々がよく知る「責任」とは畢竟このような機序から生じるものです。
* 帰責性から責任が生じるか?
そして、このような「意志による責任」とは、過失を誰かに帰するという「帰責性 imputability」と呼ぶべきものであると同論考はいいます。こうした意味での「帰責性」とは能動態と受動態の対立の中で作動する概念です。すなわち、ある行為を誰かに帰属させる側(能動)が一方にいて、他方にはそれを帰属させられる側(受動)がいるということです。
では、こうした「帰責性」から区別される「応答としての責任」とはいかなるものなのでしょうか。言うまでもなく「応答としての責任」は「負う」ものであり「負わせる」か「負わされる」ものである「帰責性」とは明確に区別されます。
この点「応答としての責任」における「応答する」とは何かを受け取った結果としてなされるものであり、さらにはその行為は自身の身にも跳ね返ってくることになります。このように「応答としての責任」には同書のいう「中動態」の意味素、すなわち「自動詞表現」「受動態表現」「再帰表現」が含まれています。つまり「責任」とは中動態によって描かれる概念であるということです。
もとより「帰責性」は社会を運営するには必ず必要なものです。ただし「帰責性」を「意志」の概念で根拠づけてしまうとかえって「帰責性」の所在をぼやかしてしまう恐れもあります。それは「そんなつもりはなかった(そんな「意志」は持っていなかった)」という極めてありふれた言い訳を考えればすぐさまに分かるでしょう。こうした意味では、社会的に必要であることが明らかな「帰責性」を根拠づける上で「意志」の概念は無益どころか有害であるともいえます。
また「帰責性」の判断が行われる場面で人々は当初は応答しようとしなかった人物が「責任」を感じて応答するであろうと期待します。けれども一方で「帰責性」は能動態/受動態の対立によって作動し、他方で「責任」は中動態によって描き出されるものであり、両者はまったく別の論理で動いています。これは「帰責性」が必ずしも「責任」をもたらさないことを意味しています。当たり前のことですが、人は罰されたからといって必ずしも自分が悪かったとは思いません。
* 当事者研究と中動態の世界
ならば中動態によって描かれるような「責任」は一体どのようにして可能になるのでしょうか。まず中動態から行為を考えることは、行為者を過去からも周囲からも完全に独立した行為の主体と見做さないということです。ある行為はその背景に無限に多くの原因を有しており、一人の行為者によって排他的に所有されることはできず、いわば無数の行為者によって共有されています。中動態の世界として描かれるこのような行為のあり方を同論考は「行為のコミュニズム」と呼びます。そして、このような「行為のコミュニズム」から生じる「責任」を考えるにあたって多くの示唆を与えてくれるものして同論考は当事者研究を取り上げています。
当事者研究はまさしく科学が自然現象を研究するというのと全く同じ意味で当事者の行動を研究します。我々は他人の行為が理解できないとき、通常「なぜそんなことをしたのか」と問うでしょう。しかしその一方で、例えば「雨が降る」というメカニズムが理解できないときは、通常「いかにしてそれは生じるのか」と問うでしょう。つまり「なぜ why」ではなく「いかに how」と問うとき、その人は科学的に考えているといえます。
当事者研究も当事者自身が自身の問題行動をあたかも自然現象のように、いかなる条件下でいかなる頻度で何を原因として起こるのかを研究します。研究である以上、研究倫理を遵守しなければならず、データ捏造や調査結果の改ざんなどは許されません。そして、科学と同様、研究成果を発表することになります(もちろん、その研究の性質上、その聞き手は一定の範囲に限定されることになるでしょう)。
このように問題行動をまるで自然現象であるかのように、換言すれば他人事のように考察するとは、ある面で当事者の「免責」を意味しています。しかし、このような研究における「免責」の段階を経て初めて、他者からの「帰責」ではない自らの「引責」が可能になるという逆説があることを同論考は指摘します。
なぜ「免責」が「引責」をもたらすのでしょうか。ここで「免責」と呼ばれているものは自らの行為が無数の原因によってもたらされた結果であることを理解する手続きであり、他方で「引責」とは「応答としての責任」の生成であり、両者はいずれも中動態によって記述される「行為のコミュニズム」に属しています。そして先述のように中動態には「自動詞表現」「受動態表現」「再帰表現」によって記述される三つの側面がありますが、これらの三つの側面は「免責」によって「引責」が可能になるプロセスのなかで順々に生じてくる段階に対応しているように思われると同論考はいいます。
もちろん当事者研究において「免責」が「引責」をもたらすという事例はあくまでたまたま上手くいった「幸運な事例」に過ぎません。けれども、少なくとも「免責」の中核をなす自身の行為の中動態による再記述は自身の行為を高い解像度で捉え直す契機となることは確かです。
かつて17世紀の哲学者スピノザはいわゆる「自由意志」を否定する一方で、自己の本性の必然性に基づいて行為することを「自由」であると定義しました。いわばスピノザの哲学は「自由意志」なきところで「自由」を志向する哲学です。こうした意味で当事者研究のアプローチもまた、自らの行為を高い解像度で捉え直していくことでスピノザのいう「自由」を回復するための技法であるともいえます。そして、このような「自由」の回復こそが「応答としての責任」をなしうるための条件であるといえるのではないでしょうか。
現代思想の諸論点
精神病理学の諸論点
現代批評理論の諸相
現代文学/アニメーション論のいくつかの断章
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ラカン派精神分析の基本用語集
2025年04月21日
当事者研究と中動態の世界
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| 精神分析
2025年03月24日
コレクティフとリトルネロ
* グループとコレクティフ
1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた欲望の奔流を原理的に考察し、1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こした哲学書として知られている『アンチ・オイディプス』(1972)を哲学者ジル・ドゥルーズとともに世に送り出した精神分析家フェリックス・ガタリの思想的原点は彼の生涯の職場であったラボルド精神病院における「制度論的精神療法」の実践にあります。
ここでいう「制度論的精神療法」とは病院における集団性を根本的に変革した開放的な環境の下で、さまざまなクラブ活動や演劇祭といった表現を通じて患者自身の主体性を取り戻していくという横断的な実践をいいます。ラボルド病院を開設した精神科医ジャン・ウリはこのような患者という個人よりもむしろ病院という制度に注目するアプローチを手術と滅菌法の関係に例えています。滅菌法が確立される以前の時代においては病気そのものではなくそれを治療するための手術によって命を落とす人が後を絶ちませんでした。それゆえにウリはまずは患者よりも病院という「制度」が、それも無意識に陥っている病を治療する道を選択します。
そしてこのようなラボルドにおける実践のコンセプトをウリは「コレクティフ」という概念から説明しています。この概念はもともと実存主義を代表する思想家ジャン=ポール・サルトルが『弁証法的理性批判』(1960)で用いたものです。例えば停留所でバスを待っている人々がいるとして、これはひとつの集団として考えることができますが、サルトルによれば彼らは決して革命の主体となることはありません。サルトルは単に群れているだけの集団ではなく、特定の目的を共有する組織化された集団こそが社会を牽引すると考え、前者の不十分な集団を「コレクティフ collectif」と呼び、後者の望ましい集団である「グループ groupe」から区別しています。
しかしウリはサルトルがその必要性を訴えた目的の共有と組織化こそが人間を疏外しているとして、むしろ望ましい集団とは「グループ」ではなく「コレクティフ」であるべきだと考えました。こうしたことからウリの提唱する「コレクティフ」とは「構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながら、しかも全体の動きに無理に従わされていることがない状態」のことを指しています。
すなわちガタリがラボルド病院で取り組んだ「制度論的精神療法」とは、このようなウリのいう「コレクティフ」と呼ばれる集団性を前提としているといえます。そして、こうした「コレクティフ」というコンセプトを発展的に継承した日本における実践例として批評家の宇野常寛氏は近著『庭の話』(2024)で「ムジナの庭」の取り組みを紹介しています。
*「あたりまえ」を反復すること
東京都小金井市にある就労継続支援B型事業所「ムジナの庭」はさまざまな心身の障害を持った人たちが収入を得るための技術を身につけることを目的とした施設です。また同時に同施設は利用者のケアにも注力しており、同書は「より正確には、その就労支援とケアとの境界線が曖昧になっていると、表現した方がよいだろう」と述べます。
その具体的な仕組みとしては利用者がそこで行われた作業の成果物(お菓子や雑貨や衣料品など)を販売し、その売上げを工賃として受け取るというもので、利用者の障害がどのようなものであったとしても(身体、知的、精神のいずれの障害であったとしても)18歳以上であれば利用することができるようになっており、その利用も心身のコンディションに合わせて、週に1回や1日1時間など短時間の利用も可能だそうです。
「ムジナの庭」では食べ物や小物を製作する手仕事、庭の植物の世話、アロマテラピー、散歩、当事者研究、オープンダイアローグなどといったさまざまな作業が午前と午後の2時間に配置されていますが、とくにどの作業をどのタイミングで行うかは決められていないそうです。形式上これらの作業は「生活と仕事」「からだプログラム」「こころプログラム」の3つのカテゴリーに分類されていますが、実際にそこでそれが行われている時は「単に『作業』なのだ」と同書は述べます。
そして、この「ムジナの庭」を主宰する鞍田愛希子氏は「誰かと一緒に食事をとりながら会話をすること、昼間にしっかり身体を動かして夜にぐっすり眠ること、こうした『あたりまえのこと』を毎日反復することで、心身の回復をうながす」と述べています。
こうした「あたりまえのこと」の中に結果的に就労につながる作業が組み込まれており、むしろ鞍田氏の意図はこのような「あたりまえのこと」の反復により「眠っている身体感覚を取り戻す」ことにあり、ここから「ムジナの庭」が掲げる「ふと嗅いだ香り、ふいに投げかけられた言葉、何気なく食べているもの、作業に没頭する時間。いつの間にか心や体へ作用している要因をキャッチし、自分なりの暮らし方を見つけていきます」というミッションへ向かっていきます。それが彼女の考えるリスタートの条件であり、宇野氏のよく使う言葉でいえば世界との距離と進入角度の(再)発見に他なりません。
* ほんのちょっとしたこと les moindres des choses
「ムジナの庭」では日によって訪れる利用者の顔ぶれは入れ替わり、そこで行われる「作業」もあえて決められておらず、あらかじめ枠組みを可能な限り設定しないことが何よりも重視されているそうです。結果、そこにはある種の「わかりづらさ」が発生します。しかしこの「わかりづらさ」を引き受けることこそが重要だと鞍田氏は述べています。そしてそのような「わかりづらさ」によって確保される、ばらばらのまま人々がつながっている状態を氏はやはり「コレクティフ」という言葉で説明しています。
同書によれば「ムジナの庭」はその建物も庭も「半分だけ閉じていて、半分だけ開かれている場所」という「半透明性というべき設計」になっており、そこでは当事者研究やオープンダイアローグといった言語的アプローチによるケアの実践と並行して、身体、特に手を動かす「手仕事」という非言語的アプローチが重視されています。
こうした「手仕事」の中心にあるのは庭の手入れと、そこに生息する植物を生かしたお菓子や香料、雑貨などの製作といった作業です。つまり「ムジナの庭」とは建物や庭(の植物たち)といった「もの」の力を引き出すことで「コレクティフ」を実現しようとしているといえます。
この点、鞍田氏の夫であり民藝研究者でもある鞍田崇氏はラボルド病院と「ムジナの庭」の類似性を、その「日常へのまなざし」にあると指摘しています。氏は「生きる意味への応答−−民藝と〈ムジナの庭〉をめぐって」(2021)においてウリのいう「ほんのちょっとしたこと les moindres des choses」をキーワードとして取り上げ「僕らのまなざしは、おうおうして、この『ほんのちょっとしたこと』を見逃してしまう。コレクティフをめぐるウリの議論は、まさにこの見逃しをセーブする作用を論じるものと見ることができる」と述べています。
そして氏は「コレクティフ」な集団の成立条件としてサルトルの「バス停」の例えを引用し、むしろそこに人々をただ集める「バス停」という「もの」に注目しています。「コレクティフ」を「たまたま」という訳する氏はその「たまたま性」を担保するために「もの」の必要性を説きます。
それは同時にラボルド病院と「ムジナの庭」の大きな相違点でもあります。ウリのアプローチは病院における人間間のコミュニケーションを「コレクティフ」な状態に保つための制度設計を重視していました。対して鞍田氏のアプローチはこのようなウリのアプローチをベースにしつつ、その力点を建物や庭(の植物たち)といった人間外の事物へのコミュニケーションに移行しているところにその特徴があります。
* 事物を経由するコミュニケーション
鞍田氏は「ムジナの庭」のコミュニティ運営の指針を「コンパニオンプランツ」という園芸用語で説明しています。「コンパニオンプランツ」とは例えば家庭菜園においてトマトの側にネギを植えて害虫を遠ざけようとするように、近くに2種類以上の植物を栽培することで結果的に良い影響を与え合うことを指しています。そして「ムジナの庭」においては施設の庭に生息する植物を生かした多岐にわたる「手仕事」がこの作物たちにあたります。
また氏は「ムジナの庭」をひとつの「生態系」として捉えているといいます。こうした施設ではある利用者がいなくなったり、逆に新しい利用者が加わったりすると、全体の雰囲気や、それを生み出す利用者たちの関係性が一気に変わります。だからこそ氏は「手仕事」というむしろ人間外の事物とのコミュニケーションを重視します。
ここで重要なのは人間が一度事物を経由することで、他の人間に触れることであると同書はいいます。人間間のコミュニケーションだけで完結するのではなく、あくまで利用者の主な対話の対象は事物であり、その結果「たまたま」人間間のコミュニケーションが発生していることによってはじめて「グループ」ではなく「コレクティフ」が保たれるということです。
ばらばらのままでたまたまつながるということ。豊かな事物間のコミュニケーションが行われていること=生態系があり、そこに触れることは、人間の心身を変化させ、こうして変化した身体だからこそ成立する人間間のつながりがあると同書はいいます。このように「ムジナの庭」におけるさまざまな「手仕事」を通した試みは、当事者研究やオープンダイアローグといった人間間のコミュニケーションを用いたケアの効果を最大化するための試みであるともいえるでしょう。
* プラットフォームから「庭」へ
宇野氏は『庭の話』において今日の情報環境は社会の分断と民主主義の機能不全を引き起こす「相互評価のゲーム」に支配されているとして、ソーシャルメディアに代表される「プラットフォームの時代」を内破するための方法を「庭」という比喩を用いて論じています。なぜ「庭」なのでしょうか。氏は次のように述べます。
プラットフォームには人間間のコミュニケーションしか存在しません。しかし「庭」は異なります。「庭」は人間外の事物であふれる場所です。草木が茂り、花が咲き、そしてその間を虫たちが飛び交います。「庭」にはさまざまな事物が存在し、その事物同士のコミュニケーションが生態系を形成しています。しかし同時に「庭」とはあくまで人間の手によって切り出された場です。完全な人工物であるプラットフォームに対して「庭」という自然の一部を人間が囲い込み、そして手を加えた場は人工物と自然物の中間にあります。
だからこそ人間は生態系に介入し、ある程度まではコントロールできます。しかし完全にコントロールすることはできません。「庭」とはその意味で不完全な場所です。しかし、だからこそプラットフォームを内破する可能性を秘めています。つまり問題そのもの、事物そのものへのコミュニケーションを取り戻すためにはいまプラットフォームを「庭」に変えていくことが必要であると同書はいいます。こうした同書のいう「庭」の条件とは次のようなものです。
まず「庭」とは第一に人間外の事物とのコミュニケーションを取る場所であり、第二に事物同士がコミュニケーションを取り、豊かな生態系を構築している場所であり、第三に人間がその生態系に関与できるが、完全に支配することはできない場所である必要があります。
そしてここでは人間が事物に対して「受動的な存在」になる時間が生まれる場所である必要があり、さらにそこは「共同体」であってはならず、むしろ人間を「孤独」にする場所でなければならないとされます。このような「庭」において人は事物とのコミュニケーションを通じて疑似的な「変身」を遂げることになると同書はいいます。
もちろん「庭」の条件はひとつの場所ですべて満たされる必要はなく、むしろいくつかの機能を持つ場所の複合体としての都市があり、そのなかにどれだけこの「庭」の条件をある程度満たす場所を作ることができるかが問われます。こうした意味で「ムジナの庭」は同書のいう「庭」の条件にかなり近い実践例であるといえるでしょう。
* コレクティフとリトルネロ
思えばガタリもまた事物を重視した思想家であったといえるでしょう。ガタリ(とドゥルーズ)は『アンチ・オイディプス』において様々な事物を「機械」として捉え、このような「機械」の連結によって個人の実存としての「宇宙」が立ち上がるといいます。そして、こうした「宇宙」が立ち上がるプロセスをガタリ(とドゥルーズ)は同書の続編である『千のプラトー』(1980)において「リトルネロ」という概念によって捉えています。
「リトルネロ」とはもともとイタリア語のritorno、ritornareに由来する音楽用語であり、歌の前奏、間奏、後奏における反復演奏を含意していますが、ガタリ(とドゥルーズ)によれば「リトルネロ」とはカオスの中で一瞬の準安定状態を確保して「生きられる空間」としての「領土」を創り出す契機であり、この領土はまさに事物とのコミュニケーションによってアレンジメントされることになります。
すなわち「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げるリトルネロとは世界に散乱するさまざまな事物と直接結びつき、絶えず生成変化していく「領土化」「脱領土化」「再領土化」からなる一連のプロセスに他ならないということです。
このように事物とのコミュニケーションとは他者とのあいだを「コレクティフ」に留めおくと同時に、世界とのあいだに「リトルネロ」を立ち上げる契機となる存在であるといえるでしょう。そうであれば何でもない毎日の「いまここ」における「ここでいい」から「ここがいい」へという世界への棲まい方の変容とは、こうした事物とのコミュニケーションを契機とした「コレクティフ」と「リトルネロ」の相互の連関から生じるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 23:08
| 精神分析
2025年02月25日
サントームと水平方向の精神病理学
* 力動精神医学からみた統合失調症
精神病理学の方法論には大きく記述的精神病理学、現象学的精神病理学、力動精神医学という三つの立場があります。この点、記述的精神病理学は症状の「形式」のみを扱いますが、現象学的精神病理学と力動精神医学は症状の「内容」をも扱います。そして精神分析の考え方を導入した力動精神医学は「内容」を意識的なものに限らず「無意識」をも想定し、さらにその内容が刻一刻と姿を変えていく力動的な状態を捉えようとするものです。この点、精神分析といえば神経症の治療法として知られていますが、統合失調症に関しても多大な知見が蓄積されています。
まず精神分析の創始者ジークムント・フロイトは1903年に刊行されたダニエル・パウル・シュレーバーの『ある神経病者の回想録』を読み解き、独自の統合失調症論を作り上げました。この点、フロイトは人間のセクシュアリティを3段階で考えていました。まず第1段階は「自体愛/自体性愛」であり、これは自分の身体の諸部分においてバラバラに快を得ている状態です。続く第2段階は「ナルシシズム」であり、これは自分の身体のバラバラな諸部分がまとまってできた身体イメージを性愛の対象とする段階です。そして第3段階が「対象愛」であり、自分の身体イメージではなく外界の他者やモノを性愛の対象とすることができる段階でです。
そして、フロイトは統合失調症者においてはセクシュアリティの発達がナルシシズムの段階で固着していると考えていました。すなわちフロイトによれば、人生における重大なイベントに直面し統合失調症を発症した患者は、それまで曲がりなりに築いてきた疑似的な対象愛が崩れて「ナルシシズム」への退行が生じ、それまで外的世界に備給されていたリビードが全て撤収される事になります。
結果、リビードの備給を失った外的世界はあらゆる日常的な意味を失って今にも破綻してしまいそうな感覚が訪れる体験が生じることになります。このことをフロイトは「世界破局」や「世界没落」などと表現しています。そして、統合失調症における妄想形成はこうして破局してしまった世界を再構築する過程の中で生じる回復の試みという事になります。
このようなフロイト理論を継承し英国対象関係論の基礎を築いたメラニー・クラインは人の精神を「妄想分裂ポジション」と「抑うつポジション」という二つの体勢から捉えています。クラインによると、およそ生後3〜4ヶ月までの時期の子どもはまだ母親を一つのまとまりを持つ全体対象として認識することができておらず、快を与えてくれる「良い対象」と不快をもたらす「悪い対象」という2つの別個の部分対象として捉えています。そして子供は自分を迫害してくる「悪い対象」に対して子供は攻撃性を向ける。これが「妄想分裂ポジション」です。
しかし、生後4〜6ヶ月ごろになるとやがて子どもはこれまで「良い対象」と「悪い対象」と思っていたものが実は同じ1人の母親という全体対象であったことに気づき始めます。となれば、これまで攻撃性を向けていた「悪い対象」が実は「良い対象」でもあったことになり、それによって子どもは自分はこれまで「悪い対象」をずっと攻撃してきたけれども、その攻撃によって「良い対象」も同時に破壊しようとしていたのだと気づいてしまい、それが抑うつ状態につながるとクラインは考えました。これが「抑うつポジション」です。
この二つのポジションは生後1年間の幼児の発達の中で前者から後者へと移り変わるものですが、クラインはこの二つのポジションは成人後でも頻繁に入れ替わりながら現れてくるといいます。こうしたクラインの理解からは統合失調症を他の精神障害から区別することは困難な場合が生じます。それは彼女が統合失調症を「妄想分裂ポジション」という誰にでも生じうる体勢から説明しているからです。
* ジャック・ラカンの精神病論とエディプス・コンプレックスの構造論化
これに対して、精神分析中興の祖とも呼ばれるフランスの精神科医ジャック・ラカンは精神病(統合失調症)における厳密な鑑別診断論を展開しました。1951年からラカンは後に「セミネール」と呼ばれる通年講義を自宅で開始します。ついで1953年から1963年までの10年にわたってその講義はサンタンヌ病院で行われるようになります。このセミネールにおいてラカンが初めて本格的に精神病の構造について論じたのが1955年から1956年にかけて行われた第3回目のセミネール『精神病』です。このセミネールにおいてラカンはシュレーバーの回想録を検証し「シュレーバー議長には、どうみても『父である』というこの基本的シニフィアンが欠けている」と結論づけます。すなわち、精神病の構造的条件とは「父である」という〈父の名〉というシニフィアンの排除にあるとラカンはいいます。
ラカンによれば〈父の名〉というシニフィアンは人生の重大な局面において頻繁に参照される「幹線道路」のようなものであるとされます。例えば結婚を機に夫となることや、子供を持つことは「父である(家族に対して責任を負う)」という家父長制的シニフィアンを参照することなしには非常に困難であるからです。しかし精神病者においてはこの幹線道路となる家父長制的シニフィアンが「排除」されています。その結果、彼らは父性を担うよう呼び掛けられた際にこの幹線道路を利用することができず、代わりに彼はその周囲(縁)に張り巡らされた小道をさまよいながら妄想的な仕方で父性を実現させることになるとラカンはいいます。そして、こうした『精神病』における議論を体系化するため以降数年にわたりラカンは「エディプス・コンプレックス」の構造論化に取り組むことになります。
周知の通りフロイトは神経症の治療法を試行錯誤する中で、人の無意識の内奥に「母親への惚れ込みと父親への嫉妬」という心的葛藤を発見し、このような心的葛藤をギリシアのオイディプス悲劇になぞらえて「エディプス・コンプレックス」と名付けました。この「エディプス・コンプレックス」なる仮説によれば、幼児は当初、母親との近親相関的関係の中にあり、やがてこれを禁じる者としての父親がもたらす去勢不安によって、幼児の自我の中に両親の審級が落とし込まれ、ここから自我を統制する超自我が形成されることになります。そしてフロイトによれば、男児と女児では去勢不安への反応は異なるものとされます。すなわち、男児はペニスの喪失を怖れる結果、父親のような強い存在になろうとします。これに対して、女児はペニスの不在に気付いた結果、父親に愛される存在になろうとします。
このような一見すると荒唐無稽としか思えない「エディプス・コンプレックス」なるフロイトの神話をラカンは構造言語学の知見を援用して再解釈します。まず第4回目のセミネール『対象関係』(1956〜1957)においてラカンはエディプス・コンプレックスを「フリュストラシオン(象徴的母を動作主とする現実的対象の想像的損失)」「剥奪(想像的父を動作主とする象徴的対象の現実的穴)」「去勢(現実的父を動作主とする想像的対象の象徴的負債)」という「対象欠如の三形態」として捉え直し、対象(の欠如)をめぐって人間のセクシュアリティがどのように規範化(=正常化)されるかを明らかにします。ついで第5回目のセミネール『無意識の形成物』(1957〜1958)においてラカンはエディプス・コンプレックスにおける象徴的父、すなわち〈父の名〉への同一化の過程を「エディプス三つの時」として捉え直し、母の現前不在という気まぐれな法が、いかにして父の法によって統御されるようになるのかを明らかにします。
* 父性隠喩
そして、このような「セクシュアリティの規範化」と「象徴界の統御」というエディプス・コンプレックスが持つ二つの機能をラカンは「父性隠喩」と呼ばれる一つの論理に圧縮します。そのアルゴリズムは以下のようなものです。

まず原初的な母子関係においては「母の現前と不在」という気まぐれなリズムが繰り返されることによって「+」と「−」が連続する象徴的なセリーが形成されます(fort-da)。これが前駆的な象徴機能(原-象徴界)であり、ラカンはこれを「母の欲望」と呼んでいます。そこで子どもはラカンのいう「母の欲望(原-象徴界)」というシニフィアンに対応するシニフィエを問うことになります(DM/x)。そして〈父の名〉、すなわち象徴的父が「母の欲望」を統御することで象徴界はひとつの体系として安定化することになります(NP/DM)。
すなわち、ここでは〈父の名〉が「母の欲望」を置き換える「隠喩」として介入しています。この点、ラカンにとって「隠喩」は「換喩」と対を成す概念です。そして隠喩と換喩の違いは新しい意味作用を生み出すかどうかという点にあります。そして父性隠喩においては「母の欲望」が〈父の名〉のシニフィアンによって置き換えられた結果、象徴界が統御されると同時にその全体に隠喩によって生成されるファリックな意味作用が波及するようになります。換言すれば父性隠喩の導入により、象徴界に属するあらゆるシニフィアンの意味が究極的にはすべてがファルスへ還元されることになります(A/ファルス)。
このように〈父の名〉は象徴界の秩序を安定させるシニフィアンであるとすれば、ファルスは象徴界におけるすべてのシニフィアンがファリックな意味作用を持つことを保証するシニフィアンです。これがラカンが1956年から1958年にかけて行ったエディプス・コンプレックスの構造論化の到達点です。すなわち、エディプス・コンプレックスは〈父の名〉の導入による父性隠喩によって完成し、神経症構造はこの父性隠喩によって規定され、逆に精神病構造は〈父の名〉が排除され父性隠喩が失敗していることによって規定されるということです。
* シェーマIにおける垂直方向と水平方向
こうした一連のエディプス・コンプレックスの構造論をもとにラカンが1958年に執筆した論文が「精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的問題について」です。同論文においてラカンは「シェーマI」と呼ばれる次のような図式を用いて精神病における発病と治癒のプロセスを論じています。

(松本卓也「水平方向の精神病理学に向けて」(『atプラス30』所収)より引用)
ラカンによれば精神病者には元来、象徴界を統御するシニフィアンである〈父の名〉が欠けていますが、発病前の精神病者はその欠陥を、すなわち〈父の名〉の排除を直視せずに済ませており、多くの場合は自分と同性の隣人を一種のロールモデル(想像的杖)とすることによって現実社会に適応しています。しかし、何らかの形で彼/彼女に父性の問いを突きつけるトリガーとなるような父的存在が現れた時、彼/彼女はたったひとりで父性の問題に直面することになり、その際に〈父の名〉の排除が明らかになり、精神病が本格的に発病することになります。
そして精神病者は〈父の名〉の排除(P0)とその帰結であるファルスを起点とするセクシュアリティ形成の失敗(Φ0)を、妄想の中で補修することによって神経症者の「父性隠喩」に相当する「妄想性隠喩」を構築するに至ります。例えばシェーマIが念頭に置いている症例シュレーバーでは〈父の名〉の排除によって不安定化した象徴界(言語領域)を安定させるため「世界を秩序づける」という妄想の軸(M→I)と、〈父の名〉の排除の帰結としての想像界(イメージ領域)における男性的同一化の失敗を防ぐため「神の女になる」という妄想の軸(i→m)がそれぞれ生じ、この二つの妄想の軸を結合した結果として最終的にあの有名な「世界を秩序づける神の女になる」というシュレーバーの妄想(=妄想性隠喩)が生み出されることになります。
しかしながら話はここで終わりではありません。このシェーマIにおいて精神病の妄想は象徴界と想像界のそれぞれに空いた二つの穴(P0/Φ0)の周囲を二つの曲線(M→I/i→m)が垂直方向に旋回することで生じているように見えますが、その上下にはさらに二つの直線が水平方向に走っています。ラカンはこの「私たちに向けられている/妻を愛する」という二つの直線が「現実が主体のために修復された際の諸条件を表している」のだといいます。すなわち、シュレーバーの妄想は垂直方向の曲線だけでは際限なく拡大し、現実を極端なほどに歪めてしまう可能性がありますが、水平方向の直線が妄想に一定の枠を与えることで、現実を生き延びる可能性を開くことになります。
こうしてみるとラカン派においてしばしば語られてきた精神病の治癒像としての妄想性隠喩は実は真の治癒像ではないといえます。シェーマIに描かれたシュレーバーの真の治癒は「私たちに向けられている」と「妻を愛する」ことによって起こっています。すなわち、垂直方向の高みにある神のような超越的他者に向かうのではなく、水平方向のフィールドにおいて病者の語りを聴き取る者である「私たち(臨床家)」や、絆をつなぎ止める「妻(パートナー)」に向かうということです。
* サントームと水平方向の精神病理学
もっともラカンは同論文においてはこの「私たちに向けられている/妻を愛する」という二つの水平方向の直線を、それぞれ「患者が訴えかける読者としての我々が、彼にとっていったい何であるのか」「彼の妻との関係に関して残っているもの」であると説明するだけでこの話題を終えています。しかしラカンはその後、1975年から1976年にかけて行われた第23回目のセミネール『サントーム』の中で精神病を疑わせる微細な症状を持ちながらも本格的な発病に至らなかったアイルランドの作家のジェイムズ・ジョイスを論じ、ジョイスにとって彼の妻のノラが果たした役割を「サントーム」にあたると述べています。
1970年代においてラカンはサンタンヌ病院で行っていた患者呈示を通じて、幻覚や妄想といった症状が顕著では「ない」にも関わらず、身体感覚の欠如、独特の浮遊感、特異な言語使用、集団からの逸脱といった様々な特徴から精神病圏にあると判断せざるを得ない患者と多く出会うことになります。そして、こうした非定型的な精神病を晩年のラカンは「サントーム」という概念から読み解いています。ここでいう「サントーム」とは「症状」の古い綴り方であり、ラカンはこの術語によって自分の症状を社会の中で生きうるようになった神経症者や精神病者のあり方を示そうとしていました。
この点、晩年のラカンは人の精神構造を「想像界」「象徴界」「現実界」の3つの環からなるボロメオ結びとして捉えていましたが、サントームはこの3つの環を繋ぎ止める「原症状」としての機能をもっているとされます。そして、こうした「サントーム」を構築した精神病を近年のラカン派では「ふつうの精神病」と呼んでいます。
1998年、École de la cause freudienne(フロイト大義学派)において、ラカンの娘婿、ジャック=アラン・ミレールにより「ふつうの精神病」なるカテゴリーが提唱されます。ミレールは次のようにいいます。
「精神分析の歴史においては、並外れた精神病に、ほんとうに何もかもぶち壊すような人々に、監視が向けられてきたことは言うまでもない。
シュレーバーがわれわれの間で精神病の「顔」になってどれくらいの時間がたつだろう。ところが、われわれがここで注目しているのはもっと控えめな精神病者たちであり、彼らはあっと驚かせるというのではなく、ある種の凡庸さの中に溶け込んでしまいうる。
代償機能がうまく働いている精神病、サプリメント入りの精神病、発症せざる精神病、加療された精神病、セラピー中の精神病、分析中の精神病、進行しつつある精神病、サントームつきの精神病ーーーそんな言い方ができるだろう。
〜「La psyshose ordinaire,Agalma/Seuil」より」
ここで述べられているように近年になると、シュレーバーのような華々しい妄想を持つ精神病患者は影を潜めていく一方で、妄想らしい妄想、幻覚らしい幻覚を持たず、さりとて神経症的葛藤も持たないという奇妙な症候を持つ患者群が前景化することになります。こういった一群の症例に与えられた暫定的カテゴリーが「ふつうの精神病」です。精神分析の予備面接において、神経症であるという確たる決め手がなく「ふつうの精神病」の特徴が見られる場合、寝椅子に寝かせて自由連想をさせることを控えるべきであるとミレールはいいます。
「ふつうの精神病」の主体はシュレーバーのように華々しい妄想や奇抜な行動を示す代わりに、社会的、身体的、主体的といったものの外部へと「脱接続」するという特徴があります。「ふつうの精神病」の臨床的特徴として、子どもの精神病のための精神分析的治療相談施設「クルティル」をブリュッセルに立ち上げたアレクサンドル・ステヴェンスは⑴ 想像的他者への同一化に基づく社会的紐帯の調節、⑵ 主体の内面的生活における独特の空虚感、⑶ 説明のつかない奇妙な身体的な痛みや違和感、⑷ 様々な形を取った彷徨い行動、⑸ 象徴界のポワン・ド・キャピトン(出来事を理解するための知的枠組み)に見られる奇妙さという5つの指標を挙げています。
このような特徴を持つ「ふつうの精神病」についてはミレールが「サントームつきの精神病」と述べているように、ラカンが最晩年に示したサントームの理論から捉えることができます。主体がボロメオの環の解体を防ぐため無意識的に作り上げる症状=サントームは「主体の真の固有名」にあたり、そこには各々の主体において異なる特異的=単独的な享楽のモードが刻み込まれていると考えられています。
この点、精神病理学者の松本卓也氏はこのようなサントームの持つ「反-垂直方向」の運動性に注目し、ここからマルティン・ハイデガーの存在論の影響下にある従来の「垂直方向の精神病理学」に対して「水平方向の精神病理学」の可能性を構想しています。そして、こうした観点から近年の精神医療の現場において注目を集めている当事者研究やオープン・ダイアローグなどを「水平方向の精神病理学」として読み解くこともできるようにも思えます。
posted by かがみ at 22:20
| 精神分析
2025年01月25日
現象学と精神病理学
*「わかる」ための方法論としての精神病理学
精神医学のうちの一つの分野である精神病理学 Psychopathologieは「精神」と呼ばれる人間独自の領域における様々な病理的現象を扱う学問です。この点、精神病理学者の松本卓也氏は『症例でわかる精神病理学』(2018)において「精神病理学とは、精神障害を持つ患者さんの心の状態や動きを、⑴すぐさま「わかって」しまうことを避けるために一定の方法論を設定し、⑵何をどんなふうに「わかる」ことができるのかを厳しく限定し、⑶「わかりえない」ものがあることを尊重しながらも「わかろうとする」営みから生まれた学問である」といいます。
すなわち、精神病理学においてはまず⑴様々な精神病理を直ちに「脳(身体)」や「こころ(心理)」の問題に還元して「わかって」しまうことなく、そもそも患者の心の状態や動きが「わかる」とは果たしてどういうことなのかという方法論について原理的な検討が行われます。そして⑵このような方法論から患者の心の状態や動きを「わかる」ための臨床実践が展開されます。もちろん⑶このような方法論をいかに駆使したところで患者の心や状態や動きを完全に「わかる」ことは不可能です。しかし精神病理学においてはそのような「わかりえない」という不可能性そのものがさらに検討され、ここからさらに「わかろうとする」ための新たな思考が紡ぎ出されていくことになります。
ここで挙げられた3つの特徴はそれぞれ精神病理学における⑴原理⑵実践⑶倫理に関わるものであるといえます。そして、このような「わかる」をめぐる方法論について精神病理学には「記述精神病理学」「現象学的精神病理学」「力動精神医学」という3つの立場があります。
* 記述精神病理学
精神医学の歴史はフランス革命の後、パリのビセートル病院院長に就任したフィリップ・ピネルに始まるとされています。ピネルはそれまで単なる狂人のうわ言と見なされていた精神を病んだ患者の言葉からよく似たものとそうでないものを区別し、ここから様々な精神症状と精神障害を分類していきました。こうして誕生したのが疾患分類学と精神症候学であり、これが後の精神病理学の原型を形作ることになります。
このようにして始まった精神病理学は様々な精神症状と精神障害の分類を行うため、精神障害者が語る言葉や彼らの行動や表情に見られる表出を「記述」するという方法をとりました。そして20世紀に入るとカール・ヤスパースにより精神病理学は方法論的に基礎付けられることになります。彼はエトムント・フッサールの記述心理学やヴィルヘルム・ディルタイの「了解 Vestehen」という概念を用いて精神症状の的確な記述、分類、命名、類型化などを主として行う記述精神病理学を初めて体系化することになります。
すなわち、記述精神病理学における「わかる」とはこの「了解」という方法によって可能となります。精神科臨床において精神科医は患者が語る心的体験を写し取ります。つまり自分の頭の中に思い浮かべるということです。そして、その写し取った心的体験を、類似の体験と同じものか違うものかを意識しながら、名前をつけて区別してカルテなどに「記述」します。こうしたプロセスの中で精神科医は患者の心的体験に「感情移入 Einfühlung」ができるようになります。これが「了解」です。逆に精神科医が患者の心的体験に感情移入ができなければそれは「了解不能」であるということです。
このようにヤスパースが体系化した記述精神病理学は記述心理学に基づき患者の心的体験を的確に記述し、命名し、分離するものであり、その際には「了解」という方法が用いられるというものです。そしてヤスパース以降の記述精神病理学は主としてハイデルベルク学派と呼ばれる流れの中で発展していくことになります。
* 現象学と精神病理学
いま述べたように記述精神病理学では患者が話し、医師がそれを聞き取って頭の中に思い描くというプロセスが想定されており、ここでは患者は客体(対象)であり、医師はその客体を観察する主体であり、この関係は固定されたものであるという前提があります。ところがこのような主体と客体の間には主体と客体がまだはっきりわかれていないような場所、文字通りの「あいだ Zwischen」のような場所が存在します。
そうであれば記述的精神病理学のように主体と客体をはっきりと分離することは精神障害において生じている根本的な現象を見逃している危険性があるともいえます。こうしたことから、記述精神病理学が「記述」し得ない「あいだ」の領域における異常、つまり患者の「世界への棲み方」を検討する方法論が現象学的精神病理学です。
現象学的精神病理学は主にフッサールの現象学や、その批判的継承者であるマルティン・ハイデガーの存在論をその理論的基盤に置いています。もっとも我が国を代表する精神病理学者である木村敏氏は「精神医学と現象学」(『自己・あいだ・時間』(1981)所収)という論考において「哲学の一分野としての現象学と精神医学における現象学的方法との間には見逃しえない本質的差異がある」といいます。
まず哲学的現象学では例えばフッサールのように意識の志向性を問題にするにしても、あるいはハイデガーのように現存在の「現」における存在の露呈を問題にするにしても、この意識や現存在は差し当たりフッサールその人自身、ハイデガーその人自身に対して直接無媒介的に開かれ、与えられているものではなくてはなりません。すなわち哲学的現象学は現象学者その人自身の経験を出発点として展開されることになります。
これに対して精神科医が精神医学的な諸問題を現象学的に問う場合、彼が第一次的に眼を向けるのは決して彼自身の意識や彼自身の現存在ではなく、彼にとって他者である患者のうちに生じている病的事態であり、またそのような病的事態の生起している場所としての患者の意識ないしは現存在のありようです。
このような現象学と現象学的精神病理学における差異は「従来主題的に考察の対象にされたことがまったくなかった」と木村氏は述べ、続けて「これを不問に付すならば、精神医学における現象学的方法は単に哲学的現象学者の考案した気のきいた表現を借用してきて文章を飾るだけのレトリックにすぎないか、たかだか哲学的現象学の成果を精神病者の世界に適用してみる皮相な応用哲学程度のものになりさがってしまうだろう」と述べています。
* 自己と他者の「あいだ」
そもそもある事柄を現象学的に問おうとするとき、われわれはまず第一にその事柄と直接的無媒介的に向き合わなければなりません。そのためにはその事柄にまつわるいっさいの理論的先入観が取り払われなくてなくてはならないだけでなく、自然な日常的認識に属している「世界」や諸事物の存在に関する自明性も認識主体としての自我の存在に関する自明性も、すべて現象学的直観にとっての障碍として排除されなければなりません。こうして問われている事柄それ自体とそれを問うものとの間に介在したいっさいの障壁が取り除かれて、事柄それ自体が直接無媒介的にわれわれに与えられる地平が、フッサールのいう意識の構成的志向作用であり、ハイデガーのいう存在一般の開けの場所としての現存在の「現」であるということになります。
ところが精神医学においては現象学的に問うもの(例えば精神科医)と問われている事柄(例えば統合失調症における基礎的病変)との間には理論的先入観や常識的自明性といったもののみならず、問いの生じる場所と問われるものの生起する場所とが互いに別々の人間に属しているという如何ともし難い深淵が口を開いています。そうであれば診察者にとって他者である病者が現実に体験しているままの精神状態を直接無媒介的に「わかる」ことなど原理的に不可能であるかのように思われます。このような現象学的精神病理学における根本的なアポリアを乗り越えるための鍵こそが先述した「あいだ」という場所にあります。
この点、同論考において木村氏は精神分裂病(現在の統合失調症)の診断に関して、現象学的精神病理学を代表するルートウィヒ・ビンスワンガーにおける「感情診断」やウジェーヌ・ミンコフスキーにおける「洞察診断」を取り上げ、このような「現象学的直観診断」を行うとき彼らの目は「彼自身の「内部」における意識や現存在に向かうのではなく、彼がそこで直接に他者の人格に触れ、他者における人格の病理として分裂病的事態それ自体が明証的に彼に現前してくるような場所へと、つまり自己と他者の「あいだ」の場所へと向けられていることになる」と述べます。つまり「現象学的直観診断」を行うには「診察者は病者とともに両者の「あいだ」を間人格的・間意識的・間主観的・間ノエシス的な場所として、厳密な意味で共有しているのでなくてはならない」「この共有は客的的「共有」ではなく主体的共有でなくてはならない」ということです。
* 自己の生成と絶対の他
ここで木村氏のいう「あいだ」という場所はそれ自体としては「自己ならざるもの」としての他者であるといえます。しかし自己が自己でありうるためには自己は他者を必要とすると木村氏はいいます。他者が他者として現れてこない限り、自己は自己となることはなく、自己は「自己ならざるもの」としての「あいだ」の場所において他者と出会うことを通じて、そのつど他者から自己を分離し、自己を自己自身と一致させていく必要があります。つまり自己は常に「自己ならざるもの」という自己にとって否定的契機を自己存在の根拠としているということです。こうした「あいだ」の構造を論じるなかで木村氏は西田幾多郎の次のような文章を引用しています。
「私が汝を知り汝が私を知るとは何を意味するか。私は直観といふことを自己が自己を知ることから考へた、そして自己が自己を知るといふことは自己に於いて絶対の他を認めることであると云った。併しかかる関係は直に之を逆に見ることができる。自己が自己の中に絶対の他を認めることによって無媒介的に他に移り行くと考へる代りに、かかる過程は絶対の他の中に私を見、他が私自身を限定することであると考へることができる。私が内的に他に移り行くといふことは逆に他が内的に私に入ってくるといふ意味を有っていなければならない。」
「自己の底に絶対の他を認めることによって内から無媒介的に他に移り行くといふことは、単に無差別的に自他合一するといふ意味ではない。却って絶対の他を媒介として汝と私が結合するといふことでなければならない。自己が自己自身の底に自己の根底として絶対の他を見るといふことによって自己が他の内に没し去る。即ち私が他に於て汝自身を失はなければならない、汝はこの他に於て汝の呼声を、汝はこの他に於て私の呼声を聞くといふことができる。」
(西田幾多郎「私と汝」(『無の自覚的限定』(1932)所収)より)
つまり木村氏のいう「あいだ」とは、ノエマ(意識内容)としての自己によって知覚される場所ではなく、西田のいう「私」と「汝」の両者にとっての「絶対の他」としての包括者であり、ノエシス(意識作用)としての自己と他者がともにノエシス的に構成する「ノエシスのノエシス」というべき場所であるということです。それゆえに「この同じ「あいだ」を共有している他者のノエシス的自己は、われわれ自身の自己を構成するその同じノエシス的な作用によって、それと全く同時にかつ等根源的に構成されることになる」ことになります。
このように我々のノエシス的自己と他者のノエシス的自己とは同じ一つの「ノエシスのノエシス」によって同時に構成されることになります。これによって自己と他者とは唯一の「あいだ」を共通のノエシスとして分有し、これを通じて互いに直接無媒介的に他に移り行くことができるということです。こうして「診察者と病者との人間的な触れ合いにおいては、病者の自己そのものが診察者にとって現象学的に接近可能なしかたで自らを示す」ことが可能となります。つまり「わかる」ことができるということです。
*「あいだ」の機能不全と自他の融解
このように診察者と病者の「あいだ」とは両者のノエシスを構成する「ノエシスのノエシス」という性格を持っています。そうであれば診察者がノエシス的印象として感じとる「あいだ」の病変は病者の側においても同様に直接無媒介的なノエシス的体験として感じ取られているはずです。ここで木村氏は21歳の女性患者が語った言葉を引用しています。
「お母さんとのあいだが気づまりなんです。間がもたないっていう感じなんです。中学生のとき、自分を出そうとすると何かがひっこんで出せなかった。自分の自然な感情が出せなくなってすごく苦痛だった。なにか索莫とした感じだった。なめらかな感情が出せないから、自分というものが出せず、自分ではないという感じだった。自分を出したい出したいと思って出せずにいるうちに、人が自分の中にどんどんはいってくるようになった。人がはいってくると自分がなくなって他人が中心にいるようになってしまう。人が自分の中に入って自分のまねしているんじゃないかと思ったり、一人の人間として、他人として、パッと分かれて見ることができない。……自分と他人とのあいだにうるおいが持てなくなった。うるおいの中にひたることができなくなってしまったんです。……はじめはお母さんとのあいだだけだったけれど、このごろはだれとでも気づまりで、間がもたない。気押されるというのか、すごい圧迫感を感じるのです。痛い感じがして、それで自分が傷つくのがいやだから自分の中に閉じこもる。自分が外に出せないのです。ゆとりがまったくなくて、安心感がない。気を張っていないと人が自分の中へどんどん入って来ちゃって、自分と他人の区別がなくなってしまう……。」
(木村敏「精神医学と現象学」(『自己・あいだ・時間』(1981)所収)より)
まずこの語りの中で患者は「気づまり」であり「間がもたない」と述べています。この点「気」とは元来、天地や森羅万象の「あいだ」を支配している創造的原理、生命的原理であるとされており、現在でも「気にかかる」「気をくばる」「気がねする」といった他者との「あいだ」的な性格を帯びた用いられ方がされています。そして「間」とはいうまでもなく「あいだ」と読むことができます。もっとも「あいだ」という言葉はどちらかというと空間的なイメージに結びつきやすく「間」という言葉は時間的なイメージに馴染みやすいでしょう。けれども「あいだ」を離れて「間」は存在することはなく、換言すれば「間」のはたらくところには必ず「あいだ」が形成されます。つまり「気づまり」であり「間がもたない」とは、いずれも「あいだ」が自然な親しさを失って機能不全に陥っている状態を示しています。
そしてこの患者はこのような「あいだ」の変化を「自分が出せない」「自分ではない」「人が自分の中にどんどんはいってくるようになった」「自分と他人の区別がなくなってしまう」という体験と関連づけています。先述したように「あいだ」とはそこで自己が自己として、独立的なノエシス的主体として成立し、そこから自他のノエシスの分離が可能となる場所であるといえます。それゆえこのような「あいだ」が機能不全に陥った状態では病者は自己をもはや自己としてノエシス的に立てることができなくなり、それゆえに自他の分離も危機に瀕してくることになります。
* 精神病理学における3つの立場
なお精神病理学の3つ目の立場である力動精神医学とは、ウィーンの医師であったジークムント・フロイトによって体系化された精神分析を精神医学に応用した立場です。
フロイトの精神分析は症状の背後にある無意識的な機制を重視します。彼が「無意識 das Unbewusste」と呼ぶ心の領域においては、ある観念や欲動が他の観念や欲動とぶつかりあっていると考えられており、一方の力が他方の力を抑え込もうとしたときにさまざまな病理的な現象が出てくると考えられています。力と力の関係に注目するこのような立場のものとでは、その力の大小にによってその関係が刻一刻と変化することになります。力動精神医学はこのような「変化」に注目します。
記述精神病理学においても現象学的精神病理学においても、患者の心的体験ないし世界への棲み方は診察の前後でほとんど変化しないという前提があり、これらの立場はある意味では「静止しているもの」としての精神を対象としています。これに対して力動精神医学はダイナミックに動き、刻一刻とその状態と姿を変えるような精神を対象としています。すなわち、このよう症状を形成する動的な力のせめぎあいを把握することこそが力動精神医学における「わかる」ということです。
松本氏は臨床においては以上のような3つの視点を緩やかに視点移動しながら患者に相対するのが望ましく、欲を言えばそこにさらにもう2つ、身体医学の視点と広義の社会との関係に注目する視点を加えることが重要であるとして、この計5つの視点を組み合わせながら患者の人生をトータルで見ていき、適切な援助を行うことが精神科臨床の本質ではないかと述べています。そして、こうした精神病理学が提示する複数的な視点は精神科臨床や心理療法のみならず、広くケアや教育をはじめとした様々な領域における対人コミュニケーション実践においても重要な視点であるといえるのではないでしょうか。
posted by かがみ at 22:49
| 精神分析
2024年12月27日
リトルネロの魔法
* 機械からリトルネロへ
フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』(1972)は1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた「欲望」の奔流を原理的に考察し、1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こした哲学書として知られています。同書の主旋律を成すのはその極めて激越なまでの精神分析批判です。同書は精神分析のいうエディプス・コンプレックスに規定された「神経症=いわゆる正常」という構図を真正面から批判し、精神分析のオルタナティヴとして、いわば「神経症の精神病化」というべき「分裂分析」を提示することになりました。
この点、同書が展開する議論はガタリがラボルド精神病院において従事した精神病治療の実践に裏付けられています。「制度論的精神療法」と呼ばれるその実践の狙いは患者を取り巻く人やモノの空間的・時間的配置を自在に組み直していくことで、異質な要素を横断的に結びつけ、垂直的にも水平的にも脱中心化した連携からなる環境を創出し、そこから患者自身における実存としての「宇宙」を立ち上げることにありました。
このようなラボルドにおける実践を理論的に把握するためガタリが「機械と構造」(1969年)という論考で提唱した独自の概念が「マシーン=機械」です。ここでいう「機械」とはひとまず通常我々が思い浮かべるメカニカルな工業機械や産業機械のみならず、マテリアルな質料を伴う物質すべてを含む概念として定位されています。すなわち、人間や動物の身体も、植物の根も葉も茎も、そして鉱物や大地もガタリのいう「機械」です。そして、このような「機械」は「構造」としてのシニフィアン連鎖からの「切断」を促す作動原因として、新たな主観性の生産に直接的に結びついているとされます。
こうしたガタリのいう「機械」の概念はドゥルーズとの共同研究を経由して『アンチ・オイディプス』においてさらに練成されることになります。同書では人間の身体を「器官機械」として、自然界の対象を「源泉機械」として、さらには星や虹や山岳といった景色までも「機械」として把握され、こうした複数の「機械」の連結プロセスの総体は「欲望機械」による「欲望生産」と呼ばれ、ここから「無意識」とは、精神分析が想定するような抑圧された性的トラウマが浮上し再演される「劇場」ではなく、さまざまな欲望を新たに生産する「工場」である「機械状無意識」として捉え直されることになります。
さらに、ここでいう「機械状無意識」は後にガタリの著作『機械状無意識』(1979)では「共立平面」の問題系として、さらにドゥルーズとガタリの共著『千のプラトー』(1980)では「内在平面」の問題系として論じられ、意識作用がはじまる手前の前-意識的な身体の情動が触発される地平が一貫して問題にされていくことになります。
このようにガタリとドゥルーズによれば人がその主観性を構成する発端には機械の連結が存在するということです。すなわち、ここでいう主観性の構成とは例えば部屋に溢れかえるモノであったり、SNSでたまたま目に留まった何気ないつぶやきであったり、四季をめぐる花々の彩りであったりと、さまざまな「機械」との連結がその発端にあり、それは「共立平面」ないし「内在平面」という地平における「欲望生産」により、その実存としての「宇宙」が立ち上がるということです。そして、こうした実存としての「宇宙」が立ち上がるプロセスをガタリとドゥルーズは「リトルネロ」という概念で名指します。
* カオスのなかに領土を創り出す
「リトルネロ」とはもともとイタリア語のritorno、ritornareに由来する音楽用語であり、歌の前奏、間奏、後奏における反復演奏を含意しています。『千のプラトー』の第11セリー「1837年−−リトルネロについて」はよく知られた次のような印象的な場面から始まっています。
暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。
(『千のプラトー』より)
ここで述べられているようにリトルネロとは、まずもって「カオスの中に秩序を作りはじめる」ための営みです。暗闇の中、何が起きるかわからない状況におかれた幼い子どもは歌を口ずさみ、それを何度も反復することで、何とか不安を打ち消して一瞬であれ世界と自己との安定した関係を仮固定的に築いていくことになります。
そして、そのような営みは「領土」を表示することでもあります。換言するとリトルネロとはカオスの中で一瞬の準安定状態を確保して「生きられる空間」としての「領土」を創り出す契機であるということです。
その一方でガタリとドゥルーズは続けて次のような場面からもリトルネロを説明しています。
逆に、今度はわが家にいる。(中略)一人の子供が、学校の宿題をこなすため、力を集中しようとして小声で歌う。一人の主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(中略)だが、とりわけ重要なのは、子供が輪になって踊るのと同じように、輪の周囲を歩き、子音や母音を組み合わせてリズムをとり、それを内に秘められた想像の力や、有機体の分化した部分に対応させるということである。速度やリズムやハーモニーに関する過失は破局をもたらすはずだ。それをカオスの諸力を回復させ、創造者も被造物も破壊することになるからである。
(『千のプラトー』より)
室内という外部から遮断された空間においても、あるいは子供が手をつないで輪をつくった中においても、口笛を鳴らしたり、歌を歌を歌うことで、その空間を自らの「領土」とします。しかし一瞬でも歌う速度やリズムやハーモニーが狂いはじめると、そこにはたちまちカオスが回復してくることになります。
いずれにしてもリトルネロとは石や木々や星や椅子や机や玩具など、あるゆる欲望機械の部品(部分対象)における質料のエネルギーを器官機械たるもうひとつの物質たる身体が受容して、発声や動作によって世界にエネルギーを折り返していくという「質料とのコミュニケーション」による「領土性のアジャンスマン(アレンジメント)」として表現する過程であるということです。
* 輪をつくり、輪の内部をアレンジし、輪を開く
そしてガタリとドゥルーズはさらに続けてリトルネロを次のような場面として描き出しています。
輪を半開きにして開放し、誰かを中に入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分が外に出て行き、駆け出す。輪を開く場所は、カオス本来の力が押し寄せて側にではなく、輪によって作られたもう一つの領域にある。それはあたかも輪そのものが、みずからの内部に収容した活動状態の力と連動して、未来に向けて自分を開こうとしているかのようだ。そして、いま目的となっているのは未来の力や宇宙の宇宙的な力に合流することなのである。身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体になるのとなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作や音響の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作や音響があらわれる。
(『千のプラトー』より)
つまり、最初の子どもが暗闇を歩いているというリトルネロの場面がいわば大地に輪を描く局面であり、次の家の中で子どもが宿題をしたりしているリトルネロの場面がいわば描かれた輪の周囲で躍る局面であるとすれば、ここで描かれるリトルネロの場面は輪の内部に蓄積された活動力が輪を突き破り外へと自らを開いていくこと、また外部の力を内部に引き込んでいく局面であるといえるでしょう。
この点、こうしたリトルネロの三つの局面を伊藤守氏は『フェリックス・ガタリの思想』(2024)において「輪をつくり、輪の内部をアレンジし、輪を開く」というシンプルな言葉で言い表しています。そして、こうしたリトルネロの三つの局面の関係につきガタリとドゥルーズは次のように述べています。
いま述べたことは特定の進化における継続的な三つのモメントではない。同一の事象における三つの局面なのである。そして同一の事象とはリトルネロのことだ。三つの局面は、ホラーにも、おとぎ話にも出てくるし、リートにもあらわれる。リトルネロは三つの局面をもち、それを同時に示すこともあれば、混合することもある。さまざまな場面が考えられる。あるときは、カオスが巨大なブラック・ホールとなり、人はカオスの内側に中心となるもろい一点を設けようとする。あるときは、一つの点の周りに静かで安定した「外観」を作り上げる(形式ではなくて)。これによって、ブラック・ホールはわが家に変化したのである。またあるときは、この外観に逃げ道を接ぎ木して、ブラック・ホールの外に出る。
(『千のプラトー』より)
* 宇宙を生み出すということ
ガタリは遺作となった『カオスモーズ』(1992)において以上のようなリトルネロの三つの局面を次のように再定式化しています。まず第一の局面は「実存の領域をとらえる境界画定のリトルネロ」であり、次に第二の局面は「集合的実存の領土」といわれる領土の内部で集合性を形成するものです。
これに対して第三の局面をガタリは「横断的リトルネロ」と呼び「そこに関係してくるのは参照の宇宙ではなく、生産されると同時にその所在を割り出すことができ、生み出したばかりでも元来そこにあり、まるで無窮の過去から存在したかのような非物質的実在の領域」としての「非物質的な宇宙」が広がっているといいます。
『リトルネロ』の概念によって、われわれは、まとまった塊のような情動だけではなく、最高度に複雑で、音楽や数学のように非物質的な宇宙への入り口を開く触媒となり、脱領土化の度合いが最も高い実在の領土を結晶させるリトルネロをも捉えようとしている。
(『カオスモーズ』より)
ここでリトルネロは世界の具体的な状況のなかでさまざまな要素が同時に絡み合いながら出現する出来事において一瞬与えられる「非物質的な宇宙」を触媒する契機として位置付けられることになります。そしてこのような契機は日常のいたるところに見出されるでしょう。例えばひとつの詩や音楽が紡がれる時、その速度やリズムやハーモニーから思いもかけない新たな「宇宙」が生み出されるということです。
* リトルネロの魔法
人はカオスに直面した時、不安や恐れに襲われ、自らの進路を見失ってしまいます。けれども人は何とかそれを乗り越えるべく、その時空にかすかな秩序を、あるいは希望を取り戻すべく、ひとつなぎのリトルネロを口ずさみます。まさにそこにガタリは「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げるための「領土」を見定めます。
すなわち「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げるリトルネロとは世界に散乱するさまざまなモノ(質料)と直接結びつき、その置かれた環境に応じて絶えず生成変化していく「領土化」「脱領土化」「再領土化」からなる一連のプロセスに他なりません。そして、ここでいう「領土」とは、あるいは「居場所」と言い換えてもいいでしょう。
輪をつくり、輪の内部をアレンジし、輪を開くということ。こうしたリトルネロにおける三つの局面は、人の「領土」ないし「居場所」としての「いまここ」をいわば「ここでいい」から「ここがいい」へと変えていきます。こうした意味でリトルネロとは例えば読書をしたり、料理をしたり、片付けをしたり、創作をしたりといった日常における様々なモノとのコミュニケーションからなる「いまここ」のただなかに「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げる日常のアレンジメントであるといえるでしょう。
posted by かがみ at 00:23
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