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現代思想の諸論点

現代批評理論の諸相

現代文学/アニメーション論のいくつかの断章

フランス現代思想概論

ラカン派精神分析の基本用語集

2025年01月25日

現象学と精神病理学



*「わかる」ための方法論としての精神病理学

精神医学のうちの一つの分野である精神病理学 Psychopathologieは「精神」と呼ばれる人間独自の領域における様々な病理的現象を扱う学問です。この点、精神病理学者の松本卓也氏は『症例でわかる精神病理学』(2018)において「精神病理学とは、精神障害を持つ患者さんの心の状態や動きを、⑴すぐさま「わかって」しまうことを避けるために一定の方法論を設定し、⑵何をどんなふうに「わかる」ことができるのかを厳しく限定し、⑶「わかりえない」ものがあることを尊重しながらも「わかろうとする」営みから生まれた学問である」といいます。

すなわち、精神病理学においてはまず⑴様々な精神病理を直ちに「脳(身体)」や「こころ(心理)」の問題に還元して「わかって」しまうことなく、そもそも患者の心の状態や動きが「わかる」とは果たしてどういうことなのかという方法論について原理的な検討が行われます。そして⑵このような方法論から患者の心の状態や動きを「わかる」ための臨床実践が展開されます。もちろん⑶このような方法論をいかに駆使したところで患者の心や状態や動きを完全に「わかる」ことは不可能です。しかし精神病理学においてはそのような「わかりえない」という不可能性そのものがさらに検討され、ここからさらに「わかろうとする」ための新たな思考が紡ぎ出されていくことになります。

ここで挙げられた3つの特徴はそれぞれ精神病理学における⑴原理⑵実践⑶倫理に関わるものであるといえます。そして、このような「わかる」をめぐる方法論について精神病理学には「記述精神病理学」「現象学的精神病理学」「力動精神医学」という3つの立場があります。


* 記述精神病理学

精神医学の歴史はフランス革命の後、パリのビセートル病院院長に就任したフィリップ・ピネルに始まるとされています。ピネルはそれまで単なる狂人のうわ言と見なされていた精神を病んだ患者の言葉からよく似たものとそうでないものを区別し、ここから様々な精神症状と精神障害を分類していきました。こうして誕生したのが疾患分類学と精神症候学であり、これが後の精神病理学の原型を形作ることになります。

このようにして始まった精神病理学は様々な精神症状と精神障害の分類を行うため、精神障害者が語る言葉や彼らの行動や表情に見られる表出を「記述」するという方法をとりました。そして20世紀に入るとカール・ヤスパースにより精神病理学は方法論的に基礎付けられることになります。彼はエトムント・フッサールの記述心理学やヴィルヘルム・ディルタイの「了解 Vestehen」という概念を用いて精神症状の的確な記述、分類、命名、類型化などを主として行う記述精神病理学を初めて体系化することになります。

すなわち、記述精神病理学における「わかる」とはこの「了解」という方法によって可能となります。精神科臨床において精神科医は患者が語る心的体験を写し取ります。つまり自分の頭の中に思い浮かべるということです。そして、その写し取った心的体験を、類似の体験と同じものか違うものかを意識しながら、名前をつけて区別してカルテなどに「記述」します。こうしたプロセスの中で精神科医は患者の心的体験に「感情移入 Einfühlung」ができるようになります。これが「了解」です。逆に精神科医が患者の心的体験に感情移入ができなければそれは「了解不能」であるということです。

このようにヤスパースが体系化した記述精神病理学は記述心理学に基づき患者の心的体験を的確に記述し、命名し、分離するものであり、その際には「了解」という方法が用いられるというものです。そしてヤスパース以降の記述精神病理学は主としてハイデルベルク学派と呼ばれる流れの中で発展していくことになります。


* 現象学と精神病理学

いま述べたように記述精神病理学では患者が話し、医師がそれを聞き取って頭の中に思い描くというプロセスが想定されており、ここでは患者は客体(対象)であり、医師はその客体を観察する主体であり、この関係は固定されたものであるという前提があります。ところがこのような主体と客体の間には主体と客体がまだはっきりわかれていないような場所、文字通りの「あいだ Zwischen」のような場所が存在します。

そうであれば記述的精神病理学のように主体と客体をはっきりと分離することは精神障害において生じている根本的な現象を見逃している危険性があるともいえます。こうしたことから、記述精神病理学が「記述」し得ない「あいだ」の領域における異常、つまり患者の「世界への棲み方」を検討する方法論が現象学的精神病理学です。

現象学的精神病理学は主にフッサールの現象学や、その批判的継承者であるマルティン・ハイデガーの存在論をその理論的基盤に置いています。もっとも我が国を代表する精神病理学者である木村敏氏は「精神医学と現象学」(『自己・あいだ・時間』(1981)所収)という論考において「哲学の一分野としての現象学と精神医学における現象学的方法との間には見逃しえない本質的差異がある」といいます。

まず哲学的現象学では例えばフッサールのように意識の志向性を問題にするにしても、あるいはハイデガーのように現存在の「現」における存在の露呈を問題にするにしても、この意識や現存在は差し当たりフッサールその人自身、ハイデガーその人自身に対して直接無媒介的に開かれ、与えられているものではなくてはなりません。すなわち哲学的現象学は現象学者その人自身の経験を出発点として展開されることになります。

これに対して精神科医が精神医学的な諸問題を現象学的に問う場合、彼が第一次的に眼を向けるのは決して彼自身の意識や彼自身の現存在ではなく、彼にとって他者である患者のうちに生じている病的事態であり、またそのような病的事態の生起している場所としての患者の意識ないしは現存在のありようです。

このような現象学と現象学的精神病理学における差異は「従来主題的に考察の対象にされたことがまったくなかった」と木村氏は述べ、続けて「これを不問に付すならば、精神医学における現象学的方法は単に哲学的現象学者の考案した気のきいた表現を借用してきて文章を飾るだけのレトリックにすぎないか、たかだか哲学的現象学の成果を精神病者の世界に適用してみる皮相な応用哲学程度のものになりさがってしまうだろう」と述べています。


* 自己と他者の「あいだ」

そもそもある事柄を現象学的に問おうとするとき、われわれはまず第一にその事柄と直接的無媒介的に向き合わなければなりません。そのためにはその事柄にまつわるいっさいの理論的先入観が取り払われなくてなくてはならないだけでなく、自然な日常的認識に属している「世界」や諸事物の存在に関する自明性も認識主体としての自我の存在に関する自明性も、すべて現象学的直観にとっての障碍として排除されなければなりません。こうして問われている事柄それ自体とそれを問うものとの間に介在したいっさいの障壁が取り除かれて、事柄それ自体が直接無媒介的にわれわれに与えられる地平が、フッサールのいう意識の構成的志向作用であり、ハイデガーのいう存在一般の開けの場所としての現存在の「現」であるということになります。

ところが精神医学においては現象学的に問うもの(例えば精神科医)と問われている事柄(例えば統合失調症における基礎的病変)との間には理論的先入観や常識的自明性といったもののみならず、問いの生じる場所と問われるものの生起する場所とが互いに別々の人間に属しているという如何ともし難い深淵が口を開いています。そうであれば診察者にとって他者である病者が現実に体験しているままの精神状態を直接無媒介的に「わかる」ことなど原理的に不可能であるかのように思われます。このような現象学的精神病理学における根本的なアポリアを乗り越えるための鍵こそが先述した「あいだ」という場所にあります。

この点、同論考において木村氏は精神分裂病(現在の統合失調症)の診断に関して、現象学的精神病理学を代表するルートウィヒ・ビンスワンガーにおける「感情診断」やウジェーヌ・ミンコフスキーにおける「洞察診断」を取り上げ、このような「現象学的直観診断」を行うとき彼らの目は「彼自身の「内部」における意識や現存在に向かうのではなく、彼がそこで直接に他者の人格に触れ、他者における人格の病理として分裂病的事態それ自体が明証的に彼に現前してくるような場所へと、つまり自己と他者の「あいだ」の場所へと向けられていることになる」と述べます。つまり「現象学的直観診断」を行うには「診察者は病者とともに両者の「あいだ」を間人格的・間意識的・間主観的・間ノエシス的な場所として、厳密な意味で共有しているのでなくてはならない」「この共有は客的的「共有」ではなく主体的共有でなくてはならない」ということです。


* 自己の生成と絶対の他

ここで木村氏のいう「あいだ」という場所はそれ自体としては「自己ならざるもの」としての他者であるといえます。しかし自己が自己でありうるためには自己は他者を必要とすると木村氏はいいます。他者が他者として現れてこない限り、自己は自己となることはなく、自己は「自己ならざるもの」としての「あいだ」の場所において他者と出会うことを通じて、そのつど他者から自己を分離し、自己を自己自身と一致させていく必要があります。つまり自己は常に「自己ならざるもの」という自己にとって否定的契機を自己存在の根拠としているということです。こうした「あいだ」の構造を論じるなかで木村氏は西田幾多郎の次のような文章を引用しています。

「私が汝を知り汝が私を知るとは何を意味するか。私は直観といふことを自己が自己を知ることから考へた、そして自己が自己を知るといふことは自己に於いて絶対の他を認めることであると云った。併しかかる関係は直に之を逆に見ることができる。自己が自己の中に絶対の他を認めることによって無媒介的に他に移り行くと考へる代りに、かかる過程は絶対の他の中に私を見、他が私自身を限定することであると考へることができる。私が内的に他に移り行くといふことは逆に他が内的に私に入ってくるといふ意味を有っていなければならない。」

「自己の底に絶対の他を認めることによって内から無媒介的に他に移り行くといふことは、単に無差別的に自他合一するといふ意味ではない。却って絶対の他を媒介として汝と私が結合するといふことでなければならない。自己が自己自身の底に自己の根底として絶対の他を見るといふことによって自己が他の内に没し去る。即ち私が他に於て汝自身を失はなければならない、汝はこの他に於て汝の呼声を、汝はこの他に於て私の呼声を聞くといふことができる。」

(西田幾多郎「私と汝」(『無の自覚的限定』(1932)所収)より)


つまり木村氏のいう「あいだ」とは、ノエマ(意識内容)としての自己によって知覚される場所ではなく、西田のいう「私」と「汝」の両者にとっての「絶対の他」としての包括者であり、ノエシス(意識作用)としての自己と他者がともにノエシス的に構成する「ノエシスのノエシス」というべき場所であるということです。それゆえに「この同じ「あいだ」を共有している他者のノエシス的自己は、われわれ自身の自己を構成するその同じノエシス的な作用によって、それと全く同時にかつ等根源的に構成されることになる」ことになります。

このように我々のノエシス的自己と他者のノエシス的自己とは同じ一つの「ノエシスのノエシス」によって同時に構成されることになります。これによって自己と他者とは唯一の「あいだ」を共通のノエシスとして分有し、これを通じて互いに直接無媒介的に他に移り行くことができるということです。こうして「診察者と病者との人間的な触れ合いにおいては、病者の自己そのものが診察者にとって現象学的に接近可能なしかたで自らを示す」ことが可能となります。つまり「わかる」ことができるということです。


*「あいだ」の機能不全と自他の融解

このように診察者と病者の「あいだ」とは両者のノエシスを構成する「ノエシスのノエシス」という性格を持っています。そうであれば診察者がノエシス的印象として感じとる「あいだ」の病変は病者の側においても同様に直接無媒介的なノエシス的体験として感じ取られているはずです。ここで木村氏は21歳の女性患者が語った言葉を引用しています。

「お母さんとのあいだが気づまりなんです。間がもたないっていう感じなんです。中学生のとき、自分を出そうとすると何かがひっこんで出せなかった。自分の自然な感情が出せなくなってすごく苦痛だった。なにか索莫とした感じだった。なめらかな感情が出せないから、自分というものが出せず、自分ではないという感じだった。自分を出したい出したいと思って出せずにいるうちに、人が自分の中にどんどんはいってくるようになった。人がはいってくると自分がなくなって他人が中心にいるようになってしまう。人が自分の中に入って自分のまねしているんじゃないかと思ったり、一人の人間として、他人として、パッと分かれて見ることができない。……自分と他人とのあいだにうるおいが持てなくなった。うるおいの中にひたることができなくなってしまったんです。……はじめはお母さんとのあいだだけだったけれど、このごろはだれとでも気づまりで、間がもたない。気押されるというのか、すごい圧迫感を感じるのです。痛い感じがして、それで自分が傷つくのがいやだから自分の中に閉じこもる。自分が外に出せないのです。ゆとりがまったくなくて、安心感がない。気を張っていないと人が自分の中へどんどん入って来ちゃって、自分と他人の区別がなくなってしまう……。」

(木村敏「精神医学と現象学」(『自己・あいだ・時間』(1981)所収)より)


まずこの語りの中で患者は「気づまり」であり「間がもたない」と述べています。この点「気」とは元来、天地や森羅万象の「あいだ」を支配している創造的原理、生命的原理であるとされており、現在でも「気にかかる」「気をくばる」「気がねする」といった他者との「あいだ」的な性格を帯びた用いられ方がされています。そして「間」とはいうまでもなく「あいだ」と読むことができます。もっとも「あいだ」という言葉はどちらかというと空間的なイメージに結びつきやすく「間」という言葉は時間的なイメージに馴染みやすいでしょう。けれども「あいだ」を離れて「間」は存在することはなく、換言すれば「間」のはたらくところには必ず「あいだ」が形成されます。つまり「気づまり」であり「間がもたない」とは、いずれも「あいだ」が自然な親しさを失って機能不全に陥っている状態を示しています。

そしてこの患者はこのような「あいだ」の変化を「自分が出せない」「自分ではない」「人が自分の中にどんどんはいってくるようになった」「自分と他人の区別がなくなってしまう」という体験と関連づけています。先述したように「あいだ」とはそこで自己が自己として、独立的なノエシス的主体として成立し、そこから自他のノエシスの分離が可能となる場所であるといえます。それゆえこのような「あいだ」が機能不全に陥った状態では病者は自己をもはや自己としてノエシス的に立てることができなくなり、それゆえに自他の分離も危機に瀕してくることになります。


* 精神病理学における3つの立場

なお精神病理学の3つ目の立場である力動精神医学とは、ウィーンの医師であったジークムント・フロイトによって体系化された精神分析を精神医学に応用した立場です。

フロイトの精神分析は症状の背後にある無意識的な機制を重視します。彼が「無意識 das Unbewusste」と呼ぶ心の領域においては、ある観念や欲動が他の観念や欲動とぶつかりあっていると考えられており、一方の力が他方の力を抑え込もうとしたときにさまざまな病理的な現象が出てくると考えられています。力と力の関係に注目するこのような立場のものとでは、その力の大小にによってその関係が刻一刻と変化することになります。力動精神医学はこのような「変化」に注目します。

記述精神病理学においても現象学的精神病理学においても、患者の心的体験ないし世界への棲み方は診察の前後でほとんど変化しないという前提があり、これらの立場はある意味では「静止しているもの」としての精神を対象としています。これに対して力動精神医学はダイナミックに動き、刻一刻とその状態と姿を変えるような精神を対象としています。すなわち、このよう症状を形成する動的な力のせめぎあいを把握することこそが力動精神医学における「わかる」ということです。

松本氏は臨床においては以上のような3つの視点を緩やかに視点移動しながら患者に相対するのが望ましく、欲を言えばそこにさらにもう2つ、身体医学の視点と広義の社会との関係に注目する視点を加えることが重要であるとして、この計5つの視点を組み合わせながら患者の人生をトータルで見ていき、適切な援助を行うことが精神科臨床の本質ではないかと述べています。そして、こうした精神病理学が提示する複数的な視点は精神科臨床や心理療法のみならず、広くケアや教育をはじめとした様々な領域における対人コミュニケーション実践においても重要な視点であるといえるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 22:49 | 精神分析

2024年12月27日

リトルネロの魔法



* 機械からリトルネロへ

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』(1972)は1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた「欲望」の奔流を原理的に考察し、1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こした哲学書として知られています。同書の主旋律を成すのはその極めて激越なまでの精神分析批判です。同書は精神分析のいうエディプス・コンプレックスに規定された「神経症=いわゆる正常」という構図を真正面から批判し、精神分析のオルタナティヴとして、いわば「神経症の精神病化」というべき「分裂分析」を提示することになりました。

この点、同書が展開する議論はガタリがラボルド精神病院において従事した精神病治療の実践に裏付けられています。「制度論的精神療法」と呼ばれるその実践の狙いは患者を取り巻く人やモノの空間的・時間的配置を自在に組み直していくことで、異質な要素を横断的に結びつけ、垂直的にも水平的にも脱中心化した連携からなる環境を創出し、そこから患者自身における実存としての「宇宙」を立ち上げることにありました。

このようなラボルドにおける実践を理論的に把握するためガタリが「機械と構造」(1969年)という論考で提唱した独自の概念が「マシーン=機械」です。ここでいう「機械」とはひとまず通常我々が思い浮かべるメカニカルな工業機械や産業機械のみならず、マテリアルな質料を伴う物質すべてを含む概念として定位されています。すなわち、人間や動物の身体も、植物の根も葉も茎も、そして鉱物や大地もガタリのいう「機械」です。そして、このような「機械」は「構造」としてのシニフィアン連鎖からの「切断」を促す作動原因として、新たな主観性の生産に直接的に結びついているとされます。

こうしたガタリのいう「機械」の概念はドゥルーズとの共同研究を経由して『アンチ・オイディプス』においてさらに練成されることになります。同書では人間の身体を「器官機械」として、自然界の対象を「源泉機械」として、さらには星や虹や山岳といった景色までも「機械」として把握され、こうした複数の「機械」の連結プロセスの総体は「欲望機械」による「欲望生産」と呼ばれ、ここから「無意識」とは、精神分析が想定するような抑圧された性的トラウマが浮上し再演される「劇場」ではなく、さまざまな欲望を新たに生産する「工場」である「機械状無意識」として捉え直されることになります。

さらに、ここでいう「機械状無意識」は後にガタリの著作『機械状無意識』(1979)では「共立平面」の問題系として、さらにドゥルーズとガタリの共著『千のプラトー』(1980)では「内在平面」の問題系として論じられ、意識作用がはじまる手前の前-意識的な身体の情動が触発される地平が一貫して問題にされていくことになります。

このようにガタリとドゥルーズによれば人がその主観性を構成する発端には機械の連結が存在するということです。すなわち、ここでいう主観性の構成とは例えば部屋に溢れかえるモノであったり、SNSでたまたま目に留まった何気ないつぶやきであったり、四季をめぐる花々の彩りであったりと、さまざまな「機械」との連結がその発端にあり、それは「共立平面」ないし「内在平面」という地平における「欲望生産」により、その実存としての「宇宙」が立ち上がるということです。そして、こうした実存としての「宇宙」が立ち上がるプロセスをガタリとドゥルーズは「リトルネロ」という概念で名指します。


* カオスのなかに領土を創り出す

「リトルネロ」とはもともとイタリア語のritorno、ritornareに由来する音楽用語であり、歌の前奏、間奏、後奏における反復演奏を含意しています。『千のプラトー』の第11セリー「1837年−−リトルネロについて」はよく知られた次のような印象的な場面から始まっています。

暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。

(『千のプラトー』より)


ここで述べられているようにリトルネロとは、まずもって「カオスの中に秩序を作りはじめる」ための営みです。暗闇の中、何が起きるかわからない状況におかれた幼い子どもは歌を口ずさみ、それを何度も反復することで、何とか不安を打ち消して一瞬であれ世界と自己との安定した関係を仮固定的に築いていくことになります。

そして、そのような営みは「領土」を表示することでもあります。換言するとリトルネロとはカオスの中で一瞬の準安定状態を確保して「生きられる空間」としての「領土」を創り出す契機であるということです。

その一方でガタリとドゥルーズは続けて次のような場面からもリトルネロを説明しています。

逆に、今度はわが家にいる。(中略)一人の子供が、学校の宿題をこなすため、力を集中しようとして小声で歌う。一人の主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(中略)だが、とりわけ重要なのは、子供が輪になって踊るのと同じように、輪の周囲を歩き、子音や母音を組み合わせてリズムをとり、それを内に秘められた想像の力や、有機体の分化した部分に対応させるということである。速度やリズムやハーモニーに関する過失は破局をもたらすはずだ。それをカオスの諸力を回復させ、創造者も被造物も破壊することになるからである。

(『千のプラトー』より)


室内という外部から遮断された空間においても、あるいは子供が手をつないで輪をつくった中においても、口笛を鳴らしたり、歌を歌を歌うことで、その空間を自らの「領土」とします。しかし一瞬でも歌う速度やリズムやハーモニーが狂いはじめると、そこにはたちまちカオスが回復してくることになります。

いずれにしてもリトルネロとは石や木々や星や椅子や机や玩具など、あるゆる欲望機械の部品(部分対象)における質料のエネルギーを器官機械たるもうひとつの物質たる身体が受容して、発声や動作によって世界にエネルギーを折り返していくという「質料とのコミュニケーション」による「領土性のアジャンスマン(アレンジメント)」として表現する過程であるということです。


* 輪をつくり、輪の内部をアレンジし、輪を開く

そしてガタリとドゥルーズはさらに続けてリトルネロを次のような場面として描き出しています。

輪を半開きにして開放し、誰かを中に入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分が外に出て行き、駆け出す。輪を開く場所は、カオス本来の力が押し寄せて側にではなく、輪によって作られたもう一つの領域にある。それはあたかも輪そのものが、みずからの内部に収容した活動状態の力と連動して、未来に向けて自分を開こうとしているかのようだ。そして、いま目的となっているのは未来の力や宇宙の宇宙的な力に合流することなのである。身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体になるのとなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作や音響の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作や音響があらわれる。

(『千のプラトー』より)


つまり、最初の子どもが暗闇を歩いているというリトルネロの場面がいわば大地に輪を描く局面であり、次の家の中で子どもが宿題をしたりしているリトルネロの場面がいわば描かれた輪の周囲で躍る局面であるとすれば、ここで描かれるリトルネロの場面は輪の内部に蓄積された活動力が輪を突き破り外へと自らを開いていくこと、また外部の力を内部に引き込んでいく局面であるといえるでしょう。

この点、こうしたリトルネロの三つの局面を伊藤守氏は『フェリックス・ガタリの思想』(2024)において「輪をつくり、輪の内部をアレンジし、輪を開く」というシンプルな言葉で言い表しています。そして、こうしたリトルネロの三つの局面の関係につきガタリとドゥルーズは次のように述べています。

いま述べたことは特定の進化における継続的な三つのモメントではない。同一の事象における三つの局面なのである。そして同一の事象とはリトルネロのことだ。三つの局面は、ホラーにも、おとぎ話にも出てくるし、リートにもあらわれる。リトルネロは三つの局面をもち、それを同時に示すこともあれば、混合することもある。さまざまな場面が考えられる。あるときは、カオスが巨大なブラック・ホールとなり、人はカオスの内側に中心となるもろい一点を設けようとする。あるときは、一つの点の周りに静かで安定した「外観」を作り上げる(形式ではなくて)。これによって、ブラック・ホールはわが家に変化したのである。またあるときは、この外観に逃げ道を接ぎ木して、ブラック・ホールの外に出る。

(『千のプラトー』より)



* 宇宙を生み出すということ

ガタリは遺作となった『カオスモーズ』(1992)において以上のようなリトルネロの三つの局面を次のように再定式化しています。まず第一の局面は「実存の領域をとらえる境界画定のリトルネロ」であり、次に第二の局面は「集合的実存の領土」といわれる領土の内部で集合性を形成するものです。

これに対して第三の局面をガタリは「横断的リトルネロ」と呼び「そこに関係してくるのは参照の宇宙ではなく、生産されると同時にその所在を割り出すことができ、生み出したばかりでも元来そこにあり、まるで無窮の過去から存在したかのような非物質的実在の領域」としての「非物質的な宇宙」が広がっているといいます。

『リトルネロ』の概念によって、われわれは、まとまった塊のような情動だけではなく、最高度に複雑で、音楽や数学のように非物質的な宇宙への入り口を開く触媒となり、脱領土化の度合いが最も高い実在の領土を結晶させるリトルネロをも捉えようとしている。

(『カオスモーズ』より)


ここでリトルネロは世界の具体的な状況のなかでさまざまな要素が同時に絡み合いながら出現する出来事において一瞬与えられる「非物質的な宇宙」を触媒する契機として位置付けられることになります。そしてこのような契機は日常のいたるところに見出されるでしょう。例えばひとつの詩や音楽が紡がれる時、その速度やリズムやハーモニーから思いもかけない新たな「宇宙」が生み出されるということです。
 
   
* リトルネロの魔法

人はカオスに直面した時、不安や恐れに襲われ、自らの進路を見失ってしまいます。けれども人は何とかそれを乗り越えるべく、その時空にかすかな秩序を、あるいは希望を取り戻すべく、ひとつなぎのリトルネロを口ずさみます。まさにそこにガタリは「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げるための「領土」を見定めます。

すなわち「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げるリトルネロとは世界に散乱するさまざまなモノ(質料)と直接結びつき、その置かれた環境に応じて絶えず生成変化していく「領土化」「脱領土化」「再領土化」からなる一連のプロセスに他なりません。そして、ここでいう「領土」とは、あるいは「居場所」と言い換えてもいいでしょう。

輪をつくり、輪の内部をアレンジし、輪を開くということ。こうしたリトルネロにおける三つの局面は、人の「領土」ないし「居場所」としての「いまここ」をいわば「ここでいい」から「ここがいい」へと変えていきます。こうした意味でリトルネロとは例えば読書をしたり、料理をしたり、片付けをしたり、創作をしたりといった日常における様々なモノとのコミュニケーションからなる「いまここ」のただなかに「実存の時空間」としての「宇宙」を立ち上げる日常のアレンジメントであるといえるでしょう。
















posted by かがみ at 00:23 | 精神分析

2024年11月23日

いないいないばあの原理



* 生成変化論と存在論

「哲学」なる営為は紀元前6世紀に古代ギリシアのイオニア地方(現在のトルコ西部)から始まったとされています。「万物は水からできている」と考えたタレス(前625頃〜前548頃)を創始者として「万物の始源は無限である」と考えたアナクシマンドロス(前610頃〜前546頃)、「万物の始源は空気である」と考えたアナクシメネス(前578頃〜前527頃)など、当時の哲学者たちはさまざまに生成変化する世界の成り立ちに目を向け、万物の「始源(アルケー)」がなんであるかを説明しようとしました。

彼らはイオニア地方の中心的なポリスであるミレトスで活躍したので「ミレトス学派」と呼ばれています。そしてミレトスより少し北にあるエフェソスではヘラクレイトス(前540頃〜前480頃)が独特の思索を展開し「万物は流転する」というテーゼを提示しました(もっとも「万物は流転する」は後世の作とされており、ヘラクレイトス自身の言葉では「同じ川には二度と入ることができない」という断片が残されています)。

紀元前5世紀に入ると哲学の舞台はイタリアに移り、その思索はより思弁的になっていきます。この点「三平方の定理」の発見者として知られているピュタゴラス(前572頃〜前494頃)は宇宙の調和の根拠を「数」に求めました。そしてエレア出身の哲学者パルメニデス(前520頃〜前450頃)はイオニアの自然哲学から影響を受けながらも、彼らのいうような生成変化を否定して永遠不変の存在が「ある」という想定のもと「あるは、ある。ないは、ない」というテーゼを提示しました。

こうしたことからパルメニデス以降の哲学者たちは「万物は流転する」という立場と「あるは、ある。ないは、ない」という立場を両立させるための説明を試みるようになります。例えばエンペドクレス(前490頃〜前430頃)は「火・土・水・空気」という4つの元素が「愛の力(結びつける力)」と「憎しみの力(引き離す力)」によって集合離散を繰り返すと考えました。さらにデモクリトス(前460頃〜前370頃)をはじめとする原子論者たちは多種多様な「原子(アトム)」が空虚(何もない空間)の中を運動してさまざまに結びつくと考えました。

ともあれ、ここでは世界のあり方として大きく「万物は流転する」と「あるは、ある。ないは、ない」という二つの考え方が提示されていることになります。前者は「生成変化論」と呼ばれ、後者は「存在論」と呼ばれるものです。もっともこの二つの立場のどちらが哲学的あるいは自然科学的に「正しい」かを考えてみたところで(少なくとも日常生活レベルにおいては)あまり実用的な議論になるとはいえないでしょう。けれどもこの二つの立場をこの世界がもたらす二つの異なる「リズム」であると捉えるのであれば、このような古代哲学で展開された思索は我々の日常におけるものの見方や生き方を大きく変革する視点をもたらしてくれるように思えます。


* リズムにおけるうねりとビート

千葉雅也氏は近著『センスの哲学』(2024)において「総合的な判断力」としての「センス」を努力では何ともならないものとは考えずに、むしろ人を解放し、より自由にしてくれる可能性を開くものとして育てていくための方法論を考究しています。まず同書は出発点として「センスが無自覚な状態」を想定します。ここでいう「センスが無自覚な状態」とは何かしらの理想的なモデルを設定し、その再現に無自覚的に失敗してしまっている状態を指しています。そこで同書はまず、このような理想的なモデルを再現するというゲームから降りることを提案します。これが「センスの目覚め」であると同書はいいます。

そして理想的なモデルを再現するゲームから降りるとは、モデルとしての対象を抽象化して扱うということであり、すなわち、それは対象から「意味」を抜き取ることでもあります。つまり対象の「意味」の手前で展開されている形状や運動といった様々な要素の「でこぼこ」としての「リズム」を即物的に捉えるということです。

ここでいう「リズム」とは「強い/弱い」といったテンションのサーフィンとしての「強度」のことであり、同じような刺激が繰り返される「規則性」と、それが中断されたり、あるいは違うタイプの刺激が入ってくる「逸脱」からなる「反復と差異」の組み合わせで成り立っています。こうした意味での「リズム」から、さまざまなものごとを捉えていく感覚こそが「最小限のセンスの良さ」であると同書はいいます。

そしてこの「リズム」とは絶えず生成変化を続ける「うねり」として捉えられると同時に「1=存在」と「0=不在」が明滅する「ビート」としても捉えられます。この二つのリズムの捉え方が冒頭で述べた「生成変化論」と「存在論」という古代哲学の二つの立場に対応しています。

つまり、ここではリズムというのはまずは複雑に絡み合った生成変化であると捉えられます。しかし同時にこのようなリズムを例えば大きさとか長さとか色合いといったなんらかのパラメータに注目して単純化するのであれば、複雑な生成変化も「1=存在」と「0=不在」の明滅に還元できるいうことです。このように対象を「うねり(生成変化論)」と「ビート(存在論)」というダブルから感じるのが千葉氏のいうリズム経験です。


* 欠如を埋めるものとしての物語

このように同書は「リズム」においては原理的には「うねり」が「ビート」に先立つという優劣関係を示しつつも、実際のところ人は小説にせよ絵画にせよ音楽にせよ、ある作品にいかなる意味が「ある」のかといった、あるなしの問題に引っ張られてしまい、このあるなしの切り替わりとしての「ビート」によって喜んだり不快になったりしてしまうといいます(なお、パルメニデスも「あるは、ある。ないは、ない」という真理をしっかりと掴んだと思った刹那にたちまち「ある」と「ない」を混同してしまう思い込みに転落する危険があることを示唆しています)。

この点、小説などの物語では通常、宝物とか勝利とか謎とか愛といったものを追い求めるようなストーリーが展開されます。つまり物語とはなんらかの「存在」を求める「不在」を起点にして進行するということです。そして人間にとって「不在」とは「ただ単にない」のではなく「あって欲しいのにない」というニュアンスを持っていることから、それゆえにここでいう不在とはむしろ「欠如」という言い方がふさわしいでしょう。つまり物語への没入とはそこに「欠如」という大問題を見て、そのビートにシンクロすることで起きるといえます。

こうしたことから小説では「欠如を埋める」ための物語が展開されることになり、この「欠如を埋める」ことをいかに面白く行うかを追求していけばエンターテイメント性の強い作品になります。これに対して「欠如を埋める」ことに直結しない、その脇にあるようなディテールを細かく追求していけば芸術性の強い作品になりますが、その分、娯楽作品としての面白さは分かりにくくなるでしょう。

そして同じことが絵画や音楽についても考えられます。すなわち、芸術においてはどんなジャンルでも「存在/不在(欠如)」というはっきりした「ビート」に注目するか、もっと微妙なところの「うねり」に注目するかという二つの観点があるということです。


* いないいないばあの原理

ここで同書は「いないいないばあ」という子どもの遊びを一つの原理として説明します。この「いないいないばあ」という遊びにおける「いないいない(何かが隠された状態)」から「ばあ(何かが露わにされる状態)」への転換は根本的な「不安(0)」と「安心(1)」の交代を表しています。この遊びを子どもが喜ぶのはそれが人間の根本に触れているからだと同書はいいます。

そして重要なのはこれがあくまで「遊び」であることです。実際に「不安と安心」をじかに経験するのではなく、それを「遊び」というかたちにパッケージして間接化することで、子どもは欠如がもたらす寂しさを引き受けつつも、そこから離れて自立したリズムを生み出していくことになります。

精神分析を創始したジークムント・フロイトは「死の欲動」の概念を打ち出したことで知られる「快原理の彼岸」という論文において、子どもの「糸巻きあそび」を論じています。ここでフロイトは子どもが糸巻きを投げて遠くに転がっていった時に「おーおーおーお(いないいない)」といい、それから糸を引っ張って手元に戻す時に「いた(ばあ)」という反復動作に注目し、このような遊びによって子どもは母の存在と不在(欠如)の反復をみずから上演することによって母の欠如の埋め合わせをしていたと解釈しました。

一般的に生物には安定状態を維持して緊張状態を避けようとするホメオスタシスと呼ばれる傾向がありますが、未成熟な状態で生まれてくる人間の場合は、安定状態を目指すという生物としての傾向が、自身を保護してくれる母親(に代表される他者)を求めるという事態と結びついています。それゆえに「いないいないばあ」における0と1のビートには母(他者)の欠如がもたらす寂しさが表れているといえます。

けれども、やがて子どもはこのような0と1のビートからなる存在論的なリズムがもたらす寂しさを複雑なうねりをなす生成変化のリズムに上書きすることで乗り越えていきます。こうした意味で反復されるものとしてのリズムは人間が安定的に生きていくために必要なものであるといえます。だからこそ我々はあえて安定状態を乱して緊張状態(ストレス)を作り出すシュミレーションのパッケージとしての遊びや芸術を必要としているということです。


* 日常におけるサスペンス=いないいないばあ

つまり、遊びや芸術とは緊張状態(ストレス)をあえて作り出すものであり、小説などの物語における「サスペンス」とは、このような意図的に作り出された緊張状態(ストレス)を指しています。ここでいう「サスペンス」とは英語で「宙吊り」という意味ですが、その解決に至るまでのプロセスが緊張状態として遅延され、小さな山が次々と発生し、その一つ一つには0→1の小さな解決があり、その連続と重なりがうねりを生んで、複雑なリズムになります。すなわち「サスペンス」とは畢竟、母の欠如を埋めようとする「いないいないばあ」の原理によって規定されているということです。

この点、このような「サスペンス=いないいないばあ」としての物語において一般的なわかりやすさを追求するのであれば、もちろん0から1へという移行が強調されることになりますが、その0から1へ移行するあいだにおいてこそ、複雑なリズムが織りなす面白さが見出されることになります。もちろん物語のみならず絵画や音楽の表現においても同じく、こうした「サスペンス=いないいないばあ」の構造を見出すことができます。

さらには日常におけるさまざまな営為の中にも「サスペンス=いないいないばあ」の構造を見出すことができます。例えば料理とか片付けといった日常動作をあえてていねいに行なうことで、そこには日常動作の開始(0)と完了(1)からなるビートには還元されることのない複雑なうねりを見い出すことができるでしょう。こうした意味で近年、精神医療やビジネスシーンで注目を集める「マインドフルネスアプローチ」とは様々な日常動作を徹底して生成変化の側から捉え直したものであるといえます。

もちろん、ありとあらゆる日常動作のすべてをていねいに行なっていたら時間がいくらあっても足りないので、そこはある程度の取捨選択が必要となってきます。しかし少なくとも普段は何気に行っている日常動作をいったん「リズム」として捉え直してみることで新たな気づきに出会うこともあるのではないでしょうか。















posted by かがみ at 23:30 | 精神分析

2024年10月22日

オイディプスから機械状無意識へ



* 制度論的精神療法とは何か

ポスト構造主義を代表する哲学書『アンチ・オイディプス』(1972)をジル・ドゥルーズと共に世に放ったフェリックス・ガタリはフランスのラボルド精神病院において精神科医ジャン・ウリと共に精神病(統合失調症)の治療実践に取り組んだことでも知られています。ガタリによれば彼がラボルドで働き始めた当時、フランスの精神医療はその多くの場合「ほとんど動物を飼うような管理システムで精神病を扱っていたので、患者は一日中そこいらをぐるぐる歩き回り、頭を壁に打ち付け、叫んだり殴り合ったりし、汚物や糞尿のなかにうずくまっているといった光景が普通」であったとされます。そのような環境を抜本的に見直し、病院の制度や集団性を根本的に改革する運動こそがラボルドでガタリの実践した「制度論的精神療法」です。

この点、ウリによれば「制度論的精神療法」とは異質な諸領域や行動を組み合わせて欲望を循環させるためのさまざまな「仕掛け」を組み立てるための制度分析のことをいいます。そしてラボルドにおいてガタリが取り組んだ仕事とは、まさにこうした領域や行動が常に変化しながら循環する横断的な制度を構成すること、そして常にその制度を見直し、不断に再組織化することでした。

1972年に刊行されたガタリの著作『精神分析と横断性』のなかに収録された「制度論的精神療法入門」「制度論的精神療法に関する哲学者のための考察」「転移」といった論考においてはガタリ自身の実践を通した制度論的精神療法の課題と方法、そしてその哲学的含意が検討されてます。これらの論考はいずれも1950年代の経験を踏まえて1960年代前半に執筆されたものですが、こうしたガタリの実践を踏まえた考察が『アンチ・オイディプス』における革新的な議論へと結実したことは疑いないでしょう。


* 集団における横断性

精神病治療の現場とは大きく精神科医と精神病患者という二つの集団から構成されますが、ガタリは何よりそうした「集団の発話」を問題にしました。すなわち、精神医療において患者は発話へのアクセスを持っているのか、あるいは患者の集団は言表行為の主体でありうるのかという問題です。例えば精神科医が患者の言葉に耳を傾ける時でも、患者の言葉は精神科医という専門家の集団が共有する言語、すなわち「精神医学」における「制度的転移」として表出され、その言葉もあくまで精神医学という枠組みのなかで受容ないし理解されることになります。

そして、このような「集団の発話」の問題は精神分析にも当てはまります。ジークムント・フロイトの創始した精神分析はカウチに横たわる患者が紡ぎ出す自由連想に対して分析家が解釈を投与するという二者関係において展開することになりますが、そこでもやはり患者の言葉は精神分析家という専門家集団が共有する言語、例えば「エディプス・コンプレックス」などという「神話」によって解釈されてしまいます。

このような集団間の構造的格差に基づく発話行為における非対称的な関係性を維持する限り、患者は自らが「「なにごとかをなしうる」ということを本気でうそいつわりなく言うことができるのだろうか」とガタリは問います。それが実際にできないのであれば「なにごとかをなしうる」「うそいつわりなく言うことができる」新たな関係性を構築しなければなりません。そのためには患者と精神科医との上下関係はもちろんのこと、精神科医と施設スタッフとの上下関係をも抜本的に転換し、定型化された役割やプログラムによるのではなく、その時々の不確定な出来事や会話の進行から思いもかけないかたちで生起する相互のコニュニケーションを通じて、患者が「なにごとかをなしうる」と思えるような場を作りだすことが必要となります。

こうしたことからガタリは「集団における横断性」という概念ないし方法論を提起します。すなわち、精神病院における階層化され序列化された集団を解体し、人やモノの空間的・時間的配置を自在に組み直して異質な要素が横断的に結びつく、垂直的にも水平的にも脱中心化した連携からなる環境を創出し、精神科医や精神分析家といった集団の言語に依拠することなく、患者の特異な語りや言葉にすらならない身振りに現れる「結晶化されていないシニフィアン」に照準を合わせることで、患者の実存的生としての「宇宙」を押しつぶすことなく切り開いていく実践の(再)発明が目指されることになります。


* 機械と構造

人やモノの配列を横断的に組み替えて、既存の解釈枠組みによることなく、患者の「宇宙」を切り開くということ。これがガタリがラボルドで得た洞察であったといえます。もっとも1960年代前半の時点では、人やモノの配列の変更による集合的アジャンスマン(アレンジメント)によって患者の言表が産出されるという機序に関する理論的検討は十分なかたちで行われていませんでした。何より患者が自身の内的な声を外に向かって「発する」という、いわば「欲望」の生産の問題に関しては未解明であったといえます。

そこでガタリは無意識(正確には前-意識)のうちに声を発してしまうこと、身体が動き出すことといった欲望の生産を「マシーン=機械」という独自の概念を用いて考察しました。この概念が登場するのは「機械と構造」(1969年)という論考からです。同論考においてガタリは「構造」と「機械」を区別します。まず「構造」とは「それを構成する諸要素の位置を諸要素相互にある反転システムによって決定するもの」と規定し「したがって、構造自身が別の構造に対してひとつの構成要素として関係づけられることもありうる」と述べます。ここでいう「反転システム」とは裏表の反転、明暗の反転、プラスマイナスの反転のような二項の差異によって各要素の相互の機能が決定されるものであり、ここでは構造主義のいうところの「構造」が念頭に置かれています。

またガタリは「主体的行為は構造のなかに包摂される」と指摘し「全体が非全体化される構造的プロセスが主体を取り囲み、そのプロセスは主体をある別の構造的限定の内部に回収しうる場合にしか離そうとしない」と述べます。つまり「構造」が可変的な「非全体化される構造的プロセス」であるにしても、主体は常に何かしらの「構造的限定の内部に回収」されることになるということです。

これに対してガタリは「機械」とは「本質的に主体的行為とは無縁である。主体はどこか他の場所にある」として「機械の浮上は構造的表象とは異質の画期、切断をしるしづけるのである」と指摘します。ここでいう「機械」とはひとまず通常我々が思い浮かべるメカニカルな工業機械や産業機械のみならず、マテリアルな質料を伴う物質すべてを含む概念として定位されています。人間や動物の身体も、植物の根も葉も茎も、そして鉱物や大地もガタリのいう「機械」です。


* 対象-機械 a

そしてガタリは「人間存在は機械と構造の交差のなかにとらわれている」といいます。そしてここでいう「交差」を三つの局面からガタリは捉えています。この点、第一の交差は技術革新による新たな機械の登場によって、従来の安定的な構造が揺らぐ事態をいいます。第二の交差はガタリが「反生産」と呼ぶ機械による切断によってもたらされた不均衡や揺らぎを、機械が登場する以前の過去の賛美や機械の登場によって描かれる未来の賛美といった「想像上の再均衡」による「構造的な空間」が立ち現れる事態をいいます。

第一の交差が機械から構造に差し向けられたベクトルであるとすれば、第二の交差は逆に構造から機械に向けられたベクトルであるといえるでしょう。これに対して第三の交差は第二の交差であった「想像上の再均衡」をはかる「幻想の生産」がなされたとしても「対象 a 」が「個人の構造的均衡のなかに仕掛け爆弾のように嵌入する」ことで「幻想の生産」が切断されるという特殊な交差として出現することになります。

ここでいう「対象 a 」は周知のようにフランスの精神分析家ジャック・ラカンが提唱した概念です(ガタリはもともとラカンに師事していました)。ラカンは主体を斜線を引いた「$」と表記し、この斜線は主体がある種の〈欠如〉を抱えていることを示しており、これを精神分析では「去勢」と呼びます。そして人は欠如を抱えた$として、この欠如を埋めようと欲望することになりますが、畢竟この欠如を完璧に埋めることはできず、欲望する$は欠如のひとまずの覆いとして、何らかの対象にこだわりつづけることになります。このような「欲望の原因」を担う対象をラカンは「対象 a 」と名指し、$が対象 a を捉え損ねて延々と空回りをする構図を「幻想 $♢a」と呼びました。

つまり、ガタリはラカンから対象 a という概念を一旦は継承した上でこれを「機械状化」しようと目論んでいるということです。ガタリは$をラカンのように唯一の欠如にこだわり続ける主体ではなく、自分を切り刻んで n 通りに変化する主体として捉え直し、このような主体の相関者としての対象 a もまた、n 個の「対象-機械 a」として捉え直しました。すなわち、ガタリのいう「対象-機械 a」とは「構造」の、つまり代理-表象作用としてのシニフィアン連鎖の交差点であると同時に、その存在はシニフィアン連鎖から切断された「それ自身でしかないもの」であるということです。

このように「構造」と「機械」との間の交差は上述した三つの局面から把握されます。主体は確かに「構造」の座標軸の中にあり「機械」はとって主体は「他の場所」に存在します。しかしながら主体は「機械」とは無縁ではなく「機械」による「切断」の傍らにあり、かつこの「機械」は「構造」としてのシニフィアン連鎖からの「切断」を促す作動原因として、新たな主観性の生産に直接的に結びついているということです。


* オイディプスから機械状無意識へ

こうしてガタリが「構造と機械」で展開した「機械」の概念はドゥルーズとの共著『アンチ・オイディプス』において発展的に継承されることになります。同書では身体を「器官機械」として、自然界の対象を「源泉機械」として、さらには星や虹や山岳といった景色までも機械として把握され、こうした複数の機械の連結プロセスの総体である「欲望機械」による「欲望生産」が行われることが主張されます。

ここで重要なのは「欲望機械」による「欲望生産」は予め「主体」が存在し、その主体が能動的に欲望を抱くようなプロセスではないということであり、機械と機械が相互に連結する際に生成する欲望はあくまでも意識作用が働く前の前-意識作用の層で生起します。こうした視点から「無意識」を性的抑圧からの帰結として捉え「父-母-子」の三項図式から、つまりオイディプス図式から説明する精神分析の方法が批判されることになります。

すなわち、無意識とは抑圧された性的トラウマが浮上し再演され、さらに精神分析家によって解読される「劇場」なのではなく、何ものかを新たに生産する「工場」であるということです。ガタリとドゥルーズが照準しているのはあくまでこの機械連結から生まれる「機械状無意識」の生成に他なりません。

このような「機械状無意識」は後にガタリの著作『機械状無意識』(1979)では「共立平面 plan de consistance」の問題系として、さらにドゥルーズとガタリの共著『千のプラトー』(1980)では「内在平面 plan d' immanence」の問題系として論じられ、意識作用がはじまる手前の前-意識的な身体の情動が触発される地平が一貫して問題にされていくことになります。

こうしてみると我々の日常はさまざまな「機械」によって成り立っているといえるでしょう。人がその主観性を構成する発端には機械の連結が存在します。すなわち、主観性の構成とは例えば部屋に溢れかえるモノであったり、SNSでたまたま目に留まった何気ないつぶやきであったり、四季をめぐる花々の彩りであったりと、さまざまな機械との連結がその基盤にあるということです。

そして、こうした機械と機械との連結による欲望生産とは自らの「宇宙」を構築できるかという問いにまっすぐにつながります。そうであれば、かつてガタリがラボルドで試行錯誤を繰り返したように、このようなさまざまな「機械」の配列をさまざまに組み替えてみることで、我々は新たな欲望に出会い直し、自らの「宇宙」を切り開いていく日常を(再)発明することができるのではないでしょうか。
















posted by かがみ at 22:17 | 精神分析

2024年09月22日

精神病理と民俗



* 強迫性障害の諸相⑴

「強迫性障害 Obsessive-Compulsive Disorder:OCD」とは強迫観念や強迫表象と呼ばれる不安を伴う思考やイメージを解消するため何らかの強迫行動を繰り返し日常生活に支障が出てしまう精神疾患です。「強迫 Zwang」という概念そのものは1867年にリヒャルト・フォン・クラフト=エビングが用いた強迫表象の語に由来し、このような強迫表象をカール・ウェストファルは「強迫表象とは、知能は正常で、感情状態或いは感動状態に関係がなく、当人の意志に反して、或いは意志に矛盾して意識の前景にあらわれ、追い払うことができず、観念の正常な流れを妨げ、当人にとって異常で無縁なものに思われ、健康な意識に対立している」であると定義しています。

このウェストファルの定義によれば強迫にとって第一義的なものは強迫表象ないし強迫観念であって、強迫行為は二義的なものとなりますが、これに対して強迫観念や強迫表象はその背後にある不安に対する防衛として生じているという見解もあります。

フランス語圏では強迫を一種の「狂気 délire」とする見解もありますが、ジークムント・フロイトらの精神分析的な研究により長らく強迫性障害は「神経症」の一種と見做される傾向にありました。もっともDSM-5ではそれまで不安障害 anxiety disorderという大分類の中で転換症などと一緒に並べられていた強迫性障害が大分類として独立させられており、これは強迫性障害の生物学的な基盤が近年はっきりとしてきたことを受け、かつての神経症とは区別して捉えらえようというニュアンスを持った変更であるとされます。

また近年の傾向として、強迫を単一の定まった精神障害としてではなく「強迫スペクトラム障害 Obsessive-Compulsive Spectrum Disorder」として捉え、醜形恐怖、心気症、摂食障害、抜毛症、強迫買い物症、さらには妄想性障害や自閉症の一部を含むものとして考える動きも出てきています。


* 強迫性障害の諸相⑵

強迫性障害においてしばし見られる強迫観念としては、手にばい菌がついているのではないかと不安になる洗浄強迫、特定の動作がきちんとできていないのではないかと不安になる確認強迫、自分が汚れているのではないかと不安になる不潔恐怖、自分が不注意によって他人に危害を加えたのではないかと不安になる加害恐怖、自分に被害が及ぶのではないかと不安になる被害恐怖、重大な病気にかかってしまったのではないかと不安になる疾病恐怖などが挙げられます。また重大なものを捨ててしまうのではないかと思いから、ありとあらゆるものを溜め込んでしまい、結果として家がゴミ屋敷のようになってしまう「強迫的ためこみ compulsive hoarding」も知られています。

そして、洗浄や確認といった強迫行為は必ず強迫観念や強迫表象の後に生じる二次的なものであり、強迫観念や強迫表象なしに強迫行為が一次的に出現している場合は脳炎などの器質性精神障害を考えるべきとされています。

強迫性障害の治療には大きく分けて薬物療法と精神療法があります。薬物療法では主としてセロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が用いられています。強迫性障害の精神療法はかつては力動的なアプローチがなされていましたが、現代では薬物療法に加えて行動療法や認知行動療法が行われており、特に「暴露反応妨害法 Exposure and Response Prevention:ERP」という方法がよく用いられています。

この方法ではまず患者が不安に思っていることを多数書き出し、それらを不安の強さに基づいて階層化します。そしてなるべく不安の強さの低いものから順に、不安を引き起こす事柄に「暴露」されても、強迫行為を行わないようトレーニングしていきます。このような作業を反復的に行うことによって徐々に不安が低減されるようになるといわれています。


* 民俗神経症

精神科医の成田善弘氏は「強迫観念にとりつかれると、今まで健全で、信頼しうる合理的な空間が後退し、世界が変質する。明るい表層の現実が後退し、暗い、不気味な、本来秘密で隠されてあるべきものが顕在化してくる。彼らはいたるところに崩壊、腐敗、死の影を見るため、それを防衛する呪術を展開せざるを得ない」と指摘しています。すなわち、同じ時空間を生きながら強迫症の患者はまったく違う日常を生きているということです。

ところで、このように強迫性障害の特徴である「強迫観念/強迫表象→強迫行動」という「繰り返し」は、ある面において「民俗」と呼ばれるものと共通する要素を持っています。この点、民俗学者の及川高氏は「来るべき日の民俗学−ルーチン・フィードバック・スケール−」(『現代民俗学研究』二号(2010)所収)という論考において民俗学の対象とは人びとが一日、一年といった単位で繰り返す「ルーチン」、すなわち繰り返される日常であり、現代民俗学が解明していくべきは繰り返されるルーチンとそれらが生み出すフィードバックの機制であるというように論じています。

そして、こうした観点から民俗学者の辻本侑生氏は「繰り返すことの民俗学 日常・クィア・強迫症」(『現代思想』2024年5月号「民俗学の現在」所収)という論考において強迫性障害(同論考では強迫症と表記)への民俗学的アプローチの試みを論じています。

まず同論考において氏は精神科医、北山修氏の「病的であれ日常的なものであれ、私たちが共有する祟り、祓い、汚れなどの習俗に根ざした訴えを同形に共有する事例を私は「民俗神経症」と呼んでいる」という言葉を引用しつつ、民俗学と比較的親和性のある強迫症の症例報告をいくつか取り上げています。

例えば「忌み言葉」など縁起担ぎと呼ばれる民俗事象がありますが、縁起担ぎの度が超えるとその人が「縁起が悪い」と思っているものに触れた途端、着替えたり、必要以上に手を洗ったり、といった行動に支配され、日常生活が困難になる「縁起強迫」と呼ばれる症状となります。また神仏への信仰も日常に根ざした民俗事象ですが、これが一線を超えて例えば神仏像の前を通るたび「ごめんなさい」と謝罪しなければ気が済まなくなったりすれば、それは「瀆神強迫」と呼ばれる強迫行為となります。


* 民俗学的手法と当事者研究

このように精神病理学においては強迫症に見られる「民俗的なるもの」の要素を指摘しています。では民俗学においては強迫症にいかなるアプローチができるのでしょうか。

この点、辻本氏自身、2015年から強迫症に罹患しており、特に「他人に何か危害を加えてしまったのではないか」という「加害恐怖」に支配され、それを打ち消すため、本当に危害を加えていないか、来た道を何度も確認する強迫行動に支配される日常を繰り返していたそうです。もっとも症状がひどい時には恐怖が原因で新宿区の打ち合わせ会場から当時暮らしていた品川区の実家まで来た道の確認を繰り返し、帰宅するのに5時間かかったことがあると氏は述べています。

そこで氏は日々の生活をノートに記録した上で、どういうタイミングに強迫観念が襲い掛かるのかという分析を行ったそうです。これは日常生活を捉える民俗学的手法であると同時に、精神疾患を有する人々が自身の症状を分析し、より良い生を送ろうとする「当事者研究」と呼ばれる手法に強く影響を受けているとのことです。

そして分析の結果、氏は楽しかった飲み会や自身が進行して首尾よく議論が進んだ仕事での会議の帰り道など、幸せなことや物事が上手くいったことの後に加害恐怖が襲い掛かりやすいことが明らかになったといい、このような幸せなことがあった後に強迫観念が襲い掛かるという分析結果は川島秀一氏がフィールドワークをもとに示した東北地方太平洋沿岸部の災害観と極めてよく似ていると述べます。

ここで川島氏が漁師から聴き取ったという「大漁が続いた後には、何か不幸なことが起こる」という感覚は幸福と災害が繰り返し現れ、幸福なことの後に不安に苛まれるという強迫症ではない人々も有する民俗的な心性を見出すことができるでしょう。ここでは個人的な日常に生起する状況を理解する上で、一見離れた地域の災害観が極めて重要な補助線をなしており、こうした事例をつなぎ合わせることで日常的な「被災」状況を過ごしている強迫症の人々は「異常」とされない人々が生きている日常に自らを接続することができるのであると辻本氏は述べています。


* 精神病理と民俗

日本民俗学の祖、柳田国男は民俗学の対象となる「民俗資料」を「有形文化」「言語芸術」「心意現象」に分類しています。これは「三部分類」と呼ばれています。その第一部「有形文化」は日々の暮らしの物質的側面であり、物体として可視的に存在するゆえに目によって観察ができるため、それは誰でも採集が可能なものです。その第二部「言語芸術」は暮らしの中にある言葉の営みであり、口から語られ耳で聴き取られるものであるため、それは当該言語を理解する者によって採集されます。

そして、その第三部「心意現象」は人の心に刻まれ心で感じるものであることから、それは「同郷人」によって採集されることになります。なお、ここでいう「心意現象」の典型は「〇〇をしてはいけない」という「禁忌」であり、また「同郷人」とはこのような「心意現象」を共有できる広い意味での当事者を意味しています。

こうしてみると強迫性障害の枢要部にある強迫観念や強迫表象はいわば属人的な「心意現象」であるといえるでしょう。そしてある地域社会において「伝統」や「風習」や「しきたり」などと呼ばれる民俗的事象とは、その地域における集団的な強迫行為であるともいえそうです。

すなわち、精神病理学が扱う「疾患」とは決して「異常」な「非日常」ではなく、むしろ民俗学が扱うような「伝統」や「風習」や「しきたり」などと呼ばれる「正常」な「日常」と地続きであるといえるでしょう。そうであれば、こうした観点から精神病理学と民俗学を架橋することにより「正常/異常」や「日常/非日常」といった二項対立を揺るがしていくような知を得ることができるのではないでしょうか。























posted by かがみ at 21:23 | 精神分析