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2026年08月21日

昭和の憲法学者・昭和の文人・昭和の生活者



*戦後民主主義から敗戦後論へ

「戦後民主主義」といういまや色褪せたかに見える「大きな物語」があります。ここでいう「戦後民主主義」という言葉は論者や文脈によって様々な意味を帯びる言葉ですが、その最大公約数的な意味を取り出せば差し当たり日本国憲法の掲げる基本的人権の尊重や法の下の平等、そして戦争放棄による平和主義といった理念に基づく制度や価値を示す概念であるといえます。

この戦後民主主義の根底には多大な犠牲者を出した先の戦争体験がありました。そのため現実の国際政治から乖離していると批判されがちな戦争放棄の主張も少なくともある時期までは日本が世界に先駆けた理想の姿と捉えられ、知識人、マスメディア、教育現場を通して多くの人々を魅了したことは確かです。

その一方で戦後民主主義は占領期の「押し付け憲法」がもたらした「上からの民主化」という側面があることもまた否定し難い事実であり、それゆえに戦後民主主義に対する反発は1950年代以降、たびたび憲法改正論、自主憲法制定論という形で噴出することになり、やがて「戦後民主主義」という言葉自体が否定的に意味合いで用いられるようになります。こうしたなか、戦後50年目を迎えた1995年に文芸評論家の加藤典洋氏が発表した「敗戦後論」はこの戦後民主主義の起源にある「ねじれ」を論じ、大きな論争を巻き起こしました。

加藤氏はこの論考の冒頭に次のような個人的なエピソードを置いています。氏が小学生の2年生くらいの頃、学校の遠足の途中で別の学校の集団と出くわし、両校から代表者が出て相撲を取ることになります。氏の学校の代表が土俵際に追い詰められた時、偶然にも足が相手の腹にかかり、それがあたかも「巴投げ」を仕掛けたかのような様相を呈します。その時、氏の学校の生徒が一斉に拍手をして囃し立て、ここで一瞬のうちに「相撲」は「柔道」へ変わります。氏は「その時の後ろめたさを忘れない」といい、1945年の敗戦時に起きたこともやはり「あれだ」と述べます。

「敗戦後論」の出発点にあるのは日本は先の戦争中にアジア諸国に対して行ったさまざまな侵略行為の責任をとっていないという問題提起です。その原因につき氏は戦後日本における「ねじれ」の問題にあるといい「戦後とは何か。それはすべてのものがあべこべになった、『さかさまの世界』である。そして、それが誰の眼にも「さかさま」には見えなくなった頃から、わたし達はそれを「戦後」と呼び始めている」といいます。

「戦後」が「さかさまの時代」であるとは、かつて自分を動かした「理」または「義」が「じつは唾棄すべきもの、非理であり不義である」と認めざるを得ない「ねじれ」が「生の条件」であるということです。そして「火事の中、地面に倒れた、と、誰かが自分の上に覆いかぶさり、気がついたら、その人は灰となり、すでに火は消え、自分はその灰に守られ、生きていた」とき「自分の真っ先にすべきことが、自分を守って死んだその人を否定することであるとしたら、そういうねじれの生の中に、そもそも「正解」があるだろうか」と氏は述べます。

ところが氏によれば戦後日本においてはこうした「ねじれ」が「ねじれ」としてすら受け止められておらず「その結果、わたし達は、このねじれについて考えようとすれば、まず、その「ねじれ」を指摘することから、はじめなくてはいけない」ことになります。そしてこの「ねじれ」の一つの証左としてまず氏が取り上げるのが現行憲法をめぐる「ねじれ」です。


* 憲法をめぐる「ねじれ」

周知のように現行憲法の第9条はその第1項において「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳い、その第2項において「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定します。しかし加藤氏は現行憲法自体が連合軍総司令部の発意により作成され、まさに「武力による威嚇」のもとで「押し付けられた」という「憲法の手にされ方と、その内容の間の矛盾、自家撞着」からくる「ねじれ」を指摘した上で、さらにその「ねじれ」の中にある「押し付けられた」という「汚れ」が戦後において直視されず、抑圧されてしまっているといいます。

そして、このような「二重になった」現行憲法をめぐる「ねじれ」を白日に曝し「ねじれているが、よいものだ」という形にしない限り「わたし達は、最初からこの平和憲法を実質的には自分で欲したのだと考えるか。最初からこの平和憲法を欲していないし、いまも欲していないのだと考えるしか無くなる」と「わたし達は自分をいつわるしかなくなる」と氏は述べます。

もちろん「事実を見れば」戦後においてはこの「押し付けられた平和憲法」を「ともかくもかろうじて自力で保持してきた」のであり、今では「案外使えるものじゃないか」というような「自前の評価」を持つまでに「自分ふうに、根付かせてきている」といえますが、その結果、確かに憲法を自分で作ったのでないけれど、その過程は重要ではなく「実質が大切なのだ」と考えるようになった「憲法を憲法として尊重しない、不思議な立憲国国民」が生まれます。以上から加藤氏は問題を次のように定式化します。

わたし達はこの平和憲法保持は、この「強制」の事実に眼をつむることによって完遂された。わたし達はこれを擁護し、また否定しようとしてきたが、そのいずれも現実を直視したものではなかった。現実はどうだったか。わたし達は「強制」された。しかし、わたし達は根こそぎ一度、説得され、このほうがいい、と思ったのである。とすれば方法は一つしかない、強制されたものを、いま、自発的に、もう一度、「選び直す」というのがその方法である。


現行憲法をめぐる従来の主張として、一方では護憲論者による平和憲法は当時の旧体質の日本政府にこそ「押し付け」られたけれど、民主的改革を望んでいた日本人民には熱烈に支持されたという実質的憲法「かちとり」説、平和条項は戦争の死者の犠牲によって日本国民に与えられたいわば贈り物なのだという憲法形見説、あるいは押し付けられたのは事実だけれど、以後、実質的に日本国民によって長きにわたって保持されることで、この初発の「汚れ」は消えているという押しつけ消化説といった主張と、他方では改憲論者によるこの押し付けられた亡国的な憲法に代わり自主憲法を制定せよという主張が挙げられます。

しかし従来の憲法論は護憲論にせよ改憲論にせよ、加藤氏によれば「彼らは、そういう主張を行うにはすでに自分が汚れているという自覚をもたない点」で共通しており「この二つは、戦後日本に汚れのない無垢を起点とする主張が可能だと、無意識のうちに想定している点」で「対立者であるというより、むしろ双生児的存在」であるとされます。こうしたことから氏は現行憲法をめぐる「ねじれ」に立脚した上で「この憲法の精神を尊重するがゆえに、この憲法をもう一度「選び直す」べき」であると主張し、こうしたあり方こそが「敗戦国の国民」に求められる「勇気ある態度」ではないかと述べます。


* 戦後社会におけるジキル氏とハイド氏

ここから加藤氏は敗戦直後の「初発の現場」において美濃部達吉、津田左右吉、中野重治、太宰治といった知識人、文人が持っていた「ねじれ」の感覚を論じた後、この「最初の数年」が終わる1948年あたりから「戦後」が始まっているとして、この敗戦後ならぬ「戦後」の本質とは日本社会が「いわば人格的に二つに分裂していることにある」といいます。どういうことでしょうか?

端的にいえば「戦後」の日本社会において改憲派と護憲派、保守と革新という対立をささえているのはいわばジキル氏とハイド氏といったそれぞれ分裂した人格の片割れの表現態に他ならないということです。その時事的な例として加藤氏は当時、3人の閣僚が過去の戦争は侵略戦争ではないといった類の失言がもとで大臣の座を去ったいう出来事をあげ、これらの失言は自分の揺るぎない信念として述べたものではなく、その歴史認識を問われるとすぐに平身低頭して前言撤回するという「憐れむべきていたらく」であったとしつつ、このような事象が反復する背景として精神分析学者、岸田秀氏の次のような分析を援用します。

岸田氏によれば1993年8月、自民党支配の終わった細川政権成立後に生じたこれらの「日本は正しい」とする発言というのは、実は先の戦争をこれまでにない明確さで侵略戦争であると認め「日本は間違っていた」とする細川発言と「セットになっている」ということです。つまり「細川発言があったからこそ、これらの発言が現れた」と考えるべきであるということです。

こうした岸田氏の理解は人間を本能の壊れた幻想的存在と見た上で、そのような幻想的存在として一つの社会をも見ていくという唯幻論と呼ばれる立場によるものですが、それによれば日本社会は近代の開国以来、いわば人格分裂として生きており、日本はペリーの砲艦外交で一挙に開国させられ「自分の軍事的無力さ」「近代西洋文明との落差」を思い知らされることで以後、人格の統一を失い、外向きの自己(外的自己)と内向きの自己(内的自己)に分裂したということです。つまり今回の閣僚発言はその分裂から現れた「内的自己の爆発」だというのが岸田氏の解釈です。

そして加藤氏はこうした岸田氏の考えは「戦後」を考えるにあたり「かなり有効な考え方の糸口」を提供しているのではないかといいます。すなわち、この日本社会における「人格分裂」とは敗戦がもたらしたあの「ねじれ」を「意識下に押し込め、見えなくした、その深い自己欺瞞の結果」として現れた現象であるということです。つまり閣僚発言が「内的自己」の爆発だったとすれば、それに先立つ細川発言は「外的自己」の表現であり、この両者が「セットになっている」とは、ここで「内的自己」と「外的自己」が均衡を取ろうとしているということです。

そして、このような分裂はさまざまな相を持っており、改憲による自主憲法制定論と護憲による平和原則堅持論の対立もその一つの典型的な現れに他なりません。しかし加藤氏によれば両者は「どこか精神の双生児を思わせる、潔白な信念への信従」という点で共通していると同時に、両者共に欠落しているのも、やはりあの「ねじれ」の感覚であり、さらにもう一歩、踏み込んで言えば対立者を含む形で自分達を代表しようとする発想が欠けているということです。ではこのような外的自己と内的自己の分裂、ジキル氏とハイド氏の分裂はどのようにすれば克服できるのでしょうか?


* 死者をめぐる「ねじれ」

ここで加藤氏は両者の「対立の様相を最もよく示す」ものとして「死者との関係」を挙げます。氏によれば「いったん、死者との関係に眼を向けるなら、先の戦争に敗れ、いまわたし達が生きているのがねじれた世界であることの意味が、もう少し違った意味で、誰の眼にもはっきりする」ということです。

史実として第二次世界大戦とは「日本人にとってはじめての国家規模の回復不可能なまでの敗北に終わった戦争」でしたが、それ以上にこの戦争は単に「負けいくさに終わった戦争」というだけではなく「道義的にも「正義」のない悪い戦争」だったことが「これまでにない新しい意味をもっている」と氏はいいます。すなわち「これまでの戦争の死者といえば、どのようないくさの場合でも、わたし達は死者を厚く弔うのを常としてきた」はずですが「第二次世界大戦は、残された者にとってそこで自国の死者が無意味な死者となるほかない、はじめての戦争を意味していた」ということです。

その結果「戦後日本の外向きの正史」は「日本の侵略戦争を公式に認め」て「日本がまず謝罪すべき死者として二千万のアジアの死者をあげ」る一方で「三百万の自国の死者、特に兵士として逝った死者たちへの自分たちの哀悼が、この謝罪とどのような関係におかれるかを、明示すること」なく「侵略された国々の人民にとって悪辣な侵略者にほかならないこの自国の死者を、この正史は”見殺し”にする」ことになります。

しかしそれゆえに「この打ち捨てられた侵略者である死者を”引き取り”、その死者とともに侵略者の烙印を国際社会の中で受けることが、じつは、一個の人格として、国際社会で侵略戦争の担い手たる責任を引きうけることの第一歩だとは、このジキル氏の頭は、働かないのであ」り「ここで三百万の自国の死者はいわば日陰者の位置におかれる」ことになり「あの靖国問題は、このことの正確な陰画、この「空白」を埋めるべく三百万の自国の死者を「清い」存在(英霊)として弔おうとする内向きの自己、ハイド氏の企てなのである」と加藤氏はいいます。

こうしたことから「ここに欠けているのは、これらの平和主義者、また靖国神社法案推進者双方に共通する、戦争を通過していまわたし達がここにいるという、敗戦者の自覚、「戦争通過者」の自覚」であるとして、氏はこうした死者をめぐる「ねじれ」の問題につき次のように述べます。

悪い戦争にかりだされて死んだ死者を、無意味のまま、深く哀悼するとはどういうことか。

そしてその自国の死者への深い哀悼が、たとえばわたし達を二千万のアジアの死者の前に立たせる。

そのようなあり方がはたして可能なのか。

ここではっきりしていることは、ここでも、この死者とわたし達の間の「ねじれ」の関係を生ききることがわたし達に不可能なら、あの敗戦者としてのわたし達の人格分裂は最終的に克服されないということだ。


ここにいわれているのは、一言にいえば、日本の三百万の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼をつうじてアジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪にいたる道は可能か、ということだ。



*「ねじれ」の核心点としての被害者意識

加藤氏の「敗戦後論」が世に出た1995年という年は戦後50年という区切りの年であり、東西冷戦も終わり、湾岸戦争を経て全く新しい世界秩序が模索されていた時期でした。このような状況の中で日本の外交はアジア諸国と新たな関係を構築する必要を迫られており、そのためには先の戦争について踏み込んだ謝罪が必要だという機運が高まっていました。

同年8月15日、当時の首相であった村山富市氏がいわゆる「村山談話」を発表し、かなり踏み込んだ表現での謝罪がなされています。しかしながら、これに先立って加藤氏が「敗戦後論」で示したものとは、いくら日本がかたちだけの謝罪をしてみせてもそれは謝罪にならず、いまだ日本は謝罪が可能になる地点に至っていないという認識でした。

ここから加藤氏は先述のように事実上、こうした「ねじれ」を克服すべく、まず日本は自国の三百万人の死者を哀悼すべきであり、それによって初めて、彼らを含めた謝罪の主体としての「わたし達日本国民」が成立し、アジアの死者二千万人への謝罪と哀悼も可能になるといった趣旨の主張をすることになります。

周知のように「敗戦後論」が発表された後、加藤氏は激しい批判を浴びることになります。特に加藤氏に対して最も激しい批判を行ったのが哲学者の高橋哲哉氏です。加藤氏と高橋氏の間の応酬はのちに「歴史主体論争」と呼ばれることになります。高橋氏が「汚辱の記憶をめぐって」と題する「敗戦後論」を批判した戦争責任論における「汚辱の記憶を保持し、それに恥じ入り続けるということは、あの戦争が「侵略戦争」だったという判断から帰結するすべての責任を忘却しないということを、つねに今の課題として意識し続けるということである」という一節はよく知られています。

これに対して國分功一郎氏は近著『天皇への敗北』(2026)で「敗戦後論」を取り上げ、同論考にまた異なる角度から光を当てる議論を展開しています。同書において國分氏はこの高橋氏の批判が妥当であることは認めつつも、記憶が保持されていたとしてもそれに「恥じ入る」ことができない場合があることを指摘します。責任が忘却されないよう事実を突きつけても一向に責任感が生まれない場合があるということです。

人は罰されたからといって必ずしも自分が悪かったとは思うとは限りません。そして加藤氏は「敗戦後論」の「最良の部分」において、そのような問題提起をしていたと國分氏は述べています。どういうことでしょうか?

この点、國分氏は加藤氏が死者をめぐる「ねじれ」において「決して日本が行った侵略戦争の責任を否定するわけではないが、やはりまずは自国の死者を追悼すべきだし、追悼したい」という日本国民の一部にあるであろう「国民的な欲望」とでも呼ぶべき問題に触れているにもかかわらず「それをそのようには語らなかった」として、こうした「国民的な欲望」が表現しているのは「自分たちはむしろ被害者だ」という「被害者意識」に他ならないと指摘します。

この「被害者意識」を温存したままでは日本は戦争について責任を取ることはできないし、謝罪する地点に到達することもできない。したがって加害者としての日本は自らの被害者意識を直視しなければならない。けれども日本はまるで「戦争によって生まれ変わったかのような顔」をしてきた。本当は自分たちが被害者だと思っているのに、それに目を向けようとしない自己欺瞞。これこそが加藤氏のいう「ねじれ」の意識の欠如です。

ところが加藤氏は「それに接近しつつも、誰を先に哀悼すべきかという問題」に向かってしまいます。日本の戦争責任を問うことにおいて最も大切なことは「日本が二度と戦争や侵略行為を起こさないようにすること、日本に再犯させないこと」であり「ねじれ」の指摘はあくまで「加害者たる日本が自らの加害に向き合えない原因として指摘される限りにおいて意味がある」のですが、加藤氏の議論においてはこの「日本に再犯させないという点が忘れられている」ということです。

当然ながらここには「なんで加害者についてそんなことまで考えてあげなければならないのか」という自然な反発が予想されるでしょう。しかし、こうした反応を繰り返してきたことで「むしろ日本国民の被害者意識は温存されてしまった」ともいえるでしょう。

「平和憲法」によって自分たちは生まれ変わったのだという顔をしてながら「それを堅持することが我々の反省の証しである」と自分たちに言い聞かせることはある意味では「楽なこと」ではあります。なぜならば敗戦を経た日本は本当は何も変わっていないのに、米国による占領によって与えられた価値観に便乗することで「自分たちは変わったのだ」「自分たちは反省している」と信じることができるからです。これこそ加藤氏が「ねじれ」という言葉を通じて言いたかったことの核心ではないか、と國分氏は述べています。


* 昭和の憲法学者・昭和の文人・昭和の生活者

ここから國分氏は「ねじれ」を生きた「昭和の憲法学者」と「昭和の文人」として、加藤氏も取り上げている美濃部達吉と中野重治を論じています。美濃部は帝国憲法改正の手続きに見逃せない「ねじれ」があることを指摘し、あるべき憲法の第1条は「日本帝国ハ聯合国ノ指揮ヲ受ケテ 天皇之ヲ統治ス」であると述べています。中野は共産主義からの「転向」という「ねじれ」を自覚しながらも、これまでの過去を捨て去ることなく、転向後に発表した小説「村の家」における「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います」という言葉に集約される「一身にして二生を経るが如」き道を選びます。

こうしてみると「ねじれ」に対する責任の取り方としてはさまざまなものがあることがわかります。ここでは自身の「ねじれ」に向き合った上で、極めて独特なやり方でその責任を取ろうとした、いわば「昭和の生活者」の例として花森安治を取り上げてみようと思います。

『暮しの手帖』の初代編集長である花森安治は戦時中、大政翼賛会の宣伝部に所属していたことでも知られています。敗戦後、失職した花森は生活のため旧友の伝で『日本読書新聞』でカット描きの仕事をしていたところ、当時、同紙の編集者であり後に花森とともに「暮しの手帖社」を立ち上げることになる大橋鎭子から「女の人たちのための出版をやりたい」と相談を受けます。その時、花森は大橋に次のような言葉で答えたとされています。

今度の戦争に、女の人は責任がない。それなのに、ひどい目にあった。ぼくには責任がある。女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起きなかったと思う。だから、君の仕事にぼくは協力しよう。

「『暮しの手帖』と半世紀」


もしも花森が実際にそう述べたのだとしたら、ここで彼のいう「責任」とはおそらく、戦時中に彼が行ったとされる一連の仕事と無関係ではないでしょう。大政翼賛会宣伝部員としての花森は「あの旗を射て」「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などといった一連の戦意昂揚スローガンを作った人物として語られる傾向があります。もっとも実際には「あの旗を射て」は1942年に広告人集団「報道技術研究会」が花森の注文を受けて作ったものでしたし、また「欲しがりません勝つまでは」や「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」も同年、大政翼賛会が主催する「国民決意の標語」への応募作から花森が選んだものです。

このことについて花森は明確には語っていません。しかし花森は仕事とはいえ、こうした標語を依頼したり選んだりすることで戦争に協力してしまった自身の過ちを明確に自覚していたのではないでしょうか。実際、花森はこの時の心情を後年、次のように語っています。

ボクは、たしかに戦争犯罪を犯した。言訳をさせてもらうなら、当時は何も知らなかった、だまされた。しかしそんなことで免罪されるとは思わない。これからは絶対にだまされない、だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予にしてもらっている、と思っている。

1971年『週刊朝日』


花森と大橋が創刊した『美しい暮しの手帖』はやがて『暮しの手帖』とタイトルを変え、他誌とは一線を画する独自の誌面作りによって一時期、その発行部数は百万部を超え「新しい国民雑誌」と呼ばれるほどの影響力を持つに至ります。

同誌の名物企画に1954年から始まった商品テストがあります。これは日用品や生活家電を独自にテストし、生活者の視点から長所と短所を論評して企業に改善を求めるという企画です。この商品テストは高度成長期における日本の工業製品の品質改善のきっかけになったとも言われています。

花森は権威を監視し採点する機能がない社会は不健全な社会だと考え、商品批評によって大企業をチェックし続けようとしました。彼の掲げた「一人ひとりが自分の暮しを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中に」という理念と「暮しの変革を理念よりも日常生活の実践を通して」という方針に貫かれた『暮しの手帖』はただのライフスタイル誌ではなく、反商業主義、生活者本位、平和主義、反戦・反差別、中立といった立場を旗幟鮮明に打ち出した非常に尖った雑誌であったといえます。

こうして花森は1978年(昭和53年)に66歳で急死するまで『暮しの手帖』というただ一つの砦に編集長として立て篭もり続けます。毎号、多くの記事やキャッチコピーを書くのはもちろん、イラスト、描き文字、レイアウト、写真撮影、新聞広告や電車の吊り広告まで、そうしたすべてを花森は自分ひとりで、決して他人にはマネのできないクセの強い仕方でやってのけます。こうした一連の仕事は花森自身の「過去の罪」に対する彼なりの「責任」の取り方だったのかもしれません。

こうした花森の生き方は個人が自身のうちに抱える「ねじれ」にいかに向き合うのかという問題に対する地に足のついたかたちで示された一つの回答でもあるといえるでしょう。そして、このような花森の生き方はいまや色褪せたかに見える戦後民主主義という物語をあの敗戦によって生じた「ねじれ」から読み直すための大きな手掛かりを示しているといえるでしょう。















posted by かがみ at 02:10 | 精神分析

2026年07月26日

リトルネロと暮らしの哲学



*〈自閉〉とは何を行なっているか

アメリカ精神医学会が刊行している『精神疾患の診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders :DSM』の最新版(DSM-V-TR)では「自閉スペクトラム症 Autism Spectrum Disorder:ASD」の診断基準となる行動上の特徴として「社会的コミュニケーションおよび対人的相互作用における持続的な欠陥」に加え「限定的で反復的な行動、関心、活動のパターン」が記されています。ここでいう「限定的で反復的な行動、関心、活動のパターン」とは具体的には⑴常同的、反復的な行動、対象の使用、発話、⑵同一性への固執、ルーティーンへのこだわり、儀式的な行動、⑶きわめて限定的で固定的な関心、⑷感覚刺激に対する過敏と鈍感、環境の感覚的側面に対する並外れた関心をいいます。

こうしたASDにおける行動上の特徴をめぐる従来の議論は、それは治療すべき症状であると否定的にみるにせよ、あるいは反対に、それは才能や美点であると肯定的にみるにせよ、いずれにしても、いわゆる「正常」と比べて何かが決定的に「欠けている」という意味での「異常」として捉える点では一致していると思われています。

これに対して小倉拓也氏は『〈自閉〉の哲学』(2026)において「主体」や「他者」といった特権的な中心を想定することのない主体の生成プロセスを〈自閉〉と呼び、こうした〈自閉〉についてそれが何が「欠けているか」ではなく、何を「行なっているか」を哲学的に洞察していきます。つまり〈自閉〉における常同的、反復的行為には、それ自体は必ずしも欠如ではない「同じでいる力」「反復する力」があると同書は考えます。ここで同書の重要な参照項となるものが「リトルネロ ritournelle」と呼ばれる概念です。

「リトルネロ」とはいわゆる「ポスト構造主義」を代表するフランスの哲学者ジル・ドゥルーズと「制度論的精神療法」の実践で知られる精神分析家フェリックス・ガタリがその共著『千のプラトー』(1980年)の第11プラトーにおいて大々的に論じた概念です。「リトルネロ」とは本来は音楽用語であり、楽曲のなかの反復し、循環する部分を指すものですが、ドゥルーズ=ガタリは同書においてこれを哲学的な概念へと練成していきます。

『千のプラトー』においてドゥルーズ=ガタリはリトルネロを三つのアスペクトを有するものとして論じています。この三つのアスペクトを『〈自閉〉の哲学』はそれぞれ「T カオスのただなかで中心をつくり出すこと」「U その中心のまわりに輪を描き、限界づけられた空間を組織すること」「V 輪を開き、外に出て、それまでとは異なる運動や身振りや音に接続すること」であると説明します。注意すべきはドゥルーズ=ガタリがこれらは継起的な進展の関係にある三つの段階ではないと主張している点です。まず第一のアスペクトは次のような印象的な文章で描かれる場面です。

T 暗闇に子どもがひとり。恐くても、小声で歌を歌えば安心だ。子どもは歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに静けさをもたらすものだ。子どもは歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌そのものがすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスのなかに秩序をつくりはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれないという危険もある。

(『千のプラトー』より)


ここで問題になっているのは「カオス」のただなかにおいて、安定した空間の前ぶれとなるような、未だ脆く不確かな中心を作り出すための営みに他なりません。ここでいう「カオス」とは、「暗闇」の例からも分かるように、そこに呑み込まれてしまうようなノッペリとした未分化な深淵(差異の皆無)でもあり、あるいは逆に、まばたきするたびに転変していくような情報過多的、感覚過敏的な状況(差異の過剰)でもあります。こうした差異の皆無、あるいは差異の過剰も、一切がそこに溶け込んだり埋没したりするがゆえに、準拠も分化した方向もなく、自己を位置付けられないという点では同様の事態であるといえます。

そのなかでいつものあの歌を歌うこと、つまり常同的、反復的な行為は、溶け込んだり埋没したりすることのないある際立ちを作りだし、差異の皆無に対しては最小限の差異を、差異の過剰に対しては最小限の同一性を生み出します。こうした一時的な準拠ができ、方向が分化し始めることで、子どもはただ立ち尽くすだけでなく、手探りで歩き出したり立ち止まったりすることができるようになるということです。


* テリトリーを作り、外に出る

ここで述べられている幼い子どもとその歌はあくまでひとつの例であり、子どもであれ、大人であれ、さらにいえば動物であれ、常同的、反復的な行為こそが差異も同一性もないカオスに最小限の差異あるいは同一性を生じさせ、自己の構成を可能にするということです。しかし、ここで構成された自己はあくまでも一時的なものであり「歌には、いつ分解してしまうかもしれないという危険」もあります。このような原理的な一時性が仮に歌を止めてもその中であれば自己が持ちこたえられるような、一つの空間を組織化する第二のアスペクトを要請することになります。 
 
U いまや、反対に、我が家にいる。しかし、我が家はあらかじめ存在しない。脆く不確かな中心のまわりに輪を描き、限界づけられた空間を組織しなければならなかった。あらゆる種類の目印やマークなど、きわめて多様なたくさんの要素が関わってくる。(…)それら要素は、一時的に中心を定めるためのものではなく、ひとつの空間を組織するためのものである。こうして、カオスの力か可能なかぎり外部にとどめ置かれ、内部空間が、遂行すべき課題やなすべき仕事を生み出す力を保護するようになる。

(『千のプラトー』より)


ここでいう「我が家」とは馴染みのある場所という意味であり、ここで特権的に出される例は自分で歌う歌ではなく、テレビやラジオから流れる生活音です。これらの音は自分で歌う歌をいわば肩代わりしてくれるものであり、こうした音が流れる「我が家」の存在がカオスに抵抗するために割かなければならない力を、例えば勉強や創作といった別の営みに利用することを可能とします。

リトルネロはこの第二のアスペクトにおいて厳密な意味でのテリトリーを構築することになり、その中で自己はより明確なものとなります。そしてリトルネロの第三のアスペクトは我が家、すなわちテリトリーを前提にその外に出るということです。

V 最後に、輪を少し開き、解放し、誰かをなかに入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分自身が外に出ていき、駆け出す。輪が開かれるのは、カオスのかつての力が押し寄せてくる側にではなく、輪そのものによって作り出された別の領域のなかにである。あたかも輪が、みずからが保護した活動状態の力によって、自分自身を未来に開こうとしているかのように。(…)ささやかな歌に身をゆだね、我が家の外に出る。子どものいつもの道筋をしるしづける運動や身振りや音の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽吹きはじめる。それまでとは異なるループ、結び目、速度、運動、身振り、音とともに。

(『千のプラトー』より)


リトルネロの第三のアスペクトは、このようにテリトリー化された力を元手にして、それとはまた別種の力、つまりテリトリーの外の感覚不可能だった力を新たに把握し、感覚可能にする「脱テリトリー化」を引き起こします。そしてドゥルーズ=ガタリはこのようなリトルネロの第三のアスペクトの特権的な形象をカオスに抵抗するささやかな歌でも、カオスを選別し力を蓄える我が家の音でもなく、感覚不可能な力を把握して感覚可能にする「芸術」、とりわけ「音楽」に見出していきます。


* リトルネロの脱〈自然〉化

では〈自閉〉における常同的、反復的行為はこうしたリトルネロにおける「テリトリー」を構築しうるものなのでしょうか。この点、ドゥルーズ=ガタリによればテリトリーとはコード化された環境における「機能」に還元されない脱コード化/再コード化としての「表現」と「所有」の発生により構築されると考えられています。例えば南米に生息するハバシニワシドリは美しい鳴き声で知られる鳥ですが、地面に落ちている葉を裏返すことで「ステージ」を設け、その上で歌うことでテリトリーを主張しますが、この時、地面に落ちている葉は単に地面に落ちている状態から引き離され、独自の質と表現性を持ち始め、固有性を示す事になります。

こうしたドゥルーズ=ガタリの「機能」「表現」「所有」をめぐる議論からすると〈自閉〉の常同的、反復的な行為はコード化された機能的な環境にあまりに密着しているがゆえに、自立した表現的な質を欠きテリトリーを構築し得ないということにないそうです。ですがその一方で〈自閉〉における常同的、反復的な行為は仮に機能からの離脱が不十分で表現的といえる質の発現に至らなくても、例えば「こだわり」というかたちでの「所有」性があればそれをテリトリーとみなすことができるとも考えられそうです。つまりここに「表現なき所有」によるテリトリーの可能性を見出すことができるということです。

リトルネロの三つのアスペクトとはカオスのただ中でのコード化された自然の回路からテリトリー化、脱テリトリー化を通した一連の離脱現象であり、ドゥルーズ=ガタリはこうした離脱現象を通して到達する芸術としての音楽をコード化された自然の回路とは別種の、音楽的に共鳴する大文字の〈自然〉のもとに理解しています。しかしそれは巧妙に隠されたドゥルーズ=ガタリの「正常」イデオロギーであるともいえるでしょう。

『〈自閉〉の哲学』において小倉氏はこれに異を唱え、リトルネロを脱〈自然〉化する理路を探っていきます。それは〈自然〉を最終目標とする機能からの離脱や表現的な質の発現なしに、その〈自然〉な進展なしに、非〈自然〉的な手段で「所有」を作りだす常同的、反復的な行為としてのリトルネロをテリトリーを構築し、自己を構成する営みとして肯定するものとなります。


* 移行対象と自閉対象

そこで同書はまずドゥルーズ=ガタリがこの文脈で言及する「移行対象 transitional object」と、自閉症に特徴的に見られる「自閉対象 autistic object」の差異に注目します。ここでいう移行対象とはドナルド・ウィニコットによる精神分析上の概念であり、幼児にとっての「最初の所有物」にして「内的現実と外的現実を分離しつつも相互に関係させておく」ことを可能にする対象を指しています。

その典型的な例が幼児が肌身離さず持っている毛布とかぬいぐるみですが、ウィニコットは幼児の喃語や子どもが寝ようとしている時に口ずさむ歌や曲のレパートリーも含めており、この意味で移行対象はリトルネロに近い現象だといえます(もっともドゥルーズ=ガタリは移行対象とテリトリー化の要因となる事物である「表現の質料」を区別しています)。

これに対して自閉対象とはイギリスの精神分析家フランセス・タスティンが概念化したものであり、移行対象と同じく幼児がそれによって安心を得る対象でですが、移行対象と異なり、自閉対象は現前と不在、自分と自分でないものといった「全か無か」の二者択一において、それらを媒介するのではなく、その一方である現前や自己に固執し、もう一方である不在や自分でないものをシャットアウトするバリアとして機能します。こうした自閉対象の典型例はミニカー、電車のおもちゃ、金属製の日用品などといった硬質でメカニカルな対象が好まれる傾向にあります。

そして同書は自閉症における自閉対象へのこだわりは内面的な自己同一性を確保することが困難な状況で外面的な安定性に頼って自己を確保しようとするものであり、そこにある種のテリトリーの構築と自己の構成を見出しています。一方でドゥルーズ=ガタリがこうした自閉対象に対するこだわりをテリトリーの構築と自己の構成として容認しないのはそれらはどうしようもなく機能的であり、表現的ではないからです。換言すればそれらがその暫定性と局所性ゆえに持続せずに消失せざるを得ないからです。

暗闇で歌を口ずさんでも、やがてその歌が止まれば、テリトリーと自己は消失してしまいます。それゆえにリトルネロにおいては第一アスペクトに続き第二アスペクトが要請されることになります。それゆえに〈自閉〉の哲学が考えなければならないのは暫定的で局所的なテリトリーと自己を恒常的で帯域的なものへ乗り越えるのではなく、暫定的で局所的なまま持続可能にする具体的な技法であるということです。


* 可能的なものの技法

長年、自閉症のこだわり行動について臨床と研究を行ってきた臨床心理士、白石雅一は定型発達のこだわりの対象を移行対象、自閉症のこだわりの対象を自閉対象と整理し、後者の様態を次のように整理しています。

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(小倉拓也『〈他者〉の哲学』より)

ここで小倉氏はA物に注目します。そこには「物:そのもの 存在 位置 形態 配置 配列 構造 描画」とあります。自閉症において具体的な対象はもちろんのこと空間内の事物の位置や配置が同一であることはよく知られており、ここでいう事物の位置、形態、配置、配列、構造という一連のこだわりの対象に注目すると、そこには単なる観念連合以上の必然性を持つ、ある種の「リズム rythme」を見出すことができます。

リズムとは一般的には音楽における時間や変化に関係した現象だと考えられていますが、フランスの言語学者エミール・パンヴェニストが語源学的な研究で明らかにしたようにリズムの語源である古代ギリシアの「リュトモス」は、音楽における時間や変化ではなく、絶えず流動する世界が瞬間の中で取る「形」、時間的というより空間的な形状や布置を示唆する語です。

そしてフランスの哲学者アンリ・マルディネはこうしたパンヴェニストの議論を踏まえ、リズムを自己がそこに飲み込まれ、失われてしまうような、目が眩むようなカオスのただ中に超越論的審級なしに「とどまり séjour」を生み出し、つまりは「滞在」を可能にするものとして論じています。そしてドゥルーズ=ガタリのリトルネロ論はこのマルディネの議論を応用したものですが、そもそもマルディネはリズムを「非音楽的な空間的なもの」として捉えていることは見過ごせないでしょう。

こうしたことから小倉氏は『〈自閉〉の哲学』においてASDに見られる事物の位置、形態、配置、配列、構造へのこだわりはこのような「非音楽的な空間的なもの」としてのリズムであり、世界のめくるめく転変、その感覚過敏的で情報過多的な状況のなかで「とどまり」を生み出し「滞在」を可能にする「非音楽的な建築術」であるとして、このような「非音楽的な建築術」を「可能的なものの技法」と呼び、その例を自閉症養育プログラムとして知られる「Treatment and Education of Autistic and related Communication-handicapped CHildren:TEACCH」における「構造化」の手法に見出していきます。

ここでいう「構造化」とは具体的にはASDの子どもたちの生活空間にパーティションなどを用いてセクションを設けることで、空間や時間をフレーミングする手法をいいます。ここでASDの子どもたちはいわば場所や時間と活動の1対1の対応をいわば「暗記して覚えられた」ものとして知覚や行動の暫定的で局所的な可能性を確保して行動を組織化していく事になります。


* リトルネロと暮らしの哲学

小倉氏はこうした環境調整と行動学習による療育と教育を志向するTEACCHと内面性ではなく外面的な行動の水準を一貫して強調する〈自閉〉の哲学に共通する部分は多いとする一方で〈自閉〉の哲学がこうした外面的な水準を強調するのは、あくまでそうした水準において形作られるものとして「自己」を、あるいは「心」を捉え直し、別のかたちで肯定するためだからであるといいます。

すなわち〈自閉〉の哲学が教えるのは世界とか自己と呼ばれるものは決して本来的、内面的なものではなく、常同的、反復的な行為をとおして形作られる非本来的、外面的なものの効果しかないかもしれないということです。そして、このような意味での〈自閉〉としてのリトルネロとはTEACCHのような臨床場面に限らず、もっと広く、我々の日常の至るところで何気なく用いられており、ここからある種の「暮らしの哲学」をひらくこともできるでしょう。

その一つのアイデアとしてここでは東洋医学の陰陽五行説における「養育」ならぬ「養生」の知恵をあげておきたいと思います。自然と生命の循環を読み解く陰陽五行説によれば、例えばいまの時期(大暑・桐始結花)は陽気が極まり、体内の「気」と「津液(水分)」が消耗しやすいとされます(気陰両虚)。それゆえにこの時期においては、こまめな水分補給と十分な休息を心がけ、胃腸を冷やしすぎない食事で「気」と「津液」を補い、過度な発汗や疲労を避けることが「養生」の基本とされます。

このような陰陽五行の「養生」とは季節の特性に応じて身体や暮らしのリズムを調律することで自然というカオスのただ中にテリトリーを構成していくという点で、同じでいる力、反復する力としてのリトルネロに通じているといえるでしょう。この意味でリトルネロとは、人が世界のカオスのなかに一時的なとどまりを築き、自己を保ち続ける普遍的な技法であり、陰陽五行説の養生もまた、季節の循環という自然の変化に応じて身体と暮らしのリズムを調律することによって、自然のただなかにテリトリーを築く営みとして、このリトルネロの系譜の中に位置づけられるでしょう。
















posted by かがみ at 23:00 | 精神分析

2026年06月23日

セカイ系と文学の困難



* セカイ系とは何だったのか

ゼロ年代の文芸批評シーンを賑わしたキーワードとして「セカイ系」という言葉があります。ここでいう「セカイ系」とはライトノベルとその周辺の独特な想像力を形容するものとして、だいたい2003年ごろから使われるようになった言葉です。これはネットユーザーのあいだで自然発生的に生まれた言葉なので、確かな定義があるわけではないですが、一般的には主人公と(多くは)その恋愛相手とのあいだにおける「ぼくときみ」というべき小さな人間関係を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく「世界の危機」「この世の終わり」といった大きな問題に直結させる想像力を意味すると理解されています。

このような構図は現代思想の世界でよく使われるラカン派精神分析の用語を借りていえば「想像界と現実界が短絡し、象徴界の描写を欠く」という表現でより一般的に定式化できます。ここでいう「想像界」とは恋人や家族など親密圏内部での幻想の世界を指し「象徴界」とは社会の公共的な約束事や常識をいい「現実界」とはそんな幻想も常識もともに壊すリアルなものです。

セカイ系の初期の代表作としては、高橋しん氏の漫画『最終兵器彼女』、新海誠氏のアニメ『ほしのこえ』、秋山瑞人氏のライトノベル『イリヤの空、UFOの夏』といった作品がよく挙げられます。このようなセカイ系の想像力はゼロ年代の半ばには若者向け小説市場全体に波及し、多くの作品にその特徴が認められるようになります。例えばゼロ代を代表するライトノベルの一つである谷川流氏の〈涼宮ハルヒの憂鬱〉シリーズも、しばしセカイ系に分類されることがあります。

そしてそのようなセカイ系の評価をめぐっては評論家のあいだでも賛否両論、様々な議論がありました。そもそも、この「セカイ系」という言葉自体に「セカイ系の作品は、物語内で世界の危機を描いているようでいて、実際はなんのリアリティもない子どもっぽい設定しか導入していない、それらの作品が描いているのは「世界」ではなく「セカイ」にすぎないのだ」といった揶揄が込められています。つまりセカイ系は売れているわりに必ずしも評判が良くなかったということです。

セカイ系と呼ばれる作品は視点人物のまわりの小さな日常と世界や死をめぐる抽象的な観念ばかりを描き、そのどちらでもない複雑な社会的現実をほとんど描写しません。というより、そこではそんな描写はそもそも必要だと考えられていません。「世界の危機」「この世の終わり」といった構図だけが重要で、それが具体的にどのような事態なのかといった細部の設定は驚くほどなおざりにされています。ではなぜこのようなものがゼロ年代の文芸批評シーンにおいて注目されたのでしょうか。改めてセカイ系とは何だったのでしょうか。


* 虚構と現実の断絶と再縫合

この点『動物化するポストモダン』(2001)や『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)といった著作でゼロ年代批評をリードした批評家の東浩紀氏はゼロ年代におけるこうしたセカイ系的な想像力の台頭には『大きな物語の消尽』『データベース消費』『まんが・アニメ的リアリズム』といった術語で言い表されるポストモダン的な諸々の条件が反映されているという議論を展開しました。つまり、そこで問題とされているのは文学やサブカルチャーにおける一時的な流行ではなく、数十年単位で生じている大きな社会的な変化であるということです。

こうした問題意識から氏は『セカイからもっと近くに』(2013)という文芸評論集において文学やサブカルチャーにおいて「社会を描けない」「社会を描かなくていい」「社会を描く気になれない」という問題を「セカイ系の困難」と呼び、こうした問題は文学やサブカルチャーの領域を超えて、今では日本文化全体に拡がっているといいます。 

「文芸評論という、いまや古びたあまり見向きのされないジャンルがあります。本書はそのジャンルに属する本です」という書き出しで始まる同書の主題は現代において「想像力と現実が関係を持つことのむずかしさ」です。ここでいう想像力を代表する文学はかつて、現実で生きる人々の喜びや苦しみを汲み取り、芸術表現に昇華するという役割を担っており、文学こそが社会改革の原動力になると信じた人々も少なくありませんでした。つまりかつては想像力と現実はきちんと接続されていた(と信じられていた)ということです。

ところが現代日本ではその理想に反して、大衆に支持される創作物は現実の政治的葛藤や社会問題をほとんど反映しておらず、想像力と現実が切り離された時代であり、いまや文学が社会に与える影響はかつてなく小さく、逆に社会が文学に与える影響もかつてなく小さいと同書はいいます(急いで付け加えるとすれば、ここで指摘されているのは、現代の文学が社会問題にまったく向き合っていないとかではなく、あくまで文学をはじめとする創作物がもっぱらエンタメとして消費されてしまう現代の大きな傾向のことだと思います)。

そして同書は以上のような状況認識のもとで、それでも虚構と現実を、あるいは文学と社会を、それぞれの方法で再縫合しようと試みて「しまっている」作家の主要作品の読解を試みます。試みて「しまっている」とは、作家が必ずしもその再縫合の試みを自覚していないことを意味しています。つまり、彼ら彼女らはその作品を虚構として完成させようと試みているにもかかわらず、その作品は虚構としての完成からどうしようもなくずれていってしまい、いつのまにか現実の痕跡が招き入れられているということです。このずれの構造こそが同書が読解を試みる当のものです。

その意味で同書は「普通の」文芸評論ではないと氏は述べます。想像力と現実の結びつきを前提とした「普通の」文芸評論は想像力と現実が結びつかない以上、本来成立しないものですが、同書は「想像力と現実が結びつかない、その現実を想像力の分析を通して浮かびあがらせよう」とする文芸評論であり「文芸評論の不可能性について文芸評論の手法で論じようとしている、かなりねじまがった本」であるということです。


* セカイ系の起源と剰余

こうした観点から同書が取り上げる最初の作家が新井素子氏です。新井氏は1977年に高校生でデビューし、1980年代の半ばに至るまで若い読者に圧倒的な人気を誇り、SF史とライトノベル史に大きな足跡を残した作家として知られています。1990年代以降の活躍は相対的に目立ちませんが、文芸評論家の大塚英志氏による言及がきっかけでキャラクター小説の文法を確立した作家として批評的な注目を浴びています。

新井氏の作品はラカンのいう想像界と現実界が短絡しているように見えるため、しばしセカイ系の起源として挙げられます。例えば1981年刊行の『ひとめあなたに…』にという小説のあらすじは次のようなものです。

主人公である女子大生の山村圭子には森田朗という彫刻家志望の恋人がいますが、朗はある日がんの告知を受けます。もはや余命は幾許もなく、助かったとしても右手切断を免れないという状況で希望を失った朗は圭子に別れ話を持ち出します。混乱した圭子はやけ酒を浴び一夜を過ごしますが、その夜に唐突に地球はあと1週間で巨大な隕石が衝突し、人類は全員滅びるというニュースがもたらされることになります。

圭子はこのニュースをきっかけに自分を取り戻し、もう一度朗に会おうと決意し、世界の破滅を前にした混乱のなか、最初は徒歩で、途中からはバイクに乗って練馬から鎌倉に向かい、果たして浜辺で朗と再会し、2人は愛の言葉を交わし、波の音を聞きながら世界が破滅する時を待ちます。しかしその一方で巨大隕石の詳細は全く明かされず、それが引き起こす社会の混乱もほとんど描写されません。

このように同作は「隕石の衝突」という非社会的な設定(現実界)を、社会の描写(象徴界)をなおざりにして、ただひたすらに圭子と朗の恋愛(想像界)を描くための舞台装置として利用している小説であり、ここにはセカイ系における想像界と現実界の短絡という構図がはっきりと見て取れます。しかし同時にこの作品はこのようなセカイ系的構図から大きく逸脱する剰余を抱えています。


* 社会から家族へ

実は圭子は練馬から鎌倉に向かう途中で由利子、真里、智子、恭子という4人の女性ないし少女に順々に(厳密に言えば恭子の場合はその夫の語りを通して)出会っています。この4人はいずれも表面的には幸福な日常を送っていましたが、世界の破滅を前にしてその基盤の脆弱さが暴かれ(例えば夫の浮気が明らかになるなど)、精神の均衡を失ってしまっています。

つまり、この小説には圭子と朗の恋愛譚とは別に4人の女性ないし少女との出会いが含まれており、圭子は彼女たちの出会いを通じて成長し、恋人と再会を果たすことになります。新井氏自身は同作をあくまで圭子と朗の恋愛譚として描きますが、実際の描写の力点は分量的にも内容的にも明らかに圭子と朗の恋愛より4人との出会いの方に傾いています。

つまりこの小説はセカイ系的な恋愛譚を描こうとしたにもかかわらず、実際のところその大半はセカイに辿り着くまでの話に費やされているということです。ここには明らかにセカイ系の困難(社会を描けない/描かない/描きたくない)に対する作家の無意識的な抵抗(にもかかわらず完全に書かないわけにはいかない)の力学が作用しています。

そして、この4人の物語に共通するのは「崩壊する家族」というモチーフです。同作において世界の破滅(現実界)と小さな恋愛(想像界)は単純に短絡することはなく、両者は家族とその崩壊というモチーフを通じて結び付けられています。さらに同作に限らず新井の小説には家族のモチーフが頻繁に登場します。

このように新井氏はセカイ系の先駆者でありながら、同時に家族というモチーフを執拗に描き続けた作家でもありました。つまり氏は象徴界が抜け落ち、もはや社会をきちん描くことができないという感覚を、のちのセカイ系のように想像界と現実界との短絡で処理するのではなく、家族的想像力によって埋め合わせているということです。それこそが新井素子という作家がセカイ系の困難に対して与えた答えであると東氏は述べています。


* セカイ系と文学の困難

さらに新井氏の中でこの家族的想像力は「拡張された家族」として現れます。1983に公刊された『・・・絶句』という小説では「新井素子」という名の大学2年生の主人公が自宅で小説を書いていると突然、素子が今まさに書き記していた小説の登場人物たちが室内に現れるところから始まります。この小説でも想像力の基本的な軸は象徴界の欠如を「家族」で埋めるという構図で作られていますが、同作における「家族」とは物語から独立したメタ物語的性格を持つ「キャラクター」の集合体(東氏のいうデータベース)として描かれています。

このように新井氏はセカイ系の起源とされる作家でありつつも、セカイ系の困難(社会を描けない/描かない/描きたくない)という虚構と現実の断絶を社会の代わりに「拡張された家族」を描くことで抗おうとした作家であるといえます。ところがゼロ年代におけるセカイ系になるとこうした虚構と現実の断絶に対してもはや何らかの抵抗を試みるのではなく、むしろ両者の断絶という現実それ自体が想像界と現実界の短絡という構図としてあからさまに描かれてしまうことになります。

しかしながら、まさにこの地点にこそゼロ年代におけるセカイ系の革新性を逆説的に見出すことができるでしょう。すなわち、その革新性とは虚構と現実の断絶という現代における文学の困難を想像界と現実界の短絡というアクロバティックな回路を経由することで曲がりなりにもひとつの文学ジャンルへと昇華した点にあるということです。そうであれば、ここからセカイ系の困難としていまや織り込み済みの前提となった文学の困難という問題をいかに深めるか、もしくはいかに乗り越えるか、あるいはいかにやり過ごすかというある種の「ポスト・セカイ系」という批評的観点から現代におけるさまざまな想像力を読み解いていくこともできるのではないでしょうか。






















posted by かがみ at 00:18 | 精神分析

2026年05月22日

オイディプスと格差社会



* 68年5月とアンチ・オイディプス

1960年代、フランス現代思想のモードは「実存主義」から「構造主義」へと変遷します。ジャン=ポール・サルトルに代表される実存主義は、人は独自の「実存」を切り拓いていく自由な存在=主体であることを限りなく肯定しました。ところがクロード・レヴィ=ストロースに代表される構造主義は、我々の文化は主体的自由の成果などではなく、歴史における諸関係のパターン=構造の反復的作動に過ぎないという事実を暴き出しました。

1960年代中盤、構造主義の栄華は頂点に達します。多くの知識人や文化人は自らを構造主義者であるとして、中には構造主義的再編でチームの成績向上を図るなどと言いだすサッカーの監督もいたそうです。ところが1960年代後半になると構造主義は早くもその栄華に陰りを見せ始めます。こうした流れを決定的なものにした出来事が1968年に起きた「パリ5月革命」です。

「68年5月」において学生たちが異議を申し立てたのは「Egalité! Liberté! Sexualité!(平等!自由!セクシュアリティ!)」というスローガンが端的に示すように、大学や社会が押し付ける旧態依然とした父権主義的な「構造」に対してでした。ここで構造主義は「構造は街頭に繰り出さない」などとラディカルに批判されることになります。

そしてこの「68年5月」を駆動させた人々の「欲望」を原理的に考察することで構造主義を超出する新たな思想を提示したのがフランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』(1972)です。同書は発売されるや否や若年層を中心に熱狂的に歓迎され、 1970年代の大陸哲学における最大の旋風の一つを巻き起こしました。こうして「ポスト・構造主義」の時代が幕を開けることになります。


* 欲望諸機械とは何か

同書は端的にいえば「欲望」を起点とする主体と社会の変革の哲学を提示するものであり、その基本的なテーゼは「世界のすべては欲望のフローから構成されている」というものです。ここでドゥルーズ=ガタリは「欲望」を自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「機械 machine」に宿る非人称的な力の作用として捉えており、こうした機械の接続を「欲望諸機械」と呼びます。

すなわち、同書は構造主義的な差異の体系としての「構造 structure」とその偶然的変動としての「出来事 événement」ではなく「機械」による欲望的生産の絶えざる変容の「過程 processus」を重視しているということです。そして、こうした欲望的生産の過程とは機械と機械を接続し切断する欲望のフローの過程であり、それは社会の絶えざる変容の過程でもあります。このような欲望的生産をドゥルーズ=ガタリは「生産の生産」「登録の生産」「消費の生産」から論じ、欲望諸機械の特性を次の三つに分けています。

第一に「接続的総合(生産の生産)」という特性です。機械は諸々の物質的フローに接続し、そのフローを切断して採取します。「例えば口機械は母乳機械に接続され、そこからミルクのフローを切り取り、採取」します。さらにこうした機械が接続する諸々の物質的なフローそのものもまた、別の機械によって生産される以上、機械とフローの接続は機械同士の接続ということになります。また機械と機械の接続は必ず新たなフローを生産しますが、それは第三の機械に接続され採取されることになります。こうした欲望諸機械相互の接続が欲望の生産性そのものを生産します。これが「接続的総合(生産の生産)」という欲望諸機械の根源的条件です。

第二に「離接的総合(登録の生産)」という特性です。あらゆる機械はその中に一種のコードを組み込んでおり、そのコードは極めて多様な断片を保持しています。そして、それらの断片はコードから自由に離脱してそれぞれ他の機械に接続され、そこからコードの剰余価値を引き出します。その例としてドゥルーズ=ガタリはスズメバチと蘭の間のコードの接続と、それによるコードの剰余価値の生産を挙げています。蘭はスズメバチが花粉を雌しべから雄しべへと運搬することなしには自らの再生産を行うことができません。それゆえに蘭はスズメバチの生殖器を真似てスズメバチのイマージュとなり、スズメバチのコードと接続され、そこから受粉と再生産というコードの剰余価値を生産することになります。

こうした多様なコードが登録される登録平面ないし内在平面の役割を果たすのが「器官なき身体 corps sans organes」です。ここでいう「器官なき身体」とは欲望諸機械の流れが登録されるゼロ強度の「欲望の不動の動者」であり、同時にその流れを引き留め、反発し、組織化しようとする抵抗面でもあります。そして、このような多様なコードとそれらの接続から生まれるものが多様体としての主体です。

ここから「連接的総合(消費の生産)」という第三の特性が導き出されることになります。ドゥルーズ=ガタリにおいて主体とは欲望諸機械が欲望のフローを採取、消費することによってその傍らに残余として生産されるものであり、その意味において主体とは意識によって中心化された人称的主体ではなく、無意識において諸特異性から構成され、生成変化を繰り返す脱中心化された非人称的主体であるということです。


* オイディプスと社会的生産

このように欲望諸機械は常に生産の働きを止めず、相互に接続を繰り返して、非人称的諸特異性から構成された生成変化の主体を生産します。こうした意味で「欲望はその本質において革命的」なのであり、欲望的生産は潜在的に社会を破壊するような強度的力能を持っています。

しかしドゥルーズ=ガタリによれば資本主義下における「オイディプス化」がそのような徹底した生産性を抑圧します。ここでいう「オイディプス化」とは多様な欲望の流れを父・母・子という家族三角形に縮減することで、欲望の多様性を抑圧し、自己同一性自我の形成を促す操作をいいます。

この点、ドゥルーズ=ガタリは社会的「抑制」と心的「抑圧」を区別します。社会的「抑制」は権力諸装置による作用であり、権力に従順な主体を形成して社会構成体の権力関係や抑制的構造を再生産します。そして社会的「抑制」はその道具として心的「抑圧」を、すなわち「オイディプス化」を必要とします。

つまり欲望的生産は社会的生産と表裏一体であり、社会的生産は欲望的生産に働きかけて欲望的生産が自ら「抑制=抑圧」を欲望するような体制を作りあげていきます。こうしたことからドゥルーズ=ガタリは「社会的再生産の最も抑圧的、屈辱的な形態も、欲望によって生産され、欲望から出現する組織において生産される。この組織がどのような条件において出現するかを、まさに私たちは分析しなければならないだろう」と述べています。

それゆえにドゥルーズ=ガタリは政治哲学の根本問題として「人々はなぜ、あたかもそれが自らの救済であるかのように、自らの隷属を求めて闘うのか」「人々はなぜ、より多くの課税を、より少ないパンを、と叫ぶのか」「人々はなぜ数世紀もの間、搾取、屈辱、奴隷状態に耐え、それらを他人だけでなく自分自身にも望んできたのか」という問いを提示します。

この問いはかつてスピノザが『神学政治論』で提出した問いであり、ウィルヘルム・ライヒがそれを大衆のファシズムへの欲望という形で再発見した問いでもあります。「権力への服従化」の社会的生産とは「権力への服従化の欲望」の社会的生産に他なりません。そしてオイディプス的家族はそのような「権力への服従化の欲望」を生産する社会秩序の縮図であるということです。


* オイディプスと服従集団

こうしたことからドゥルーズ=ガタリはオイディプスが欲望的生産に対して心的抑圧を課し、権力への服従化の欲望を生産する過程を次のように説明します。第一に接続的総合のオイディプス化です。接続的総合は欲望諸機械が横断的に互いに接続と切断を繰り返す過程からなるのでした。

彼らはこの過程を接続的総合の「部分的、非特殊的使用」と名付けていますが、この過程がオイディプス化によって「包括的、特殊的使用」へと包摂されます。この接続的総合の「包括的、特殊的使用」によって子供は近親相姦の禁止を通じて同性の親に同一化(オイディプス化)し、さらに自らが親となる異性愛的な婚姻関係においてオイディプスを再生産することになります。

第二に離接的総合のオイディプス化です。欲望諸機械はそれぞれが独自のコードを内包し、そのコードは多様であり、常に断片化されて他のコードと接続され、そこからコードの剰余価値を生み出し得ます。しかしオイディプス化はそのようなコードの多様性を抑圧し、父・母・子という家族三角形に縮減します。

第三に連接的総合のオイディプス化です。欲望諸機械はそれらが接続され、諸々のフローを消費することによって、その傍らに常に変容を続ける非人称的主体を生産します。ドゥルーズ=ガタリはこのような変容の主体の生産を連接的総合の「遊牧的、多義的使用」と名付けています。しかしオイディプス化によってそれは「隔離的、一対一対応的使用」に変容されます。

彼らのいう「隔離的、一対一対応的使用」とは社会野の規定と家族的規定との間に「一対一対応」の関係を形成し、その一対一対応に基づいて欲望的生産にオイディプス関係を写像して、欲望的生産の多様性を抑圧するものであり、それによって諸特異性からなり絶えず変容を繰り返す非人称的主体はオイディプス化された人称的主体へと個体化されることになります。

さらにオイディプス化は人種、国家、宗教といったある一つの超越的シニフィアンの下に統合された「集団」へと諸主体を同一化させることで「服従集団」の形成を導きもします。ここでいう「服従集団」とは「主体集団」に対立する概念であり、いずれもガタリが『精神分析と横断性』(1972)において導入した概念です。そしてドゥルーズ=ガタリは「服従集団」と「主体集団」を集団幻想との関係において定義しており、このような集団幻想としてのオイディプスこそが服従集団の形成に本質的な役割を果たしているということです。


* 資本主義と家族

以上のように欲望諸機械の徹底した生産性は反生産をもたらすオイディプスによって抑制=抑圧され、諸個人は服従集団へと全体化されることになります。そしてドゥルーズ=ガタリはオイディプス化を資本主義体制に固有の抑圧装置であると考えます。彼らによれば資本主義は「貨幣-資本」という形を取る生産のフローと「自由な労働者」という形を取る労働のフローとの出会いによって発生します。つまり資本主義は前資本主義におけるコード化や超コード化に代わる脱コード化の運動によって定義されることになります。

資本主義はこのようにフローの脱コード化という絶対的極限へと向かう分裂症的運動によって定義されます。しかし、その一方で資本主義は自らが解放したフローを公理系によって抑制し、内在的な相対的極限へと閉じ込めます。つまり国家とはこのような資本の公理系に要請されて脱コード化した諸々のフローを調整する装置に他なりません。こうした国家の役割は社会主義国家でも福祉国家でもさらには新自由主義国家においても同様に要請されることになります。

そして資本主義によって社会体が「貨幣-資本」として純粋に経済的なもの、抽象的なものとなることによって、家族は社会の外に置かれることになります。ドゥルーズ=ガタリはこれを家族の「私域化 privatisation」と呼びます。こうして家族が社会の外に置かれることで資本主義の公理系によって生み出された個人の社会的イメージ(言表の主体)はオイディプス化によって私的=家族的イメージ(言表行為の主体)へと「写像」されることになります。

このようなオイディプス化された主体の形成により、言表の主体(意識の主体)である社会的自我が言表行為(無意識の主体)である超越論的自我によって統御されるミシェル・フーコーのいうところの「経験的-超越論的二重体」としての「人間」が成立することになります。この経験的-超越論的二重体は権力に従順な仕方で自己を統治する服従化された主体そのものであり、そうした主体は欲望の生産性を自ら心的に抑圧することによって社会的抑制のメカニズムに自ら服従することを欲望します。この意味でオイディプス化は社会的統治のメカニズムであり、服従化の、そして服従集団の形成メカニズムであるといえます。

このようにオイディプス化は資本主義社会の再生産を欲望の水準において確保する、社会的統治のメカニズムであるといえます。しかしドゥルーズ=ガタリによればオイディプス化された主体が欲望の分子状多様体へと変容し、ヒエラルキー的な「服従集団」が横断的な「主体集団」へと変容するとき、資本主義はその下部から掘り崩されるといいます。そしてそのような変容は資本主義社会の再生産の「因果性の破断」、すなわち利害の水準における革命を通じて実現されることになります。

この点、革命的ポテンシャルをプロレタリアートに求める『アンチ・オイディプス』では服従集団から主体集団への変容はブルジョワジーに対するプロレタリアートの階級利害の追求を通じて実現されるということになります。こうした意味で服従化された諸主体としてのプロレタリアートは階級としての利害追求という革命的契機、いわゆる「レーニン的切断」によって、それまで社会体に服従させられていた欲望の生産的力能を発見します。

しかし同時にプロレタリアートが階級利害の追求に留まる限り、資本主義的利害に従属した服従集団から脱することはありません。けれどもプロレタリアートが階級利害の追求から欲望的生産を解き放つ「切断の切断」によって階級外集団である分裂者の主体集団を形成するとき、資本主義はその下部から掘り崩されることになります。


* オイディプスと格差社会

では、このようにドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で提示した「利害から欲望へ」という政治プログラムは現代においてはいかなる局面で発動するのでしょうか。例えばドゥルーズ=ガタリの著作を「切断の哲学」という観点から論じた佐藤嘉幸氏と廣瀬純氏の共著『三つの革命−−ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(2017)はこうした階級の二極化(新たな階級の構成)を、2000年代以降の日本におけるプレカリアート運動の中に見出しています。

小泉政権の新自由主義改革の一環として雇用規制緩和が急速かつ強力に推し進められる中で、2000年代中頃に非正規雇用労働者の労組が複数創設されるなど日本でも本格化したプレカリアートの運動は、世界的経済危機が始まった2008年に「反貧困」の旗印の下で一気に可視性を獲得することになります。さらに2010年代になってアベノミクスが開始されると彼らは「反貧困」に変わる新たなスローガンとして「反富裕」を掲げるようになります。

この点「反貧困」がプレカリアート運動を「利害の水準」で規定するものだったとすれば「反富裕」は同じ運動を「欲望の水準」で規定し直すものであったといえます。今日の日本のプレカリアート運動において「反富裕」は互いに対立する二つの異なる意味を付与されています。一方は運動を「反貧困」と連続させ、他方は運動を「反貧困」から切断し、一方は労働者階級に敵対する新たな階級(プレカリアート)として割って出るアンダークラスの階級利害を強調し、他方はプレカリアートからさらに分裂者が階級外主体集団として割って出る欲望を表現します。

すなわち「反富裕」とは第一に貧者の富を収奪する富者への敵対を意味します。ここでいう「富者」とはブルジョワジーだけではなく、ブルジョワジーとの個別的な労働力の売買が従来通り等価交換にとどまっているタイプの労働者(主として正規雇用労働者)も含まれます。こうした今日的「富裕」に反対することが「反富裕」の第一の意味であり、これは「反貧困」のうちに既にそのネガとして含意されるものでした。

しかし「反富裕」はまた、労働者階級からプレカリアートが割って出る敵対的切断としての「反貧困」のさらなる切断(切断の切断)という意味でも語られます。常にいっそう豊かになりたい、常にいっそう富を蓄積したいというのは畢竟「欲望」の問題であって、その当人が富者であるか貧者であるは関係がありません。そして資本主義はこの欲望(オイディプス化)を社会的に生産し、家族や学校、マスメディア、ソーシャルメディアなどの装置を通じて一人ひとりの個人に刻みつけます。

「反富裕」の第二の意味はここから生じることになります。それはすなわち「反貧困」においてはまだ温存されていたオイディプス化との決別に他なりません。換言すればプレカリアート運動とは文字通りの「アンチ・オイディプス」として「反富裕」から資本主義をその下部から掘り崩していく創造的過程であるともいえるでしょう。こうした観点からいえばドゥルーズ=ガタリが提示した「切断の哲学」は様々な文脈において格差が拡大しつつある今日の社会における人々の欲望を問い直すための処方箋としても読めるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 22:55 | 精神分析

2026年04月25日

リゾームとリトルネロ、あるいは〈自閉〉から世界制作へ



* ハイモダニティとしての現代社会

現代はしばしポストモダンの時代であると呼ばれます。ここでいう「ポストモダン postmoderne」とはフランスの哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールが『ポストモダンの条件』(1979)において提示した近代以降の時代を形容する概念です。それによれば近代とは「大きな物語 grand récit」によって意味と方向を与えられていた時代であり、ポストモダンはそうした「大きな物語」の終焉によって特徴づけられます。この概念をリオタール自身は近代の科学的知の正当化と、その基礎や準拠をめぐる議論のなかで用いていましたが、その後、この概念はリオタール自身の意図からある程度独立して近代から区別されるものとしての現代社会のあり方を表現するものとして広く用いられるようになります。

ここでいう「大きな物語」とは例えば、人間が知や啓蒙によって無知や隷属から解放されるという理念や、歴史が必然的に進歩するといった包括的な物語のことをいいます。こうした物語は科学を含む人間のさまざまな営みの正当化の基礎や準拠となり、それらに意味や方向を与えてきました。すなわち「大きな物語」の終焉であるポストモダンは、人間のさまざまな営みから安定した基礎や準拠が、そして統一的な意味や方向が失われる状況を意味しています。

これに対してイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズは現代社会の様態を近代における世界像の変化のさらなる徹底と浸透を意味する「ハイモダニティ highmodernity」という概念から把握しています。ギデンズによれば近代以前では人々の営みやアイデンティティは彼らの所属する共同体やその伝統といったローカルで具体的な制度に枠付けられていましたが、近代はこうしたローカルで具体的な制度が諸々のグローバルな「抽象的システム」に変化していくことになります。

ここでいう「抽象的システム」とは特定に時間と場所を超えて流通し、利用、参照されるシステムであり、ギデンズはその例としてさまざまな物の交換を可能にする貨幣のような媒体や専門的な知識やサービスを挙げています。こうした「抽象的システム」のさらなる徹底と浸透した世界のあり方、自己のあり方を形容するのが「ハイモダニティ」です。つまりリオタールのいう「ポストモダン」が近代と現代との間にある種の断絶を見出す概念であるとすれば、ギデンズのいう「ハイモダニティ」は近代と現代を連続的に捉える概念であるといえるでしょう。

そして、こうした「ハイモダニティ」の中核に見出されるメカニズムが「再帰性 reflexivity」と呼ばれるものです。再帰性とは制度であれ人間であれ、自らのあり方を何らかの情報に照らして省りみることをいいます。近代以前には、その参照先は共同体やその伝統であり、これらの制度は当の制度自体に対しても人間に対しても、相対的に変化せず安定したものでしたが「ハイモダニティ」における参照先である「抽象的システム」は高度に専門化され絶えず更新され変動するようになります。

その結果、個人は自らのあり方を省みる上で、多様化を続ける情報を絶えず追跡、選択、フィードバックして、それに対する不断のモニタリングと修正が必要となります。しかも、その試みは当のその試みそのものによっても変化していく情報をさらに考慮に入れなければならず、こうなるともはや把握も統御も困難であり、定まった正解もゴールもないといった状態に陥ります。こうして「ハイモダニティ」における再帰性は個人に方向感覚の喪失をもたらすことになります。


* 存在論的安心と存在論的不安

ギデンズはこうしたハイモダニティにおける世界と自己のあり方を精神分析理論を援用し「存在論的安心 ontological security」と「存在論的不安 ontological enxiety」という観点から論じています。まずギデンズは『近代とはいかなる時代か?』(1990)において「存在論的安心」を「人間が自己アイデンティティの連続性に関して、そして行動の社会的および物質的な周囲環境の恒常性に関して持っている確信」と定義します。

我々は普段、自分の心臓が次の瞬間に鼓動を停止するのではないかとは通常考えません。いま歩いている地面が次の一歩で崩落するのではないかとも普通は考えないでしょう。 目を離して視界から消えた対象は、消滅するわけではなく、再び目を向ければそこにあると思っているし、眠るなどして意識が途切れても、自分というものが消えてなくなるわけではないと思っています。

そうした停止、崩落、消滅の可能性は絶対にないわけではなく、むしろ常にその可能性はあるのですが、そんなことをいちいち考慮していたら日々の生活は成り立たないでしょう。つまり、我々の日常が成り立つには自己の連続性と世界の恒常性はあらゆる検証に先立ってまず信じられていなければならないということです。この連続性や恒常性への意識されざる信頼や確信といったものがギデンズのいう「存在論的安心」です。

このように「存在論的安心」はそれを直視したなら日常が破綻しかねないような停止、崩落、消滅などの可能性を「括弧にくくる」こと、あるいはフィルタリングすることを可能にします。そしてギデンズはアメリカの精神分析家エリク・エリクソンの議論に基づいて、こうした「存在論的安心」の源泉を幼児期に母子関係を通して育まれた「基本的信頼 basic trust」に求めています。

エリクソンは『幼児期と社会』(1950)において人間の発達段階の最初期に達成され、アイデンティティの基礎となるものを「基本的信頼」として定式化しています。それは、幼児のさまざまな要求に、その庇護者たる母親が応答すること(世話を行うこと)を通して確立される信頼であり、こうした「基本的信頼」によって幼児は母親がいないときでも母が戻ってくると信じて耐えることが可能となります。いわば幼児は母が「見えなくても、離れていても大丈夫」というかたちで自己の連続性と世界の恒常性が信じられるようになるということです。

ギデンズはまた、イギリスの精神分析家ドナルド・ウィニコットが、やはり幼児期の母子関係のなかで切り開かれると考えられる「潜在空間 potential space」という概念を援用しています。ウィニコットが『遊ぶことと現実』(1971)で「潜在空間」と呼ぶものは幼児が母から分離するという外傷的で破滅的になりうる出来事に際して、現前と不在のあいだのある種の「緩衝帯」の役割を担い、それらを両立させ、なだらかに移行させる中間領域のことです。こうした「潜在空間」は「基本的信頼」を背景に機能するものであり「いま-ここ」という時-空間にないものを潜在的に携えておく力を育んでいきます。

これに対して「存在論的不安」とは、こうした「存在論的安心」における自己の連続性や世界の恒常性を信じることが困難な事態に他なりません。ギデンズは『モダニティと自己アイデンティティ』(1991)においてスコットランドの精神科医R・D・レインが報告する「根本的な存在論的不安の観点からのみ生じると示唆されるであろう不安や危険」を参照し、そのような不安や危険においては、自己の来歴の継続性についての一貫性の感覚の欠如や実存の危機の懸念への強迫的な固執などが見られるといいます。

そしてギデンズはこうした「存在論的不安」が今や病理や障害に限らず、ハイモダニティとその再帰性ゆえに今や多くの人々が「存在論的不安」を生きつつあるという可能性を示唆しています。ギデンズにおいてその可能性を示唆するのが日常的な習慣としてのルーティーンをめぐる議論です。ここでギデンズはその再帰性の中で「存在論的安心」が当然の前提ではなくなり「存在論的不安」が前景化してくるハイモダニティにおいて「存在論的安心」を維持していくものとしてルーティーンを位置付けています。


*〈自閉〉とリトルネロ

これに対して、小倉拓也氏は『〈自閉〉の哲学』(2026)において「存在論的安心なきルーティーン」から〈自閉〉という概念を問い直します。ここでいう〈自閉 Autismus〉とはかつては統合失調症に顕著な外界から内界への撤退を指す言葉でしたが、その後、それからは区別される症候群を指すものとなり、近年では「発達障害」の社会的な前景化、とりわけ「自閉症 autism」への注目をもとに哲学、とりわけ現代思想において大きな関心を集めています。

アメリカ精神医学会が刊行している『精神疾患の診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders :DSM』の最新版(DSM-V-TR)では「自閉スペクトラム症 Autism Spectrum Disorder:ASD」の診断基準となる行動上の特徴として「社会的コミュニケーションおよび対人的相互作用における持続的な欠陥」に加え「限定的で反復的な行動、関心、活動のパターン」が記されています。ここでいう「限定的で反復的な行動、関心、活動のパターン」とは具体的には⑴常同的、反復的な行動、対象の使用、発話、⑵同一性への固執、ルーティーンへのこだわり、儀式的な行動、⑶きわめて限定的で固定的な関心、⑷感覚刺激に対する過敏と鈍感、環境の感覚的側面に対する並外れた関心です。

こうした〈自閉〉における行動上の特徴をめぐる従来の議論は、それは治療すべき症状であると否定的にみるにせよ、あるいは反対に、それは才能や美点であると肯定的にみるにせよ、いずれにしても、いわゆる「正常」と比べて何かが決定的に「欠けている」という意味での「異常」として捉える点では一致していると思われます。これに対して同書は〈自閉〉についてそれが何が「欠けているか」ではなく、何を「行なっているか」を哲学的に洞察していきます。つまり〈自閉〉における常同的、反復的行為には、それ自体は必ずしも欠如ではない「同じでいる力」「反復する力」があると同書は考えます。

ここで同書の重要な参照項となるものがフランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリがその共著『千のプラトー』(1980)において提示した「リトルネロ ritournelle」と呼ばれる哲学概念です。「リトルネロ」とは本来は音楽用語であり、楽曲のなかの反復し、循環する部分を指すものですが、ドゥルーズとガタリはこれを独自の哲学的な概念へと練成していきます。

ドゥルーズとガタリは前後左右不覚でただ立ち尽くすしかない「カオス」と呼ばれる状況において我々が自己を確保し、歩き出したり、立ち止まったりすることができるのは、あらかじめ備わった一貫した主体性によってではなく、暫定的で局所的なテリトリーを構築しようとする常同的、反復的行為を通してであると考えます。

こうしたリトルネロという観点からいえば、哲学や精神分析において「主体」とか「他者」などと呼ばれる超越論的審級は本来的なものではなく、むしろ常同的、反復的な行為の効果として、それが構築するテリトリーとともに形成されるものであるということです。このことは本来的でそれゆえに内面的とされる秩序やその中心が、実は非本来的でそれゆえ外面的な水準においてその都度形作られることを示唆しています。

すなわち、同書の問う「存在論的安心なきルーティーン」としての〈自閉〉とは、同書が〈現前〉と呼ぶ世界が自己にあらわとなり自己が世界にさらされる無媒介的かつ情報過多的かつ感覚過敏的な状況において、本来的にインストールされているべき超越論的審級なしに、非本来的な常同的、反復的な行為をとおして、外面的な工夫によって生き抜いていくための生の技法であるといえるでしょう。


* それでもひとりでいる力

このように同書は〈自閉〉における常同的、反復的な行為が何を「欠いているか」ではなく、何を「行なっているか」を問います。もっとも、こうした問題提起をすでにウィニコットが半世紀以上前に「ひとりでいる能力」(1958)という名高い論文において行なっているものです。しかしウィニコットが考える「ひとりでいる能力」と同書のいう〈自閉〉には決定的な違いがあります。

この点、ウィニコットは「ひとりでいる能力」をある種の逆説として提示しています。それは、ひとりでいることが「他の誰かがいるときにひとりでいるという経験」に、より具体的には「幼児や小さな子どものように、母がいるところでひとりでいるという経験」に基づいているという逆説です。このウィニコットの逆説は先述した基本的信頼及び潜在空間と同様の論理に依拠しています。つまりウィニコットのいう「ひとりでいる能力」とはギデンズのいう「存在論的安心」と不可分のものであり、それゆえに「存在論的安心」を欠く場合、人は「ひとりでいる能力」を行使することは原理的にできないということです。

またエリクソンにも同様の問題を見出すことができるでしょう。エリクソンは『幼児期と社会』において、子どもの「ひとり遊び」を自分自身の身体を対象にして遊ぶ「自己宇宙 autocosmos」から始まり、おもちゃを思いのままに操作する「小宇宙 microsphere」を経て、他者と共有する世界である「大宇宙 macrosphere」へ至る展開として把握しています。しかし同時にエリクソンは「自己宇宙」における「母との相互作用」を、子どもの生にとって決定的なものとみなしています。すなわち、エリクソンにとって子どもの「ひとり遊び」とは「ひとり」でいるように見えて実際には母との相互作用からなる「基本的信頼」に支えられて、はじめて可能になっているということです。

こうしたことから同書は〈自閉〉における常同的、反復的な行為が持つ、つまりリトルネロにおける「同じでいる力」「反復する力」を基本的信頼や潜在空間や存在論的安心といたものがなかったとしても「それでもひとりでいる力」であると位置付けます。それはすなわち〈現前〉のなかで〈現前〉に抗して〈現前〉とともに生きる力であるということです。


* リゾームとリトルネロ、あるいは〈自閉〉から世界制作へ

周知のようにドゥルーズとガタリは1970年代の大陸哲学に大きなムーヴメントを巻き起こした『アンチ・オイディプス』(1972)において人間の欲望を「欠如」を埋める運動ではなく、生産する力として捉え直し「欲望機械」という概念を提示しました。ここでいう「欲望機械」とは身体、社会、制度といった諸要素が相互に接続しながら現実を生み出す生成の装置であり、欲望はこうした機械的連結を通じて絶えず流れ、切断され、再び結びつくものであるとされます。

そして『千のプラトー』において、こうした欲望観は「リゾーム」と呼ばれる世界観として提示されることになります。ここでいう「リゾーム」とは中心や階層を持たず、どこからでも接続し増殖していく地下茎のようなネットワークであり、欲望機械の連結が社会、文化、知の配置として広がる様態を示すものです。

こうしたリゾームという世界観の展開を支える脱領土化/再領土化という反復運動がリトルネロであるといえるでしょう。つまりリゾームが無数の接続と展開のネットワークだとすれば、リトルネロはリゾームの展開を実際に駆動させる具体的なプロセスだと言ってよいでしょう。こうした意味で「存在論的安心なきルーティン」としての〈自閉〉がもたらす「それでもひとりでいる力」とは同時に「世界を制作する力」であるといえるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 23:00 | 精神分析