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更新日2016年11月27日

欲望とは〈他者〉の欲望であること、あるいは米大統領選2016



ラカンの、おそらく最も引用されることが多いであろう言葉の一つに「欲望とは〈他者〉の欲望である」というものがあります。要するに我々が何かを欲しいと思う感情は自分以外の誰かがそれを欲しいと思う感情のコピーにすぎないわけです。例えば、なぜ皆がiPhoneの最新機種を欲しいと思うのかというと、それを皆が欲しがっているからです。あるいは、なぜ誰も路傍に打ち捨てられたゴミを欲しいと思わないのかというと、それを誰も欲しがっていないからです。

精神分析過程において起きる「転移」という現象も、かかる「欲望とは〈他者〉の欲望である」テーゼの一つの臨床的発現として理解可能でしょう。

精神分析は転移によって駆動し展開して行くとすらいえます。転移とは定義的にはかつて過去に両親などに抱いた愛憎の感情が分析関係という「いま、ここ」に投射され反復されることをいいますが、この転移は分析家の「分析主体の無意識を詳らかにしたいという欲望」により発生します。

すなわち、かかる分析家のあくなき欲望を分析主体が自身の欲望としてコピーすることで、それまで彼が無意識下に抑圧されていた過去の感情が分析過程において現前するわけです。だからこそラカンは『精神分析の倫理』において「分析家は己の(分析家としての)欲望に背いてはならない」と主張したわけです。


そういう意味で、先の米大統領選におけるドナルド・トランプ氏のまさかの勝利は、精神分析の観点から言えば、一種の大規模な転移現象とも言えるでしょう。

不法移民やポリティカル・コレクトネスなどに対する、氏の「欲望」を剥き出しにした言葉は大手メディアの四面楚歌を物ともせず、サイレントマジョリティーの「欲望」に火をつけて瞬く間に延焼させていき、ついに「リベラルという理性」を蹂躙することに成功してしまったということです。

氏は数々の放言の一方で、ビジネスマンとしては真っ当な名言も残していますが、これらの共通項を仔細に見るに、そこには意外なことに「公正であること」「前向きであること」「誠実であること」「正直であること」といったトランプ氏なりの人生哲学が垣間見えてくるのは興味深いところです。4度もの破産申請を繰り返し、何度もどん底から這い上がったという印象も有利に働いたのでしょうか。

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こうして見ると、トランプ氏の言動は『Fate/Zero』の征服王イスカンダルを想起させるものがあります。物語中盤、彼は聖杯問答において騎士王アルトリア(セイバー)の「正しき統制、正しき治世を望むことこそが理想の王の在り方である」という主張を次のように論破します。

「無欲な王など飾り物にも劣るわい!!・・・セイバーよ、”理想に殉じる”と貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞ、高貴で侵しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教などという荊の道に一体、誰が憧れる?焦がれる程の夢を見る?聖者はな、たとえ民草を慰撫できたとしても、決して導くことはできぬ。確たる欲望の形を示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!・・・王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する。清濁も含めて人の臨界を極めたるもの。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に、”我もまた王たらん”と憧憬の火が灯る!(星海社文庫『Fate/Zero3』243頁)」


虚淵玄氏らしい絢爛豪華な表現ですが、後段はまさに「己の欲望に背いてはならない」「欲望とは〈他者〉の欲望である」というラカンのテーゼそのものでしょう。征服王の擁するランクEXの超宝具「王の軍勢」は彼の言葉の具現化と言えますが、今回、トランプ氏を支持したサイレントマジョリティーは氏の欲望に魅せられた「王の軍勢」だったのではないかとも思えるわけです。

これがいわゆるアメリカンドリームなどというものなのか、はたまた単なる悪夢なのかは今の時点では即断できませんが、少なくとも、いち泡沫候補からドンキホーテさながらの徒手空拳で頂点へ上り詰めた壮挙自体については「清濁も含めて人の臨界を極めたるもの」として素直に敬服の意を表するしかないでしょう。

ただ、精神分析においては、転移を発生させた後、これを「解釈」し「操作」しなければならない過程があります。果たしてトランプ氏が、これからこの大規模な転移をどう「解釈」し「操作」するのか、注視していくべきなんでしょう。いまはとりあえず、なんとも目の前に何が出るかわからないビックリ箱を置かれたような感じですね。



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posted by かがみ at 01:00 | 法律関係

更新日2016年10月28日

現実・象徴・想像、あるいは『君の名は。』と『シン・ゴジラ』の間



ラカン派精神分析では、世界を「現実界」「象徴界」「想像界」という3つの異なった位相で把握します。現実界が文字通り、実在する客観的現実であるのに対して、象徴界は言語で構成された世界であり、想像界は意味やイメージといった個人の主観の世界です。我々は「本当の客観的現実」を直視しているわけではなく、常にイメージや言葉によって捉えたものを「現実」だと認識している。ざっくり言うとこんな風になります。


ラカンはフロイトのテクストを構造主義的に解明していった人でして、例えば、フロイトの有名ないわゆる第二局所論、「自我・超自我・エス」もちょうどこの三幅対へ対応している。すなわち、自我は想像界に、超自我は象徴界に、エスは現実界に、といった具合です。


さて、やや面倒な前置きが長くなりましたが、ラカンのこの理論はなかなか便利でして、「現実的なもの」「象徴的なもの」「想像的なもの」という三幅対で文芸作品や社会事象など様々なものを考察することができる。今回はこのラカン的三幅対を使って、「君の名は。」そして「シン・ゴジラ」という、間違いなく今年の日本映画を代表するであろう二大作品を見てみたいと思います。


結論だけを先にいいますと、両作は巨大災厄という「現実的なもの」への対応という点で共通しつつも、綺麗なコンストラストを成しています。すなわち「君の名は。」では「象徴的なもの」を排除することで「現実的なもの」と「想像的なもの」を直結させており、これに対して、「シン・ゴジラ」では「想像的なもの」を抑圧することで「現実的なもの」と「象徴的なもの」を対置させている、かなり圧縮していて言えばそのように言えるでしょう。


ではまず「君の名は。」から見てみますと、これはティアマト彗星という「現実的なもの」と少年少女の関係性という「想像的なもの」が直結しており、いわば本作は「想像対現実の物語」と呼ぶべきものです。

要するに物語の組み方が「セカイ系」なんですよ。クライマックスにおいて、かたわれ時の山頂での邂逅、計画の引き継ぎ、町長である三葉ちゃんの父親の説得、隕石の衝突・・・と場面が遷移していき、全住民が町長の指示により避難訓練を行い奇跡的に難を逃れたと言う結末が8年後の後日談として語られます。ところが、実際の住民の避難の様子については劇中まるで描写されていません。

このシークエンスの不自然な欠落は新海さんのルーツを考えれば、セカイ系に由来するものであることは明らかでしょう。セカイ系の構造的定義はいうまでもなく、「主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、世界の危機などといった抽象的な大問題に直結する作品」です。本作では実際に避難を実施した「町長(行政機関)という具体的な中間項」を意図的に排除することで、瀧君と三葉ちゃんの関係性こそが、糸守というセカイを救ったかの如き詩情として立ち現れている。

これに対して、「シン・ゴジラ」のキャッチコピーはおなじみ「現実対虚構」ですが、ラカン的に言えば、巨大不明生物なる「現実的なもの」と政府・官僚組織機構という「象徴的なもの」が対置されており、本文の文脈でいうと「象徴対現実の物語」といえます。

本作は「もしも巨大不明生物が現代日本に出現したら」という一点のみに焦点が絞り切られ、その過程をこれ以上なく細密に描写し尽くすことで、怪獣映画というカテゴリを脱却し、極上のディザスタームービーへの昇華に成功した。その一方、当然の代価としてヒューマンドラマ的な「想像的なもの」に対しては抑圧的な態度をとらざるを得なかったわけです。



さて。このように見てみると、次のようなことが思い切って言えるかも知れません。つまり「君の名は。」がここまでの、まさに歴史的とも言える興行的成功を成し遂げた一つの大きな要因に、公開が「シン・ゴジラ」公開のちょうど約1ヶ月後のタイミングだった点が挙げられる、ということです。

まず先立って「シン・ゴジラ」が公開され、たちまちシリーズ空前の大ヒットを成し遂げた。日本中がこの「理想のプロジェクトX」に酔いしれ、現職国会議員まで巨大不明生物に対処するための法令解釈を大真面目に語るなど「象徴的なもの」に関する言説が津々浦々に溢れかえった。

けどそれは同時に、あの作品が意図的に抑圧した「想像的なもの」に対する欲望を反動形成的に生じさせる契機ともなった。

人の心は二律背反に満ちています。シン・ゴジラが時代のテーゼとして賛美されればされるほどに、「では、市井に生きる普通の個人の想いや絆の力などどうでもいい事なのか」という、そんな問いと共に、奇しくもかつてセカイ系としてオタク的なカテゴリーへと棄却されたはずの「想像対現実の物語」への希求がアンチテーゼとして回帰してきた。


「君の名は。」はそんなタイミングで公開されたわけです。どこにでもありそうな何気ない日常の営みを繊細で瑞々しく切り出していく極彩色の映像美術。徹底されたというシナリオ開発の賜物か程よく濾過されて、いわば一番綺麗な上澄みだけが上手に掬い出されたセカイ系的ナルシシズム。この理想的とも言える「想像対現実の物語」は、いわば「シン・ゴジラ」が切り開いた想像的欲望の空間に対して鏡像的に投影されることで、その感情量は増幅され、大きく反響したのではないでしょうか。


・・・これは勿論、相当に乱暴な印象論であることは承知です。けど、そのくらい両作品が持つ鮮烈なコントラストに共時的な巡り合わせを感じざるを得ない。もちろん「君の名は。」それ単体でも新海作品の一つの到達点というべき素晴らしい作品であることは、疑いもなく、いうまでもないことです。

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posted by かがみ at 22:40 | 文化論

更新日2016年10月11日

精神病圏における〈父の名〉の排除、あるいは3月のライオン

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いよいよアニメが始まり、来年には実写映画を控え、社会現象の兆しも見せ始めている『3月のライオン』。ようやく原作12巻まで読了したので小感を書いておきます。

誠二郎氏の件の後、物語はあかりさんのパートナー探しへと遷移していきます。読んでいて思ったのは、いまの状態は、精神分析でいうところの「〈父の名〉の排除」の状態にあるのではないか、ということです。

もちろんいうまでも無く、誠二郎氏は、これほど漫画のキャラでイライラするクズも珍しいくらい、どうしようもない人間というのは疑いない。故に御本人に同情する余地は微塵もないことは明白で、娘達からの完膚無き拒絶は当然の結末でしょう。

ただ、かと言って、「私たちはこの3人でいい︎」っていう決断は美しくとも同時に相当に危うさをも孕んでいる状況ともいえる。


先に述べました〈父の名〉というのは現実の父親の名前というよりも母親と子供を切り離す「父性原理」ともいうべき一種の精神力動作用です。これが機能していないと、子どもは母親から心理的に自立ができません。具体的にいうと、言語機能に欠損が生じ、精神構造が精神病圏に留まることになる。

例によってラカン派の理論を参照するのであれば、人の精神構造は神経症圏、精神病圏、倒錯圏のいずれかに必ず帰属します。もちろん、これはあくまで精神構造の問題であり症状として発症するかどうかはまた別問題なんですが、ラカン的な意味での「いわゆる一般人」というのは「症状が顕現していない神経症者」ということになる(現代ラカン派では異論もあります)。

精神病圏とは父性原理の存在しない世界です。これが先に述べた「〈父の名〉の排除」という状態でして、例えばパラノイア患者の諸々の幻覚症状は父性原理の参照に失敗したエラー表示に他ならず、「世界の神になる」とかそういう誇大妄想は父性原理を代替する為に自分なりに作り上げた原理であると理解されうる(妄想性隠喩)。

つまり父性原理の設立により心的な意味での母子分離に成功すれば、子どもの精神構造は神経症圏に遷移し、失敗すれば精神病圏に留まるということになります。フロイトの主張した例の、エディプスコンプレックスなどと言う、一見すると荒唐無稽なストーリーは父性原理設立の神話的表現に他ならないのです。



さてさて。いろいろ長々と回りくどい説明が続いてしまいましたが、要するにはっきり言えば、いまの状況はモモちゃんの発達心理上、非常によろしく無いという事です。

モモちゃんにとってのあかりさんは疑いなく母親で、いい意味で普通の母親以上に母性原理に満ちている。他方、モモちゃんにとっての誠二郎氏は徹頭徹尾、「いきなり闖入したかと思えば、すぐさまつまみ出された『オトウサン』などと呼ばれている、よくわからないオッサン」に過ぎず、父性原理を体現する「父親」にまるで値していない。

要するに問題は目下、あかりさんからモモちゃんを心的に切り離す父性原理を起動させる人物が周りにいないということです。もちろんあかりさんに全然非は無いんですけど、現状このままではモモちゃんはあかりさんの重力圏を脱出できない危険性は極めて高いということです。これは精神分析の見地からのみならず、ユング派からもグレートマザーの脅威として理解可能な事象です。

だから、あえて誤解を恐れずに言うのであれば、早急に探し出さ無いといけないのは「あかりさんのパートナー」というより、「モモちゃんにとっての〈父の名〉」なんですよ。だから多分、羽海野さんはこのタイミングで藤本雷堂と言う、極めて解り易くファルス関数に忠実な「ある父」のエピソードを投入してきたんだと思うんです。

もちろん、藤本棋竜は誠二郎氏と行状こそ多少は似てるけども、対比には全くなってはいません。藤本さんは別居後もきちんと奥さんに生活費を入れて、一応は責任を取り(取らされ?)続けているし、何より御本人が後ろめたさを十分に自覚している。

けどそれでも、この寓話があかりさんとひなたちゃんに与えるインパクトは決して小さくないはずです。騒動の顛末における、あかりさん達のモノローグが仄かしているように「誠二郎は去ったが〈父の名〉という問題自体は全く終わっていない」ということではないでしょうか。

「本当はどうすれば良かったのかな…」

ーなんて問いが

痛みとともによぎるけど

ーどっちにしたって もう

「こっちを選んで正解だった︎」って思えるようなエンディングを目指して

私たちは

精いっぱい泳ぐしかないのだ…

したり顔の「運命」ってやつに

クロールのふりをして

「グー」でパンチを浴びせてやるその日迄……!︎

(Chapter.123)


そういうわけで、11巻が徹底した「〈父の名〉の排除」の物語だとすれば、12巻は「〈父の名〉の探索」へ旋回していく為の過渡期の話だったのかなって、そういう風に読めました。最後に出てきたあの人と、ごく普通にフラグも立ちましたし、月並みな結語ですが、これからの展開が楽しみです。
posted by かがみ at 01:27 | 文化論

更新日2016年10月01日

しあわせ・享楽・対象 a

最近、オキシトシンという神経伝達物質が「幸せホルモン」とか「愛情ホルモン」などと呼ばれて、脚光を浴びるようになりました。

かつてはもっぱら分娩時の子宮収縮薬や陣痛促進剤などが主な用途だったんですが、近年の研究において心筋梗塞の予防、降圧作用、肥満防止や睡眠の質などの体の様々な領域に深く関係することがわかりまして、さらに不安やストレスを緩和させ人間関係に積極的になったり寛容になったりするといった精神に対する作用も認められるようになります。

オキシトシンの点鼻薬投与により、従来から根本的治療がないとされていたアスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム障害(ASD)の症状改善が認められたという話題も耳新しいでしょう。

自閉症に効くオキシトシン、使用量増が症状改善 福井大:朝日新聞デジタル

母子の絆の「愛情ホルモン」が自閉症の治療に コミュニケーション力を高める効果に期待 : J-CASTヘルスケア

そもそも、オキシトシンというのは9種のアミノ酸がつながった構造のペプチドホルモンで、下垂体後葉部から分泌され、ドーパミンやセロトニンの調整を担う物質でして、授乳時に大量に分泌されることは古くから知られており、昔はもっぱら母親になった時に初めて分泌されるホルモンだとか思われていたんですね。

ところが90年代半ばからは脳内での働きについての研究が進み、オキシトシンは性別や年齢に関係なく分泌されることが判明しました。親しい相手とのスキンシップといった物理的接触、さらには、例えば優しい言葉、温かいまなざし、あるいは誰かに対する親切心、そういう精神的な触れ合いによっても、オキシトシンは分泌されることがわかった。



それでね、ふと思ったんですが、これって完全にラカンでいう「対象 a 」なんですよね。つまり、ラカン派の精神分析で言う所の「享楽」の正体ってオキシトシンなんじゃないのかなって。

説明します。まず「享楽」というのは、まあ定義的にはいろいろあるんですけど、すごく端的に言えば、胎児期、乳児期における母子が渾然一体となった「求めるだけ与えられる」という万能感に満たされた欠如なき完全円満な世界のことです。

胎児は出産、離乳といった母子分離のイベント(ラカン的にいうと「疎外と分離」)を通じて、この始めの享楽を漸進的に失っていく。そして結局、始めの享楽の残滓ともいうべき欠片だけが僅かに残るのみとなってしまう。

この欠片こそが、あの名高きラカンの「対象 a 」でして、こうして人は、言語の獲得(ラカン的にいうと「象徴界への参入」)と引き換えに始めの享楽を失い、以後の人生に於いては、対象 a を通じて得られる僅かな享楽(より正確には「ファルス的享楽」)を求めて、終わり無き反復運動に終生を費やすことになる。ラカンはこれを称して「欲望」といい、対象 a は「欲望の原因」と呼ばれるわけです。

ある物がある人にとって「それを得る事で僅かでも享楽を回復できるだろうと信じるもの」であれば、なんでもそれは対象 a になります。従って、何が対象 a になるかは人それぞれとしか言いようがないですが、ラカンが例示する対象 a の始原的なオリジナルは4つ。「乳房、糞便、声、まなざし」です。

この中で糞便というのは一見、異様ですが、排泄物は子どもの母親への最初の贈り物と言われており、他人に対し、優しく親切にするっていう原初的な感情に他ならない。お判りでしょうか?対象 a はオキシトシンの分泌条件と完全に重なっているわけです。

こうして、対象 a を通じて得られる享楽の正体とはまさしく、オキシトシンではないかという仮説が得られることになります。両者ともに最も高まるのはオルガズムの時であるとされるのもやはり強力な傍証たりうるでしょう。

オキシトシンが幸せホルモンとして注目され始める30年以上も前に享楽や対象 a の概念を提唱したラカンの慧眼にはただ脱帽するしかないですね。オキシトシン生成という神経科学の観点から、精神分析はもちろん諸般の心理療法の理論や技法を捉え直すことは面白い試みだと思ったりもするんですが如何でしょうか?と最近、思うんですよね。

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posted by かがみ at 02:22 | 心理療法

更新日2016年09月16日

「勇気付け」としての傾聴技法

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アドラー心理学の説く「勇気付け」と傾聴技法というのはかなりの部分、クロスオーバーする領域だと思うんですよ。

勇気付けというのは定義的には「横の関係による援助」です。アドラーの対人関係論から言えば、評価、操作の関係である「縦の関係」は劣等コンプレックスを肥大化させ、信頼、尊敬の関係である「横の関係」は共同体感覚を練成する、という風に定式化できる。例の、「叱ってはいけない、褒めてもいけない」などと言われますが、この横の関係さえ出来ていれば、「叱責の言葉」や「褒め言葉」も、場合によっては「勇気付け」となりえるでしょう。

「叱ってはいけない、褒めてもいけない」というキャッチコピーの功罪

そして、人の話を「きちんと」聴くということは、単なる情報受信や意思疎通を超えた、その人の内的世界観の共有を意味します。よって、傾聴というのは勇気付けのベースとなる「横の関係」を生成する上での重要な要素というべきでしょう。

もちろん、「きちんと」聴くというのはただ人の話を何となく聴いてればいいわけじゃないです。聴き手の「聴いてます!理解しました(^o^)ノ」っていうメッセージがはっきり話し手に伝わらないと意味ないんですよね。

傾聴技法というのは、この「聴いてます!理解しました(^o^)ノ」ってメッセージを強烈に伝達する手段のようなものでして、基本的な@相槌、A反復、B反射の三つだけでも意識できれば、コミュニケーションの質はだいぶ違ってくるのではないでしょうか。

@相槌(Simple Acceptance)

相槌って、日常会話では案外適当なんですけど、「最小限の激励」とも言われ、話し手にその先をおっしゃってくださいというメッセージを伝えることができるので、きちんとした相槌は勇気付けとして作用します。

相槌の基本3言葉は「はい」「ええ」「うん」。プロカウンセラーはこの3つの相槌を徹底的に練習すると言われます。因みに、「うん」というニュアンスは、子供がお母さんに「うん!」と叫ぶ「うん!」じゃなくて、優しく「うんうん」と頷く「うん」ですね。

A反復(Restatement)

もっとも、単に、ええ、ええと延々と相槌を打つばかりでは話し手としては「本当に聴いているの?」と感じるでしょうから、時には、相手の言った印象的なキーワードを反復してみたりする。

反復においては基本的に話し手となるべく同じ言葉を使うのがセオリーなんですけど、例外的に、話し手が自己否定的なマイナス言葉を発した時は、聴き手はそれを積極的にプラス言葉に言い換えることを心がけるべきでしょう。

例えば、話し手が「断れない性格なんですよ」と言えば「そうか、あなたは優しいんですね」などと返すように。その積み重ねはいわゆるリフレーミング効果を生み出し、話し手の否定的な自己認知が徐々に肯定的な自己認知へと変容していくことが期待されると言われます。

B反射(Reflection)

そしてまた、ある時には「それは辛かったでしょう」「苦しかったんですよね」「だけど、嬉しかったんですよね」などといった、話し手の言葉の裏側にある喜怒哀楽の感情面に焦点を当てた応答を心がけてみる。まさにこれはアドラーのいう「大切なことは共感すること。共感とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることだ」ということです。

こんな風に、その一つ一つはバカバカしいくらい、本当に小さな小さな積み重ねなのかもしれませんけどね。ただね、何者でもない凡人たる我々が日常的なコミュニケーションという想像的軸上で勇気付けを実践したいのであれば、こういった日々の営為こそが、「トラウマは存在しない\(^o^)/」とか「課題を分離しろ\(^o^)/」などといった、聞き齧りのアドラーの理論をもっともらしく「アドバイス」してあげるよりも、長い目で見れば、よっぽど横の関係の生成に寄与するものではないかと思うわけです。
posted by かがみ at 00:26 | 心理療法