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2025年10月25日

超越論的経験論と快原理の彼岸



* ドゥルーズの哲学原理としての超越論的経験論

20世紀を代表する哲学者の1人であるジル・ドゥルーズの仕事は哲学にとどまらず、精神分析、文学、絵画、映画といった諸領域を変幻自在に横断するものであり、そこではさまざまな革新的な概念が創出されることになります。そして、このようなドゥルーズ哲学の枢要部にある哲学原理を國分功一郎氏は『ドゥルーズの哲学原理』(2013)において「超越論的経験論 L'empirisme transcendantal」と呼んでいます。この一見する語義矛盾のように思われる表現はいわばディヴィッド・ヒュームの経験論哲学とイマヌエル・カントの超越論哲学を総合するものであるといえます。

よく知られるようにヒュームは経験論という哲学を説きました。経験論とはその名の通り、人間の知性や認識の基礎を経験に求める哲学です。ドゥルーズは最初の著作である『経験論と主体性』(1953)においてヒューム哲学の根本にある問いを極めて簡潔な一文で説明しています。「ヒュームが取り組むことになる問いはこうなる−−精神はどのようにして一つの人間的自然に生成するのか?」ということです。同じ問いは「精神はどのようにして一つの主体へと生成するのか?」とも言い換えられています。すなわち、ここでドゥルーズがヒュームに見出しているのは主体を所与の前提とせず、その発生を問う哲学です。

この点、ヒュームによれば精神とは互いに関連を持たないバラバラな観念の集合にすぎず、従って精神はその状態ではいかなる認識も持っていません。この精神が何らかの認識を持つのは、そうしたバラバラな諸観念を関係づけ、連合させる時です。例えば我々が毎朝、太陽が昇るの見るとして、その知覚は「今朝太陽が登った」「昨日も太陽が昇った」「その前も太陽が昇った」といったバラバラな諸観念を形成しますが、そのバラバラな諸観念が或る時に連合され「明日も太陽が昇るだろう」という認識が成立します。認識とはそのようにして我々が経験したことのないものを肯定=信じる事態を指しています。つまり認識とは所与の経験を越え出ています。諸観念が連合されることでこうした「信念」が発生し、所与の経験を超出することで認識が成立します。それはつまりは精神が一つの主体へと生成することに他なりません。

このようにヒュームは人間の知性や認識の基礎を経験に求めました。これに対してカントはこのような経験そのものを可能とする条件を問います。このようなカントの問いは経験に先立つ先験的な「超越論的」と呼ばれる領域を切り開くことになります。これについてドゥルーズは『カントの批判哲学』(1963)において「超越論的とは、経験が必然的に我々のア・プリオリな表象に従う際の原理を指す」と定義しています。

ドゥルーズはカントによる超越論的なものの発見を高く評価します。しかしそれと同時にカントによる超越論哲学の運用上の欠点を明らかにします。ドゥルーズによればカントの超越論哲学においては経験的領野を基礎付けるはずの超越論的領野に経験的領野を「引き写す」ように「自我」や「超越論的統覚」が見出されており、さらにこのような自我や超越論的統覚を想定するだけで、その発生を問うていません。

その一方でドゥルーズはヒュームにこのようなカントが問うことをやめてしまった発生の問いを見出しています。こうしたことからドゥルーズはカント的な超越論的哲学の可能性を引き継ぐとともに、そこで喪われた発生の問いをヒューム的な経験論哲学によって補完します。これがいわば「発生を問う超越論哲学」としての「超越論的経験論」と呼ばれるものです。


* 原光景としての「無人島」

このようにドゥルーズの超越論的経験論は超越論哲学のカント的な運用を批判する形で構想されました。カント流の超越論哲学は「自我」や超越論的統覚を想定しているだけでその発生を問うていません。ならばその発生を問うとき、その根源には一体何があるのでしょうか。

まずドゥルーズは自我に先立つ世界を「無人島」という奇妙な形象を通じて極めて早い段階から論じています。1950年代に書かれ長らく未発表であった草稿「無人島の原因と理由」において「或る島が無人であるということは、我々にとって哲学的には正常なことと思われて然るべきなのだ」「或る島が無人島でなくなるには、そこに人が住めば済むわけではない」「いかなる島も、理論的には無人であり、またそうであり続ける」というなにやら哲学的なテーゼらしきものから無人島なる形象に独自の視点で迫ります。

ここでドゥルーズが言わんとしていることは無人状態の島に誰かが1人ぽつんと置かれたとしても、直ちにこの無人状態が崩壊するかどうかは疑わしいということです。ここでいう無人状態とは「哲学的」に考えれば主体と客体の区分のない世界に他なりません。そこに人が住まうだけでは無人状態は崩壊しないのである。ではどうすればこの無人状態が崩壊し主体と客体の区分がある世界が現れ出るのでしょうか。

この点、後にドゥルーズは同じテーマを『意味の論理学』(1969)の補遺として収録された「ミシェル・トゥルニエと他者のない世界」という論文でより理論的に論じています。ここでドゥルーズは無人島を「他者のいない島」と定義します。我々は普段「他者」がいる非-無人状態の世界を生きています。このような非-無人状態は「他者」の存在を前提としており「他者」によってもたらされる何らかの効果の中にいます。

こうした意味での「他者」がもたらす効果とは我々が知覚する対象や観念に沿って「周縁的な世界」を組織することにあります。人は一度に見ることができる範囲は限られています。例えば我々が通りに立って建物を見たとき、当たり前ですが見えるのは建物の正面だけであり、その裏側や内部を見ることはできません。にもかかわらず人はその建物には裏側や内部があると当然に思っています。なぜならば「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考えるから」です。

このように「他者」というものを想定することではじめて、人は見えない部分を「他者」には見える部分として処理し、それが恒常的に存在していると考えることができます。つまり見えていない「周縁的な世界」を組織することができると言うことです。すなわち、ここでいう「他者」とは、対象の対象性を保証し知覚領域そのものを成立させる「知覚領域の構造 structure du champ perceptif」であると定義されます。そしてこのような対象化作用があって初めて〈私〉なるものが対象として措定され自我というものが発生することになります。つまり、ここで他者によって知覚する主体と客体という構図そのものが成立します。

こうしたことからドゥルーズのいう「無人島=他者がいない島」とはこうした知覚を支えてくれる存在がいない場所であり、そこでは人にとって見えていないものは端的に存在しないことになります。そして外部からくる「他者」によって初めてカントが想定したような自我や超越論的統覚が発生するということになります。

そして、以上のような理論の根幹にはヒューム的な発想があります。「対象の中で私が見ていない部分を、私は同時に、他者には見えるものとして考える」とはヒュームのいう「信念」に属しています。先述のようにヒュームは「信念」によって人間の認識が所与を超出すると考えました。もっともヒュームはそれはあくまで認識の事実として−−どうしてかはよくわからないが、認識を調べてみると出てくる事実として−−提示していたに過ぎませんでしたが、ドゥルーズはここでヒュームのいう「信念」を「他者」のもたらす効果として捉えているということです。


* 超越論的なものとしての「出来事」

このように「無人島」とはドゥルーズの超越論的経験論にとって原光景となります。そこに「他者」が現れることによって我々のよく知る経験世界が成立します。ではこのようにして超越論哲学が再構成されるとき、そこでいう超越論的なものとは一体何なのでしょうか。

結論からいえばドゥルーズにとって超越論的なものとは「出来事 événement」です。ドゥルーズはこれを「特異性 singularité」とも呼びます。この両者は完全に同一視され二つをハイフンで繋いだ「特異性-出来事」という表現もドゥルーズは用いています。

このような「特異性-出来事」という概念が構築される出発点は17世紀の哲学者ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツが打ち出した可能世界論です。例えば「シーザーはルビコン河を渡った」という事実があるとすれば、その反対の「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という世界線を考えうることができるでしょう。この「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という世界線がライプニッツのいう可能世界です。

そして「シーザーはルビコン河を渡った」という「出来事」において分岐が生じており「シーザーはルビコン河を渡らなかった」という可能世界では我々の知るこの現実世界では現実化しなかった別の出来事の系列が伸びていることになります。この分岐した諸系列の間の両立不可能性をライプニッツは「非共可能性」と呼びます。換言すればこの現実世界は共可能的な出来事の諸系列だけが現実化しているということです。

ところで「出来事」において系列が分岐するということは、そこで別の個体が発生することを意味しています。すなわち「シーザーはルビコン河を渡った」という「出来事」において、一方では「ルビコン河を渡る」という述語=出来事を内包する現実世界の「シーザー」が発生し、他方では「ルビコン河を渡らない」という述語=出来事を内包する可能世界の「シーザー」が発生しています。つまり「出来事」とは個体に先行し、個体を発生させるジェネレーター(発生素)になるということです。

このようなライプニッツが可能世界論で描いたような発生のメカニズムをドゥルーズこの現実世界に見出そうとします。この課題から要請されたものがドゥルーズ哲学の代名詞といえる「潜在性 virtualité」という概念です。

この点、ドゥルーズは可能世界論における「可能性と実在性」という対に対して「潜在性と現働性」という別の対を提示します。しばしこの現実はいくつかの「可能性」の中の一つとして選択されたものと考えられがちですが、この考え方は実は転倒しており、常にある事柄が実現された後に初めて「そうはならなかった可能性」が見出されています。すなわち「可能性/実在性」を軸とする発生は真の発生ではなく、むしろ潜在的なものが現働化することでこの現実は構成されるのであり、系列化に先立つ「特異性-出来事」が大域的にひとまとまりにされるときに発生が起きるということです。

なおドゥルーズはこのような「特異性-出来事」の着想をライプニッツのいう「微細表象 petite perception 」から得ています。ライプニッツは無数の微細な知覚を無理矢理一括りにすることで意識という統覚が発生するプロセスを論じていますが、それはつまり潜在的な領域にあった発生素としての微細表象(特異性-出来事)が現働化することで統覚(意識)が発生するというプロセスに他なりません。


* 超越論的経験論から読むフロイトの第二局所論

以上のようにドゥルーズの超越論的経験論は「無人島」という舞台と「特異性-出来事」という発生素から構成されることになります。ここからドゥルーズはこうした超越論的経験論が実際に作動する場面として彼が「出来事の科学」と呼ぶ精神分析を検討することになります。

オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトが20世紀初頭に創始した精神分析は「エディプス・コンプレックス」の発見で知られています。フロイトによれば幼児は母親に対する近親相姦の欲望と、それを阻む父親に対する尊属殺人の欲望に貫かれていますが、これら無意識の欲望は達成されることがなく、その断念こそが主体を生成することになります。

もっともドゥルーズが注目するのはこのエディプス・コンプレックスではなく、フロイトが後期に展開した「快原理の彼岸」の問題です。フロイトは当初「意識/前意識/無意識」の三つ組から人間の精神生活を描き出していました。これは第一局所論と呼ばれるものです。ところがそこからフロイトはあらたに「エス/自我/超自我」という三つ組を構想することになります。これが第二局所論と呼ばれるものです。

「エス」とはドイツ語でまさしく「それ」としか名指せないような生命エネルギーの塊であり、これは「快原理」と呼ばれる原理に従って動きます。この点、フロイトによれば「快」とは興奮量の減少であり「不快」とは興奮量の増加をいいます。すなわち、ここでいう「快原理」とは心的装置が不快(興奮量の増加)を避けて快(興奮量の減少)を求めることで自らを恒常的なままに保つ原理を指しており、この「快原理」こそがエスを突き動かす唯一無二の行動原理です。ところが幼児は次第にこの行動原理では現実にはうまく立ち回れないことを理解していき、不快を避けて快を求める衝動を延期することを学びます。

このような「延期された快原理」のことを「現実原理」といいます。この「現実原理」を担うのが「自我」です。つまりフロイトのいう「自我」とは、あらかじめ主体に与えられた機能ではなく「エス」が現実と葛藤する中で分化して発生する審級に他なりません。このようにフロイトはカントが「想定」しただけの自我のその「発生」を描き出します。

さらにこうした「自我」の発生にやや遅れて「超自我」と呼ばれる審級も登場します。「自我」が自分が現実世界の中で大変弱い存在であること、自分には到底敵わない外部の権威が存在することを学んでいく中で、そのような権威を取り込むことで発生するのが「超自我」です。

この点、フロイトは「超自我」こそがカントの述べていた「良心」のことだろうと述べています。カントによればどんな悪人でも悪いことをするときには「これは悪いことだ」と思っているのであって、その意味で人間は誰でも「良心」を持っているということになります。そしてフロイトの超自我の理論はカントが単に想定しただけの「良心」なるものの発生をも説明しているということです。

こうして「自我」は「超自我」に監視されつつ「エス」を手懐けながら、自らの欲望の達成を目指すことになります。これがフロイトによって説明された人間の精神生活の概要です。この点「意識/前意識/無意識」という三つ組からなる第一局所論はフロイトの臨床経験から「想定」されたものにすぎませんでした。これに対して「エス/自我/超自我」という三つ組からなる第二局所論は実に発生論的な発想で描かれています。そればかりではなく第二局所論はライプニッツ経由の微細表象論と直結しています。

ドゥルーズはエスと自我の関係について「エスには諸々の局所的な自我がひしめき合っている」といいます。あるひとつの自我が成立する前の段階、つまり主体の構成の最初の段階では自我に統合されうる要素としての断片が「局所的な自我」としてエスの中でひしめいているということです。これらの局所的な自我はそれぞれが「部分対象」によって駆動されています。ここでいう「部分対象」とは乳房、指、口唇、肛門など、人体の形に統合されていない欲望の原初的な対象をいいます。

そしてドゥルーズ=フロイトの説明によれば、部分対象によって駆動されつつエスに同居しているバラバラで局所的な自我が大域的に統合されるとき、エスから析出される形で一つの自我が発生することになります。この議論は潜在的な水準にある微細表象の現働化というライプニッツ経由の議論とまったく同型をなしています。実際にドゥルーズの部分対象を微細表象に準えています。つまりドゥルーズはフロイトの中に微細表象論、つまりは大域的な自我を生成する非系列的な「特異性-出来事」の議論を読み取っているということです。


* 快原理の「彼岸」とは何か

そこで問題となるのはこの大域的な自我の発生そのものです。フロイトによればこの発生は快原理によって制御されているとされます。先述のように現実原理は延期された快原理であり、快原理と対立するものではなく、いわば「快原理の部分」です。ではこの快原理なるものはいったい何に由来するのでしょうか。それは単に人の心の本質としてフロイトが想定したものなのかというともちろんそうではありません。この快原理の由来を問うところからフロイトの真に哲学的思惟、超越論的探求が始まることになります。

周知のようにフロイトは後期の著作『快原理の彼岸』(1920)の中で快原理の起源を説明し「死の本能」という考えを打ち出しました。そしてドゥルーズは「死の本能」をめぐるフロイトの「思弁」を高く評価すると同時に、ある重要な修正を提案することになります。

この点、この『快原理の彼岸』という著作は概ね次のように理解されています。フロイトはある時期まで不快を避けて快を求めるという快原理が心的過程を支配していると考えていましたが、不快でしかありえないことを執拗に繰り返す反復強迫、とりわけ戦争神経症などの外傷性神経症に見られる反復強迫(思い出したくないはずの心的外傷を受けた場面が夢の中に執拗に再来しえ眠れない等)の症例によって、その原理の限界を突きつけられることになります。

そこからフロイトは心的過程においては生を求める「生の本能」と死を求める「死の本能」の二つが対立して作用しており、時に一方が時に他方が現れるという仮説を提示するに至ります。つまりそこには快原理の統御が及ばない「彼岸」があるということです。

ところがドゥルーズが最初に強調するのは快原理の「彼岸」とはこの原理にとっての「例外」ではないということです。どういうことでしょうか。この点、フロイトによれば心的装置は外的なショックにより流入する外部からの過剰なエネルギーに比しうるだけのエネルギーを流入箇所にあらかじめ「備給」することで流入したエネルギーを「拘束」し、外的ショックに対処する刺激保護の機能を持っているとされます。そのような機能のうちの一つが「不安」です。すなわち「不安」とは心的エネルギーが一箇所に過剰に備給された状態をいい、それは畢竟、心が外的ショックから自らを守るための防衛機制であるということです。

しかし、これがうまく作動できない時があります。災害や戦争などでの突発的事態においては不安の準備が整っていないところに突如、強力なショックが生じます。この場合、心的装置は流入するエネルギーを拘束できません。そして拘束できないエネルギーがあまりに多いと刺激保護の機能そのものが破綻してしまいます。これがフロイトのいう外傷性神経症の発症メカニズムです。

ではこの後、心的装置はどう振る舞うのでしょうか?フロイトによれば心的装置はわざと不安な状態を作り出し、また外傷を与えた場面を想起させ、流入するエネルギーの拘束を心の中でシュミレートしようとします。つまり外部からのエネルギーに不安が対処するという事態の再現を繰り返すことで、そのエネルギーの統御を実現しようとします。もちろんこの統御は簡単には実現しないから、外傷的な場面が夢の中に何度も再来することになります。これが反復強迫のメカニズムです。

この点、先述したようにフロイトによれば快とは興奮量の減少であり、不快とは興奮量の増加であり、快原理とは心的装置が不快を避けて快を求める行動原理を指しています。つまり、流入したエネルギーを拘束するために不安によって外的なショックに備えるという一連のプロセスはこの快原理の実現を目指すものであり、反復強迫もまたこの原理の実現を目指すものに他なりません。では快原理の実現はなぜ目指されるのでしょうか。フロイトの「思弁」はここから始まります。


* 超越論的経験論と快原理の彼岸

まずフロイトは外傷神経症を通じて発見したメカニズムを精神生活一般に拡張することを試みます。反復強迫は外部からの刺激によって引き起こされるだけでなく子供の遊びや治療中の神経症患者まで幅広く見出される現象です。ということは外傷性神経症を引き起こすエネルギー流入に比しうる何らかの興奮が内部から起こっていることが予想されます。そしてフロイトによればこの内部興奮の源泉こそ、有機体の「本能 trieb」に他なりません。

フロイトはこの本能を「より以前の状態を回復しようとする、生命ある有機体に内属する衝迫である」と説明します。有機体が緊張を排し、平衡を取り戻そうとするのはそのためだと考えられます。そしてここでいう「より以前の状態」を「思弁」するフロイトは「もし例外なしの経験として、あらゆる生物は内的な理由から死んで無機物に還るという仮定が許されるなら、我々はただ、あらゆる生物の目標は死である(…)としか言えない」と述べます。これがフロイトのいう「死の本能」です。

もちろんこの「思弁」にはすぐさまにごく単純な疑問が呈されるでしょう。ではあらゆる生命の目標が死であるのならば、なぜあらゆる生命には自己保存本能、すなわち生の本能が見出されうるのかという疑問です。フロイトの答えは極めてシンプルです。生の本能は死の本能の部分に過ぎないからです。生命は外から与えられる死ではない、あくまでも「自分自身の死」を目指しており「有機体はただ自分のやり方でのみ死のう」とします。これが「死の本能」です。従ってそのような「自分自身の死」を目指す生の長い過程を邪魔するものは全力で排除します。これが「生の本能」です。つまり「生の本能」とは「死の本能」の部分を近視眼的に見た時に見出されるものに過ぎないということです。

以上のようなフロイトの「思弁」をドゥルーズは高く評価します。けれども同時にドゥルーズは「超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないというところにある」と述べています。フロイトは経験領域を支配している快原理について考えを突き詰め、それを基礎付ける超越論的原理である「死の本能」へと到達しました。しかしフロイトはこの「死の本能」を「想定」したところでその探求をやめてしまいます。そこでドゥルーズはこの超越論的探求の後を継ぎ「死の本能」という超越論的原理そのものの「発生」の解明に取り組むことになります。

こうしたことからドゥルーズは『差異と反復』(1968)において「フロイトは、リビドーは自我に逆流すると、必ず己を脱性化し、タナトスへ奉仕することが本質的にできる移動性の中性エネルギーを必然的に形成する、と述べている。けれども、なぜフロイトは、そのようにして死の本能を、そうした脱性化されたエネルギーに先立って存在するものとして、つまりそのエネルギーから原則的に独立したものとして提起するのだろうか」と述べ、ここから「タナトスは、エロスの脱性化と、すなわち、フロイトが語っているそのような中性的で移動性のエネルギーの形成と、完全に混じり合っていると思われる。このエネルギーは、タナトスへの奉仕に移行するのではなく、タナトスを構成するものである」という解釈を提案します。

つまり快原理の作動により「脱性化」された「中性エネルギー」はフロイトのいうようにタナトスに「奉仕」するのではなく、この「中性エネルギー」こそがタナトスそれ自体を「構成」するということです。換言すれば、ここでドゥルーズは死の本能、つまりタナトスという超越論的原理は快原理という経験的原理の要請に従って生成すると考えているということです。確かに経験領域を支配する経験的原理は超越論的原理に基礎付けられています。しかし超越論的原理は経験的原理から独立して存在するのではなく経験的原理と不可分の形でそれと並んで生成されるものであるということです。

このようにドゥルーズはカントが想定しただけの自我の発生を問い、そこから自我を形成する経験的原理としての快原理を駆動させる超越論的原理としての死の本能の発生を問いました。もちろんドゥルーズのフロイト読解には異論もあるでしょう。しかしドゥルーズがフロイトを読み抜いた先にフロイト本人も問わなかった問いを開いたことは確かでしょう。超越論的探求の特徴は、ここでやめたいと思うところでやめるわけにはいかないのです。そして、このようなドゥルーズが開いた超越論的探求の問いの系譜からは近代哲学と精神分析を接続し、両者を統合的に理解するための視座を得ることができるのではないでしょうか。




















posted by かがみ at 23:48 | 精神分析

2025年09月22日

オープンダイアローグにおける「斜め」の空間



* オープンダイアローグとは何か

フィンランドの西ラップランド地方トルニオ市にあるケロプダス病院のスタッフを中心に開発された「オープンダイアローグ(OD)」は、従来、薬物や入院が必須と考えられていた急性期の統合失調症を「対話」の力で寛解に導くことで精神医療に大きなインパクトをもたらしました。

ODの実践は一見、極めてシンプルです。クライアントやその家族から電話などで支援要請を受けたら24時間以内に治療チームが結成され、クライアントの自宅を訪問。治療チームと本人、家族、友人知人らの関係者が車座になって対話が行われます。

この対話においてはすべての参加者に平等に発言の機会が与えられます。ミーティングは1回につき1時間から1時間半程度で、ミーティングの最後にファシリテーターが結論をまとめます。本人抜きではいかなる決定もされないこともODの重要な原則です。何も決まらなければ「何も決まらなかったこと」が確認されることになります。このミーティングはクライアントの状態が改善するまで、ほぼ毎日のように続けられる場合もあります。

このようにODの特色は治療者側が「チーム」で介入する点にあります。チームは精神科医、看護師、臨床心理士などで構成されますが、チーム内での序列はありません。皆が自律したセラピストとして対等の立場で対話に加わります。

そして、今後の治療方針を決める治療者同士の話し合いも患者側の前で行われます。これは「リフレクティング reflecting」と呼ばれる家族療法家のトム・アンデルセンによって開発された技法です。診断、見通し、治療方針に関する議論を全て患者の前で開示することで、さらなる対話が促進され患者の意思決定も容易になるということです。

こうしてODでは対話の場に参加者の言葉が投入されることで、自律性的に作動する対話システム(対話クラウド)が形成されていきます。こうした対話システムが作動する目的はその作動それ自体がであり、その結果として患者の中で「新しい現実」が創出され、その副産物、ないし廃棄物として症状の改善や治癒が降ってくるというイメージです。では、このようなオープンダイアローグという対話システムはいかなる治療原理によって作動し、そこではいかなる主体が現れ出る空間として把握されうるのでしょうか。


* 精神分析との比較から考える

この点、松本卓也氏は「精神分析とオープンダイアローグ」(2022)という論考(初出:石原孝二・斎藤環編『オープンダイアローグ 思想と哲学』)で精神分析との比較からODの特性を際立たせています。精神分析とODの相違はまず何よりもそれぞれの臨床が行われる空間配置にあります。よく知られるように精神分析の創始者ジークムント・フロイトはごく初期には対面法(治療者と患者が相対するような形で面接を行う方法)を用いていましたが、のちに患者を寝椅子(カウチ)に横たわらせ、治療者はその傍らに座るという特異な空間配置(背面式自由連想法)を用いるようになりました。

このような空間配置は精神分析が分析家と分析主体のあいだに生じる垂直的な関係を治療のための原動力として用いていることを意味しています。すなわち、分析家に頭を向けて寝椅子に横になることで、分析家という他者が自分の頭上にいるような位置関係が生じます。換言すれば精神分析における空間は寝椅子に横たわることで人間同士の水平的関係を人工的な垂直的関係へと作り替えているということです。そして、このような空間配置は当然、精神分析の過程で生じる現象にも関わってきます。

その典型例が「転移 übertragung」です。ここでいう「転移」とは患者が幼少期において体験していた重要な他者(両親などの養育者)との関係が現在時における患者と分析家とのあいだで再現されることを指しています。このような転移の発生を本論考は分析の場と幼少期との空間的な類似性に関連づけており「いまだ直立二足歩行を身につけていない子どもは、横たわった状態で、自分の『上』に他者がいるという空間配置のなかで人生を始めるのである」といいます。

そして精神分析の治療原理とは、このような転移を通じて患者が分析家を「厳しい超自我(これは患者の幼少期における養育者の権威的な像に由来するとされます)」として体験することに始まり、このような超自我と同一視された分析家が患者に解釈を投与することで患者が徐々に過去に形作られた超自我のイメージをより抑圧的ではないものへの更新することによって終わると考えられています。


* 水平方向のダイアローグと垂直方向のダイアローグ

では翻ってオープンダイアローグにおける臨床空間はどうでしょうか。先述のようにODのミーティングの特徴は関係者が車座になって座り、平等で開かれた対話がなされる点にあります。こうしたことからODにおける患者の語りは独語的モノフォニーではなく、多数の声が響き合うポリフォニーとなります。

このようにODでは精神分析のように患者と治療者の関係が垂直方向において展開されるのではなく水平方向において展開されており、しかも患者と治療者の関係はふたり(だけ)の関係から多数の関係へと拡張されることになります。

ただしそれはODが水平的な他者関係のなかだけでなされる治療法であるということを意味しません。ODにおいては患者の前で治療者同士が治療方針を決める「リフレクティング」により、水平的な関係のなかに垂直的な関係がいわば「弱毒化」された形で再導入されていることがきわめて重要となります。つまり患者は「リフレクティング」を観察することで、自分の心から発せられる「内なる声」と垂直的に対話することが可能となるということです。

ODの開発者であるヤーコ・セイックラが述べているようにODにおける対話には、すべての参加者のあいだで行われる「水平のダイアローグ」と、それによって触発された個人の内部での「内なる声」としての「垂直のダイアローグ」のふたつがあり、このふたつの対話の協同こそが重要になってきます。すなわち「『内なる声』が超越的な権威として作用しないようにするための「抑え」として水平方向のダイアローグを用いること。そうすることによって個人における変容を引き起こすこと。それこそがオープンダイアローグの空間で生じる治療の原理なのである」と本論考は述べています。


* 裂け目としての主体

次に本論考は精神分析とオープンダイアローグの相違を「主体」との関係から検討します。この点、精神分析における「主体 subject」とは「自我 ego」とは似て非なるものです。ここでいう「自我」とは精神分析において様々な対象を取り込んで作り上げられるパーソナリティのような比較的安定したものを指すのに対し「主体」とはむしろそのような安定したものの「裂け目」においてはじめて現れるものであるといわれます。

そしてフランスの精神分析家ジャック・ラカンは精神病(統合失調症)は「発言すること prendre la parole」を要請されるときに発病すると述べています。つまり統合失調症とは、患者が他者との関係のなかで生じた裂け目に対して主体定立的な言語的応答を行わなければならないときに、自分が他者に向けて「発言すること」ができない代わりに、他者が自分に向けて語り始めるという仕方で、発病するということです。

こうしたことからラカン派においては統合失調症の患者に対して主体を再生するようなアプローチが推奨されてきました。その一つに治療者がラカンのいう「狂者の秘書 secrétaire de l'aliéné」になるというものがあります。すなわち、妄想する患者に語りに同調するのではなく、語りを聞き届ける役目を果たすというアプローチです。

この点、本論考は統合失調症の患者は一方では「他者の世界(すなわち妄想の世界)に否応なく引き寄せられてい」ますが、他方では妄想を「自ら主体的に語り直すことによって、現実世界とも関わりを持つことができる」のであり「このような二重のあり方を利用し、妄想を否定せずに現実とも折り合いをつけていけるような構造的な二重見当識を獲得させること」こそがラカン派における統合失調症の治療指針とされてきたといいます。


* オープンダイアローグにおける「斜め」の空間

これに対してオープンダイアローグでは統合失調症における主体化の困難に対してオルタナティヴな解答を提供しているように思われると本論考はいいます。すなわち、統合失調症が主体化の要請によって発病する病であるとすれば、その主体なるものを単数的な個体に属するものとして扱うのではなく、複数的な声(ポリフォニー)が鳴り響く空間へと開くということです。

このような実践は精神分析の文脈でいえばラカン派の臨床に対するラディカルな批判を行った精神分析家フェリックス・ガタリのそれと一定の類似性を持つように思われると本論考はいいます。フランスのラボルド病院における「制度論的精神療法」の実践から出発したガタリは病院というシステムがしばしば患者に対して上から命令を押し付ける「垂直方向」と平準化された横並びの「水平方向」の両方においてそれぞれ極端化しがちであるという認識に基づき、その両方の極端さを乗り越える次元としての「斜め横断性」の重要性を説いています。

ここには全ての参加者のあいだで平等に行われる「水平方向のダイアローグ」と各個人の中で行われる自己対話である「垂直方向のダイアローグ」の協同としての「斜め」を重要視するODとの共通性を見出すことができるでしょう。

またガタリはラカン派の精神分析が想定していたようなあらゆる言語的な行為を個人における「主体」に帰属させる「言表行為の主体」の単数的モデルを批判し、その対立物として「集団的主体性」という概念を採用しています。こうしたガタリのいう「集団的主体性」の概念もやはり専門家や患者といった単一の声(モノフォニー)を持つ人物が主体の座を占めるのではなく、複数的な声(ポリフォニー)が鳴り響く空間のなかで「主体を別様に機能させる」というODの実践に通じているといえます。

松本氏は本論考も収録されている近著『斜め論』(2025)において従来の精神病理学や精神分析が特権化しがちであった「垂直方向」の言説や実践に対する異議申し立てとしての「水平方向」の言説や実践が開く「ちょっとした垂直性」としての「斜め」に注目した議論を展開しています。こうした観点からいえばオープンダイアローグは極めて洗練された「斜め」の実践であるといえます。そして同時にそれは従来の精神病理学や精神分析がほとんど自明視していた「主体」とはひとりの個人に帰属するという前提を根本から揺るがす契機をもたらす実践であるといえるでしょう。






















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2025年08月24日

不気味なものと不気味でないもの



* 快感原則の彼岸と不気味なもの

精神分析を創始したジークムント・フロイトは1919年に「不気味なもの Das Unheimliche」と題される論文を発表しています。この1919年という年はフロイトが「快感原則」を根底におく前期の理論体系から「快感原則の彼岸」としての「死の欲動」の存在を仮定する後期の思想に移行する過度期に位置しています。ここでいう「快感原則」とは心的エネルギーの恒常性(ホメオスタシス)を保つための自動調整作用をいいます。フロイトによれば「快」とは興奮量の低い状態を指し、反対に「不快」とは興奮量の高い状態を指し、興奮量が低い方が心は安定するため人は快を好むということになります。

そしてフロイトはこの快感原則に1人の人間の心的統一性を保証する機能を見出しています。よく知られるように精神分析の革新性は1人の人間の中に知覚と運動を制御する複数の審級を見出し、それら諸審級の争いを発見した点にあり、この複数の審級は前期のフロイトにおいては「意識/前意識/無意識」からなる第一局所論として、後期フロイトにおいては「自我/超自我/エス」からなる第二局所論としてモデル化されています。つまり1人の人間の中に複数の心的人格が競合する場=空間があり、これらの心的人格の競合を調停して個人の心的統一性を保証するものこそが快感原則であるということです。

このようにフロイトはその前期においては人は畢竟、快のみのために生きると考えました。ところがその後期になると人は快のみのために生きるのではなく、そこにはしばしば、あるズレが忍び込み、人は不快へと駆動されると考えるようになります。

フロイトは1920年の著作『快感原則の彼岸』で、そのズレを「反復強迫」に見出しています。この点、ある種の神経症患者や幼児においては、しばしば同じ外傷ないし苦痛の感覚を飽きることなく反復することが観察されていますが、彼らのその行動を快感原則から解釈することは困難です。では彼らを駆動するものは何なのか。この問いは後期フロイトの精神分析理論の中核に位置することになり「不気味なもの」という論文もまたこうした問題意識から記されています。


* フロイトの不気味な経験

この「不気味なもの」という論文でフロイトは「不気味さ」の本質は親しく熟知しているはずのものが突然に疎遠な対象に変わるその逆転のメカニズムにあると述べています。そして同論文は「不気味なもの」の感情の起源についていくつかの仮説を検討したのち、最終的に「反復強迫を思い出させるものこそが不気味に感じられる」と結論づけています。このように「不気味さ」とはフロイトによれば快感原則からの逸脱の想起にともなう感情であるということになります。

フロイトがそこで挙げる「不気味なもの」の典型例はそれ自体では無意味な出来事の偶然的な反復、例えば1日の間に同じ数字に何度も出会うといった現象ですが、同時に彼は「不気味なもの」の例として神経症患者が「自分たちが考えていたその人間に決まって出会う」という体験を挙げています。

事実上の偶然としか言いようがない数の反復と異なり「自分たちが考えていたその人間に決まって出会う」という体験が生じる理由はある程度分析できます。もとよりフロイトは「自分たちが考えていたその人間に決まって出会う」という体験について1901年の著作『日常生活の精神病理学』においてフロイトは街頭で不愉快な友人について考えていた直後にその当人に出会うという自身の経験を次のように分析しています。

フロイトは2人の距離がまだ遠く離れている時点でその友人がこちらに歩いてくる姿を知覚しますが、その知覚自体は感情的な動機により抑圧され、意識にのぼりません。にもかかわらず他方でその情報を受け取った無意識は独自に連想の糸を辿り、その友人を空想のかたちで意識にのぼらせます。

つまり、ここでは一つの情報が二つに分割され、そののちに別々に処理されていることになります。そして、その間にフロイトと友人との距離は縮まっており、結果としてフロイトはちょうど友人のことについて考えていたときにまさにその当人から声をかけられるという「不気味な」体験をすることになるということです。


* 不気味なものと無意識

こうした初期フロイトの仕事を手がかりとして東浩紀氏は「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」(1997〜2000)という論考においてフロイトのいう「不気味なもの」が生じるメカニズムを次のように解釈します。

まず同論考は『日常生活の精神病理学』におけるフロイトの分析が人の心の内部で稼働している複数の情報処理装置の衝突(より正確にはその処理経路とその中を通過する速度の衝突)への着目によって成立している点を挙げます。すなわち、人の心は「意識」という情報処理装置のバックグラウンドで「意識」とは異なる演算速度を持つ「無意識」という情報処理装置が稼働しており、我々は一つの情報を常に同時に複数の経路を通じて処理しているということです。従ってその演算結果も複数出力されることになり、それらの出力結果が相互に矛盾し衝突することでヒステリーといった症状や夢内容や失錯行為が生じることになります。

『ヒステリー研究』(1985年)から『夢判断』(1900年)、そして『日常生活の精神病理学』へと至る世紀転換期のフロイトは一貫してこの演算結果の衝突の問題を扱っていたと同論考はいいます。また『ヒステリー研究』の出版とほぼ同時にフロイトが書き記していたとされる『科学的心理学草稿』においては既に心のメカニズムを説明するための中心概念として「経路」という発想が持ち出されています。

この『科学的心理学草稿』によれば情報=知覚はニューロンの興奮を引き起こし、次にその興奮は移動してニューラル・ネットワークの中にそれが通過した痕跡を残し、それが「経路」になり、この「経路」の深さや大きさは各興奮に与えられたエネルギーの量(備給)により決定されることになります。そして、このテクストでフロイトは不条理な夢内容やヒステリー症状が複数の経路の存在によって生まれることをはっきりと述べています。

初期フロイトにおけるこうした生理学かつ機械論的な心のモデルはやがて主体間の言語コミュニケーションに基礎を置いた解釈学的方法としての精神分析の確立により表面的には放棄されてしまいます。しかしその発想はフロイトの仕事の根底に常に潜在していたと同論考はいいます。

すなわち、この文脈において「不気味なもの」との出会いという体験は、人の心の内部を走る諸経路の複数性、情報処理の並行性をその人自身がはっきりと自覚する体験として解釈できます。我々は通常、自分を1人の人間だと考えていますが、それは畢竟、心に宿る情報処理装置が一つだと考えていることを意味しています。しかしながら前述のような「不気味な」体験において人はしばし意識とは無関係に処理された別の情報がやや遅れて意識へと回帰する現象に出会うことになり、その時、我々は心が分散されているという事実に直面し、その分散状態の再認こそが「不気味さ」と呼ばれる特殊な感情を引き起こすことになります。


* 不気味なものとソーシャルメディア空間

以上のようにフロイトは快感原則から逸脱する存在を「不気味なもの」と名付けました。そして東氏によれば、それは心の内部を走る諸経路の複数性、情報処理の並行性から生じるものであるとされます。そして氏は今日における情報社会論の基礎にはこうした「不気味なもの」の感覚を置くべきであると主張しました。

この点「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」において氏は「分身」と「不気味なもの」を対置し、その対立をさらにウィリアム・ギブスンの小説とフィリップ・K・ディックの小説に重ねるという議論を展開しています。

まず氏はギブスンを「分身」の作家として位置付けます。なぜならば彼のいう「サイバースペース」とは人々が「分身(アバター)」を送り込む仮想空間のことだからです。「サイバースペース」という言葉が広く人口に膾炙するきっかけとなったギブスンの小説『ニューロマンサー』は情報社会の主体はネットワークに触れることで物理的身体と電子的身体に分裂し、後者をサイバースペースに送り込むというイメージの上で語られており、そこでは情報技術の本質は自分の電子的分身を生み出すことにあると考えられています。

これに対してディックの小説で重要な役割を果たすモチーフが「不気味なもの」です。それは例えば『火星のタイムスリップ』であれば時間感覚を変容させる幻覚剤であり『パマー・エルドリッチの三つの聖痕』であれば幻覚剤とジオラマを組み合わせた仮想現実キットであり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であればアンドロイドであり『ユービック』であれば死者の脳を活性化する技術です。そしてこのような「不気味なもの」との接触によって登場人物が現実感を失っていく経験をディックは繰り返し描いており、その世界観はしばし「悪夢的」とも形容されます。

以上のようにギブスンが「分身」によって此方(=現実)と彼方(=サイバースペース)とをきっちり区別した世界を描いたのに対して、ディックは「不気味なもの」によって此方と彼方の境界が融解していくような経験を現代社会の本質として捉えているということです。

そして東氏は後に『観光客の哲学』(2017)において「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか?」の議論を更新しており、そこで同論考の主張は20年が経ったいま多く人が体感できる話なのではないかと述べています。例えば現代のSNSのユーザーはしばしば現実に紐づいた実名アカウントである「本アカ」と、現実から切り離された匿名アカウントである「裏アカ」を使い分けていますが、この区別を援用して説明すれば、ギブスンが描いたのはいわば本アカと裏アカがきちんと区別できている世界であるといえます。

しかし実際問題、本アカと裏アカを使い分けているうちに、その当人もその使いわけがだんだんできなくなってくることがしばし生じます。裏アカで吐いた毒はまさに「不気味なもの」として、徐々に本アカのコミュニケーションに歪みを与えていくことになります。我々はいままさにそのような事例をヘイトやフェイクニュースの隆盛という形で日常的に目にしているように思われます。ディックの小説はその「悪夢」を正確に予見しており、それゆえに氏は情報社会論はギブスンのいう「サイバースペース」のうえにではなく、ディックが描いた「悪夢」のうえに設立すべきだといいます。

確かにこのような「悪夢」的な傾向はコロナ・パンデミックを経てますます加速しているといえるでしょう。今日のソーシャルメディア空間におけるアテンション・エコノミーの加速とポピュリズムの台頭は様々な局面における社会の分断と民主主義の機能不全を引き起こし、いまやSNSは一方でフェイクニュースや陰謀論の温床となり、もう一方では正義の名の下に失敗した他人に安全圏から石を投げつける安価で高性能な投石機と化していると言わざるを得ないでしょう。

そして、こうしたソーシャルメディア空間に広がる病理はまさに「不気味なもの」への過剰なコミットメントによって生じているといえます。今日の情報社会において人はどうあっても「不気味なもの」から逃れられません。ではこうした「不気味なもの」に対処するにはどうすればよいのでしょうか。答えはある意味で極めて単純です。「不気味なもの」を「不気味でないもの」に変えてしまえばいいということです。


* 無意味の諸相と不気味でないもの

この「不気味でないもの」を哲学的な概念として提示する千葉雅也氏は『意味がない無意味』(2018)という論集の冒頭に置いた総論的な論考「意味がない無意味−−自明性の過剰」で「意味」に対する「無意味」を〈意味がある無意味〉と〈意味がない無意味〉から論じています。

まず、ここでいう〈意味がある無意味〉とはある対象(例:トマト)から様々な意味(例:トマトは赤い/夏野菜である/栄養がある/美味しい/たくさん品種がある/庭で栽培している・・・etc)を汲み尽くしてもなお「いわく言いがたさ」が残る「謎のx」としての「無限の多義性としての無意味」のことをいいます。

つまり、あらゆる対象は有限に有意味なものとして現前すると同時に無限の多義性としての〈意味がある無意味〉を持つ「謎のx」なのであり、我々はその周りを「空回り」するようにして意味を生産し続けているということです。同論考は〈意味がある無意味〉とは意味の世界に空いた「穴」のようなものであるといいます。そして、この「最強の重力を持つ中心点」に向かって「意味の雨」が降り続け、その「穴」は決して埋まることはありません。

このような〈意味がある無意味〉の典型例がフランスの精神分析家ジャック・ラカンのいうところの「現実界」です。よく知られるようにラカンは人間の精神活動を「想像界(イメージの次元)」「象徴界(言語の次元)」「現実界(イメージと言語の外部の次元)」という三つの次元から説明していますが、このようなラカン的構図において「想像界」と「象徴界」の外部に位置する「現実界」は「謎のx」として無限に「意味」を産出する「意味の彼岸」としての〈意味のある無意味〉に位置付けられます。

これに対して〈意味がある無意味〉へ向けて降り注ぐ「意味の雨」を堰き止めるような無意味が〈意味がない無意味〉です。同論考は〈意味がない無意味〉とは意味の世界に開いた「穴」に蓋をする「石」のようなものであるといいます。つまり〈意味がある無意味〉とは「もっと何かを言いたくさせるような無意味」であり〈意味がない無意味〉とは「我々を言葉少なにさせ、絶句に至らせる無意味」であるということです。

もっとも同論考は二つの無意味は同じ場所で重なっているかもしれないといいます。すなわち、同じ場所が同時に「穴」であり、かつその「穴」に蓋をする「石」であり、しばし意味を発生する何かが意味を遮断する何かにすり替わり、あるいは意味を遮断する何かが意味を発生する何かにすり替わることになるということです。

そして同論考は〈意味がない無意味〉を「身体」の問題として論じます。つまり〈意味がある無意味〉から〈意味がない無意味〉への転換とは、無限の多義性に溺れる「考えすぎること」から無限に降り注ぐ意味の雨を跳ね返す「行為する身体」への転換であるということです。

例えば千葉氏の最初の著作である『動きすぎてはいけない』(2013)が打ち出した「接続過剰から非意味的切断へ」というテーマはこうした思考から身体への転換に相当し、ここでいう「非意味的切断」の「非意味」が〈意味がない無意味〉に相当します。

なお、ここでの「身体」という言葉は人間や動物の「からだ」のみならず、英語の「body」が意味するところの「物体」や「物質」、あるいは「集団」をも含み、さらには同論考はイメージや絵画における「形態」も、音楽における「メロディー」や「リズム」も「身体 body」として捉えています。そして、こうした意味での「行為する身体」を捉えるために千葉氏が提示する概念が「不気味でないもの das Un-unheimliche」です。


* 不気味なものと不気味でないもの

この点、フロイトのいう「不気味なもの das Unheimliche」はラカンにおいては「不安」の現象として捉えられます。それは「馴染み heimliche」であるはずの事物の状態が、ふとした瞬間に、漠然とした違和感を呈する事態をいいます。すなわち、ラカン的構図における「不気味なもの」とは「現実界」つまり〈意味がある無意味〉が急に意味(想像的かつ象徴的)の地平に迫り出してくる事態であるといえます。

このことを千葉氏は次のように再解釈します。「馴染みのもの」とは有限に有意味な事物のことであり、それは〈意味がある無意味〉の無限の多義性の減算によって生じています。他方「不気味なもの」とは、通常は身体によって抑圧されている〈意味がある無意味〉の無限の多義性がにわかに浮上し、つまり身体性が弱まることによって、意味の有限性が不安定になるという事態であるということです。

このように「馴染みのもの」と「不気味なもの」は互いを前提し合う=相関性を成しています。そこで氏は馴染みのものと不気味なものの相関性の外部に〈意味がない無意味〉に相当する第三項として「不気味ではないもの」を想定します。それは有限化を引き起こす「身体」それ自体の性質です。

フロイトのいう「不気味さ」とは、いわば無限性の迫り出しによる有限性の破れですが、ここでは立場が逆転してます。千葉氏のいう「不気味でなさ」とは有限性の迫り出しによる無限性の破れであるということです。

それはもはや無限性と相関しない「ラディカルな有限性」であり、不安の反対の極端である「馴染み以上」のものであり、通常の「(不安の反対としての)馴染みさ」を「自明性」と呼ぶのであれば、不気味でないものとは「自明性の過剰」であるといえます(この用語法は統合失調症における「自明性の喪失(ブランケンブルク)」という事態が念頭に置かれています)。このような「自明性の過剰」とは「現実性の過剰」であり、それは行為の純粋化に他ならないということです。

そして、このような「ラディカルな有限性」に至るための技法として千葉氏が『勉強の哲学』(2017)で提唱した「ラディカル・ラーニング(深い勉強)」を位置付けることができるでしょう。

この点「勉強」というのは基本的に「馴染みのもの」へ「アイロニー」を入れて「不気味なもの」に変える営為であるといえます。しかし人はしばしこの「不気味なもの」の中に何か「至高なもの」を見出してしまいます。こうした「アイロニーの有限化」を同書は「決断主義」と呼びます。そしてソーシャルメディアの様々な病理の根源にあるのはこうした意味での「決断主義」に他なりません。

そこで同書は「勉強」を「ユーモア」によって多重化し、さらに「享楽的こだわり」による「ユーモアの有限化」により思考の足場を「仮固定」することを勧めます。こうした「アイロニーからユーモアへの折り返し」は、いわば「不気味なもの」から生じる無限の意味を蒸発させ「不気味でないもの」に変える営為であるといえるでしょう。

こうしてみると同書の提唱する「ラディカル・ラーニング」は「不気味なもの」が跋扈する現代情報環境に対する優れた処方箋でもあります。すなわち、情報社会論の基礎に「不気味なもの」の経験があるとすれば、その突破口は「不気味でないもの」によって切り開かれるといえるのではないでしょうか。















posted by かがみ at 22:11 | 精神分析

2025年07月27日

リゾームとアーキテクチャ



* アンチ・オイディプスの衝撃

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス−−資本主義と分裂症』(1972)は1968年にフランスで起きたいわゆる「5月革命」を駆動させた「欲望」の奔流を原理的に考察して1970年代の大陸哲学最大のムーブメントを巻き起こしました。

同書の主旋律を成すのはその極めて激越なまでの精神分析批判です。この点、精神分析を創始したオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは19世紀末、当時謎の奇病とされたヒステリーをはじめとする神経症の治療法を試行錯誤する中で、その原因が幼児期の性生活に由来する性的欲望と性的空想のなかにある事を突き止めて、幼児期の性生活の中核には、異性の親に愛着を持つ一方で同性の親に対する憎悪を抱くという「エディプス・コンプレックス」なる心的葛藤があることを発見しました。

この一見して奇怪なフロイト神話を構造言語学の知見を用いて再解釈したのがフランスの精神分析家ジャック・ラカンです。ラカン理論の最も大きな特徴は人の精神活動を「想像界(イメージ領域)」「象徴界(言語領域)」「現実界(外部)」という三つの位相によって把握する点にあります。そして、ラカンはエディプス・コンプレックスを「象徴界」という「シニフィアンの構造」を統御するシニフィアンである〈父の名〉の導入として捉え、この〈父の名〉が正常に導入されているか否かを基準として、人の心的構造を「神経症」「精神病」「倒錯」のいずれかへと鑑別しました。

これに対してドゥルーズ&ガタリはフロイト=ラカンが提示するエディプス・コンプレックスに規定された「神経症=いわゆる正常」という構図を真正面から批判します。この点、ドゥルーズ&ガタリは「欲望機械」という奇妙な概念を提示します。彼らによれば「欲望」とは自然、生命、身体、あるいは言語、商品、貨幣といった様々な「機械」に宿る非主体的な力の作用であり、これら「欲望機械」は、それぞれ相互に連結して作動する一方、同時にその連結に必然性はなくたちまち断絶し、別のものへと向かい新たな連結を作りだすといいます。こうした矛盾した二面性からなるプロセスを彼らは「結びつきの不在によって結びつく」「現に区別されているかぎりで一緒に作動する」といった両義的な表現で定式化しました。

この「欲望機械」なる概念はガタリが提示した「機械-対象 a 」という概念に由来します。ガタリは「機械と構造」(1969)という論文において「構造」を重視する1950年代のラカンを批判しつつ「構造を超えるもの」として1960年代のラカンが提示した「対象 a 」に注目し「機械-対象 a 」という概念を提示しました。この点、ラカンのいう「対象 a 」とは「構造を越えるもの」として「構造」を安定させる装置であり、そこに「構造」それ自体を変革する契機は存在しません。これに対して、ガタリのいう「機械-対象 a 」は「構造」という名の因果の連関を多様多彩な形へと切断して「構造」に規定された「一般性」に回収不能な個々の「特異性」を切り出す機能を担っています。すなわち「機械-対象 a 」はいわば「構造」を常に脱構築していく装置です。このような「機械-対象 a 」の持つ機能をさらに拡大したものがドゥルーズ&ガタリのいう「欲望機械」です。

こうしたことから、ドゥルーズ&ガタリにとって「欲望」とは本来的に「こうあるべき」という「コード(規則)」に囚われない多様多彩な「脱コード的」な性格を持っているものとして捉えられます。それゆえに彼らは「欲望は本質的に革命的である」という基本的テーゼを打ち出すことになります。


* ツリーからリゾームへ

こうした本来的に脱コード的ないし革命的な欲望に対して、これを規制して秩序化する社会様式をドゥルーズ&ガタリは「原始共同体」「専制君主国家」「近代資本主義」という三段階に区分しました。そして、これらの社会様式を欲望の側から見た場合、それぞれの特質は「コード化」「超コード化」「脱コード化」にあるといいます。

すなわち、近代資本主義というシステムは外部の多様多彩な脱コード的な欲望によって駆動しつつも、これらの欲望を「代理-表象」として整流して内部に還流させることでシステムを安定させようとする「公理系(パラノイア)」として作動していることになります。こうした意味において、幼児の多様多彩な欲望を「父ー母ー子」のオイディプス三角形へと整流する精神分析とは、システムの安全装置以外の何物でもなく、それゆえに彼らはラディカルな批判を浴びせます。

そしてドゥルーズ&ガタリはシステムを内破するモデルを「分裂症(スキゾフレニア)」に求めました。資本主義システムが排除する分裂症はまさにシステムの外部をなしています。すなわち、この世界を分裂症の側からみるということは欲望における本来的な外部性を奪還するということに他なりません。こうしたことからドゥルーズ&ガタリは精神分析のオルタナティブとして、いわば「神経症の精神病化」を目論む「分裂分析」を提唱します。

このように『アンチ・オイディプス』においてドゥルーズ&ガタリが目指したのはいわば千の欲望の表出であり、これはやがて同書の続編として公刊された『千のプラトー』(1980)において打ち出された「ツリーからリゾームへ」というテーゼへと昇華されることになります。

ここでいう「ツリー(樹木)」とは1本の幹を中心に根や枝葉が広がり階層化されており、我々が一般的に「秩序」と呼ぶものの特性を備えています。これに対して「リゾーム(根茎)」とは全体を統合する特権的な中心も階層もなく、ただ限りなく連結して、飛躍し、逸脱し、横断する要素の連鎖からなります。こうした「リゾーム」という言葉によってドゥルーズ&ガタリは旧来の家父長的規範性からの逃走と偶然的接続による多様な生のなかに、単なるカオスではない別の秩序の多様な可能性を見出していくのでした。


*『構造と力』とニュー・アカデミズム

オイディプスの首を切り飛ばし、千の欲望を表出せよ!こうしたドゥルーズ&ガタリの激越なメッセージは1970年代という革命の夢が潰えた時代においてはある種の解毒剤の役割を果たし、フランス内外で熱狂的な反響を呼び起こしました。そして日本でも1980年代以降における国内批評シーンにおいて彼らは少なからぬ影響力を行使しています。

日本経済が空前のバブル景気へ向かいつつあった1983年9月、勁草書房という人文系出版社から一冊の本が出版されました。タイトルは『構造と力』。著者は浅田彰。当時、京都大学人文科学研究所助手のポストにあった弱冠26歳の青年が著したこの本はフランス現代思想を題材にした難解な思想書にもかかわらず15万部を超えるベストセラーとなり、世の中に「ニュー・アカデミズム」と呼ばれる空前の現代思想ブームを巻き起こします。

同書は「序に代えて《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み−−千の否のあと大学の可能性を問う」において、いま大学という場で真に学ぶべき知とは何かという問いにつき、重要なのは「感性によるスタイルの選択」であり「言ってしまえばシラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである」と主張します。こうした観点から同書の第T部においては構造主義とポスト・構造主義のパースペクティヴが素描され、第U部においては構造主義のリミットとしてラカンが位置づけられ、その後いよいよポスト・構造主義の大本命としてドゥルーズ&ガタリが登場します。

この点、同書はドゥルーズ&ガタリの「コード化」「超コード化」「脱コード化」という三段階説に依拠した上で、脱コード化を極限まで推し進め「内部」から「外部」に出よと力説します。もっとも、ドゥルーズ&ガタリがいうところの「オイディプス的三角形」をはじめとする近代資本社会に実装された様々な「整流器」は「脱コード化」を促す過剰の奔出をなし崩し的に解消して、同書が「クラインの壺」と呼ぶ無限循環回路へと還流させていくことになります。腰を落ち着けたが最後「外部」は新たな「内部」になります。こうした「クラインの壺」の中でなお「外部」へ突き抜けようとするのであれば、重要なのは「常に外へ出続ける」というプロセスに他ならないということです。


* パラノ・ドライヴとスキゾ・キッズ

こうして同書終盤で示された「パラノイアックな競争/スキゾフレニックな逃走」というコントラストは浅田氏の次著「逃走論(1984)」においてポストモダン社会における「若者の生き方論」へと接続されることになります。

同書は「過去のすべてを統合化=積分して背負いこみ、それにしがみついている」ことを偏執型(パラノイア)に準えて「パラノ型」と呼び、これに対して「そのつど時点ゼロにおいて微分=差異化している」ことを分裂症(スキゾフレニー)に準えて「スキゾ型」と呼びます。

そして「パラノ人間」が「《追いつけ追いこせ》競争の熱心なランナー」であり、これに対して「スキゾ人間」は「《追いつけ追いこせ》競争に追い込まれたとしても、すぐにキョロキョロあたりを見回してとんでもない方向に走り去ってしまう」のであり「《追いつけ追いこせ》のパラノ・ドライブによって動いている近代社会は、そうしたスキゾ・キッズを強引にパラノ化して競争過程に引きずり込むことを存立条件としており、エディプス的家族をはじめとする装置は、そのための整流器のようなものである」といいます。

こうして浅田氏は今こそ「パラノ・ドライブ」の外に出て「スキゾ・キッズ」の本領を発揮し、メディア・スペースで遊び戯れる時が来たと力説します。つまり既存の秩序である「ツリー」から逃走し、自在に「リゾーム」を作り出す「スキゾ・キッズ」への生成変化こそがポストモダン社会における若者の生き方であるということです。

こうした考え方は消費化情報化社会が爛熟し、バブル景気へと突入しつつあった1980年代中盤の日本社会の気分と見事に同調することになりました。「パラノ/スキゾ」という言葉は1984年の第1回流行語大賞新語部門で銅賞を受賞し、浅田氏は自らその「逃走」を実践するかのようにマスメディアの寵児となっていくのでした。


* 管理社会の拡大

ではオイディプスなる近代の亡霊が退場したのであれば、後はリゾームが自在に広がっていく自由で開放的な社会が実現されるのでしょうか。もちろん事態はそう単純ではありません。この点、ドゥルーズは1990年に公刊した『記号と事件』に収録されたテクスト「追伸−−管理社会について」においてオイディプスが失墜した後に到来するであろう未来図を「より悪いもの」が出現したある種のディストピアとして描き出しました。

同テクストでドゥルーズはミシェル・フーコーの権力論を参照し、現代はフーコーのいう規律訓練型権力が中心的に作動する「規律社会」にとって変わり管理型権力が中心的に作動する「管理社会」に変わりつつあると主張します。

同テクストが前提とするフーコーの権力論とは次のようなものです。フーコーは1975年に公刊した『監獄の誕生』において近代社会の権力は、もはや国家から市民に対して一方的に働くものではなく、市民ひとりひとりの価値観を変え、国家的な目的に自発的に従っていくような行動様式を作り上げる複雑な装置として機能していると主張しました。すなわち、権力には人々に特定の行動を選ばせる「強制的」な側面だけではなく、その行動様式を選ぶように価値観を変えていく「構成的」な側面があるということです。

そしてフーコーは、このような権力は「規律訓練」の場を通じて作動すると論じました。彼がその典型としてあげるのがイギリスの社会思想家ジェレミー・ベンサムが18世紀末に考案した「一望監視施設(パノプティコン)」です。この施設では中心にある塔の周囲に牢獄が円環状に配置されており、この牢獄は独房に区切られ、それぞれの独房は塔に向かって窓が開かれています。塔からは独房が監視できますが光量と角度の関係で独房からは塔の内部は見えません。

つまり、この「一望監視施設(パノプティコン)」において囚人はつねに監視される可能性に曝されていますが、現実に監視されているかどうかは分からず、つねに架空の視線に怯えて暮らさねばなりません。結果として彼らは監視の視線を徐々に内面化させていくことになり、自分で自分を監視するようになります。フーコーによれば、この「視線の内面化」こそが規律訓練型権力の雛型をなしています。監視される対象のなかに監視の視線が内面化されたとき、そのときこそ監視はもっとも効率よく機能することになります。

例えばジョージ・オーウェルが1949年に公刊した『1984年』は、こうした権力と視線の関係をそのまま小説化したような作品です。そこで描かれる未来社会では、公共空間と私室とを問わず、あらゆる場所に「テレスクリーン」と呼ばれる監視カメラ兼スクリーンが設置されています。街のそこかしこには「ビッグ・ブラザーはあなたを見ている」という標語が貼られ、人々はつねに監視に怯えていますが、肝心のビッグ・ブラザーは実在しません。

そして、この世界ではビッグ・ブラザーに服従するだけでは十分ではなく、彼を内面から愛さなければなりません。このように同作ではフーコーが『監獄の誕生』を公刊した四半世紀以上前に一望監視施設の構造と規律訓練の本質が明確に描かれています。


* パノプティコンからコンピュータへ

こうしたことからフーコーは現代社会においても多くの制度が一望監視施設の応用で作られていると考えていました。これに対してドゥルーズは同テクストにおいて規律訓練という権力形式は二十世紀の初めに頂点に達して現在はすでに衰退しており、かわりに台頭しつつあるのは情報処理とコンピュータ・ネットワークに支えられた「管理型」と呼ぶべき新しい形式であると主張します。彼によれば規律訓練型権力は人々に規範を植え付けるため学校や工場のような監禁環境を必要としましたが、管理型権力はそのような場を必要とせず、個人の行動を数字に置き換えて直接に制御するとされます。

たとえばドゥルーズが例に挙げたのは、位置情報と個人認証を結びつけた緩やかな監視システムの可能性です。そこでは、決められた障壁を解除する電子カードを所持することで、各人が自分のマンションや地域に自由に出入りすることができます。しかし特定の日や時間帯には同じカードが拒絶されることもあります。このような秩序維持の方法は門番や警備員が巡回しているわけではなく、かつ住人のいかなる自己監視(視線の内面化)も必要としないという点で強制型とも規律訓練型とも異なるものです。

そして、このようにドゥルーズが管理社会を語る時に念頭にあるのが資本主義の変化です。つまり規律社会から管理社会への移行とは「生産を目指す資本主義」から「販売や市場を目指す資本主義」への変化、つまり消費社会や情報社会への変化に対応しています。そして、こうした管理社会では個々人の個人情報は情報収集のためのデータとして、例えば乗客のデータとして、小売店のデータとして、飲食店のデータとして、金融機関のデータとしてさまざまな断片に分割されていきます。したがって管理社会において個人情報は断片的なデータとしてユビキタスに管理され、しかも管理は終わることなく続いていくことになります。

まだインターネットがほとんど一般的ではなかった当時においてドゥルーズは現代社会の未来図をほとんど的確に予言しているといえるでしょう。現代社会において個々人の行動は至るところで捕捉され、記録保存されていき、しかもその情報は相互に流通し合い、蓄積されていくことになります。このようなシステムから現代人はどこまでも逃れることができません。

しかしながらその一方でドゥルーズはこうした管理社会を憂いつつも、その対応策を何ら提示することなくテクストを閉じています。オイディプスについてはあれだけ饒舌に語り倒すことができたドゥルーズが管理社会についてはほとんど沈黙を強いられたというこの事実は、管理社会がもたらす問題の複雑さと深刻さを何よりも雄弁に物語っているといえるでしょう。


* リゾームとアーキテクチャ

このドゥルーズの管理社会論は多くの研究者の関心を惹きつけ、その後も様々な議論が提示されることになります。ここでは東浩紀氏が2002年から2003年にかけて中央公論で連載した「情報自由論」をみてみましょう。周知のように氏はゼロ年代の批評シーンを切り開いた『動物化するポストモダン』(2001)の著者として知られており、氏によれば同論考は「2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形したものです。したがって、この論考は、『動物化するポストモダン』と双子の関係にあると言えます」ということです。

現代情報社会における「自由」を問い直すことを主題とする同論考はアメリカの憲法学者ローレンス・レッシグの著書『CODE』(1999)に依拠し、人間の行動を制限するには「法」「社会的規範」「市場」「アーキテクチャ」の4つの方法があり、この4つ目の「アーキテクチャ」を「環境」と意訳して、ドゥルーズのいう管理社会における権力の作動様式を「環境管理」と呼びます。

このような「環境管理型社会」は当然、両義的な意味を持っています。規律訓練型社会は社会をまとめ上げる「大きな物語」によるイデオロギーの統一を必要としますが、環境管理型社会はそのようなイデオロギーの統一を必要としません。換言すれば後者の社会では特定のイデオロギーと秩序維持の目的が切り離されているということです。

したがって、「大きな物語」が機能不全に陥るポストモダン状況が加速する現代社会は厄介な二面性を帯びることになります。それは一方では一つの「大きな物語」の強制を放棄し、多様な価値観を歓迎する寛容な社会であると言えます(多文化主義)。ところが他方ではそのような多様性を担保するため絶えず個人認証と相互監視を必要とする強力な管理社会でもあります(セキュリティ化=排除社会)。このどちらかに注目するかでポストモダンの捉え方は全く変わってしまうと同論考は述べます。

こうした観点からいえば、かつてニューアカデミズムが言祝いだ「リゾーム」とはポストモダン社会の多様性のみに注目した一面的な見方だったということになります。つまりドゥルーズ&ガタリのいう「脱コード化」された社会としての「リゾーム」は、ある意味で実現されたかもしれませんが、そこにはカオスと紙一重であるリゾームの多様性を円滑に問題なく維持するためレッシグのいう「アーキテクチャ」が必要になってくるということです。


* 現代情報環境における自由の在り処

では、こうしたアーキテクチャがもたらす「自由」とは本当の自由なのでしょうか。この点、同論考はレッシグと大澤真幸氏の議論を参照し、ポストモダンにおいては選択肢の多様性としての「消極的自由」が拡大する一方で、個人の価値基準を規定する「大きな物語」が機能不全に陥った結果、選択肢を選ぶ動機としての「積極的自由」もまた機能不全に陥っているとした上で、こうした「積極的自由」を情報技術によって補完するものとしてユーザーに最適化された選択肢を絞り込むフィルタリングシステムの普及を位置付けています。

2002年時点におけるこの指摘が極めて的を得ていた事は日常のあらゆるところでフィルターバブルが前面化した2020年代におけるプラットフォームの現実を見れば明らかでしょう。我々は自由に選択しているように見えて実は知らず知らずにアーキテクチャによって選択させられているということです。

そして、このようなアーキテクチャに管理された「自由」とはユーザーの個人情報の蓄積によって実現されるものであり、いわば「匿名性」を放棄した「顕名性」によって得られるものです。こうした観点から同論考はハンナ・アーレントが『人間の条件』で提示した「活動」「制作」「労働=消費」という枠組みを再解釈します。

情報技術の発達はこのアーレントの提示した三領域の全てを拡張します。それは一方で新たな公共空間を開くこともあれば(活動)、新たな協働のモデルを用意することもあるでしょう(製作)。しかしそれは他方でセキュリティとマーケティングの精緻化を介して秩序維持の媒体にもなり得ます(労働=消費)。

この点、アーレントはコミュニケーション(活動)の場を「顕名性」の領域として捉え、日常生活(労働=消費)の場を「匿名性」の領域として捉えていました。しかし同論考は人々がアーキテクチャに無自覚に個人情報を差し出している現代においては、前者を「能動的な顕名性」の領域として捉え、後者を「受動的な顕名性」の領域として捉え直す必要があるといいます。すなわち、現代の情報環境において人はもはやユビキタスな顕名社会から逃れることはできないということです。

このように同論考は『動物化するポストモダン』で提示したシミュラークルの層とデータベースの層からなるポストモダンの二層構造の裏側に、リゾームの層とアーキテクチャの層、イデオロギーの層とセキュリティの層、多様性の層と情報管理の層、寛容の原理が支配する層と排除の原理が支配する層という二層構造があることを明らかにしていきます。

そしてそれは活動の層と労働=消費の層、能動的な顕名性の層と受動的な顕名性の層、人格が問われる層とユビキタス技術で常時監視される層であるともいえます。こうしたことからポストモダンの二層構造とは「人間が人間でいられる層」と「人間が動物として管理される層」の二層構造であり、ポストモダン状況の加速とは前者の層の拡大というよりも、むしろ後者の層のますますの肥大化であるといえるでしょう。






















posted by かがみ at 22:30 | 精神分析

2025年06月25日

情報社会と不気味なもの



* ポストモダンにおける主体性

しばし現代は「ポストモダン」の時代と呼ばれることがあります。ここでいう「ポストモダン」とは端的にいえば近代社会をまとめ上げていた「大きな物語」が機能不全に陥り、その結果として個々人が任意に選択した「小さな物語」が相互無関係的に乱立する状態を指しています。この点、東浩紀氏はそのデビュー作である『存在論的、郵便的』(1998)の公刊後に発表した一連のテクストで現代におけるポストモダン状況を次のように論じています。

まず東氏は「棲み分ける批評」において「アカデミックな批評」と「ジャーナリスティックな批評」の「棲み分け」を例に1990年代以降の日本社会では「徹底化されたポストモダン」が進行しつつあるといいます。続いて「ポストモダン再考−−棲み分ける批評U」において「ポストモダニズム」と「ポストモダン」を区別し「近代」の解体や超克を語る一種の「時代精神」としての前者は今やその役割を終えているが、その一方で社会状態の変化としての後者とはいまもますます過激に進んでおり、今後も衰える兆しは全くないと述べます。

そして氏は「郵便的不安たち−−『存在論的、郵便的』からより遠くへ」においてポストモダンにおける「大きな物語」の機能不全をラカン派精神分析における「象徴界(主体が面する情報に「意味」を与える社会的な言語システム)」の機能不全と重ね合わせています。

ではこのような「ポストモダン」と呼ばれる時代状況において人間のあり方は、精神分析でいうところの「主体」はどのように変容を被るのでしょうか。このような問いに対して東氏は上記のテクストと同時期に執筆された「サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか」(1997〜2000)という論考でひとまずの解答を与えています。


* 地球村からサイバースペースへ

同論考のいう「サイバースペース」とはコンピュータをつなぐネットワークを一つの「空間(スペース)」として捉える隠喩的な表現です。このようなネットワークの空間的理解は1962年に公刊されたマーシャル・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』に遡ります。メディア論の起源とされる同書は電子メディアの発展の延長線上に「地球村(グローバル・ヴィレッジ)」なるものの出現を予見していますが、その議論はきわめて両義的な意味を帯びています。

一方で同書は「地球村」を電子メディアの発展による世界の縮小化として捉えつつ、他方で同書は「地球村」を電子メディアによって生み出される新たな「精神圏」としても捉えています。このように同書の特徴はメディアを移動速度や通信速度といった「速度的=距離的」なもののみならず「空間的」な隠喩から捉えている点にあります。つまり同書のいう「地球村」とは現実空間とメディア空間とで同時に構想されているということです。

そして、このようなメディアの空間的理解は1980年代以降「サイバースペース」という語の流通によりますます強化されることになります。この言葉が広く知られるようになったきっかけはウィリアム・ギブスンが1984年に出版した小説『ニューロマンサー』だと言われています。ギブスンはこの小説でネットワークへのアクセスを「没入(ジャック・イン)」という言葉で形容し、そのことによって登場人物の意識が物理的身体から電子的身体へ切り替わるかのように描写しました。

つまり彼は近未来の情報ネットワークを目の前の物理的な現実とは異なるかたちで自立して存在する電子的な並行世界であるかのように描いたわけです。その並行世界が「サイバースペース」と呼ばれています。これは今でこそ古臭く響く言葉ですが、一時はかなり広く普及しており、日本語では「電脳空間」とも訳されていました。今でいえば「VR(仮想現実)」の概念が近いでしょう。

ともあれこの「サイバースペース」という言葉は多くの読者を惹きつけ、多くの小説や映画が似たイメージを採用しています。『ニューロマンサー』が開いたその潮流は文化史では「サイバーパンク」と呼ばれ、例えば日本では士郎正宗氏の漫画を押井守氏が映画化した『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)が有名でしょう。


* 情報社会と不気味なもの

もちろんコンピュータの情報ネットワークは現実には異世界を作り出すわけではありません。にもかかわらず「サイバースペース」なる隠喩は1998年代半ば以降の情報社会論に決定的な影響を与えました。こうしたなかで東氏は同論文で情報技術の本質は「サイバースペース」のような単純な隠喩では捕まえられるようなものではないと主張します。そこで要請されるのが「不気味なもの」という概念です。

ここでいう「不気味なもの」とは精神分析を創始したジークムント・フロイトが提唱した概念です。フロイトは1919年に書いた「不気味なもの」と題する有名な論文で、不気味さの本質は親しく熟知しているはずのものが突然に疎遠な対象に変わるその逆転のメカニズムにあると述べています。

例えばひとつしかないはずのものがたくさんに増殖したり、一度しか起こらないはずのことがなんども続けて起こったりすると、不気味さのメカニズムが発動することになります。そしてそのメカニズムは後期フロイトにおける重要な概念である「死の欲動」や「反復強迫」といった問題にも深い関係にあるとされます。

この点、東氏は同論考において情報社会論の基礎にこの「不気味なもの」の感覚をおくべきだと主張しました。つまり情報技術に接触すると人は「新世界」に行くというよりもむしろ「幽霊」に取り憑かれるのだということです。


* 分身から不気味なものへ

そして同論考で氏は「分身」と「不気味なもの」を対置し、その対立をさらにギブスンの小説とフィリップ・K・ディックの小説に重ねるという議論を展開しています。

まず氏はギブスンを「分身」の作家として位置付けます。なぜならば彼のいう「サイバースペース」とは人々が「分身(アバター)」を送り込む仮想空間のことだからです。『ニューロマンサー』の物語は情報社会の主体はネットワークに触れることで物理的身体と電子的身体に分裂し、後者をサイバースペースに送り込むというイメージの上で語られており、そこでは情報技術の本質は自分の電子的分身を生み出すことにあると考えられています(このような主体を分裂させる想像力はおそらくは同時期に流行した多重人格の現象と深い関連を持っていると氏はいいます)。

ではディックはネットワークとの接触による主体の変容をどのように描写したのでしょうか。この点、ディックは必ずしもコンピュータやインターネットを主題にした作家ではありません。そもそも1982年に亡くなった彼はパーソナルコンピュータの本格的な普及を見ていません。にもかかわらず彼の小説は来るべき情報社会の特徴を捉えた文学として高く評価されています。

このようなディックの小説で重要な役割を果たすモチーフが「不気味なもの」です。それは例えば『火星のタイムスリップ』であれば時間感覚を変容させる幻覚剤であり『パマー・エルドリッチの三つの聖痕』であれば幻覚剤とジオラマを組み合わせた仮想現実キットであり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であればアンドロイドであり『ユービック』であれば死者の脳を活性化する技術です。そしてこのような「不気味なもの」との接触によって登場人物は本物か偽物かわからないなにか、人間か非人間かわからないなにか、生物か無生物かわからないなにかに取り囲まれることになります。

このような構図を現代思想の言葉で表現すれば彼らは「シミュラークル」に取り囲まれているといえます。ディックはこうした「不気味なもの=シミュラークル」の出現のため、登場人物が現実感を失っていく経験をディックは繰り返し描いており、その世界観はしばし「悪夢的」とも形容されます。

以上のようにギブスンが「分身」によって此方(=現実)と彼方(=サイバースペース)とをきっちり区別した世界を描いたのに対して、ディックは「不気味なもの」によって此方と彼方の境界が融解していくような経験を現代社会の本質として捉えているということです。

そして東氏はディックの最晩年における作品『ヴァリス』の読解を通じて「分身から不気味なものへ」というテーゼを抽出し、こうしたディックが提示した世界観こそが本当の意味で新しい情報社会論の基礎になるはずだと述べています。


* 想像的同一化と象徴的同一化

ではこのような「不気味なもの」に囲まれた主体とは従来の主体と一体何がどう違うのでしょうか。この点、フランスの精神分析家ジャック・ラカンによれば人間の主体は「想像的同一化」と「象徴的同一化」という二つのメカニズムの組み合わせで構成されることになっています。

まず「想像的同一化」とは目で見ることができるイメージへの同一化を意味しています。もともとこれは幼児が鏡に映る像を自分と認識する働き(鏡像段階)を意味する言葉ですが、ラカンの理論ではより広い文脈でも使われます。

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(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』より引用)

この図においては主体からスクリーンの特定の箇所(イメージ)に矢印が向かっています。この矢印が想像的同一化の作用を表しています。ここでいうスクリーンとは主体から見た世界のことです。子どもは誰でも成長の過程で世界の誰かに同一化します。具体的には両親や教師や先輩といった人物です。このような想像的同一化の対象と自分を重ね、その立ち居振る舞いを模倣することで子どもは成長します。

これに対して「象徴的同一化」とは目で見ることができないシンボルへの同一化を意味しています。

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(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』より引用)

この図は先の図を拡張したものです。この図でも主体はスクリーン=世界を眺めていますが、今度はその背後にスクリーン=世界を成り立たせている秩序が書き込まれている点が異なっています。このようなスクリーン=世界を成り立たせている秩序をラカンの理論では「大文字の他者」と呼ばれます。

そしてこの図では主体からは想像的同一化の矢印の他にもう一つの矢印が描かれています。このもう一つの矢印はスクリーン=世界を飛び越えて「大文字の他者」から主体へと向かう「視線」に宛てられています。この矢印が「象徴的同一化」の作用を表しています。つまり「象徴的同一化」とはスクリーン=世界を成立させるメカニズムそれそのものへの同一化であるということです。

換言すれば人間は「見えるもの(イメージ)」に同一化するだけではなく「見えないもの(シンボル)」に同一化するという二重の同一化によってはじめて主体になるということです。この点、ラカンはこの「見えるもの(イメージ)」を「想像界」と呼び「見えないもの(シンボル)」を「象徴界」と呼んでいます。そしてこの「象徴界」を統御するものが「大文字の他者」であるということです。


* インターフェース的主体とエクリチュール

このようなラカンのいう主体はしばし映画の観客に準えられます。すなわち「想像的同一化」とはいわば観客がスクリーン上に映る俳優に同一化している状態をいい「象徴的同一化」とは観客がその俳優たちをまなざすカメラ、すなわち映画監督の視線に同一化している状態をいいます。そして後者へ同一化することが「成熟した(=主体的な)」映画鑑賞であるとされます。

これに対して東氏はポストモダンの主体をパーソナルコンピュータのGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を操作するユーザーに準えて「インターフェース的主体」と呼びます。ではそのような「インターフェース的主体」がいかにしてラカンのいう想像的同一化と象徴的同一化の二重性を確保するのでしょうか。このような問いに対する東氏の解答が次の図です。

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(『サイバースペースはなぜそう呼ばれるのか』より引用)

この図ではもはやスクリーン=世界の背後の構造は描かれていません。それはポストモダンの時代において主体はもはや社会を支える象徴秩序(象徴界=大きな物語)にアクセスすることができず、したがってそこには同一化の欲望を向けることもできないことを意味しています。

ではこのような状況でいかにして主体は想像的同一化と象徴的同一化の二重性を確保するのでしょうか。ここで氏が提示したのが「宛先の二重化」という観点です。この図では一つのスクリーンのうえに想像的同一化の対象(イメージ)と象徴的同一化の対象(シンボル)が等価に並ぶ様子が描かれています。

このようにポストモダンの世界ではスクリーン=世界の上にイメージとシンボル、見えるものと見えないもの、現象とそれを生み出す原理が同時に並び立つことになります。そしてインターフェース的主体はこの二つに同時に同一化することによって構成されることになります。

換言するとインターフェース的主体はスクリーン=世界を「エクリチュール」の集積として捉えているともいえます。この点、東氏が『存在論的、郵便的』で論じたポスト構造主義を代表する思想家ジャック・デリダによれば「エクリチュール」とは、ときに「絵(イメージ)」として見られ、ときに「言語(シンボル)」として聞かれる「目と耳のあいだ」の経験であるとされます。

こうした意味での「エクリチュール」の集積に直面するインターフェイス的主体こそが「大きな物語」を喪い「不気味なもの=シミュラークル」に曝されるポストモダンの主体に他ならないということです。


* 不気味なものとしてのキャラクター

なお付言すれば、このような同論考が提示したインターフェース的主体はゼロ年代において東氏が展開したサブカルチャー論を理論的に準備したといえるでしょう。

まず氏は『動物化するポストモダン』(2001)においては「シミュラークルの全面化」からオタク系文化における漫画やアニメのキャラクターの「データベース消費」を論じ、その続編である『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007)においては当時文芸市場を席巻していたライトノベルをキャラクターのデータベースを人工環境として記述される「キャラクター小説」と位置付け、キャラクターの持つメタ物語性から「ゲーム的リアリズム」を提示します。

この点、ポストモダンにおけるインターフェース的主体たるオタクはあるキャラクターが一方でただのイラストであることを理解しているにもかかわらず、他方でそのキャラクターがあたかも実在しているかのような強い感情をしばし向けることがありますが、このような両義性はキャラクターを一方でイメージ(イラスト)として、他方でシンボル(人間を表す記号)として二重に処理するメカニズムから生じています。すなわち、キャラクターをめぐる「データベース消費」や「ゲーム的リアリズム」といった経験は精神分析的見地からいえば畢竟「不気味なもの」の経験に他ならないということです。






























posted by かがみ at 22:07 | 精神分析